ケン・リュウ編「折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー」新☆ハヤカワSFシリーズ 中原尚哉他訳
「あなたの症状はわたしにはない。私の症状はあなたにはない」
――麗江の魚「生き残るのは愚か者だけ。愚か者だらけの社会は安定する」
――沈黙都市“お話、売ります。特別で高価なお話。ほかに類のない体験ができます”
――コールガール「わしらは神じゃ。この世界の創造主への恩返しだと思って、食べ物をめぐんでくださらんか」
――神様の介護係SFは可能性の文学である。
―― ありとあらゆる可能性の中で最悪の宇宙と最良の地球:三体と中国SF
【どんな本?】
短編集「紙の動物園」で大ヒットをかっ飛ばした新鋭SF作家ケン・リュウは、同時に盛んに中国SFを英語に訳して米国に紹介し、ついには劉慈欣の「三体」で2015年のヒューゴー賞長編部門、2016年にも郝景芳の「折りたたみ北京」で同賞ノベレット部門を受賞している。
そのケン・リュウが、中国SFの最も美味しい所を選り抜いて編んだ、中国SFの今を伝えるアンソロジー。「三体」の抜粋「円」、ヒューゴー賞受賞の「折りたたみ北京」を含む。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Invisible PLanets : Contemporary Chinese Science Fiction in Translation, Translated and edited by Len Liu, 2016。日本語版は2018年2月25日発行。新書版で縦二段組み、本文約395頁に加え、立原透耶の解説7頁。9ポイント24字×17行×2段×395頁=約322,320字、400字詰め原稿用紙で約806枚。文庫なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらいの文字数。
文章はこなれている。内容はバラエティに富み、現代中国の社会を強く反映した作品から、近未来を舞台としつつノスタルジックな味わいの佳作、思わずポカンとしてしまう法螺話など、色とりどりだ。
【収録作は?】
著者ごとに著者紹介が1頁ある。日本語訳は鳴庭真人。各作品は 日本語作品名 / 中国語作品名 / 英語作品名 / 中国での初出 / 米国での初出 / 訳者 の順。
序文 中国の夢 劉宇昆 / Ken Liu / 古沢嘉通訳
●陳楸帆 / Chen Qiufan
- 鼠年 / 鼠年 / The Year of the Rat / 科幻世界2009年5月号 / F&SF2013年7・8月号 / 中原尚哉訳
- 大学を卒業しても職にありつけそうにない僕は、「除隊後の就職保証」に惹かれ、鼠駆除部隊に入った。鼠ったって、普通の鼠じゃない。高価なペットとして遺伝子改造されたネオラットだ。集団で脱走したのか、何かの思惑のために誰かが放したのか。
- 新兵の配属基準は国それぞれで、イギリスや旧帝国陸軍は地域ごとに部隊を作った。中国のコレは、チベットなどの内紛鎮圧も多い人民解放軍は、この作品みたいな工夫をしてるとか。厳しい就職事情、西側の製造工場としての役割なども含め、、現代中国の世相を強く反映している。
- 麗江の魚 / 丽江的鱼儿们 / The Fist of Lijian / 科幻世界2006年5月号 / クラークスワールド2011年8月号 / 中原尚哉訳
- PNFDⅡ、心因性神経機能障害Ⅱと診断された僕は、二週間の休暇を取り麗江でリハビリする羽目になる。麗江に来るのは十年ぶり。僕も麗江も大きく変わった。飲んでナンパに励んだ僕、貧しい若者で溢れていた麗江。でも今は何もかもが演出された観光地。そこで出会った彼女は…
- これもまた、変わりつつある中国の姿を巧みに伝える作品。昔の「地球の歩き方」だと、「メイヨー(没有)」の国って感じで、良くも悪くものんびりしてユルいって印象があった。が、この作品の冒頭では全く違い、厳しい出世競争に励む社畜の群れを描いている。
- 沙嘴の花 / 沙嘴之花 / The Flower of Shazui / 少数派报告(2012) / インタ-ゾーン2012年11・12月号 / 中原尚哉訳
- 経済特区として急発展した深圳の東、沙嘴村。不動産バブルの期待で高層ビルの森ができたがアテが外れ、今は貧しい移民街となっている。家主の沈姐はいい人だし、その友達の雪漣は有名な娼婦だ。僕は屋台でボディフィルムと改造版ARソフトを売っている。
- ニューロマンサーやブレードランナーの舞台で、ヘタレなエンジニアくずれを主人公とした、香港ノワールって感じ。これまた急激に発展した経済特区を背景に、その裏に集まる正体不明の有象無象に焦点を当てた、現代中国ならではの作品なんだけど、オジサンにはかすかに漂う昭和のアウトロー映画の香りが心地よかったり。
●夏笳 / Xia Jia
- 百鬼夜行街 / 百鬼夜行街 / A Hundred Ghosts Parade Tonight / 科幻世界2010年8月号 / クラークスワールド2012年2月号 / 中原尚哉訳
- 百鬼夜行街は、歩けば一時間ほどの通りだ。ぼくは赤ん坊のころ蘭若寺に捨てられ、燕赤霞に拾われた。今は小倩と一緒に暮らしてる。時代遅れの百鬼夜行街から観光客は遠のき、寂れる一方。「いずれあなたはここを出て、現実の世界で生きる」と小倩は言うが…
- 小倩が髪をくしけずる場面で大笑い。そういう事ができるなら、そりゃ便利だよなあ。タイトルから化け物大行進のホラーかと思ったら、語り手は小さい男の子だし、妖怪に育てられた子供かと思ったら…。
- 童童の夏 / 童童的夏天 / Tongtong’s Summer / 最小说2014年3月号 / Upgraded(2014) / 中原尚哉訳
- 童童は木登りが得意な子。お医者さんとして忙しく働いていたおじいちゃんが足を折り、一緒に住むことになった。車椅子のおじいちゃんを介護するため、パパはロボットの阿福を連れてくる。阿福は賢くて何でも出来るけど、おじいちゃんは不機嫌で…
- これぞまさしく老人SF。新しいテクノロジーというと若者向けって印象があるけど、こういう使い方もあるんだなあ。特に趙おじいちゃん登場以降は、見事なアイデアとスピード感でグイグイ読ませる引きの強さ。著者の祖父への想いが伝わってくる佳作。
- 龍馬夜行 / 龙马夜行 / Night Journey of the Dragon-Horse / 小说界2015年2月号 / 本書初出 / 中原尚哉訳
- 馬のような胴、龍の首と頭、長い髭、鹿の枝角。機械の体を覆う金色の鱗。かつての龍馬は、機械の蜘蛛を相手の公演で、大人気を博した。だが、今は誰もいない。博物館のホールは廃墟となり、大通りには木々が茂り、龍馬の体も錆びている。
- 「ヨコハマ買い出し紀行」や「少女終末旅行」のような、「静かな終末」物。人類が去り、長い時を経て目覚めた龍馬の、追憶と旅の一部分を切り取って描く。
●馬伯庸 / Ma Boyong
- 沈黙都市 / 寂静之城 / The City of Silence / 科幻世界2005年5月号 / ワールドSFブログ2011年11・12月号 / 中原尚哉訳
- 2046年。当局はすべてのウェブアクセスを監視している。言葉すら、使えるのは健全語リストに載っている言葉だけ。締め付けは厳しくなる一方だ。せめてBBSを使おうと、アーバーダンは当局に申請を出す。許可を受けるため当局に出頭するアーバーダンは…
- ジョージ・オーウェルの「1984」の影響を受けた、とあるが、私はレイ・ブラッドベリの「華氏451度」を連想した。徹底した当局の監視と、それをスリ抜けようとするネットユーザの工夫のイタチゴッコは、なかなか楽しい。いや作品は暗く陰鬱な雰囲気なんだけど。
●郝景芳 / Hao Jingfang
- 見えない惑星 / 看不见的星球 / Invisible Planets / 新科幻2010年2~4月号 / ライトスピード2013年12月号 / 中原尚哉訳
- 「あなたが見てきて魅力的だった惑星の話を聞かせて。残酷な話や不愉快な話は抜きにして」。そして、僕は語り始める。例えばチチラハ。美しく植物に覆われ、食事もおいしい。だが、この星に住みつく者は滅多に居ない。その原因はチチラハ人で…
- 旅人が語る、奇想天外な惑星とそこに住む人々たち。紹介ではイタロ・カルヴィーノを引き合いに出しているが、私はスタニスワフ・レムの「泰平ヨン」シリーズや、カート・ヴォネガットが作品中に差し挟む挿話を連想した。星新一の同じテーマのショート・ショートを集めた、そんな雰囲気で、この作品集の中では最もとっつきやすい。
- 折りたたみ北京 / 北京折叠 / Folding Beijing / 文芸風賞2014年2月号 / アンカニー2015年1・2月号 / 大谷真弓訳
- 老刀は48歳。北京で生まれ育った。第三スペースに住み、ごみ処理施設で働いている。第二スペースで預かった手紙を、第一スペースに運べば、大金が手に入る。特に今は、音楽が好きな糠糠をいい幼稚園に入れるための金が欲しい。そこで第一スペースに忍び込むため…
- タイトルにもなっている「折りたたみ北京」のインパクトが光る。ここまでハッキリと社会の階層を視覚化したアイデアが見事だ。お話は「おつかい」で、ある意味ハードボイルドな冒険物語。なんだけど、主人公のオッサン老刀が、何かとお人よしなあたりが泣かせます。
●糖匪 / Tang Fei
- コールガール / 黄色故事 / Call Girl / / エイペックス2013年6月 / 大谷真弓訳
- 15歳の小一は、バスを三回乗り換えて学校に通う。学校は退屈だ。誰も小一には話しかけてこない。でも、みんなの噂だ。相手はみんな、年上の大金持ちだ、と。校門の前に小型車が止まる。ドアを開け、小一を待っている。
- タイトルといいオープニングといい学校での風景といい、散々ハァハァさせといて、そうきたかw
●程婧波 / Cheng Jingbo
- 蛍火の墓 / 蛍火之墓 / Grave of the Fireflies / 科幻・文芸秀2005年7月号 / クラークスワールド2014年1月号 / 中原尚哉訳
- 千年前から、恒星は老いて光を失い始めた。九人の祭司が原因を探ったが、誰にもわからない。王は祭司たちの首をはねたが、強い魔力を持つ祭司は生きのびた。人々は牛車の列を連ね、夏への扉を目指す。宇宙で最後にともった明かり、<無重力都市>へ。
- これもまた、「静かな終わり」の風景を描く、ファンタジックな物語。
●劉慈欣 / Liu Cixin
- 円 / 圆 / The Circle / / Carbide Tipped Pens(2014) / 中原尚哉訳
- 中国、戦国時代。燕の太子は荊軻(→Wikipedia)に秦の政王(後の始皇帝)の暗殺を命じた。だが荊軻は政王に企みを明かす。荊軻の知と才が気に入った政王は、荊軻に秦軍の強化策を求める。荊軻は弓・戦車・橋などの改良で実績をあげた。政王は、荊軻に知恵の源を尋ね…
- 刺客として有名な荊軻を、こう料理するかあ。著者自らもエンジニアだからか、仕掛けづくりと改良となると、他に何も見えなくなるエンジニアの業がよく描けている。叶うなら秦軍勢揃いの場面を実写で観たいものだw 最適化を試みるあたりは、もう大爆笑w
- 神様の介護係 / 赡养上帝 / Taking Care of God / 科幻世界2005年1月号 / パスライト2012年4月号 / 中原尚哉訳
- 三年前、空は二万機の宇宙船で覆われた。しばらくして、世界中で高齢の浮浪者が増える。「わしらは神じゃ。この世界の創造主への恩返しだと思って、食べ物をめぐんでくださらんか」。20億人もの老いた神を養う羽目になった人類は…
- これまた大爆笑の短編。特に国連総会の場面とか、もうたまんないw 「童童の夏」同様、優れた老人SF。食い意地が張っている上に、いろいろと間が抜けちゃいるが、妙に気弱でお人好しな「神」の性格付けがいい味出してる。
エッセイ:いずれも日本語訳は鳴庭真人。
- 劉慈欣 / ありとあらゆる可能性の中で最悪の宇宙と最良の地球:三体と中国SF / The Worst of All Possible Universes and the Best of All Possible Earths: Three-Body and Chinese Science Fiction
清王朝末期から現代までの中国SFの変転と、<三体>が大ヒットに至る過程を語る。まるきしファイナル・ファンタジーだなあ。 - 陳楸帆 / 引き裂かれた世代:移行期の文化における中国SF / The Torn Generation : Chinese Science Fiction in a Culture in Transition
現代中国に見られる分裂を描く。似たような状況はアメリカや日本にもあって、これは世界的な現象なのかも。魯迅がSFに言及していたとは知らなかったが、ヴェルヌの「地底旅行」を訳してたのか。 - 夏笳 / 中国SFを中国たらしめているものは何か? / What Makes Chinese Science Fiction Chinese?
やはり中国SFの歴史を辿り、現状を報告する。思った通り、かつてはソ連SFの影響が強かった模様。そこにアメリカ文化が入ってきて、現在の活況に至る、と。人口を考えれば中国市場は大きいし、今後も発展を続けるんだろうなあ。
ハードボイルド・タッチの陳楸帆、ファンタジックな夏笳、郝景芳の大法螺、ユーモラスな劉慈欣と、芸風も作品も多種多彩。にも関わらず、道端の若者たちは丼を抱えてたり、楽器は二胡だったり、化け物がアレだったりと、細かいところに中国の社会と文化が滲み出るのも、これまた一つのセンス・オブ・ワンダーかも。
【関連記事】
- 2018.7.20 ケン・リュウ「母の記憶に」新☆ハヤカワSFシリーズ 古沢嘉通他訳
- 2016.11.25 ケン・リュウ「蒲公英王朝期」新☆ハヤカワSFシリーズ 古沢嘉通訳
- 2016.11.01 ケン・リュウ「紙の動物園」新☆ハヤカワSFシリーズ 古沢嘉通訳
- 2018.8.27 パク・ミンギュ「ピンポン」白水社 斎藤真理子訳
- 2017.12.24 ベルナール・ヴェルベール「タナトノート 死後の世界への航海」NHK出版 榊原晃三訳
- 2017.9.28 チャーリー・ヒューマン「鋼鉄の黙示録」創元SF文庫 安原和見訳
- 書評一覧:SF/海外
| 固定リンク
「書評:SF:海外」カテゴリの記事
- エイドリアン・チャイコフスキー「時の子供たち 上・下」竹書房文庫 内田昌之訳(2022.04.25)
- ピーター・ワッツ「6600万年の革命」創元SF文庫 嶋田洋一訳(2022.04.13)
- アフマド・サアダーウィー「バグダードのフランケンシュタイン」集英社 柳谷あゆみ訳(2022.02.16)
- 陳楸帆「荒潮」新☆ハヤカワSFシリーズ 中原尚哉他訳(2021.10.21)
- ザック・ジョーダン「最終人類 上・下」ハヤカワ文庫SF 中原尚哉訳(2021.09.27)
コメント