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2018年9月 9日 (日)

高野秀行「イスラム飲酒紀行」扶桑社

本書はおそらく世界で初めての、イスラム圏における飲酒事情を描いたルポである。ルポというよりは酒飲みの戯言に近いかもしれないが、全てほんとうにあったことだ。
  ――ドーハの悲劇・飲酒篇 序章にかえて カタール・ドーハ

「医者の診断書があれば飲めるんだ。『この病気の治療にはアルコールが必要だ』ってね。医者に金を払ってそれを出してもらう人もいる」
  ――第一章 紛争地帯で酒を求めて パキスタンからアフガニスタンへ

「酒は禁止だから、みんな、家で飲む。ワハハハ」
  ――第三章 秘密警察と酒とチョウザメ イラン

「死体を片付けられねえんだよ」とP先生は伝法な口調で言う。「片付けようとすると仲間だと思われて撃たれるんだ」
  ――第八章 ハッピーランドの大いなる謎 バングラデシュ

【どんな本?】

 「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それを面白おかしく書く」をモットーに、世界中のヘンな所に行ってヘンな事をやらかしヘンな本を書くノンフィクション作家、高野秀行の正体は、ほぼ毎日酒を飲むアル中だった(本人はその一歩手前と主張しているが)。

 世界中をほっつき歩く以上、イスラムの国にも行く。そしてイスラムは酒を禁じている。外国から持ち込むのも難しい。イランなど厳しい国で、酒を持っているのを警官に見つかれば、監獄にブチ込まれる。当然、酒を出す店も売る店もない…筈なのだが。

 酒飲みの執念、恐るべし。それでも著者は酒を求め、街路をさ迷い歩き、あるいは人に尋ね、酒場や酒屋を嗅ぎつける。テロが横行するアフガニスタンで、秘密警察が暗躍するイランで、謎の独立国家ソマリランドで。

 いかにして酒を見つけるか。どんな所でどんな酒を飲んでいるのか。なぜイスラム系の国に酒があり、どんな形で流通しているのか。各国の酒飲みたちは、どんな人なのか。そして、酔って親しみやすくなった地元の人たちは、何を語ってくれるのか。

 辺境作家・高野秀行が、イスラム系の国とそこに住む人をユーモラスに描く、一風変わった紀行文。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2011年6月30日初版第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約283頁に加え、あとがき5頁。10ポイント42字×18行×283頁=約213,948字、400字詰め原稿用紙で約535枚。文庫本なら普通の厚さの一冊分。ただしカラー写真も多いので、実際の文字数は8~9割ぐらい。

 文章はこなれていて親しみやすい。内容も難しくないし、特に前提知識も要らない。「イスラムじゃ酒はご法度」ぐらいを知っていれば充分。国ごとの細かい事情も、文中で説明しているので、地理に疎くても大丈夫。また、肝心の酒についても、私はほとんど飲めないけど充分に楽しめた。酒に詳しい人なら、もっと楽しめるだろう。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、美味しそうな所だけをつまみ食いしてもいい。

  • ドーハの悲劇・飲酒篇 序章にかえて カタール・ドーハ
  • 第一章 紛争地帯で酒を求めて パキスタンからアフガニスタンへ
  • 第二章 酔っぱらい砂漠のオアシス チュニジア
  • 第三章 秘密警察と酒とチョウザメ イラン
  • 第四章 「モザイク国家」でも飲めない? マレーシア
  • 第五章 イスタンブールのゴールデン街 トルコ・イスタンブール
  • 第六章 ムスリムの造る幻の銘酒を求めて シリア
  • 第七章 認められない国で認められない酒を飲む ソマリランド(ソマリア北部)
  • 第八章 ハッピーランドの大いなる謎 バングラデシュ
  • あとがき

【感想は?】

 私はほとんど酒が飲めない。だから旅では少し悔しい思いをする。なんたって、地酒が楽しめないのが悔しい。その分、名物を喰いまくるんだけど。

 そういいう点で、この本はとっても悔しい。だって、この本には酒飲みの楽しみが詰まっているんだから。旅での酒の楽しみは、いろんな酒を味わえるってだけじゃない。酒と肴の組み合わせの妙や、そこにしかない店、そして地元の人と一緒に飲む楽しみだってある。

 この本には、その全てが詰まっている。それだけなら、酒を楽しむ紀行文だ。そこに「イスラム」が絡むと、更に味わいが深くなる。

 なんたって、タテマエじゃ酒が御法度の地域だ。だから、酒を見つけるまでが一苦労。

 おまけに、酒屋を見つけても、まとめ買いができない。というのも、酒を警官に見つかったら、罰金(というより賄賂)で済めば運がいい方で、悪ければ監獄にブチ込まれる。公共交通機関は鬼門だ。空港じゃ税関が荷物を調べるし、バスや列車でも警官の手入れがある。酒を持ち歩くのはヤバいのだ。

 そんなわけだから、行く先々で、著者は酒を求め東に西に駆け巡り、地道に聞き込みを繰り返す。

 この酒にありつくまでの過程が、著者にとっては苦労の連続なんだが、読んでいてとっても楽しい所。なにせタテマエじゃ酒はご法度だ。でもしょせんは人間。ペルシャの詩人オマル・ハイヤームは酒を称えてるし、現代トルコの国父ケマル・アタテュルクは大酒飲み。酒は好きな人は、どこにだっている。

 ということで、イスラム系の国で酒を求めると、自然とそこに住む人のホンネに触れる事になる。

 冒頭のパキスタンからして、私の思い込みを粉々に打ち砕いてくれた。

 なんかパキスタン人って短気でカリカリしてるって印象がある。でも、この本で描かれるパキスタンは、良くも悪くも田舎。ゆるくてのんびりしてる。防弾チョッキと盾を持った警官たちが、原っぱに寝っ転がってる。著者を見ると、気さくに声をかけてくる。珍しいガイジンを見かけたんで、話をしてみたいんだろう。

 つか、なんだよ酒が必要な病気ってw こういうタテマエとホンネの使い分けが、実にイスラムだよなあ。

 が、次のアフガニスタンのカブールでは、民間の旅人ならではの目が光る。

 政府の建物は高い塀に囲まれ、銃を持つ兵士が守っている。まあ、私でもそれぐらいは想像できるとして。意外なのは、役所に表示がないこと。見ただけじゃ、なんの建物かわからないのだ。これは大使館も同じで、国旗も掲げていない。役所だけでなく、外国料理の店も表示なし。

 それほど、テロを警戒しているわけ。こういう点は、地元の人にとっちゃそれが当たり前だから気づかないし、国連軍などの軍人さんや戦場ジャーナリストにとっても「常識的な警戒態勢」だから、やっぱり手記には書かないだろう。能天気な旅人だからこそ、こういう所に気が付く。

 そんな風にヤバい匂いプンプンだってのに、そこはアル中。テロより酒が切れるの方が怖い。ってんでフロント係に尋ねるが…。そうまでして飲みたいかw

 やはりホンネとタテマエの落差が激しいのが、イラン。表向きは革命防衛隊がふんぞり返る宗教国家だ。でもパーレビの頃は鷹揚だったし、歴史的にもオマル・ハイヤームを生み出している。「ホメイニ師の賓客」などで、もしや…と思っていたら、やっぱり。

 なにせ酒は法で禁じられている。日本で言えば大麻みたいな扱いだ。手に入れるには、バイ人と話をつけなきゃいけない。なんとかバイ人を見つけて商談に入ると…。 こんなバイ人、滅多にいるもんじゃないw 酒飲み同士の同志愛ってのもあるんだろうけど、もともとイラン人は人懐っこいんだろうなあ。

 などと、一口にイラン人なんて一まとめにしちゃったけど、それほど単純じゃないってのも、このイラン編から伝わってくる。これはマレーシアもトルコもシリアもバングラデシュも同じで。

 内戦で荒れているシリアの例がわかりやすいだろう。主な勢力としてムスリムじゃスンニ派・アラウィ派、キリスト教はマロン派がいる。イスラム系の国は、こういうモザイク状態が多いみたいだ。といいうより、日本が例外なのかも。

 西洋と東洋の玄関口で歴史的に国際都市なイスタンブールはもちろん、マレーシアはマレー系と中華系の他にポルトガル系やババ・ニョニャやインド商人がいる。バングラデシュじゃ、今話題のロンビギャと逆の立場の…

 まあいい。そんなシリアで、著者が求めるのは、ムスリムのドルーズ派が造るワイン。ムスリムがワインを造るって時点で、なんかオカシイと思うのだが、これが本当にあるから奥が深い。

 なんでこんな事態になったのか。どうも民族や宗教のモザイク状態が関係しているらしい事が、この本を読んでいるとフンワリと伝わってくる。と同時に、中央主権的な近代国家の運営は難しいだろうなあ、って事も。

 なんて難しい事は考えず、アル中が酒を求めて右往左往する姿を笑ってもいいし、苦労の甲斐あって酒にありついた時の喜びを味わってもいいし、各国の酔っぱらいを比べるのも楽しい。いや結局、酔っぱらいはみんな同じ何だけどw

 まあ、アレです。あの高野秀行の本として、くつろいで読みましょう。ただし飲み物を吹き出さないよう気をつけて。

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