エリザベス・ウィルソン「ラブ・ゲーム テニスの歴史」白水社 野中邦子訳
かつて「スポーツ」という言葉はエロティックな戯れを指すのに用いられ、17世紀には悪徳とさえ考えられていた。「(略)なぜなら、スポーツは暇つぶしであり、なんの利益もなく、基本的に不真面目な行為だから」である。
――4 スポーツ文化の成長「世紀の」試合、記憶に残る敗北、驚くべき逆転勝利など、過去のスポーツ界の傑出した試合は、映画フィルムやビデオでは真の姿が捉えきれないという点でダンスや舞台のパフォーマンスに似ている。
――8 孤独なアメリカ人…彼らのような貴族階級に属する(ドイツの)地主たちの生活は、どちらかといえば戦争(第一次世界大戦)の影響をあまり受けなかった。ユンカーと呼ばれる地主階級も、ハイパーインフレによる損害も中産階級ほど甚大ではなかった。むしろ土地の価格はさらに上昇していた。
――11 ワイマール時代のテニス そして、その後1967年12月14日、英国ローンテニス協会(LTA)は投票の結果、アマチュア選手とプロ選手の区別を廃止すると決めた。
――16 オープン化露呈された真理はつねに美しいとはかぎらない。
――19 悪童たちスポーツは「暇つぶしから始まった活動の典型」だったにもかかわらず、勤勉さを称揚する態度、すなわち効率と普段の進歩という理念が横行することになったのだ。
――20 企業とテニス見方によれば、(ランキング制によって)むらのないテニスが有利になったともいえる。いっときの爆発力よりも一貫性のあるテニスのほうがポイントを稼げたのである。
――20 企業とテニス現代では、有名スポーツ選手のキャリアの終わりは精神的な傷になりがちである。(略)いつ引退するかを決めるのは、テニス選手の場合、とくにむずかしい。いまが引き時だと教えてくれるチームやマネージャーはいない。
――23 セレブの仲間入りイギリスのテニス人口の大半は私立校の生徒に限られていたが、イギリスの現役選手の数は21世紀の最初の十年間で半減した。(略)一方、スペイン、フランス、ドイツ、東欧ではテニス人口が増え、広く定着しつつある。
――26 バック・トゥ・ザ・フューチャー
【どんな本?】
テニスは独特のスポーツだ。基本的に個人のスポーツである、にも関わらず、試合時間は異様に長く、時として5~6時間にも及ぶ。得点の数え方も奇妙かつ不規則で、なぜかゼロをラブと呼ぶ。そして何より、オシャレでセクシーだ。
そんなテニスは、いつ・どこで始まったのか。どんなプレーヤーが、どんなスタイルで闘ったのか。現在の隆盛に至るまで、どんな道を辿ったのか。社会や風俗そして技術の変転は、テニスにどんな影響を与えたのか。
テニスの熱心なファンであり、ロンドン・メトロポリタン大学の名誉教授である著者が綴る、テニスへのラブレター。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は LOVE GAME : A History of Tennis, from Victorian pastime to globaal phenomenon, by Elizabeth Wilson, 2014。日本語版は2016年11月5日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約373頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント47字×19行×373頁=約333,089字、400字詰め原稿用紙で約833枚。文庫本なら厚い一冊か薄めの上下巻ぐらいの分量。
文章はこなれている。内容も特に難しくない。当然ながらテニスの本なので、テニスに詳しい人ほど楽しめる。
【構成は?】
歴史の本なので、ほぼ時系列で話は進む。が、過去のプレーヤーでご贔屓の選手がいる人は、気になった所を拾い読みしてもいいだろう。
- 1 愛のゲーム
- 第一部 有閑階級
- 2 健全な興奮をもたらす科学的な競技
- 3 リアルテニスとスコア方式
- 4 スポーツ文化の成長
- 5 リヴィエラで
- 6 女たちの何が悪いのか?
- 7 ヘンリー・ジェイムズのテニス
- 8 孤独なアメリカ人
- 9 四銃士
- 10 労働者階級の英雄
- 11 ワイマール時代のテニス そして、その後
- 12 英雄の末路
- 13 三人の女
- 第二部 スポーツと人生
- 14 戦場からの帰還
- 15 ゴージャス・ガールズ
- 16 オープン化
- 17 彼らもまた除け者だった
- 18 テニスとフェミニズムの出会い
- 第三部 ザッツ・エンターテインメント
- 19 悪童たち
- 20 企業とテニス
- 21 ウーマン・パワー
- 22 技術による先進
- 23 セレブの仲間入り
- 24 新世紀のテニス
- 25 スポーツとメディア
- 26 バック・トゥ・ザ・フューチャー
- 訳者あとがき
- 図版クレジット/謝辞/原注/参考文献/索引
【感想は?】
著者のご贔屓はロジャー・フェデラーらしい。ジョン・マッケンローの出番も多い。
意外な組み合わせ…と思ったが、これは私がテニスに疎いからだ。少し前は錦織圭が、最近では大坂なおみが話題になった。両者の名を知る人は多いが、そのプレースタイルの特徴を知っている人は、どれぐらいいるだろう? 実は私も知らない。
スポーツとしてのテニスにそれほど人気がないのに、テニス選手の名前は世界中で知られている
――23 セレブの仲間入り
そう、優れた選手はスターなのだ。もっとも、これは今に始まったことじゃない。
「…シャマチュアの時代、われわれは運動能力にすぐれたジゴロでしかなかった――これは(ビル・)チルデン(→Wikipedia)の言葉だ」
――14 戦場からの帰還
しかも、錦織圭と大坂なおみが話題になったのは、日本と関係が深いからだ。
スポーツの普及活動は愛国心のプロパガンダである。
――25 スポーツとメディア
もっとも、この手の「仲間意識」は、国ばかりとは限らない。
傑出した黒人はひとりの個人というより、黒人全体の代表とみなされ、彼らの声を代表しているように受け取られる。
――17 彼らもまた除け者だった
こういう、スポーツの持つ様々な面に目を向けているのが、この本の特徴の一つだろう。そのためか、テニスウェアについても、詳しく論じている。
服飾史家のジェイムズ・レーバーによれば、少なくとも18世紀以降、ファッショナブルな衣装、とくに紳士者の流行はすべてスポーツウェアから生まれたという。
――4 スポーツ文化の成長
などと書いてる私も、今はスェット姿だ。エア・ジョーダンに代表されるバスケットシューズは、男の子の憧れでもある。歳を取ったらゴルフウェアでもいい。とか考えると、現代にも充分通じる真理だなあ。もっとも、テニスウェアの変化が大きいのは、女子選手の方だろう。
これは表紙を見ただけでスグわかる。表紙は1926年のミックスダブルスで、ルネ・ラコステとジュザンヌ・ランラン。ラコステの格好は今でも年配のアマチュアならアリだろう。でもランランの膝下まであるスカートは…。そうは言っても、両者ともに当時のトップ選手なのだ。
加えて、テニスウェアの特徴と言えば、白である。貴族的で上品な色だ。それはつまり、テニスが「そういうもの」として始まったからだ。ウェアの歴史は、テニスの歴史も反映しているのが納得できる。これも最近はカラフルになった。
テニス界を揺るがした変化のごく初期のシンボルといえば、白を捨てたことだった。
――19 悪童たち
これはテニスがビジネスになったためだ。何せテニス、いやスポーツには金がかかる。当初はアマチュアのスポーツとして始まった。でもそれでやっていけるのは、他に収入の道がある者だけ。そこでスポンサーがつき、アマかプロかわからない「シャマチュア」なる言葉が生まれる。これまた最近は…
皮肉なことに、この(ウェアのスポンサー契約)せいで、ウェアは白のみというルールを廃止に追い込んだときと同じ状況がもたらされた。つまり、対戦する二人の選手の見分けがつかないのだ。
――24 新世紀のテニス
スポンサーが同じだと、ウェアも同じだったりするんですね。こういった企業の関与はプレースタイルにも影響してくる。特に大きいのがラケットとガット。
1990年代後半、(略)「高弾性率」カーボンファイバー(略)のおかげでさらに軽量でありながら、より硬く、より強いラケットが作れるようになった。新しい人工ストリングはより高度なスピンがかけられる(略)。これら(略)によって現在のテニスがもたらされたのである。
――22 技術による先進
というのも…
ラケットヘッドが大きくなるとトップスピンがかけやすくなり、その結果、「[これまで]ボレーが得意だった選手たちは……いまや猛スピードで飛んできて急に落ちるボールに直面させられた」。
――24 新世紀のテニス
トップであれバックであれ、スピンは強力になる。おまけにコートも変わった。金と手間がかかり弾まない芝が減り、全天候対応でよく弾むハードコートが増えた。スピンを武器にする選手が有利になったのですね。私はこの辺が読んでて最も面白かった。このプレースタイルの変化、皮肉な事に…
1950年代まではおそらく、グラウンドストローク主体のプレーから脱却しようとしたのはとくに抜きん出た選手だけであり、たいていの女子選手は従来のやり方で満足していた。
――13 三人の女
と、昔の女子選手のプレースタイルと似ていたり。オーバーハンドサーブとスマッシュが1880年ごろに「発明」された技だった、というのも、時代性を感じさせる。というか、今どきアンダーハンドのサーブを打つプロなんかいるのかな?
ということで、ロジャー・フェデラーとジョン・マッケンローの共通点だ。二人とも、コートを縦に使うのである。著者はそういう変化に富んだプレーが好きらしい。
個人スポーツである事が生み出すテニスの特殊性、ウェアに象徴される風俗の変化、オープン化が示す企業の進出など、様々な視点でテニスを語りつつも…
「テニスにかんする過ちのひとつは、実際にプレーしない人たちの事情にあわせてあまりに多くの人がテニスを変えようとしてきたことではないだろうか」
――26 バック・トゥ・ザ・フューチャー
なんて所は、テニスを他のスポーツに差し替えても成立しちゃうあたり、現代のスポーツ全般に共通する問題点も指摘する本なあたりが面白い。
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ところでキズナアイのNHK出演に憤ってる人たちは、女子テニス選手やチアリーダーの衣装をどう思っているんだろう?
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