ダグラス・ホフスタッター「わたしは不思議の環」白揚社 片桐恭弘・寺西のぶ子訳
本書は、(略)「私」という概念について書いてある。
――まえがき 著者と著作…わたしが伝えたいのは「魂」とは何か、あるいは何が魂を持っているかという重大な問いである。(略)この問いが本書の中心問題である。
――第1章 魂のサイズプログラムで作動する機械が前もってプログラムされていないアイデアを思いつくことがあるだろうか?
――第8章 奇妙なループの狩猟旅行…われわれは、脳の活動をどこまでもシンボルによるものとごく自然に考えているのだ。
――第13章 掴みどころのない掌中の「私」人間は生まれつき、心を動かす微視的な機構に焦点を合わせられない生き物である。
――第14章 奇妙さは三「私」三様明確な「私」の獲得を開始するには、世界にある何か別のものと繋がる必要があるのだ
――第15章 絡み合い…脳は(略)、本質を失わないようにしながら単純化しているのだ。
――第19章 意識=思考いつまでも消えない厄介な問題は、何がたくさんある奇妙なループの一つをぼくにするのかっていうことさ。どのループがぼくになるんだい?
――第20章 好意的ながらもすれ違う言葉種によって魂の大きさを区別するのはごく当たり前(略)ならば、なぜ一つの種、とりわけわれわれ自身の種における魂の大きさを(暗示的ではなく)明示的なスペクトルで考えてはいけないのか?
――第24章 寛大と友情について
【どんな本?】
GEBこと「ゲーデル、エッシャー、バッハ」で大騒ぎを巻き起こした認知科学者・哲学者のダグラス・ホフスタッターが、28年の時を経て挑む続編または解説編。
人は誰でも「私」という概念を持っている。だが、改めて考えると、「私」とは何なのか、よくわからない。「意識」と言い換えてもいい。
例えば、何が意識を持つのか、だ。ボールペンやフライパンは、持っていないだろう。ウィルスもないだろう。アメーバも恐らくない。だが犬は持っていそうだ。なら蚊は?金魚は?鶏は?そしてAIは? 意識を持つモノと持たないモノの境は、どこにあるのだろう? 何が違うんだろう?
他にもある。意識はどこにあるんだろう? 脳? なら、脳のどこ? または構成する物質で考えてもいい。どんな化合物が必要なんだろう? 血と肉でなければならないのか?
お馴染みのゲーデルとエッシャー、ビデオ・フフィードバック、架空の対話、訳者泣かせの地口、そして私たちが日頃から体験している事柄などを駆使して、「私」の謎に迫る、一般向けのノンフィクション。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は I AM A STRANGE LOOP, by Douglas Hofstadter, 2007。日本語版は2018年8月1日第一版第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約565頁に加え、白揚社編集部による「後記 GEBから不思議の環へ」4頁。9.5ポイント49字×19行×565頁=約526,015字、400字詰め原稿用紙で約1,316枚。文庫本なら上中下の三分冊でもいい大容量。
文章は比較的にこなれている。ただ、地口(ダジャレ)には訳者も相当に苦労した様子。著者のクセで数学の話も出てくる。が、じっくり読めばたいてい理解できる。必要な前提知識は足し算と掛け算、そして素数の概念だけ。ただし、かなり込み入った話なので、時間をかける覚悟は必要だ。
【構成は?】
ほぼ前の章を受けて次の章が展開する形なので、素直に頭から読もう。
- まえがき 著者と著作
- 感謝の言葉
- プロローグ 角突き合わせ小手調べ
- 第1章 魂のサイズ
- 第2章 揺れ動く不安と夢の球体
- 第3章 パターンの因果的影響力
- 第4章 ループ、ゴール、そして抜け穴
- 第5章 ビデオフィードバック
- 第6章 自己とシンボル
- 第7章 ズ~イ伴現象
- 第8章 奇妙なループの狩猟旅行
- 第9章 パターンと証明可能性
- 第10章 お手本としてのゲーデルの奇妙なループ
- 第11章 アナロジーはいかにして意味を生み出すか
- 第12章 下向きの因果関係について
- 第13章 掴みどころのない掌中の「私」
- 第14章 奇妙さは三「私」三様
- 第15章 絡み合い
- 第16章 何よりも深い謎に対するあがき
- 第17章 互いの中でどのように生きるか
- 第18章 人間のアイデンティティのにじんだ光
- 第19章 意識=思考
- 第20章 好意的ながらもすれ違う言葉
- 第21章 デカルト的自我と軽く触れ合う
- 第22章 ゾンビと踊るタンゴ、そして二元論
- 第23章 二頭の聖牛を殺す
- 第24章 寛大と友情について
- エピローグ 板挟み
- 後記 GEBから不思議の環へ
- 註/文献一覧/出典と謝辞/索引
【感想は?】
円城塔が好きな人にはウケそうだなあ。例えば、こんなのとか。
「自分のひげを剃らない村人全員のひげを剃る村の床屋」
――第4章 ループ、ゴール、そして抜け穴
こういうパラドックスめいた小話を挟みつつ、フラフラとアチコチに寄り道しながら、エッセイ風に探求は進む。テーマは「私とは何か」、または「意識とは何か」。
著者は「SFは好きじゃない」と言っちゃあいるが、SF者はこういうネタが大好きだ。中にはピーター・ワッツみたく、過激な主張をする人もいる。知りたければ「エコー・プラクシア」がよいです。終盤では、フィリップ・K・ディックやグレッグ・イーガンみたいな話も出てくるし。
ただ、背景にはキリスト教的な文化があるので、私は少し戸惑った。というか、SFに慣れた人は、「なるほど、普通の人はそうなのね」と感じるだろう。
SF者は、意識とソレを構成する物質に、直接の関係はないと考えている。「われらはレギオン」がいい例だ。「転生したら宇宙船(の電子頭脳)だった件」と言われて、素直に「そういうものだ」と受け入れてしまう。そこに抵抗があるなんて、全く考えない。なぜなら…
脳細胞は意識を担っていない。意識を担うのはパターンなのだ。
――第17章 互いの中でどのように生きるか
と、思っているからだ。脳細胞でなければならない、なんて発想の方が不自然だと思っている。が、世間じゃSF的発想は過激派なのだ。がび~ん。
やはり「われらはレギオン」だと、クローンはオリジナルと少しづつ違うし、読者も「そういうものだ」と思っている。他の作品だと、記憶だけ入れ替えるなんてのもあるし。だから…
…「人格の同一性」のような黒か白かのどちらかだと思われているものは、実はさまざまな濃淡のある灰色だ…
――第21章 デカルト的自我と軽く触れ合う
とかも、「うん、そうだよね」と思ったり。やはり遺伝子にしたって、他の恒星系に運ぶには、DNAの配列をデジタル・データで運べばコンパクトになるよね、とSF者は考えるから…
二つの異なる生物の二つの異なる細胞に「同じ遺伝子」が存在し得るという考え方に異論を唱える人はいない。(略)ここで遺伝子は現実の物理的実体ではない。(略)遺伝子とはパターンである。
――第15章 絡み合い
と言われても、「そりゃそうだ」で終わっちゃう。でも、世間的にはイカれた発想なんだろうなあ。とまれ、そういう「発想法」として棚にしまっておけば、それをネタにしてショートショートぐらいは書けるかも。
などの哲学的なネタもあるが、もちろんあります数学とゲーデルの話。
数学者とは心の底において、一見何もなさそうなところにパターンを見いだしたいという衝動にひきずられる――実際にころりと誘惑される――人々である。
――第9章 パターンと証明可能性
わはは。こういう「とにかくパターンを探す」ってのはヒトの本能みたいなモンで、これは色々と面白い副作用を生み出すんですね。宗教とか(「ヒトはなぜ神を信じるのか」)ジョーク(「ヒトはなぜ笑うのか」)とか。
ゲーデルについては、その斬新さをこう語る。
クルト・ゲーデルは、とても厳めしくて近寄り難く見える自然数が、実のところどこまでも豊かな表現媒体であるという事実に気がつき、それを探求した最初の人間だった。
――第11章 アナロジーはいかにして意味を生み出すか
おお、いわれてみれば。そう考えると、不完全性定理も少しはわかる気がする。とか思ってたら、アッサリと一言で神髄を片付けちゃうから怖い。
証明可能でない真の言明はたくさんある。
――第12章 下向きの因果関係について
なるほど、そういう事か! かつて数学者は数学の世界を(位相幾何学でいう)一つの球だと思っていたけど、実は飛び地がたくさんあるんだよ、みたいな。
個人的な悩みも、少しだけ軽くしてくれた。というのも。このブログ、書評は沢山書いてるけど、完全にオリジナルの記事はほとんどない。人からお題を貰わないと私は文章が書けないらしい。何より、無理して書いたところで、誰かのパクリにしかならないよなあ、とか思ってたけど…
わたしのやることなすことすべては、実際に近しい誰か、あるいはバーチャルに近しい誰かから拝借して何らかの修正を加えたものだ…
――第17章 互いの中でどのように生きるか
とか言われると、少し気が楽になるじゃないか。
全般としては、GEBより散漫だが、メタマジック・ゲームよりはテーマに沿っている。加えて、人生を重ねた分、友人や家族との思い出話も入っていて、エッセイ風の味わいも濃い。雰囲気、GEBより親しみやすいが、その分マイルドになっている。
とか言いつつ、メタマジック・ゲームはまだ読みかけで積んだままだった。なんとか今年中には…
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