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2018年9月の11件の記事

2018年9月30日 (日)

イアン・スチュアート「世界を変えた17の方程式」ソフトバンククリエイティブ 水谷淳訳

本書は、人類の進歩を17の方程式を通じて語った物語である。
  ――なぜ方程式か?

それは、地図製作、航海、測量に必要な幾何学的手法に向けた、重要な第一歩だった。さらに、幾何学と代数学をつなぐきわめて重要な鍵ともなった。
  ――1 カバに乗った女房 ピタゴラスの定理

数学者に使ってもらうための手法を発表するというのは、愉快な仕事である。
  ――2 手順を短くする 対数

概念としてのエネルギーは、物理的なものというよりも、力学の収支を合わせるために都合良く作った虚構である。
  ――3 消えゆく量の亡霊 微積分

ニュートンの重力の法則は、いったい誰が発見したのか?(略)この質問に対する筋の通った答は、王立協会の実験部長ロバート・フックである。
  ――4 世界の体系 ニュートンの重力の法則

人間集団は個人よりも予測可能な形で振る舞う
  ――7 偶然のパターン 正規分布

数学は単純さのもとで成長するものであり、数学者は、さらに複雑な問題に取り組むために、必要となれば恣意的なモデルを作ることもいとわない。
  ――8 良い振動 波動方程式

この分野においてもっとも基本的な最大の問題が未解決のまま残されている。それは、未来永劫に有効であるナヴィエ=ストークス方程式の解が、実際に存在するという数学的保証はあるか、という問題だ。
  ――10 人間の飛翔 ナヴィエ=ストークス方程式

1グラムの物質が持つエネルギーは、原子力発電所1基が1日に生み出す電気におよそ相当する、90テラジュールである。
  ――13 絶対であるのは1つだけ 相対論

自然のバランスは、紛れもなく不安定なのだ。
  ――16 自然のアンバランス カオス理論

カオスから導かれる帰結としてもっとも重要なのが、不規則な振る舞いには必ずしも不規則な原因は必要ないというものである。
  ――16 自然のアンバランス カオス理論

「金融生態系では、進化力は、もっとも適応したものでなく、もっとも太ったものを生存させる」
  ――16 自然のアンバランス カオス理論

【どんな本?】

 中学校で習うピタゴラスの定理 a2 + b2 = c2 から、多くの人が名前だけは知っている相対論の E = mc2、そして現代のコンピュータには欠かせないシャノンの H = Σ p(x) log p(x) まで、私たちの社会と暮らしを変えた17個の方程式について、その歴史と意味、そして応用例を語る、一般向けの数学・科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Seventeen Equations that Changed the World, by Ian Stewart, 2012。日本語版は2013年3月31日初版発行。単行本ハードカバーー横一段組みで本文約406頁に加え、訳者あとがき3頁。9ポイント29字×30行×406頁=約353,220字、400字詰め原稿用紙で約884枚。文庫本なら厚い一冊分ぐらい。

 文章は、一見くだけている。が、実はかなり意味が掴みにくい所がある。細かくは後で述べる。内容も、数学、それも方程式の本だから、遠慮なく数式が出てくるし、後に行くほど式は難しくなる。が、わからなかったら、式を読み飛ばしてもいい。というか、私は大半の式を読み飛ばした。

【構成は?】

 それぞれの章はほぼ独立しているので、好きな所だけを拾い読みしてもいい。

  • なぜ方程式か?
  • 1 カバに乗った女房 ピタゴラスの定理
  • 2 手順を短くする 対数
  • 3 消えゆく量の亡霊 微積分
  • 4 世界の体系 ニュートンの重力の法則
  • 5 理想世界の兆し マイナス1の平方根
  • 6 結び目をめぐる騒ぎ オイラーの多面体の公式
  • 7 偶然のパターン 正規分布
  • 8 良い振動 波動方程式
  • 9 さざ波とパルス フーリエ変換
  • 10 人間の飛翔 ナヴィエ=ストークス方程式
  • 11 エーテルの中の波 マクスウェル方程式
  • 12 法則と無秩序 熱力学の第2法則
  • 13 絶対であるのは1つだけ 相対論
  • 14 量子の不気味さ シュレーディンガー方程式
  • 15 暗号、通信、コンピュータ 情報理論
  • 16 自然のアンバランス カオス理論
  • 17 ミダスの数式 ブラック=ショールズ方程式
  • 次は何か?
  • 注/図の出典/訳者あとがき/索引

【感想は?】

 久しぶりに数学の「おお!」を味わった。巧みなパズルの解き方や、短い優れたプログラムを読み解いた時の感動と似た、あの感覚だ。

 特に印象が強いのが、虚数iを語る「5 理想世界の兆し マイナス1の平方根」。

 私は、虚数の意味を深く考えたことがない。「そういうものだ」で納得して、今までやってきた。複素数は、電気などを扱う際に便利だ(というか、そう聞いている)から、科学・工学の方面で発達したのかと思ったが、全然違った。数学が、虚数を必要としたのだ。

 時は1572年。ラファエル・ボンベリ(→Wikipedia)は、ジェロラモ・カルダーノ(→Wikipedia)の公式に従い、三次方程式 x3 - 15x - 4 = 0 を解こうと試みる。すると、途中でこんな式が出てくる。ちなみに (n)1/2 は n の平方根を、(n)1/3 は n の立法根を表す。

式1 : x = ( 2 + (-121)1/2 )1/3 + ( 2 - (-121)1/2 )1/3

 これは困った。(-121)1/2 って、なんじゃそりゃ。負の数の平方根はあり得ない。ところが、だ。

 この式の途中に出てくる、2 + (-121)1/2 は、( 2 + (-1)1/2 )3 と等しい。嘘だと思ったら試してみるといい。というか、私は試して確かめた。1時間ほどかかったけどw まあいい。

 だから、( 2 + (-121)1/2 )1/3 は、( ( 2 + (-1)1/2 )31/3 だ。三乗して立方根にする無駄を省くと、 2 + (-1)1/2 と書ける。同様に、( 2 - (-121)1/2 )1/3 も、2 - (-1)1/2 と等しい。だから、式1は、こうなる。

式2 : x = ( 2 + (-1)1/2) + ( 2 - (-1)1/2 )

 順番を変えカッコを外すと x = 2 +  2 + (-1)1/2 - (-1)1/2 となる。+ (-1)1/2 - (-1)1/2 を対消滅して消すと、x = 2 + 2 = 4 と解が出る。

 おお、すげえ。計算途中に「負の数の平方根」なんて変なのが現れたが、結果は辻褄があった。もしかしたら「負の数の平方根」って、便利なんじゃね? と考えた数学者たちは、複素数を発展させ、それが後の科学者や工学者たちに福音をもたらすわけです。

 虚数と同じく、なんとなく「そういうものだ」と思っていたのが、微積分。「グラフにした時の接線が微分」みたく、雰囲気で分かったつもりになっていた。この本では「極限」を使って説明しているけど、なんか誤魔化されたような気がするし、他の人にもうまく説明できそうにない。

 とかの、真面目な数学についていけたのは、せいぜい5章まで。以降はみんな「そういうものだ」で数式を読み飛ばした←をい。著者もその辺は了解しているようで、後になるほど式そのものは説明せず、その歴史や応用例の話が中心となる。

 中でも笑っちゃうのが、ジェームズ・クラーク・マクスウェル(→Wikipedia)。かの有名な「マクスウェルの悪魔」の人。変な実験を沢山やったらしいが、その被害者の一人?が猫。

 猫は落ちても巧みに足から着地する。これ、真面目に考えると不思議なのだ。足場がないのに、なぜ体を回せるの? かくして猫は物理学者たちに虐待されることにw 謎が解けたのは1894年、ジュール・マレーが落ちる猫の連続写真を撮った事でケリがつきましたとさ(→Wikipedia)。

 著者もSFが好きらしく、ソッチの面白いネタも出てくる。ただし根は真面目らしく、量子力学で使われるシュレーディンガーの猫のネタも、「古典的」に解釈しいてる。それだけに、「4 世界の体系」に出てくる、「チューブ」の話はワクワクする。

 それは、太陽系内ぐらいのスケールで、宇宙を航行する航路の話だ。例えば小惑星帯で採掘した資源を、地球に運ぶとか。民間の運送会社がやるなら、費用を抑えるため、推進剤は節約したい。古いSFだと、ホーマン軌道(→Wikipedia)が、時間はかかるけど安上がりとされてきた。

 が、実はもっと安上がりな軌道があって、既に実用化されているとか。三体問題で知られるように、重力源が多いと、力学は複雑になる。複雑さが作り出すスキの一つが5個のラグランジュ・ポイントで、このスキを巧みに突くと、ホーマン軌道の1/3程度まで推進剤を節約できるとか。その分、時間も3倍以上かかるんだけど。

 などと、歯ごたえはあるが、楽しいネタも多い本だった。ただ、文章が…

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【文章についての愚痴】

 これは翻訳の問題じゃないかって気がする。いや原書を読んでないので、本当のところはわからないんだけど。たぶん、原文を忠実に日本語に移そうとして、かえって意味が読み取りにくくなってるんだろう。例えば、こんな文章だ。

情報時代を賛美する主張のなかでは無視されている不都合な真実として、インターネットを行き交っている情報の大半は間違っている。
  ――15 暗号、通信、コンピュータ 情報理論

 なんとなく、言いたい事は通じる。こういう事を言いたいんだろう。

情報時代を賛美する主張は多い。だが、それらの主張は、不都合な真実を無視している。インターネット上の情報は、大半が間違っているのだ。

 つまり、こう言いたいのだ。ネットには間違いやデマが溢れている、と。

 やはり分かりづらいのが、最初の「なぜ方程式か?」に出てくるから厳しい。

…方程式には2種類あり(略)
1種類はさまざまな数量のあいだの関係を表しており、その方程式が真であることを証明するのが課題となる。
もう1種類は未知の量に関する情報を与えるもので、数学者の課題はそれを解くこと、つまり未知の量を既知にすることである。

 これ、私は意味が分からなかった。最後の「訳者あとがき」で、やっと意味が分かった。

 後者は、科学や工学の式だ。例えば E = mc2。E はエネルギーで、m は質量、c は光速。それぞれ、現実にある(と科学者や工学者が思っている)何かを表している。

 対して前者は、対数・微積分・虚数だろう。純粋数学の問題だ。この式に出てくる x や y は、「任意の数」であり、特に意味はない。ソレに何を当てはめるかは、使う人が決める。いや別に使われなくてもいい。数学者が面白いと感じる研究テーマなら、それで充分に価値がある。

 など、文句ばかり言っちゃったが、先に書いた虚数の話とかは、やたら感動したのだ。紙に数式を書いて等号でつないでいくなんて作業、ほんと久しぶりにやったなあ。脳みその錆びつき具合を実感した一時間だったw

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2018年9月26日 (水)

中島らも「今夜、すべてのバーで」講談社文庫

おれがアル中の資料をむさぼるように読んだのは結局のところ、「まだ飲める」ことを確認するためだった。
  ――p47

アル中の問題は、基本的には「好き嫌い」の問題ではない。(略)アル中になるのは、酒を「道具」として考える人間だ。
  ――p51

中毒者でないものが薬物に関して発言するとき、それは「モラル」の領域を踏み越えることができない。
  ――p127

アル中の要因は、あり余る「時間」だ。
  ――p131

「教養」とは学歴のことではなく、「一人で時間をつぶせる技術」のことである。
  ――p132

「今の日本じゃ、酒は水か空気みたいなもんだ。どこへ行っても目の前にあるんだ。そんなところで断酒なんかができるかね」
  ――p200

「痛みや苦しみのない人間がいたら、ここへ連れてこい。脳を手術してやる」
  ――p229

【どんな本?】

 エッセイ・劇作・放送作家など様々な分野で活躍した中島らもが、酒に憑かれたアル中の生態と、その周囲の人々を描く、アル中小説。

 主人公は35歳の小島容。毎日のように朝から晩まで飲み続けた挙句、体を壊して入院する羽目になる。目は黄色く濁り、顔色はドス黒く、食事も受け付けない。35歳にして衰え切った体力は、階段すら這って登らねばならない体たらく。なんとかベッドに横になったが、さっそく禁断症状に襲われ…

 人はなぜアル中になるのか。アル中か否かは、どうやって判断するのか。アル中の身体は、どうなっているのか。酒が抜けるに従い、アル中には何が起きるのか。なぜアル中は飲み続け、なぜ止められないのか。家族など周囲の者に、アル中はどんな影響を及ぼすのか。そして、支援の手はあるのか。

 自らもアル中だった著者が、その体験や心中を吐き出すと共に、自己診断方法・原因を探る学説・症状と治療法などの資料を漁り、多様な視点でアル中を描く、アル中文学の傑作。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 1991年3月、講談社より単行本を刊行。私が読んだのは講談社文庫版、1994年3月15日発行の第1刷。文庫本で本文約281頁に加え、著者の中島らもと山田風太郎の対談「荒唐無稽に命かけます!」が豪華21頁。8ポイント43字×18行×281頁=約217,494字、400字詰め原稿用紙で約544枚。文庫本では普通の厚さ。

 文章はこなれていて読みやすい。所々に入るコテコテのギャグも、親しみやすさを生み出している。アル中を医学的に語る部分では多少小難しい話も出てくるが、面倒くさかったら読み飛ばしても構わない。それより、生々しいアル中の生態こそ、この作品の最も美味しい所。

【感想は?】

 凄まじい、色々と。だが、これは遠い異国の話じゃない。私たちの隣で起きている事だ。

 最初のジャブからして強烈。軽い問診を受け入院が決まった小島、入院までの余った一時間で、いきなり隣の公園でワンカップを開ける。酒で体を壊したのがわかりきってて、これだ。何を考えている?

 しかも、いきなり飲み干すわけじゃない。「吐いちまわないだろうか」などと、おっかなびっくりである。どうやら体が酒を受け付けない時もあるらしい。だったら飲まなきゃいいのに。なぜ、そんなにしてまで飲む? 意味わからん。

 などと、私たちが勝手に想像するアル中の姿を、これでもかとブチ壊してくれる。酒好きがアル中になるのかと思ったが、そういう事でもないらしい。また、アル中の症状も、私はギャビン・ライアルの名作「深夜プラス1」のガンマン、ハーヴェイ・ロヴェルで刷り込まれたんだが、実際には…

 いやもう、実に情けなくみっともない有様で。それを本人は隠し通せると思って何かと誤魔化すんだが、それが余計にみっともないんだよなあ。

 とかの、アル中真っ盛りの姿も凄まじいが、そんな小島が入院生活で次第に復調してゆく過程も、これまた人の肉体の凄さが伝わってくる。

 中でも私が最も怖かったのは、フケの場面。そんなにしてまで、人体は生きのびようとするものなのか。そんなになってでも、人というのは生きられるものなのか。アルコールとは、そこまで体に負担をかけるものなのか。

 一人称の作品とすることで、アル中が何を考えているかも、自嘲的に書いている。その反面、他の人から見たアル中の醜さは、描くのが難しい。これを担当しているのが、同じ病室の福来だ。小島より少し年上だが、小島同様のアル中だ。彼との霊安室の場面は、舞台のせいもあって、鬼気迫るものがある。

 そんなアル中に巻き込まれる者も、たまったモンじゃない。

 周辺人物として最初に登場するのは、担当医の赤河だ。アル中への恨み憎しみを隠しもせず、口を開けば憎まれ口ばかり。先の福来を見ていると、医師としてアル中の面倒を観にゃならん赤河の気持ちもわかる気がする。掃除する度にゲロを吐かれたら、そりゃやってられないだろう。

 そんな風に、小島には敵意も露わに接する赤河だが、妙に名台詞が多いあたりは、著者も医師に感謝してるんだろうか。「抜糸するまで傷は医者のものだ」とか、なんか良くわかんないけど納得してしまう。

 赤河と同じく、アル中のトバッチリで苦労し通しなのが、天童寺さやか。公的には小島に雇われた事務係だが、どうやら独身らしい小島が入院したとあって、こまごまとした面倒を見ることに。ハッキリとモノゴトを言い切る性格なのが唯一の救いだが…。 彼女こそ、酒の罪深さを体現した人と言えるだろう。

 などと、アル中やそれに関わる者の、行動や心の中を描くと共に、久里浜式アルコール依存症スクリーニンク・テスト(→久里浜医療センター)などの参考資料やアル中の精神病理学など、客観的・学術的な情報も充分に盛り込んである。

 とか書くと、なにやら説教臭い本のように思われかねないが、決してそんなことはない。小島と赤河や、三婆との会話、「打ち止めの一発」なんてネタは、らも風のユーモアが詰まっているし、同室となった吉田老夫婦の姿は、病院文学とでも言うべき味わいがある。

 長さも手ごろだし、文章も親しみやすい。怖いもの見たさの娯楽作品のつもりで、手に取ってみよう。

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2018年9月25日 (火)

J・D・ヴァンス「ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち」光文社 関根光宏・山田文訳

本書は、私の人生の偽りのない物語である。自分自身に見切りをつけようとしたときに、どう感じるのか、なぜそうせざるをえないのかを、多くの人に知ってほしい。本書を通して、貧しい人たちの生活がどういうものなのか、精神的・物質的貧困が子どもたちの心理にどれだけ影響を及ぼすのかを伝えたい。
  ――はじめに

1970年には、白人の子どもの25%が、貧困率10%以上の地域に住んでいた。それが2000年には白人の子どもの40%にまで上昇した。
  ――第4章 スラム化する郊外

ギャラップ(世論調査会社)の最近の調査では、南部と中西部の人たちの礼拝参加率は、国内最高だと報告されていた。ところが実際には、南部の住民で礼拝に参加している人はとても少ないのである。
  ――第6章 次々と変わる父親たち

「自分の選択なんて意味がないという思い込みを変えたいです」
  ――第10章 海兵隊での日々

じつは、ミドルタウンの住民がオバマを受け入れない理由は、肌の色とは全く関係がない。
  ――第11章 白人労働者がオバマを嫌う理由

ニューヨーク・タイムズ紙が最近報じたところによれば、学費が高いとされている大学のほうが、低収入の学生にとっては、かえって安くあがるという。
  ――第12章 イェール大学ロースクールの変わり種

3人とも、信頼できる家族がいた。そして、お手本となる人物(友人の父親、おじ、職場の助言者)から、人生の選択肢や自分の可能性を教えてもらったのである。
  ――第15章 何がヒルビリーを救うのか?

【どんな本?】

 ドナルド・トランプ大統領の誕生で話題を呼んだ、貧しい家庭から身を興した男の半生記。

 著者 J.D.ヴァンスは、アパラチア山脈沿いの貧しい白人家庭に生まれる。母は看護師だったが、離婚と結婚を繰り返し、ドラッグにも手を出す。家庭環境は劣悪ながら、著者は結束の固い一族に囲まれて育つ。その中心には、気性も言葉遣いも荒いながら、芯が強く愛情にあふれた祖母がいた。

 海兵隊への入隊をきっかけに、自らの人生を考え始めた著者は、大学へ進み、更にイェール大学ロースクールに入りエリートの世界へと足を踏み入れる。

 田舎の白人労働者の世界と、都市に住むエリートである法律家の世界。双方を自らの身で体験した著者が、トランプを支持する貧しい白人たちの社会と、その気持ちを綴り、貧しい家庭の若者や子どもたちを救う手立てを探る、特異なノンフィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Hillbilly Elegy : A Memoir of a Family and Culture in Crisis, by J. D. Vance, 2016。日本語版は2017年3月20日初版1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約385頁に加え、渡辺由佳里の解説が豪華13頁。10ポイント42字×16行×385頁=約258,720字、400字詰め原稿用紙で約647枚。文庫本なら少し厚い一冊分ぐらい。

 文章はこなれていて親しみやすい。内容もわかりやすい。文字が大きめの10ポイントなのも、老眼が進みつつある私には嬉しかった。

【構成は?】

 だいたい時系列に進むので、素直に頭から読もう。

  • はじめに
  • 第1章 アパラチア 貧困という故郷
    崇拝すべき男たち、避けられる不都合な事実
  • 第2章 中流に移住したヒルビリーたち
    1950年代、工場とそして豊かさを求めて
  • 第3章 追いかけてくる貧困、壊れ始めた家族
    暴力、アルコール、薬物 場違いな白人たち
  • 第4章 スラム化する郊外
    現実を見ない住民たち
  • 第5章 家族の中の、果てしない諍い
    下がる成績、不健康な子どもたち
  • 第6章 次々と変わる父親たち
    そして、実の父親との再会
  • 第7章 支えてくれた祖父の死
    悪化する母の薬物依存、失われた逃げ場
  • 第8章 狼に育てられる子どもたち
    生徒をむしばむ家庭生活
  • 第9章 私を変えた祖母との3年間
    安定した日々、与えてくれた希望
  • 第10章 海兵隊での日々
    学習性無力感からの脱出
  • 第11章 白人労働者がオバマを嫌う理由
    オハイオ州立大学入学で見えてきたこと
  • 第12章 イェール大学ロースクールの変わり種
    エリートの世界で感じた葛藤と、自分の気質
  • 第13章 裕福な人たちは何を持っているのか?
    成功者たちの社会習慣、ルールの違うゲーム
  • 第14章 自分の中の怪物との闘い
    逆境的児童期体験(ACE)
  • 第15章 何がヒルビリーを救うのか?
    本当の問題は家庭内で起こっている
  • おわりに/謝辞/原注/解説

【感想は?】

 もうひとつの「ルーツ」。

 世間じゃこの本はトランプ大統領の支持層の実態が云々とか言われている。が、本書の7割はそんな政治的な話じゃない。成り上がった男の半生記だ。

 読み始めて最初に驚くのが、彼を取り巻く一族の歴史だ。歴史の中身もさることながら、それ以上に、若い著者が一族の歴史に詳しい事にびっくりする。半ば親代わりの祖父母はもちろん、その祖父母の物語まで、著者はよく知っていたり。これらを、著者が幼い頃に親戚の男たちから聞いている。

 こういう点で、著者は「普通のヒルビリー」じゃないと思う。祖父の祖父にまで遡って自分の一族を語れる人が、どれほどいるだろう?

 一族の出自を、著者はスコッツ=アイリッシュと呼ぶ。元はスコットランドのプロテスタントで、アイルランドのアルスター地方、今の北アイルランドに移り住み、その後アメリカに来た人たちだ。一族を大切にして、身内の揉め事は身内でカタをつける。

 ちょっと皮肉に感じたのは、こういう気性や文化が、「ゴッドファーザー」などが描くイタリー系とよく似ていること。マフィア物だと、主役のイタリー系の敵方としてアイリッシュ系は登場する。アイリッシュは警官が多いのもあるだろうが、イタリー系同様、遅れて新天地アメリカに来たのも似ている。

 まあいい。往々にして親戚づきあいはウザいものだが、子どもにとっては世界を広げる格好の窓になる。この本でも、祖父母の兄弟姉妹や、父母の兄弟姉妹、そしてその配偶者などを通して、幼い著者は社会の様々な側面に触れてゆく。

 終盤、ロースクールで学ぶ中で、著者は「社会関係資本」の大切さを語っている。何やら偉そうな言葉だが、要はコネ。と言っても、他の偉い人に口をきいてくれるとか、そういう事ばかりじゃない。

 例えば著者の恋人ウシャだ。ええトコのお嬢さんであるウシャは、教授と仲良くなるコツを教えてくれる。そして仲良くなった教授からは、志望する職に就くために役立つ実習は何か、具体的で的確なアドバイスを受ける。こういう、ちょっとした助言を貰えるのも、コネの有難さだ。

 そういう事を考えると、実は幼い頃の著者も、けっこう豊かな「社会関係資本」を持っていたことが見えてくる。つまり祖母を中心とした、オジサン・オバサン・いとこ・またいとこ、そういった親戚との関係だ。中には裏庭でマリファナを育ててるような変な人もいるけど。

 そんな中で、最も存在感が大きいのは、もちろん祖母のボニー・ヴァンス。鼻っ柱の強い典型的な南部女で、12歳の時に牛泥棒を殺しかけ、13歳で駆け落ちする。次々と男を乗り換える母親と暮らす孫=著者を心配し、時にはケンカのコツを教える。

 彼女を主人公としたファミリー・ドラマを作ったら、きっと大当たりするだろう。波乱万丈の生涯の中で、常に感情を偽らず、言いたいことは遠慮なく口に出す。台詞は放送禁止用語満載になるけど、だからこそ彼女の啖呵はとても気持ちいい。「自分が同性愛者ではないか」と怯える幼い著者に、彼女が与えるアドバイスなどは、思わず膝を叩いて大笑いしてしまった。

 などと、本書の全体を通じて、著者が抱える一族、特に祖母への深い愛情が伝わってくる。

 それに対し、児童保護サービスなど政府が子どもに提供するサービスには、強い失望と疑念が流れている。特に印象的なのは、彼がセラピストと対面する場面だ。不安定な環境で育った者は、他人を警戒して、得体の知れない初対面の相手に本当のことを話したりしない。それでも、彼らの一方的な決めつけに著者がキチンと抗議できたのは、やはり祖母の影響が大きいんだろう。

 政治的な読み物として話題になったし、そういう部分も確かに多い。ヒルビリーと呼ばれる貧乏白人に焦点を当てた本だから、アメリカだけの話だと思い込みそうだが、実は日本でも似たような環境は沢山ある。というのも。

 著者が育った町は、かつて鉄鋼産業で潤い、周辺から労働者が集まって栄えた。だが製造業が衰えるとともに仕事も減り、地域全体が貧しくなった。夕張に代表されるように、「かつては栄えたが今は衰えた」町は珍しくない。そう考えれば、日本にも、著者と同じような境遇にはまり込む子どもや若者は多いのだ。

 などと高尚な事を考えてもいいが、それ以上に、鉄火娘のボニー・ヴァンスをめぐる人々のファミリー・ドラマとして面白い。あまり構えず、「僕が大好きなお婆ちゃんの思い出話」として楽しんでもいい。成功者の半生記だが、説教めいた雰囲気はほとんどない。ドラマを観るつもりで気楽に読んでも楽しめる本だ。

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2018年9月24日 (月)

ピーター・トライアス「メカ・サムライ・エンパイア」新☆ハヤカワSFシリーズ 中原尚哉訳

「軍や警察が出てきたら、こちらは後退しましょう」
「出てこなかったら?」
範子は微笑んだ。
「好都合です」
  ――p86

「僕の死に場所はメカのなかだ」
  ――p91

「私たちは本音を話せない。みんなそうよ」
  ――p141

「久地樂といえば史上最高のメカパイロットの名だ」
「いいや、二番やな」
  ――p242

【どんな本?】

 前作「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン」で大旋風を巻き起こし、2017年の第48回星雲賞海外長編部門をもぎ取ったアメリカの新鋭SF作家ピーター・トライアスによる、同シリーズの続編。

 第二次世界大戦で日本とドイツが勝った世界。北米大陸は日本が西海岸を、ドイツが東海岸を支配する。表向きは友好的に振る舞う両国だが、互いに相手のスきを窺っていた。

 1994年冬。マックこと不二本誠は、1984年のサンディエゴの戦いで両親を喪う。数か月後の高校卒業の後は、母と同じメカパイロットになるのが将来の希望だ。

 目指すバークリー陸軍士官学校は狭き門で、特に筆記試験が覚束ない。唯一の希望は模擬戦試験で、そのため電卓ゲームで日々腕を磨いている。そんなある日、友人の菊池秀記が妙な話を持ちかけてきたが…

 「USJ」同様、偽善に満ち抑圧的な社会背景はそのままながら、バラエティ豊かなメカと得物をふんだんに盛り込んだ派手なメカ・バトルを散りばめつつ、メカ乗りの若者たちの戦いを描く、青春ロボット・アクションSF長編。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Mecha Samurai Empire, by Peter Tieryas, 2018.9.18。日本語版は2018年4月25日に文庫本と同時に発行。日本語版が先に出たのだ、わはは。新書版で縦二段組み本文約428頁に加え、堺三保の解説5頁。9ポイント24字×17行×2段×428頁=約349,248字、400字詰め原稿用紙で約874枚。文庫本では上下巻で出ている。

 文章はこなれているし、訳者の工夫か独特のノリがあって、心地よく読める。舞台はお馴染みのUSJ世界だが、前作を読んでなくても充分に入っていける。表紙で分かるように巨大ロボットが大暴れする話なので、そういうガジェットは満載。

【感想は?】

 学園スーパーロボット大戦。

 ゲーム屋のオッサンが主人公だった前作に対し、今回の主人公マックこと不二本誠は、メカ・パイロットに憧れる高校三年生。主人公だけでなく、彼を囲む者も、同年代の若者たちだ。

 そのためか、物語全体に活気がほとばしると共に、若者らしい真っすぐな気持ちも満ち溢れている。もちろん、彼らを取り巻く社会はお馴染みのUSJ世界なために、努力や実力が素直に認められるほど単純じゃない。マックの育ちからして、この世界の矛盾を嫌というほど読者に突きつけてくる。

 あーゆー社会だけに、権力の暴走には歯止めが効かない。さすがに上層部の動きまでは高校生ごときには分からない。だが、教師や軍人などの身近な「権力者」の理不尽な横暴は、後ろ盾がなく立場の弱い高校生だけに、容赦なくわが身に降りかかってくるし、否応なく社会の歪みを感じさせるところ。

 こういうシンドい状況に置かれながらも、メカ・パイロットになる夢は捨てきれないのが誠の主人公らしさ。

 右往左往しながらも、なんとかパイロットになろうと苦闘する彼の周囲にも、パイロット志望の若者たちが集まってきて。この面々が、これまた実に青春アクションらしく個性豊かで面白い奴ら。舞台設定が暗く残酷なだけに、若きパイロットたちの生きざまが清々しい。

 私が最も気に入ったのが、最初に登場する橘範子ちゃん。名家の出て成績も優秀。リーダーシップもあり、人望も厚い。どう見てもエリートの卵でありながら、「その他大勢」に属する誠への態度も丁寧。完全無欠の完璧超人かと思いきや、最初の戦闘では意外な側面を見せ…

 いいなあ、こういう性格w 身近にいたら、仲良くしたいと思いつつも、底知れなさが少々怖かったりするけどw でも何故かメイン・ヒロインじゃないんだよなあ。

 やはり強い印象を残すのが、RAMDETの同僚となるスパイダー。オッサンである。ベテランらしく、パイロットに必要な技術や知識だけでなく、軍の裏側もよく知っていて、それを鼻にもかけず親切に教えてくれる。古参の軍曹が同僚になってくれたようなもんで、実に頼りになる人。なんだけど…

 スパイダー同様、頼れる同僚が千衛子。範子と同様、パイロットとしての腕は絶品ながら、育ちはアレな所が親しみやすい。レスリングの経験もあり、接近戦では優れたセンスを見せるものの、お気に入りの得物は…。なんじゃそりゃw

 そう、この作品のロボット物としての面白さは、出てくるロボットと得物のバラエティが豊かなこと。どういうわけか飛び道具はあまり活躍せず、接近戦用の得物が異様に発達している。これがパイロットのアクの強い性格と相まって、各ロボットの個性をクッキリと際立たせる。

 こういう所がスーパーロボット大戦的で、好きな人には実にワクワクする。中でも意外なのが、終盤に登場する五虎の筆頭、カズ。いかにもリーダーらしく実力と人格を備えた正統派のヒーロー然としたお方なのに、得物はどうみてもイロモノw それをちゃんと使いこなすあたりが、リーダーなんだろうw

 この五虎が揃って戦う場面は、得物のバラエティもあって、まさしくスーパーロボット大戦。もっとも私は五人って所でガンダムWを想像したけど、そこは各自お好きなものを思い浮かべよう。

 そして、私のご贔屓の範子ちゃんを差し置いてメイン・ヒロインを務めるのが、グリゼルダ・ベリンガー。ドイツからの交換留学生。日本とドイツが睨み合う世界なだけに、彼女の立場も複雑で。ガンダム・シリーズだと、最も人気の高いヒロインの彼女かなあ。

 敵となるドイツのバイオメカも、バラエティが豊かなだけでなく、敵らしく気色悪いあたりが、実によくわかっていらっしゃる。終盤で明らかになる気色悪さの正体も、これまた想像を絶するもので。

 アチコチに散りばめられた漫画・アニメ・ゲーム関係のイースター・エッグも楽しいし、アフリカやアフガニスタンなどUSJワールドの世界情勢も面白い。何よりタップり詰まったロボット・バトルが熱く、勢いは前作の三倍増し。理屈抜きで楽しめる娯楽アクション作品だ。

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2018年9月21日 (金)

小倉貞男「物語 ヴェトナムの歴史 一億人国家のダイナミズム」中公新書

ヴェトナムの歴史は、アジアの国際関係史である。この関係史はAとB、二つの軸を形成している。A軸は中国との対立と交渉の関係史だった。(略)B軸はヴェトナムと東南アジアモンスーン地帯の諸民族との関係史である。
  ――序章 ヴェトナムとインドシナ

1797年、アン・エンが死ぬと、むすこのアン・チャンが継いで、1806年、父と同じくバンコクで即位した。これよりカンボジア国王はタイで即位して、ヴェトナムには朝貢するというしきたりになった。
  ――第3章 南進の時代・国際社会との出会い 全土統一 ジャロン(嘉隆)の物語

フランスの武力制圧に抵抗した知識人たちのゲリラ闘争による勤王運動は、フランスの近代的な軍備によって圧倒されたが、この過程に二つの動きが生まれた。
一つはフランスの支配を打ち破るためにゲリラ闘争から組織闘争へ、地域的闘争から民族独立の旗を掲げた国民的闘争への発展を目指す動きである。(略)
第二は反仏抵抗運動の目標がグエン王朝へも向けられるようになった点である。
  ――第4章 フランス植民地時代 民族革命 ファン・ボイ・チャウ(潘佩珠)の物語

ホ・チ・ミン「わたしをレーニンや第三インターナショナルへの信頼に導いたのは、はじめは愛国心であって共産主義ではなかった」
  ――第4章 フランス植民地時代 独立 ホ・チ・ミン(胡志明)の物語

【どんな本?】

 20世紀の独立闘争では驚異的な粘り強さを見せてフランスに次ぎ超大国のアメリカまでも撤退に追い込み、ソ連と中国の両共産主義大国の間で巧みにバランスを取って独自性を保ち、21世紀に入ってからはドイモイ政策による経済成長が期待されるヴェトナム。

 その異様な粘り強さ・優れたバランス感覚そして経済成長の土台は、いかにして築かれたのか。東西に長く起伏に富み海に面した地形と、温かく水に恵まれた気候は、どんな文化や社会を育んだのか。中国・タイ・カンボジアなど近隣諸国とは、どんな関係を持ってきたのか。

 紀元前にまで遡るヴェトナムの歴史を、親しみやすい物語風味で綴る、一般向けの歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 1997年7月25日発行。新書版で縦一段組み、本文約357頁に加え、あとがき2頁。9ポイント43字×17行×357頁=約260,967字、400字詰め原稿用紙で約653枚。文庫本なら少し厚めぐらいになる文字量。

 文章はこなれている方だろう。ただ、私は少々手こずった。最大の原因は、ヴェトナム人の名前だ。聞きなれない言葉な上に、似たような名前がたくさん出てくる。目次を見ても、グエンさんばっかりだし。

 内容は王や軍人などの有名な人物を中心として進むので、お話として親しみやすい。その反面、技術・産業・経済・文化などは軽く触れるにとどまっている。また、多民族国家ではあるものの、登場するのは最大多数を占めるキン族が中心であり、キン族視点で話が進む。

*たぶん、これはヴェトナム語に六つの音調(→Wikipedia)があるからだろう。ヴェトナム語だと音調で区別がつく言葉も、カタカナだと同じになって区別がつかなくなってしまう。

【構成は?】

 原則として時系列順に進むので、なるべく頭から読もう。

  • 序章 ヴェトナムとインドシナ
    • ヴェトナムの誕生
      「ヴィェトナム」/「大南」を名乗る/A・B軸の国際関係/友誼関と鎮南関
  • 第1章 中国支配の時代
    • 建国 フン・ヴォン(雄王)の物語
      雄王の祭り/ヴェトナム人はどこから来たか/インドシナ文化の発祥/ホアビン洞窟文化/ドンソン青銅器文化
    • 悲劇の抵抗 チュン(微)姉妹の物語
      南越王国・趙佗の反抗/中国の支配はじまる/漢の行政組織/漢字の導入/不正・残酷・貪欲/漢の同化政策/ハイ・バ・チュンの反乱/チュウ夫人の反乱/あいつぐ反乱/阿倍仲麻呂の鎮圧/ナムチャウ(南詔の征服)/龍神とカオ・ビエン(高駢)の物語
  • 第2章 独立そして国のかたち
    • 勇将 リ・トン・キエト(李常傑)の物語
      中国派vsヴェトナム派/ゴ・グエン(呉権)、バクダン(白藤)江決戦の奇略/ヴェトナムの独立・ゴ朝の樹立/かわうそディン・ボ・リン(丁部領)の物語/ディン・ボ・リンが主導権を握る/国号は「ダイコヴィェト」(大瞿越)/レ・ホアン(黎桓)、宋軍をバクダン江で破る/勇将リ・トン・キエト(李常傑)の戦い/「南の国の山河は南の帝王が支配するところ」/はじめての中央集権国家
    • 救国 チャン・クォック・トアン(陳国峻)の物語
      元軍の三度の侵攻・国難の時代/興道王チャン・クォック・トアンが全軍総指揮官/チャン・クォック・トアン、バクダン江で元軍を破る
    • ヴェトナムの国のかたち
      「リ・チャン(李陳)時代」/皇帝の出身は族長、漁民……/国王と農民/「民衆の力が国を救う」/堤防の建設を重視/仏教の普及発展/インド人僧と美しいむすめの物語/超能力の信仰/禅を学んだチャン・タイ・トン帝/儒教グループの攻撃
    • 国民詩人グエン・チャイ(阮廌)の物語
      天下大いに乱れる/ホ・クィ・リ(胡季犛)の改革/「わが子よ、国のために恥をそそぎ」……/明の併合と同化政策/レ・ロイとグエン・チャイの蜂起/レ・ロイの救国の戦い/降伏した明軍を丁重に送り返す/「明を撃破して国民に告げる書」/グエン・チャイの非業の死
    • 光輝 レ・タイン・トン(黎聖宗)の物語
      光順中興・もっとも輝かしい時代/チャンパ王国への遠征/全国の秀才集まれ/三年・六年ごとの人口調査/民事重視のホン・ドゥック(洪徳)律例/「公田制度」の整備/「竹垣の中には皇帝の威令もとどかない」/村を管理するのは「長老評議会」/「水田は皇帝に属し、寺は村に属する」/いろいろな顔をもった村落への発展
  • 第3章 南進の時代・国際社会との出会い
    • ダイナミックなインドシナ半島の国家形成
      「ブナム」の出現/「チャンパ」の台頭/交易国家チャンパ/チャムの宗教建築美術/チャム人とサヒン文化/「カンブジア」の建国/タイ族の南下
    • 南北挟み撃ちのヴェトナム
      チャンパとの攻防/カンボジア、ラオからの侵攻/「守りに弱い」国のかたち
    • 国民英雄 グエン・フエ(阮恵)の物語
      南北抗争時代/マック氏の権力奪取/マック氏の降伏/チン・グエン(鄭・阮)200年戦争/農村危機を招く/反乱あいつぐ/「広南グエン氏」の乱脈/タイソン(西山)の三兄弟/シャム軍を撃退/清軍の侵攻を破る/グエン・フエの功績
    • 全土統一 ジャロン(嘉隆)の物語
      広南グエン氏のカンボジア領土併合/アドラン司教とヴェルサイユ条約/グエン・フック・アインの反抗
    • 佳人悲しや キン・ヴァン・キェウの物語
      「きみいつ帰るかのときに、桃花咲くころと答えしに」/波乱万丈の女の悲しい一生/ヴェトナム詩の独特のスタイル/チョノム(字喃)は民族のこころ/グエン・ズゥ(阮攸)の生涯/権力の腐敗への憤り/アレクサンドル・ドゥロード
  • 第4章 フランス植民地時代
    • 悲憤 ファン・タイ・ジャン(潘清簡)の物語
      レ・ヴァン・ズエット副王の物語/第二代ミンマン帝の復讐/キリスト教を徹底的に弾圧/フランス軍艦がダナン砲撃/全国統一の実態/ファン・タイ・ジャンの登用/コーチシナの武力併合・東部三省と西部三省/悲劇のファン・タイ・ジャン/「条約に調印するか、王位を譲るか」 カンボジアを保護国に/悲惨な町や村の実情
    • 抵抗 ファン・ディン・フン(潘廷逢)の物語
      グエン・チ・フオン(阮知方)の憤死/トンキン、アンナム、コーチシナ/アンナム、トンキンが保護領に/反仏強硬派グエン・ヴァン・トゥオンとトン・タト・テュエット/中国世界からインドシナ連邦へ/いまも紛争が続く国境問題/絶望 ハムギ帝の抵抗/カイヴオン(勤王)の激/ファン・ディン・フン起つ/ファン・ディン・フンの最後/長期戦 ホアン・ホア・タム(黄花探)/北部のレジスタンス運動/南部 チュオン・コン・ディンの戦い/「祖国の解放を目指す熱望は消え去ることはなく……」/「刀で戦闘艦に立ち向かう」
    • 民族革命 ファン・ボイ・チャウ(潘佩珠)の物語
      独裁者総督ポウル・ドウメ/クォックグの採用/ドウメの悪税/ドウメの土地奪い/ファン・ボイ・チャウ(潘佩珠)は日本へ向かう/「東風一陣、爽快な一事件が起こる」/ファン・ボイ・チャウの東遊運動/ファン・ボイ・チャウの失意/ファン・ボイ・チャウ逮捕される/「ヴェトナム国に政府があるとでもいうのですか」/ファン・チャウ・チン(潘周楨)のフエ政府攻撃/「陛下、わたしはあなたとの闘争を宣言します」/国民党グエン・タイ・ホック(阮太学)の壮絶な死
    • 独立 ホ・チ・ミン(胡志明)の物語
      グエン・アイ・クォック(阮愛国)の大団結/フランスへの旅/「ヴェトナムに自由を……」/「コーディネーター」グエン・アイ・クォック/ゲティン・ソヴィエト/グエン・アイ・クォックに死刑宣告/第二次世界大戦の勃発/日本軍のインドシナ進駐/ヴェトミン(ヴェトナム独立同盟)の結成/「ホ・チ・ミン」とはじめて名乗る/ホ・チ・ミンが一斉蜂起を指令/日本軍が明号作戦・フランス軍を封じ込め/ヴェトミンが権力奪取/ヴェトナムの独立宣言/ホ・チ・ミンの遺言/ドイ・モイ(刷新)政策の発展/バック・ホとヴェトナムの「むら社会」
  • あとがき/主な参考文献/ヴェトナム年表/主な人物データ

【感想は?】

 キン族視点と書いた。それも、今のハノイ周辺の、紅河流域に栄えた王朝の視点が多い。

 ヴェトナム戦争では南北に分かれた国だが、歴史的には三つの地域に分かれるようだ。北部の紅河流域、ダナンやフエなどの中部、そして南のホチミンなどメコン川流域。

 北の紅河流域から始まるためか、やはり中国の影響が大きい。なんたって朝貢国だし。ヴェトナムって国名も、中国の許しを受けてのことだ。建国の王、フン・ヴォン(雄王)も、中国の炎帝新農氏に連なる。

 俗説じゃ雄王による文朗国の建国は「三千年前とか四千年前」と古い。これから18代の王が続いたことになっている。が、「計算だと、フン・ヴォン一代が平均して146年君臨しなければならないことになる」なんてあたりは、我が国と同じだね。

 とはいえ、三国志の時代になって歴史に登場する日本と異なり、ヴェトナムは漢の時代に中国の支配下に入ってしまう。文明化された以降の歴史の長さは、ヴェトナムの方が長いらしい。

 産業としては、その頃からヴェトナムは水田の二期作が出来たのは羨ましい。もっとも水田は治水が大切で、これは以降の支配者たちにとっても、水田の管理は国家権力の基礎体力となる重要な問題で、これを疎かにした王朝は次第に衰えてゆく。

 漢の支配下に入って以降、ヴェトナムでは独立を求める抵抗運動が延々と続く。アメリカが苦戦したのも当たり前で、ヴェトナム人は筋金入りのゲリラ戦士なのだ。日本の元寇で有名な元の侵攻に対しても…

元軍は大軍ながら、全土を支配するために勢力を分散させており、各地の保塁の防衛体制が強固ではない配置を見てとったチャン・クォック・トアンは、チャン軍をジャングルあるいは山岳地帯に退避させ、各地でゲリラ戦法をくりだして元軍に反撃を加えた。
  ――第2章 独立そして国のかたち 救国 チャン・クォック・トアン(陳国峻)の物語

 と、地の利を生かして敵の弱点をチクチクと突いてはサッと引き上げる、教科書通りのゲリラ戦で悩ましている。また、水軍に強いのもヴェトナムの特徴で…

皇帝や地方豪族たちはそれぞれの船を所有しており、国家を司る仕事、遊興、晩餐、将棋遊びなどは船で行われたという。チャン軍は水軍が強力で水上戦闘の巧者だったといわれている。
  ――第2章 独立そして国のかたち 救国 チャン・クォック・トアン(陳国峻)の物語

 時代は下って15世紀。有名な大航海を鄭和に命じた明の永楽帝、たいていの歴史の本では名君との評価だが、この本では侵略を企て圧政を敷いた悪役として登場する。こういう視点による評価の違いも歴史書の面白い所。

 アフリカにまで手を伸ばした永楽帝だけに、隣のヴェトナムに手を付けない筈もなく、七年もかけて制圧した上に、「徹底的な同化政策を強行した」。これに対して立ち上がった抵抗軍は…

レ・ロイが高く掲げたのは「救国の戦い」だった。グエン・チャイはこの目的をヴェトナムの民衆ばかりではなく、敵方の明軍が指揮するヴェトナム人組織の地方軍のなかにも浸透させた。この大掛かりな呼び掛け作戦は効果的で、ヴェトナム地方軍の寝返りやレ・ロイ軍への参加を促した。
  ――第2章 独立そして国のかたち  国民詩人グエン・チャイ(阮廌)の物語

 これ、まるきしアメリカ&南ヴェトナム軍相手に戦った北ヴェトナム軍&ヴェトコンの戦い方そのものだ。ケネディ政権がこの本を読んでいたら、少しはやり方を考えただろうに。

 そういう戦い方ができた秘訣も、この本に書いてある。「竹垣の中には皇帝の威令もとどかない」とあるように、ヴェトナム社会は村の自治権力が強く、村社会を敵に回したら権力を維持できないのだ。戦略村が、いかに愚かな戦略だったか、つくづくよくわかる。

 そんなヴェトナムにも、19世紀には黒船がやってくる。

ヴェトナムの歴史は、1858年8月31日、ダナン軍港に侵入してきたフランス軍艦の砲声一発によって暗転する。
  ――第4章 フランス植民地時代 悲憤 ファン・タイ・ジャン(潘清簡)の物語

 歴代の中国王朝には抗し得たヴェトナムが、なぜフランスには抗し得なかったのか。一つは圧倒的な兵器の差がある。このあたり、フランスの強引な砲艦外交は、国こそ違え同じく黒船に脅された日本人としては、実に腹立たしいと同時に、当時の殺伐とした国際情勢に背筋が寒くなる。

 と同時に、当時のヴェトナムのグエン朝上層部の蓄財に励む腐敗や、地方では匪賊が跳梁跋扈する支配力の弱体化も、徹底的な抗戦が成し得なかった原因だろう。

 というのも。本書に出てくるフランス軍の兵力は、八千程度だ。数万の兵を擁した元や明とは桁が違う。ヴェトナムの村社会まで支配するには、圧倒的に人数が足りない。

 そこで、正面先頭では勝ち目がなくても、孤立した補給部隊をジワジワとイチビるゲリラ戦を全国的に根気強く続ければ、長期的には地元の有利に傾いただろう。結局、グエン王朝に国民の支持がなかったため、国民も「あんな王のために戦うのは嫌だ」って気分だったんじゃなかろか。

 それでもしぶとく抗う人たちはいて、大日本帝国に留学し支援を求める人々も出てくる。こういう人たちとの付き合いも、大日本帝国の運命に影響を与えた…のかなあ?

 なにせ歴史は長く、国内えは多くの勢力があり、また近隣諸国とも複雑な関係を持った国だけに、新書ではやや駆け足の感はある。が、中国の支配に粘り強く抗った歴史と、村を中心とした社会構造を描く所では、アメリカの失敗の原因が皮膚感覚で伝わってくる。それぞれの時代で「その頃、日本では」と思浮かべると、更に感慨が深くなる、そんな本だ。

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2018年9月18日 (火)

山田正紀「ここから先は何もない」河出書房新社

「俺らってさ、いや、人間てさ、なんでこんなにつながりたがるんだろ?」
  ――p134

「四万年から五万年前の人間の遺体がどうして小惑星に埋もれていたんだ?」
  ――p245

【どんな本?】

 六年前、日本の宇宙科学研究開発機構は、小惑星探査機<ノリス2>を打ち上げる。小惑星2001AU8、通称ジェエネシスとランデブーし、標本を採集して、地球に持ち帰る計画だ。だが、着陸の直前に全ての通信途切れる。約1時間30分の中断の後、ノリス2がランデブーしたのは、ジェネシスではなく、別の小惑星パンドラだった。しかも、持ち帰ったサンプルは…

 ベテランSF作家の山田正紀が、壮大な構想を元に、お得意の「はみ出し者の寄せ集めチームが難題に直面する」形で、ジェイムズ・P・ホーガンの傑作に挑んだ、本格長編SF小説。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2018年版」のベストSF2017国内篇の8位。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2017年6月30日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約404頁に加え、あとがき2頁。9ポイント44字×20行×404頁=約355,520字、400字詰め原稿用紙で約889枚。文庫本なら厚い一冊か薄めの上下巻ぐらいの分量。

 文章はこなれていて読みやすい。内容的には、かなり凝ったSFガジェットを使っている。とはいえ、詳しく知らない人でも楽しめる仕掛けを丹念に施してあるので、分からなければ「そういうもの」として読み飛ばしても構わない。特にコンピュータ関係は冒頭から濃い話がポンポン出てくるので、味見にはちょうどいいだろう。

【感想は?】

 うおお、これだよ、これ。昔、私が大好きだった山田正紀が、今風の素材を使いこなして戻ってきた。

 「襲撃のメロディ」「弥勒戦争」「神狩り」…。いずれも壮大な謎を示し、絶望的な状況の中で、エキセントリックな登場人物が挑む話だ。私は「襲撃のメロディ」の衝撃でSF者になってしまった。

 肝心の謎については、「あの山田正紀が戻ってきた」としか言えない。あとがきにあるように、ジェイムズ・P・ホーガンの傑作「星を継ぐもの」に挑戦状を叩きつけた作品だ。日英の本格SFの巨匠対決である。存分に堪能していただきたい。

 加えて山田正紀の色が濃く出ているのが、謎に挑むチームの面々。これは「火神を盗め」でも発揮しているんだが、とにかくキャラクターが濃い。

 意外性でトップなのが、藤田東子。キャバクラ嬢だ。ノーメイクで朝五時からママチャリで出勤。この時点で相当なモンだが、客との会話が頭蓋骨の話ってのも無茶苦茶だ。それでも店から叩き出されないのは、実績があるから。ある意味、そこらの大企業より実力本位の世界なんだなあ。

 などと破天荒なキャバ嬢の藤田東子、しかしてその正体は…。うーん、そうきたかw 浮世離れした世界のように見えて、特に最近は何かと世知辛い事情も漏れ聞くから、そういう人もいるだろうし、ソッチが好きな客も案外と多いのかも。

 目的のためなら手段を選ばず、キャバ嬢だってやる藤田東子とは違い、手段に振り回されている感があるのが、神澤鋭二。凄腕のクラッカーながら、今は追われる身。彼がお尋ね者になったキッカケも、しょうもないながら、この手の人にはアリガチなパターンなのに苦笑い。

 まあ、アレです。自分にソッチの才能があると気づいたら、どこまで出来るか試してみたくなるってのは、若い男にはよくある話で。彼を中心に描かれる情報セキュリティのネタは、なかなか背筋が寒くなるような話ばかり。スターバックスとかは、いい猟場なんだろうなあ。

 神澤鋭二とコンビを組む大庭卓も、なかなか食えない奴で。凄腕の起業家で、今はセキィリティ関係の会社を営んでいる。元は自衛官で、退任してから興した会社では鋭二を雇い、その才能を存分に発揮させる。

 この大庭と神澤の関係が、これまたかつての傑作「謀殺のチェスゲーム」の宗像と藤野を彷彿とさせて、オールド・ファンとしてはニヤニヤが止まらなかったり。互いが互いの性格を承知して、腕は信用しながらも腹は探り合うあたりが、ハードボイルドか空気を醸し出してる。

 なんて我が強そうな連中に続いて登場するのが、任転動。若い神父もどき。藤田東子とは対照的に、引っ込み思案で状況に流されるタイプ。無神論者なのに神父の真似事をして、極貧ながらフィリピン・パブのホステス相手に教会の仕事をしている。

 信心はないわりにホステスたちのウケはいいあたりは、彼の人徳というか人柄というか。チームの他の面子が強烈なだけに、彼は一服の清涼剤みたいな役割かな。

 ってな個性的な連中が挑むのは、三億キロ彼方の密室<ノリス2>。これは光ですら片道で16分以上必要で、コマンドを送ろうにも、応答が帰ってくるまで30分以上かかる。そんな<ノリス2>を、誰がどんな手段で乗っ取ったのか。そして、<ノリス2>で発見された、あり得ない人骨の謎は…

 アクの強い連中が、それぞれに追い詰められ、仕方なしに組んだチームが、無謀な計画に挑み、壮大な謎を解き明かす。冒険小説と本格SFの楽しさを併せ持つ、とっても贅沢な娯楽作品だった。

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2018年9月13日 (木)

デイヴィッド・ビアリング「植物が出現し、気候を変えた」みすず書房 西田佐知子訳

この本では植物の進化について、いままでにない新しい物語を語ろう。私たちの惑星――地球――の歴史を解き明かすために、植物化石が果たしてくれる刺激的な役割を明らかにしよう。
  ――はじめに

人間が産業革命を起こしているあいだに、樹木もひそかに革命を起こした証拠が見つかったからだ。樹木たちは、二酸化炭素の増加に気孔の数を減らすことで対抗していた。
  ――第1章 葉、遺伝子、そして温室効果ガス

湿地に住んでいたムカデやヤスデは1メートルを超す長さになった。
  ――第2章 酸素と巨大生物の「失われた世界」

2億5100万年前、地球史上最大の絶滅があったそのときにオゾン層が壊れていたことを、突然変異を起こした植物胞子の化石が示しているというのだ。
  ――第3章 オゾン層大規模破壊はあったのか?

二酸化炭素濃度が三畳紀とジュラ紀の境で急上昇したことが初めて明らかになった。
  ――第4章 地球温暖化が恐竜時代を招く

過去5憶年間位のうち80%近い期間は、極圏まで森が広がっていたらしい。
  ――第5章 南極に広がる繁栄の森

いまから5000万年前の始新世の時代、赤道と北極の気温はほとんど違いがなかった。
  ――第6章 失楽園

光合成を司る遺伝子の発現に複雑な変化が起こるためには、入り組んだ代謝プロセスにも複雑な変化が起こり、葉の構造も変わる必要がある。しかしそれにもかかわらず、C光合成経路はC3植物から少なくとも40回も独立して進化したことがわかっている。
  ――第7章 自然が起こした緑の革命

本書で伝えたかったことは二つある。一つは、植物生理学と古植物学を一体化させれば、植物化石に新しい存在意義を与えることができる(略)ということ。もうひとつは、植物自身が自然を変える大きな力になりうるということだ。
  ――第8章 おぼろげに映る鏡を通して

【どんな本?】

 南極は森に覆われていた。1mもの長さのムカデがいた。恐竜繁栄の原因はオゾン層の破壊? 光合成の謎を解く鍵はサイクロトロン?

 化石は何も言わない。だが、化石を様々な方法で分析し、現在の植物と照らし合わせ、実験し、極地で観測し、または地質学や物理学やコンピュータによるシミュレーションと組み合わせると、壮大でダイナミックな地球の歴史が浮かび上がると共に、意外と繊細な気候の性質も見えてくる。

 植物の化石を軸に、その細胞の構造や同位元素の含有量などのミクロな視点から、温暖化・寒冷化による陸地の増減、大洋の海流の変化やプレートテクトニクスによる大陸移動などのマクロなものまで、あらゆる科学の領域と技術を駆使し、地球の過去を解き明かし、また残る謎を提示する、一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Emerald Planet : How Plants Changed Earth's History, by David Beerling, 2007。日本語版は2015年1月23日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約288頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント46字×19行×288頁=約251,712字、400字詰め原稿用紙で約630頁。文庫本なら少し厚めの一冊分ぐらいの文字量。

 意外と文章はこなれている。みすず書房の本は文章が固いという思い込みがあったんだが、この本に限れば余計な心配だった。同じ系統のブルーバックスと同じ程度か、それ以上に親しみやすい。内容も親切。専門的な話も出てくるが、わからなくても「だいたいの所」は掴めるようになっている。

 敢えて言えば、化石関係の本がたいていそうであるように、世界地図や Google Map があると、臨場感が増すだろう。

【構成は?】

 各章は比較的に独立しているので、美味しそうな所だけをつまみ食いしてもいい。

  • まえがき/はじめに
  • 第1章 葉、遺伝子、そして温室効果ガス
  • 第2章 酸素と巨大生物の「失われた世界」
  • 第3章 オゾン層大規模破壊はあったのか?
  • 第4章 地球温暖化が恐竜時代を招く
  • 第5章 南極に広がる繁栄の森
  • 第6章 失楽園
  • 第7章 自然が起こした緑の革命
  • 第8章 おぼろげに映る鏡を通して
  • 謝辞/訳者あとがき/図版の出典/原註/索引

【感想は?】

 現代の古生物学の面白さがギッシリ詰まった本。

 古生物学の何が面白いのか。大ざっぱに言うと、二つの理由だ。

 一つは、スケールの差が大きいこと。顕微鏡レベルから地球レベルまで、あらゆるサイズの視点が出てくる。この眩暈するほどの飛躍が溜まらない。もう一つは、現代科学の様々な分野の成果を動員していること。

 この両者の面白さを巧みに煽っているのが、著者の語り。例えば「第7章 自然が起こした緑の革命」では、こんな風に読者を煽る。

光合成の謎を解くのに活躍した新しい技術を紹介しよう。まず、最初に登場したのがサイクロトロンである。
  ――第7章 自然が起こした緑の革命

 は? サイクロトロン? 原爆を創るマンハッタン計画で使った加速器だよね? それが植物の光合成と、なんの関係があるの?

 と、私はマンマと著者の罠にハマった。話はこう続く。普通の炭素は陽子6+中性子6で原子量12(12C)だ。でも炭素には陽子6+中性子7の13Cや陽子6+中性子8の14Cがある。サイクロトロンを使い、黒鉛に陽子をぶつけると、13Cや14Cを作れる。ちなみに黒鉛は鉛と関係ない。ほぼ純粋な炭素の塊。

 13Cは半減期が21分と短いが、14Cは数千年だ。14Cで二酸化炭素を作り、これを植物に与えて光合成させれば、植物内の炭素の動きを追跡できる!

 から始まって、C植物とC植物へと話が進む。違いは光合成の方法で、大抵の植物はC植物だ。イネもコムギもC。C植物の代表はサトウキビとトウモロコシ。光合成の効率がよく、暑い所に生える。その秘訣はルビスコ酵素と二酸化炭素ポンプで、特殊な細胞内で二酸化炭素を濃縮し、効率を上げる。

 なんでそんなのが要るのかというと、どうも大気中の二酸化炭素濃度の違いが関係しているらしい。二酸化炭素が薄いから、濃くする工夫が必要で、それがC植物の発展につながった。じゃC植物の歴史を辿れば、大気中の二酸化炭素濃度の歴史もわかるんじゃね? 

 でもC植物の化石は見つけにくいんだよね。でも大丈夫。動物の化石を調べりゃいい。草食動物にも好みはある。C植物を好む動物と、C植物を好む動物は、その歯が含む炭素同位体が違うから…

 と、サイクロトロンから動物の化石へと話が転がり、果ては森林から草原への環境変化にまでつながってゆく。

 ミクロからマクロの展開で面白いのが、温暖化のメカニズムだ。二酸化炭素もそうだが、メタンも温暖化を促す。メタンは、沼や湿原で作られる。嫌気性の微生物が、有機物を分解する際の副産物がメタンだ。沼から沸く泡がソレです。これは白い霧の元になり、まれに「発火して燃える」って、人魂はコレか。

 まあいい。気候が温かくなると嫌気性微生物も元気になってメタンを吐き出し、更に温暖化を煽る。海が広がり湿地が増え、嫌気性微生物の住処も広がり…

 と、微生物ごときに地球の気候が左右されてたりする。

 もっとも、人間様も負けちゃいない。911は悲劇だったが、これは気候にも影響して…

 などと、意外な事柄が別の意外な事柄に影響していく、「風が吹けば桶屋が儲かる」な話が次々と出てきて、驚きの連続だ。また、南極探検で死に瀕しているにも関わらず化石を持ち帰ろうとしたスコット隊の話などは、科学者の執念が伝わってくる。

 真面目な科学ノンフィクションなのに、中身はどこに向かうかわからないジェットコースター・ストーリー。「みすず書房」のお堅い印象をひっくりかえす、娯楽性たっぷりの楽しい本だった。

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2018年9月10日 (月)

デニス・E・テイラー「われらはレギオン 1 AI宇宙探査機集合体」ハヤカワ文庫SF 金子浩訳

「きみは、みずからをロバート・ジョンスンだと思っているコンピュータ・プログラムなんだ。複製人(レプリカント)なんだよ」
  ――p30

うわあ、これって全おたくが夢にまで見る仕事じゃないか。ぼくは宇宙へ行けるんだ!
  ――p59

ぼくは自分のシリアルナンバーを問い合わせた。
  ――p151

宇宙を遊び場にするのは楽しいが、正直いって寂しかった。
  ――p231

【どんな本?】

 カナダ生まれの新人SF作家、デニス・E・テイラーのデビュー作にして、三部作の開幕編。

 プログラマのロバート・ジョハンスン(ボブ)は、自動車に轢かれて死ぬ。次に目覚めたのは2133年。ロバートは、コンピュータ内のプログラムになっていた。合衆国はキリスト教原理主義者 FAITH が支配し、世界は幾つかの国が睨み合って実力行使寸前に陥っている。

 FAITH の目的は、ボブを他の恒星系に送り出し、植民地を見つけさせること。自分のコピーを作って増殖しながら、幾つもの恒星系を巡り、人が移り住める惑星を探す。

 ボブは抹香臭い FAITH が大嫌いだ。でも孤独には強く、濃いSFヲタクなだけに、この使命には大乗り気。かくして狂信者とヲタクはギクシャクしながらも手を組み、広大な宇宙へと乗り出そうとするが…

 (ある種の人には)親しみやすくユーモラスな語り口で、SFガジェットとヲタクなネタをギッシリ詰めこんだ、明るく楽しいスペースオペラ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は We Are Legion (We Are Bob), by Dennis E. Taylor, 2016。日本語版は2018年4月15日発行。文庫本で縦一段組み、本文約435頁に加え訳者あとがき4頁。9ポイント41字×18行×435頁=約321,030字、400字詰め原稿用紙で約803枚。文庫本では厚い部類。

 文章はくだけていて読みやすい。内容はSF度もヲタク度もやたら濃い。リアル・ハッタリ双方を交えたガジェットは次々と出てくるし、スターウォーズやスタートレックなどの引用やパロディも満載。つまりは、そういうのが好きな人向け。

【感想は?】

 おそ松さん、宇宙を行く。

 なんたって、主人公のボブがいい。自分がプログラムになっちまったなんて、あんまりな状況を、アッサリと呑み込んで受け入れちゃったり。

 そもそも普通の人は、「自分はプログラムである」なんて状況、理解すらできないでしょ。人は人、機械は機械、プログラムはプログラム。一般人にとって、それぞれ全く違うものだ。これをあっさりと納得し、しかも他ならぬ自分がそうだってのを、スンナリ受け入れてしまう。

 SFヲタクだから概念には慣れているし、エンジニアだから思考も現実的で、まず問題解決を考える。そんな主人公の性格のお陰で、お話はスラスラと進んでゆく。こういう、ストーリーを停滞させがちな心理描写にあまり文章を割かない所は、「火星の人」と似ている。

 おまけに楽天的…というより能天気。たった一人で宇宙に放り出されるってのに、「宇宙旅行ができるなんてラッキーじゃん」などと喜んでる始末。ボブの面倒を見るランダーズ博士も、面食らっただろうなあ。博士の柔軟性も相当なもんだ。

 とかの人物を中心に据えたためか、展開はスピーディーで心地よい。

 心理描写を省いた分、ギッシリと詰めこんであるのが、SFガジェットとヲタクなネタ。

 生きてた?頃から、SF大会の常連なんてヲタクだ。そのため、会話の度にSF映画やコミックのネタが続々と飛び出す。定番の指輪物語やスターウォーズやスタートレックに始まり、宇宙空母ギャラクティカやらフラッシュ・ゴードンやら。私が偏愛するショート・サーキットが出てきたのも嬉しかったなあ。

 こういう細かいネタにシッカリとついて行く翻訳者もたいしたもの。

 そして、ストーリーを力強く後押しするのが、惜しげもなく散りばめられたSFガジェット。なにせ恒星間航行の話だ。距離も光年で表す、とんでもない彼方。さすがにバサード・ラムジェットとはいかず、推進方法はハッタリをカマしてる。

 が、そこから先は、シッカリと考えてる。例えば通信だ。情報を伝える方法として、最も速いのは光だが、所詮は光速でしか伝わらない。太陽系内ぐらいなら、遅延はせいぜい数分から数時間で済む。が、恒星間となると、数年単位の遅れとなる。

 この遅れを活かしたお話作りは、ちょっとラリイ・ニーヴンの「地球からの贈り物」を思い出したなあ。

 やはり仕掛けとして効いてるのが、ボブの自己増殖能力。

 自分のコピーを造れるのだ。しかも、オリジナルの記憶を完全に引き継ぎいで。ただし、なぜか微妙に性格が違う。だもんで、気が合う奴もいれば、ソリが合わない奴もいる。テンポがよくコミカルな語り口と相まって、おそ松さんなのは、こういう部分。

 だったらやり放題になりそうなモンだが、そうはいかないのがこの世の常。わかりやすい敵は序盤から出てくるが、それ以上に制約条件が厳しい。

 なんたって、主な舞台は宇宙空間だ。そこには何もない。コピーを造ろうにも、原材料がない。だから、まず原材料となる金属などの重元素を見つけなきゃいけない。ちなみに宇宙で最も多いのは水素で、原子番号が大きい元素ほど少ない。しかも分布にバラつきがあって…

 とかの原材料の制限に加え、自己増殖能力にも制限がある。

 なんであれ、モノを造るには時間がかかる。大きく複雑なモノほど、多くの時間を喰う。最も役に立つのはボブの複製なんだが、役に立つだけに原材料も時間も沢山必要だ。

 お話が進むにつれ、ボブと愉快な仲間たちは、様々な問題に出くわす。たいていは時間制限つきで、急いで問題を解決しなきゃいけない。では、限られた原材料と道具と時間で、もっとも効果的な対策を講じるには、どうすればいいか?

 ここで効いてくるのが、敵の性質と、その拠点、そして恒星間の距離。実に悩ましく、だからこそお話としての仕掛けが面白い。

 などに加え、ボブたちが出会う問題が、今までのSF総決算みたいな感じで、齢経たSF者は「このネタはもしかして…」みたいな感慨に浸るだろう。エリヌダス座デルタ星系の話とかは、ロジャー・ゼラズニイの傑作を…

 親しみやすくユーモラスな語り口で、テンポよくお話が転がってゆく、心地よい娯楽SF。口当たりがよいわりに濃いあたりは、スクリュードライバーみたいな読み心地。老いも若きも楽しめる、新世代のスペースオペラだ。

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2018年9月 9日 (日)

高野秀行「イスラム飲酒紀行」扶桑社

本書はおそらく世界で初めての、イスラム圏における飲酒事情を描いたルポである。ルポというよりは酒飲みの戯言に近いかもしれないが、全てほんとうにあったことだ。
  ――ドーハの悲劇・飲酒篇 序章にかえて カタール・ドーハ

「医者の診断書があれば飲めるんだ。『この病気の治療にはアルコールが必要だ』ってね。医者に金を払ってそれを出してもらう人もいる」
  ――第一章 紛争地帯で酒を求めて パキスタンからアフガニスタンへ

「酒は禁止だから、みんな、家で飲む。ワハハハ」
  ――第三章 秘密警察と酒とチョウザメ イラン

「死体を片付けられねえんだよ」とP先生は伝法な口調で言う。「片付けようとすると仲間だと思われて撃たれるんだ」
  ――第八章 ハッピーランドの大いなる謎 バングラデシュ

【どんな本?】

 「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それを面白おかしく書く」をモットーに、世界中のヘンな所に行ってヘンな事をやらかしヘンな本を書くノンフィクション作家、高野秀行の正体は、ほぼ毎日酒を飲むアル中だった(本人はその一歩手前と主張しているが)。

 世界中をほっつき歩く以上、イスラムの国にも行く。そしてイスラムは酒を禁じている。外国から持ち込むのも難しい。イランなど厳しい国で、酒を持っているのを警官に見つかれば、監獄にブチ込まれる。当然、酒を出す店も売る店もない…筈なのだが。

 酒飲みの執念、恐るべし。それでも著者は酒を求め、街路をさ迷い歩き、あるいは人に尋ね、酒場や酒屋を嗅ぎつける。テロが横行するアフガニスタンで、秘密警察が暗躍するイランで、謎の独立国家ソマリランドで。

 いかにして酒を見つけるか。どんな所でどんな酒を飲んでいるのか。なぜイスラム系の国に酒があり、どんな形で流通しているのか。各国の酒飲みたちは、どんな人なのか。そして、酔って親しみやすくなった地元の人たちは、何を語ってくれるのか。

 辺境作家・高野秀行が、イスラム系の国とそこに住む人をユーモラスに描く、一風変わった紀行文。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2011年6月30日初版第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約283頁に加え、あとがき5頁。10ポイント42字×18行×283頁=約213,948字、400字詰め原稿用紙で約535枚。文庫本なら普通の厚さの一冊分。ただしカラー写真も多いので、実際の文字数は8~9割ぐらい。

 文章はこなれていて親しみやすい。内容も難しくないし、特に前提知識も要らない。「イスラムじゃ酒はご法度」ぐらいを知っていれば充分。国ごとの細かい事情も、文中で説明しているので、地理に疎くても大丈夫。また、肝心の酒についても、私はほとんど飲めないけど充分に楽しめた。酒に詳しい人なら、もっと楽しめるだろう。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、美味しそうな所だけをつまみ食いしてもいい。

  • ドーハの悲劇・飲酒篇 序章にかえて カタール・ドーハ
  • 第一章 紛争地帯で酒を求めて パキスタンからアフガニスタンへ
  • 第二章 酔っぱらい砂漠のオアシス チュニジア
  • 第三章 秘密警察と酒とチョウザメ イラン
  • 第四章 「モザイク国家」でも飲めない? マレーシア
  • 第五章 イスタンブールのゴールデン街 トルコ・イスタンブール
  • 第六章 ムスリムの造る幻の銘酒を求めて シリア
  • 第七章 認められない国で認められない酒を飲む ソマリランド(ソマリア北部)
  • 第八章 ハッピーランドの大いなる謎 バングラデシュ
  • あとがき

【感想は?】

 私はほとんど酒が飲めない。だから旅では少し悔しい思いをする。なんたって、地酒が楽しめないのが悔しい。その分、名物を喰いまくるんだけど。

 そういいう点で、この本はとっても悔しい。だって、この本には酒飲みの楽しみが詰まっているんだから。旅での酒の楽しみは、いろんな酒を味わえるってだけじゃない。酒と肴の組み合わせの妙や、そこにしかない店、そして地元の人と一緒に飲む楽しみだってある。

 この本には、その全てが詰まっている。それだけなら、酒を楽しむ紀行文だ。そこに「イスラム」が絡むと、更に味わいが深くなる。

 なんたって、タテマエじゃ酒が御法度の地域だ。だから、酒を見つけるまでが一苦労。

 おまけに、酒屋を見つけても、まとめ買いができない。というのも、酒を警官に見つかったら、罰金(というより賄賂)で済めば運がいい方で、悪ければ監獄にブチ込まれる。公共交通機関は鬼門だ。空港じゃ税関が荷物を調べるし、バスや列車でも警官の手入れがある。酒を持ち歩くのはヤバいのだ。

 そんなわけだから、行く先々で、著者は酒を求め東に西に駆け巡り、地道に聞き込みを繰り返す。

 この酒にありつくまでの過程が、著者にとっては苦労の連続なんだが、読んでいてとっても楽しい所。なにせタテマエじゃ酒はご法度だ。でもしょせんは人間。ペルシャの詩人オマル・ハイヤームは酒を称えてるし、現代トルコの国父ケマル・アタテュルクは大酒飲み。酒は好きな人は、どこにだっている。

 ということで、イスラム系の国で酒を求めると、自然とそこに住む人のホンネに触れる事になる。

 冒頭のパキスタンからして、私の思い込みを粉々に打ち砕いてくれた。

 なんかパキスタン人って短気でカリカリしてるって印象がある。でも、この本で描かれるパキスタンは、良くも悪くも田舎。ゆるくてのんびりしてる。防弾チョッキと盾を持った警官たちが、原っぱに寝っ転がってる。著者を見ると、気さくに声をかけてくる。珍しいガイジンを見かけたんで、話をしてみたいんだろう。

 つか、なんだよ酒が必要な病気ってw こういうタテマエとホンネの使い分けが、実にイスラムだよなあ。

 が、次のアフガニスタンのカブールでは、民間の旅人ならではの目が光る。

 政府の建物は高い塀に囲まれ、銃を持つ兵士が守っている。まあ、私でもそれぐらいは想像できるとして。意外なのは、役所に表示がないこと。見ただけじゃ、なんの建物かわからないのだ。これは大使館も同じで、国旗も掲げていない。役所だけでなく、外国料理の店も表示なし。

 それほど、テロを警戒しているわけ。こういう点は、地元の人にとっちゃそれが当たり前だから気づかないし、国連軍などの軍人さんや戦場ジャーナリストにとっても「常識的な警戒態勢」だから、やっぱり手記には書かないだろう。能天気な旅人だからこそ、こういう所に気が付く。

 そんな風にヤバい匂いプンプンだってのに、そこはアル中。テロより酒が切れるの方が怖い。ってんでフロント係に尋ねるが…。そうまでして飲みたいかw

 やはりホンネとタテマエの落差が激しいのが、イラン。表向きは革命防衛隊がふんぞり返る宗教国家だ。でもパーレビの頃は鷹揚だったし、歴史的にもオマル・ハイヤームを生み出している。「ホメイニ師の賓客」などで、もしや…と思っていたら、やっぱり。

 なにせ酒は法で禁じられている。日本で言えば大麻みたいな扱いだ。手に入れるには、バイ人と話をつけなきゃいけない。なんとかバイ人を見つけて商談に入ると…。 こんなバイ人、滅多にいるもんじゃないw 酒飲み同士の同志愛ってのもあるんだろうけど、もともとイラン人は人懐っこいんだろうなあ。

 などと、一口にイラン人なんて一まとめにしちゃったけど、それほど単純じゃないってのも、このイラン編から伝わってくる。これはマレーシアもトルコもシリアもバングラデシュも同じで。

 内戦で荒れているシリアの例がわかりやすいだろう。主な勢力としてムスリムじゃスンニ派・アラウィ派、キリスト教はマロン派がいる。イスラム系の国は、こういうモザイク状態が多いみたいだ。といいうより、日本が例外なのかも。

 西洋と東洋の玄関口で歴史的に国際都市なイスタンブールはもちろん、マレーシアはマレー系と中華系の他にポルトガル系やババ・ニョニャやインド商人がいる。バングラデシュじゃ、今話題のロンビギャと逆の立場の…

 まあいい。そんなシリアで、著者が求めるのは、ムスリムのドルーズ派が造るワイン。ムスリムがワインを造るって時点で、なんかオカシイと思うのだが、これが本当にあるから奥が深い。

 なんでこんな事態になったのか。どうも民族や宗教のモザイク状態が関係しているらしい事が、この本を読んでいるとフンワリと伝わってくる。と同時に、中央主権的な近代国家の運営は難しいだろうなあ、って事も。

 なんて難しい事は考えず、アル中が酒を求めて右往左往する姿を笑ってもいいし、苦労の甲斐あって酒にありついた時の喜びを味わってもいいし、各国の酔っぱらいを比べるのも楽しい。いや結局、酔っぱらいはみんな同じ何だけどw

 まあ、アレです。あの高野秀行の本として、くつろいで読みましょう。ただし飲み物を吹き出さないよう気をつけて。

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2018年9月 7日 (金)

SFマガジン2018年10月号

Netflix「自分たちはまず何よりもテクノロジー企業であると考えていまして、技術的な面がすごく大きかったと思います」
  ――教えて、ネトフリの中の人! Netflix PR担当者インタビュウ

≪彼は眠ったままではない≫
  ――冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第22回

「雪江ちゃん、検査しようか?」
  ――澤村伊智「サヨナキが飛んだ日

「あれは創作や装飾ではない。機能を持ち込むことになりますからね」
  ――菅浩江「博物館惑星2・ルーキー第5話 白鳥広場にて」

『そこがほころびだ』
  ――藤井太洋「マン・カインド」第6回

 376頁の標準サイズ。

 特集は「配信コンテンツの現在」。Netflix などで配信中のSFコンテンツ90本紹介のほか、Netfixインタビュウなど。

 小説は10本。連載は5本。夢枕獏「小角の城」第49回,椎名誠のニュートラル・コーナー「裏側探検隊」,神林長平「先をゆくもの達」第5回,冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第22回,藤井太洋「マン・カインド」第6回。

 読み切り&不定期掲載は5本。菅浩江「博物館惑星2・ルーキー第5話 白鳥広場にて」,柴田勝家「検疫官」,澤村伊智「サヨナキが飛んだ日」,柞刈湯葉「冬の時代」,リンダ・ナガタ「火星のオベリスク」中原尚哉訳。

 柞刈湯葉「冬の時代」。寒冷化し、雪景色に覆われた日本列島を、二人の旅人が歩く。19歳のエンジュと、12歳のヤチダモ。南に行けば春の国がある、そんな噂を聞いて、村をでたのが半年前。今は遠州灘を西へと向かっている。

 滅びてしまった世界で生きる若者を描いているんだが、不思議なくらい悲壮感はない。考えてみれば、二人とも寒冷化する前の世界を知らないわけで、若者ってのはそういうものなんだろう。石油や石炭のエネルギーが使えない世界で、やりくるする工夫が面白い。カサ、欲しいなあ。

 リンダ・ナガタ「火星のオベリスク」中原尚哉訳。海水面の上昇,ハリケーン,干魃,地震,火山の噴火など、相次ぐ災害で人類は滅びかけている。老いた建築家スザンナ・リー-ラングフォードは、人類の記念碑として、火星にオベリスクを建設中だ。その日、火星の建築現場から、連絡がきた。既に滅びたはずの植民地から車両が建築現場まで来た、と。

 人がいない火星で、黙々と働く自動機械たちが可愛い。地震も水害もなけりゃ気圧も低い火星なら、建築物の自由度は高そうだなあ。人が住むとなると気密とかの問題があるけど。正体不明の車両を巡る謎を、地球と火星の通信のタイムラグが巧く盛り上げてる。同じ終末物でも、「冬の時代」との印象の違いは、登場人物の年齢の違いなのかな。

 椎名誠のニュートラル・コーナー「裏側探検隊」。イースト駅の居酒屋に、突然やって来た男ナグルスは、内惑星から来たという。酒場の連中は面白がってナグルスを囲み、質問を始める。ナグルスは内惑星の由来や、そこに住む者たちの事を話し始め…

 冒頭の、珍しいゲストを迎えて盛り上がり始める酒場の様子が、よく描けてる。世界中のアチコチをウロつきまわってる人だけに、似たような経験を何度もしてるんだろうなあ。

 冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第22回。ウフコックを救い出すため、クインテットのアジトに乗り込んだバロット。ウフコックは取り戻したものの、クインテットの追跡は厳しい。バジルが操る電線は容赦なくバロットに襲い掛かる。

 バロット大活躍の回。今までイースターズ・オフィス側が押されっぱなしだっただけに、バロットの成長ぶりと頼もしさが輝いてる。オッサンたち相手に立ち回るだけでなく、アビーに目をつけるあたりも、彼女らしい。あとレイ・ヒューズの出番があるのも嬉しいな。

 澤村伊智「サヨナキが飛んだ日」。サヨナキ。鳥の形をした看護ロボット。医師や看護師の不足を補い、病院に通う患者の負担を軽くするため開発された。だが、雪絵はサヨナキを悪魔と呼んで憎む。その結果、娘の瑠奈まで殺してしまった。

 うああぁぁ、完全に脱帽。「コンピューターお義母さん」「マリッジ・サバイバー」も見事だったが、この作品は一段と凄い。「図書館戦争」もそうなんだけど、あんまりにも凄すぎると、私は作品について何も言えなくなってしまう。仕掛け、語り、オチ、全てが鮮やかすぎる。舞台こそ未来だけど、同じ問題は今だって幾らでもある。そこを敢えてSFにしたのが、騙りの巧みさというか。ヲタク趣味の泥沼にハマりきってる人は、是非読みましょう。

 菅浩江「博物館惑星2・ルーキー第5話 白鳥広場にて」。アーティストのワヒドの作品は、Satu sama lain。専用の人工知能が操る、自律粘土のオブジェだ。キクノス広場で展示し、観客が自由に触れ、形を変えてもいい。モノを埋め込んでも、色を塗ってもいい。人工知能が変化を学び、さらに自ら変化する。

 作者のワヒドにすら、どう変わるかわからんモノを、果たして芸術と呼んでいいのか? と疑問に思ったが、まさしくそういうテーマだった。何に感動するかは人それぞれで、私はc言語の標準入出力ライブラリの getc() と ungetc() 関数に感動したんだけど、そういう「美しい実装/アイデア」は芸術と言えるんだろうか? ワヒドは否定的みたいだなあ。

 神林長平「先をゆくもの達」第5回。かつて司令官だった私に、火星から来た男ハンゼ・アーナクは語った。「きみたち地球人は、いつから世界について考えることをしなくなったのだ?」。トーチのお告げに従い、必要な物は<工場>から得る地球人たち。

 火星に向かった若生ら三人から始まる、地球と火星の交流。それは、密かに双方に変化をもたらしていたらしい。今まで描かれた地球人の暮らしは、穏やかな理想郷のように見える。確かにタムなど、現代人から見たら異様な要素はあるけど。ただ、変化がないのは退屈かもしれない。

 藤井太洋「マン・カインド」第6回。 迫田とレイチェルは、遺族訪問の旅を続ける。<コヴフェ>のトーマも加わったところで、迫田は<グッドフェローズ>のORGAN部隊の共通点に気づき始めた。そこで旅の依頼主でもあるチェリー・イグナシオを交え、真相を正すのだが…

 チェリー・イグナシオによる捕虜虐殺、迫田の記事のあんまりな低評価、そしてチェリーの奇妙な依頼。冒頭で示された謎をめぐり、事件の真相へと迫る回。いかにも藤井太洋らしいリアリティあふれる先端技術のアイデアに、「第二内戦」から続く未来史もあって、いよいよ盛り上がってまいりました。

 柴田勝家「検疫官」。ジョン・ヌスレは空港で働く検疫官だ。彼が流入を防いでいるのは、物語。創作物・歴史・伝記・神話伝承・歌謡、すべて持ち込み禁止だ。感染者は完治するまで想像病院に隔離される。問題は、ある母子で起きた。長く外国で暮らし、帰国した母子。母は隔離されたが、十歳の子供は感染の判断がつかず、空港に留めおかれる。ところが…

 物語を疫病として扱うってアイデアが面白い。それだけならお話になりそうもないけど、ちゃんと理屈をつけてるあたりが、プロの作家というか。この「物語を禁じる理由」だけでも、かなり皮肉が効いてる。実際、戦争ってのは、クラウゼヴィッツが考えるような合理的な理由ばかりじゃないんだよなあ。

 特集「配信コンテンツの現在」。

 「動画配信サービスのこれまでとこれから」池田敏。Netflix の売り上げが約1.5兆円ってのも凄いが、新作への投資額が8800億円ってのにもビビる。それなら特撮で金がかかるSFドラマもバンバン作れるなあ。

 「教えて、ネトフリの中の人! Netflix PR担当者インタビュウ」では、映画と配信の広告戦略の違いが興味深い。配信だと「いつでも観れる」から、映画みたく封切り前に集中的に宣伝するって手はあまし有効じゃないとか。

 「SVODサービス時代のアニメのありかた」。インタビュウ同様、人によって同じコンテンツでも観るタイミングが違うって指摘。だから学校や職場で「昨日の『鬼太郎』観た?」的な会話も成り立たない。まあ予め友人同士でしめしあわせ、タイミング合わせて同じ時刻に観るって手もあるけど。また、シリーズ物ドラマの盛り上げ方が「ハリウッド映画の三幕構成によく似てきた」ってのも、お話作りの参考になりそう。

 『忘られのリメメント』刊行記念 三雲岳斗インタビュウ。三雲岳斗が書く、設定凝りまくりの大作スペース・オペラって、なにそれ滅茶苦茶美味しそう。

 盛り上がってきた「マルドゥック・アノニマス」と「マン・カインド」もいいが、澤村伊智の「サヨナキが飛んだ日」にはガツンとやられた。連作なのかあ。早く書籍にまとめて出版して欲しいなあ。

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2018年9月 4日 (火)

長谷敏司「BEATLESS」角川書店

人のこころは、行動に動かされる。こころは、人間でないものによっても揺らされる。
  ――p6

「わたしは道具で、責任をとることができません。だから、責任を、とってください」
  ――p27

「それが、わたしとオーナーの契約です。わたしがオーナーの意志の実現を自動化し、オーナーがその責任をとる」
  ――p95

「本当に重要なものなんて、もう人間の世界にどのくらい残っているのかしら」
  ――p189

「僕は、本当に自分の意志で何かをしているのか」
  ――p199

「私のこと、覚えてくれてたらそれでいい」
  ――p333

「大きな変化を社会に押し付けるより、オーナー自身に変わっていただく方が、安全です」
  ――p361

「人間が、人間の世界だと思っているものは、無邪気な信頼で支えられているのですよ」
  ――p481

【どんな本?】

 気鋭のSF作家・長谷敏司が、派手なアクションとケレン味を利かせたガジェットをふんだんに盛り込み、ヒトとモノの関係を正面から問いただす、正統派の本格SF小説。

 2105年。hIE=humanoid Interface Element と呼ばれるヒト型ロボットが普及し、労働力として街中に溶け込んでいる。普通の hIE は、いわば操り人形だ。常に無線で行動管理クラウドと通信し、そこから TPO に応じた振る舞いの指示を受けて動く。

 ミームフレーム社は、hIE の行動管理クラウドの大手だ。そのミームフレーム社から、五体の hIE が逃げ出した。いずれも量子コンピュータを持つ。そのため、クラウドに頼らず、スタンドアロンで動ける。“彼女”らは、軍用の無人兵器22体を擁する警備部隊に包囲を突破し、市中に紛れこんだ。

 Type-001 紅霞。Type-002 スノウドロップ。Type-003 サトゥルヌス。Type-004 不明。Type-005 レイシア。いずれの能力も、その目的も分からない。

 高校二年生の遠藤アラトは、買い物の帰りに、暴走する自動車と hIE に襲われた。レイシアを名乗る美しい hIE に救われたアラトは、その代償として“彼女”のオーナーとなる。驚異的な能力を誇るレイシアを得たアラトは、やがて人類の未来を左右する争いに巻き込まれ…

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2013年版」のベストSF2012国内篇の第3位に輝いた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 初出は雑誌「月刊ニュータイプ」2011年7月号~2012年8月号。単行本は2012年10月10日初版発行。今は角川文庫から文庫版が上下巻で出ている。単行本ハードカバー縦二段組みで本文約645頁。8.5ポイント25字×22行×2段×645頁=約709,550字、400字詰め原稿用紙で約1,774字。文庫なら上中下の三巻でもいい大容量。

 文章はやや硬い。たぶん、これはワザとだろう。というのも、特にテーマの芯に触れる部分で、私は読むスピードが遅くなったからだ。どうも著者に「ここ大事だからじっくり考えながら読んでね」と言われているような気がする。

 内容的にも、かなりSF度が濃い。AI やクラウド・コンピューティングをはじめとするSFガジェットが、たっぷり詰めこんである。加えて、ちょっとした細かい部分も、科学・工学的な設定を充分に考えているのが感じられて、拘るタイプには嬉しい配慮が行き届いている。

【感想は?】

 「アナログハック」。この言葉の発明だけでも、SFの新しい地平を切り開いたと言える。

 が、とりあえず、ソレは置いて。冒頭、レイシアたちが逃げ出す場面だけでも、設定の凝りようがヒシヒシと伝わってくる。

 まず、hIE が無線で動く半自動の操り人形って発想が、新しい上に現実的だ。今だと、自動運転車がいい例だろう。

 個々の自動運転車は、路面や信号など周囲の状況に応じてスピードや進路を調整しつつ、GPS や Google Map に応じて道を選ぶ。スタンドアロンで得る情報と、ネットワークから得る情報、双方を考え併せることで、自動運転のシステムとして完成する。

 恐らく近い将来に、交通事故の統計や渋滞情報もネットワーク経由で取り入れ、または他の車と交信して、より安全で早く経済的に目的地へとたどり着く、そんなクルマへと進化し、またクルマ社会のあり方も変えてゆくはずだ。

 だけでなく、マニアを唸らせる考察が嬉しい。

 軍用だと、陸軍と空軍は積極的にドローンを戦場に投入している。というか、ドローンが浸透しているのは、陸と空だ。水中は、あまり聞かない。

 これは単純な理由で、水中だと電波が届かないからだ。海軍も熱心に開発しちゃいるが、リモコンで操るのは難しい。従来のロボット物は意外なくらい無視してきた点だ。それを、この作品では、レイシアたちを警備が追う場面で、ちゃんと踏まえて描いてる。細かい所だけど、こういう配慮がとっても嬉しい。

ちなみに海でロボットが活躍する「深海大戦」シリーズだと、同じ問題を全く違う方法で扱ってて、これも唸らされたなあ。更にイカれているのが「プシスファイラ」で…って脱線するとキリがないのでこの辺で。

 など、細かい所まで充分に考えてますよ、とマニアを唸らせた上で、いよいよ登場しますメインディッシュのアナログハック。

 これも軍用ドローンの話で恐縮だが、プレデターなどの攻撃用ドローン(→Wikipedia)は、ワザと不気味なデザインにしているって噂がある。敵をビビらせるためだ。逆にフェラーリなどイタリアのスーパーカーは、未来的でカッコいい。だから、値段が高くても欲しくなる。

 形は、ヒトの気持ちを動かす。アップル社は、形でヒトの気持ちを操るのが巧い。形だけじゃない。しぐさや声も大事だ。歌手や役者は、声や表情で客の心を動かす。動かすと言えば聞こえはいいが、手品師や詐欺師は「騙す」ためにテクニックを磨く。

 それでも芸人なら大した問題じゃないが、政治家となると話は別だ。映像が残っている政治家で、優れた手腕を発揮したのは、アドルフ・ヒトラーとジョン・F・ケネディだろう。

 なんて例を出すと、なんか悪いことみたいだが、似たような事はみんなやっている。私だって真面目な席に顔を出す時は、ネクタイを締めて紳士のフリをする。逆に遊びに行くなら、ジーンズで行く。コンサートに行くなら、それなりに気合いを入れる。その場に応じて、「見られたい自分」を演出するわけだ。

 いずれにせよ、今までは、形やしぐさを演出するのは、ヒトがヒトの目的のためにやってきた。怖い、欲しい、支持したい、楽しみたい。そんな風に、ヒトはヒトの気持ちを操ろうとしてきたし、実際に操れた。

 確かにヒトラーは悲劇を生み出した。が、それでも、所詮はヒトが選んだ結果だ。騙されたにせよ、騙したのもヒトだ。だが、ヒトより遥かに高度な能力を持つモノが、ヒトを操りはじめたら…

 冒頭のレイシアは、単に愛らしい姿でアラトを翻弄しているだけに見える。だが、物語が進むに従い、“彼女”の底知れない能力が、次第に明らかになってゆく。読み終えて身の回りを見回した時、レイシアの不在を幸福と感じるか、物足りないと思うか。

 ヒトがヒトである限り、アナログハックのセキュリティ・ホールは存在し続ける。そして、テクノロジーの進歩は止まらない。ケレン味たっぷりの娯楽作品の衣をまといつつ、マシンとヒトの関係を根底から問いかける、実はズッシリと重い本格SF小説だ。

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