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2018年10月12日 (金)

藤代泰三「キリスト教史」講談社学術文庫 2

古代教会におけるローマ・カトリック教会は司教らの教会であったが、中世においてそれは教皇の教会となる…
  ――22 教皇制度の興隆

グレゴリウス九世(在位1227-1241)は1231年に異端審問所を創設した。異端審問所においては告発者と裁判官とは同一人である。
  ――29 分派運動と異端審問所

プロテスタント教会は宗教改革ののちも分裂に分裂を重ねていくが、ローマ・カトリック教会は一つとなって宣教に当たっていった。
  ――39 対抗改革

アフリカのキリスト教徒の数は、北部(主にイスラム教徒や原始宗教信仰者が多い)を除いて、プロテスタント教徒が約千二百万人、そしてローマ・カトリック教徒が約千八百万人であると推定される。
  ――79 アフリカと東南アジアと東アジアとオセアニアとの教会

 藤代泰三「キリスト教史」講談社学術文庫 1 から続く。

【系統樹】

 ある意味、この本を要約してるのが416頁の図、教会系譜。生物の本の系統樹のような、有名な教会の系譜の図だ。400年頃、既に五つに分かれている。エジプトのコプト教会、ペルシアのネストリオス教会、シリアのヤコバイト教会、ローマ教会(後のバチカン&正教会)、そしてアルメニア教会。

 アルメニア教会って正教の一派かと思ってたけど、実はすごく歴史のある宗派だったんだね。

【聖餐】

 キリスト教史全体を通しても、組織体質が最も大きく変わったと感じるのが、ローマに受け入れられていく過程。例えば聖餐。今は教会によって色々な解釈がされてるようだけど…

 まず原始教団では聖餐は共同の食事であり、弟子がユダヤ教の習慣に従ってこの食事に集まり、一人がパンを祝福する時、彼らはかつて主が祝福してパンをさいたあの楽しかった日々を想起した。
  ――9 礼拝と礼典

 と、最初は「みんなで晩メシ食っておしゃべりしよう」的なモノだった。こういう発想を受け継いでるのって、現代日本の「こども食堂」なんでない?

 また、「上流階級に浸透するにつれ、奴隷を兄弟と考える」って発想が薄れてくあたりは、時代と共に人が入れ替わるにつれ、中の人に相応しい形に変わったんだろう。で、特にローマ・カトリックは、当時に得た上流階級用の性質を、現在まで受け継いできたんじゃないか、と。

【世界史】

 キリスト教史を語るにあたって、その時その土地の情勢や背景から説き起こしているのが、この本の凄い所。お陰で、歴史学の底なし沼に読者を誘い込むトラップがアチコチに仕掛けてある。例えば…

(ゲルマンの)神々は人生における助力者であり彼らの敵に対して戦う。神々は氏族の幸福である平和を保障し共同体の守護神となる。神々は祭儀に関して命令するが、その命令はまだ倫理的領域との連関をもっていなかった。
  ――19 ゲルマン民族への宣教

 って、これ、日本の神道とソックリだ。特に祭儀には拘るけど倫理は別って所とか。というか、アブラハムの宗教以外の宗教って、たいていはそんな性格なんじゃなかろか。いや調べてないけど。

 やはりドイツだと、こんな記述もあって。

30年戦争の結果、ドイツの国土は荒廃し道徳は低下し産業も衰え、その人口は三千万人から千二百万人に激減した。
  ――51 敬虔主義

 なにそれ凄い。ニワカとはいえ軍ヲタを自任してるくせに、30年戦争は全く知らなかった。日本だと徳川秀忠~家光あたりか。ヨーロッパは地獄だぜ。

 やはり興味をそそられるのが…

カルヴァンの宗教改革当時ジュネーヴの人口は一万九千人であったが、その約1/3すなわち、六千人の亡命者が住んでいた。
  ――37 カルヴァンの宗教改革

 と、かなり昔からジュヴェーヴは国際都市だった模様。いったい、どんな事情でそうなったのか。いつかジュネーヴの歴史も調べてみたい。とか言ってると、野次馬根性は際限なく広がっていく。果たして死ぬまでに、どれだけの本が読めるんだろう?

【植民地政策】

 とかの歴史ばかりでなく、現代の世界情勢にも目を配ってるから憎い。例えば…

19世紀後期に契約に基づき農園労働者としてこの国(フィジー)に移民したインド人の数は、この国で誕生したインド人を含めて同年に十七万人になったので、すでに1956年にフィジー族の人口は十四万八千人となり、この国のなかで少数民族となってしまった。
  ――79 アフリカと東南アジアと東アジアとオセアニアとの教会

 って、フィジーも大変だ。Wikipedia を見ると、やはり睨み合いはある様子。スリランカといい、イギリスも無茶やってるよなあ。

【新大陸】

 合衆国はプロテスタントの国って印象がある。そうなったのは、どうやら宗派ごとの布教の方法の違いもあるらしい。カトリックはフランシスコ・ザビエルみたく役割を担った伝道者が布教に赴くのに対し、幾つかのプロテスタントは信徒が自ら布教する。これが西部開拓のスタイルに合っていた、と。

 しかも、これが戦争の趨勢にも影響を与える。

それでは教職者はこの戦争(独立戦争)に対してどのような役割を果たしたのであろうか。ニューイングランドほど読み書きが普及しておらず、また新聞報道に接する機会も少なかったところでは、植民地人は時代の諸問題がどのようなものであるかを知ることができず、これらについて知るためには、説教者による以外には手立てはなかった。
  ――52 北米における教会の移植と発展

 要はクチコミ。で、各地を旅する説教者は、同時にニュースを伝える役割も担っていたわけ。今でも「旅人を丁寧にもてなす」習慣が残ってる地域があるのは、こういう事情なのかな? 当時の旅人は、こういう役目があると同時に、山賊に襲われる危険も大きかったんだし。

【儀式】

 プロテスタントは幾つもの宗派に分かれてるが、状況によっては一緒にやっていこうとする場合もある。特にキリスト教徒が少ない土地では、助け合うケースもみられる。この障害の一つが儀式の形で、宗派によっては形も大切なのだ。

定式化した祈祷はいわば魔力的効力を持つものと考えられたから、これを多少でも変更することはこの効力の喪失になると考えられた。
  ――62 東方とロシアの正教会

 特に文字も読めない人が多い所では、こういう形って大事なんだろう。

【正教】

 日本のプロテスタントの記述が多い半面、正教の扱いは少ない。が、少ないなりに、正教は苦闘の歴史を歩んできたのがわかる。正教が盛んな土地は、主にオスマン帝国の支配下にあったため、どうしても少数派として迫害されがちなのだ。

 唯一の楽園はロシアだったんだが、それも革命で…

1933年の初めに、1937年までにはソヴィエト連邦には、ひとつの教会も残らないように目標が設定された。
  ――73 ボリシェヴィキとロシア正教会

 と、スターリンにいぢめられる。確かスターリンは神学校に通ってたはずだが、その時の恨みもあるんだろうか?

【ライバル】

 宗教と科学の対立なんて構図があるけど、最近になって私はこう思うようになった。「宗教の商売敵って、科学より娯楽なんじゃね?」と。この疑念を裏付けてくれる記述もある。

…文明の娯楽――例えばラジオ、新聞の日曜娯楽版、最初は自転車、のちに自動車――が日曜日の習慣を変えてしまった。1850年には恐らく人口の少なくとも半数が教会に規則的に出席していたが、1950年までにその9/10がそのこのような習慣をもたなくなった。
  ――76 英国と英連邦との教会

 昔から漫画やアニメやゲームを敵視する人はいた。世の中には、見慣れないってだけで新しいモノを嫌う人もいる。が、中には異様に攻撃的な人もいる。最近ではキズナアイが騒ぎになった。その背景には、こういう事情もあるんじゃないかと私は疑っている。

 つまり、誰でもスグ手軽に楽しめる娯楽は、新興宗教の市場を食い荒らすのだ。特に最近はネットで同好の志を募るのも楽になった。これは、新興宗教のもう一つのアピール・ポイント、「仲間が見つかる」とも競合する。

 市場拡大を目論む新興宗教にとっては、手軽に楽しめて仲間も見つかるヲタ趣味は、実に目障りな存在だろう。逆に考えると、ヲタ趣味はカルトの力を削ぐのだ。ゲームは世界を平和にするのだ。ホンマかいなw

【おわりに】

 などとケッタイな結論になったが、もちろん本書はそんなふざけた本じゃない。その時々や地域の政治情勢など広く深い歴史の知見を基礎に、教会の組織はもちろん重要人物の思想にまで踏み込みつつも、二千年の歴史を一冊の文庫本にギュッと押し込めた、極めて重い本だ。相応の覚悟をして挑もう。

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