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2018年10月22日 (月)

ソフィア・サマター「図書館島」東京創元社 市田泉訳

「言葉とは崇高なもの。書物の中でわれらは死者と交流できる。それ以上の真実など存在しない」
  ――第八章 <没薬の塔>

「あたしにヴァロンを書いて。あたしの声をその中に入れて。あたしを生かして」
  ――第十一章 <アヴァレイの帯>

母さんの涙は母さんの財産。母さんが山ほど持ってるたった一つのもの。
  ――第十七章 馬の館、わが宮殿

「生きてたころ、命があったころでさえ」天使はわたしにささやいた。「今ほど生きたいとは思ってなかった」
  ――第十八章 春

【どんな本?】

 新鋭ファンタジイ作家ソフィア・サマターの第一長編。

 南の海に浮かぶ紅茶諸島、ティニマヴェト島のティオム村。主人公ジェヴィックは、広い胡椒農園を持つ家に生まれる。その年も、父は北にある帝国オロンドリアの大都市ベインに出かけた。海を越え胡椒を売るために。

 そして、奇妙な客を連れて帰った。家庭教師のルンレ先生。ベインの紳士の教育を、オロンドリア語の読み書きを、跡取りのジェヴィックに授けようと。穏やかで粘り強いルンレ先生は、ジェヴィックに読み書きを、本への愛情を、そして見知らぬ土地への憧れを植え付ける。

 成長してベインへと船出したジェヴィックは、船上で死病キトナを患う少女ジサヴェトに出会う。この出会いにより、ジェヴィックは更なる旅へと引き立ててゆく。

 やや古めかしい文体で綴られた、本格的ファンタジイ。

 2014年世界幻想文学大賞長編部門、2014度英国幻想文学大賞ファンタジイ長編部門、2014年ジョン・W・キャンベル新人賞、2014年クロフォード賞受賞。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は A Stranger in Olondria, by Sofia Samatar, 2013。日本語版は2017年11月30日初版。単行本ハードカバー縦二段組みで本文約330頁。9ポイント24字×21行×2段×330頁=約332,640字、400字詰め原稿用紙で約832枚。文庫本なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらいの長さ。

 文章はやや古めかしい、おとぎ話風の文体。一種のハイ・ファンタジイで、舞台は独自の世界だ。中世の欧州風だが、西欧ファンタジイのお約束を知らなくても大丈夫。

【感想は?】

 じっくりと書き込まれたオンドリア世界と、そこで生きる人々が魅力の作品。

 お話は、主人公ジェヴィックの冒険の旅が縦軸となる。が、肝心のジェヴィックが、やや学者気質のヘタレ男なため、勇ましい場面はほとんどない。運命の嵐に巻き込まれ、右往左往するばかり。

 その分、前半では、隅々まで細かく考え抜かれた作品世界が逞しく息づいている。

 明るい陽光と豊かな雨に恵まれた紅茶諸島。故郷のティオム村は、ジュートに代表される迷信が深く根付く。

 大きな港を擁する大都市ベインには、幾つもの店が軒を連ね、群衆がひしめき、狂乱の祭りが催される。にわか雨の際の雨宿りの風習は、いかにも商売の町らしい。

 そして、後半でジェヴィックとミロスが冬を越す、捨てられたイェイダスの館と、その東に広がる荒涼たるケステニヤの冬の景色。

 などの風景の中もいいが、その世界の中で人々の口から語られる、数々の物語こそ、私が最も惹かれた所。

 魔法使いフィンヤの許されぬ恋を描く、<谷>のロマンス。まあ、オチはだいたい想像がつくけど、それでも読んでしまうのは物語好きの性だろう。

 漁師の美しい娘ミルハヴリと金と赤の男の物語。これは民話にありがちな設定と思わせて、なかなか斬新な結末。

 誠実な恋人たちヒヴナウィアとタウア、とくればロミオとジュリエットを期待させ…

 そして一種の創世神話、最初の男チーと最初の女キョーミ。いかにも南国風な奇想天外な出だしで、ちょっとポボル・ヴーやミクロネシアの香りがする。

 いずれも絵本になりそうな、懐かしい雰囲気のおとぎ話だ。

 それと並行するように描かれる、それぞれの登場人物の人生も、切ない運命に満ちている。穏やかで都会的な知識人のルンレ先生が、なぜド田舎の紅茶諸島へと流れ、住みついたのか。お調子者に見えるミロスが、なぜ大神官の従者を務めているのか。

 そんな中で最も盛り上がるのが、業病キトナを患った少女ジサヴェトの物語。

 お話の流れとしては終盤になるんだが、それだけにこの「図書館島」世界が読者の心の中で息づいていて、「あの狭いティニマヴェト島に、こんな側面があったのか!」と、読む者の驚きもひとしおだ。

 他でも、こういう細かい所にまで物語が息づいているのが、この作品の油断できない所。

 やはり強い印象を残すのが、ジェヴィックとミロスが逃避行の途中で立ち寄る、荒れた農家の場面。住んでいるのは女四人と老いた男だが、仕切るのは若い娘。一晩立ち寄っただけの家なのに、やたら強い印象を残す。

「この子がいちばんきれいになるはずだったのに」

 隅々まで丁寧に創られた作品世界と、そこに住む血肉と人生を感じさせる人々。やや古めかしい文章は、最初いささかとっつきにくいが、じっくり読むと色鮮やかな風景が広がってくる。時間をかけて、のんびりと作品世界に浸ろう。

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