ニール・スティーヴンスン「7人のイヴ Ⅰ」新☆ハヤカワSFシリーズ 日暮雅通訳
何の前ぶれもなしに、はっきりとした理由もわからぬうちに、月が破裂した。
――p13「私たちはみんな、何らかの問題を抱えているのよ」
――p111質量を宇宙に開放し、そのまま取り戻せないようなことになる活動はごくわずかだ。
――p156ここでの状況は、縦揺れする、舵のない釣り船に必死で群れをなして乗り込む人々のものと、不愉快なほどに通っている。
――p176「これは人類が直面した最大の試練だ。しかし、われわれは生き残る」
――p260「宇宙においては、編隊飛行といったものは存在しません。二つの近接した物体は、物理的に近づくか離れるかしかないのです」
――p264
【どんな本?】
アメリカの人気SF作家ニール・スティーヴンスンによる、近未来パニック長編三部作の開幕編。
突然、月が破裂した。地球からは、ぼやけた黄色い球に見える。実際は、大きな七つの塊と、数多の小さな欠片に分かれた。今のところは、従来の月とほぼ同じ軌道で地球の周囲を巡っている。しかし小石程度の大きさのものは、流星となって地球に降り注ぎ始めた。中には隕石として地表に達するものもある。
七つの塊と無数の欠片は複雑な軌道を描いて衝突を繰り返し、その度に砕け幾つもの破片に分かれる。破片の数は時と共に指数的に増え、いずれ地球に無数の隕石として降り注ぐだろう。地球の気候は激変し、人類の文明は崩壊する。
タイムリミットはたったの二年。生きのびるために、人類は国際宇宙ステーションを基にした「方舟」に希望を託そうとするが…
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Seveneves, by Neal Stephenson, 2015。日本語版は2018年6月25日発行。新書版で縦二段組み本文約261頁に加え、牧眞司の解説「アクチャルな宇宙、迫真の未来、人類の選択」7頁。9ポイント24字×17行×2段×261頁=212,976字、400字詰め原稿用紙で約533枚。文庫本なら普通の厚さの一冊分。
文章はこなれている。もちろん内容はSFガジェット満載。なんたって滅びゆく地表を離れ宇宙で生き延びようとする話だ。なので、宇宙・ロケット関係の科学・工学ネタが次々と飛び出す。加えて長期にわたり暮らすとなれば、他にも意外な分野が続々と絡んでくる。そういうリアルで濃いSFが好きな人向け。
【感想は?】
スピード感あふれる展開と、次から次へと出てくる科学・工学ネタに、眩暈がしてくる。
この感触は、映画「シン・ゴジラ」に似ている。「シン・ゴジラ」は人間ドラマを最小限に抑え、ゴジラvs人類の闘いに焦点を当てた。お陰でキビキビとストーリーが動き、テンポの良い作品になった。
この作品も、「シン・ゴジラ」同様、一種のパニック物だ。しかも地球規模ともなれば、国家内・国家間で激しい軋轢が起きるだろう。が、この巻では、そういう場面を、出来る限り排している。もちろん政治的な問題がある由は示すけど、あくまで舞台裏の空気を匂わせるだけ。
その分、フォーカスを当てるのが、科学・技術・工学のお話。特にロケット小僧が小躍りして喜ぶネタは数知れず。みんな知ってるダクトテープの伝説から、ちょっとマニアックな軌道変更の手順、そしてバイコヌール基地横の野菜畑なんてコアなネタがギッシリ詰まってる。お子様大喜びのトイレネタには笑った。
そういう、お話作りの工夫で巧いと思ったのは、視点の多くが国際宇宙ステーション「イズィ」で展開すること。
地球上空400kmを約90分で周回する国際宇宙ステーション「イズィ」。モデルはもちろんISSだ。2018年現在のところ、地上以外で人間が常に暮らしている所は、ISSしかない。地表が地獄となれば、逃れられる所は宇宙だけ。となれば、当然、「イズィ」が人類生存の足掛かりとなる。
ったって、「イズィ」はあくまで科学研究用だ。滞在できるのは、人数にしてせいぜい十数人、期間にして数年ってところ。しかも、常に地上から支援物資を送ってもらって、の話である。
ところが、月の破裂なんて異常事態だ。人類の避難先となり、大人数が自立して生き延びられる環境を整えなきゃいけない。そんなわけで、「イズィ」のメンバーは無謀な要求に対し無茶に無茶を重ねて対応する羽目になる。
なんたって、足りないモノは山ほどある。まず人手が足りない。そのため地上から人足を呼ぶんだが、彼らの労務状況はブラックなんてモンじゃない。こんな状況だから残業手当どころじゃないのはともかく、ある意味、究極のタコ部屋暮らしだw
そんな「人足」たちを苦しめるのは、ブラックな労働環境に加え、容赦ない物理法則も襲い掛かってくる。もっとも、これは「イズィ」も同じで。
何せ宇宙空間である。周囲に空気がない。
これは呼吸できないってだけじゃなく、他の問題も引き起こす。私たちが使っている「エネルギー」とは、たいてい何らかのエネルギー勾配を使ったものだ。水力発電ならポテンシャルの勾配、内燃機関なら化学エネルギーの勾配、蒸気機関は化学エネルギー→熱エネルギー→運動エネルギーと変える。
いずれにせよ、あらゆるエンジンは、最終的にエネルギーを熱に変え、何らかの形で熱を吐き出す。自動車のエンジンにはラジエーターがあり、コンピューターのCPUには空冷ファンがついている。周囲の空気で冷やすわけだ。ところが宇宙空間では…
とかの昔からの問題もあるが、現代ならではの解決法やツールをふんだんに盛り込んでるのが、SF者としては嬉しいところ。Wikipedia や Google なんてインターネット関係はもちろん、ちょっと前にISSで使われニュースになったアレ(ちょいネタばれ、→Wired)とか。
人類滅亡という暗い舞台設定でありながら、主な視点を国際宇宙ステーションのロボット工学者に置くことで、「今、そこにある」ホットなテクノロジーと産業を前面に押し出し、テンポよくワクワクさせてくれる風景を見せてくれる、王道まっしぐらの本格サイエンス・フィクションだ。
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