イアン・スチュアート「世界を変えた17の方程式」ソフトバンククリエイティブ 水谷淳訳
本書は、人類の進歩を17の方程式を通じて語った物語である。
――なぜ方程式か?それは、地図製作、航海、測量に必要な幾何学的手法に向けた、重要な第一歩だった。さらに、幾何学と代数学をつなぐきわめて重要な鍵ともなった。
――1 カバに乗った女房 ピタゴラスの定理数学者に使ってもらうための手法を発表するというのは、愉快な仕事である。
――2 手順を短くする 対数概念としてのエネルギーは、物理的なものというよりも、力学の収支を合わせるために都合良く作った虚構である。
――3 消えゆく量の亡霊 微積分ニュートンの重力の法則は、いったい誰が発見したのか?(略)この質問に対する筋の通った答は、王立協会の実験部長ロバート・フックである。
――4 世界の体系 ニュートンの重力の法則人間集団は個人よりも予測可能な形で振る舞う
――7 偶然のパターン 正規分布数学は単純さのもとで成長するものであり、数学者は、さらに複雑な問題に取り組むために、必要となれば恣意的なモデルを作ることもいとわない。
――8 良い振動 波動方程式この分野においてもっとも基本的な最大の問題が未解決のまま残されている。それは、未来永劫に有効であるナヴィエ=ストークス方程式の解が、実際に存在するという数学的保証はあるか、という問題だ。
――10 人間の飛翔 ナヴィエ=ストークス方程式1グラムの物質が持つエネルギーは、原子力発電所1基が1日に生み出す電気におよそ相当する、90テラジュールである。
――13 絶対であるのは1つだけ 相対論自然のバランスは、紛れもなく不安定なのだ。
――16 自然のアンバランス カオス理論カオスから導かれる帰結としてもっとも重要なのが、不規則な振る舞いには必ずしも不規則な原因は必要ないというものである。
――16 自然のアンバランス カオス理論「金融生態系では、進化力は、もっとも適応したものでなく、もっとも太ったものを生存させる」
――16 自然のアンバランス カオス理論
【どんな本?】
中学校で習うピタゴラスの定理 a2 + b2 = c2 から、多くの人が名前だけは知っている相対論の E = mc2、そして現代のコンピュータには欠かせないシャノンの H = Σ p(x) log p(x) まで、私たちの社会と暮らしを変えた17個の方程式について、その歴史と意味、そして応用例を語る、一般向けの数学・科学解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Seventeen Equations that Changed the World, by Ian Stewart, 2012。日本語版は2013年3月31日初版発行。単行本ハードカバーー横一段組みで本文約406頁に加え、訳者あとがき3頁。9ポイント29字×30行×406頁=約353,220字、400字詰め原稿用紙で約884枚。文庫本なら厚い一冊分ぐらい。
文章は、一見くだけている。が、実はかなり意味が掴みにくい所がある。細かくは後で述べる。内容も、数学、それも方程式の本だから、遠慮なく数式が出てくるし、後に行くほど式は難しくなる。が、わからなかったら、式を読み飛ばしてもいい。というか、私は大半の式を読み飛ばした。
【構成は?】
それぞれの章はほぼ独立しているので、好きな所だけを拾い読みしてもいい。
- なぜ方程式か?
- 1 カバに乗った女房 ピタゴラスの定理
- 2 手順を短くする 対数
- 3 消えゆく量の亡霊 微積分
- 4 世界の体系 ニュートンの重力の法則
- 5 理想世界の兆し マイナス1の平方根
- 6 結び目をめぐる騒ぎ オイラーの多面体の公式
- 7 偶然のパターン 正規分布
- 8 良い振動 波動方程式
- 9 さざ波とパルス フーリエ変換
- 10 人間の飛翔 ナヴィエ=ストークス方程式
- 11 エーテルの中の波 マクスウェル方程式
- 12 法則と無秩序 熱力学の第2法則
- 13 絶対であるのは1つだけ 相対論
- 14 量子の不気味さ シュレーディンガー方程式
- 15 暗号、通信、コンピュータ 情報理論
- 16 自然のアンバランス カオス理論
- 17 ミダスの数式 ブラック=ショールズ方程式
- 次は何か?
- 注/図の出典/訳者あとがき/索引
【感想は?】
久しぶりに数学の「おお!」を味わった。巧みなパズルの解き方や、短い優れたプログラムを読み解いた時の感動と似た、あの感覚だ。
特に印象が強いのが、虚数iを語る「5 理想世界の兆し マイナス1の平方根」。
私は、虚数の意味を深く考えたことがない。「そういうものだ」で納得して、今までやってきた。複素数は、電気などを扱う際に便利だ(というか、そう聞いている)から、科学・工学の方面で発達したのかと思ったが、全然違った。数学が、虚数を必要としたのだ。
時は1572年。ラファエル・ボンベリ(→Wikipedia)は、ジェロラモ・カルダーノ(→Wikipedia)の公式に従い、三次方程式 x3 - 15x - 4 = 0 を解こうと試みる。すると、途中でこんな式が出てくる。ちなみに (n)1/2 は n の平方根を、(n)1/3 は n の立方根を表す。
式1 : x = ( 2 + (-121)1/2 )1/3 + ( 2 - (-121)1/2 )1/3
これは困った。(-121)1/2 って、なんじゃそりゃ。負の数の平方根はあり得ない。ところが、だ。
この式の途中に出てくる、2 + (-121)1/2 は、( 2 + (-1)1/2 )3 と等しい。嘘だと思ったら試してみるといい。というか、私は試して確かめた。1時間ほどかかったけどw まあいい。
だから、( 2 + (-121)1/2 )1/3 は、( ( 2 + (-1)1/2 )3 )1/3 だ。三乗して立方根にする無駄を省くと、 2 + (-1)1/2 と書ける。同様に、( 2 - (-121)1/2 )1/3 も、2 - (-1)1/2 と等しい。だから、式1は、こうなる。
式2 : x = ( 2 + (-1)1/2) + ( 2 - (-1)1/2 )
順番を変えカッコを外すと x = 2 + 2 + (-1)1/2 - (-1)1/2 となる。+ (-1)1/2 - (-1)1/2 を対消滅して消すと、x = 2 + 2 = 4 と解が出る。
おお、すげえ。計算途中に「負の数の平方根」なんて変なのが現れたが、結果は辻褄があった。もしかしたら「負の数の平方根」って、便利なんじゃね? と考えた数学者たちは、複素数を発展させ、それが後の科学者や工学者たちに福音をもたらすわけです。
虚数と同じく、なんとなく「そういうものだ」と思っていたのが、微積分。「グラフにした時の接線が微分」みたく、雰囲気で分かったつもりになっていた。この本では「極限」を使って説明しているけど、なんか誤魔化されたような気がするし、他の人にもうまく説明できそうにない。
とかの、真面目な数学についていけたのは、せいぜい5章まで。以降はみんな「そういうものだ」で数式を読み飛ばした←をい。著者もその辺は了解しているようで、後になるほど式そのものは説明せず、その歴史や応用例の話が中心となる。
中でも笑っちゃうのが、ジェームズ・クラーク・マクスウェル(→Wikipedia)。かの有名な「マクスウェルの悪魔」の人。変な実験を沢山やったらしいが、その被害者の一人?が猫。
猫は落ちても巧みに足から着地する。これ、真面目に考えると不思議なのだ。足場がないのに、なぜ体を回せるの? かくして猫は物理学者たちに虐待されることにw 謎が解けたのは1894年、ジュール・マレーが落ちる猫の連続写真を撮った事でケリがつきましたとさ(→Wikipedia)。
著者もSFが好きらしく、ソッチの面白いネタも出てくる。ただし根は真面目らしく、量子力学で使われるシュレーディンガーの猫のネタも、「古典的」に解釈してる。それだけに、「4 世界の体系」に出てくる、「チューブ」の話はワクワクする。
それは、太陽系内ぐらいのスケールで、宇宙を航行する航路の話だ。例えば小惑星帯で採掘した資源を、地球に運ぶとか。民間の運送会社がやるなら、費用を抑えるため、推進剤は節約したい。古いSFだと、ホーマン軌道(→Wikipedia)が、時間はかかるけど安上がりとされてきた。
が、実はもっと安上がりな軌道があって、既に実用化されているとか。三体問題で知られるように、重力源が多いと、力学は複雑になる。複雑さが作り出すスキの一つが5個のラグランジュ・ポイントで、このスキを巧みに突くと、ホーマン軌道の1/3程度まで推進剤を節約できるとか。その分、時間も3倍以上かかるんだけど。
などと、歯ごたえはあるが、楽しいネタも多い本だった。ただ、文章が…
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【文章についての愚痴】
これは翻訳の問題じゃないかって気がする。いや原書を読んでないので、本当のところはわからないんだけど。たぶん、原文を忠実に日本語に移そうとして、かえって意味が読み取りにくくなってるんだろう。例えば、こんな文章だ。
情報時代を賛美する主張のなかでは無視されている不都合な真実として、インターネットを行き交っている情報の大半は間違っている。
――15 暗号、通信、コンピュータ 情報理論
なんとなく、言いたい事は通じる。こういう事を言いたいんだろう。
情報時代を賛美する主張は多い。だが、それらの主張は、不都合な真実を無視している。インターネット上の情報は、大半が間違っているのだ。
つまり、こう言いたいのだ。ネットには間違いやデマが溢れている、と。
やはり分かりづらいのが、最初の「なぜ方程式か?」に出てくるから厳しい。
…方程式には2種類あり(略)
1種類はさまざまな数量のあいだの関係を表しており、その方程式が真であることを証明するのが課題となる。
もう1種類は未知の量に関する情報を与えるもので、数学者の課題はそれを解くこと、つまり未知の量を既知にすることである。
これ、私は意味が分からなかった。最後の「訳者あとがき」で、やっと意味が分かった。
後者は、科学や工学の式だ。例えば E = mc2。E はエネルギーで、m は質量、c は光速。それぞれ、現実にある(と科学者や工学者が思っている)何かを表している。
対して前者は、対数・微積分・虚数だろう。純粋数学の問題だ。この式に出てくる x や y は、「任意の数」であり、特に意味はない。ソレに何を当てはめるかは、使う人が決める。いや別に使われなくてもいい。数学者が面白いと感じる研究テーマなら、それで充分に価値がある。
など、文句ばかり言っちゃったが、先に書いた虚数の話とかは、やたら感動したのだ。紙に数式を書いて等号でつないでいくなんて作業、ほんと久しぶりにやったなあ。脳みその錆びつき具合を実感した一時間だったw
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