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2018年8月10日 (金)

池上永一「ヒストリア」角川書店

「ここにいたらちゃんと泣けないの。ここにいたらちゃんと笑えないの。私は毎日怯えて生きている。そんな人生は嫌なのよ!」
  ――p93

「私はここで生きていくのよ。森はどけっ!」
  ――p203

「私はいつまでたっても切れないジジィのしょんべんみたいな戦争が嫌いなの」
  ――p310

「楽しかったでしょ? イマドキのセックスは女が発射するのよ」
  ――p423

私たちは人生のスピード狂で、死のスリルを楽しんでいる。
  ――p472

「いいこと? よく聞くのよ、エルネスト。ボリビアという国は存在しないからよ」
  ――p526

「あなたはコロニアに宿った最初の神様よ」
  ――p590

【どんな本?】

 生まれ育った沖縄に拘り続ける作家・池上永一による、南米に移民した沖縄の女が大暴れする、長編娯楽アクション・ファンタジイ。

 1945年3月、太平洋戦争の末期、沖縄の戦い。知花煉は、米軍の空襲により家も家族も失う。ばかりか、マブイ(魂)までどこかに飛んでしまった。

 なんとか終戦まで生き延びた錬は、コザの闇市でチャンスを見つけ、事業を起こす。人を雇い商売も軌道に乗り始めたころ、行き違いでお尋ね者となり、南米のボリビアへと高跳びする羽目になる。

 ボリビアでも商売を始めたが、なかなか芽が出ない。借金は嵩むが、暮らしていくのがやっとだ。現地で知り合った日系三世のイノウエ兄弟に連れられ、プロレスを見に行った煉は…

太平洋戦争末期の沖縄戦・米軍に占領された沖縄・スペインに占領された南米・その南米に移民した沖縄の人々など、過酷で複雑な社会背景を舞台に、負けん気が強く才気に溢れた女が走り回る、娯楽大作。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2017年8月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約623頁。9ポイント44字×21行×623頁=約575,652字、400字詰め原稿用紙で約1,440枚。文庫本なら上中下の三巻でもいい大長編。

 文章はこなれていて読みやすい。ファンタジイ的な仕掛けはマブイぐらいなので、あまり気にしなくていい。私たちには馴染みのない南米、それもボリビアが舞台で、その歴史・社会・風俗が重要な意味を持つが、必要な事柄は作中でわかりやすく説明してあるので、何も知らない人でも大丈夫。

【感想は?】

 池上ヒロイン大暴れ。

 池上ヒロインとは。本性は両津勘吉だが、見た目は秋本・カトリーヌ・麗子、そんな女だ。

 気位が高く、バイタリティに溢れ、鼻っ柱がやたらと強い。機を見るに敏で、フットワークが軽く、先を見通す目もある。だから商売を始めればまたたく間に繁盛し、あっという間に事業を拡げてゆく。

 ただし堅実に店を守るのは苦手だ。いつだって手を広げすぎ、または鼻っ柱の強さが災いして、地雷原に踏み込み、全てがおじゃんになる。

 そこで泣き怒り頭を掻きむしり、でもすぐに次の事を考えて動き出す。

 この作品の主人公、知花煉も、典型的な池上ヒロインの一人。太平洋戦争の末期、地獄の沖縄戦に巻き込まれ、家も財産も家族も失い、何も持たない孤児となってしまう。

 ここで描かれる、沖縄人から見た太平洋戦争は、かなり不愉快なシロモノだ。当時の大日本帝国がいい国だと思ってる人には、耐えられないだろう。しかも、ここで示されるテーマは、後に舞台がボリビアに移ってからも、何度も繰り返し奏でられる。よって、そういう人は、この本に近づかない方がいい。

 この辺は「終戦史」あたりが詳しいので、参考までに。

 やはりエンジンがかかってくるのは、ボリビアに移ってから。ここで登場するセーザルとカルロスのイノウエ兄弟も楽しい連中だが、なんといっても華があるのは「絶世の美女」カルメン。この物語の、もう一人のヒロインと言っていい。沖縄美女の代表が錬なら、ボリビア美女の代表だろう。

 沖縄でも裸一貫から事業を起こした煉のこと、ボリビアでも何度も転んでは立ち上がる。この中で描かれる、ボリビアを中心とした南米の事情は、船戸与一の南米三部作をギュッと一冊にまとめたような濃さだ。

 ただ、その背景に漂う空気が、だいぶ違う。いずれも無常感が底にあるんだけど、船戸作品はそれが虚無感となるのに対し、池上永一は「なんくるないさー」になる。どこか明るいのだ。

 これは主人公の性格もあるが、やはり池上節というか。

 やたらとテンポが良く、お話がコロコロと転がっていくのに加え、所々に仕込んであるシモネタも効いてる。「ジジィのしょんべん」なんて平気で言っちゃうヒロインだし。そのくせ、ボリビアのファッション・リーダーを気取ってるんだから、凄い女だw

 表紙にあるようにチェ・ゲバラが絡んできたりと、無謀に風呂敷を広げていくのも、池上節の楽しい所。南米物なら定番の悪役も出てくるし、マニア好みなメカも大活躍するので、好きな人はお楽しみに。

 南米ならではの複雑な社会事情を活かしたストーリーに、当時の事件を巧く織り込み、銀色のコンドルで飛び回る場面とか、内藤陳さんが生きていたら、大絶賛しただろうなあ。

 かと思えば、地に足をつけて生きている、路地で生きている人や、農民の暮らしも、ちゃんと描いているのも、この作品への力の入れようがわかる所。特に力がこもっているのが、料理の場面。沖縄の伝統料理を、南米の素材で再現していくあたりは、腹の虫が鳴きまくるので覚悟しよう。

 スピード感に溢れ起伏の激しいストーリー、次々と意外な姿を見せるボリビアを中心とした南米の歴史と社会、バイタリティ溢れるパワフルなヒロイン、人情味あふれる仲間たちが繰り広げるギャグとアクション、そして底に流れる沖縄への想い。寝不足必至の大型娯楽長編小説だ。

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