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2019年1月の15件の記事

2019年1月30日 (水)

人工知能学会編「人工知能の見る夢は AIショートショート集」文春文庫

ただ、部屋の状況が。普段、普通に掃除機かけられる状態じゃない。これが大問題なんだよね。うん、お掃除じゃなくて、お片づけ。これができないひとが、部屋を汚しているんだよ。
  ――お片づけロボット 新井素子

「僕が完成させるのは」
少年がきっぱりと言った。
「――死後の世界の人間と通信するシステムです」
  ――魂のキャッチボール 井上雅彦

「これから石井さんが経験するのは、脳のバージョンダウンです。その過程を我々に教えてください」
  ――ダウンサイジング 図子慧

【どんな本?】

 人工知能の学会誌「人工知能」に、2012年9月~2016年11月まで掲載した掌編小説を、テーマごとに分類し、専門家の解説をつけて編纂したもの。

 SF界のベテラン新井素子やデビュー以来話題作を連発した宮内悠介から、ライトノベル界の大御所である神坂一など、豪華絢爛かつ色とりどりの執筆陣によるバラエティ豊かな作品が楽しめる。

 私は寡作な森深紅や堀晃が読めるのが嬉しかった。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2017年5月10日第1刷。文庫本で縦一段組み本文約299頁に加え、初出および執筆者プロフィール10頁。9ポイント39字×18行×299字=209,898字、400字詰め原稿用紙で約525枚。文庫本としては普通の厚さ。

 全般的に小説は読みやすいし、内容も特に知識は要らない。解説は様々で、業界の概況を無理矢理に数頁に収めた雰囲気のものもある。歯ごたえはあるが、専門用語を Google や Wikipedia で調べながら読むと、通ぶった会話ができる…かな?

【収録作】

  • まえがき 学会の編纂意図 大澤博隆
  • 対話システム
    • 即答ツール 若木未生
    • 発話機能 忍澤勉
    • 夜間飛行 宮内悠介
    • 解説 人と会話する人工知能 稲葉通将
  • 自動運転
    • AUTO 森深紅
    • 抜け穴 渡邊利通
    • 姉さん 森岡浩之
    • 解説 自動運転:認知と判断と操作の自動化 加藤真平
  • 環境に在る知能
    • 愛の生活 林譲治
    • お片づけロボット 新井素子
    • 幻臭 新井素子
    • 解説 「君の名は。」もしくは「逃げ恥」、それとも「僕の優秀な右手」:人とモノの関わり合いの二つの形 原田悦子
  • ゲームAI
    • 投了 林譲治
    • シンギュラリティ 山口優
    • 魂のキャッチボール 井上雅彦
    • A氏の特別な1日 橋本淳一郎
    • 解説 ゲームAIの原動力としてのSFとその発展 伊藤毅志
  • 神経科学
    • ダウンサイジング 図子慧
    • 僕は初めて夢を見た 矢崎存美
    • バックアップの取り方 江坂遊
    • みんな俺であれ 田中啓文
    • 解説 脳のシミュレーション:コンピュータの中に人工脳を作る 小林亮太
  • 人工知能と法律
    • 当業者を命ず 堀晃
    • アズ・ユー・ライク・イット 山之口洋
    • アンドロイドJK 高井信
    • 解説 AI・ロボットが引き起こす法的な問題 赤坂亮太
  • 人工知能と哲学
    • 202x年のテスト かんべむさし
    • 人工知能の心 橋本淳一郎
    • ダッシュ 森下一仁
    • あるゾンビ報告 樺山三英
    • 解説 人工知能と哲学 久木田水生
  • 人工知能と創作
    • 舟歌 高野史緒
    • ぺチアと太郎 三島浩司
    • 人工知能は闇の炎の幻を見るか 神坂一
    • 解説 どこからが創作? どこまでが創作? 佐藤理史
  • 第4回星新一賞応募作品 人狼知能能力測定テスト 大下幽作
  • 星新一賞への二回目の挑戦 佐藤理史

【感想は?】

 やっぱりプロの作家は巧い。

 最初の若木未生「即答ツール」からして、こんなんあったら私は思わず使ってしまうがな。

 昔はメールといったら「暇なときに読めばいい」シロモノだった。そもそも、そういう目的でプロトコルもできてるし。でも今は何でも速く応答を返さなきゃいけない。文面を考えるのだって、推敲に時間がかかる。LINE なって地獄だ。そんな私に、こんなのがあったら…

 と、最初の作品から引き込まれ、あとは最後まで一気。なにせ数頁の掌編ばかり。「もうちょっと、あと一編だけ」とか言いつつ、気が付いたら全部を読み終えてる。

 同様に身につまされるのが、新井素子「お片づけロボット」。そうなんだよ、掃除が大変なんじゃなくて、その前の片づけ、掃除できる状態にするのが大変なの。だからルンバ買っても、今の私にはほとんど役に立たない。まず床の邪魔物を取り除かないといけない。

 と、「あるある」ネタで読者を引き込みつつ、その後の展開も見事。人工知能は関係なくても、プログラマなら、「そうそう、そうなんだよっ!」と激しくうなずくこと間違いなし。一つのプログラムを動かすまでの苦難苦闘の道のりを、文章で実に鮮やかに再現している。なんで作家がソコまでわかるんだろ?

 楽しみにしていた森深紅「AUTO」は、勤め人の話。イケイケが過ぎてパワハラ気味だった上司の佐藤に耐えかね、僕は転職した。その佐藤は、ここ三月ほど毎朝、同じ電車に乗り合わせている。かつての覇気は消え…

 やっぱりクルマが好きなんだな、この人。で、テーマは「自動運転」。クルマ好きの人が自動運転に持つ、ちと屈折した想いが出てると思う。つまり、技術の進歩は喜ばなきゃいけないんだけど、エンジンやミッションやタイヤと会話を交わし、自らの手足としてマシンを操る楽しさは手放したくないのだ。

 もう一人の楽しみにしていた作品が堀晃「当業者を命ず」。SF大賞受賞者は覆面作家だった。繊維メーカーに勤めながらSFを書いていたが、職務上の都合で正体を隠す必要があり…

 そうか。「職場の居心地が悪くなって、それがきっかけでSFに専念することにしたわけです」って、職場での立場が悪くなれば、私は堀晃の新作が読めるのか。それなら←何をするつもりだ

 堀晃と同様に、ベテランながら寡作な森下一仁の「ダッシュ」。小川のそばで、小学校低学年ぐらいのふたごの男の子に出会った。軽量ヘルメットをかぶり、母親らしき若い女性も近くにいる。私はカワセミを見つけて写真を撮ろうと慎重に近づくと…

 AIの使い方として、このアイデアは実に上手い。エンジニアはついつい便利にする事ばかりを考えるけど、モノにはいろんな使い方があるのだ。

 とかの小説に加え、ツボを突いた解説も、親しみやすかったり濃かったり。

 音声認識に深層学習が活躍してるとは知らなかった。「道具」と「エージェント」の境目も、考えると妄想が膨らむ。これは使う人による違いも大きいんじゃないかな。持ち物に名前を付ける人は、エージェントと認識しがちな気がする。

 掌編という親しみやすい形式ながら、いやむしろアイデアがダイレクトに伝わる掌編だからこそ、それぞれに読者の妄想マシーンに大量の燃料をくべる刺激的な作品が揃った、実はとっても濃い作品集だった。

 あ、そうそう、神坂一の「人工知能は闇の炎の幻を見るか」も、ベストセラー作家らしい手慣れた語り口で、昔からのファンにはたまらない情景を繰り広げつつ、とんでもない所に落とす傑作です。

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2019年1月29日 (火)

シーナ・アイエンガー「選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義」文藝春秋 櫻井裕子訳

選択するためには、まず「自分の力で変えられる」という認識を持たなくてはならない。
  ――第1講 選択は本能である

人はあるがままの状態でいるとき、自分の選択の自由度が、自分にとって最適な水準にあると考えることが多いのだ。
  ――第2講 集団のためか、個人のためか

実用的な機能を果たさない選択ほど、人となりをよく表す。
  ――第3講 「強制」された選択

警察官、弁護士、裁判官、精神科医など、一般人より重大なウソに直面する頻度が高い職業に就いている人たちでさえ、(ウソを見破る能力は)平均的には一般人とそれほど変わらないのだ。
  ――第4講 選択を左右するもの

要するに、選びやすいものから取り組むのが得策だということだ。たとえば種類が少ないものや、自分の欲しいものがすでにわかっているものなどだ。
  ――第6講 豊富な選択肢は必ずしも利益にならない

自分にない選択の自由が他人にあるとき、または今ある選択の自由が失われようとしているとき、強い心理的反発が起こる。
  ――第7講 選択の代償

死は選択できるものだという考えに慰めを感じ、死が人生の選択の延長線上にあると考える人たちもいる。
  ――最終講 選択と偶然と運命の三元連立方程式

【どんな本?】

 人生は選択に満ちている。いつ、どこで、誰と、何をするか。朝に起きるときに始まり、着替えて通学または出勤するだけでも、いつ起きるか・何を着るか・どのルートで通うかなど、幾つもの選択肢がある。いや着替えるだけでも、袖を通すのは右手からか左手からかなど、実は細かい選択肢から成り立っている。

 ヒトは何を選択肢と考えるのか。何を基準に決断するのか。より楽に選ぶ、またはより賢く選ぶには、どうすればいいか。選ぶ状況や過程は、選んだ結果の満足度にどう影響するのか。選ぶ人が育った環境は、選択に何か関係があるのか。

 かの有名な「ジャムの法則」の提唱者が著した、ヒトの選択に関わる実験やエピソードを綴る、一般向けのノンフィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Art of Choosing, by Sheena Iyengar, 2010。日本語版は2010年11月15日第一刷。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約322頁。9ポイント42字×20行×322頁=約270,480字、400字詰め原稿用紙で約677枚。文庫本なら少し厚めの一冊分。今は文春文庫から文庫版が出ている。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。ただ、アメリカ人向けに書いているので、一部の商品や有名人はピンとこないかも。でも大丈夫。大事なところは訳者が補っている。私は化粧品の名前がチンプンカンプンだったけど、だいたいの雰囲気は掴めた。

【構成は?】

 各章は比較的に独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

  • オリエンテーション 私が「選択」を研究テーマにした理由
  • 第1講 選択は本能である
  • 第2講 集団のためか、個人のためか
  • 第3講 「強制」された選択
  • 第4講 選択を左右するもの
  • 第5講 選択は創られる
  • 第6講 豊富な選択肢は必ずしも利益にならない
  • 第7講 選択の代償
  • 最終講 選択と偶然と運命の三元連立方程式
  • 謝辞/ソースノート/主要参考文献一覧/訳者あとがき

【感想は?】

 有名な「ジャムの法則」のネタ元だ。ただ、巷に流布してる話とは微妙に違う。

 流布してる話はこうだ。試食コーナーのジャムの品ぞろえを、24種類と6種類を比べたら、6種類の方が売り上げが断然よかった。あまし選択肢が多すぎるのも考え物だね。

 実際は、こうだ。

 まず、舞台はドレーガーズ。大規模で高級感あふれ、充実した品ぞろえで知られるスーパーだ。ワインコーナーには二万本が並び、レストランのハンバーガーは$10、二階には料理教室もあり、「カメラを振り回すおなじみの日本人観光客」までいる。そこらの西友やヨーカ堂じゃない。

 他にも現実にありがちな状況とは違う。例えば試食コーナーを担当したのは研究助手だ。日本じゃたいていプロのマネキンさん(→Wikipedia)が担う。

 結果も、微妙な違いがある。

 24種類は客の60%が立ち寄ったが、6種類は40%だった。それぞれの客がコーナーにいる時間は24種類の方が断然長かった。そして問題の売り上げは。24種類の試食客の3%、6種類の30%が買った。仮に客が1000人なら。24種類は600人が訪れ、18人が買う。6種類は400人が訪れ、120人が買う。

 結論は同じように思える。ジャムの売り上げを考えるなら、選択肢を絞った方がいい。だが、別の目的、例えば「人を集めること」が目的なら、話は違ってくる。集まった客は24種類の方が200人ほど多い。しかも長居するんで、注目を集めただろう。

 加えて、他の商品の売り上げには、どんな影響があったんだろうか? そして何より、追実験は?

 とまれ、経験的に納得できる話ではある。終盤では退職金積立制度の401Kの話が出てくる。お金という重大な問題なのに、選択肢が増えるほど、加入者が減った。

 これ、すごくわかるのだ。だって、金融商品って、違いが分かんないんだもん。だいたい言葉がわかんないし。ファンドって何? たった今、検索して調べたけど、やっぱし流し読みしただけじゃピンとこない。

 もっと怖い話も出てくる。赤ちゃんが生まれたけど、早産で回復の望みがない。このまま植物人間として生かし続けるか、さっさと諦めるか。

 こんな選択、突きつけられたくないよね。こういう場合は、医師が賢明な選択を勧めてくれた方が、気が楽だ。

 が、逆に、全部を誰かさんに決められちゃうのも、やっぱりムカつく。ネットでよく見聞きする、「アニメやゲームを禁じられると逆にヲタクになる」、あれは本当かもしれない。「他の玩具では遊んでいいけど、ロビーだけは駄目、触ったらお仕置き」と禁じられた子供は、一週間たってもロビーに強くこだわった。

 ここでは、ちと卑怯な手も出てくる。「ロビーに触ると困るんだ」と柔らかくけん制した場合、あまし拘らない様子を見せた。上手いやり方のように思えるが、時として子供の心をねじ曲げる場合もある。詳しくは「カルトの子」あたりを参照してほしい。

 別の「悪用」もある。私が今、勝手に名前を付けた。夕鶴方式。いやダチョウ倶楽部方式でもいいけど。

 人は覗くなと言われると覗きたくなる。そこで、子供をシェイクスピア・マニアに仕立てたいパパは一計を案じた。まず「シェイクスピアはパパの本だから読んじゃダメ」と言い渡す。次に、シェイクスピアを隠す。ただし、子供でも見つけやすい所に。果たして結果は…

 とかは後半の話で、前半では育った環境の影響を語るエピソードが多い。自由や自主性を重んじるアメリカの文化と、集団への帰属を重んじるアジアの文化の違いだ。最初からして、普通の解説本と趣が違う。著者がシーク教徒であり、それはアメリカの文化とどう違うか、そんな事から語り始めるのだ。

だれしもが、自分の人生は自分でコントロールしたいと思っている。だが人がコントロールというものをどう理解しているかは、その人がどのような物語を伝えられ、どのような信念を持つようになったかによって決まるのだ。
  ――第2講 集団のためか、個人のためか

 生まれ育つ環境は、それぞれの人に物語を与える。それはまさしく「あなたの人生の物語」となる。アレックス・ヘイリーの「ルーツ」が多くの人の心を揺さぶった理由の一つが、そういう事なんだと思う。

 自分で選ぶ時。人に選ばせる時。ちょっとした工夫で、違いをもたらす事もできる。にしても、めざまし時計の「スヌーズンルーズ」は賢い上に怖いw 「モノのインターネット」に、こんな使い方があったとはw

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2019年1月27日 (日)

浅田次郎「壬生義士伝 上・下」文春文庫

なしてわしは、こんたなところに来てしまったんだべかな。
  ――上巻p22

それが、武士ってやつさ。本音と建前がいつもちがう、侍って化物だよ。俺たちはみんな、武士道にたたられていたんだ。
  ――上巻p84

偉えひとたぢがみな、足軽に死ね死ねとせっつぐのは、おのれが死にたぐねがらではなのすか。
  ――上巻p226

「お突きは死太刀ですからね」
  ――上巻p306

「生来が鬼の心を持つ人間よりも、いざとなって心を鬼にできる人間のほうがよほど恐ろしい」
  ――上巻p434

軍隊じゃあたしかに、死に方は教えてくれるがね。生き方ってのを教えちゃくれません、
  ――下巻p236

「腹など切るな。拙者とともに死ね」
  ――下巻p334

【どんな本?】

 直木賞も受賞した人気作家・浅田次郎による時代小説。

 慶応四年旧暦一月七日、鳥羽伏見の戦いの直後。大阪の盛岡南部藩の蔵屋敷に、一人の新選組隊士が傷だらけで飛び込んできた。吉村貫一郎、二駄二人扶持の足軽ながら、妻子をおいて南部藩を脱藩した男。

 故郷では文武ともに秀で、周りの者からも慕われる心根の穏やかな男だった。その吉村は、なぜ禁を犯して藩を抜け、壬生狼と恐れられる新選組に身を投じたのか。人斬りに奔走する日々を、どのように送ったのか。

 武士の世が終わりを告げる幕末を舞台に、異色の新選組隊士に焦点を当て、吉村を取り巻く者の証言で乱世を生きた男の生涯を綴る時代小説。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 初出は週刊文春1998年9月3日号~2000年3月30日号。2000年4月に文藝春秋から単行本を刊行。私が読んだのは2002年9月10日発行の文春文庫版。上下巻で本文約459頁+441頁=900頁に加え、久世光彦の解説「そして、入相の鐘は鳴る」9頁。9.5ポイント37字×17行×(459頁+441頁)=約566,100字、400字詰め原稿用紙で約1,416枚。上中下の三巻でもいい大長編。

 実は少し読みにくい所がある。というのも、主人公である吉村寛一郎の独白の所だ。思いっきりキツい南部訛りで、最初はちと戸惑う。

 ここ、思い切って声に出して読むか、またはお気に入りの役者に脳内で読んでもらおう。声(というより抑揚)がつくと、なんとなく意味が掴めるようになる。おまけに読み進めていくと、南部訛りだからこその味が出てきます。

 幕末が舞台の作品なので、中学で学んだ程度の歴史の知識はあった方がいい。が、重要な事柄は作品中で説明があるので、知らなくても作品を楽しむには問題ない。敢えて言えば近藤勇と土方歳三の名を知っているぐらいで大丈夫。

【感想は?】

 私の脳内で理性と感情が大げんかしている。

 感情は叫ぶ。「泣け、男たちの生きざまに泣け」。理性は告げる。「ヤバいぞ、この本はヤバい。放り出せ、せめて距離を置け」。

 それでも上巻は、また理性が優勢だった。何より語り手は戦友でもある新選組の生き残りが多い。最も苦しい時期を共に過ごした仲とはいえ、吉村の生い立ちは知らない。だからか、剣の使い手としての話が多く、心情に寄り添ってはいない。

 とまれ、上巻の終盤で斎藤一が出てくるあたりは、語り手である斎藤の人物像が実に楽しい。いやどう見てもヒネクレ切った殺人鬼なんだけど、それだけにマッドな理屈がポンポン出てきて、なんか筋が通ってるような気がしてくるのが怖いやら愉快やら。

 悪役としては最高のキャストだよなあ。それも部下を使う幹部じゃなくて、自らが前線に出て戦う戦士。邪魔する奴は味方でも容赦なく踏みつぶし、ひたすら戦いと殺戮を楽しむ、そんなタイプ。

 上巻では他でも新選組の語り手が多いだけあって、他の隊士の人物像も新選組のファンには気になる所だろう。近藤勇と土方歳三は、まあ無難な所。問題は非業の天才剣士と言われる沖田総司。映画やドラマじゃ清潔感の漂う二枚目俳優の役どころで、私は草刈正雄の印象が強いんだが、こうきたかw

 かの龍馬暗殺も独特の説を唱えていて、歴史ミステリ好きに一石を投じている。

 とかは、あくまで副菜。下巻では、いよいよ主菜の味が色濃くなってゆく。とはいえ、これも幾つものテーマが隠し味として効いていて、「主題はコレ」と言いにくいのが、この作品の美味しい所。

 本書では主役の吉村貫一郎を、文武ともに優れ人格も秀で、朴訥ながらも妻子を深く愛し、苦境にも努力を惜しまぬ典型的な南部人としている。ただし身分は足軽で、当時の制度では充分にその力を活かせない。寛一郎と、藩の重鎮である大野次郎右衛門を対比させ、身分制度の融通の利かなさを読者に突きつけてゆく。

 とか書くと大野次郎右衛門が無能な悪役みたいだし、冒頭の展開はモロにそういう雰囲気なんだけど、それほどわかりやすく単純な仕掛けじゃないのが巧い。

 もう一つが、登場人物たちの掲げる哲学というか生き様というか。

 なにせ新選組だ。今でこそヒーロー扱いだけど、壬生狼なんて言葉もある。今でいうアルカイダや自称イスラム国とかに似た印象を持つ人も多かったようだ。隊士も軽い身分の者が多く、それだけに「やっと活躍の場を与えられた」とばかりに突っ走りがちな空気が、この作品からも伝わってくる。

 単に暴れるのが好きってだけのチンピラも紛れ込んでいただろうが、理想を持つ者もいた。ただ、その理想ってのが、美しくはあっても、実はどこにも存在しない幻想だってのが切ない。彼らの語る士道も忠義も、徳川が世を仕切り武士が官僚と化してから生まれた物で、武士が戦士だった戦国時代までの哲学じゃない。

 つまりは幻想に酔って暴れまわってるだけだ。にも関わらず、この作品の中での彼らの生きざまは、私の感情を揺さぶりまくる。終盤では五稜郭での戦いも描かれるんだが、ここに来ると暴れまくる感情が理性の鎖を引きちぎる寸前だ。

 この作品は、あくまでも佐幕派の視点で描いている。圧倒的な兵力を誇る官軍に対し、少数精鋭で抗う佐幕派って構図だ。とまれ、立てこもる側も勝敗は見えている。なら、なぜ戦うのか。理性は愚かな戦いだと告げるんだが、著者の筆力は感情に「これでいいのだ、もっと暴れろ」と大音量のアンセムで煽り続けるのだ。

 そんな理性にも、かすかな応援を送ってくれるのが、この作品の複雑なところ。というのも、周囲の者が語る吉村貫一郎の姿と、本人の独白が、見事に食い違っているのだ。

 加えて、維新政府の視点で語られることの多い幕末、特に戊辰戦争の顛末を、奥羽越列藩同盟の立場で見せてくれるのも楽しい。単に戦争の帰趨だけでなく、そこに至るまでの藩の歴史から語り起こすあたりも、重みを増している。

 「これは小説なのだ、作り話なのだ」と必死に自らに言い聞かせないと、魂までも持っていかれそうになって、小説の持つ力の恐ろしさをつくづく感じさせる、そういう作品だった。若くて血気盛んな人には読ませたくない。

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2019年1月23日 (水)

藤原辰史「トラクターの世界史 人類の歴史を変えた『鉄の馬』たち」中公新書

トラクターとは、物を牽引する車のことである。
  ――第1章 誕生 革新主義時代の中で

第二次世界大戦時にはほとんどのトラクター企業が戦車開発を担うようになる。
  ――第3章 革命と戦争の牽引 ソ独英での展開

1938年7月企画院産業部『小型自動耕耘機ニ就テ』より
「比較的乾燥せる田地又は耕耘砕土後直ちに播種、植付(例えば裏作として麦類の作付等)を行う地方及び畑地利用には好適なるべし」
  ――第5章 日本のトラクター 後進国から先進国へ

北海道のトラクター死亡事故の原因を分析した伊藤紀克は、眠気対策として、(略)高い声で歌をうたうことを勧めている。
  ――第5章 日本のトラクター 後進国から先進国へ

【どんな本?】

化学肥料と共に、20世紀の農業を支え大きく変えたトラクター。それは単に農業を機械化しただけではない。アメリカ,ソ連,ドイツそして日本など各国の基本政策に大きな影響を与え、それぞれの国で様々な形で導入・利用され、有名なソ連の集団農場のように国家の形態にまで関与していた。

 トラクターは、土を耕すことによって農作業を省力化し短期的には収穫を増やす反面、使い方によっては幾つもの弊害ももたらし、また戦車の原型となったように戦争との関係も深い。

 さまざまな国におけるトラクターの発達と普及の歴史を追うなかで、それぞれのお国柄や農業のおかれた立場を浮かび上がらせつつも、アチコチにトラクターへの愛が滲み出る、一般向けの歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2017年9月25日発行。新書版で縦一段組み本文約249頁に加え、あとがき3頁。9ポイント41字×17行×249頁=約173,553字、400字詰め原稿用紙で約434枚。文庫本ならやや薄めの一冊分。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。時おりPTOなど専門用語が出てくるが、すぐに説明があるので気にせず読み進めよう。

【構成は?】

 だいたい前の章を受けて後の章が続く形なので、素直に頭から読もう。

  • まえがき
  • 第1章 誕生 革新主義時代の中で
    • 1 トラクターとは何か
    • 2 蒸気機関の限界、内燃機関の画期
    • 3 夜明け J・フローリッチの発明
  • 第2章 トラクター王国アメリカ 量産体制の確立
    • 1 巨人フォードの進出 シェア77%の獲得
    • 2 農機具メーカーの逆襲 機能性と安定性の進化
    • 3 農民たちの憧れと憎悪 馬への未練
  • 第3章 革命と戦争の牽引 ソ独英での展開
    • 1 レーニンの空想、スターリンの実行
    • 2 「鉄の馬」の革命 ソ連の農民たちの敵意
    • 3 フォルクストラクター ナチス・ドイツの構想
    • 4 二つの世界大戦下のトラクター
  • 第4章 冷戦時代の飛躍と限界 各国の諸相
    • 1 市場の飽和と巨大化 斜陽のアメリカ
    • 2 東側諸国での浸透 ソ連、ポーランド、東独、ヴェトナム
    • 3 「鉄牛」の革命 新中国での展開
    • 4 開発のなかのトラクター イタリア、ガーナ、イラン
  • 第5章 日本のトラクター 後進国から先進国へ
    • 1 黎明 私営農場での導入、国産化の要請
    • 2 満州国の「春の夢」
    • 3 歩行型開発の悪戦苦闘 藤井康弘と米原清男
    • 4 機械化・反機械化論争
    • 5 日本企業の席捲 クボタ、ヤンマー、イセキ、三菱農機
  • 終章 機械が変えた歴史の土壌
  • あとがき
  • 参考文献/トラクターの世界史 関連年表/索引

【感想は?】

 ジョン・K・ガルブレイス「不確実性の時代」に曰く。

産業革命が起こるまで、そして多くの国ではその後も長いあいだ、すべての経済学は農業経済学だったのです。

 これを改めて強く感じさせてくれる一冊だ。いや経済学だけじゃない。各国の国家政策そのものが、20世紀も農業の世紀だったし、今でも国によっては農業政策が国家政策の基盤なのだ、と思わせてくれる。

 それを最もあからさまに表しているのは、他でもないソ連だ。かの悪名高いコルホーズ&ソフホーズである。直感的にも、集約・大型化は効率がいいように感じる。チマチマ小さい農地が分散してるより、機械化してデカい農地で作った方が、巧くいきそうだ。

 ただ、ソ連は頭ごなしにやったのが祟った。

 なにせ1920年代~1930年代、モータリゼーション黎明期である。おまけに農機具なんで、使われる環境も過酷だ。平らなアスファルトの上を走るワケじゃない。だもんで、何かと故障する。本書には「数年で市場から消えるのが通常であるトラクターの世界」なんて文章もある。

 故障したら直さにゃならん。そのためには部品も要れば技術者も欲しい。燃料だって必要だ。が、当時のソ連にはどれも足りなかった。「第5章 日本のトラクター」には日本の農機具メーカーの特徴として、販売員が足蹴く農家に通う点を挙げている。そういうキメの細かいアフターサービスが大事らしい。

 「トラクターが来るなら牛馬は不要」とっばかりに早まって家畜を処分したのも祟り、スターリンの理想は悪夢と化す。

…クリミアで強制的にMTS(機械トラクターステーション)のサービス範囲に組み込まれた入植地では、MTSのトラクター隊が保有するフォードソンのうち3/4が故障していた…
  ――第3章 革命と戦争の牽引 ソ独英での展開

 これに対し市場原理で巧くいったのがアメリカ。幾つもの企業が競争してトラクターの改善を進めていく。金属タイヤが主流だった時代に、見慣れぬゴムタイヤを導入したアリス=チャルマーズ社がの宣伝が、いかにもアメリカ。レース・ドラーバーをを雇ってトラクターレースを開催するのだ。

 そんな競争の結果か、アメリカの農業は自然と大規模化・集約化が進む。社会ってのは、なかなか政治家の思い通りにはいかないモンです。

 どの国でも、新しいモノは反発を招く。が、若者が力強いマシンに憧れるのも万国共通らしい。

「君のところの農場でトラクターが走るとは夢にも思わなかったよ」
「こうでもしなければ、息子はわたしのそばからいなくなっていたよ」
  ――第2章 トラクター王国アメリカ 量産体制の確立

 これはアメリカだけでなく、ポーランド・東ドイツ・ヴェトナム・中国などでも、トラクターに憧れる若者が出てくる。

 が、そんな若者を、戦争が奪ってゆく。農家は人手が足りなくなる。そこで省力化のため更にトラクターが普及する…と思いきや、トラクター工場は戦車工場に転用されたり。

 もっとも、農場でトラクターの運転や修理に慣れた若者たちは戦地で優れた活躍を見せたりするんだが。こういう所は、化学肥料の開発を扱った「大気を変える錬金術」と同じ皮肉を感じたり。

 改めて考えると、日本の高齢化した農業もトラクターのお陰で維持し得てるわけで、実はたいへんな縁の下の力持ちなんだなあ、と実感する。

 と共に、エルヴィス・プレスリーやボブ・フェラー(→Wikipedia)などトラクターのコレクターを紹介するくだりには、著者のトラクターに寄せる思いが漂ってくる。特にボブ・フェラーの話は、まるきしW.P.キンセラ「シューレス・ジョー」だw

 小さく具体的なエピソードを積み重ねて臨場感を出しながら、統計数字も駆使して大きな流れも示し、分量の限られた新書ならではのバランスの取れた楽しい本だった。

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2019年1月22日 (火)

デイヴィッド・イーグルマン「意識は傍観者である 脳の知られざる営み」早川書房 太田直子訳

盲点は小さいと思ってはいけない。とても大きいのだ。夜空に浮かぶ月の直径を想像してほしい。盲点にはその月が17個入る。
  ――第2章 五感の証言 経験とは本当はどんなふうなのか

周囲に対する意識は、感覚入力が予想に反する場合にのみ生じるのだ。
  ――第2章 五感の証言 経験とは本当はどんなふうなのか

現実は脳によって受動的に記録されるのではなく、脳によって能動的に構築される。
  ――第4章 考えられる考えの種類

心はパターンを探す。
  ――第5章 脳はライバルからなるチーム

秘密について知られている重要なことは、それを守ることが脳にとって不健全だということである。
  ――第5章 脳はライバルからなるチーム

すべての大人には正しい選択をする同じ能力があると考えたがる人が多い。すてきな考えだが、まちがっている。
  ――第6章 非難に値するかどうかを問うことが、なぜ的はずれなのか

私たちは情報がないところに黒い大きな穴を感じているわけではない――そうではなく、何かが欠けていることに気づかないのだ。
  ――第6章 非難に値するかどうかを問うことが、なぜ的はずれなのか

【どんな本?】

 平等な民主主義社会は、幾つかの仮定に基づいて築かれている。その一つは、私たちには自由意志がある、というものだ。自分の判断で信仰し、自分の判断で仕事を選び、自分の判断で伴侶と結ばれ、自分の判断で住む所を決める。

 現実には親の宗派を受け継ぐことが多いし、誰もがプロ野球選手になれるわけでもない。いろいろなシガラミもあるにせよ、タテマエとしてはそういう事になっている。

 だが、私たちが何かを行動に移すとき、そこにどれだけ自由意志なるモノが働いているのか。そもそも、自由意志なんてモノは、本当にあるのか。

 神経科学者の著者が、古の哲学者の思想から最新科学までのデータを駆使し、ヒトの脳が持つ奇妙な性質と、それが生み出す「意識」の不思議な性質について、身近な商品から奇想天外な逸話を交えて語る、一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Incognito : THe Secret Lives of the BRain, by David Eagleman, 2011。日本語版は2012年4月15日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約289頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント45字×17行×289頁=約221,085字、400字詰め原稿用紙で約553枚。文庫本なら普通の厚さの一冊分。なお、今はハヤカワ文庫NFから文庫版が出ている。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。ただしアメリカ人向けに書かれているので、「クリスマス・クラブ」などの見慣れない言葉が出てくる。が、心配いらない。たいてい、わかりやすい説明がついている。

【構成は?】

  • 第1章 僕の頭のなかに誰かがいる、でもそれは僕じゃない
    ものすごい魔法/王座を退くことのメリット/広大な内面世界を最初にかいま見た人々/私、私自身、そして氷山
  • 第2章 五感の証言 経験とは本当はどんなふうなのか
    経験の分解/目を開く/どうして岩が位置を変えずに上昇するのか?/見ることを学ぶ/脳で見る/内からの活動/どれぐらい遠い過去に生きているのか?
  • 第3章 脳と心の隙間に注意
    車線変更/ヒヨコ雌雄鑑別師と対空監視員の謎/目が差別主義者だと知る方法/どんなにあなたを愛しているか、Jを数えてみましょう/意識の水面下にある脳をくすぐる/虫の知らせ/ウィンブルドンで勝ったロボット/迅速かつ効率的な脳のマントラ 課題を回路に焼き付けろ
  • 第4章 考えられる考えの種類
    環世界 薄片上の世界/進化する脳のマントラ 本当に優れたプログラムはDNAにまで焼きつけろ/美しさ 誰の目にも明らかに永遠に愛されるためにある/不倫の遺伝子?
  • 第5章 脳はライバルからなるチーム
    本物のメル・ギブソンさん、起立してください/ぼくは大きくて、ぼくの中には大勢がいる/心の民主制/二大政党制 理性と感情/命の損得勘定/なぜ悪魔は今の名声とひきかえに、あとで魂を手に入れられるのか?/現在と未来のオデュッセウス/たくさんの心/たゆまぬ再考案/多党制の強靭性/連合を維持する 脳の民主国における反乱/多をもって一を成す/いったいなぜ私たちにはいしきがあるのか?/大勢/C3POはどこ?
  • 第6章 非難に値するかどうかを問うことが、なぜ的はずれなのか
    タワーの男が投げかけた疑問/脳が変わると、人が変わる 予想外の小児性愛、万引き、ギャンブル/来し方行く末/自由意志の問題と、答えが重要でない理由/非難からの生物学への転換/断層線 なぜ、非難に値するかと問うのはまちがいなのか/これからどうするか 脳に適した前向きな法制度/前部前頭葉トレーニング/人間は平等という神話/修正可能性にもとづく判決
  • 第7章 君主制後の世界
    権威失墜から民主制へ/汝自身を知れ/物理的パーツで構成されるとは、どういう意味であって、どういう意味ではないか/パスポートの色から創発特性まで
  • 付録/謝辞/訳者あとがき/図版クレジット/参考文献/原注

【感想は?】

 オリヴァー・サックスやV・S・ラマチャンドランと似た傾向の本だ。

 …って、わかる人には分かるけど、分からない人には全く通じない説明だな。つまりは、人の脳の不思議を語る本なのだ。

 まず、脳を臓器の一つと考える。そういう前提で最近の科学で調べたら、幾つか分かってきた。そうしたら意外な事柄が見えて来たし、中には直感や倫理観に反するものもある。だから世の中の仕組みも少し調整したほうがいいよね。あ、でも、完全に分かったワケじゃないから、慎重に。

 まあそんな感じなんだが、いきなりカマしてくるあたり、柔らかい口調の割に実は挑発的。

自分たちの回路を研究してまっさきに学ぶのは単純なことだ。すなわち、私たちがやること、考えること、そして感じることの大半は、私たちの意識の支配下にはない、ということである。
  ――第1章 僕の頭のなかに誰かがいる、でもそれは僕じゃない

 つまり、ヒトがやることの大半は、無意識にやっている、そういう事です。例えば、ヒトは歩くとき、どの筋肉をどう動かすのか、特に考えてない。歩くどころか、立つってだけでも沢山の感覚器や神経や筋肉を使ってるんだけど、普段は全く意識していない。しかも、説明しろったって、できない。

…重要なのは、特化して最適化された本能の回路は、スピードとエネルギー効率のメリットすべてをもたらすが、その代償として意識のアクセス範囲からはさらに遠ざかることだ。
  ――第4章 考えられる考えの種類

 お陰で人工知能研究者やロボット工学者は散々苦労してきた。でも最近はディープ・ラーニングなんてのが出てきて、ヤマを一つ越えた感がある。が、あくまで一つ越えたってだけで、実はその向こうにも沢山の山脈が連なっているのだ。

 なぜか。今のディープラーニングは、ネコの写真を分別できる。でも、なぜネコだと分かるのかは、説明できない。似たような例が、この本に載っている。ヒヨコの雌雄判別とバトル・オブ・ブリテン時の対空監視員(敵機と友軍機を識別する人)の育成だ。

 いずれも、巧みに識別できる人がいる。でも、なぜわかるのかは、説明できない。そこで、まず師匠と弟子をペアにする。弟子の判断を師匠が見守り、「よし」「だめ」と判定する。何週間か続けると、正しく判断できるようになる。でも、師匠と同様に、なぜわかるのかは説明できない。

 まるきしディープラーニングだ。この例だとアカデミックなようだが、たいていの人は似たような技能を身に着けている。水泳、自転車の運転、キャッチボール、料理の味付け。どれも出来る人は多いけど、巧く説明できる人は滅多にいない。天才が育成者に向かないってのは、そういう事なんだろう。

 とか、脳には幾つかのクセがある。中には悪用されがちなクセもある。例えば真実性錯覚効果だ。「嘘も百回言えば本当になる」なんてネットで言われるが、その通りだ。繰り返し聞かされると、脳は本当だと思い込むのだ。

真実性錯覚効果は、同じ宗教的布告や政治的スローガンに繰り返し接触することが、人々にとって潜在的に危険であることを浮き彫りにする。
  ――第3章 脳と心の隙間に注意

 困った性質のようだが、この性質を心得て巧みに操ろうとする人もいる。別に珍しいことじゃない。例えば貯金箱だ。手元にあると使っちゃうから、隔離する。自分の脳の性質を掴み、その裏をかくわけ。これをダイエットに応用した例も出てくる。効果あるだろうなあ。

 深刻な所では、PTSDをハードウェア的に説明する部分がある。

…日常的な出来事の記憶は海馬(略)に統合されている(略)。しかし恐ろしい状況(略)に遭遇しているときは、偏桃体(略)も、独立した第二の記憶手順に沿って記憶を蓄える。偏桃体記憶は(略)消去されにくく、「フラッシュ」のように突然よみがえることがある…
  ――第5章 脳はライバルからなるチーム

 この本じゃPTSDとは書いてないけど、まるきしPTSDの症状そのものじゃないか。

 終盤では神経科学と犯罪、そして司法の問題へと発展し…

(性犯罪者の再犯可能性について)精神科医と仮釈放委員会メンバーの予測精度はコイン投げと同じだった。
  ――第6章 非難に値するかどうかを問うことが、なぜ的はずれなのか

 なんて怖いエピソードもあったり。日本の法務省も、ちゃんと統計を取ってるんだろうか? 仮に統計を取っていたとして、ソレに従うかどうかも、かなり疑問ではあるけど。

 最初に書いたように、この手の本が好きな人にとっては、どっかで読んだようなエピソードが多い。ただ、語り口は親しみやすいし、分量も多くないので、入門用としては悪くないだろう。

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2019年1月21日 (月)

日本翻訳大賞の推薦受付が始まった

 今年も日本翻訳大賞の推薦作の受付が始まった。締め切りは1月31日(木)まで。

 推薦作を見てると、今年も美味しそうなのがズラリと並んでいる。私はこの辺が気になった。

  • 夏目大訳 ピーター・ゴドフリー=スミス「タコの心身問題」みすず書房
  • 久保尚子訳 ダニエル・M・デイヴィス「美しき免疫の力」NHK出版
  • 福嶋美絵子訳 「Firewatch(ファイアー・ウォッチ)」Campo Santo
  • 田中裕子訳 ジャン=バティスト・マレ「トマト缶の黒い真実」太田出版

 今調べたら、Firewatchってゲームかい。なかなか大胆なセレクトだな。PS4版とSwitch版か。でも面白いなら俺的にはOK。いやゲーム機持ってないけど←をい

 つか気になったのって、他のはノンフィクションばっかじゃないか。しかも Amazon の「こんな商品もチェックしています」を手繰ると、人生が幾つあっても足りないくらい面白げな本が山ほど出てくるなあ。嬉しいような、困ったような。

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2019年1月20日 (日)

ジェラード・ラッセル「失われた宗教を生きる人々 中東の秘教を求めて」亜紀書房 臼井美子訳

「マンダ教は世界最古の宗教です」とシャイフ・サッタールは言った。「その起源はアダムの時代にさかのぼります」
  ――第一章 マンダ教徒

「お願いです。イラクに残っているマンダ教徒は二、三百人です。みな、ここから出たがっています。あなたの国に亡命させてください」
  ――第一章 マンダ教徒

「おしまいです。私たちは誇りを失い、家畜を失い、女性を失いました。イラクにはもう、私たちの未来はありません」
  ――第二章 ヤズィード教徒

『アヴェスター』は、犬を殺したものに18項目に及ぶ苦行を求めている。その苦行の一つは一万匹の猫を殺すというものだ。
  ――第三章 ゾロアスター教徒

「伝統を守る人間というのは、みな、珍しい存在なんです」
  ――第五章 サマリア人

アラム語を放す人は、今はバグダードよりもデトロイト大都市圏のほうが多く、この都市と周辺地域には、十万人を超えるイラク人のカルデア教会の信徒が住んでいる。
  ――エピローグ デトロイト

「人間を形成するのは物語です」
  ――エピローグ デトロイト

「私たちは溶けて、消えつつある」」「責めを負うべきはわれわれだ。われらを一つにまとめるものを見つけられなかったのだから」
  ――エピローグ デトロイト

【どんな本?】

 エジプト、レバノン、シリア、イラク、イラン、そしてパキスタン。いずれも住んでいるのはイスラム教徒ばかりのように思われている。だが、最近のニュースではシリアでヤズィード教徒の虐殺が話題になったように、実際はさまざまな宗教を信じる人々が住んでいる。

 イラク南部の湿地帯に住んでいたマンダ教徒、拝火教とも呼ばれるゾロアスター教徒、聖書にも出てくるサマリア人、一時期はエジプトで隆盛を誇ったコプト教徒。いずれも今はマイノリティとなった。

 イギリスの外交官だった著者は、彼らの社会や暮らしを知るため、各地を訪れる。簡単に出会える場合もあれば、ロクな道もない山奥へと出向く時もある。

 あまり知られていない彼らは、どんな所で、どのように暮らしているのか。周囲の人々との関係は、どんなものか。どのような教義を抱き、どうやってそれを維持しているのか。戦争や内戦や革命は、彼らの地位や社会にどんな影響を与えたのか。そして、今後の展望はどんなものか。

 私たちの思い込みとは異なった中東の姿を描く、現代のスケッチ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Heirs to Forgotten Kingdoms : Journeys into the Dissappearing Religions of the Middle East, by Gerard Russell, 2014。日本語版は2017年1月9日第1版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約450頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント45字×18行×450頁=約364,500字、400字詰め原稿用紙で約912枚。文庫本なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらいの分量。

 文章はこなれている。内容もわかりやすい。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教などのアブラハムの宗教に関係する話が多いが、特に知らなくても大きな問題はないだろう。敢えて言えば、旧約聖書に詳しいとより楽しめる。

 ただ、一部の固有名詞を独特に表記しているので、ちと戸惑う。例えばヒズブ・アッラーはヒズボラだろう。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。それぞれの章の冒頭には青木健による2頁ほどの解説があり、短いながらもよくまとまっている。

  • 地図/年表
  • 序文
  • 第一章 マンダ教徒
  • 第二章 ヤズィード教徒
  • 第三章 ゾロアスター教徒
  • 第四章 ドゥルーズ派
  • 第五章 サマリア人
  • 第六章 コプト教徒
  • 第七章 カラーシャ族
  • エピローグ デトロイト
  • 出典および参考文献
  • 訳者あとがき

【感想は?】

 日本だって様々な宗教がある。が、大半は新興宗教だ。

 対してこの本に出てくる宗教は、それぞれに長い歴史を持つものばかり。そこが日本とは大きく違う。もう一つ、大きく違う点がある。それは、教徒どうしの結びつきが強い点だ。

 イラク南部の湿地帯に住んでいたマンダ教徒や、パキスタンとアフガニスタンの国境近くのヒンドゥークシュ山脈に住むカラーシャ族が代表的な例で、一つの町や村にまとまって住んでいる。いずれも交通の便が悪く、権力の影響が及びにくい場所だ。

 日本なら「平家の隠れ里」なんて伝説がありそうな、大軍を動かすのに向かない地形ですね。

 かと思えば、コプト教徒のように都市の人々に紛れて暮らす人もいる。もっとも、コプト教徒は人数も多く、400万人~1200万人だ。それでも人口約1憶のエジプトでは少数派。そのためか教会を通した信徒同士の結びつきは強く、「信者たちは教会の前庭で何時間もおしゃべりをした」。

 やっぱり宗教ってのは、人と人を結びつける力があるのだ。「私たちは少数派同士」って想いが、彼らの絆を強めるんだろう。これに集団の危機感が加わると、更に絆は強くなる。

「他人に身を脅かされていると感じると、強いアイデンティティを持つようになります」
  ――第六章 コプト教徒 

 この章ではエジプトの政権の変転に伴うコプト教徒の地位の変動も詳しく書いてある。国民をまとめるにあたり、何を中心に据えるか。エジプトという国家か、アラブか、またはイスラムか。ファラオの評価も政権や人によりまちまちで、称える人もいれば憎む人もいる。

 今はムスリム同胞団が猛威を振るっているが、逆にムスリムが人間の鎖を作りキリスト教会を守った、なんて話もある。また悪魔払いの神父がムスリムに人気があるとか、エジプト人の意外な素顔が見られるのも、この章の楽しい所。

 ちょっと神道と似てるかな、と思ったのが、「第四章 ドゥルーズ派」。あなた、神道の教義を知ってますか? 私は知りません。これはドゥルーズ派も似てて、「伝統はありますが規則はありません」。単に知られていないってだけじゃなく、ドゥルーズ派は極端な秘密主義なのだ。

ドゥルーズ派の一般信者は、コミュニティの防衛と維持に努め、信者同士で結婚するという条件のもと、基本的には自由な人生を送る。だが、自分の宗教の教義を知る権利はない。
  ――第四章 ドゥルーズ派

 この秘密主義のルーツが、古代ギリシャのピタゴラス教団にまで遡るというから、ヲタク心が騒ぐ。輪廻転生もあるんだが、仏教とはだいぶ違う。「ムハンマドはキリストの再来」なんて理屈で、キリスト教・イスラム教の両方に折り合いをつけてるのも巧いw その理屈ならどんな宗教もOKじゃないかw

 やはり神道に似てると思うのが、「第七章 カラーシャ族」。

「彼らの慣習にとまどった外部の人間が説明を求めても、その答えはいつも同じだった。『それが習わしだからだ』と言うのである」
  ――第七章 カラーシャ族

 形はあっても理屈はないのだ。案外と、信仰の原点って、こういうモンじゃないかと思う。拝みたいから拝むのだ。理屈じゃない。本能みたいなもんである。穢れの発想や山岳信仰っぽいのもあって、ちょっと親しみを感じてしまう。ここでは、住みついちゃった日本人女性も出てくる。

 逆に異国情緒たっぷりなのが「第三章 ゾロアスター教徒」。中身はともかく、言葉がヲタク心をくすぐりまくり。「アフラ・マズダー」「アンラ・マンユ」「アヴェスター」「サオシュヤント」とか、意味が分かんなくても、音の感じで妙にワクワクする。この章では、イランの意外な素顔が見れるのも楽しい。

 元外交官が書いた宗教の本だけに、教義や儀式だけでなく、国の中での立場や生活様式、そしてコミュニティの存続にまで目を配っているのが特徴だろう。加えて、イギリスのツーリストの伝統か、敢えて空路を避け厳しい陸路を選んだりと、旅行記としての面白さもある。一見、お堅く見える本だし、そういう部分も充分にあるが、同時に秘境好きの旅行記としても楽しめる、ちょっとおトクな本だった。

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2019年1月17日 (木)

デニス・E・テイラー「われらはレギオン 3 太陽系最終大戦」ハヤカワ文庫SF 金子浩訳

「負けたんだ。そのせいで、知的種族が十億人、命を落とすはめになるんだ!」
  ――p16

[接続先の船とのインターフェースが突然終了しました。シャットダウン・ハンドシェイクは実行されませんでした]
  ――p119

「ええと、問題はそこなんだ。ぼくにはこれが核融合炉だと思えないんだよ」
  ――p135

「やつが墓場まで持っていかなきゃならないと思った秘密ってなんだろうな」
  ――p189

「間違いないな。ぼくたちは侵略されようとしている」
  ――p299

【どんな本?】

 カナダの新人作家デニス・E・テイラーのデビュー三部作の最終章。

 プログラマのロバート・ジョハンスン(ボブ)は、事故で死んだ…はずだったが、2133年に目覚めた時は、マシンの中のプログラムになっていた。ボブは恒星間宇宙船となり、宇宙へ旅立つ。人類が植民できる惑星を探すために。

 旅の途中では、見つけた金属資源で自らを複製し、更なる探索へと向かう。複製たちは、少しづつ性格が違い、気が合わない奴もいる。だが、宇宙は広い。ツルむのが嫌なら、別の星系へと向かえばいい。そうやって探索範囲を広げていくうちに、知性を持ちそうな種族にも出会う。

 その頃、地球は幾つかの勢力が睨み合い、寒冷化して人類は絶滅寸前となっていた。

 異星の知的種族を助け、人類の植民に協力し、新たな植民惑星を見つけ…とボブたちは忙しく働き続ける。だが思わぬ天敵の出現・現地の生物の襲来・人類同士の反目と、解決すべき問題は増える一方。加えて恐るべき敵アザーズが地球へと迫っていた。

 丹念に考察された設定ながら、ヲタク大喜びなネタを随所に取りまぜつつ、ユーモラスな筆致でテンポよく物語が進む、新世代のスペース・オペラ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は All These Worlds, by Dennis E. Taylor, 2017。日本語版は2018年10月15日発行。文庫本で縦一段組み、本文約376頁に加え、訳者あとがき3頁。9ポイント41字×18行×376頁=277,488字、400字詰め原稿用紙で約694枚。文庫本としてはやや厚め。

 文章はこなれていて読みやすい。ただし内容はコテコテのスペース・オペラだ。なにせ主人公が恒星間宇宙船だし。加えて、三部作とは言いつつ事実上は大長編の第三部なので、登場人物や独特の設定について詳しい説明はない。素直に最初の「AI宇宙探査機集合体」から読もう。

 登場人物がやたらと多いので、巻末の登場人物一覧はありがたい。カバー折り返しや冒頭にも抜粋があるが、巻末の一覧は段違いに詳しいのでお見逃しなく。

【感想は?】

 ノリとテンポの良さは相変わらず。目まぐるしく場面が切り替わりつつ、一気に最後の決戦まで突っ走る。

 人格を持った宇宙船ってアイデアは、結構前からある。キャプテン・ハーロックの乗艦アルカディア号とか。アン・レッキー「叛逆航路」シリーズは逆も出てきた。S・K・ダンストール「スターシップ・イレヴン」は、正体不明ながら多少匂わせてる。すんません、アン・マキャフリィ「歌う船」はまだ読んでません。

 対してこの作品の特徴が、いかにも元プログラマの著者らしい所。ボブは人格を持ってるだけでなく、コピーまで出来てしまう。そりゃプログラマなら、貴重なデータを預かった時は、とりあえずバックアップを取るよね。

 お陰でボブはうじゃうじゃと増殖してゆく。ただし少しづつ性格が違う。もっとも、違うといっても、元がボブだけに、みんな揃って権力志向がないのが心地よいところ。なんたって宇宙は広い。新天地はいくらでもある。気に食わなきゃ他へ行けばいいのだ。

 ってなわけで、アチコチに散らばったボブたちは、それぞれがやりたいようにやっている。衰え切った地球の調停に携わる者、植民地の自立を助ける者、異星種族の意生き残りを見守る者、そしてアザーズへの反撃を目論む者。

 どれ一つを取っても、他のSF作家なら一冊分の長編を書けるだけのネタだ。が、このシリーズでは、その全部をブチ込み、マルチスレッドで展開してゆく。おかげで、次々と場面が切り替わり、ストーリーはサクサクとテンポよく進んでゆく。娯楽作品としては、実に気持ちのいい構成になっている。

 中でも私が最も気に入ったのが、オリジナルのボブのスレッド。エリヌダス座デルタ星系で、旧石器時代レベルの文明を持つ異星人を導くパート。私はこういうのが大好きなのだ。ロジャー・ゼラズニイの「十二月の鍵」とか小川一水の「導きの星」とか…って、前にも書いたなあ。

 ここで最初から気が付くのが、世代が変わっている点。今まで活躍していた賢者アルキメデスと戦士アーノルドは少し引っ込む。その分、表に出るのは息子のドナルドとバーニイだ。

 世代ったって、ボブたちの世代とはワケが違う。ボブたちにも世代はあるが、彼らは老いないし、記憶も引き継ぐ。最悪の場合に備えてバックアップだって取れる。イザとなったら新しいハードウェアに移植すればいいだけだ。

 だが、アルキメデスたちは違う。これはアルキメデスたちだけじゃなく…

 とまれ、バックアップから復旧するにしても、リソースが必要だ。ハードウェアの原材料となる金属はもちろん、何より時間が厳しい。これで笑っちゃったのが、ニールとハーシェルの会話。プログラマなら何度も味わうジレンマだ。

 マクロなどの道具を造れば、似たような事態に陥った時、今後は楽になる。でも今回だけに限れば、その場しのぎの手作業で片づけちゃった方が早い。さて、どうしますか? まあ、たいていはスケジュールが厳しいんで、その場しのぎでやっちゃうんだよね。でも、それが積み重なると…。 余裕は大事だね。

 とかのマニアックなクスグリは、この巻でも健在だ。加えて、サブタイトルの「太陽系最終大戦」は伊達じゃない。幾つもに分かれたボブのスレッドは、途中で想定外の割り込みに足を取られつつも、終盤で鮮やかな同期を果たし、三部作に相応しいクロージングへと向かってゆく。

 ヲタクなネタをアチコチに埋め込み、多数のストーリーを同時並行的に語ることでスピード感を生み出し、綺麗なフィニッシュを決めた新世代スペース・オペラの快作だ。

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2019年1月15日 (火)

ニール・スティーヴンスン「7人のイヴ Ⅲ」新☆ハヤカワSFシリーズ 日暮雅通訳

「イヌ科の動物が大幅にエピになってるんだ。ほとんどわからないぐらいまでにね」
  ――p40

何も読むものがないという状況に陥ること以上に、ひどいことはないのだ。
  ――p93

【どんな本?】

 アメリカの人気SF作家ニール・スティーヴンスンによる、未来パニック長編三部作の最終章。

 突然、月が砕けた。やがて月の破片は大量の隕石の雨となり地球に降り注ぐだろう。地上は千年単位で灼熱地獄となる。人類は種として生き残るべく、限られた時間で対策を講じる。地球の軌道を周回する国際宇宙ステーションを中心としたコロニーに、若者たちを送り出した。

 そして五千年が過ぎる。

 人類は生き残り、軌道上のコロニーはリング状のハビタットへと発展した。隕石の落下は収まり、テラフォーミングの努力も実って、地上の天候は落ち着きを取り戻す。幾つかの動植物も地上に導入し、独自の進化を遂げるまでになった。

 キャス・アマルトーヴァア・ツーは監視人。地表で生態系を観察する任務の終わり近くで、人影を見かけた気がしたが…

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Seveneves, by Neal Stephenson, 2015。日本語版は2018年8月20日発行。新書版で縦二段組み本文約402頁9ポイント24字×17行×2段×350頁=285,600字、400字詰め原稿用紙で約714枚。文庫本なら厚めの一冊ぐらいの長さ。

 文章はこなれている。ただし内容はコテコテのSFだ。軌道上のリングをはじめ、ウジャウジャとSFガジェットが出てくる。また、最近のSFによくあるように、冒頭から説明なしに物語世界の専門用語が次々と飛び出す。なので、「わからん単語はとりあえず読み飛ばす」というSFの読み方を身に着けた人向け。

 また、物理的には三分冊になっているが、元は三部からなる長編の最終章だ。なので、を読んでから挑もう。

【感想は?】

 「帰って、きたぞー!」と叫びたくなるようなオープニング。

 何せ今までの舞台は、息苦しく狭苦しい宇宙船の中ばっかりだった。いや実際には広大な宇宙空間を動いていたんだが、物語の多くは狭い船内で展開したし。

 ところがこの巻では、朝日がさす木立のそばで始まる。天井に何もない風景の解放感が、これほど心地いいとは。たかだか五千年では、人類百万年の本能を黙らせることはできないのだ。やっぱし野外でやる○○は気持ちいいよね、わっはっは。

 テクノロジーも相当に進んだらしい。懐かしの<ナッツ>は、小さいながらも用途の広い便利屋に成長している。終盤ではダイナなら決して考えなかったような使い方までされてるし。次に出てくるグライダーも、この世界を象徴している。

 というのも。この世界、確かに幾つかのテクノロジーは高度に発達している。が、私たちの世界じゃ巨大な存在感を示すモノが、見事に抜け落ちているのだ。石油と、それを使う内燃機関が、全く出てこない。

 出てこないのも当たり前で、この世界のテクノロジーは軌道上で発達したからだ。そこには油田なんかない。だから、キャス・ツーの乗り物は無動力のグライダーであって、プロペラを回す軽飛行機じゃない。こういうマニアックな気づかいは、最後まで途切れず続く。設定マニアには実に嬉しい。

 続いて出てくる<ボロ>は、この世界が成し遂げた技術の進歩を見せつけるに相応しい、大掛かりなシロモノ。現在の地球じゃ技術的にももちろん、社会的にも大問題を引き起こしかねないブツだが、地上の文明が滅びたこの世界なら、邪魔する者もいないしウフフw

 そして、すぐに明らかになる「7人のイヴ」なるタイトルの意味。まあの終盤でだいたい見当はつくものの、こういう風に物語を進めるかあ。これまた現在の文明と似たモノを引きずりながらも、由来がハッキリしているのが面白い。それに…

「私たちはテクノクラートです。判断はエンジニアのように下します。それが必ずしも、人々が望む想像と一致するとは限りません」
  ――p288

 と、全般的にエンジニアが重要な役割を果たす、理性と合理性を重んじつつ、感情の影響をちゃんと計算する文化なのも嬉しいところ。これまた冒頭近くでキャス・ツーがベレドと会う場面でも、それが感情に由来するものだ、と自覚してるあたりがクールだ。

 そういう文化の発達具合へのこだわりは、バトル・シーンでも大いに発揮してたり。何より得物がケッタイなんだけど、それが彼らの生活環境と密接に関係してるとか、どこまで拘るんだかw

 などの細かい部分でマニアを散々くすぐりつつ、終盤ではベストセラー作家の腕前を存分に発揮して、SFならではの壮大な読後感を堪能できる本格SF長編。盛りだくさんのガジェットを楽しめる人にお薦め。

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2019年1月13日 (日)

ニール・スティーヴンスン「7人のイヴ Ⅱ」新☆ハヤカワSFシリーズ 日暮雅通訳

「ここには法律がない。権利もなければ憲法もない。法律制度も警察も存在してないわ」
  ――p75

「たとえば、誰かひとりが嘔吐した場合は、死ぬのはぼくらの半数になるだろうから、このミッションを遂行できる可能性がある。もし誰も嘔吐していないのなら、誰も死なない。少なくとも数週間という期間ではね」
  ――p193

【どんな本?】

 アメリカの人気SF作家ニール・スティーヴンスンによる、近未来パニック長編三部作の第二幕。

 突然、月が砕けた。やがて月の破片は隕石として地球に落ちるだろう。気候は激変し、地上は数千年の単位で誰も住めなくなる。残された時間は二年程度。

 人類は国際的な協力体制を敷き、種としての人類を残そうとする。地上400kmを周回する国際宇宙ステーションを中心としたコロニーを造り、そこに千五百人の若者を送り出すのだ。

 人類は突貫作業で大量のロケットを打ち上げ、人々と物資を送り届ける。そしてついに地球滅亡の日がきた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Seveneves, by Neal Stephenson, 2015。日本語版は2018年7月20日発行。新書版で縦二段組み本文約402頁9ポイント24字×17行×2段×402頁=328,032字、400字詰め原稿用紙で約821枚。文庫本なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらいの長さ。

 文章はこなれていて読みやすい。ただし中身はとっても濃いSFなので、覚悟して挑もう。アイデアの多くは、地球周回軌道上の物体の動きについてなので、そういうのが好きな人向け。

【感想は?】

 ロケットマニア大喜び。

 この巻、何が面白いといって、展開するトラブルのほとんどが、軌道力学すなわちデルタVに起因してるってのがたまんない。

 科学重視のSFって点では、グレッグ・イーガンに近い。ただ、イーガンは、最新物理学のネタを駆使するために、読みこなすには相対性理論や量子力学に通じている必要がある。が、この作品のこの巻では、ニュートン力学で充分に収まるのが有り難い。

 軌道力学ったって、基本は単純だ。慣性の法則、作用反作用の法則、そして万有引力の法則だけ。動いている物をほおっておくとそのまま動き続ける。何かを前に押せば、押した物には後ろ向きの力が加わる。モノとモノは引き合う、そんだけである。

 人工衛星が空に浮かんでいられるのは、主に二つの理由だ。まず、人工衛星はやたら速く動く。これが生み出す遠心力が、地球の重力と釣り合い打ち消し合うので、一見無重力に見える。また、地上と違い空気抵抗がないので、一度獲得した速度を失わないで済む。

 いずれにせよ、しっかりした支えがない状態で浮かんでいるため、軌道上の二つの物がドッキングする際には、私たちの直感と全く違う機動が必要になる。

 そう、「軌道上のドッキング」を、思いっきり詳しく掘り下げたのが、この作品の美味しい所。ただドッキングったって、大きく分けて二つの種類がある。嫌なドッキングと、嬉しいドッキングだ。

 嫌なドッキングは、衝突だ。これも二つあって、隕石やデブリとの衝突と、宇宙船同士の衝突。

 なにせ月が砕け、そこらじゅうに破片が漂ってる状態だ。漂ってるとは言っても、軌道上じゃすべてのモノの速度が桁違いで、秒速数千メートルの世界だ。パチンコ玉程度の小石でも、そこらの対物ライフル並みの破壊力を持っている。

 これが戦車なら頑丈な装甲で覆うんだが、宇宙に重い物を持ち上げるのは、やたら費用が掛かる。だから、主人公たちが住む<イズィ>や<アークレット>はペラペラの紙装甲だ。ひたすら避けるしかない。

 ここで第二の嫌なドッキングその二、宇宙船同士の衝突が絡んでくる。

 人類に余裕があれば、充分な大きさの宇宙ステーションを造れただろう。でも、そんな余裕はなかった。じゃどうするかというと、デカいペットボトルみたいな形の居住区画<アークレット>を、たくさん打ち上げた。

 お陰で、何百ものアークレットが数珠つなぎになって、同じ軌道を漂っている。それぞれ数kmぐらい離れちゃいるが、なにせ軌道上だ。速度は秒速千km単位である。ちょっと触れただけでも一気に大事故となりかねない。

 ってんで、うじゃうじゃと破片が漂っている中を、元国際宇宙ステーション<イズィ>と<アークレット>の群れが、いかに生きのびるか。

 加えて、中盤以降では、嬉しいドッキングの話も出てくる。上手くいけば嬉しいドッキングだが、やっぱりニュートン力学に縛られる。軽いゴルフボールなら遠くに飛ばすのは簡単だが、重いボウリングのボールは難しい。重い物を動かすには、相応の力が要る。

 いずれも私たちが中学校の理科で学ぶ物理学の基礎だ。それが著者の手にかかると、手に汗握るスリリングなドラマに変わるのが見事。

 他のネタとして、軽い物は脆く重い物は強いとか、水が氷ると氷になるとか、気体は暖まると膨らむとか、ごく当たり前の理科のネタでグイグイと話を盛り上げてゆく。まさにサイエンス・フィクションの王道ド真ん中を剛腕の力技で突っ走る、マニア大喜びの剛速球型本格SF小説だ。

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2019年1月10日 (木)

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ「セカンドハンドの時代 『赤い国』を生きた人びと」岩波書店 松本妙子訳 3

生活はよくなったよ。
しかし、数千倍もよくなった連中がいるんだ。
  ――街の喧騒と台所の会話から(2002-2012)

モスクワでテロ事件が起きたのは、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2006年、2010年、2011年である。
  ――あいつらを皆殺しにしてやりたい、そう望んだあとの恐怖

「ほんものの愛国者が望んでいるのは、ロシアが占領されることだけだ。ロシアをだれかが占領してくれることだ」
  ――大鎌を持った老婆とうつくしい娘

「女の部分をそっくり切り取ってください。手術してください。女でいたくないんです! 愛人でいるのもいや! 妻でいるのも、母親でいるのもいや!」
  ――クソのような人生と白い小さな壺のなかの百グラムの軽い砂

「ママだって知っているでしょ。わたしたちの国ではいつも、表向きは志願だけど実際には強制なんだから」
  ――死者たちの無関心と塵の沈黙

「あの人の目がすごく冷たく、すごくうつろになった。いつかわたしは殺されるわ。わかるの、あの人がどんな目をしてわたしを殺すか」
  ――狡猾な闇と「そこから作りうる別の人生」

町に繰りだしていたのは若者たちで、これは「お子さま革命」だった。
  ――勇気とそのあとのこと

 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ「セカンドハンドの時代 『赤い国』を生きた人びと」岩波書店 松本妙子訳 2 から続く。

【どんな本?】

 ウクライナに生まれベラルーシで育ち、2015年度にはジャーナリストとしては初のノーベル文学賞に輝いたノンフクション作家、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチが、旧ソ連に住む人々から、今までの暮らしと今の想いを聞き取り、その肉声を集めたインタビュウ集。

 1989年の東欧崩壊に続き、1991年にはソ連が崩壊する。これによりバルト三国をはじめ多くの国がソ連から独立し、旧ソ連国内に居た人々の暮らしは一変した。時流に乗り大金を稼いだ者もいれば、つつましく年金で暮らす者もいる。

 この記事では、「第二部 空の魅力」を中心に紹介する。

【内戦】

 東欧崩壊後、ユーゴスラヴィアは内戦になった。ではロシア崩壊後は?

 やはり、幾つもの地域で殺し合いが起きたのだ。私はほとんど知らなかったけど。この本には、有名なチェチェンのほか、ジョージアのアブハジア(→Wikipedia)・アルメニア・アゼルバイジャンなどが出てくる。

 その典型が「ロミオとジュリエット……ただし彼らの名前はアブリファーズとマルガリータ」だ。

 語り手はマルガリータ・K、アゼルバイジャンのバクーに住んでいたアルメニア人。アゼルバイジャンはムスリムが多い。アルメニア人はキリスト教の正教。これはムスリムのロミオとクリスチャンのジュリエットの物語となる。

 ロシア崩壊前のバクーは国際都市で、ムスリム・アルメニア人に加え、ロシア人・ウクライナ人・タタール人などが混じって住んでいた。語り手もアブリファーズと結婚する。そこにロシア崩壊だ。少し離れた町に住む同僚から、語り手に連絡がくる。

「母は中庭に引きずりだされ全裸にされて、たき火のなかへ! 身重の姉はたき火のまわりでむりやり踊らされた……殺されたあと、鉄の棒であかちゃんがおなかからかきだされた」「父はめった切りにされた……オノで。親戚は靴を見てやっと父だとわかった」

 アルメニア人の虐殺が始まったのだ。アゼルバイジャン人の友人が語り手を匿う。屋根裏で暮らす場面は、まるきしアンネ・フランクだ。

 先の引用だとアゼルバイジャン人が悪役のようだが、事態は単純じゃない。語り手はホジャリに住む友人から話を聞く。互いの役割を交代しただけで、事態は似たように進む(→Wikipedia)。ロシア軍の介入で落ち着くが…

【新兵】

 「大鎌を持った老婆とうつくしい娘」は、新兵としてチェチェンに派遣された男。実に典型的な新兵イビリの様子を語ってくれる。「きつい長靴はない、なちがっているのは足の方だ」なんてのは可愛い方で、食料のピンハネやら強姦やら。

【遺族】

 「死者たちの無関心と塵の沈黙」の語り手は、チェチェンで亡くなった娘の母。

 娘は警察伍長。警官も戦地に行くんだなあ。当局の報告では自殺となっている。遺体はびしょ濡れの棺に入ってきた。「開けないでください。なかはゼリー状だ」と言い張り、面会させようとしない。スキを見て棺を開けると、きれいな顔のままで、頭の左側に小さな穴。

 他にも奇妙な点が多い。本来の年齢は28歳だが、書類は21歳。書類は「右側頭部に発砲」だが、穴は左側。娘の同僚たちは云う。「これは自殺じゃない、2~3mの距離から撃たれたんだ」。死亡日時は、書類だと11/13、実際は11/11。血液型も書類はO型、実際はB型。

 母は探り始める。一緒に出征した同僚たち。娘の隊長。だが、誰も語らない。やがて警察は母に告げる。「ここで質問するのはわれわれのほうだ」。それでも、母は真実を探り続ける。

 この物語のエンディングは、まるで池上永一の「ヒストリア」そのままだ。ソ連がロシアに変わっても、権力側の体質は何も変わっちゃいない。そういえば「レーニンの墓」に「メモリアル」なんて運動があったなあ、と思って検索したら、なんとまあ(→ハフポスト)。

【難民】

 先の「ロミオとジュリエット……ただし彼らの名前はアブリファーズとマルガリータ」は、モスクワで難民として暮らしている。難民といえば聞こえはいいが、不法入国者であり出稼ぎ労働者でもある。正規の身分証がない者の暮らしを鮮烈に描くのが、「神様があなたの家の敷居に置いた他人の悲しみ」だ。

 なにせ、そこに居ることすら違法な身だ。スキンヘッドのチンピラはウサ晴らしに殴る蹴る。雇う側はやりたいほうだい。賃金の踏み倒しは当たり前で、文句を言えばギャングが家族ごと始末しに来る。17人の労働者をコンテナに閉じ込めて火を放つ、なんて奴もいる。

 警察にも頼れない、どころか敵にすらなる。なんと警官が難民の娘を車に押し込んで人気のない所へ連れて行こうとする。目的は、まあそういう事だ。にも関わらず、警察の将官は語る。

「あなたがたのためなんですよ。あなたがたは一刻も早でていくようにね。モスクワには外国人労働者が200万人いて…」

 地下アパートに大勢で暮らすタジク人・ウズベク人たちの姿は、日本の違法労働者とソックリだ。年長の者はロシア語を話すが、若い者は話せない、なんてのも、日本と隣国の関係に似ている。そんなモスクワでも、内戦が無くて仕事があるだけ、故郷よりマシなのだ。

 違法労働者が増えれば、職を奪われる者も出てくる。血の気の多い若者の中には、ガイジンをボコってウサ晴らしする輩も増える。

 なぜチェチェン・マフィアが勢力を伸ばしたか、これで見当がつく。警察も頼れない難民は、自分で自分を守るしかない。だから武装して地下組織を作る。最初から違法な武装組織だ。国家の法なんざ知ったことか。どうせまっとうに働いたって食い物にされるだけだ。それなら…

 こういった過程は、シシリアン・フマフィアをモデルに「ゴッドファーザー」が巧みに描いていた。あの作品、やたらめったら面白いだけじゃなく、こういう背景事情もキチンと書き込んでたんだなあ。

 無計画に外国人労働者を受け入れるってのは、そういう事だ。ちゃんと彼らの人権を保障するならともかく、使い捨ての奴隷にするつもりなら、必ず後でツケが回ってくる。

【女】

 とか、わかったような理屈を並べたが、そういった賢しらな私を蹴っ飛ばすのが「狡猾な闇と『そこから作りうる別の人生』」。

 ここの主人公、レーナことエレーナの生きざまは、何とも言い難い。よき夫と幸福な家庭を築きながらも、離婚して会った事すらない死刑囚と結婚した女。と書くと、ただの頭のイカれた女にしか思えないが、彼女を「天使だよ」と語る人もいる。元夫も、彼女を温かく見守っている模様。

 まったく意味が分からないと思うが、私にもわからない。

【おわりに】

 やはり酒は業病のようで、酒癖の悪い男に苦しむ女の話は繰り返し出てくる。辛気臭い話が多い中で、広告マネージャーのアリサの話は、とてもバブリー。要はチャッカリと荒稼ぎしてる女なんだが、ぜいたくこそ人生と割り切る姿は、いっそ清々しくすらある。

 かと思えば「愛よね、愛」なんて、お前はクラシカロイドのリストかい!ってな人もいて、悲劇の隣にある色とりどりの人生模様って点では、「アンダーグラウンド」と似ている。決して難しい本じゃない。飲み屋でたまたま隣に座った人から、今までの半生を聞いた、そんな面白さがギッシリ詰まっている。

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2019年1月 9日 (水)

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ「セカンドハンドの時代 『赤い国』を生きた人びと」岩波書店 松本妙子訳 2

いま会社を持っているのはどんな人ですか。キプロス島やマイアミに別荘を持っているのは? 共産党のお偉方だった人たちです。
  ――街の喧騒と台所の会話から(1991-2001)

彼ら全員が共産主義者というわけではなかったが、全員が偉大な国家を支持していた。変化をおそれていたんですよ。というのも、変化があるたびにいつも貧乏くじを引いてきたのは農民だったから。
  ――孤独な赤い元帥と忘れられた三日間の革命

いまなら発言ではなく、なにか行動しなくちゃならない。なんでもかんでもいうことができるけど、ことばにはもうどんな力もないのです。
  ――思い出の施し、意味の渇望

あの人は、パンを見るとすぐに、もくもくと食べはじめるのです。どんな量であっても。パンは残しておいちゃいけないものなんです。それは収容所の割当食。
  ――苦悩することの甘美さとロシア的精神の焦点

ひと月前はみんながソヴィエト人だったのに、いまではグルジア人とアブハジア人……
  ――殺人者のだれもが、自分は神に仕えていると思っている時代

「恐怖がなければわが国ではすべてが一瞬でばらばらになってしまうんだ」
  ――赤い小旗と斧の微笑

 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ「セカンドハンドの時代 『赤い国』を生きた人びと」岩波書店 松本妙子訳 1 から続く。

 この記事では、「第一部 黙示録による慰め」を中心に紹介する。

【どんな本?】

 千万単位の犠牲者を出しつつも独ソ戦にかろうじて勝利し、以後は冷戦の一極として東側に君臨し、ゴルバチョフの登場で淡い期待を抱きつつ、1991年のクーデター&エリツィン登場で新時代の到来を夢み、だが訪れたのは国の崩壊とならず者の跳梁跋扈だった、旧ソ連。

 そんなソ連に産まれ生きた人びとは、どんな人生を歩み、何を考え、今は何をしているのか。どんな家族に囲まれ、新しい時代をどう思tっているのか。

 ウクライナ産まれベラルーシ育ちで、2015年度にノーベル文を学賞したジャーナリスト、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチによる、旧ソ連で生きた人びとの声を届ける、膨大なインタビュウ集。

【第二次世界大戦】

 最初から貴重な証言が出る。なんと対フィンランド戦、冬戦争(→Wikipedia)だ。

 従軍したのは証言者の父。いきなり「この戦争のことは伏せられていて、戦争ではなく、フィンランド出兵と呼ばれていたんです」。そりゃ、あれだけ被害を出せば、なあ。

 フィンランドの戦い方は噂の通り。「スキーをはき、白い迷彩マントを着て、どこにでもひょいとあらわれる」「ひと晩のうちに前哨部隊や一個中隊が全滅させられる」。しかもスナイパーを恐れていたというから、シモ・ヘイヘみたいな人は多かったんだろう。

 幸か不幸か捕虜となって生還。しかし「わが国の捕虜は(略)敵として迎えられた」。てんで、永久凍土を相手に鉄道建設。

 日本も捕虜になった兵には冷たかった。そういう体質は、ソ連やロシアと似てるんだよなあ。

 ただ、出征した人からもその家族からも、戦争中にアメリカから莫大な支援を受けていた事は、全く出てこない。きっと、知らないんだろう。

【ユダヤ】

 ソ連時代、同級生がイスラエルに移り住んだ時の思い出話。

 学校全体で同級生を説得する。「わが国にはりっぱな孤児院がある、ソ連に残りなさい」と。「ぼくらにとってその子は裏切り者だったんです」。

 だが出国が決まり、校長先生は朝礼でわざわざ話題にあげる。「あの子と文通をはじめる生徒は卒業がむずかしくなりますよ」。さて、子どもたちはどうしたか。「その子が出国したあと、ぼくらはみんなでいっせいに彼に手紙を書き始めたんです」。

 大人のタテマエより友情を取ったいい話なのか、子供でも西側とのコネの価値がわかっていたって事なのか。私は後者だと思うんだが、どうだろうね。

【孤児院】

 その「立派な孤児院」とやらの実情が分かるのが、第一部の最後「赤い小旗と斧の微笑」。

 語り手は59歳の建築家、女。なんと、生まれはカザフスタンの収容所だ。まず父が逮捕され、その無実を証明しようとした母も収容所送りとなる。なんの科かは不明だが、他の記事で「スターリンに似ていたから」なんて理由もあった。なんじゃい、そりゃ。

 それがともかく、収容所に送られた時、母は胎内に語り手を宿していた。語り手曰く。

ソルジェニーツィンの『イワン・デニースヴィチの一日』が(略)掲載されたときのことが。(略)みんなが衝撃をうけていた。(略)でも、わたしには理解できなかった、なぜそんなに関心がもたれるのか(略)。わたしにとっては知っていることばかり、ごくあたりまえのことでしたから。
  ――赤い小旗と斧の微笑

 母と共に暮らしたのは三~五歳まで。ちなみに収容所の区域は「ゾーン」と呼ぶそうな。ストルガツキー「ストーカー」の「ゾーン」は、ここから来たんだろうか?まあいい。収容所の暮らしは、ご想像のとおり。

わたしたちは、ひろえるものならなんでもひろって口にしていた。なにか見つけて食べようと、いつも足元を見ていた。草も食べ根っこも食べ、石ころをぺろぺろなめていた。

 そんな彼女も五歳になり、孤児院に送られる。「保母さんや先生というのはいなかった。(略)いたのは指揮官たち」。その指揮官は、子供たちに対し…

「あんたたちはぶってもいいし、殺したっていいくらいだ。あんたたちの母親は敵なんだからね」

 ってなわけで、実際、言葉通り「ふとしたことでぶったり、ただなんとなく……ぶったりした」。当然、子供たちの健康状態も悲惨で、「みんな疥癬もちで、おなかに赤くてぶあついおできができていた」。家畜だって、もう少しはマシな扱いを受けるもんだが。

 教育も恐ろしい。なんたって「密告する子はいい子」だ。実際、「子どもたちはおたがいに密告しあっていました」。ただ、誰がチクったのかは子どもたちも気づいた様子。

 当然、スターリン崇拝も仕込まれる。「わたしたちが文字を覚えると、(略)口述されるままに、(略)わたしたちの統率者に手紙を書いたのです」。権力ってのは、まず最も弱い者にヤラセを強いるんです。

 そんな語り手も、母親が刑期を終え、迎えに来る。とっはいっても、完全に自由になったわけじゃない。内務人民委員部からお触れが出る。「国境地帯に住んではならない、軍需企業や大都市の近くに住んではならない」。どないせいちゅうねん。

 やがて家庭を持った語り手は、かつて住んだ収容所の跡地を訪れる。が、既に畑になっていた。地元の農民曰く…

「ジャガイモ畑じゃ、毎年春の雪どけや雨のあとで骨がでてきよる」「ここらの土地はそこらじゅう骨がごろごろ、石ころみたいなもんじゃ」

 語り手と同じ目的で訪れた人は語る。

「わたしはここの老人たちと話をしたんです。彼ら全員が収容所で勤務、あるいは仕事(略)していた。料理人、看守、特務部員」。

 仕事のない土地じゃ、収容所は稼ぎの安定した職場だったのだ。やはり別の男は語る。彼の父も「仕事」をしていた。

「父親は、フルシチョフ時代にこの地を離れたかったのだが、許可が下りなかった。国家の秘密を口外しないという念書を全員が書かされていた。だれも外に出すわけにはいかなかったのです」

 この後、語り手の息子のインタビュウが続く。これがまた強烈だ。密告した者とされた者、拷問した者とされた者が、隣り合って生きているロシアの現状を、まざまざと見せつけてくれる。

【おわりに】

 第一部では、他にも「粗連人(ソヴォーク)」なんて自嘲の言葉が印象に残る。1991年に抱いたエリツィンヘの期待と、その後の失望を語る人が多い。モスクワは相当にヤバかったようで、アパートの中庭にはしょっちゅう死体が転がっていたそうだ。

 なんか、この本の凄さを全く伝えられてない気がするけど、次の記事でなんとか…

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2019年1月 8日 (火)

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ「セカンドハンドの時代 『赤い国』を生きた人びと」岩波書店 松本妙子訳 1

ビール売り場のそばで男たちが汚いことばで党をののしることがあっても、KGBをののしることは絶対になかった。
  ――独裁政治の美とセメントの中の蝶々の秘密

【どんな本?】

 ウクライナに生まれベラルーシで育ち、2015年度にはジャーナリストとしては初のノーベル文学賞に輝いたノンフクション作家、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチによる、膨大なインタビュウ集。

 1989年の東欧崩壊に続き、1991年にはソ連が崩壊する。これによりバルト三国をはじめ多くの国がソ連から独立し、旧ソ連国内に居た人々の暮らしは一変した。時流に乗り大金を稼いだ者もいれば、つつましく年金で暮らす者もいる。

 いずれにせよ、検閲が緩んだことで、人々は本音を語れるようになった。

 大祖国戦争(第二次世界大戦の対独戦)で戦った兵士、自らや家族や知人が収容所に連行された人、砂糖を買うため何時間も行列に並んだ女、エリツィンに歓声をあげた若者、かつての大国の誇りを懐かしむ声、陰謀論者、元クレムリンの高官、年金生活者、教師。そして、そんな人たちの伴侶や子供。

 かつてのソ連の暮らしはどうだったのか。共産主義を信じていたのか。スターリンやゴルバチョフなどソ連の指導者をどう思うか。エリツィンに何を期待したのか。ソ連崩壊をどう感じたのか。そして、現在のロシアを、自分の暮らしを、人々の生き方を、どう感じているのか。

 激動の時代を生き抜いた旧ソ連人々の肉声を生々しく伝える、現代のスナップショット。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Время секонд хэнд, Святла́на Алякса́ндраўна Алексіе́віч, 2013。綴りは自信ない。日本語版は2016年9月29日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約600頁に加え、訳者あとがき6頁。9ポイント48字×20行×600頁=約576,000字、400字詰め原稿用紙で約1,440枚。文庫本なら上中下の三巻でもいい大容量。

 文章はこなれていて読みやすい。もとがインタビュウ集で、「普通の人々」の声を集めたものだからか、あまり難しい言葉も持って回った言い回しもなく、親しみやすい言葉で訥々と語りかけてくる雰囲気だ。内容も特に難しくないが、ソ連~ロシアの現代史を知っていると、更に迫力が増す。

【構成は?】

 人びとの雑多な声を集めた形なので、気になった所をつまみ食いしてもいい。

  • 共犯者の覚え書き
  • 第一部 黙示録による慰め
  • 街の喧騒と台所の会話から(1991-2001)
  • 赤いインテリアの十の物語
    • 独裁政治の美とセメントの中の蝶々の秘密
    • 兄弟姉妹たち、迫害者と犠牲者……そして、選挙民
    • ささやき声とさけび声……そして感嘆
    • 孤独な赤い元帥と忘れられた三日間の革命
    • 思い出の施し、意味の渇望
    • べつの聖書とべつの信者たち
    • 炎の冷酷さと高みによる救済
    • 苦悩することの甘美さとロシア的精神の焦点
    • 殺人者のだれもが、自分は神に仕えていると思っている時代
    • 赤い小旗と斧の微笑
  • 第二部 空の魅力
  • 街の喧騒と台所の会話から(2002-2012)
  • インテリアのない十の物語
    • ロミオとジュリエット……ただし彼らの名前はアブリファーズとマルガリータ
    • 共産主義のあと人びとはすぐに変わってしまった
    • 孤独、それは幸福にとても似ている
    • あいつらを皆殺しにしてやりたい、そう望んだあとの恐怖
    • 大鎌を持った老婆とうつくしい娘
    • 神様があなたの家の敷居に置いた他人の悲しみ
    • クソのような人生と白い小さな壺のなかの百グラムの軽い砂
    • 死者たちの無関心と塵の沈黙
    • 狡猾な闇と「そこから作りうる別の人生」
    • 勇気とそのあとのこと
  • 庶民のコメント
  • 訳者あとがき/関連地図/関連年表/人名注

【感想は?】

 書名の「セカンドハンドの時代」が、この本を巧みに表している。

 セカンドハンド、中古品、お古。少し前まで、ロシア人とパキスタン人が組んで日本の中古車をロシアにせっせと運んでいた。そういう、モノの中古品って話かと思ったが、全然違った。

 解説に曰く、「思想もことばもすべて他人のおさがり」。

 実はこれで少しカチンときた。なぜなら、日本はずっと他の国から学んできた国だからだ。奈良・平安時代は中国に学んで国を作り、明治維新・文明開化では西洋文明を学んでのし上がり、戦後は民主主義や品質管理を導き入れて這いあがった。漢字だって中国のおさがりだ。それで何が悪い。喧嘩売ってんのか。

 たぶん、これは日本とソ連の歴史の違いだろう。

 日本は独立しちゃいるが周辺国だ。周囲の国々を従える帝国じゃない。

 黎明期は中国の周辺国で、だから遣隋使や遣唐使で留学生を送り込み隋や唐に学ぶ。中世と近世は独自の国として過すが、黒船で危機に気づく。以後、欧米に学び産業革命を成し遂げたが、太平洋戦争でオジャンとなり、鼻っ柱をへし折られ、アメリカに次ぐナンバー2で満足するようになる。

 あくまでも日本の望みは独立の維持であって、他国を従えて世界のリーダーになる事じゃない。

 ソ連は違う。

 世界に先駆けて共産主義革命を成し遂げた。第二次世界大戦では最も多くの犠牲者を出しながらも、ナチスと大日本帝国にとどめをさした。戦後の冷戦でもアメリカと張り合い、二大国の一局を占めた。バルト三国・ベラルーシ・ウクライナ・グルジアなどに君臨し、東欧諸国も支配した。

 ソ連は世界のリーダーだったのだ。少なくとも国民の認識では。ニュースでも、初期の宇宙開発ではソ連がリードしていた。そして、国家もまた、国民にそう教えていた。

――ばんざーい! 無学の労働者がソ連のステンレス技術を開発――勝利だ! その技術がとっくの昔に世界の常識だったことを、わたしたちが知ったのはあとになってから。
  ――ささやき声とさけび声……そして感嘆

 そういう「偉大だった時代」を懐かしむ声も、けっこうある。豊かな暮らしより、偉大な国の一部であることを望む人もいる。たとえシベリア送りに怯える日々が続いても。

われわれは、あのように強くて大きな国にもう二度と住むことはないだろう。
  ――べつの聖書とべつの信者たち

 こういった気持ちを支える最も大きな記憶は、大祖国戦争の勝利だろう。

 戦争関係のエピソードも豊富だ。似たような記憶をイランも持っている。イラン・イラク戦争の勝利だ。おまけにイランはかつてのペルシャ帝国でもある。そんな「昔は凄かった」的な帝国意識というか屈折した優越感というか、そんなモノを抱えている人が多い。

 屈折した、というのは単純で、つまり現代の旧ソ連は二流国だからだ。

たいしたもんだ。敗戦国のやつらのほうが戦勝国のわしらより100倍もいいくらしをしている。
  ――炎の冷酷さと高みによる救済

 しかも、ソルジェニーツィンがバラしたりグラスノスチで明らかになったように、制度的にも暗黒面が明るみに出た。そのためか、年配者の中には経済以外の面に慰めを見出そうとする人もいる。

人は、偉大な思想をもたずに、ただ生きたがっている。これはロシアの生き方には今までなかったことで、ロシア文学もこのような例を知らない。
  ――共犯者の覚え書き

 素直に読めば「思想や文学や芸術が廃れ、モノとカネが取って代わった」とも取れる。でも、これ、どの国でも年寄りは似たような事を言うだよね。「俺たちの世代は高尚だった、でも近ごろの若いモンは軽薄で…」と。

 そもそも、いつでもどこでも、年寄りが好むモノは高尚とされ、若者の好みは軽薄とされる。これは別に旧ソ連に限ったことじゃない。

 とまれ、共産主義を信じていた人からは、「建設していた」って言葉がよく出てくる。今は貧しく苦しくても、前に向かって進んでいる、そういう希望があったのだ。それがみんなウソだったとは、なかなか受け入れられない。

 そういった、落ちぶれた国に住む者の屈折した想いや、国家が隠していた暗黒面から目を背けたい気持ち、現在の旧ソ連国の暮らしのシンドさ、いきなり変わった社会や価値観に抱く違和感、成金への怒り、知られざる内戦の数々など、様々な人々の雑多な言葉が、ほとんど生のまま本に詰まっている。

 そのいずれもが強烈なインパクトを持っていて、「こういう本だ」などとわかりやすく正確に説明するのは、私には無理だ。次の記事から幾つかエピソードを紹介する。少しでも雰囲気が伝われば幸いだ。

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2019年1月 4日 (金)

ジョン・スコルジー「ロックイン 統合捜査」新☆ハヤカワSFシリーズ 内田昌之訳

「合衆国政府は、作物を植えさせないために農家に金を払うことで有名ですから」
  ――p204

「わたしは軽いおしゃべりがとても苦手で。話せば話すほどコミュニケーションからの亡命者のようになってしまうんです」
  ――p282

「それでも、あんたのコーディング技術はたいしたもんだと思うよ」
  ――p305

【どんな本?】

 「老人と宇宙」シリーズで大ヒットをかっ飛ばし、以後もヒット作を連発しているアメリカの人気SF作家ジョン・スコルジーによる、長編SF小説。

 ヘイデン症候群は全世界で27億人以上が感染し、四億人以上が亡くなった。後遺症は様々で、一部の人は“ロックイン”に陥る。意識はあるものの、体が動かせない。そんな人々を救うため、“スリープ”が開発された。ロックインした人の意識を載せて動くロボット/人形である。また、脳が変化した人もいる。その一部は、“統合者”となった。

 クリス・シェインはヘイデン感染者であり、ロックインのためにスリープを使っている。FBI捜査官としての勤務二日目から、不可解な事件に出くわしてしまう。ホテルの七階からソファが落ちてきた。ソファのあった部屋では、喉を切られた男が死んでいる。部屋にはもう一人の男がいた。ニコラス・ベル、統合者。

 近未来を舞台に、新米捜査官がクセの強い先輩と組んで難事件に挑む、スピード感あふれるSFミステリ。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2017年版」のベストSF2016海外篇で24位にランクイン。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は LOCK IN, by John Scalzi, 2014。日本語版は2016年2月15日発行。新書版で縦二段組み、本文約312頁に加え堺三保による解説5頁。9ポイント24字×17行×2段×312頁=約254,592字、400字詰め原稿用紙で約637枚。文庫本なら少し厚めの一冊分。

 文章はこなれている。ただし内容はちょいマイニアック。売れっ子作家のスコルジーだけあって、ガジェットの説明はわかりやすいが、SFに慣れない人には馴染みにくいかも。

【感想は?】

 実はあまり期待していなかったのだ。なにせスコルジーだし。

 ジョン・スコルジーには、ダン・ブラウンと幾つか共通点がある。文章が読みやすい。気の利いた台詞が多い。お話の展開がスピーディーで、意外な方向にコロコロと転がり、読者を掴んで離さない。

 要は売れる小説、楽しく読める小説を書く人だ。ただ、SFだと、それだけじゃ足りない。ややこしい屁理屈が延々と続くグレッグ・イーガンやピーター・ワッツがもてはやされる世界である。SF者とは、自らの思い込みや世界観をひっくり返す作品を求める変態なのだ。

 んなモンなくても売れるスコルジーが、世界観の変容なんぞという、面倒くさい上にSFマニアにしかウケないシロモノを、作品に組み込むだろうか。

 組み込むんだな、これがw

 ガジェットそのものは、地味で使い古されたものだ。その一つが“スリープ”。ヒトの意識を載せて動くロボット。攻殻機動隊の義体に近いが、“スリープ”は無線で動く。義体と違い、肉体は別の所にある。

 そんなモノを使えるなら、どんなスリープを選ぶだろう?

 私は最初、髪がフサフサなイケメンにしようと考えた。だってモテそうだし。でも、いくらイケメンでも、女湯には入れない。じゃ美女か美少女の方がいい…と思ったが、それも駄目だ。だってスリープは風呂に入る必要ないし。それ以前に、この作品でのスリープは、見てすぐスリープとわかる姿形らしい。

 まあ風呂はともかく。スリープの暮らしはどんなものなのか、その細かい考証が実によくできているのだ。こういう所が、ダン・ブラウンになくてスコルジーならではの所。

 例えば、主人公クリス・シェインが住処を探す場面。スリープだって住む所は要る。24時間闘えるわけじゃないし、プライベートな時間も欲しい。ただし人間の肉体じゃないから、求める条件が色々と違う。そのため、スリープ専用の物件もあったり。

 パーティーでもスリープはちと異様な情景になるし、仲間と店に入る時にも気を遣わなきゃいけない。これが少数派ならともかく、ヘイデン症候群は感染者が多く、しかもその一人はアメリカ大統領夫人のため、少なくともアメリカでは社会全体がスリープに対応しているのだ。

 また、スリープならではの能力もある。これは物語の冒頭、バディのレズリー・ヴァンとクリスが最初に出会う場面で示してるんだけど、実に盛り込み方が巧みなのだ。

 SFやファンタジイを読み慣れると、困ったことにこういう「異世界ルール」に驚かなくなってしまう。それを、この作品では、先の住居探しなどの生活感あふれる描写で、まるで自分の身に起こったことの様に「異世界」を感じさせてくれる。これは丁寧な考証の賜物だろう。

 ついでに言うと、先の会話、考証の妙だけでなく、相棒となるレズリーの性格も見事に表しちゃってるんだよなあ。どうすりゃこんな会話が書けるんだか。

 能力的にスリープが捜査官に向くのも、先の会話で見当がつく。しかも、単なる刑事じゃなくてFBI捜査官である理由や、スリープや統合者が関わる事件がFBIの管轄になる理由も、ちゃんと考えられてたり。うん、確かにFBIには便利な人材だ。軍ヲタとしてはもっと物騒な応用も思い浮かんだけど。

 こういった所が、ダン・ブラウンにはなくSF作家に求められる資質なんだろう。

 加えて、マニアを喜ばせるイースター・エッグもちゃんと仕込んであるのも、オジサンには嬉しいところ。しかも、実用上はかのエニグマ以上の強度を誇ったとも言われる某暗号(ちょいネタバレ、→Wikipedia)まで出てきて、オジサンは大喜び。

 しかもハインラインの「宇宙の戦士」を彷彿とさせる仕掛けまであるからたまんない。ちなみにチョムスキー、どう考えても元ネタはプログラム言語と自然言語の双方の世界で崇められているノーム・チョムスキー(→Wikipedia)だし。

 と、そんなワケで、軽く楽しめて爽快な小説を期待して読んだら、いや確かに読みやすくて心地よいお話なんだけど、それだけじゃなくマニアックなSF魂まで充分に満足されてくれる、とってもお得で楽しい本格SF小説だった。

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2019年1月 2日 (水)

マディソン・リー・ゴフ「死体につく虫が犯人を告げる」草思社 垂水雄二訳

昆虫学者の最も重要で基本的な貢献は、死後経過時間を決定することである
  ――第2章 虫の証拠を読み解く方法

膨満期を通じて、体の開口部や、外傷があればその傷口から体液がしみだしはじめる。こうした体液は、ウジの活躍によってつくりだされたアンモニアと一緒になって、死体の下の土にしみだし、土壌をアルカリ性にする。
  ――第3章 腐乱死体を研究する

…致死量および致死量の二倍のコカインを投与されたウサギの組織を食べたウジの発育速度が、統計的に有意な増加をしていることがはっきりと示されていた。
  ――第9章 殺虫剤と麻薬の影響

私にとって――あるいは他のどんな法医科学者にとっても――起こりうる最悪の事態は、誰かの代弁者になることである。
  ――第10章 つらすぎる仕事

法廷は、科学者にとって、およそ想像できるかぎり最も異質で敵対的な環境といえよう。
  ――第11章 証言台の昆虫学者

【どんな本?】

 1984年九月の朝、ハワイの真珠湾で女の死体が見つかる。内臓はすっかり失われ、頭骨もむきだしになっていた。舌骨が折れているため、手によって絞殺されたと考えられる。幸い歯科のレントゲン写真により身元は確認できた。19日ほど前に失踪届が出ている。

 だが、彼女が殺されたのはいつなのか?

 こで著者にお呼びがかかる。著者は遺体のさまざまな場所から昆虫を集める。特に多かったのはカツオブシムシ科の甲虫と、ハエの幼虫すなわちウジである。

 犯罪捜査に虫がどう役に立つのか。その関係を導き出すために、どんな研究が必要なのか。法医昆虫学とは何で、法医昆虫学者は何をするのか。新しい学問を立ち上げるには、どんな苦労があるのか。そして、学者の目からは、司法の世界がどう見えるのか。

 法医昆虫学を創り育て上げた著者が、ユーモアたっぷりに法医昆虫学の基礎と捜査協力の実際を描く、一般向けの解説書またはエッセイ集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は A fly For the Prosecution : How Insect Evidence Helps Solve Crime, by Madison Lee Goff, 2000。日本語版は2002年7月31日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約231頁に加え、訳者あとがき3頁。9ポイント45字×18行×231頁=約187,110字、400字詰め原稿用紙で約468枚。文庫本なら普通の厚さの一冊分ぐらいの分量。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくないが、グロテスクでウジが這いまわり臭気漂う場面が多いので、繊細な人には向かない。

【構成は?】

 科学の本としては頭から読んだ方がいい。が、エッセイ集として読むなら、気になった所をつまみ食いしてもいい。

  • プロローグ 1984年、ホノルル
  • 第1章 昆虫学者、死体と出会う
  • 第2章 虫の証拠を読み解く方法
  • 第3章 腐乱死体を研究する
  • 第4章 ハエはすばやく事件を嗅ぎつける
  • 第5章 乾いた死体を好む虫たち
  • 第6章 死体が覆い隠された場合
  • 第7章 ハチ、アリのたぐい
  • 第8章 海上の死体、吊り下げられた死体
  • 第9章 殺虫剤と麻薬の影響
  • 第10章 つらすぎる仕事
  • 第11章 証言台の昆虫学者
  • 第12章 法医昆虫学を認めさせる
  • エピローグ 新しい挑戦
  • 訳者あとがき

【感想は?】

 ウジ大活躍だ。繰り返すが、繊細な人は避けた方がいい。ウジの群れに襲われる夢を見る。

 なぜウジか。著者ら法医昆虫学の主な職務が、「いつ死んだか」を調べる事だからだ。日本でも、夏に生ゴミを溜めると、すぐにハエがたかりウジが沸く。奴らは驚くほどの素早さで餌を嗅ぎつける。常夏のハワイなら、なおさらだ。

 私たちには鬱陶しいだけのウジだが、昆虫学者にとっては格好の研究材料だ。人が死んでから、ウジが沸くまで、どれぐらいの時間が必要なのか。ウジが蛹や成虫になるまで、何日ぐらいかかるのか。そこにいるウジは、どんなハエのウジなのか。

 これらがわかれば、「いつ死んだのか」が、だいたい見当がつく。それには、成長しきった成虫より、成長途中の幼虫の方が都合がいい。だがらウジなのだ。

 ただ、アリバイ証明または逆にアリバイ崩しに使うとなると、「だいたい」では困る。なるべく正確に、かつ絞った日時が欲しい。そのために、昆虫学者はデータを集めるために悪戦苦闘する。

 このデータを集める際の苦労が、読んでて楽しく、そして気色悪くもある部分。生き物はなんだってそうだが、環境によって成長の速さが違う。日本だと夏はハエが多いが、冬は滅多に見ない。要は暑い時にウジは速く育ち、涼しい時には育ちが遅くなる。

 気温に加えて湿度も大事だし、死体中の水分も意味を持つ。他の所で切り殺されてから、別の所に死体を運んで捨てた場合、体液の多くは殺害現場で流れている。これにより、死体にたかる虫の種類はだいぶ変わってくる。

 のはいいが、推定するには、基礎となるデータが必要だ。ところが、これを集めるのが一苦労。

 まさか人間の死体で実験するワケにはいかない。そこで主にブタを使うんだが、実験の手はずを整えるだけでも、色々とお伺いをたてなきゃいけない。

 なんたって、ブタの死体を放置して、たかる虫を調べるって実験だ。それも、暑い所、涼しい所、湿った所、乾いた所、地面に置いた場合、宙づりになった場合、箱に詰めた場合…と、幾つものパターンを試さなきいけない。

 想像してみて欲しい。数十kgもある豚肉を、夏の間そこらに放置してたら、どうなるか。匂いは酷いし、ハエがブンブンたかって真っ黒になる。それを見かけた人は、どんな反応を示すだろうか。住宅地が近ければ、大騒ぎになること間違いなしだ。

 ってなワケで、著者らはアチコチのお役所にお伺いをたて、イタズラ好きな学生どもを追い払い…

 とかに加えて、最近では農薬や麻薬の影響まで調べなきゃいけない。農薬は予想通りにウジの成長を抑えるんだが、意外なのがコカインやエクスタシーなど向精神薬の影響。コカインは上の引用の通り。エクスタシーもウジの成長を成長が早い上に、「死亡率も低かった」。ウジもラリるのか。生意気だぞ。

 終盤では、法廷や学会での面白エピソードが満載で、笑いが止まらない。病理学者は昆虫のスライドを見たがり、昆虫学者は死体のスライドを見たがるとか、学者も野次馬根性を持っている、というより野次馬根性の塊なんだなあ、なんて思ったり。

 何度も言うが、腐乱死体にウジャウジャとウジがたかる、どころかウジがシャワーのように落ちてくる場面まであり、潔癖な人には向かない。が、耐性があるなら、面白ネタは満載だし、台所の生ゴミにウジが沸く理由もわかる。もちろん、ミステリ好きにはアイデアの宝庫だ。

 にしても、私は正月から何を読んでいるんだろう。

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