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2018年11月19日 (月)

ローレンス・レッシグ「REMIX ハイブリッド経済で栄える文化と商業のあり方」翔泳社 山形浩生訳

あらゆるアーティストは――意識的かどうかはさておき――以前にあったものや、自分の実践と並行して起こっていることを反映しているんです。
  ――はじめに

以下の議論に進む中で、この二つの発想を忘れないでほしい。一つはRW文化を作り出すものとしての「アマチュア」の創造性の重要性。二つ目は、著作権規制の到達範囲に限度があることの重要性。アマチュアの創造性をこの規制の範囲から自由にしておくことが重要なのだ。
  ――第1章 過去の文化

テクノラティによれば、ブログで使われる言語はいまや日本語がいちばん多い。
  ――第4章 RWの再生

リミックスのおもしろい部分は新しいものではない。新しいのは技法と、その技法の産物を共有するのが簡単だという事だけだ。
  ――第4章 RWの再生

創造するというのは責任だ。それを学ぶには、それを実践するしかない。
  ――第5章 文化の比較

クリックごとにグーグルは賢くなる。
  ――第6章 二つの経済:商業と共有

語るという行為は、その発言の中身が雑音でしかないときでも、その話者にとって得るものが大きいのだ。
  ――第6章 二つの経済:商業と共有

「悪いところはもちろん山ほどあります。でも一つ絶対に言われないのは、『ウィキペディアなんて信用できないよ。だってただの広告用のインチキなんだから』ということなんです」
  ――第6章 二つの経済:商業と共有

「直接間接を問わず、イノベーションのスピルオーバーは、現在のGDPの優に半分以上を構成すると推計される」
  ――第8章 経済から学べること

法が子供を規制するなら、子供に理解できる規制でなくてはならない。
  ――第9章 法を変える

【どんな本?】

 1906年6月、人気作曲家ジョン・フィリップ・スーザは合衆国議会に訴えた。「プレイヤーピアノや蓄音機により、複製された音楽が流行っている。だがそれで稼いでいるのはレコード作成者と販売者だけで、作曲家には全く見返りがない」。

 当時でも、作曲者は自作の曲に対し、楽譜の複製や演奏の可否を決められた。だがレコード販売まで手が及ばなかった。新しく登場したテクノロジーと著作権法が巧くかみ合わず、軋みを見せた初期の例である。

 そのスーザも、子供の合唱や素人バンドの合奏まで口を出すつもりはなかった。むしろ、機械音楽の蔓延により、人々が歌わなくなったり、楽器に触れなくなることを恐れた。アマチュアが消えることを恐れたのだ。

 音楽ではリミックス、動画ではMADと呼ばれる分野がある。既存の商業作品を組み合わせ、全く違った味を生み出すものだ。私はこれ(→Youtube)やこれ(→Youtube)が好きだ。元ネタがわかんないとピンとこないだろうけど、可憐な歌声と殺伐とした映像のギャップはわかると思う。そういえばプリクマとか…

 まあいい。他にも「電車男」なんてのもあって、今の著作権法ではこういったものに対応するのは難しい。かと思えば、発売前の新曲や公開前の映画やがP2Pや動画サイトに流出など、明らかな違法行為もある。かと思えば、Instagram のように、共有しやすくすることで成り立つビジネスもある。

 テクノロジーの進歩は、著作権のあり方を揺るがしている。フりーと商用の二分で捉えていては、もはや身動きできないだけでなく、今後の文化やビジネスを殺してしまいかねない。

 現在の著作権のあり方に異議を唱え、インターネット時代に相応しい著作権とビジネスのあり方を探る、一般向けの啓蒙書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は REMIX : Making Art and Commerce Thrive in an Hybrid Economy, by Lawrence Lessig, 2008。日本語版は2010年2月26日初版第1刷発行。単行本ハードカバーー縦一段組みで本文約290頁に加え、訳者あとがきが豪華12頁。9ポイント53字×19行×290頁=約292,030字、400字詰め原稿用紙で約731枚。文庫本なら厚い一冊ぐらいの文字量。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も難しくない。どころか、正直言って、この本に出ている例は、今となっては少し時代遅れの感もあって、若い人には通じないかもしれない。例えば写真共有の例では Instagram ではなく flickr だったり。

【構成は?】

 原則として前の章を受けて後の章が続く構成だが、気になる所だけをつまみ食いしても、けっこう楽しめる。

  • 序文/はじめに
  • 第一部 文化
    • 第1章 過去の文化
    • 第2章 未来の文化
    • 第3章 ROの拡張
    • 第4章 RWの再生
    • 第5章 文化の比較
  • 第二部 経済
    • 第6章 二つの経済:商業と共有
    • 第7章 ハイブリッド経済
    • 第8章 経済から学べること
  • 第三部 未来を可能にするために
    • 第9章 法を変える
    • 第10章 われわれを変える
  • 結論
  • 謝辞/訳者あとがき

【感想は?】

 10年前の本だ。たった10年しかたっていないのに、既に古びてしまった感がある。

 例えば P2P による海賊行為だ。少なくとも音楽に関しては、今はほとんど問題にならなくなった。iTunes Music Store  のおかげだ。

Youtube 時代の標語はアクセスなのだ。別に無料のアクセスでなくてもいい。アクセスだ。
  ――第3章 ROの拡張

 妥当な価格で、手軽に音楽が手に入るなら、違法行為は減る。iTunes Music Store が、それを証明した。今思えば、あれは革命だった。

 同様に、ユーザ参加型のサービスの話も出てくる。その代表が Wikipedia だろう。当時の感覚だと、あれの存続は危ぶまれていた。今でも資金の捻出に苦慮しているようだが、なんとか続いている。だが、最も当時の感覚からズレたのは、Youtube と Facebook だろう。

 面白くて人気が出る動画や記事が増えれば、Youtube や Facebook の儲けは増える。では、人気 Youtuber や「いいね」が多い Facebook 利用者に、Youtube や Facebook は賞金を出すべきだろうか?

 当時の感覚なら、出すべきだった。いわば「文学賞」の感覚だ。でも今は違う。むしろ、「いいね」を貰うために金を払う利用者まで出かねない。実際、Google は「お金を出せば、あなたのサイトを宣伝します」なんて話を持ちかけてくる。

誤解を招かぬよう念を押しておく。Google が持ちかけるのは、あくまでも「宣伝」だ。私のサイトを検索結果の上位に持っていくことじゃない。

 文学賞と言えば、「小説家になろう」なんてサービスもある。私みたいなブロガーも含め、人は自分の作品が他の人から認められると嬉しいのだ。報酬としては、それだけで充分なのである。

 もし私の記事に人気が出たら、儲かるのはココログだ。それでも、わたしはココログに搾取されたとは思わない。単に嬉しい、それだけだ…炎上は怖いけど。

 そう、炎上を含め、著者が見落としていたダークサイドも幾つかあって、それもインターネットの変化の大きさを感じさせる。例えばデマの横行や、Wikipedia の編集合戦などが挙げられる。残念ながら、意図してデマをまき散らすトロールまでは予測できなかった。

 だが、見落としていた明るい面もある。例えば、アマチュアが創造に参加しやすくなった。先の「小説家になろう」や、Pixiv がいい例だろう。この点で、著者の懸念は幸いにして外れた。お陰で私もアンディ・ウィアーの「火星の人」やネイサン・ローウェルの「大航宙時代」が楽しめる。

 と同時に、当たった予言もある。例えば映画がリピーターを重視するようになった事。

重要なのは、最初に観るときも、その後10回観るときもそれだけの価値があるようにすることだ。一回でも必要最低限は得られるが、十分ではないようにするのだ。
  ――第5章 文化の比較

 映像に思いっきり多くの情報を詰め込み、何度見ても新しい発見があるようにする。昔からスターウォーズ・シリーズにはマニアが多くて、幾つものマニアッなネタが流布していたが、似たような凝った映画が増えた。最近じゃ「この世界の片隅に」の考証の細かさが話題になった。

 キュレーションの重要性も、成就した予言の一つだろう。私は「はてなブックマーク」や「Togetter」をよく見ている。これだけコンテンツが増えると、面白いモノを探すのも手間がかかるし。

 コミュニティの重要性を巧みに使っていると思うのが、「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」だ。オンライン・オフライン双方で、巧く読者の参加を煽っている。本好きとは、好きな本を布教したがる生き物なのだ。だから読者はみんな喜んでネタを提供する。

「コミュニティを念頭に設計しないとダメです」
  ――第7章 ハイブリッド経済

 そう、参加者が喜ぶ形でサービスを提供すれば、勝手にコンテンツは充実し、ビジネスは育つ。それを Favebook や Youtube は実証した。ただ…

法は著作権保持者に利用を拒否する権利を認めているので、著作権保持者は御用や濫用を心配しなくてはならない。その心配の解決法は、力を減らすことだ。所有者が利用をコントロールできなければ、その誤用は所有者の責任ではない。
  ――第9章 法を変える

 これについては、いささか楽観にすぎたように思う。先に書いた、デマをまき散らすトロールの出現だ。Twitter も Facebook も、対応に苦慮している。

 アジテーションとしては、たった10年でやや古びてしまった感がある。と同時に、本書の予言の何が外れて何が当たったか、それを検証できる、いささか意地の悪い楽しみも増えた。「10年前、私たちは何を考えていたか」を見直す、ちょっとしたキッカケになった。つくづく、ネットの時間は速い。

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