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2019年2月の11件の記事

2019年2月26日 (火)

ジュディス・メリル編「SFベスト・オブ・ザ・ベスト 下」創元SF文庫

「パパ、おかしな人間たちは働かないの? ぼく、そのおかしな人間を見たいな!」
  ――ウィル・ワーシントン / プレニチュード

「うまく生きのびることができなかったら、少なくとも死にざまをうまくしてよ」
  ――ロバート・シェクリー / 危険の報酬

『あなたはどこでああいう気違いじみた考えを思いつくのですか?』
  ――アイザック・アシモフ / 録夢業

【どんな本?】

 SF界の名物編集者ジュディス・メリルが、1955年度~1959年度にかけて編んだ、年間ベストSF短編アンソロジー5冊から、更に選りすぐった作品を集めて1967年に出版した、1950年代後半のSF界を概観する作品集。

 下巻ではコードウェイナー・スミスやブライアン・W・オールディスやアイザック・アシモフ、そしてホラーでも有名なシャーリー・ジャクスンなどを収める。

 ちなみに下巻にもキャロル・エムシュウィラーが載っている。伊藤典夫訳「浜辺に行った日」。

【いつ出たの?分量は?】

 原書は SF The Best of the Best, Edited by Judith Merril, 1967。日本語版は上巻が1976年8月13日初版、下巻が1977年2月18日初版。私が読んだのは1998年2月20日の6版と1998年2月20日の3版。着実に版を重ねてる。

 文庫版で縦一段組みの上下巻で332頁+345頁=677頁に加え、浅倉久志の解説7頁。8ポイント43字×18行×(332頁+345頁)=523,998字、400字詰め原稿用紙で約1,310枚に加え、。上中下でもいいぐらいの充実した分量。

 それぞれ文章はこなれている。さすがに60年以上も前の作品だけに、難しい仕掛けも出てこないので、理科が苦手な人でも大丈夫。ただしスマートフォンはもちろんインターネットも出てこないアナログな世界だし、1940年代~50年代が舞台の作品もある。当時の風情を思い起こしながら読もう。

【収録作は?】

  著者ごとに著者紹介が1頁ある。著者紹介と序文の訳は浅倉久志。各作品は 日本語著者名 / 日本語作品名 / 英語著者名 / 英語作品名 / 訳者 / 初出 の順。

コードウェイナー・スミス / 夢幻世界へ / Cordwainer Smith / No, No, Not Rogov! / 伊藤典夫訳 / イフ誌1959年2月号
  ソヴィエトが誇る秘密兵器、それは頭脳だった。空軍少将でありハリコフ大学の教授、ロゴフ。ライバルであり妻でもあるチェルパスと共に、ロゴフは秘密の村で研究を始める。スターリンの承認で始まった研究は、スターリン没後も続く。それは人間の思考を…
 ソ連の秘密研究所が出来る過程を描くあたりから、著者の経歴が見事に生きている。このあたりは、「死神の報復」が描くソ連の生物・化学兵器研究所を彷彿とさせる。無駄のないクールな文体ながら、そこに語られる物語は狂おしく今でも斬新なもの。
マーク・クリフトン / 思考と離れた感覚 / Mark Clifton / Sence from Thought Devide / 井上一夫訳 / アスタウンディング1955年3月号
 研究所の人事部長ケネディは、国防総省に人材の調達を頼む。六人の男のポルターガイストが欲しい、と。オーベルバッハがやっている反重力の研究に必要なのだ。最初の一人が来た。スワミと名乗る、胡散臭い男だ。ケネディは偽物だと見破りつつも、ボスにせっつかれ…
 ポルターガイストというか、今なら超能力者ですね。ところが肝心の超能力者スワミが、いかにもな胡散臭さプンプンで、ソレっぽい屁理屈を並べるあたり、こういう商売は昔から変わんないなあ、と思ったり。訳文は硬いけど、実はドタバタなユーモア作品だと思う。
フリッツ・ライバー / マリアーナ / Fritz Leiber / Mariana / 浅倉久志訳 / ファンタスティック1960年2月号
 ジョナサンとマリアーナは別荘で暮らしている。ジョナサンの留守に、マリアーナは秘密の制御盤を見つけた。スイッチが六つ並び、最初のスイッチには「ハヤシ」と書いてあり、オンになっている。機械オンチのマリアーナは敢えて触れなかったが、帰宅したジョナサンに尋ねると…
 10頁の掌編。トワイライト・ゾーンなど50年代~60年代のアメリカのテレビドラマにありそうな、ヒネリの利いたアイデアが光る作品。今なら「世にも奇妙な物語」が拾い上げそうなネタ。舞台を現代日本に移し、スイッチをスマートフォンのアプリに変えれば、製作費も安く上がりそう。
ウィル・ワーシントン / プレニチュード / Will Worthington / Plenitude / 井上一夫訳 / ファンタジー・アンド・サイエンス・フィクション1959年10月号
 未来のアメリカで、文明から離れ山で生きる一家。夫と妻、二人の男の子。獣を狩り、畑を耕す暮らしだ。最も近い隣人は、山の向こうに住むサトー。争いを好まない、寡黙な一家だ。ある日、幼い子にせがまれ、シティに出かけたが…
 なんとも荒涼とした未来の一幕を描く作品。壊れたロボットが出てくるところで、舞台が荒れた未来であることがわかる。そこで弓で獣を狩り、畑を耕す、原始的な暮らしを営む一家が見たシティの姿は…。石ノ森章太郎の「リュウの道」を思いだした。
キャロル・エムシュウィラー / 浜辺に行った日 / Carol Emshwiller / Day at the Beach / 伊藤典夫訳 / ファンタジー・アンド・サイエンス・フィクション1959年8月号
 「きょうは土曜日よ」とマイラは言う。「むかしは土曜日になるといつも出かけたものね」。マイラとベン両者とも、毛髪も眉毛もまつげも失った。チビ助は三つになるが、「アアア」と唸るだけ。結局、三人で浜辺に出かけることになった。
 これもまた、荒れた未来を描く作品。どうも核戦争で文明が滅び、その影響はヒトの身体にも及んだらしい。当然、暮らしは厳しいのだが、それをベンが「体はでぶでぶと太っていた」のが「かたくひきしまり、髪の毛は一本もなくなった」と描くあたりが、エムシュウィラーらしいところ。ところでデブとハゲ、どっちがマシなんだろうw
ブライアン・W・オールディス / 率直に行こう / Brian W. Aldis / Let's Be Frank / 井上一夫訳 / サイエンス・ファンタジー1957年6月号
 1540年、フランク・グラッドウェッブ卿の長男が生まれる。しかし赤子は泣きもせず、19年間ひたすら眠り続けた。父と同じフランクと名づけられた青年が目を覚ました時、フランク卿は驚くべき事実を知る。「これはいいかなる悪魔の業だ?」
 正直、私はオールディスを「ちと面倒くさい芸風の人」と思っていた。でも、この作品は全く違う。ケッタイなアイデアに上手いこと枝葉をつけ、調子よくかつユーモラスに話を進める、ポップなアイデア・ストーリーで、オチも楽しい。
ジョージ・バイラム / 驚異の馬 / George Byram / The Wonder Horse / 井上一夫訳 / アトランティック1957年8月号
 調教師のわたしと騎手のベン、二人だけの小さな牧場で、レッド・イーグルは生まれた。栗毛の色は普通だ。だが、それ以外はすべて申し分ない、いや一目で尋常じゃないとわかった。見た目だけじゃない、実際に走らせると、まさしく驚異で…
 「競馬の終わり」同様、珍しい競馬SF、というか競走馬SF。ほとんど競馬を知らない私でも、充分に楽しめた。小さな田舎の牧場に生まれた、革命的な競走馬レッド・イーグルが、競馬会に巻き起こす騒動を描く。競馬が好きな人なら、もっと楽しめるんだろうなあ。
アルジス・バドリス / 隠れ家 / Algis Budlrys / Nobody Bothers Gus / 浅倉久志訳 / アスタウンディング1955年11月号
 春の終わり、ドライブの途中で、ガス・クーゼヴィッツは丁度いい家を見つけた。ややくたびれているが、手入れすればいい。二年ほどかけ、庭もだいたい整ったところで、政府の者が来た。一緒にテレビのジャイアンツ戦を見る。今日の先発はハルジーだ。ハルジーにとって、これは勝負じゃない。
 人目を避け、一人で静かに暮らそうとするガス。彼が気にかけるのは、たった一人の若いピッチャー、ハルジーだけ。優れた成績だが、飛びぬけているわけじゃない。だが、ハルジーの秘密をガスは知っている。妙な選民意識を持つSFファンにはグサリとくる作品。
ロバート・シェクリー / 危険の報酬 / Robert Sheckley / The Prize of Peril / 井上一夫訳 / ファンタジー・アンド・サイエンス・フィクション1958年5月号
 ジム・レイダーは追い込まれた。ホテルの浴室、出口はない。殺し屋は迫ってくる。テレビのアナウンサーが中継する。「ボーイが殺し屋にチクった」と。幸いなことに、「よきサマリア人」が現れた。視聴者の一人のアドバイスだ。昔、浴室には窓があった、そこが破れるだろう、と。
 テレビの殺人ショウに、獲物として出演する男の物語。追いかけるギャングから、一週間逃げ切れば賞金が手に入る。あざとい設定も巧みだが、語り口も巧い。特にアナウンサーのマイク・テリーの台詞。読んでいると、張りのある明るい声が、イラつくほどに頭の中で響き渡ってくる。
デーモン・ナイト / 人形使い / Damon Knight / The Handler / 伊藤典夫訳 / ローグ1960年8月号
 7頁の掌編。ピートが大広間に入ってきた。ピアノ弾きは手を止め、女たちはよろこびの声をあげる。「ショーは成功だ!」ピートの声に、みんなが歓声をあげる。男も女も、ピートに群がる。ピートも、ひとりひとりにねぎらいの言葉をかける。みんなのおかげだ、と。
 ショービジネスの世界で、成功を祝す打ち上げパーティー。その中心には、明るく快活で人に好かれる大男、ピートがいる…と、思ったらw よくめげないなあw
アヴラム・デイヴィットスン / ゴーレム / Avram Davidson / The Golem / 吉田誠一訳 / ファンタジー・アンド・サイエンス・フィクション1955年3月号
 天気のいい秋の午後、静かな住宅街。。くつろぐガンバイナー老夫婦のヴェランダに、変な歩き方の見知らぬ男が入り込んできた。「わたしがだれだかわかったら、あんたはひどく驚くだろう」「わたしは人間ではないのだ!」
 メアリ・シェリーの「フランケンシュタイン」は、SFやホラーの原典の一つであり、人の世界に馴染もうとする怪物の姿は、大いなる悲劇だった。が、この作品に出てくるゴーレムときたらw
リチャード・ゲイマン / ちくたく、ちくたく、ケルアック / Riechard Gehman / Hickory, Dickory, Kerouac / 浅倉久志訳 / プレイボーイ1958年3月号
 大いなる動揺と変化の季節、目ざめの時期、行動のときがきた。リスはくりかえす。「いまがその時だぜ、あにき」。メッセージを受け取ったのはネズミだ。そして、走り始める。「おやあじ、おれはやっぱり出ていくぜ」
 ヒッッピーが街に溢れた激動の60年代を皮肉る作品、なのかな? 彼らの俗語が次々と出てくるし。タイトルが示すように、語呂やリズムが大事なんだと思う。ルビの多用は黒丸尚のお家芸だと思ったが、この作品で浅倉久志が既に使っている。
アイザック・アシモフ / 録夢業 / ファンタジー・アンド・サイエンス・フィクション1955年12月号
 録夢。テクノロジーが実現した、新しい芸術。優れた才能を持つ夢想家の夢を記録し、専用のヘルメットで再生する。業界のパイオニア、ドリーム社の社長ウェイルは忙しい。見どころのある夢想家の卵をスカウトし、違法録夢の摘発に協力し、商売敵にも目を光らせ…
 録夢は、VRの更に先をゆくメディアだ。が、ここに描かれるトラブルは、他のメディアでも繰り返されてきたことばかり。物語、演劇、録音、映画、漫画。いずれも新しい才能の発掘・政府の規制・商売敵との競争・質の保証、そして優れたクリエイターの気質も…
スティーヴ・アレン / 公開憎悪 / Steve Allen / The Public Hating / 吉田誠一訳 / ブルー・ブック1955年1月号
 きのう有罪の判決が発表されたばかりなのに、ヤンキー・スタジアムには続々と人が押し寄せている。婦女暴行犯や殺人犯じゃ2~3万人しか集まらないが、政治犯となれば話は別だ。やがて有罪となったアーサー・ケテリッジ教授が引き出され…
 SFというかホラーというか。強姦や殺人より政治犯が憎まれるってあたりから、私は一種のディストピア物と解釈したけど、どうなんだろう。
シオドア・R・コズウェル / 変身 / Theodore R. Cogswell / You Know Wille / 吉田誠一訳 / ファンタジー・アンド・サイエンス・フィクション1957年5月号
 殺人事件の被告はウィリー・マックラケン、自動車修理工場の経営者で白人だ。被害者は黒人で、自動車修理工場を開いており、ウィリーの客を奪っていた。重要な証人は二人、ウィリーの妻と、被害者の血族の老女。
 人種差別を扱ったホラー。被害者が「朝鮮から帰ってき」た、というのは、朝鮮戦争のことだろう。出征し復員した黒人が、白人に殺されたって構図だ。<炎の剣の会>は、KKKを模したと思われる。
シャーリー・ジャクスン / ある晴れた日に / Shirley Jackson / One Ordinary Day, With Peanuts / 吉田誠一訳 / ファンタジー・アンド・サイエンス・フィクション1955年1月号
 天気がいい。ジョンスン氏はキャンディとピーナッツを買い、町を歩く。行き交う人にはほほえみかけ、赤ん坊にはカーネーションをプレゼントし、引っ越し最中の母子を見ては子守りを引き受ける。そして職場へと急ぐ若者には…
 独特の芸風で「魔女」の二つ名を持つシャーリージャクスンによる、なんともイヤ~な後味の作品。明るく楽し気に人助けをするジョンスン氏、いったい何を考えているのかと思ったら…。ヴァルカンがヒントかと思ってキューピットを調べたが、どうも違うらしい。
解説:浅倉久志

 SFというと難しい印象があるが、このアンソロジーに入っている作品は、いわゆる「少し不思議」に属するタイプの作品が多い。テレビドラマの「トワイライトゾーン」や「世にも奇妙な物語」で映像化したらウケそうな、そんな傾向の作品だ。

 時代が時代だけに、言葉遣いや風俗は古びている。が、ちょっとしたアイデアを巧みに膨らませた作品が中心で、難しい理屈はまず出てこないため、SFに不慣れな人にも親しみやすい作品が多い。特にロバート・シェクリー 「危険の報酬」は、まんまB級SFアクション映画に使えそうな完成度だ。

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2019年2月24日 (日)

ジュディス・メリル編「SFベスト・オブ・ザ・ベスト 上」創元SF文庫

「あなたにとって、サイエンス・フィクションとは生活手段じゃなく、生活習慣なのね」
  ――序文

そういうわけであんたは、自分自身と忍耐力コンテストをすることになる――どれだけ長く、その隔壁にかまわずにいられるかという競争だよ。
  ――シオドア・スタージョン / 隔壁

【どんな本?】

 ジュディス・メリルはアメリカの有名なSF編集者だ。1955年度~1966年度にかけて、年間のベストSF短編を選んだアンソロジーを出した。うち1960年度~1966年度分は、創元SF文庫より「年間SF傑作選 1~7」として日本語版が出ている。

 この本は1955年度~1959年度の五冊分から、ジュディス・メリル本人が更に選りすぐった作品を集め、1967年に出版したもの。

 上巻では、シオドー・スタージョン,ゼナ・ヘンダースン,クリフォード・D・シマックなど、今にして思えばビッグネームがズラリと並ぶ贅沢なラインナップが揃った。

 …というのは言い訳で、実は先日亡くなったキャロル・エムシュウィラーの「狩人」が目当てです、はい。訳はもちろん小尾芙佐のゴールデン・コンビ。

【いつ出たの?分量は?】

 原書は SF The Best of the Best, Edited by Judith Merril, 1967。日本語版は上巻が1976年8月13日初版、下巻が1977年2月18日初版。私が読んだのは1998年2月20日の6版と1998年2月20日の3版。着実に版を重ねてる。

 文庫版で縦一段組みの上下巻で332頁+345頁=677頁に加え、浅倉久志の解説7頁。8ポイント43字×18行×(332頁+345頁)=523,998字、400字詰め原稿用紙で約1,310枚に加え、。上中下でもいいぐらいの充実した分量。

 それぞれ文章はこなれている。さすがに60年以上も前の作品だけに、難しい仕掛けも出てこないので、理科が苦手な人でも大丈夫。ただしスマートフォンはもちろんインターネットも出てこないアナログな世界だし、1940年代~50年代が舞台の作品もある。当時の風情を思い起こしながら読もう。

 というか、ぼちぼち私も老眼のせいで8ポイントは辛くなってきた。

【収録作は?】

  著者ごとに著者紹介が1頁ある。著者紹介と序文の訳は浅倉久志。各作品は 日本語著者名 / 日本語作品名 / 英語著者名 / 英語作品名 / 訳者 / 初出 の順。

ジュディス・メリル / 序文
ウォルター・M・ミラー・ジュニア / 帰郷 / Walter M. Miller, Jr. / The Hoofer / 深町真理子訳 / ファンタスティック・ユニヴァース1955年9月号
 日焼けした顔に白いゴーグルのあと。誰もが一目で宇宙飛行士だとわかる。バスに乗り込むなり酔いどれた口調でご婦人にからむホーギイ・パーカーは、やっと地球に帰ってきたところだ。家じゃ妻のマリーが待っている。生まれた子供と一緒に。
 著者は「黙示録3174年」が有名。現代の宇宙飛行士は超エリートだ。でもこの世界は宇宙飛行が普及して、飛行士は現代の外洋航行の商船員みたいな立場らしい。稼ぎはいいが、長い期間を宇宙で過ごす。船員が海の暮らしに順応するように、ホーギイも宇宙に慣れて…
シオドー・スタージョン / 隔壁 / Theodore Sturgeon / Bulkhead / 深町真理子訳 / ギャラクシイ(年月は不明、1955年以前、タイトルは「だれ?」
 厳しい訓練を経て、辿りついた最終試験は、遠宙訓練。たった一人で、長い航宙に耐える。船には本もゲームも幻覚剤も揃っている。いくらでも時間を潰せるはずだ。だが、インターコムのボタンに触っちゃいけない。ボタンを押せば、隔壁の向こうの誰かに会える。だが…
 「最終試験」物。宇宙船の船長には、極めて優れた資質が求められる。長い旅を、たった一人で耐えなければならない。となれば、この最終試験も孤独に耐える試験だろう、と思ったが…。スタージョンにしては読みやすい、ストレートなアイデア・ストーリー。
ゼナ・ヘンダースン / なんでも箱 / Zenna Henderson / The Anything Box / 深町真理子訳 / ファンタジー・アンド・サイエンス・フィクション1956年1月号
 わたしの担任は一年生だ。新学期が始まって二週間ほどして、リン・スーに目をとめた。特に問題があるわけじゃない。でも、ときおり、両手に隠した何かを見つめている。その時のリン・スーはしあわせそうだ。
 教師の経歴を活かした作品。特に教師同士の会話は、いかにもありそうな雰囲気が出てる。謄写版(ガリ版)、懐かしいなあ。50年代アメリカSFの大らかな雰囲気を漂わせつつ、空想にふける癖のあるSF者にとっては、何かと心に染みる作品。
リチャード・M・マッケナ / 闘士ケイシー / Richard McKenna / Casey Agonistes / 浅倉久志訳 / ファンタジー・アンド・サイエンス・フィクション1958年9月号
 おれは九人の仲間と軍の結核病棟にいる。仲間の一人はヒューイット、すっかりやつれたんで気づかなかった。カーナハンは隣のベッドだ。いつもクスクス笑ってる。ラジオをイヤホンで聞いてるせいかと思ったが…
 これまた海軍の経歴が活きた作品。当時の結核は死病だったんだろう。それでも兵隊らしく図体のデカい悪ガキみたいなノリは健在で、気に入らない医者や婦長をからかう?場面では、妙な明るさがあったり。などと油断していると…
クリフォード・D・シマック / 孤独な死 / Cliford D. Simak / A Death in the House /  浅倉久志訳 /ギャラクシイ1959年10月号
 牛を追う途中で、モーズじいさんは異星人を見つけた。不気味な姿で嫌なにおいがするが、死にかけているらしい。やもめ暮らしの汚い家まで抱えていき、ベッドに寝かせる。が、看病しようにも、何をどこから食べるのかすらわからず、どうすりゃいいのか皆目見当がつかない。
 シマックらしい田園が舞台の作品。やはり50年代らしい、おおらかでユーモラスな雰囲気のファースト・コンタクト物。頑固な田舎者で、長いひとり暮らしに慣れてマイペースだが人情はある、モーズじいさんの人物像が楽しい。
フリッツ・ライバー / 跳躍者の時空 / Frits Leiber / Space Time for Sprinfgers / 深町真理子訳 / スター・サイエンス・フィクション第四集1958年
 仔猫のガミッチは天才だ。同居人は≪馬肉の大将≫≪ネコこっちおいで≫≪赤ん坊≫、しゃべらないシシーと、床の皿から馬肉を食べるアッシュールバニパルとクレオパトラ。ガミッチは知っている。本当の真実を。
 天才仔猫ガミッチ君シリーズ。同じ深町真理子訳だが、河出書房新社の「跳躍者の時空」とは少し違っている。好奇心もとい知識欲に溢れ、全てが驚異と冒険に満ちている仔猫の目には、世界がどう映っているのか。というか、子供の頃って、人間もそうだよなあ。
キャロル・エムシュウィラー / 狩人 / Carol Emshwiller / Pelt / 小尾芙佐訳 / ファンタジー・アンド・サイエンス・フィクション1958年11月号
 クイーンは白い犬だ。主人と共に氷の世界ジャクサ星に降り立った。クイーンはここが好きだ。樹のかげに、何がひそんでいる。大きい。こっちを見張っている。でも、それより獲物だ。追いかけよう。何かが目の前に立ちはだかった。すばらしい毛皮だ!
 猫SFの次は犬SFが続く。主人公は猟犬のクイーン。彼女の視点で、異星でのハンティングを描く。「カルメン・ドッグ」もあるし、著者は犬が好きなのかな? クイーンの視点から見ると、人間は鼻も効かず足も遅いノロマに見える。でも主人には従ってしまう犬の性分を、切なく鮮やかに描き出す手腕はさすが。テーマ的にも、「カルメン・ドッグ」と共通するモノがあるような気がする。
デーモン・ナイト / 異星人ステーション / Damon Knight / Stranger Station / 浅倉久志訳 / ファンタジー・アンド・サイエンス・フィクション1956年
 二十年に一度、異星人ステーションに異星人が訪れる。それを迎える任務にあたるのは、ただひとり。人類と異星人、両者のへだたりは大きく、接触すら苦痛だといわれている。報酬につられ志願したウォッスン軍曹は、ステーションに一人で取り残された。
 ファースト・コンタクト物。ソレが近くにいる、ただそれだけで人類は苦しむ。その科学的な理由は全く説明なしなのも、当時のおおらかさだろう。それでも律義に20年に一度、一人だけと接触を繰り返す。異星人の、そして人類の目的は何か。
シオドー・L・トマス / 衝突進路 / Theodor L. Thomas / Satelite Passage / 小尾芙佐訳 / イフ誌1958年12月号
 地球軌道上。このまま進めば、ロシアの衛星船と衝突しかねない。最も近づく時で距離約15m。かといって、ビビって避けたらメンツが丸つぶれだ。地上のコントロール・ポイントと話し合ったが、結論は同じ。避けるな。困ったことに、ロシアも同じ結果に達した。
 さすがに軌道上の描写は、最近のサイエンス・フィクションに比べるとかなり雑だ。とはいえ、こんな風に小説になると、当時の米ソ冷戦の実態がよくわかる。1962年のキューバ危機にしても、つまりは珍走団のチキン・レースと同じ、イキがったオス同士の意地と面子の張り合いなのだ。
マック・レナルズ / 時は金 / Mack Reynolds / Compounded Interest / 浅倉久志訳 / ファンタジー・アンド・サイエンス・フィクション1956年8月号
 1300年。ヴェネツィアの大商人ゴルディーニ家に、スミスと名乗る男がやってきた。十枚の見慣れぬ金貨を出して、こう語る。これを私の代わりに運用してほしい、利息は年一割の複利で。ただし、清算は百年後。
 利息が利息を生む複利の恐ろしさを伝える寓話…では、もちろん、ないw 年利1割ってあたりに、50年代の景気の良さを感じるけど、史記とかを読むと、歴史的にも1~2割は妥当らしい。にしても、オチはしょうもないw
ロバート・アバーナシイ / ジュニア / Robert Abernathy / Junior / 小尾芙佐訳 / ギャラクシイ1956年1月号
 今日もジュニアはどこかをフラついている。心配してメイタアは泣き、ペイタアは怒る。浅瀬で遊んで潮だまりにはまりこんだか、深遠に迷い込んで怪物に食われたか。そろそろ落ち着く頃なのに、ジュニアは泳ぐのをやめない。
 ヒトではない知性を描くのも、SFのテーマの一つ。この作品だと、イソギンチャクなのかな? ペイタアが語る、知性生物のあるべき姿は、私たちとは全く違う。それは同時に、私たちが知性に対し持っている偏見を映す鏡でもある。

 さすがに60年も前の作品だけに、科学の面を見るとおおらかな作品が多い。が、アイデアの幅はむしろ今より広かったりする。シマックの「孤独な死」などは、短編映画にも向きそう。

 そしてお目当てのエムシュウィラー「狩人」は、狩猟犬クイーンの目線で描く、異星でのハンティングの物語。なんだが、解釈次第で様々に受け取れるお話や、どうにもモヤモヤする読後感は、やはりエムシュウィラーならではの味。もっと翻訳が出て欲しい。

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2019年2月21日 (木)

アンディー・ウィアー「アルテミス 上・下」ハヤカワ文庫SF 小野田和子訳

…いい計画はぜんぶそうなのだけれど、この計画もクレイジーなウクライナ人の男がいないと成立しないのだった。
  ――上巻p103

「アルテミスがあたしの故郷なの」
  ――下巻p112

親愛なるジャズ
ニュースを見たら、アルテミスがおかしなことになっているという。街全体がオフラインになっていて、まったく連絡がつかないといっている。
  ――下巻p237

【どんな本?】

 デビュー作「火星の人」で大ヒットをカッ飛ばしたアンディ・ウィアーによる、期待の第二作。

 時は21世紀終盤、舞台は五つのドームで構成される月面都市アルテミス。直径500mほどの街にいるのは、超リッチな観光客と、彼らの暮らしを支える労働者、合わせて二千人ほど。

 ジャズことジャスミン・バシャラはポーター。船外活動(EVA)ギルドに入れば更に稼げるんだけど、実地試験であえなく玉砕。

 そこでジャズは裏稼業に精を出す。アルテミスは何かと規制が厳しい。でもお金持ちはわがままだ。魚心あれば水心、ポーターのジャズには彼女ならではのルートがある。そう、密輸業だ。今日も常連客のトロンド・ランドヴィクにブツを届けたところ、デカいビジネスが舞い込んできた。

 若く野望と才気あふれるジャズを中心に、テンポのいいサスペンスが続く、SFエンタテイメント。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2019年版」のベストSF2018海外篇でも8位に食い込んだ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は ARTEMIS : A Novel, by Andy Weir, 2017。日本語版は2018年1月25日発行。文庫本で上下巻、縦一段組みで本文約271頁+264頁=535頁に加え、大森望の解説10頁。9.5ポイント39字×16行×(271頁+264頁)=約333,840字、400字詰め原稿用紙で約835枚。上下巻としては普通の厚さ。

 文章はこなれていて読みやすい。「火星の人」と同じく、時おり「です・ます」調を混ぜた文体が、軽さと親しみやすさを醸し出している。内容は、かなり突っ込んだ工学のネタが多い。特に化学と溶接。ただし、事件に続く事件がお話を引っ張るので、分からなければ難しい所は読み飛ばしても問題ない。

【感想は?】

 これは珍しい溶接SF、または「月は無慈悲な夜の女王」前日譚。

 私が知る限り、溶接を扱ったSFは、かのベストセラー作家ロイス・マクスター・ビジョルドの「自由軌道」ぐらいだ。そういう点では、なんとも野心的な挑戦状でもある。

 それだけに、肝心の溶接の場面は迫力満点。まず主人公ジャズの父アマーが熟練の溶接工で、幼いころから彼女を仕込んでいる。彼の造形も、いかにも頑固で腕のいい職人って雰囲気がビンビン。特に安全に関しちゃ滅茶苦茶に怖いあたりが、アマーの気質をよく物語ってる。

 この物語で活躍するのはガス溶接だ。アセチレンを燃やし、その熱でアルミを溶かす。ただし月面なので、地上とは何かと勝手が違う。なにせ空気がない。これがどう影響するかを、キッチリ考えてあるのがSF者としては嬉しい。単に酸素がないってだけじゃなく…

 他にも月面ならではの厳しい品質上の条件があって、腕のいいアマーが重宝される理由も次第に伝わってくる。ほんと、命にかかわるのだ。

 溶接というと私たちは鉄を連想するが、ジャズが主に扱うのはアルミ。なぜアルミかってのも、著者らしい拘り。これは貨幣単位のスラグにも強い関係がある。

 何せ月だ。何であれ、地球から月まで持っていくには、凄まじいエネルギーが要る。必要なエネルギーは、質量に比例する。たいていのモノは、原材料費より運送費の方が高くつく。そんなわけで、自給できるモノならともかく、地球から持ち込むモノの価格は…

 ってな経済面を考えているのも、この作品の面白いところ。この影響はジャズのねぐらや裏稼業、そして食事やパブのメニューにまで大いに関係してくる。何かと厳しい環境の中、新しいメニューを開拓しようと奮闘するビリーの闘志には感心するやら呆れるやらw

 何にもないってあたりは、開拓時代の西部を思わせる。初期のアメリカが、出身地ごとに町を作っていったように、アルテミスでは出身地で職能が分かれているのが面白いところ。例えばアマーなどの溶接工はサウジ人だし。

 これ、ちょっと意外だけど、もしかしたらビンラディン一家みたく、ご先祖はイエメンからの移民かも。アルカイダのウサマの父ちゃんはイエメンからの移民で、レンガ職人から身を興しサウジアラビア随一の建設会社にまで育てたんだし。

 などのジャズを巡る人も色とりどりなんだが、中でも私が気に入ったのがマーティン・スヴォボダ。いや頭はいいんだ。優れた発明家だし。ただ、色々とズレてるだけで。つか、何作ってんだw 実用性しか考えないあたり、親近感は持てるけどw ジャズも、なんで気が付かないかなあw

 さて。先のスラグが示すように、この作品の特徴の一つが、経済をキッチリ考えてある点。

 当然、「火星の人」のアンディだから、塵など月の自然条件の書き込みは見事だ。その厳しい環境の中で、手に入る物は限られている。地球からの輸入品は運送費がバカ高い。だから、なるたけ手に入る物でやりくりするしかない。都市の外壁はアルミで、バーを営むビリーは「密造酒」を造り、マーティンはケッタイな発明をする。

 そんな彼らの姿は、一つの方向性を示す。今は地球に依存しなければならないにせよ、できるだけ早く自立したい。この作品のタイトルが「ジャズ」でも「月の人」でもなく「アルテミス」なのは、都市が自立を目指す物語だからなのか、と思ったり。

 ジャズはトラブル・メーカーのわりに、けっこう人望があるあたりは、ちとアレだが、そんな彼女が巻き起こす騒動はスリルたっぷりだし、仕掛けも著者ならではの凝ったもの。相変わらずのダクトテープとおっぱいには少し安心w なんにせよ、物語に入り込めば一気に読める、明るく楽しいエンタテイメント作品だ。

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2019年2月18日 (月)

SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2019年版」早川書房

飛浩隆「今岡編集長から『就職はするように』というありがたいお話がありました」
  ――飛浩隆 誕生と再始動、そして

谷甲州「予想はしてたのだが太陽系内を舞台にするとデータが古びやすくて困る」
  ――2019年のわたし

 年に一度のSFファン向けお祭り本。

 例年通り、冒頭は「ベストSF2018国内篇・海外篇」。これの何が有り難いって、見逃してた美味しい本を教えてくれるのが嬉しい。ロジャー・ゼラズニイ「虚ろなる十月の夜に」が出てたなんて全く知らなかった。今年は若手とベテランが入り混じってて、なかなか豊かな香りがする。

 はいいが、シルトの梯子(全3巻)ってなんじゃい。

 「マイ・ベストSF」も「2019年のわたし」も、草野原々はやたらと「!」が好きだなあw 柴田勝家といい赤野工作といい、最近のSF作家は芸まで求められるのかw

 ジャンル別ベストSF&総括 SFアニメ。そうか、「はたらく細胞」は21世紀の「ミクロの決死圏」だったのか。納得。科学とエンタテイメントを見事に融合させた作品だよね。しかし「ポプテピピック」がSFだったとはw まあ百合ではあるけど←え?

 このSFを読んでほしい! やはり早川書房は貫禄がすごい。ハーラン・エリスン「危険なヴィジョン[完全版]」ってマジかい。それとテッド・チャンの「伊吹*」も嬉しい。噂の「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」は読み逃してたんだよなあ。ついでに、ぼちぼち草上仁の短編集も欲しいです。

 エリスンは国書刊行会からも「愛なんてセックスの書き間違い」が出る。やっとエリスンのブームがきた? 竹書房の建屋は変なモノが埋まってたり壊されたり大変ですねw 東京創元社のピーター・ワッツ作品集「巨星」も期待してます。

 2019年のわたし。上田早夕里、ついに<オーシャンクロニクル・シリーズ>が出る。嘘じゃなかったんだ。梶尾真治、「クロノス・ジョウンターの伝説」映画化かあ。あ、いつの間にか徳間文庫から出てる。しかもソノラマ文庫から何篇か増えてるし。これは早めに手に入れないと。

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2019年2月17日 (日)

ダグラス・ホフスタッター「わたしは不思議の環」白揚社 片桐恭弘・寺西のぶ子訳

本書は、(略)「私」という概念について書いてある。
  ――まえがき 著者と著作

…わたしが伝えたいのは「魂」とは何か、あるいは何が魂を持っているかという重大な問いである。(略)この問いが本書の中心問題である。
  ――第1章 魂のサイズ

プログラムで作動する機械が前もってプログラムされていないアイデアを思いつくことがあるだろうか?
  ――第8章 奇妙なループの狩猟旅行

…われわれは、脳の活動をどこまでもシンボルによるものとごく自然に考えているのだ。
  ――第13章 掴みどころのない掌中の「私」

人間は生まれつき、心を動かす微視的な機構に焦点を合わせられない生き物である。
  ――第14章 奇妙さは三「私」三様

明確な「私」の獲得を開始するには、世界にある何か別のものと繋がる必要があるのだ
  ――第15章 絡み合い

…脳は(略)、本質を失わないようにしながら単純化しているのだ。
  ――第19章 意識=思考

いつまでも消えない厄介な問題は、何がたくさんある奇妙なループの一つをぼくにするのかっていうことさ。どのループがぼくになるんだい?
  ――第20章 好意的ながらもすれ違う言葉

種によって魂の大きさを区別するのはごく当たり前(略)ならば、なぜ一つの種、とりわけわれわれ自身の種における魂の大きさを(暗示的ではなく)明示的なスペクトルで考えてはいけないのか?
  ――第24章 寛大と友情について

【どんな本?】

 GEBこと「ゲーデル、エッシャー、バッハ」で大騒ぎを巻き起こした認知科学者・哲学者のダグラス・ホフスタッターが、28年の時を経て挑む続編または解説編。

 人は誰でも「私」という概念を持っている。だが、改めて考えると、「私」とは何なのか、よくわからない。「意識」と言い換えてもいい。

 例えば、何が意識を持つのか、だ。ボールペンやフライパンは、持っていないだろう。ウィルスもないだろう。アメーバも恐らくない。だが犬は持っていそうだ。なら蚊は?金魚は?鶏は?そしてAIは? 意識を持つモノと持たないモノの境は、どこにあるのだろう? 何が違うんだろう?

 他にもある。意識はどこにあるんだろう? 脳? なら、脳のどこ? または構成する物質で考えてもいい。どんな化合物が必要なんだろう? 血と肉でなければならないのか?

 お馴染みのゲーデルとエッシャー、ビデオ・フフィードバック、架空の対話、訳者泣かせの地口、そして私たちが日頃から体験している事柄などを駆使して、「私」の謎に迫る、一般向けのノンフィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は I AM A STRANGE LOOP, by Douglas Hofstadter, 2007。日本語版は2018年8月1日第一版第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約565頁に加え、白揚社編集部による「後記 GEBから不思議の環へ」4頁。9.5ポイント49字×19行×565頁=約526,015字、400字詰め原稿用紙で約1,316枚。文庫本なら上中下の三分冊でもいい大容量。

 文章は比較的にこなれている。ただ、地口(ダジャレ)には訳者も相当に苦労した様子。著者のクセで数学の話も出てくる。が、じっくり読めばたいてい理解できる。必要な前提知識は足し算と掛け算、そして素数の概念だけ。ただし、かなり込み入った話なので、時間をかける覚悟は必要だ。

【構成は?】

 ほぼ前の章を受けて次の章が展開する形なので、素直に頭から読もう。

  • まえがき 著者と著作
  • 感謝の言葉
  • プロローグ 角突き合わせ小手調べ
  • 第1章 魂のサイズ
  • 第2章 揺れ動く不安と夢の球体
  • 第3章 パターンの因果的影響力
  • 第4章 ループ、ゴール、そして抜け穴
  • 第5章 ビデオフィードバック
  • 第6章 自己とシンボル
  • 第7章 ズ~イ伴現象
  • 第8章 奇妙なループの狩猟旅行
  • 第9章 パターンと証明可能性
  • 第10章 お手本としてのゲーデルの奇妙なループ
  • 第11章 アナロジーはいかにして意味を生み出すか
  • 第12章 下向きの因果関係について
  • 第13章 掴みどころのない掌中の「私」
  • 第14章 奇妙さは三「私」三様
  • 第15章 絡み合い
  • 第16章 何よりも深い謎に対するあがき
  • 第17章 互いの中でどのように生きるか
  • 第18章 人間のアイデンティティのにじんだ光
  • 第19章 意識=思考
  • 第20章 好意的ながらもすれ違う言葉
  • 第21章 デカルト的自我と軽く触れ合う
  • 第22章 ゾンビと踊るタンゴ、そして二元論
  • 第23章 二頭の聖牛を殺す
  • 第24章 寛大と友情について
  • エピローグ 板挟み
  • 後記 GEBから不思議の環へ
  • 註/文献一覧/出典と謝辞/索引

【感想は?】

 円城塔が好きな人にはウケそうだなあ。例えば、こんなのとか。

「自分のひげを剃らない村人全員のひげを剃る村の床屋」
  ――第4章 ループ、ゴール、そして抜け穴

 こういうパラドックスめいた小話を挟みつつ、フラフラとアチコチに寄り道しながら、エッセイ風に探求は進む。テーマは「私とは何か」、または「意識とは何か」。

 著者は「SFは好きじゃない」と言っちゃあいるが、SF者はこういうネタが大好きだ。中にはピーター・ワッツみたく、過激な主張をする人もいる。知りたければ「エコー・プラクシア」がよいです。終盤では、フィリップ・K・ディックやグレッグ・イーガンみたいな話も出てくるし。

 ただ、背景にはキリスト教的な文化があるので、私は少し戸惑った。というか、SFに慣れた人は、「なるほど、普通の人はそうなのね」と感じるだろう。

 SF者は、意識とソレを構成する物質に、直接の関係はないと考えている。「われらはレギオン」がいい例だ。「転生したら宇宙船(の電子頭脳)だった件」と言われて、素直に「そういうものだ」と受け入れてしまう。そこに抵抗があるなんて、全く考えない。なぜなら…

脳細胞は意識を担っていない。意識を担うのはパターンなのだ。
  ――第17章 互いの中でどのように生きるか

 と、思っているからだ。脳細胞でなければならない、なんて発想の方が不自然だと思っている。が、世間じゃSF的発想は過激派なのだ。がび~ん。

 やはり「われらはレギオン」だと、クローンはオリジナルと少しづつ違うし、読者も「そういうものだ」と思っている。他の作品だと、記憶だけ入れ替えるなんてのもあるし。だから…

…「人格の同一性」のような黒か白かのどちらかだと思われているものは、実はさまざまな濃淡のある灰色だ…
  ――第21章 デカルト的自我と軽く触れ合う

 とかも、「うん、そうだよね」と思ったり。やはり遺伝子にしたって、他の恒星系に運ぶには、DNAの配列をデジタル・データで運べばコンパクトになるよね、とSF者は考えるから…

二つの異なる生物の二つの異なる細胞に「同じ遺伝子」が存在し得るという考え方に異論を唱える人はいない。(略)ここで遺伝子は現実の物理的実体ではない。(略)遺伝子とはパターンである。
  ――第15章 絡み合い

 と言われても、「そりゃそうだ」で終わっちゃう。でも、世間的にはイカれた発想なんだろうなあ。とまれ、そういう「発想法」として棚にしまっておけば、それをネタにしてショートショートぐらいは書けるかも。

 などの哲学的なネタもあるが、もちろんあります数学とゲーデルの話。

数学者とは心の底において、一見何もなさそうなところにパターンを見いだしたいという衝動にひきずられる――実際にころりと誘惑される――人々である。
  ――第9章 パターンと証明可能性

 わはは。こういう「とにかくパターンを探す」ってのはヒトの本能みたいなモンで、これは色々と面白い副作用を生み出すんですね。宗教とか(「ヒトはなぜ神を信じるのか」)ジョーク(「ヒトはなぜ笑うのか」)とか。

 ゲーデルについては、その斬新さをこう語る。

クルト・ゲーデルは、とても厳めしくて近寄り難く見える自然数が、実のところどこまでも豊かな表現媒体であるという事実に気がつき、それを探求した最初の人間だった。
  ――第11章 アナロジーはいかにして意味を生み出すか

 おお、いわれてみれば。そう考えると、不完全性定理も少しはわかる気がする。とか思ってたら、アッサリと一言で神髄を片付けちゃうから怖い。

証明可能でない真の言明はたくさんある。
  ――第12章 下向きの因果関係について

 なるほど、そういう事か! かつて数学者は数学の世界を(位相幾何学でいう)一つの球だと思っていたけど、実は飛び地がたくさんあるんだよ、みたいな。

 個人的な悩みも、少しだけ軽くしてくれた。というのも。このブログ、書評は沢山書いてるけど、完全にオリジナルの記事はほとんどない。人からお題を貰わないと私は文章が書けないらしい。何より、無理して書いたところで、誰かのパクリにしかならないよなあ、とか思ってたけど…

わたしのやることなすことすべては、実際に近しい誰か、あるいはバーチャルに近しい誰かから拝借して何らかの修正を加えたものだ…
  ――第17章 互いの中でどのように生きるか

 とか言われると、少し気が楽になるじゃないか。

 全般としては、GEBより散漫だが、メタマジック・ゲームよりはテーマに沿っている。加えて、人生を重ねた分、友人や家族との思い出話も入っていて、エッセイ風の味わいも濃い。雰囲気、GEBより親しみやすいが、その分マイルドになっている。

 とか言いつつ、メタマジック・ゲームはまだ読みかけで積んだままだった。なんとか今年中には…

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2019年2月13日 (水)

ジョージ・ダイソン「チューリングの大聖堂 コンピュータの創造とデジタル世界の到来」早川書房 吉田三知世訳 3

「形式論理の込み入った領域では、そのものを作り出すよりも、そのものに何をすることができるのかを判定することの難しさのほうが一段階上なのが常なのです」
  ――第15章 自己複製オートマトンの理論

Googleの技術者「わたしたちが本を全部スキャンしているのは、人に読んでもらうためではないんです」「AIに読ませるためにスキャンしているんです」
  ――第17章 巨大コンピュータの物語

ジュリアン・ビゲロー「われわれはただ仕事をしていただけで、その仕事がとても面白かったのです」
  ――第18章 39番めのステップ

ロバート・リヒトマイヤー「今やコンピュータは、何かの問題解決に当たる人々がその手段として設計しているのではなく、コンピュータ自体を目的と見なす人々によって設計されている」
  ――第18章 39番めのステップ

 ジョージ・ダイソン「チューリングの大聖堂 コンピュータの創造とデジタル世界の到来」早川書房 吉田三知世訳 2 から続く。

【どんな本?】

 1930年代にアメリカのニュージャージー州プリンストンに、学者のパラダイスを目指して高等研究所が設立された。欧州でのナチス台頭に伴ない流出したアインシュタインなどの優れた頭脳を吸収し、やがてジョン・フォン・ノイマンを中心にプログラム内蔵型コンピュータを生み出す。

 その豊かな演算資源に惹かれ、熱核兵器開発を目論む軍をはじめとして、様々な人物がそれぞれの目的を持って高等研究所に集まってきた。

 今から思えば、当時のマシンの能力は極めて貧しい。例えばメモリはわずか数キロバイト、スマートフォンはおろかファミリーコンピュータにすら劣る。それでも、彼らの目的は壮大であり、またそれを実現するための工夫は、現代のコンピューティングの基礎になった物も多い。

 稀代の天才ジョン・フォン・ノイマンを中心として、プログラム内蔵型コンピュータの誕生と黎明期の成長を描く群像劇。

【第13章 チューリングの大聖堂】

 数学者や科学者が多く登場する本だけに、数学や科学の根本を成す「なにものか」もテーマに浮き上がってくる。例えば…

「究極的な独創性が示す一つの側面は、それより劣った精神なら自明だと見なす事柄を自明と見なさないことです」
  ――第13章 チューリングの大聖堂

 なんてのは、優れた科学者に共通する能力だろう。並みの者は「リンゴが落ちるのは当たり前」と思い込み、天才は「なぜリンゴが落ちるのか」と考える。これはソフトウェアの設計でも同じで、「なぜそんな機能が要るのか」を問いただすと、案外と簡単に解決する…場合も、あります。

 やはり当時から人工知能って発想はあったようだが、数学者はどう考えたか、というと…

アラン・チューリング「機械が絶対に間違いをおかさないと期待されるなら、それは知性を持つこともできないということです」
  ――第13章 チューリングの大聖堂

 まあ、それ以前に、そもそも「知性とは何か」って問題があるんだけど。とまれ、現在の強化学習ベースのシステムは、けっこう間違えるんだよなあ。おまけに「なぜ間違えたか」も、よく分からない。ってな事も、キッチリ予言してたり。

人工知能のパラドックスは、理解できるほど単純なシステムはどれも、知的に振舞えるほど複雑ではなく、知的に振舞えるほど複雑なシステムはどれも、理解できるほど単純ではないということだ。
  ――第13章 チューリングの大聖堂

 もっとも、私はコレで、「エイリアンから手に入れた奇妙な機械」を想像したけど。いやSF映画でありそうでしょ。何だかわかんないマシンけど、とりあえず使ってみよう、みたいな。

【第14章 技術者の夢】

 最近は義務教育にプログラミングを取り入れよう、なんて話もある。色々と意見はあるが、プログラミングの経験は、一つ大きな利益がある。それは、「自分はよく間違える」と思い知る事だ。

ジュリアン・ピゲロー「自分がやろうとしていることをほんとうに理解している人々は、彼らの考えをコード化された指令として表現することができ……、そして答を見出し、数値表現によって明確に表現することができるだろう。このプロセスは、知識を高め、確固たるものにし、人間を正直でいさせる傾向がある」
  ――第14章 技術者の夢

 プログラマなら、たいてい経験している。バグを指摘されると、最初は利用者のせいにする。次にOSやライブラリ、次にコンパイラの、しまいには「CPUのバグだ」とか言い出す。でも…

 そういう事を何度か経験すると、多少は謙虚さを身に着けるんです。

 やはり最近は発達したAI(というか強化学習)が人の仕事を奪う、なんて話もあるけど…

ジョン・フォン・ノイマン「われわれにできる最善のことは、すべてのプロセスを、機械のほうが得意なことと人間のほうが得意なことに分け、そして、この両者を追求する方法を創り出すことです」
  ――第14章 技術者の夢

 なんて、けっこう常識的な事も言ってるんだよなあ。もっとも、ポルノなんて使い道は考えなかっただろうけど。

【第17章 巨大コンピュータの物語】

 終盤に入ると、だいぶ現代に近い話もでてきて、ばかりでなく、未来への展望も少々。

 SF者としてとっても楽しかったのが、この章。物理学者のハンス・アルヴェーン、片手間に小説も書いてた。ペンネームはウロフ・ヨハネッソン、作品名は「未来コンピュータ帝国」。今は版元が潰れてるから手に入れるのは難しそうだけど、なんか面白そう。なんたって…

(ハンス・)アルヴェーンのヴィジョンでは、コンピュータは世界最大の脅威の二つ――核兵器と政治家――を直ちに廃絶することになっていた。
  ――第17章 巨大コンピュータの物語

 とか。政治家こそが脅威ってのがいい。あ、もちろん、政治家がすなおに地位を受け渡すハズはないってのも、ちゃんと織り込んでる。おまけに…

ハンス・アルヴェーン「データ・マシンたちは大々的に進歩したのに、人間はそうではありませんでした」
  ――第17章 巨大コンピュータの物語

 なんて、見事にムーアの法則を予言してる。どころか、コンピュータ・ネットワークの発達がデマの流布に拍車をかけるなんてのは、さすがに想像できなかっただろうなあ。

【第18章 39番めのステップ】

 最終章は、やはりプログラマの胸に突き刺さる言葉で始まる。

ジョン・フォン・ノイマン「新しいコードを書くほうが古いコードを理解するよりも容易です」
  ――第18章 39番めのステップ

 いやまったく。あなたもありませんか、面倒だから全部書き直しちゃえ、なんて思ったことが。私は何度もあるし、実際にやりました。テヘw ちなみに感想は常に「やってよかった」です。

【おわりに】

 読み終えてみると、読後感はちょっとトム・ウルフの「ザ・ライト・スタッフ」に似てる。つまり、「なんでここで終わるかなあ、これからが面白いのに」だ。もっとも、そんな読者の要望に応えてたら、いつまでたっても終わらないのも同じ。誰か続きを書いてくれないかなあ。

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2019年2月12日 (火)

ジョージ・ダイソン「チューリングの大聖堂 コンピュータの創造とデジタル世界の到来」早川書房 吉田三知世訳 2

ウラジーミル・ツヴォルキン「走っていなければ、アイデアに出くわすことなんてできないよ」
  ――第5章 MANIAC

ジョン・フォン・ノイマン「彼(クルト・ゲーデル)ほどの力量と実績のある人物の行為を評価できるのは、本人だけです」
  ――第6章 フルド219

 ジョージ・ダイソン「チューリングの大聖堂 コンピュータの創造とデジタル世界の到来」早川書房 吉田三知世訳 1 から続く。

【どんな本?】

 1930年代、学者の楽園を目指し設立されたプリンストン高等研究所。第二次世界大戦により欧州から優れた頭脳が流入すると共に、軍の思惑もあって「計算」の需要が増し、数学者や技術者たちはプログラム内蔵型コンピュータを生み出す。

 プリンストン高等研究所を中心に、現代的なコンピュータの誕生と、それに携わった数学者・科学者・技術者たちの姿を描く、一般向けの科学・歴史解説書。

【ハードウェア】

 本書にはハードウェアの解説もある。が、正直言って、私はよくわからなかった。電気、それも弱電に強い人ならついていけるかも。

 とまれ、面白いと思ったのは二つ。

 一つは内蔵メモリ。なんとブラウン管=CRTだ。ブラウン管のテレビも液晶テレビと同様、沢山のドットが集まって映像になる。ブラウン管の個々のドットは、電子ビームが当たると光る。ビームが切れても、少しの間だけ光り続ける。消える前に再びビームを当てれば、記録を残せるじゃん。

 ってんで、画面を32×32の領域にわければ、1024ビットのメモリが出来上がる。今の表現だと128バイトですね。こういうCRTを幾つかまとめたのが、黎明期のコンピュータのRAMだった。今だと、ベクトル・レジスタ代わりにGPUを使うって手口があるけど、そのご先祖様はコレなのかも。

 もう一つは外部メモリ。今ならハードディスクあたる部品。なんと、理屈の上では無限なのだ。なぜって、パンチカードだから。必要なだけカードを用意すりゃいいのだ。同じ理屈は、今のパソコンでも使える。USBメモリを山ほど用意すれば、理論上は無限の容量になる。

 ただ、USBメモリの抜き差しは人がやるから、RAMに比べ異様に遅い。同様に、パンチカードも読み込みや穿孔に時間がかかる。昔から、早いメモリは高く遅いメモリは安かったのだ。

【変人さん大集合】

ジョン・フォン・ノイマン「このタイプの装置の新しさはあまりにラディカルであり、実際に作動するようになってはじめて、その利用法の多くが明らかになるでしょう」
  ――第5章 MANIAC

 かような計算資源の匂いを嗅ぎつけたのか、プリンストンには様々な人が集まってくる。彼らが持ち寄る「課題」と「解法」は、現代でも充分に現役で活躍している、または盛んに研究されているモノが多く、私にはこの部分が最も読んでて楽しかった。例えばクルト・ゲーデルは短期間だけど日本にも立ち寄ってる。

 と、その前に。

 世界で最初のプログラマはエイダ・ラブレスと言われている。彼女に次ぐプログラマも、実は女だったのだ。その名もクラリ・フォン・ノイマン。ジョン・フォン・ノイマンの奥さんだ。

 プログラムったって、VisualBasic みたいなスクリプト言語じゃない。アセンブラですらなく、生の機械語を、16進数でガリガリ書いていくのだ。アドレスだって自分で計算せにゃならん。変数ならともかく、分岐先のアドレスまで手計算するのである。現在、そんな真似ができる人がどれだけいることか。

 お陰でデバッグも大変だが、マシンだって常に上機嫌とは限らない。

「動かすために、コードを二度ロードしないといけないことがあるのはなぜなのか、どうもわからん。しかし、二度目に動くことのほうが普通だ」
  ――第8章 V40

 なんて台詞も出てくる。かつて「マイコン」と呼ばれた時代、カセットテープでプログラムをロードしていた頃を思い出して微笑む人も多いだろう。

【第9章 低気圧の発生】

ルイス・フライ・リチャードソン「おそらくいいつか漠然とした将来に、天気が変化するよりも速く計算ができるようになり、しかも、人類にもたらされる情報についていえば、そのために費やされるコストを補って余りある蓄積ができることだろう」
  ――第9章 低気圧の発生

 さて、集まった頭脳の中には、気象学者もいた。リチャードソンは1920年ごろに気象シミュレーションの概念を発表している。当時は軍も天気予報の重要性を充分にわかっていただろう。なんたってノルマンディ上陸作戦で苦労した直後だし。

 技術がリチャードソンの発想に追いついたのが1950年。ジュール・グレゴリー・チャーニーらが、ENIAC で予測を出す。

「24時間予測のための計算の所要時間は約24時間となり、こうしてわれわれは天気と同じペースで計算できるようになったのである」
  ――第9章 低気圧の発生

 まさしく実時間シミュレーションだ。それに何の意味があるのかって問いが野暮なことは、後のコンピュータの歴史が証明している。

 ちなみにこの章ではオラフ・ステープルドンもゲストに出てきたり、二酸化炭素による温暖化問題が1950年代から唱えられてたりと、意外性も抜群だ。

【第10章 モンテカルロ】

スタン・ウラム「ゲーデルの定理の一つの意味は、これら(ソリティアなど)のゲームの性質の一部は、それを実際にプレイしないことには究明できないということである」
  ――第10章 モンテカルロ

 ここで主役を務めるのはスタン・ウラムと、彼が生み出したモンテカルロ法。分子の動きなどをコンピュータでシミュレーションをする際に、全ての分子を計算するのではなく、ランダムに選んだ幾つかの分子だけの計算で済まそうとする、一種の最適化・高速化の手法だ。

 ただし、ランダムと言っても、本当のランダムを作り出すのは難しい。

ジョン・フォン・ノイマン「乱数を算術的方法によって生成しようとする者は皆、罪をおかしている」
  ――第10章 モンテカルロ

 これは今でも変わっていない。というか、当時からソレに気づいていたフォン・ノイマンすげえ。ただ、モンテカルロ法の誕生の秘密は、ちと切ない。

デジタル宇宙と水素爆弾は同時に誕生した。
  ――第11章 ウラムの悪魔

 先に「分子の動き」と言った。アレは単なる例えじゃない。核融合を起こす状態にまで重水素を加熱・圧縮する方法を探るためのシミュレーション法として使われたのだ。次の11章では、悪名高いオリオン計画(→Wikipedia)も少し出てくる。

【第12章 バリチェリの宇宙】

(ニルス・アール・)バリチェリは、問題は地球外生命が存在するか否かではなく、われわれにそれが認識できるかどうかだと確信していた。
  ――第12章 バリチェリの宇宙

 第12章の主役はニルス・アール・バリチェリ。彼が挑んだのは、生存競争のシミュレーションから、進化の謎を解き明かすこと。この本を読む限り、彼が行ったのは、現代の遺伝的アルゴリズム(→Wikipedia)の雛型のように思える。

 当時の発想が今でも研究の対象になるってのは、なんなんだろうね。ソフトウェアの進歩ってのは、そんなもんなのか、またはもっとトンデモナイ発想は出てきてるけど、私が知らないだけなのか。

【おわりに】

 ダラダラと長くなっちゃったけど、次の記事で終わります、たぶん。

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2019年2月11日 (月)

ジョージ・ダイソン「チューリングの大聖堂 コンピュータの創造とデジタル世界の到来」早川書房 吉田三知世訳 1

1953年3月、地球上に存在した高速ランダムアクセス・メモリは合計53キロバイトだった。
  ――第1章 1953年

【どんな本?】

 1930年代、アメリカのニュージャージー州プリンストンに、一つの研究機関が誕生した。その名も「高等研究所」。目指すは学者のパラダイスである。欧州ではナチスが台頭し始め、アインシュタインなど優れた頭脳が新大陸に逃れてくる。そして高等研究所は彼らに格好の避難所となった。

 その一人がハンガリー出身のジョン・フォン・ノイマンである。卓越した頭脳と斬新な発想、旺盛な行動力と新分野への臆せぬ開拓心、そして豊かな社交性を持った彼は、純粋数学の功績はもちろん、ゲーム理論など新しい数学を生み出し、現在の私たちに欠かせない「プログラム内蔵型コンピュータ」も創り出した。

 ENIAC など黎明期のコンピュータは、どのようなものだったのか。開発にはどんな障壁があり、どう乗り越えたのか。プログラム内蔵型コンピュータの何が斬新だったのか。誰がどんな貢献をなしたのか。黎明期のコンピュータは何に使われたのか。そして、高等研究所とはどんな組織なのか。

 膨大な資料を駆使して再現する、プログラム内蔵型コンピュータ誕生の物語。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は TURING'S CATHEDRAL : The Origins of the Difital Universe, by George Dyson, 2012。日本語版は2013年2月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約546頁に加え、訳者あとがき6頁。9ポイント45字×20行×546頁=約491,400字、400字詰め原稿用紙で約1,229枚。文庫なら厚い上下巻か薄めの上中下巻ぐらいの大容量。今はハヤカワ文庫NVから上下巻で文庫版が出ている。

 文章はやや硬い。語り手の多くが数学者や物理学者だからかもしれない。内容も、特にコンピュータの実装の話は、かなり突っ込んだネタが出てくる。ここではソフトウェアよりハードウェアの知識が必要だ。中でも重要なのは真空管の知識。私は完全にお手上げだった。

【構成は?】

 ほぼ時系列ではあるが、章ごとに人や事件にスポットをあてていく形なので、かなり時間は前後する。面白そうな所だけを拾い読みしてもいい。

 内容的に大雑把に四部ぐらいに分かれている。コンピュータを主人公とすると、1)前史・2)誕生・3)活躍・4)未来、といったところか。

  • まえがき 点源解
  • 謝辞 はじめにコマンド・ラインがあった
  • 主な登場人物
  • 第1章 1953年
  • 第2章 オルデン・ファーム
  • 第3章 ヴェブレンのサークル
  • 第4章 ノイマン・ヤーノシュ
  • 第5章 MANIAC
  • 第6章 フルド219
  • 第7章 6J6
  • 第8章 V40
  • 第9章 低気圧の発生
  • 第10章 モンテカルロ
  • 第11章 ウラムの悪魔
  • 第12章 バリチェリの宇宙
  • 第13章 チューリングの大聖堂
  • 第14章 技術者の夢
  • 第15章 自己複製オートマトンの理論
  • 第16章 マッハ9
  • 第17章 巨大コンピュータの物語
  • 第18章 39番めのステップ
  • 訳者あとがき/原注/原注中の引用元略語一覧

【感想は?】

 私が副題をつけるなら「ジョン・フォン・ノイマンと愉快な仲間たち」または「プログラム内蔵型コンピュータの誕生と成長」かな?

 今となっては、プログラム内蔵型ではないコンピュータを想像する方が難しい。というか、実は私もよくわかってない。イメージ的には「たまごっち」が近いかも。一つのプログラム=アプリケーションだけが動くコンピュータだ。もっとも、実は「たまごっち」も、中身はプログラム内蔵型なんだけど。

 昔は、解くべき問題=アプリケーションごとに、異なるハードウェアが必要だったのだ。そして、みんなソレが当たり前だと思っていた。想像してみよう。Excel専用機とかメール専用機とかPhotoShop専用機とか。アプリケーションごとに別々のマシンが必要な世界を。

プログラム内蔵型コンピュータのルールの一つは、ルールを変えられるということだ。
  ――第6章 フルド219

 ルールというより、アプリケーションと言う方が現代の読者には分かりやすいだろう。パソコンもスマートフォンも、アプリケーションを入れる事で出来ることが増える。これが、実は画期的な事なのだ。それ以前の世界の考え方からすれば。

 この本では、弾道計算にルーツを求めている。

 敵の位置が分かっているとき、銃や砲をどの角度にすればいいか。単純に考えると微分方程式を解けば良さそうな気がする。でも、現実には、砲や砲弾により飛び方が違う。おまけに技術の進歩で飛距離が伸びると、コリオリの力とかも関係してくる。じゃ、どうするか。

 試しに幾つか撃って、結果を表にしよう。でも予算も時間も限りがある。やたらと撃ちまくるわけにはいかない。だから表は隙間だらけのスカスカだ。そこで数学者を雇い、間を計算で埋めるのだ。もっとも、数学者は式を考えるだけ。実際に計算するのは、学生バイトだったり。

ノーバート・ウィーナー「第一次世界大戦後何年ものあいだ、アメリカの優れた数学者の大多数は、(弾道)性能試験場で訓練を受けた者たちだった。こうして世間の人々は、われわれ数学者にも実世界で果たせる役割があるということに初めて気づいたのである」
  ――第3章 ヴェブレンのサークル

 そんなワケで、当時から計算の需要はあったのだ。切ないのは、目的が軍事だってこと。これは、本書の最後まで一貫している。インターネットや画像認識など、コンピュータは軍事と分かちがたく関わっている。

 さて。当時の発想としては、方程式を解く専用機を造ろうって方向に行く。でも、専用機だって、データを与えなきゃいけない。そこでアラン・チューリングとジョン・フォン・ノイマンは考えた。「プログラム=アプリケーションもデータも、結局はビットの集まりだよね。なら同じに扱えるんじゃね?」

アラン・チューリングが考案しジョン・フォン・ノイマンが実現したプログラム内蔵型コンピュータは、「何かを意味する数」と「何かを行う数」の区別をなくした。これによってわれわれの宇宙はすっかり変貌し、その後二度と元に戻ることはなくなったのである。
  ――まえがき 点源解

 実は上の文章、一つ飛躍がある。データがビットの集まりだってのはいい。でも、プログラムがビットの集まりってのは、ちと納得しがたいだろう。が、これ、既に17世紀に発想の兆しがあったってのが驚きだ。

ゴットフリート・ウィリアム・ライプニッツ「無謬の計算を行うことによって、人生に最も有益な原理、すなわち、倫理の原理と形而上学の原理を(この方法に基づいて)理解するためには、たった二つの記号しか必要ないだろう」
  ――第6章 フルド219

 まったく、数学者ってのは、なんだってこう突拍子もない事を考えるんだろう。これは20世紀になっても相変わらず、どころかコンピュータに妄想を刺激された数学者・科学者たちが中盤以降にゾロゾロと出てきて、SF作家を凌ぐ豊かな発想力を見せつけてくれるんだが、それは次の記事で。

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2019年2月 6日 (水)

東京創元社「ランドスケープと夏の定理」高島雄哉

「反証できたら定理とは呼べなくなる。ぼくはただ、ずっと考えているだけだよ。自分があの夏、何を証明しようとしていたのかを。そして実際には何を証明したのかを」
  ――ランドスケープと夏の定理

『問いを解くことは善か悪か』
  ――ベアトリスの傷つかない戦場

…真実は、あるいは正しさは、わかりやすいとは限らない。
  ――ベアトリスの傷つかない戦場

「宇宙の果てで待ってる」
  ――楽園の速度

【どんな本?】

 2014年の第5回創元SF短編賞に輝いた「ランドスケープと夏の定理」に加え、その続編となる「ベアトリスの傷つかない戦場」「楽園の速度」を収録した、デビュー作品集。

 知性定理。あらゆる知性は、会話が成立しうる。数学専攻のネルスが卒業論文で発表した定理は、第二執筆者が高名な姉であることも手伝い、大きな話題を呼んだ。姉のテオは22歳で教授になった宇宙物理学の天才だ。今は月の向こう側、L2で共同研究者の青花とともに研究に勤しんでいる。

 気まぐれで強引な姉呼び出され、ネルスはL2に向かう。そこに待っていたのは、とんでもないモノだった。

 最新の数学・科学・工学を駆使して知性の彼岸に真っ向から挑み、SFならではの目くるめく風景を描く、王道のサイエンス・フィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2018年8月31日初版。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約275頁に加え、あとがき6頁+堺三保の解説4頁。9ポイント43字×20行×275頁=約236,500字、400字詰め原稿用紙で約592枚。文庫本なら標準的な厚さの一冊分。

 文章は比較的にこなれている。内容は、理屈もガジェットもかなり歯ごたえがある、本格的なサイエンス・フィクションだ。

【収録作】

  • ランドスケープと夏の定理
  • ベアトリスの傷つかない戦場
  • 楽園の速度

【感想は?】

 極上かつ王道のサイエンス・フィクション。

 SFならではのガジェットはさておき、まずは姉のテオがいい。絵にかいたようなマッド・サイエンティストである。研究者として優れているのはもちろん、性格も実にマッド。

 この姉と弟の関係は、ケロロ軍曹の夏美と冬樹で考えればいいだろう。もっともテオは夏美を二桁ほどパワーアップした性格に、クルル曹長の頭脳と陰険さと用意周到さを足した感じだけど。才能はもちろん、自信と行動力に溢れ、走りはじめたら止まらない。

 そんなテオの性格もを伝える工夫も巧い。予め予告しているとはいえ、彼女がL2に隠し持っていたアレで、「こりゃとんでもねえ奴だ」と読者も納得する。んなモンを見つけたってだけでも物理学に革命を起こす大ニュースなのに、それを隠して独り占めとはw

 しかも、それを使ってやらかす事が、いかにもテオらしい。そんな所に放り込まれたネルスの気持ちたるやいかにw ただでさえ小突かれてっばかりの姉が、あんなんなったら…

 とかのマッド・サイエンティスト物として読んでも、充分に楽しい。

 そんな姉に鼻面を引き回されるネルスだけど、彼が発表した「知性定理」も、けっこうワクワクするシロモノ。

 あらゆる知性は、会話が成立しうる。というか、会話を成立させるために必要な辞書が存在しうる。あくまでも「可能である」ことを示すだけで、具体的にどうするかは全く分からないんだけど。

 数学だと、写像の概念に近いんだろうか。あらゆるプログラミング言語で書かれたプログラムは、チューリング・マシンで記述しうる、みたいな。中学の数学でも、幾何学と方程式(代数学)の関係がおぼろげに見えてきたような、そんな雰囲気かな?

 この辺は、サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」や、ダグラス・ホフスタッファーの「ゲーデル、エッシャー、バッハ」あたりが好きな人なら、ピンとくると思う。

 この知性定理を導き出す過程も、なかなか数学っぽくって楽しい。つまりは目の付け所を変えるって事なんだけど、日頃から実務に追われていると、ちょっと思いつかないんだよなあ。研究の面白さの一つはパターンを見つける事なんだけど、フラクタルとかの発展の過程にちょっと似てるかも。

 この知性定理は、続く「ベアトリスの傷つかない戦場」「楽園の速度」で、更なる進化を遂げるからお楽しみに。

 加えて、工学的な面白さも盛りだくさん。小さなものでは、最初の宇宙遊泳の場面。こんな便利なモンがあったら、宇宙遊泳もだいぶ楽になるだろう。相応のインフラが整った所でしか使えないけど、回転を止めるぐらいなら、なんとかなりそう。

 やはり楽しいガジェットが、「ベアトリスの傷つかない戦場」で活躍する「新兵器」。ある意味、現代の兵器の大半をガラクタに変え、戦場の姿を一変させかねない便利兵器だ。ここまでくると、ドラ〇もんと区別がつかないw 私は「デューン」のバトル・シーンを盛り上げるアレを思い出した。

 ここで撒かれた騒動の種を刈り取るために、次の「楽園の速度」でテオが取る手段も、いかにもテオらしく豪快でいい。当然、更なる騒動を引き起こして、とんでもないことになるんだけどw ここまでいくと、グレッグ・イーガンというよりルディ・ラッカーな感じかも。

 数学・科学・工学の最新の知見を折り込みつつ、強烈な性格のマッド・サイエンティストで物語を強引に引っ張りまわし、SF者が信奉する「知性」が行きつく先へとまっしぐらに突き進む、堂々たる王道を行くサイエンス・フィクションだ。

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2019年2月 4日 (月)

ジョン・クイギン「ゾンビ経済学 死に損ないの5つの経済思想」筑摩書房 山形浩生訳

イデオロギーは内部から見れば、通常は常識のように思えるのだ。
  ――序文

世界金融危機は、競合する学派の細々とした議論を確認・否定したというよりはむしろ、それらがいかにどうでもいいかを示した。
  ――第3章 動学的確率的一般均衡(DSGE)

実質メジアン(中央値、→Wikipedia)世帯所得は、1973年(長い戦後拡大期の最終年)の45,000ドルから、2008年には5万ドルをちょっと超えた。年間成長率は0.4%になる。
  ――第4章 トリクルダウン経済学

先進国の中で、アメリカの社会的な階層移動はどんな指標で見てもほぼ最低で、ヨーロッパの社会民主主義諸国が最高なのだ。
  ――第4章 トリクルダウン経済学

自律性は概ねゼロサム財なのだ。
  ――第4章 トリクルダウン経済学

【どんな本?】

 ゾンビ経済学とは、とっくの昔に葬られたはずなのに、なぜか今でも信者が絶えない経済理論を示す。世間ではサッチャリズム/レーガノミクス/経済合理主義/ワシントン・コンセンサス/ネオリベラリズム(新自由主義)と呼ばれる思想だ。この本では、以下五つの思想を挙げる。

  1. 大中庸時代:1985年に始まる時期は、前代未聞のマクロ経済安定の時期だった
  2. 効率的市場仮説:金融市場がつける価格はあらゆる投資の価値に関する可能な限り最高の推計である
  3. 動学的確率的一般均衡(DSGE):マクロ経済分析が気にすべきは貿易収支や債務水準などのマクロ指標ではなく、個人の行動に関するミクロ経済モデルから導かれるべきだ
  4. トリクルダウン経済学:金持ちに有益な政策は、最終的に万人に役立つ
  5. 民営化:政府の機能は民間企業の方がうまくやる

 それぞれ、どんな思想で、いかにして誕生し、どう採用され、どんな悲劇を招き、いかにして失敗を取り繕い、現在まで生き延びているのか。オーストラリアの経済学者による、一般向けの現代経済学の解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は ZOMBIE ECONOMICS : How Dead Ideas Still Walk AMong Us, by John Quiggin, 2010。日本語版は2012年11月10日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約268頁に加え、訳者あとがき6頁。9ポイント46字×19行×268頁=約234,232字、400字詰め原稿用紙で約586枚。文庫なら普通の厚さの一冊分。

 文章は二重否定などのヒネクレた表現が多く、ちと読みづらい。たぶん英国風のユーモアを意識したんだろう。「選挙の経済学」とかもそうなんだけど、経済学者ってのは、無理して優雅な文章を書こうとする人が多い気がする。その前にわかりやすさを心掛けてほしいんだが。

 まあいい。内容も素人にはかなりシンドい。なにせ「プレストン・ウッズ(→Wikipedia)」とかの専門用語がバシバシ出てくる。うち幾つかは後で説明があるから油断できない。

 加えて、今世紀に入ってからの世界の経済動向を元にした話が多いので、だいたいの浮沈を知っている方がいい。大恐慌とかオイルショックとかドットコム・バブルとか。年寄りはリアルタイムで経験したから知ってるけど、若い人には辛いだろうなあ。

【構成は?】

 章ごとにそれぞれ別のテーマを扱っている。だから気になった所だけを読んでもいい。ただし前の章を受けて後の話が展開する話題もある。経済学や世界経済の動向に詳しければ大きな問題はないが、素人は素直に頭から読んだ方が無難。

  • はじめに/序文
  • 第1章 大中庸時代
    • 1.1 誕生:嵐の前の静けさ
    • 1.2 生涯:大いなるリスク移転
    • 1.3 その死:反対者たちの勝利
    • 1.4 復活:世界危機が移行期のつまづきか?
    • 1.5 ゾンビ以後:20世紀の出来事を見直す
    • 1.6 参考文献と推奨文献
  • 第2章 効率的市場仮説
    • 2.1 誕生:カジノから計算機へ
    • 2.2 生涯:ブラック=ショールズ、銀行家、バブル
    • 2.3 その死:2008年の危機
    • 2.4 復活:シカゴ学派の死者召喚
    • 2.5 ゾンビ以後:国と市場
    • 2.6 参考文献と推奨文献
  • 第3章 動学的確率的一般均衡(DSGE)
    • 3.1 誕生:フィリップス曲線からNAIRUを経て
    • 3.2 生涯:合理性と代表的エージェント
    • 3.3 その死:なぜ経済学者はここまで派手にまちがえたのか?
    • 3.4 復活:世界金融危機を引き起こしたのはオバマ?!
    • 3.5 ゾンビ以後:現実的なマクロ経済学に向けて
    • 3.6 参考文献と推奨文献
  • 第4章 トリクルダウン経済学
    • 4.1 誕生:サプライサイド経済学からダイナミック得点
    • 4.2 生涯:格差についての弁明
    • 4.3 その死:金持ちはもっと豊かに、貧乏人はどん底のまま
    • 4.4 復活:移動なき移動性
    • 4.5 ゾンビ以後:経済学、格差、平等性
    • 4.6 参考文献と推奨文献
  • 第5章 民営化
    • 5.1 誕生:われわれすべて、今や市場自由主義者
    • 5.2 生涯:理論的裏付けを探す政策
    • 5.3 その死:謎と破綻
    • 5.4 復活:今度こそ息の根は止まったか?
    • 5.5 ゾンビ以後:混合経済
    • 5.6 参考文献と推奨文献
  • 第6章 21世紀の経済学とは
    • 6.1 20世紀の経験を考え直す
    • 6.2 リスクと不確実性に対する新アプローチ
    • 6.3 経済学に何が必要か
  • 注/訳者あとがき/参考文献/索引

【感想は?】

 経済学、特に政策に直結するマクロ経済学は、イデオロギーつまり政治思想・倫理思想の世界だ、と私は思う。

 経済学者はたくさんいる。それぞれ主張が違う。違う原因は、その人の世界観・倫理観であり、支持する政策だ。みんな、自分の主張に合わせて都合よくデータをつまみ食いしちゃ数式をいじり、辻褄を合わせているのだ。データから政策を導き出すんじゃない。最初に政策があって、理屈は後付けなのだ。

 だから、経済学関係の本の良し悪しも、読者の好みで決まる。好みに合えばいい本だし、合わなければ良くて屁理屈、悪ければオカルトになる。読者の手間を省くため、最初に結論を示そう。この本は、こういう立場だ。

経済学者たちは、所得分配をもっと平らにするような政策に関心を向けるべきだ。
  ――第6章 21世紀の経済学とは

 社会主義に近く、大きな政府を好む立場だ。例えば政府の不況対策。不況時には社会保障を充実させて公共事業を増やせ、と主張する。要は貧乏人に味方する立場、つまりリベラルですね。

 だから、小さな政府を望む人には向かない。マーガレット・サッチャーやロナルド・レーガン、そして最近の新自由主義が好きな人、すなわち右派には面白くないだろう。

 私はリベラルな貧乏人で、当然この本が好きになった。そういう者がこの記事を書いている。

 経済学の本で厄介なのは、やたら専門用語が出てくることだ。しかも、たいていは理論の中身と関係ない。理屈を思いついたり実行に移した人の名前だったり、住んでる場所に因んでたり。ケイジアンとか言われても、何の事やらサッパリだ。どうも経済学者のケインズに因んでるらしい。

 この本は、そういう言葉の意味がわかるのが嬉しい。実際、テーマに上がっている五つ(大中庸時代,効率的市場仮説,DSGE,トリクルダウン,民営化)のうち、読む前に私が見当ついたのは二つ、トリクルダウンと民営化だけた。なお、読み終えた今でもDSGEは巧く説明できそうにない。

 やっぱり私が勘違いしてたのは、ネオリベことネオリベラリズム(新自由主義)。リベラルというから弱者に優しいのかと思ったら正反対だった。

 最初から全く見当がつかないのが、塩水派と淡水派で、DSGEに出てくる。塩水派はアメリカ東海岸と西海岸の大学で盛んな一派で、淡水派はシカゴとミネソタの湖畔の大学に多い。わかるかそんなもん。中身は全く関係ないじゃん。

 いずれも金融政策、それも主に中央銀行の方針を論じるもので、経済政策全般ではない。塩水はケインズ寄りで「産出と雇用も考えろ」で、淡水は「物価の安定だけ考えろ」らしい。

更にどうでもいい話だが、私は金融政策の役割を軽く見ている。理由は簡単。私はケインズ経済学を少しだけ知っているけど、金融はまるっきり知らないから。だもんで、経済に関しては全て需要曲線と供給曲線で考えちゃう。金槌を持つ者にはすべてが釘に見えるんです。

 経済学者、特にマクロ経済学者の主張の違いは、政策に基づくものだ、との私の思い込みを更に強めてくれるのが、「第5章 民営化」。これ、ちゃんと得する人がいるのだ。

 まず、組合が弱くなる。公共組織の労働組合はたいてい民間より強い。かつての国労(国鉄労働組合、→Wikipedia)の凄さを知っていれば、国鉄民営化でどうなったか実感できるだろう。政治家と経営陣にとって、ウザさがぐっと軽くなる。

 経営陣は縛りが軽くなり給料が増える。金融業界は商品が増えて手数料が入る。赤字を抱える政府や自治体にとっちゃ、目先の金が手に入るのも嬉しい。昔はそういうのをタケノコ生活(→Weblio)と言ったけどね。

 これはソ連崩壊がわかりやすいかも。全部を公営化したのがソ連で、それはダメだった。民営化が向く業界もあるのだ。この本では、「中小企業が主体の経済部門」としている。分かりやすいのが小売店かな。ラーメン屋を公営化したら、日本じゃ革命が起きかねない。

 繰り返すが、大きな政府を望む姿勢の本だ。つまり、社会保障を厚くし、不況時には公共投資をして景気を刺激しろ、金持ちからふんだくり貧乏人に優しくしろ、そういう思想の本である。ビンボな私には心地よかったが、あなたのお気に召すかどうかはあなた次第だ。

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2019年2月 1日 (金)

クルツィオ・マラパルテ「クーデターの技術」中公選書 手塚和彰・鈴木純訳

私の課題は、いかにして現代の国家権力を奪取し、またいかにしてそれを防衛するかについて述べることにある。
  ――初版序

軍人が言う「自由主義」というものには警戒しなければならない。
  ――第5章 ボナパルト 初めての現代的クーデター

【どんな本?】

 クーデター。強引に政権を巧い取ること。この本では、敢えてその倫理や道徳は問わない。「どうすれば成功するか」「どう防げばよいか」に焦点を絞り、あくまでも技術論として話を進めてゆく。

 著者がお手本とするのは、ロシアの十月革命(→Wikipedia)である。ただし注目するのはレーニンの戦略ではない。トロツキーの戦術だ。トロツキーはこう語ったという。

「反乱を起こすためには、有利な状況など必要ない。反乱は、状況とは無関係に起こす事が可能なのだから」
  ――第1章 ボリシェヴィキ・クーデターとトロツキーの戦術

 戦略は要らない、必要なのは戦術だけ、そういう意味だ。そして、その戦術は、どんな国のどんな政府にも使える、と。

 この本では、ロシアの十月革命,ナポレオンのブリュメールのクーデター,ムッソリーニのローマ進軍などを例として、それぞれの経過と手段を解説し、その巧拙を語ってゆく。

 第一次世界大戦と第二次世界大戦の間。ロシアでは革命が起き、欧州各国ではコミュニストが根を広げ、イタリアやドイツではファシストが台頭し、機械化と情報化が進む欧州が嵐の予感に怯えていた時代に書かれた、現代向けクーデターの手引書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Technique du Coup d'État, Curzio Malaparte, 1931。日本語版の出版経緯は後述。私が読んだのは2015年3月10日初版発行の中公選書版。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約308頁に加え、訳者あとがき3頁。9.5ポイント43字×17行×308頁=約225,148字、400字詰め原稿用紙で約563枚。文庫本なら普通の厚さの一冊分。

 さすがに文章はやや硬い。読みこなすのにも、けっこう前提知識が要る。当時の欧州の知識人向けに書いているらしく、古代ローマのカティリナ(→Wikipedia)やプルターク(→Wikipedia)などが出てくる。とはいえ、重要な人物は訳注で説明しているのがありがたい。

 扱っている事例は以下。本書中でも事件の概要を軽く説明しているが、だいたいの流れを予め知っていると、頭に入りやすいだろう。

  1. ロシアの十月革命(→Wikipedia)
  2. レーニン没後のトロツキー(→Wikipedia)とスターリン(→Wikipedia)の権力抗争
  3. 1920年ポーランド・ソビエト戦争(→Wikipedia)およびユゼフ・ピウスツキ(→Wikipedia)
  4. 1920年ドイツのカップ一揆(→Wikipedia)
  5. 1799年ナポレオンのブリュメールのクーデター(→Wikipedia)
  6. 1923年スペインのプリモ・デ・リヴェラ(→Wikipedia)のクーデター
  7. 1922年イタリアのムッソリーニのローマ進軍(→Wikipedia)

 日本での出版経緯:

  • 1932年に改造社より木下半治訳「近世クーデター史論」として出版。当時の状況により伏字だらけ。
  • 1971年にイザラ書房より矢野秀訳で出版。ただし矢野秀はペンネームで、正体は手塚和彰&鈴木純。
  • 2015年に中公選書より出版。イザラ書房版を全面改訂。

【構成は?】

 大仰なゴタクが嫌いな人は、解題や序を飛ばして第1章から読んでもいいだろう。

  • 解題 『クーデターの技術』その意義について
  • 1948年版 序 自由の擁護は≪引きあわぬ≫こと
  • 初版序
  • 第1章 ボリシェヴィキ・クーデターとトロツキーの戦術
  • 第2章 失敗せるクーデターの歴史 トロツキーとスターリンの対立
  • 第3章 1920年 ポーランドの体験
  • 第4章 カップ・三月対マルクス
  • 第5章 ボナパルト 初めての現代的クーデター
  • 第6章 プリモ・デ・リヴェラとピウスツキ 宮廷人と社会主義将軍
  • 第7章 ムッソリーニとファシスト・クーデター
  • 第8章 女性・ヒトラー
  • 1948年版への覚え書き
  • 1948年版に付された著者マラパルテの経歴
  • 訳注/訳者あとがき

【感想は?】

 当時は幾つかの国で発禁になったそうだ。さもありなんw

 書名に偽りはない。当時の状況を考えると、実にまっとうなクーデターの教科書である。今になって思いついたんだが、軍による都市制圧やテロの教本としても優れているなあ。

 さすがに1931年の本なので、21世紀の今となっては、メソッドに多少の手直しが必要だ。が、この本が述べる基本原則が分かっていれば、アレンジは難しくない。攻める側も、守る側も。

 あくまでもテクニックを語る本なので、倫理や政治思想は棚上げにしている。そういう意味で、つまりクーデター参謀として著者が最も高い評価を与えているのは、トロツキーだろう。次いでムッソリーニ。意外とヒトラーの評価は低い。

 ただし、あくまでもクーデター者、つまり武力による権力奪取の手腕の評価だ。議会で多数派を占め合法的に権力を握るのは、クーデターじゃない。だからローマ進軍で権力を握ったムッソリーニの評価は高く、議会で多数派を占めたヒトラーの評価は低いのだ。改めて考えると無茶苦茶な理屈だなw

 肝心のクーデターのテクニックは、さすがにヤバすぎてインターネットで公開する勇気は私にはない。まあ、こういう風に書籍として流通してるんだから、隠してもあまし意味はない気がするけど。言論の自由って素晴らしい。いやマジで、皮肉じゃなく。中央公論新社の度胸には敬服する。

 逆に、クーデターを防ぐには、どうすればいいか。これには二つの例が出てくる。ちなみに…

政党は、ファシズムに対抗するうえでは、あまりにも無力な存在であった。それは、ファシズムの闘争手段(略)は、政治的手段と呼ばれているものとは、まったく異質のものであったからである。
  ――第7章 ムッソリーニとファシスト・クーデター

 と、まっとうな手段じゃ防げない。効果的な防衛法の第一は、スターリンの手法だ。

スターリンとトロツキーとの抗争は、トロツキーによる権力奪取の試みと、それに対抗するスターリンとオールド・ボルシェヴィキによる国家防衛の歴史に他ならない。
  ――第2章 失敗せるクーデターの歴史 トロツキーとスターリンの対立

 要は秘密警察を駆使する事。ヤバい奴を見張り、自分の手下を敵の組織に浸透させる。今でも北朝鮮やエジプトなどの抑圧的な国家が使う手口。ただ、今となっては、イラン革命(→Wikipedia)や東方崩壊や「アラブの春」などで、必ずしも防げるとは限らないと実証されてしまった。

 もう一つの手段は、ムッソリーニの例で出てくる。ここで登場するのが、意外なアレ。

労働組合は、(略)政府をおびやかす危険から、自由主義国家を防衛することのできる唯一の対抗勢力となっていた…
  ――第7章 ムッソリーニとファシスト・クーデター

 ここでは、当時のイタリアで、ファシストの台頭に対し、労働組合が頑強に抗った様子を描いている。ファシストが労働組合を目の敵にしたのも、一つの裏付けだろう。なぜ労働組合なのかは、トロツキーの手口をマスターすれば、自然と理解できます。

 とすると、組合が弱い今世紀の日本は、ある意味クーデターに対し脆弱かも。地形を考えれば、ゼネストによる危機にツケ込んで隣国の陸軍が大兵力で攻め込んでくるなんて危険は少ない国だけに、これは困った状態だよなあ。

 作家の著作なためか、なかなかヒネくれた文章も多い。だいたい冒頭からしてコレだし。

私はこの本を憎む。心の底からこの本を憎む。この本は名声、世間が名声と呼ぶくだらぬものを私に与えたが、同時にまた、この本こそ私のあらゆる不幸の原因だったのである。
  ――1948年版 序 自由の擁護は≪引きあわぬ≫こと

 幾つかの国で発禁、どころかドイツじゃ焚書の憂き目にあったことに対しては…

『クーデターの技術』は、もえさかる薪の中に投げ込まれ、人種的または政治的理由で非合法化された多くの書物と一緒に灰になった。今日からみれば、この結末は、一介の作家が自分の著書に望みうる最高の結末である。
  ――1948年版 序 自由の擁護は≪引きあわぬ≫こと

 なんて言ってるのは、作家の矜持だろう。他国の事情にも明るいためか、なかなか辛辣な事も言っている。

ポーランド人は、ポーランドの国民生活に生じた出来事が、他国の国民生活にも見出されるとは露ほどにも思っていない。(略)ポーランドの人々は、政府を含め、歴史から教訓を学びとろうとしていなかった。
  ――第3章 1920年 ポーランドの体験

 これポーランドを現代日本に置き換えても成り立つから腹が立つ。

 著者は新聞の編集にも携わっていたためか、当時の世界情勢解説としても面白い視点を与えてくれる。中でも私が面白いと思ったのが、ムッソリーニを扱った第7章と、ヒトラーを扱った第8章。

 第7章で描かれる、ダンヌンツィオによるフィウメ占領(→コトバンク)が、ファシスト党内でのムッソリーニとの関係に与えた影響は、「おお、そういう事か!」と目を見開いた。また、第8章でのヒトラーと突撃隊の関係などは、ちょっと切ないものがあったり。ヒトラーに対しては辛辣で…

耽美主義への傾倒は独裁制を夢見る者の顕著な特徴である
  ――第8章 女性・ヒトラー

ほとんどすべての独裁者は、ある出来事について人を評価するとき、ある特徴的な判断基準を用いる。その判断基準とは嫉妬心である。
  ――第8章 女性・ヒトラー

 特に後者については、独裁者に限らず、権力志向の強い人全般に当てはまる気がする。そう思いませんか、専門技能を持つ方々。

 クーデター教本、またはクーデター防衛の古典としてだけじゃなく、占領政策またはレジスタンスのマニュアルとしても、テロ組織育成または大規模テロ直後の対応用や、パニック小説のネタ本としても使える、とっても便利で困った本だった。

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