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2019年1月23日 (水)

藤原辰史「トラクターの世界史 人類の歴史を変えた『鉄の馬』たち」中公新書

トラクターとは、物を牽引する車のことである。
  ――第1章 誕生 革新主義時代の中で

第二次世界大戦時にはほとんどのトラクター企業が戦車開発を担うようになる。
  ――第3章 革命と戦争の牽引 ソ独英での展開

1938年7月企画院産業部『小型自動耕耘機ニ就テ』より
「比較的乾燥せる田地又は耕耘砕土後直ちに播種、植付(例えば裏作として麦類の作付等)を行う地方及び畑地利用には好適なるべし」
  ――第5章 日本のトラクター 後進国から先進国へ

北海道のトラクター死亡事故の原因を分析した伊藤紀克は、眠気対策として、(略)高い声で歌をうたうことを勧めている。
  ――第5章 日本のトラクター 後進国から先進国へ

【どんな本?】

化学肥料と共に、20世紀の農業を支え大きく変えたトラクター。それは単に農業を機械化しただけではない。アメリカ,ソ連,ドイツそして日本など各国の基本政策に大きな影響を与え、それぞれの国で様々な形で導入・利用され、有名なソ連の集団農場のように国家の形態にまで関与していた。

 トラクターは、土を耕すことによって農作業を省力化し短期的には収穫を増やす反面、使い方によっては幾つもの弊害ももたらし、また戦車の原型となったように戦争との関係も深い。

 さまざまな国におけるトラクターの発達と普及の歴史を追うなかで、それぞれのお国柄や農業のおかれた立場を浮かび上がらせつつも、アチコチにトラクターへの愛が滲み出る、一般向けの歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2017年9月25日発行。新書版で縦一段組み本文約249頁に加え、あとがき3頁。9ポイント41字×17行×249頁=約173,553字、400字詰め原稿用紙で約434枚。文庫本ならやや薄めの一冊分。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。時おりPTOなど専門用語が出てくるが、すぐに説明があるので気にせず読み進めよう。

【構成は?】

 だいたい前の章を受けて後の章が続く形なので、素直に頭から読もう。

  • まえがき
  • 第1章 誕生 革新主義時代の中で
    • 1 トラクターとは何か
    • 2 蒸気機関の限界、内燃機関の画期
    • 3 夜明け J・フローリッチの発明
  • 第2章 トラクター王国アメリカ 量産体制の確立
    • 1 巨人フォードの進出 シェア77%の獲得
    • 2 農機具メーカーの逆襲 機能性と安定性の進化
    • 3 農民たちの憧れと憎悪 馬への未練
  • 第3章 革命と戦争の牽引 ソ独英での展開
    • 1 レーニンの空想、スターリンの実行
    • 2 「鉄の馬」の革命 ソ連の農民たちの敵意
    • 3 フォルクストラクター ナチス・ドイツの構想
    • 4 二つの世界大戦下のトラクター
  • 第4章 冷戦時代の飛躍と限界 各国の諸相
    • 1 市場の飽和と巨大化 斜陽のアメリカ
    • 2 東側諸国での浸透 ソ連、ポーランド、東独、ヴェトナム
    • 3 「鉄牛」の革命 新中国での展開
    • 4 開発のなかのトラクター イタリア、ガーナ、イラン
  • 第5章 日本のトラクター 後進国から先進国へ
    • 1 黎明 私営農場での導入、国産化の要請
    • 2 満州国の「春の夢」
    • 3 歩行型開発の悪戦苦闘 藤井康弘と米原清男
    • 4 機械化・反機械化論争
    • 5 日本企業の席捲 クボタ、ヤンマー、イセキ、三菱農機
  • 終章 機械が変えた歴史の土壌
  • あとがき
  • 参考文献/トラクターの世界史 関連年表/索引

【感想は?】

 ジョン・K・ガルブレイス「不確実性の時代」に曰く。

産業革命が起こるまで、そして多くの国ではその後も長いあいだ、すべての経済学は農業経済学だったのです。

 これを改めて強く感じさせてくれる一冊だ。いや経済学だけじゃない。各国の国家政策そのものが、20世紀も農業の世紀だったし、今でも国によっては農業政策が国家政策の基盤なのだ、と思わせてくれる。

 それを最もあからさまに表しているのは、他でもないソ連だ。かの悪名高いコルホーズ&ソフホーズである。直感的にも、集約・大型化は効率がいいように感じる。チマチマ小さい農地が分散してるより、機械化してデカい農地で作った方が、巧くいきそうだ。

 ただ、ソ連は頭ごなしにやったのが祟った。

 なにせ1920年代~1930年代、モータリゼーション黎明期である。おまけに農機具なんで、使われる環境も過酷だ。平らなアスファルトの上を走るワケじゃない。だもんで、何かと故障する。本書には「数年で市場から消えるのが通常であるトラクターの世界」なんて文章もある。

 故障したら直さにゃならん。そのためには部品も要れば技術者も欲しい。燃料だって必要だ。が、当時のソ連にはどれも足りなかった。「第5章 日本のトラクター」には日本の農機具メーカーの特徴として、販売員が足蹴く農家に通う点を挙げている。そういうキメの細かいアフターサービスが大事らしい。

 「トラクターが来るなら牛馬は不要」とっばかりに早まって家畜を処分したのも祟り、スターリンの理想は悪夢と化す。

…クリミアで強制的にMTS(機械トラクターステーション)のサービス範囲に組み込まれた入植地では、MTSのトラクター隊が保有するフォードソンのうち3/4が故障していた…
  ――第3章 革命と戦争の牽引 ソ独英での展開

 これに対し市場原理で巧くいったのがアメリカ。幾つもの企業が競争してトラクターの改善を進めていく。金属タイヤが主流だった時代に、見慣れぬゴムタイヤを導入したアリス=チャルマーズ社がの宣伝が、いかにもアメリカ。レース・ドラーバーをを雇ってトラクターレースを開催するのだ。

 そんな競争の結果か、アメリカの農業は自然と大規模化・集約化が進む。社会ってのは、なかなか政治家の思い通りにはいかないモンです。

 どの国でも、新しいモノは反発を招く。が、若者が力強いマシンに憧れるのも万国共通らしい。

「君のところの農場でトラクターが走るとは夢にも思わなかったよ」
「こうでもしなければ、息子はわたしのそばからいなくなっていたよ」
  ――第2章 トラクター王国アメリカ 量産体制の確立

 これはアメリカだけでなく、ポーランド・東ドイツ・ヴェトナム・中国などでも、トラクターに憧れる若者が出てくる。

 が、そんな若者を、戦争が奪ってゆく。農家は人手が足りなくなる。そこで省力化のため更にトラクターが普及する…と思いきや、トラクター工場は戦車工場に転用されたり。

 もっとも、農場でトラクターのウ運転や修理に慣れた若者たちは戦地で優れた活躍を見せたりするんだが。こういう所は、化学肥料の開発を扱った「大気を変える錬金術」と同じ皮肉を感じたり。

 改めて考えると、日本の高齢化した農業もトラクターのお陰で維持し得てるわけで、実はたいへんな縁の下の力持ちなんだなあ、と実感する。

 と共に、エルヴィス・プレスリーやボブ・フェラー(→Wikipedia)などトラクターのコレクターを紹介するくだりには、著者のトラクターに寄せる思いが漂ってくる。特にボブ・フェラーの話は、まるきしW.P.キンセラ「シューレス・ジョー」だw

 小さく具体的なエピソードを積み重ねて臨場感を出しながら、統計数字も駆使して大きな流れも示し、分量の限られた新書ならではのバランスの取れた楽しい本だった。

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