中島らも「今夜、すべてのバーで」講談社文庫
おれがアル中の資料をむさぼるように読んだのは結局のところ、「まだ飲める」ことを確認するためだった。
――p47アル中の問題は、基本的には「好き嫌い」の問題ではない。(略)アル中になるのは、酒を「道具」として考える人間だ。
――p51中毒者でないものが薬物に関して発言するとき、それは「モラル」の領域を踏み越えることができない。
――p127アル中の要因は、あり余る「時間」だ。
――p131「教養」とは学歴のことではなく、「一人で時間をつぶせる技術」のことである。
――p132「今の日本じゃ、酒は水か空気みたいなもんだ。どこへ行っても目の前にあるんだ。そんなところで断酒なんかができるかね」
――p200「痛みや苦しみのない人間がいたら、ここへ連れてこい。脳を手術してやる」
――p229
【どんな本?】
エッセイ・劇作・放送作家など様々な分野で活躍した中島らもが、酒に憑かれたアル中の生態と、その周囲の人々を描く、アル中小説。
主人公は35歳の小島容。毎日のように朝から晩まで飲み続けた挙句、体を壊して入院する羽目になる。目は黄色く濁り、顔色はドス黒く、食事も受け付けない。35歳にして衰え切った体力は、階段すら這って登らねばならない体たらく。なんとかベッドに横になったが、さっそく禁断症状に襲われ…
人はなぜアル中になるのか。アル中か否かは、どうやって判断するのか。アル中の身体は、どうなっているのか。酒が抜けるに従い、アル中には何が起きるのか。なぜアル中は飲み続け、なぜ止められないのか。家族など周囲の者に、アル中はどんな影響を及ぼすのか。そして、支援の手はあるのか。
自らもアル中だった著者が、その体験や心中を吐き出すと共に、自己診断方法・原因を探る学説・症状と治療法などの資料を漁り、多様な視点でアル中を描く、アル中文学の傑作。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
1991年3月、講談社より単行本を刊行。私が読んだのは講談社文庫版、1994年3月15日発行の第1刷。文庫本で本文約281頁に加え、著者の中島らもと山田風太郎の対談「荒唐無稽に命かけます!」が豪華21頁。8ポイント43字×18行×281頁=約217,494字、400字詰め原稿用紙で約544枚。文庫本では普通の厚さ。
文章はこなれていて読みやすい。所々に入るコテコテのギャグも、親しみやすさを生み出している。アル中を医学的に語る部分では多少小難しい話も出てくるが、面倒くさかったら読み飛ばしても構わない。それより、生々しいアル中の生態こそ、この作品の最も美味しい所。
【感想は?】
凄まじい、色々と。だが、これは遠い異国の話じゃない。私たちの隣で起きている事だ。
最初のジャブからして強烈。軽い問診を受け入院が決まった小島、入院までの余った一時間で、いきなり隣の公園でワンカップを開ける。酒で体を壊したのがわかりきってて、これだ。何を考えている?
しかも、いきなり飲み干すわけじゃない。「吐いちまわないだろうか」などと、おっかなびっくりである。どうやら体が酒を受け付けない時もあるらしい。だったら飲まなきゃいいのに。なぜ、そんなにしてまで飲む? 意味わからん。
などと、私たちが勝手に想像するアル中の姿を、これでもかとブチ壊してくれる。酒好きがアル中になるのかと思ったが、そういう事でもないらしい。また、アル中の症状も、私はギャビン・ライアルの名作「深夜プラス1」のガンマン、ハーヴェイ・ロヴェルで刷り込まれたんだが、実際には…
いやもう、実に情けなくみっともない有様で。それを本人は隠し通せると思って何かと誤魔化すんだが、それが余計にみっともないんだよなあ。
とかの、アル中真っ盛りの姿も凄まじいが、そんな小島が入院生活で次第に復調してゆく過程も、これまた人の肉体の凄さが伝わってくる。
中でも私が最も怖かったのは、フケの場面。そんなにしてまで、人体は生きのびようとするものなのか。そんなになってでも、人というのは生きられるものなのか。アルコールとは、そこまで体に負担をかけるものなのか。
一人称の作品とすることで、アル中が何を考えているかも、自嘲的に書いている。その反面、他の人から見たアル中の醜さは、描くのが難しい。これを担当しているのが、同じ病室の福来だ。小島より少し年上だが、小島同様のアル中だ。彼との霊安室の場面は、舞台のせいもあって、鬼気迫るものがある。
そんなアル中に巻き込まれる者も、たまったモンじゃない。
周辺人物として最初に登場するのは、担当医の赤河だ。アル中への恨み憎しみを隠しもせず、口を開けば憎まれ口ばかり。先の福来を見ていると、医師としてアル中の面倒を観にゃならん赤河の気持ちもわかる気がする。掃除する度にゲロを吐かれたら、そりゃやってられないだろう。
そんな風に、小島には敵意も露わに接する赤河だが、妙に名台詞が多いあたりは、著者も医師に感謝してるんだろうか。「抜糸するまで傷は医者のものだ」とか、なんか良くわかんないけど納得してしまう。
赤河と同じく、アル中のトバッチリで苦労し通しなのが、天童寺さやか。公的には小島に雇われた事務係だが、どうやら独身らしい小島が入院したとあって、こまごまとした面倒を見ることに。ハッキリとモノゴトを言い切る性格なのが唯一の救いだが…。 彼女こそ、酒の罪深さを体現した人と言えるだろう。
などと、アル中やそれに関わる者の、行動や心の中を描くと共に、久里浜式アルコール依存症スクリーニンク・テスト(→久里浜医療センター)などの参考資料やアル中の精神病理学など、客観的・学術的な情報も充分に盛り込んである。
とか書くと、なにやら説教臭い本のように思われかねないが、決してそんなことはない。小島と赤河や、三婆との会話、「打ち止めの一発」なんてネタは、らも風のユーモアが詰まっているし、同室となった吉田老夫婦の姿は、病院文学とでも言うべき味わいがある。
長さも手ごろだし、文章も親しみやすい。怖いもの見たさの娯楽作品のつもりで、手に取ってみよう。
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