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2019年1月20日 (日)

ジェラード・ラッセル「失われた宗教を生きる人々 中東の秘教を求めて」亜紀書房 臼井美子訳

「マンダ教は世界最古の宗教です」とシャイフ・サッタールは言った。「その起源はアダムの時代にさかのぼります」
  ――第一章 マンダ教徒

「お願いです。イラクに残っているマンダ教徒は二、三百人です。みな、ここから出たがっています。あなたの国に亡命させてください」
  ――第一章 マンダ教徒

「おしまいです。私たちは誇りを失い、家畜を失い、女性を失いました。イラクにはもう、私たちの未来はありません」
  ――第二章 ヤズィード教徒

『アヴェスター』は、犬を殺したものに18項目に及ぶ苦行を求めている。その苦行の一つは一万匹の猫を殺すというものだ。
  ――第三章 ゾロアスター教徒

「伝統を守る人間というのは、みな、珍しい存在なんです」
  ――第五章 サマリア人

アラム語を放す人は、今はバグダードよりもデトロイト大都市圏のほうが多く、この都市と周辺地域には、十万人を超えるイラク人のカルデア教会の信徒が住んでいる。
  ――エピローグ デトロイト

「人間を形成するのは物語です」
  ――エピローグ デトロイト

「私たちは溶けて、消えつつある」」「責めを負うべきはわれわれだ。われらを一つにまとめるものを見つけられなかったのだから」
  ――エピローグ デトロイト

【どんな本?】

 エジプト、レバノン、シリア、イラク、イラン、そしてパキスタン。いずれも住んでいるのはイスラム教徒ばかりのように思われている。だが、最近のニュースではシリアでヤズィード教徒の虐殺が話題になったように、実際はさまざまな宗教を信じる人々が住んでいる。

 イラク南部の湿地帯に住んでいたマンダ教徒、拝火教とも呼ばれるゾロアスター教徒、聖書にも出てくるサマリア人、一時期はエジプトで隆盛を誇ったコプト教徒。いずれも今はマイノリティとなった。

 イギリスの外交官だった著者は、彼らの社会や暮らしを知るため、各地を訪れる。簡単に出会える場合もあれば、ロクな道もない山奥へと出向く時もある。

 あまり知られていない彼らは、どんな所で、どのように暮らしているのか。周囲の人々との関係は、どんなものか。どのような教義を抱き、どうやってそれを維持しているのか。戦争や内戦や革命は、彼らの地位や社会にどんな影響を与えたのか。そして、今後の展望はどんなものか。

 私たちの思い込みとは異なった中東の姿を描く、現代のスケッチ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Heirs to Forgotten Kingdoms : Journeys into the Dissappearing Religions of the Middle East, by Gerard Russell, 2014。日本語版は2017年1月9日第1版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約450頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント45字×18行×450頁=約364,500字、400字詰め原稿用紙で約912枚。文庫本なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらいの分量。

 文章はこなれている。内容もわかりやすい。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教などのアブラハムの宗教に関係する話が多いが、特に知らなくても大きな問題はないだろう。敢えて言えば、旧約聖書に詳しいとより楽しめる。

 ただ、一部の固有名詞を独特に表記しているので、ちと戸惑う。例えばヒズブ・アッラーはヒズボラだろう。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。それぞれの章の冒頭には青木健による2頁ほどの解説があり、短いながらもよくまとまっている。

  • 地図/年表
  • 序文
  • 第一章 マンダ教徒
  • 第二章 ヤズィード教徒
  • 第三章 ゾロアスター教徒
  • 第四章 ドゥルーズ派
  • 第五章 サマリア人
  • 第六章 コプト教徒
  • 第七章 カラーシャ族
  • エピローグ デトロイト
  • 出典および参考文献
  • 訳者あとがき

【感想は?】

 日本だって様々な宗教がある。が、大半は新興宗教だ。

 対してこの本に出てくる宗教は、それぞれに長い歴史を持つものばかり。そこが日本とは大きく違う。もう一つ、大きく違う点がある。それは、教徒どうしの結びつきが強い点だ。

 イラク南部の湿地帯に住んでいたマンダ教徒や、パキスタンとアフガニスタンの国境近くのヒンドゥークシュ山脈に住むカラーシャ族が代表的な例で、一つの町や村にまとまって住んでいる。いずれも交通の便が悪く、権力の影響が及びにくい場所だ。

 日本なら「平家の隠れ里」なんて伝説がありそうな、大軍を動かすのに向かない地形ですね。

 かと思えば、コプト教徒のように都市の人々に紛れて暮らす人もいる。もっとも、コプト教徒は人数も多く、400万人~1200万人だ。それでも人口約1憶のエジプトでは少数派。そのためか教会を通した信徒同士の結びつきは強く、「信者たちは教会の前庭で何時間もおしゃべりをした」。

 やっぱり宗教ってのは、人と人を結びつける力があるのだ。「私たちは少数派同士」って想いが、彼らの絆を強めるんだろう。これに集団の危機感が加わると、更に絆は強くなる。

「他人に身を脅かされていると感じると、強いアイデンティティを持つようになります」
  ――第六章 コプト教徒 

 この章ではエジプトの政権の変転に伴うコプト教徒の地位の変動も詳しく書いてある。国民をまとめるにあたり、何を中心に据えるか。エジプトという国家か、アラブか、またはイスラムか。ファラオの評価も政権や人によりまちまちで、称える人もいれば憎む人もいる。

 今はムスリム同胞団が猛威を振るっているが、逆にムスリムが人間の鎖を作りキリスト教会を守った、なんて話もある。また悪魔払いの神父がムスリムに人気があるとか、エジプト人の意外な素顔が見られるのも、この章の楽しい所。

 ちょっと神道と似てるかな、と思ったのが、「第四章 ドゥルーズ派」。あなた、神道の教義を知ってますか? 私は知りません。これはドゥルーズ派も似てて、「伝統はありますが規則はありません」。単に知られていないってだけじゃなく、ドゥルーズ派は極端な秘密主義なのだ。

ドゥルーズ派の一般信者は、コミュニティの防衛と維持に努め、信者同士で結婚するという条件のもと、基本的には自由な人生を送る。だが、自分の宗教の教義を知る権利はない。
  ――第四章 ドゥルーズ派

 この秘密主義のルーツが、古代ギリシャのピタゴラス教団にまで遡るというから、ヲタク心が騒ぐ。輪廻転生もあるんだが、仏教とはだいぶ違う。「ムハンマドはキリストの再来」なんて理屈で、キリスト教・イスラム教の両方に折り合いをつけてるのも巧いw その理屈ならどんな宗教もOKじゃないかw

 やはり神道に似てると思うのが、「第七章 カラーシャ族」。

「彼らの慣習にとまどった外部の人間が説明を求めても、その答えはいつも同じだった。『それが習わしだからだ』と言うのである」
  ――第七章 カラーシャ族

 形はあっても理屈はないのだ。案外と、信仰の原点って、こういうモンじゃないかと思う。拝みたいから拝むのだ。理屈じゃない。本能みたいなもんである。穢れの発想や山岳信仰っぽいのもあって、ちょっと親しみを感じてしまう。ここでは、住みついちゃった日本人女性も出てくる。

 逆に異国情緒たっぷりなのが「第三章 ゾロアスター教徒」。中身はともかく、言葉がヲタク心をくすぐりまくり。「アフラ・マズダー」「アンラ・マンユ」「アヴェスター」「サオシュヤント」とか、意味が分かんなくても、音の感じで妙にワクワクする。この章では、イランの意外な素顔が見れるのも楽しい。

 元外交官が書いた宗教の本だけに、教義や儀式だけでなく、国の中での立場や生活様式、そしてコミュニティの存続にまで目を配っているのが特徴だろう。加えて、イギリスのツーリストの伝統か、敢えて空路を避け厳しい陸路を選んだりと、旅行記としての面白さもある。一見、お堅く見える本だし、そういう部分も充分にあるが、同時に秘境好きの旅行記としても楽しめる、ちょっとおトクな本だった。

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