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2018年8月の14件の記事

2018年8月30日 (木)

アニー・ジェイコブセン「ペンタゴンの頭脳 世界を動かす軍事科学機関DARPA」太田出版 加藤万里子訳

アメリカの未来の戦争は、アメリカ軍の正規兵士ではなく、アメリカ軍に訓練を受けた現地の戦士が、アメリカの戦術とノウハウに基づいて、アメリカ軍の武器で戦うことになる。
  ――第6章 心理作戦

反戦運動は(略)ARPAにとっては「非致死性兵器」プログラムを促進するチャンスでもあった。苦痛を与えるが命までは奪わない武力によってデモ隊を止める方法を研究開発する必要が生じたからだ。
  ――第13章 ベトナム戦争の終結

(J・C・R・)リックライダーと(ロバート・W・)テイラーは、1968年に小論文を共同執筆し、そのなかで「数年内に、人間は直接会うよりも効率的に、機械を通してやりとりできるようになるだろう」と予想していた。
  ――第14章 機械の台頭

これからの新たな焦点は、市街戦だ。
  ――第16章 湾岸戦争と、戦争以外の作戦

「次のフロンティアは私たちの身体の内側にある」
  ――第18章 戦争のための人体改造

9.11後、DARPAはパートナーであるNSAの能力を改善すべく、これら(防諜・情報収集)の技術の向上に全力をあげて取り組み始めた。
  ――第19章 テロ攻撃

「なぜ特定の地域が悪者たちの隠れ場所になるのか」
  ――第20章 全情報認知

「私たちは、生物学を不死の源となるようにしてるんだ」
  ――第25章 脳の戦争

【どんな本?】

 アメリカ国防高等研究計画局。Defense Advances Research Projects Agency。一般には DARPA の略称で知られている。その成果は、インターネット・GPS・ステルス技術などが有名だ。発足は1958年に遡る。以来、ARPA→DARPAと名前を変え、幾つもの挑戦的な研究に挑んできた。

 その DARPA は、軍の他の研究機関と、何が違うのか。何を目的として設立されたのか。どんな特徴があって、どのように運営されているのか。どのような者が、どんな研究をしてきたのか。

 軍に深く関わり、また科学と工学の先端を切り拓く研究が中心のため、その実体は厚い秘密のベールに包まれている。しかし、過去の研究の幾つかは、公開された文書で輪郭を掴むことができるようになった。

 「エリア51」でネヴァダ州ネリス試験訓練場の衝撃の歴史を暴いたジャーナリストの著者が、最強の軍事科学技術研究組織の歴史と今を、丹念な調査と取材で描き出す、迫真のルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Pentagon's Brain : An Uncensored History of DARPA, America's Top Secret Military Research Agency, by Annie Jacobsen, 2015。日本語版は2017年4月27日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約547頁に加え、訳者あとがき4頁。読みやすい10ポイントで45字×18行×547頁=約443,070字、400字詰め原稿用紙で約1,108枚。文庫本なら上下巻でもいい分量。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。科学を扱う本だが、理論には深く立ち入らないので、理科が苦手な人でも大丈夫。

 ただし、幾つか言葉の使い方が怪しい所がある。例えばデジタルテープレコーダーとか。DAT(Digital Audio Tape)もあるけど、インタビュウの録音って状況から考えて、いわゆるICレコーダー(digital voice recorder)じゃないかと思う。

【構成は?】

 ほぼ過去から現代へと話が進む。できれば頭から読んでもいいが、最新の情報だけが欲しいなら、第4部から読んでもいいだろう。たくさん略語や専門用語が出てくるので、できれば索引が欲しかった。

  • プロローグ
  • 第1部 冷戦
    • 第1章 邪悪なもの
    • 第2章 戦争ゲームと計算機
    • 第3章 未来の巨大な兵器システム
    • 第4章 緊急時対応ガイダンス
    • 第5章 地球最後の日まで1600秒
    • 第6章 心理作戦
  • 第2部 ベトナム戦争
    • 第7章 テニックとガジェット
    • 第8章 ランドとCOIN
    • 第9章 指揮統制
    • 第10章 士気と動機
    • 第11章 ジェイソン・グループのベトナムへの関与
    • 第12章 電子障壁
    • 第13章 ベトナム戦争の終結
  • 第3部 戦争以外のプロジェクト
    • 第14章 機械の台頭
    • 第15章 スター・ウォーズとタンク・ウォーズ
    • 第16章 湾岸戦争と、戦争以外の作戦
    • 第17章 生物兵器
    • 第18章 戦争のための人体改造
  • 第4部 対テロ戦争
    • 第19章 テロ攻撃
    • 第20章 全情報認知
    • 第21章 IED戦争
    • 第22章 戦闘地域監視
    • 第23章 ヒューマン・テレイン
  • 第5部 未来の戦争
    • 第24章 ドローン戦争
    • 第25章 脳の戦争
    • 第26章 ペンタゴンの頭脳
  • 訳者あとがき
  • 取材協力者および参考文献

【感想は?】

 マッド・サイエンティストの巣窟? うんにゃ、マッド・サイエンティストのシンジケートだ。

 いずれにせよマッド・サイエンティストなんだが、ARPA/DARPAは、一つの秘密研究施設に研究者が集まってるわけじゃない。予算などの資源を統括・配分する組織、みたいな感じだ。

 考えてみれば、DARPAによる最も有名な成果物、インターネットの原型ARPAネットにしても、一つの建物内で開発できるモノじゃないしね。にしても、インターネットは既に40年も前の発明だ。となれば、今のDARPAは、どれほど先を見据えているのか。

 軍の研究となれば、どうしても目先に囚われがちになる。また、陸海空&海兵隊の縄張り争いも激しい。これはトム・ウルフの「ザ・ライトスタッフ」にも描かれていた。そこで…

「アイゼンハワーは、軍が反対したからこそ、ARPAを創設したんだよ」
  ――第3章 未来の巨大な兵器システム

 と、アイゼンハワー大統領のキモ入りでスタートした。実際、危急の要求で開発したモノもある。かのゴルゴ13が愛用するM-16の原型AR-15も…

<プロジェクト・アジャイル>初期に生まれ、なによりも大きな影響を与えた兵器は、AR-15半自動ライフルだろう。
  ――第7章 テニックとガジェット

 と、ベトナム戦争当時、南ベトナムの将兵向けに、小型で軽く使いやすい銃として作られた。ベトナムの遺産としては、悪名高い枯葉剤もあって、これについても詳しく載っている。が、本来のDARPAの責務は…

ARPAは、国防総省の「まだ存在しない需要」を満たすために創設されたのだ。
  ――第13章 ベトナム戦争の終結

 と、あくまでも未来志向だ。とはいえ、60年代から現代まで、時代ごとに思い描く「未来」の姿が違うのも、本書の面白いところ。

 60年代は、とにかく核である。クリストフォロス効果とか、思いっきり漫画だ。ソ連の核ミサイルを、バリヤーで防ぐとか、実に楽しい発想じゃないか。もっとも、その方法が、大量の核爆弾を高空で爆発させ高エネルギー電子を云々でミサイルの電子機器を破壊し…って、EMP(→Wikipedia)?

 こういう漫画みたいな発想を、大真面目に大金かけて研究するから、インターネットなんてシロモノを創れたんだろうなあ。ステルス機にしても…

実のところ、それ(F-117)が実際に飛ぶなどほとんど期待していなかった
  ――第14章 機械の台頭

 なんて、開発者自身が、みもふたもないことを言ってる。

 まあいい。70年代は、やはりベトナム戦争が重要テーマ。ただ、「ベスト&ブライテスト」にあるように、政府と軍は迷走したわけで、ここでは失敗の記述が多い。そもそも国防長官のマクナマラからして…

「ベトコンとは何者なのか? 彼らの原動力は何なのか?」
  ――第10章 士気と動機

 と、敵が誰で何のために戦っているのか、皆目わかっていなかった様子。そこで社会学者が現地に調査に入る。ところが、彼らの報告は握りつぶされてしまう。つまりは忖度が働いたわけです。

 ここでは、当時のコンピュータCDC-1604が「32Kword(1W=42bit)」なんて出てきて、遠い目になったり。やはりILLIACⅣがイリノイ大学に置かれ、反戦運動の標的になる場面では、コンピュータが象徴するモノの移り変わりを感じてしまう。

 そんなジョージ・オーーウェルの「1984」世界にも、欠点がある。911で明らかになったが…

「アナリストたちは、押し寄せる大量の問題とデータの海で溺れかけてた。TIAの基本前提は、彼らが膨大な量のデータに圧倒されずにきちんと仕事ができるシステムを作ることだった」
  ――第20章 全情報認知

 どれだけ監視カメラがあろうと、全てを人間がチェックするなんて無理だ。そこで、怪しい物を取り分けるマシンが必要になる。なんとMMO<ワールド・オブ・ウォークラフト>でプレーヤーの挙動を追跡してた、というから怖い。これはスノーデン・ファイルが暴いてる。

そういやテロリストはMMOのチャットで連絡を取り合ってるって噂もある。メールや掲示板と違い、プロトコルログがゲーム独自だしログも残らないから、だとか。

 この手の監視システムの開発には熱心で…

<HURT>は、アメリカ軍と同盟諸国が特定の個人――反乱勢力――を標的にして拘束または殺害できるように、外国の一般市民とその居住空間全体を常時監視下に置き、徹底的に調べられるようにするものだ。
  ――第22章 戦闘地域監視

 うーむ。「ビッグデータ・コネクト」の世界は、作り話じゃないみたいだ。

 デジタルだけでなく、最近は生物学にも手を出してて、痛みを感じず不眠不休で戦う兵士とか、爆薬を嗅ぎつけるハチとか、まるきしSFなネタも満載。それもそのはず、米軍にはSF者がけっこう居て、エンタープライイズ号のブリッジを模したオフィスを作っちゃう将官とか、何やってんだw

 などと、呆れるネタ・怖いネタ・ワクワクするネタなど、SF者には宝箱みたいな話がギッシリ詰まり、カルピスの原液みたいな濃い本だった。また、「人類学者の圧倒的多数は政治的に左寄り」なんて小ネタも、箸休め的に面白かったり。

 にしても、DARPAやネイティック研究所(→「戦争がつくった現代の食卓」)とかの軍関係に加え、Google や IBM など民間の研究機関も豊かで、アメリカの科学技術研究・開発体制の層の厚さは、つくづく羨ましくなるなあ。

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2018年8月27日 (月)

パク・ミンギュ「ピンポン」白水社 斎藤真理子訳

原っぱのど真ん中に卓球台があった。どういうわけだか、あった。
  ――p8

こんなふうにして人類も、自分のフォームを整えているのかな?
  ――p136

僕らの、初の、公式の、試合だ。
  ――p231

【どんな本?】

 韓国の作家パク・ミンギュによる、現代の韓国の男子中学生を主人公とした長編ファンタジイ小説。

 中学生の釘とモアイは、日課のようにチスに殴られている。噂じゃ、高校のワルどもまでチスにビビってる。他の奴らは、みんな見て見ぬフリをしてる。みんな釘とモアイを無視してる。

 初夏のある日、釘とモアイは、原っぱで卓球台を見つけた。卓球台と古びたソファー、それと錆びて開かない棚。やがて二人はラケットを手に入れて卓球を始める。ラリーが始まり、世界が動き始めた。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2018年版」のベストSF2017海外篇の27位、2017年度の第8回Twitter文学賞海外部門第2位。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は 핑퐁, 朴玟奎(박민규), 2006。日本語版は2017年6月15日発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約235頁に加え、あとがき「近くの卓球場に行ってごらん」5頁+訳者あとがき7頁。9ポイント45字×18行×235頁=約190,350字、400字詰め原稿用紙で約476枚。文庫本なら普通の厚さの一冊分。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい。舞台は2000年代の韓国の都市部だろう。人名や食べ物などの固有名詞を除けば、雰囲気も風俗も現代日本とあまり変わらないので、スルリと作品世界に入っていける。あ、もちろん、SF/ファンタジイなので、ブッ飛んだ仕掛けはあるんだけどw

【感想は?】

 いじめの描写が凄まじい。

 中学生ってのは、図体だけデカくなり筋力もついちゃいるが、中身はガキのまんまだ。特にワルどもの世界は、ケダモノの理屈で動く。弱肉強食、ツッツキの序列が支配している。

 言葉をしゃべるから人間のように見えるし、連中も人間を装った方が得だと知っている。大人の世界も実態は力関係で決まると判っているから、権力を持つ者の前じゃいい子のフリをす知恵もある。そういう、損得にはやたら敏い奴が、チスだろう。

 そこに釘やモアイみたいな羊を放り込んだら、そりゃまあ…。釘が「僕も早くお年寄りになって」とか考えるあたりは、行き場のない中学生の絶望がよく出てる。こういうのは国を問わず似たようなモンなんだろう。

 そんな釘とモアイの世界が、卓球をきっかけに広がり始める。「行き場」ができるわけ。とは言っても、決して楽園ではなく、やっぱり変な人ばっかりなんだが。

 中学生から見たら、大人はしっかりしてそうに見える。でも、自分が大人になってみると、案外とそうでもない。というか、世の中には変な奴がいっぱいいる。「ハレー彗星を待ち望む人々の会」の面子も、濃い奴ばかりで、SF者としては楽しそうだな、と思ったり。キャサリンを愛する男とか、切ないねえw

 そういう、学校とは違う世界を開くキッカケとして、ラケットを選ぶ場面は、なかなか印象的。小突き回されるだけの釘が、これを機会に少しづつ自分を取り戻してゆく。

 だからって突然に世界が変わるわけでもなく。同じバスに乗り合わせた人々のおしゃべりなどをダラダラと描くところでは、現代韓国の都市に暮らす人々の姿が目に浮かんでくる。

 やはりSF者として興味を惹かれるのが、作中作として出てくる無名作家ジョン・メーソンの作品。なんじゃい「放射能タコ」って。オチもヒドいw ボウリングの話もイカれてる。こういう山椒は小粒でピリリと辛い芸風は、若い頃のカート・ヴォネガットを連想したり。いやストーリーは破綻してるんだけどw

 かと思えば、「世界を握ってた三人の老人」なんてくだりは、R・A・ラファティが使いそうなガジェット。もしかしたら聖書のネタなのかしらん。実はSFを書きたいんじゃなかろか、この著者。

 卓球に関するデタラメなウンチクも、民明書房というかゲームセンターあらしというか。セクラテンなどの真面目なネタで読者の警戒を解きながら、気が付けばとんでもねえホラに付き合わされてたりするのは、ベルナール・ウェルベルの手口に似てるかな。

 これが終盤に至ると、「たかがピンポン」と思っていたのが、とんでもない決断を任される事態になっちゃったり。にしても、なんでこの二人を選ぶw いや厨房らしいけどw

 強く冷酷で面の皮が厚くズル賢い奴らに、殴られ踏みつけられ奪い取られコキ使われ、他の者からは無視され除け者にされた、釘とモアイの決断はいかに。小説の概念を突き破る、破格の作品。「ヘンな話」が読みたい人にお薦め。

 なお、Kool & The Gang の Celebration は、こういう曲です(→Youtube)。懐かしいなあ、このビート、チャララッって感じのギター。

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2018年8月26日 (日)

グレン・ハバード、ティム・ケイン「なぜ大国は衰退するのか 古代ローマから現代まで」日本経済新聞出版社 久保恵美子訳

本書で検討するのは帝国のあり方ではなく、人類史上の大国の経済に関するデータや具体的な事実であり、このテーマを「偉大なる指導者、軍隊、文化の物語」として捉えてきた歴史家の業績をふまえて論じていく。
  ――第1章 序論

大国の衰退は必ずと言っていいほど、「自国の停滞が内的な要因の結果であることを否定する、中央集権化が進む、将来を犠牲にして現在浪費する」という決まったパターンに従って起きているのだ。
  ――第1章 序論

他国より強い国とは、他国より多くの武器や兵士を生み出せる国であって、傭兵を雇う金をより多く持っている国ではない。
  ――第2章 大国の経済学

歴史を見ると、大国が主導権を失うのは技術的なフロンティアを押し上げられなくなったときであることがわかる。
  ――第2章 大国の経済学

ごく一部の利害関係者に高い利益をもたらす政策は、そのコストが薄く広く負担される場合に支持を得やすくなる。
  ――第4章 ローマ帝国の没落

中国では、儒教と首都の宮城が歴代の支配者を呑み込んで彼らを変えたのであり、その逆は起きなかったのである。
  ――第5章 中国の宝

行政機関の長が国家として資金を借り入れる無制限の権限をもっていると、財政は現実には必ず混乱するのだ。
  ――第6章 スペインの落日

スペインはほかにも多くの形でインセンティブを歪める罪を犯した。もっとも明確に歪んでいたのは“才能”の市場である。
  ――第6章 スペインの落日

大企業、大銀行、巨大な官僚機構の三者のレントシーキングによって、政治制度の構造改革が妨げられている。
  ――第8章 日本の夜明け

歴史から学べる第一の教訓は、「政府を形成する人々とは、人間らしさを超越した汚れなき精神の指導者たちではない」ということだ。
  ――第12章 米国に必要な長期的視野

宗教的な命令はたいてい経済的なレントシーキングの口実である。
  ――第13章 米国を改革する

【どんな本?】

 古代ローマ,中国の明,日の沈まぬ帝国スペイン,オスマン・トルコ。歴史上で覇権を握った帝国は、なぜ衰え滅びたのか。現在の日本,大英帝国,EU,カリフォルニア州はなぜ伸び悩んでいるのか。急成長する中国は、今後アメリカにとってどれほどの脅威になるのか。そして、アメリカがトップを走り続けるためには、何をなすべきなのか。

 ポール・ケネディの「大国の興亡」やダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソンの「国家はなぜ衰退するのか」を受け、近年に発達した経済学の手法やそれにより得られたデータを元に、経済学・政治学の視点で国家の興亡をひも解き、危機を避け成長を保つ制度と政策の案を示す、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は BALANCE : The Economics of Great Powers from Ancient Rome to Modern America, by Glenn Hubbard and Tim Kane, 2013。日本語版は2014年10月24日1版1刷。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約411頁。9.5ポイント44字×20行×411頁=約361,680字、400字詰め原稿用紙で約905枚。文庫本なら上下巻でもいい分量。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。経済の本なので、GNP・GDP・購買力平価などの専門用語は出てくるが、たいてい本文中に説明があるので、素人でもだいたい分かるだろう。ただ、私は世界史に疎いので、ローマ帝国を扱う第4章はちと辛かった。

【構成は?】

 大雑把に分けると、三部構成になっている。

  • 第一部 概論:第1章~第3章
  • 第二部 事例の紹介
     前編 歴史上の帝国 第4章~第7章
     後編 現代の国家 第8章~第11章
  • 第三部 アメリカ合衆国への提案 第12章~付録

 つまみ食いしてもいいが、「レントシーキング」などの専門用語でつまづくかもしれない。その時は索引を見よう。

  • 第1章 序論
    • 米国の存亡に関わる脅威とは財政問題である
    • エンタイトルメント国家
    • 民主制のパラドックス
    • 本書の概観
  • 第2章 大国の経済学
    • 国富とは何か
    • 顕微鏡と望遠鏡
    • 恐怖を生かし続けよ
    • 混乱と合意(成長に必要な導火線)
    • ポール・ケネディの相対主義
    • 「しかし中国は違う」!
    • 経済成長率に関する問題
    • 経済力をどう測定するか
    • 経済力で世界を見る
    • 衰退主義の行動経済学的説明
  • 第3章 経済的行動と制度
    • 人々は実際にはどう行動するか
    • 国家のビジョンと分裂
    • 掌中の鳥
    • 長身者の問題
    • 経済的・政治的制度
    • 大国が不均衡に陥る標準的パターン
  • 第4章 ローマ帝国の没落
    • ローマ帝国の経済の概説
    • カエサルのまいた種
    • 衰亡の証拠
    • ローマ帝国の不均衡
    • 「終わり」の始まり トラヤヌス帝の即位
    • 「終わり」の途中 セウェルス朝期の通貨改悪
    • 「終わり」の終わり ディオクレティアヌス帝の指令経済
    • 集合行為の問題
  • 第5章 中国の宝
    • 孔子
    • 「変化」だけは変わらなかった
    • 革新と成長
    • 宝船の真実
    • 大いなる分岐
    • 拡大しすぎたのか、内向的になったのか、あるいは他の理由か
  • 第6章 スペインの落日
    • 16世紀のスペインの(地理的)成長
    • 超大国まであと一歩だったスペイン
    • 銀に支えられた帝国
    • 財産権の功罪
    • 政治的なクラウディングアウト
  • 第7章 奴隷による支配 オスマン帝国のパラドックス
    • 寛容と多様性
    • イェニチェリ
    • タックス・ファーミング
    • あまりに小規模で手遅れだったのか
  • 第8章 日本の夜明け
    • 布石 ジョン万次郎と名人
    • 手筋 “アジアの奇跡”のおもな特徴
    • 新たな布石 日本は再起できるか
  • 第9章 大英帝国の消滅
    • 英国はどのように発展したのか
    • 無益な予言
    • 英連邦構想の再生
  • 第10章 ヨーロッパ 統一と多様性
    • 二つの国の国家統制主義
    • 理論モデルとヨーロッパのスーパーモデル
    • ユーロ圏に対する賛否両論と金利
    • ユーロ圏の危機は通貨ユーロの危機なのか
    • 制度という手段
    • 「クリスマスの精霊」の訪れを待つ
  • 第11章 カリフォルニア・ドリーム
    • 自由の帝国、州の連合
    • 政府に対する束縛(地方債や年金)
    • 緊張の緩和
    • カリフォルニア州の暗部(税金、財政赤字、鉄道事業)
    • 新たな“近衛隊”の出現
    • 任期制限と時間選好
    • 選挙区改定による分極化
    • 破産のインセンティブ
  • 第12章 米国に必要な長期的視野
    • 中心は崩れない
    • 分極化の第一の検討
    • 政府債務の歴史と将来
    • 「エンタイトルメント」の第一歩
    • 政治的な「囚人のジレンマ」の打破
    • 分極化の第二の検討
  • 第13章 米国を改革する
    • 大国の歴史の教訓
    • 経済のバランス
    • 経済面での最善の未来
    • 民主制を守る
    • 改革のオデュッセイア
    • 憲法修正第二十八条?
    • 米国の再生
  • 付録 超党派的な財政均衡憲法修正条項の文案
  • 原注/参考文献/索引

【感想は?】

 要は経済政策を提言する本だ。

 ある種の人にとって、この手の本の是非は、結論がすべてだ。結論が気に入れば「いい本」だし、気に入らなければ「ダメな本」となる。どんな事例を挙げようが、データがどうなっていようが、どう論を展開しようが、関係ない。結論が気に入るかどうかが大事なのだ。

 この本の結論は、最後の付録にある。合衆国憲法に修正条項を加えろ、だ。法律だから、ややこしい書き方をしている。でも、その目的は至って単純だ。「財政の赤字が膨らむとヤバい。無謀な政府支出は抑えろ」。

合衆国ですらヤバいなら、日本は既に死んでそうなものだ。何せ政府債務残高はGDPの倍以上だし。普通、こういう時は国債などの利率が上がるのだが、日本の国債の利率は異様に低い。謎だ。

 だからといって、やたらとケチれ、と言ってるわけでもない。カネを何に使うか、政府は何を目指すべきか、がキモ。それは…

最適な政策とは、財政赤字をなくすこと自体を目的とするものではなく、経済成長を最大限に実現させるものだ。
  ――第13章 米国を改革する

 無駄金は使うな、でも経済成長につながる支出は守れ、そういう事です。当たり前ですね。具体的な政策は、第12章と第13章にある。内容は、こんな感じ。

  • 経済のグローバル化はいいものだ。
  • 起業しやすくしろ。労働規制を減らせ。
  • 政府による規制は減らせ。免許制はよくない。

 正直、この政策、私は気に入らない所もある。経済成長を目指せ、まではいい。違いは、経済成長させる政府支出は何か、だ。私は「経済政策で人は死ぬか?」が気に入っている。保険医療と教育への政府支出が経済を成長させる、そういう理屈だ。

 とかの結論はさておき、11章までは、とっても心地よく読めた。

 第1章から第3章までは、経済学の発展と、それにより広まった知見を紹介してゆく。特に、何をどうやって数値化するか、またはその数字はいつ生まれたのか、が楽しい。GNPなる概念のデビューが1934年で、国際的な枠組みが決まったのが1948年と、意外と新しかったり。

太平洋戦争前にGNPの概念が普及していたら、大日本帝国は開戦しただろうか?

 経済成長の原因を、本書は三つに分ける。1.商圏の拡大(取引先が増える)、2.投資の増加(工場が増える)、3.革新(業務改善や新ビジネスの開拓)だ。これで、アメリカがリーダーである由と、他の国がアメリカに追いつけない由を、キッチリ説明つけているから悔しい。

 アメリカは常に3.でリードしているのだ。途上国が発展する際は、主に2.投資の増加で発展する。往々にして、この発展は急速だ。かつての日本、今の韓国と中国がこれに当たる。だが、やがて限界が来る。この限界は1人当たりのGDPがアメリカの8割ぐらいになった時に訪れる。

 なぜ止まるのか。理由は様々だ。レントシーキング=既得利権集団。目先の利益に目がくらむ。ヒューリスティック=過去の成功に囚われる。排外主義。損切りできない。そして無知。

 どんな政府であれ、いずれ問題に突き当たる。だから、常に改革が必要なんだよ、そう主張するのが本書だ。そういう意味ではリベラルなんだが、労働者保護とはいかないあたりが新自由主義なんだろうなあ。

 過去の帝国を振り返る第4章~第7章も、なかなかの力作。実はローマ帝国・明帝国・オスマン帝国は、いずれも似たような原因で似たような結果を迎えている。既得利権を握る集団が国を牛耳り、新興勢力を抑えたため、発展が妨げられた、そういう形だ。

 ローマとオスマン帝国は軍が、明は官吏と学者が、自らの支配力の維持と拡大だけを目論んだ。その結果、新興勢力の勃興や他国との交易を拒み、国家の成長を抑えた。こういう、利権集団が国を牛耳る構図は、「太平洋の試練」や「終戦史」が描く大日本帝国と同じだなあ。

 民主主義なら、こういう問題を避けられるか、っつーと、そうもいかないとするのが、第8章~第11章。特に「第11章 カリフォルニア・ドリーム」は、シリコンバレーなどでイケイケな印象だったカリフォルニアの、以外な一面を見せてくれる。

 政治家は増税を避けたい。だって票が減るし。そして金はバラ撒きたい。票が取れるし。長い目で見りゃ政府は借金が増えて苦しくなる。でも任期の間だけ持てばいいや。と、いうことで…

政治家は課税可能額を上回る支出をしようとする
  ――第11章 カリフォルニア・ドリーム

 これは有権者も同じ。私も増税は嫌だけど、年金の支給や健康保険の補助は増やしてほしい。どうしても増税するなら、私以外の人に負担して欲しい。そういう事です。

 とかの本論とは外れるが、面白エピソードも多い。

 印象的なのが、アメリカの二大政党制の現状。「選挙のパラドクス」では、二大政党制なら両党とも穏健化する、となってた(→二大政党制で両党の政策が似てくるわけ)。が、1990年代あたりから、両党のはクッキリ別れちゃってる。ところが、有権者は浮動票が増えてるのだ。うーむ。

 他にも意外な所でヴァーナー・ヴィンジの名前が出てきた時は、SF者として「やられた!」と思ったり、読みどころはある。何より、経済学が発展途上である由が実感できて、歴史を経済の視点で分析していく部分がよかった。マクニールの「世界史」など、唯物論的な史観が好きな人にお薦め。

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2018年8月23日 (木)

人工知能学会編「AIと人類は共存できるか? 人工知能SFアンソロジー」早川書房

見憲研は、未来を先取りする世界最先端のブラック職場なのである。
  ――仕事がいつまで経っても終わらない件

≪俺が最適な判断をさせてやる。あんたらが生き残るために≫
  ――塋域の為聖者

「それを見てください」
  ――AIは人を救済できるか:ヒューマンエージェントインタラクション研究の視点から

【どんな本?】

 人工知能=AIと人間との関わりをテーマとしたSF短編小説と、AI研究に携わる研究者のコラムを組み合わせた、SFに強い早川書房ならではのユニークな作品&コラム集。

 今は深層学習が大流行りで、それだけがAIだと思っている人もいるかもしれない。でも、実際はAIとい言っても、そのアプローチは様々だ。ばかりでなく、それぞれの研究や分野が目ざす目的も違っている。

 AIとは何か、どんな手法があるのか、そして何を求めているのか。AIを巡る視野を、楽しみながら広げ得られる、ちょっと変わったアンソロジー。SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2018年版」のベストSF2017国内篇の16位。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2016年11月15日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約424頁。9ポイント45字×20行×424頁=約381,600字、400字詰め原稿用紙で約954枚。文庫本なら上下巻でもいい分量。

 現在ホットなネタを扱う作品が多く、親しみやすさはそれぞれ。私は長谷敏司の「仕事がいつまで経っても終わらない件」が最もとっつきやすいと感じた。

【収録作は?】

 それぞれ作品名 / 著者名 の順。

眠れぬ夜のスクリーニング / 早瀬耕
 奥戸理来は、研究・開発部門の機械翻訳チームからからシステム構築部門に異動になった。以来、不眠と頭痛に悩んでいる。おまけに周囲の者がアンドロイドじゃないかとの疑いが頭を離れない。産業医の勧めでシアトルのクリニックにSkype経由で診察とカウンセリングを受け始めたが…
 冒頭の診察場面で、医師のユウコ・サトウ・ティレルに同情したくなったり。というのも、患者の理来が、医師の質問について、いちいちその意図を探ろうとするから。そりゃやりにくいだろうなあ。でも賢い人って、往々にしてそういう所があると思うべきが、理来が疑心暗鬼に陥っていると解釈すべきか。
人工知能研究をめぐる欲望の対話 / 東京大学特任講師 江間有紗
 「眠れぬ夜のスクリーニング」の構造は、けっこう込み入っている。実は私もよく分かっていない。これを分かりやすく噛み砕くために、別の視点から描いた掌編が入っているのは嬉しいサービス。ヒトが持つ欲望を分類・整理した上で、「科学する欲望」「工学する欲望」なんて出してくる発想も楽しい。もう一つ、「表現する欲望」みたいのも、あってもいいかな、と思ったり。
第二内戦 / 藤井太洋
 2020年の銃規制がきっかけで、テキサスを筆頭とする南部諸州はFSA(アメリカ自由連邦)として独立する。数年後、私立探偵のハル・マンセルマンに依頼人が訪れる。ウォール街の投資技術者アンナ・ミヤケ博士だ。依頼はFSAへの入国、ただし身分を偽って。
 これも冒頭の風車が回る風景で、ちょっと西部劇を思い浮かべたり。中央証券取引所に漂う紫煙や「コルト・ガバメント」など、ちょっとした南部風の小道具にもニタニタしてしまう。BANもいいが、中心となる<ライブラ>の発想は、案外と早く実現するかも。
人を超える人工知能は如何にして生まれるのか? ライブラの集合体は何を思う? / 電気通信大学大学院情報理工学科/人工知能先端研究センター 栗原聡
 <ライブラ>のアイデアを、蟻の行列や鰯の群れに例えて、基礎から丁寧に解説するコラム。そういえば粘菌コンピュータ(→Wikipedia)なんてのもあった。ヒトの出す赤外線やフェロモンを追跡できたら、何か面白い研究ができるかも。
仕事がいつまで経っても終わらない件 / 長谷敏司
 第百八代総理大臣の大味芳彦は、憲法改正に挑む羽目になった。妻の早苗の父で、かつて何度も総理を務めた東山改進に迫られたためだ。今の情勢から見て、改憲は大博打になる。閣僚の結束も崩れ始めた。若手の長岡雄一の勧めに従い、人工知能の利用を試みるが…
 今までシリアスで暗い作品が多かった長谷敏司が、意外とはっちゃけた芸風を見せる作品。見憲研を率いる磐梯敦教授の、研究のためならあらゆる犠牲を厭わないマッドサイエンティストぶりが好きだ。にしてもウサギ耳のソンビ集団ってw
AIのできないこと、人がやりたいこと / 国立情報学研究所 相澤彰子
 やはり磐梯敦教授が気になったのか、「『無謀』と『挑戦』の線引き」なんて楽しいネタで始まるコラム。洗練されているように見える現在のコンピュータ技術も、基礎は案外と繰り返しの多い地味な作業の上に築かれてたりする。もっとも、研究って、たいていはそういうものなのかも。
塋域の為聖者 / 吉上亮
 チェルノブイリは、1986年の原発事故で人が消えた。今は<ゾーン>と呼ばれ、木々が生い茂り、一部は観光コースとなっている。ガイドのイオアンは、五歳の娘リティアを連れた子連れ観光ガイドとして有名だ。予定通り、事故を再現する劇場に、観光客を案内したが…
 <ゾーン>,「案内人」とくれば当然、SF者はストガルツキー兄弟の「ストーカー」を思い浮かべ、ウヒヒとなってしまう。が、お話は劇場から一転、激しいアクションに。今も続くウクライナ紛争に、得体のしれない複数の勢力を絡め、映像化したら映えそうな場面が続く。ほんと、このまんま映画化したらいいのに。
AIは人を救済できるか:ヒューマンエージェントインタラクション研究の視点から / 筑波大学システム情報系助教 大澤博隆
 作品中で扱っている重いテーマ、宗教に切り込んだコラム。ホンダのASIMOとバチカンの関係は知らなかった。かの有名なELIZA(→Wikipedia)やAIBOの葬式とか、案外とヒトってチョロいのかも…と思っちゃったり。ヒトとマシンのコミュニケーションは「機械より人間らしくなれるか?」、宗教は「ヒトはなぜ神を信じるのか 信仰する本能」が面白かったなあ。
再突入 / 倉田タカシ
 軌道上に浮かぶグランドピアノ。高度を維持する速度を失い、やがて大気圏に突入し、流れ星となる。<再突入芸術>という表現形式で名を挙げた故人の、最後の作品であり葬儀でもある。全地球に中継され、多くの人が鑑賞するだろう。
 AIと芸術なんぞという、これまた大変なテーマに挑みつつ、想定外のオチへと持っていく快作。「そもそも芸術とは何か」と根本的な問いも凄いが、それの扱いも「おお、こう料理するか!」と、ひたすら感服。
芸術と人間と人口知能 / 公立はこだて未来大学教授 松原仁
 これも作品と同様、根源的な問いに真摯に向き合ったコラム。話題になった第三回星新一賞の応募作、AIが書いたショートショートと、その舞台裏も掲載。ハーレクイン・ロマンスの正反対なんだなあ。だったら両方を組み合わせれば…とか考えてしまう。ショートショートの面白さはジョークの面白さと似てるんで、「ヒトはなぜ笑うのか」あたりも参考文献として面白いかも。

 複数の作家が競うアンソロジーは、作家ごとの味の違いが楽しめるのも美味しいところ。長谷敏司の意外な芸風が楽しめる「仕事がいつまで経っても終わらない件」では大笑いした。意外とコテコテな芸風もイケるのね。藤井太洋の「第二内戦」も、今SFマガジンで連載中の「マン・カインド」の舞台設定が覗けて嬉しかった。

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2018年8月21日 (火)

ロバート・コンクエスト「悲しみの収穫 ウクライナ大飢饉 スターリンの農業集団化と飢餓テロ」恵雅堂出版 白石治朗訳

本書で扱う問題(略)は、1929年から1932年までの間に、スターリンの指導のもとでソヴィエト共産党が、(略)ソ連邦全体の農民にたいしておこなった二つの攻撃という点に絞られる。つまり、富農撲滅運動と農業集団化の二つである。
  ――序文

ウクライナは、フランスと同じ広さの国土をもち、ポーランド以上の人口をかかえながら、両大戦中(一時的な例外はあったが)、独立国家になれなかったヨーロッパ最大の国である。
  ――第2章 ウクライナ国家とレーニン主義

1918年7月、農民全般の格下げが正式に決まった。ソ連の新憲法は、農民よりも労働者にたいして圧倒的に有利なかたちで投票権を与えたのである。つまり、農民の代表一人選ぶのに125,000票を必要としたのにたいして、労働者の代表は一人に25,000票あれば足りたのだ。
  ――第3章 革命、農民運動、飢餓 1917年~1921年

自由市場での価格(1933年)は、政府が強制的に買い上げるときの価格の20~25倍になっており、これからして政府がいかに農民を搾取していたかが分かる(公式統計による)。
  ――第7章 急激な集団化とその失敗 1930年1月~3月

1926年の人口調査によると、ソ連邦におけるカザフ人の人口は、3,963,300人であった。それが1939年の人口調査(それ自身、水増しがあった)では、3,100,900人であった。
  ――第9章 中央アジアとカザフ人の悲劇

2,000万人から2,500万人までの、ウクライナの農業人口のうち、1/4から1/5、つまり約500万人が死んだ。
  ――第12章 飢餓の猛威

さらに重要なことは、そして継続的に行われたことは、すっかり空になった農村、あるいは半ば人のいなくなった農村に、ロシア人の農民が移り住んだことである。
  ――第13章 荒廃したウクライナ国土

1932年のソ連邦の穀物生産の総計が、1931年のものよりも悪くなく、1926~30年の平均値よりもわずかに12%しか低くなかったということであり、飢饉的数字からはかけ離れていたということである。ところが、穀物の徴発は44%も増えている。
  ――第13章 荒廃したウクライナ国土

子供には、また別の危険があった。ポルタヴィア市では犯罪者たちが、子供をあつかう食肉解体処理場を常設していた。
  ――第15章 子供たち

ある見方によると、ソ連の指導部が一般に理論の束縛性をさらに強化しつつあるかどうかは、彼らがどんな農業政策をとっているかを検討することによってチェックできたという。
  ――エピローグ その後の推移

【どんな本?】

 1929年から1932年にかけて、ソ連は主にウクライナで二つの政策を進めた。富農撲滅運動と農業集団化である。当局は富農と見做した者を強制移住などで迫害する。他の農民は集団農場(コルホーズ)や国営農場(ソフホーズ)などに狩り集めた。

 その結果、反乱が頻発し、収穫は激減する。しかしソ連共産党は飢えた農民を支援するどころか、国家政治保安部を先兵として農作物の徴発を強化した。最悪の事態は1933年に訪れる。被害者数は諸説あるが、本書は富農撲滅運動と飢饉を合わせて1,450万人としている。

 現在はホロドモール(→Wikipedia)として知られる、1933年にクライマックスを迎えたウクライナを中心とする大飢饉を、歴史的経緯や当時の政治情勢から、当局が進めた政策とその結果、そして被害者の様子を、多くの証言と文書を元に再現・検証する、衝撃の歴史書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Harvest of Sorrow : Soviet Collectivization and The Terror Famine, by Robert Conquest, 1986。日本語版は2007年4月20日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約568頁に加え、訳者あとがき18頁。年寄りに優しい10ポイントで48字×19行×568頁=約518,016字、400字詰め原稿用紙で約1296枚。文庫本なら上中下の三巻でもいいぐらいの大容量。

 文章はハッキリ言って読みにくい。正確さや根拠を大切にする学者の著作だから、まだるっこしい書き方なのは仕方がない。頭のいい人が書いたためか、またはロシア文学の影響か、一つの文が長い。加えて、文学的な効果を期待したのか、妙にもったいぶった表現が多い。

 ちなみに Wikipedia によると、著者はイギリスで共産党に入党後、第二次世界大戦中に共産主義に幻滅して反共主義に鞍替えしている。よって本書は明らかに政治的な意図を持った本で、そういう匂いが強く漂っている。

 ただし、内容はわかりやすいし、特に前提知識も要らない。当時のウクライナはソ連領だった、ぐらいで充分。敢えて言えば、地名がたくさん出てくるので、ロシア・ウクライナ・カザフスタンなどの地図または Google Map があると更に迫力が増すだろう。

 なお訳注は本文中にあり、いちいち頁をめくらずに済むのてとても有り難い。ばかりでなく、その内容も極めて充実していて、より深く読みこなす際に大いに助けになる。また、軽く流し読みするだけでも、「当時のソ連」の雰囲気が静かに漂ってくる。

 ちなみに1エーカーは約0.4ヘクタール(40m×100m)。

【構成は?】

 訳者あとがき曰く「まず第15章の『子供たち』を読まれたい」。これは実に適切で親切な助言だ。

 本書はだいたい時系列に沿って話が進む。

 そのため、小説で言えば第1部・第2部は舞台設定の説明にあたる。ここではウクライナとロシアの歴史や共産党の政策、そして党内の派閥争いなどを描く。よく知らない名前がたくさん出てくる上にややこしいので、よほど我慢強い人でなければ、途中で放り出してしまうだろう。

 が、それは大変にもったいない。

 なんといっても、第3部の迫力がすさまじい。ここでは「何が起きたか」を明らかにする。忙しい人やつまみ食いしたい人は、訳者の勧めに従い「第15章 子供たち」から読み始めるといい。これで興味を持てたら、「第12章 飢餓の猛威」「第13章 荒廃したウクライナ国土」に戻ろう。

 その上で更に背景を知りたければ、頭から読むといい。

  • まえがき/序文
  • 第1部 主役たち 党、農民、国家
    • 第1章 農民と党
      農民の伝統/農奴解放後/農民の副業/ロシア農業の後進性/ロシア農民論/マルクス主義者の農民観
    • 第2章 ウクライナ国家とレーニン主義
      ウクライナの独立問題/ウクライナの歴史/ウクライナのロシア化/国家と民族問題/ウクライナ中央ラーダとボリシェヴィキ/ゲートマン政権とウクライナ共産党/ディレクトリヤ政府と第二ソヴィエト政府/ウクライナのボリシェヴィズム/ウクライナ語の問題/ウクライナの「独立」
    • 第3章 革命、農民運動、飢餓 1917年~1921年
      農村共同体の復活/農村における階級闘争/農民からの食糧徴発/農民戦争/農民戦争の死亡者数/ロシア社会の崩壊/1921年の大飢饉
    • 第4章 閉塞期 1921年~1927年
      ネップ(新経済政策)/民族問題の譲歩/スターリンの権力闘争と農民問題/経済回復の曙光/共産党の敵たち/村ソヴィエト/「富農」についての定義/「貧農」と「中農」についての定義/階級区分の困難/右派と左派/ウクライナ内部の抗争/不安定な政府
  • 第2部 農民蹂躙
    • 第5章 激突の年 1928年~1929年
      1928年の穀物危機、右派の敗北/ウラル・シベリア方式/シャーフトィ裁判/農民の階級闘争/第一次五カ年計画をめぐって/富農迫害の始まり/富農の抵抗/農村における党の活動/1929年 穀物不足/集団化の計画/トーズ(土地共同耕作組合)/コルホーズ幻想/進まぬ集団化/1929年の混迷/要約
    • 第6章 「富農」の運命
      「富農階級」は存在しなかった/「階級の敵」を必要とした共産党/富農の分類とその処分/年への富農の流入/犠牲になった「富農」の数/富農は虫けらのように抹殺されていった/富農の家族たち/強制移住の実態/生残れなかった人々
    • 第7章 急激な集団化とその失敗 1930年1月~3月
      農業の集団化/農民の反乱/家畜の大量処分
    • 第8章 自由農民の最後 1930年~1932年
      農家隣接地/コルホーズを離脱する農民/工業化と「国内旅券制」/工業化と資本調達/コルホーズの窮状/コルホーズ 穀物徴発のシステム/「労働日」/国営農場(ソフホーズ)/馬とトラクター/機械トラクター・ステーション(MTS)/コルホーズの役割 消された経済学者たち/過大な予測と統計のウソ
    • 第9章 中央アジアとカザフ人の悲劇
      中央アジアにおける家畜と人口の減少/遊牧から農業への転換の困難/カザフ社会の「富農」撲滅/農業集団化とレジスタンス/人災の原因/放浪のカザフ人/少数民族の飢餓と逃亡
    • 第10章 教会と民衆
      無神論と農民/党の宗教政策/反宗教運動の強化/司祭への迫害/教会破壊と農民の抵抗/聖鐘とイコン/キリスト教文化の破壊/福音派教会など/ウクライナ独立正教会とカトリック東方帰一教会イコン/キリスト教文化の破壊
  • 第3部 飢餓テロ
    • 第11章 ウクライナへの猛攻 1930年~1932年
      知識人への迫害/第二の標的 農民/ウクライナ共産党の苦悶 餓死の始まり
    • 第12章 飢餓の猛威
      小麦を盗んで銃殺に/善意の人々/誠実なコルホーズ議長たち/活動分子と作業班/飽食の人々/蛮行にたいするショーロホフの批判とスターリンの反論/飢えを救うのは感傷的行為だ レーニン/農民の暴動/村をでた人々と「外国人専用店」/計画未達の村への制裁/割り当てを達成しても有罪/ウクライナ共産党への批判/コシオールの見解/解任と銃殺/餓死する人々 1933年/生きた農民にウジ虫が/飢餓による死亡率/飢餓の症状/人肉食い/スターリニズムの病理 欺瞞
    • 第13章 荒廃したウクライナ国土
      雑草だらけの畑/救護対策/無責任なモスクワ指導部/駅で腐らせた穀物/ウクライナ民族主義への弾圧/ウクライナ知識人にたいする粛清 1933年/全滅のウクライナ/ジェノサイド
    • 第14章 クゥバーニ川、ドン川、ヴォルガ川
      コサックの伝統/B・シェボルダーエフの闘い/コサック村の壊滅/クゥバーニ川流域のウクライナ文化掃討/死の北カフカース/ヴォルガ・ドイツ自治共和国の惨状
    • 第15章 子供たち
      生存者のトラウマ/餓死する子供たち/母の涙と子供の生き方/浮浪児たち/子供の労働収容所と孤児院の実態/国家の犬にされた子供たち/子供の犠牲者 400万人
    • 第16章 死亡者数
      人口問題/飢餓による死亡者の数/いろいろな数字/飢餓以外の死/結論
    • 第17章 西ヨーロッパの記録
      スターリン 欺瞞の手法/真実は隠せない/騙された人々/ウエッブ夫妻の大過/「最大の嘘つき」 W・デュランティ/欺瞞に加担した人々
    • 第18章 責任問題
      政府の公式見解/スターリンの態度/飢餓の標的 ウクライナ/マルクス主義の責任/総括
  • エピローグ その後の推移
    「勝利者の大会」/農村での粛清/ウクライナの解体/ウクライナの抵抗/その後のウクライナ政策/コルホーズ農業の失敗/大戦後の実績/ルィセーンコと「社会主義的労働の英雄」/その後のコルホーズ/官僚の非人間化/共産主義思想と大量殺戮/秘密主義
  • 訳者あとがき
  • 原注/文献目録

【感想は?】

 「毛沢東の大飢饉」「ポル・ポト ある悪夢の歴史」と並ぶ、人為的な大飢饉を掘り起こした労作。

 映画「キリングフィールド」で、ポル・ポトとクメール・ルージュの狂気は世界に知れ渡った。毛沢東の大躍進の愚行も、多くの日本人は知っている。そのオリジナルがスターリンのホロドモールだ。

 規模的にも、先に書いたように約1,450万人と、充分に大虐殺の資格を備えている(諸説はあるが)。本書が書かれたのは1986年で、ソ連崩壊以前だ。多くの秘密文書が公開される前の研究なので、数字は不正確ではある。が、ソ連とロシアの性格から考えて、「実際はもっと酷かった」となる可能性が高い。

 繰り返すが、ウクライナの飢饉は人為的なものだ。無茶な計画に沿って間抜けな政策を強引に進めたため、単なる不作が大飢饉になった。基本的な構図が大躍進とソックリなのが怖い。

 事の始まりは1928年、不作に見舞われる。党はこれを富農のせいにする。が、しかし…

富農とは、実のところ党が経済的な観点から勝手につくりあげた一つの階級でしかなかった。
  ――第4章 閉塞期 1921年~1927年

 共産主義には階級闘争が要る。貴族を倒したソ連は、次なる獲物として富農が狙われた。といっても、大地主とするには程遠い。

「富農」から没収した物資の金額(略)は、1憶7,000ルーブリ(略)、最近では4憶ルーブリという数字もある。もし富農として解体された家族を、100万という公式数字程度に低く見積もったとすると、右の数字は一世帯当たり170~400ルーブリにしかならない(公定の為替レートで計算すると、それは90~210ドルであった)。
  ――第6章 「富農」の運命

 せいぜい馬を数頭持ってるとか、その程度である。つまりは暮らしに多少のゆとりのある農家に過ぎない。党は集団農業への転換も目論んでいる。個人農家が豊かだと、集団農場の魅力が薄れる。

 また、豊かな農家は往々にして賢く人望が厚いので、村のリーダー格になる。反乱を起こす際にも、暴徒を率いる頭目になるだろう。党は、そういう人を狙って財産を没収しシベリアに送った。それでも反抗的な村は、村ごと中央アジアやシベリアへの強制移住だ。

 豊かになったら党に狙われる。それなら、どうするか。貧しければ狙われない。植え付けを減らし耕作を怠る。牛・馬・豚・羊などの家畜を殺す。または農地を捨てて都市に流れ込む。このサイクルが何年か続けばどうなるか、子供にもわかるだろう。

 集団農場の惨状も、まあご想像のとおり。トラクターは壊れて使えず、畑は住居から遠くて通えず、家畜は適切な餌が与えられず飢えて倒れてゆく。そもそも農場を率いる者が農業を知らない。確かに現在のアメリカじゃ機械化された大規模農場が成功している。けど当時のソ連の現状だと…

農業形態のあり方に関係なく、生産高はまったく単純な方法によって高めることができた。(略)鉄鋼製の犂は、当時まだ使われていた木材性の犂にくらべると、その500万倍もの耐久性をもっていたのだ。
  ――第5章 激突の年 1928年~1929年

 と、もっと地道で単純な農機具の改良で充分に増産が可能だった。何せ1930年代だし。

 それでも党は徴発を続ける。活動分子は、「手足がまだ腫れていない農民」を怪しんでガサ入れする。飢餓の症状が現れていなければ犯罪者扱いって、どういう世界だ。

 そうやって集めた穀物の多くが、無駄に腐っていくから意味が分からない。集荷地で、貨物列車で、駅で、家畜の餌にすらならぬシロモノになってゆく。ドイツの農業専門家は、こう見積もっている。「1933年の収穫の30%近くが失われた」。

 だが、この惨状をスターリンは聞かぬ存ぜぬで押し通す。

飢餓に言及した人は、反ソ的プロパガンダの科で逮捕され、ふつうは五年かそれ以上、強制収容所に送られた。
  ――第12章 飢餓の猛威

 知らんわきゃ、ねえのだ。なぜならウクライナとロシアの「国境」は封鎖され、食料を買い出しに出たウクライナの農民は、帰りの列車内で捕まり、食料を没収されている。国境封鎖なんてのは、相当に上位の者が命令しなきゃ出来ることではない。何より…

外国の報道者たちを飢饉地域に入れなかったことが、つまりは当局が現実に進行していることを実際には暗黙のうちに認めていたということになる。
  ――第18章 責任問題

 見られちゃマズいモンがあるから、外人記者を入れないのだ。それでも党は責任を認めない。

官僚制は、責任を上から下へとおしつけてゆく。
  ――第7章 急激な集団化とその失敗 1930年1月~3月

 家畜の大量死を獣医の無能のせいにして獣医を大量処分した、なんてエピソードもある。

 なぜこれほど愚かな真似をしたのか。これは目次でうっすら想像がつく。ウクライナが団結して独立を求めるとやっかいな事になる。だから反乱の芽を徹底して摘んでおきたかった、そういう事だ。今でもロシアがウクライナにチョッカイを出してるし、かなり納得できる説ではある。

 やたらと量が多い上に、文章もこなれていない。内容も怖く悲しく憂鬱で、じっくり読むと人間不信に陥りかねない。それほど衝撃は大きい。現実を直視する勇気がある人にだけ勧める。

 なお、訳注の人物紹介の多くが「銃殺」で終わってるのも、いかにもソ連だったり。

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【余談】

 この後、ウクライナは1940年代にドイツに攻め込まれ、再び地獄の様相になる。キャサリン・メルデール「イワンの戦争」やアントニー・ビーヴァー「スターリングラード」「ベルリン陥落」などを読むと、この土地は呪われてるんじゃないかとすら思えてくる。

 というのも。独ソ両軍とも、焦土作戦を展開するのだ。

 まずドイツが進撃し、赤軍が撤退する。赤軍は、撤退する際に農地や倉庫を燃やしてゆく。ドイツに食料を渡さないためだ。

 本書のような歴史があるので、当初、ウクライナの者はドイツ軍を歓迎する雰囲気すらあった。ところが、食うに困ったドイツ軍は、ウクライナの農家が隠した食料を奪って食いつなぐ。おまけにユダヤ人の虐殺である。これでウクライナ人は一気に反抗的になり、レジスタンスに参加する者も増えた。

 やがて形勢が逆転したのはいいが。ドイツが撤退する際も、赤軍と同じ作戦を取った。再び焦土作戦で、種もみまで焼き尽くしていった。どっちが勝つにせよ、ウクライナの民は虐げられるのである。

 そういう歴史の末にウクライナの独立があるのだと考えると、現在のウクライナ戦争の意味もだいぶ違ってくるんだよねえ。

 

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2018年8月19日 (日)

S・K・ダンストール「スターシップ・イレヴン 上・下」創元SF文庫 三角和代訳

ライン9と10の役割はわかっているが、7と8がなにかはっきり知る者はいない。
  ――上巻p95

「秘密兵器を持っていたらな、イアン、みだりに見せびらかさないことが最善なんだよ」
  ――下巻p85

【どんな本?】

 オーストラリア出身の姉妹、シェリル&カレン・ダンストールによるデビュー作。

 500年前、人類は「ライン」を発見した。これにより人類は銀河系へと進出する。ラインを用いると、ボイド空間を介してジャンプできるのだ。ラインは1から10まであり、それぞれ役割が違う。1がクルーの健康維持、2が喚起・暖房など、9がボイド空間の出入り、10がボイド空間内のジャンプを担う。

 ただし、ラインの実態は完全には分かっていない。例えばライン7と8の枠割は不明だ。

 ラインの保守と調整は、専門の資格を持つ「ラインズマン」の仕事だ。ライズマンにはレベルがあり、資格を得るには才能と修業がいる。上位レベルのラインズマンは下位レベルのラインも扱えるが、逆はできない。最上位であるレベル10のラインズマンは貴重で、銀河全体でも50人ほどしかいない。

 半年前、「合流点」が発見された。ラインと深い関係があるらしい。レベル9と10のラインズマンは根こそぎ合流点の調査に駆り出された。

 例外はイアン・ランバートのみ。イアンは歌ってラインを操る。こんな方法を使うのはイアンだけで、ラインズマン・ギルドの中では異端扱いだ。雇い主のリゲルは弱小カルテルだが、ラインズマン不足の機を見てイアンをコキ使い荒稼ぎしている。

 銀河は三つの勢力が争っている。かつての大勢力の同盟、ジャンプを管理するゲート連合、そしてラインの多くを供給するレドモンド。今はレドモンドが連合と手を組み、同盟と睨み合っている。戦争が近く、同盟の旗色が悪いとの噂だ。

 そんな折、イアンをリゲルから買い取る者が現れた。同盟の核を成すランシア帝国の皇女、ミシェル・リャンだ。彼女に連行されたイアンは、同盟の抱える極秘の存在に触れ…

 腕はいいがヘタレなエンジニアを主人公とした、謎と陰謀とアクションたっぷりの娯楽スペースオペラ三部作の開幕編。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は LINESMAN, by S. K. Dunstall, 2015。日本語版は2018年2月23日初版。文庫本で上下巻、縦一段組みで本文約294頁+281頁=575頁に加え、訳者あとがき5頁+用語集6頁。8ポイント42字×18行×(294頁+281頁)=434,700字、400字詰め原稿用紙で約1,087字。普通の上下巻の分量。

 文章はこなれている。内容は娯楽路線のスペース・オペラ。ラインをはじめとしてケッタイな言葉や概念がたくさん出てくるが、ぶっちゃけ物語世界を成立させるための仕掛けなので、真面目に考え込まないように。「そういうものだ」と受け入れて、素直に楽しもう。

【感想は?】

 ヘタレなエンジニアの巻き込まれ型スペースオペラ。

 主人公のイアン君、才能こそあるものの、どうしようもなく奴隷根性が染みついてる。きっと学級カーストじゃ最下層だったろうなあ、とか思ったら、それどころじゃない悲惨な生い立ち。

 ところがカバーの登場人物一覧を見入ると、イアン君以外はズラリと御大層な方々が並んでる。帝国の皇女だの軍の大将だの政界の黒幕だの。となればややこしくて熾烈な権力闘争があるわけで、ヘタレなイアン君は色々とシゴかれ翻弄されるばかり。

 ってな構図は、微妙にエンジニアの自尊心をくすぐってくれる。あなたが上司のご機嫌取りや組織内の派閥争いから距離を取り、己の腕を磨くのに腐心するタイプなら、他人とは思えず、つい応援したくなっちゃうだろう。

 ただイアン君は、そういう場でも孤立しちゃうから切ない。他のラインズマンはラインを「押す」のに対し、せイアン君は歌いかけるのである。もはや異端を越え狂人扱いだ。そりゃ卑屈にもなるよなあ。

 イアンをはじめとするラインズマンとエンジニアの共通点はもう一つあって、それはラインへの愛情と言うかこだわりと言うか。

ラインズマンがしゃべると、話題はいずれラインに変わるものだ。
  ――上巻p16

 プログラマ同士は葬式でもコードの話をするらしいが、そんな感じなんだろう。こういう仕事への熱意や愛着も、職人肌のエンジニアには嬉しいところ。原題の LINESMAN でグレン・キャンベルのウィチタ・ラインマン(→Youtube)を連想するんだけど、あれと似た仕事への誇りみたいのが伝わってくる。

 そんな風にラインを大切に思ってるのが、ラインズマンだけじゃないのも、巧妙な仕掛け。

「おれのラインに手を出すな」
  ――上巻p41

 と、イアン君をけん制するのは、ヘルモ艦長。イアン君が乗り込むランシア・プリンセス号の艦長さんだ。ヘルモばかりではなく、後に出てくるウェンデル艦長やグリューエン艦長も、ヘルモに負けず劣らず艦への強い愛着を見せる。

 彼らはラインズマンを恋敵のように思っていて、一種の三角関係なのが微笑ましい。ちなみに先のウェンデル艦長とグリューエン艦長、政治的には敵方なんだけど、こういうつながりがあるため、どうにも憎み切れなかったり。

 そんなイアン君を引きずり回すミシェル・リャン皇女は、同盟の中枢ランシア帝国の皇位継承者。なかなか強烈なご仁で、いきなりイアン君を殺しかけたり。お話が続くに従い、ただのワガマな癇癪持ちではなく、かなりのキレ者なのが見えてくるが、この登場場面はなかなか強烈。

 と、両者の関係は、涼宮ハルヒとキョンみたいな感じと思っていい。そう、ハルヒみたいな皇女を中心とした暴風雨に、覇気のないキョンが巻き込まれる話だ。

 表向き、暴風雨は同盟vs連合&レドモンドの形になっている。が、先のラインズマンと艦長の関係のように、一筋縄じゃいかないのがヒネリの効いてる所。連合はゲートを管理し、レドモンドはラインを供給する。ジャンプとラインが銀河世界の力の源だ。

 ところが、ラインに関わる勢力は他にもあるのが、この物語の厚みというか。これがイアンの同業者レベカーやロッシを通じ次第に見えてくる仕掛けで、なかなか重層的に世界を構築してるのが伺える。

 なんにせよ、ラインが重要な要素なわけなんだが、冒頭の引用にあるように、その正体はよくわかっていない。ラインズマンたちは物として扱っているけど、艦長さんたちは強い愛着を持っている。こういう愛着は、自分の持ち物に名前を付ける癖がある人なら、わかるんじゃないかな。

 これがイアン君になると、まるで意志を持つ存在であるかのようにラインを扱っている。物語の多くがイアン君の視点で語られるため、読者も次第にラインが可愛く思えてきたり。ボロボロになっても職務を果たそうとするあたりは、とってもけなげだし。

 とかに加え、「通常の三倍」なんて出てきて、これは訳者の遊びかと思ったら、「ザビ」や「ギャン」なんて名前も出てくるから、そういう事なのかも。詳しい人が探せば、もっといろいろあるんじゃないかな。

 悲惨な境遇からチャンスを掴む歌い手ってあたりは、ジャーニーのシンガーとなったアーネル・ピネダ(→Wikipedia)だよねえ。実際、Don't Stop Believin'(→Youtube)なお話だのだ。

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2018年8月15日 (水)

デイヴィッド・フィンケル「帰還兵はなぜ自殺するのか」亜紀書房 古屋美登里訳

なぜなら、戦争における真実とは、隣にいる戦友を大事にすることに尽きるが、戦争の後における真実とは、人は自分ひとりでいきることだからだ。
  ――9章

「戦争に行って最悪なのは、人を殺すことだ」とジム・ジョージは言う。「俺にとって最悪なのは、殺人が気に入っちまったってことなんだ。それをするのが得意になった。そういうことが得意で、好きになった自分を俺はずっと憎んでたんだよ」
  ――13章

「俺は普通の男で、イラクに送られてからおかしくなった。だから陸軍は俺をまともにするためにアメリカに帰した。ところがいまや、俺をおかしくしているのはアメリカなんだ」
  ――15章

【どんな本?】

 合衆国陸軍第一歩兵師団第四歩兵旅団第16歩兵連隊第2大隊、略称16-2。彼らは増派としてイラクに派遣された。任地はバグダッド東部。最も戦闘の激しい地域だ。多くの犠牲を出しながらも、彼らは18カ月の任務を果たす。

  著者は「ワシントン・ポスト」の記者である。16-2に同行して取材した。母国での訓練から、イラクでの任務まで。その成果は、生々しい戦場ルポルタージュ「兵士は戦場で何を見たのか」として結実する。

 彼らは英雄として祖国に帰還した。しかし何人かは心と体に重い傷を負う。悪夢にうなされ、戦友を助けられなかった罪悪感に苛まれ、突発的な怒りを抑えられず、物覚えが悪くなり、自殺をはかる。

 苦しむ彼らから連絡を受けた著者は考える。「わたしの仕事は終わっていない」。

 200万人の帰還兵のうち、20~30%の将兵が心的外傷後ストレス障害(PTSD)や外傷性脳損傷(TBI)に苦しんでいる、そんな調査もある。そして、彼らの家族もまた、変わってしまった夫や父と折り合いをつけようと悩んでいる。

 この本の焦点は、16-2の五人の将兵だ。四人は戦争の後遺症に悩み、一人はイラクで亡くなった。

 彼らとその家族に著者は寄り添い、帰国後の彼らの暮らしを綴ってゆく。

 戦友を救えなかった罪の意識に苛まされる者、もの覚えが悪くなり日々の暮らしに支障をきたす者、戦士の誇りを失った者、妻の首を絞める者、自らに銃口を向ける者。そんな夫との暮らしに疲れ果て擦り切れる妻。

 そして、彼らを支えようとする戦友たち、かつて別の戦場で戦った老戦士たち、帰還兵の自殺を防ごうと務める合衆国陸軍、傷を癒そうとするボランティアや近所の人々。

 帰還兵たちと彼らを巡る人々の、日々の暮らしをリアルに描く、もう一つの戦場ルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Thank you for your service, by David Finkel, 2013。日本語版は2015年2月23日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約371頁に加え、訳者あとがき6頁。9ポイント44字×18行×371頁=約293,832字、400字詰め原稿用紙で約735枚。文庫本なら厚めの一冊分ぐらいの文字量。

 文章はこなれている。内容も特に難しくないし、専門的な話もほとんど出てこない。敢えて言えば、主な登場人物の多くは「兵士は戦場で何を見たのか」で描かれた人物なので、そっちを読んでいると、更に実感がわいてくる。

 それと、できれば登場人物一覧が欲しかった。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に話が進むので、素直に頭から読もう。

はじめに
1章~16章
訳者あとがき

【感想は?】

 デイヴィッド・フィンケルだからこそ書けた、もう一つの戦記物。

 戦士たちの戦後を描いた作品は多いし、「祖父たちの零戦」のように優れた作品もある。だが、自伝であれ記者による取材であれ、彼らの傷を描く作品は滅多にない。

 戦士は誇りを大切にする。だから、弱い所は見せようとしない。「貧しくて苦しかった」ぐらいは言うだろうが、「妻を殴った」なんて事は、まず言わない。そんなことは、戦士の誇りが許さない。

兵士たちは壊れつづけているのに、だれも助けを求めようとしなかった。助けを求めるのは不名誉なことだと思っていたからだ。助けを求めてもセラピストが不足していたり、薬物に過度に依存して中毒という二次被害をもたらしたりすることもあったからだ。
  ――5章

 そんな彼らの気持ちを代弁する文章が、アチコチに出てくる。腕や足を失ったのなら、誰が見ても負傷者だとわかる。帰還兵なら、英雄として扱われる。だが、脳や精神の傷は見えない。

ここにいる兵士たちは体に負傷した者だ。俺は違う。彼らは負傷した戦士で、俺は弱っちく、意気地のない、だめな男だ。アダムはひとりだけ離れて立っている。だれにも話しかけない。自分のそうした態度こそが負傷した兵士のそれだということに気づけなくなっている。
  ――7章

 だから、PTSDやTBIに苦しむ人や、その家族の暮らしは、滅多に表沙汰にならない。学者や記者が取材しようにも、よほどの信頼関係がなければ、戦士も家族も話してくれないだろう。こんな本が書けたのは、16-2に同行して同じ戦場を見てきた著者だからだろう。

 PTSDに悩む彼らの暮らしは、こんな感じだ。

マイケル(・エモリー)の幼い娘は、父親がある日突然気が違ったようになったとき、家族とトラックに乗っていた。父親はバックミラーを殴りつけ、ガラス窓を叩き壊し、母親の頭を掴んで前後に揺すってこう叫んだ。「ぶっ殺してやる」。
  ――6章

 そして、彼らの家族も苦しんでいる。請求書は溜まり、エアコンは壊れ、夫とは言い争いばかり。

「二週間くらいわたしが入院したいわよ。そしてゆっくり眠りたい。そうなったらどんなにいいか。わたしを治療してよ」
  ――11章

 そんな自分をおかしいと自覚した者に、軍はちゃんと支援の手を差し伸べている。誇り高い彼らが、自ら名乗り出れば、それをちゃんと称える。

「きみの声望を考えると、きみがこの部屋の扉を開けたおかげで、多くの兵士が救われることになるかもしれない」
  ――はじめに

 が、充分とは言えないし、必ずしも適切でもない。まるきし凶悪犯のように扱われる事もある。

ニック(・デニーノ)は、コロラド州プエブロにある「ヘイヴン・ビヘイヴィアラル・ウォーヒーロー病院」と呼ばれる精神医療施設の23号ベッドにいる。六階建ての最上階で、どの出入り口もボルトで施錠され、どの窓も患者が飛び降りないように固定されていて開かない。
  ――4章

 そんな扱いが、更に彼らの誇りを傷つける。

「お前は何も悪いことはしなかった」とジャングはトーソロに言う。
「わかってる」と応じられたらどんなにいいか、とトーソロは思うが、自分がわるいことをしたことがわかっている。
ここにいるのはそのせいではないか。
  ――9章

 それでも、帰還兵を救おうと、軍は努力している。ただ、戦争と違い、人の心は目に見えない。高地を攻略するのとは違い、何をどうすれば効果的なのか、未だによくわかっていない。合衆国陸軍副参謀長のピーター・クアレリ大将は、このギャップに嘆く。

「私は『午後五時までに丘を占拠せよ』という世界にいる。きみたちは『好きなだけ長く時間をかけよ』という世界にいる」
  ――5章

 そんなクアレリ大将の元には、月に一度、帰還兵の自殺に関する報告書が届き、会議が開催される。ここでは亡くなった将兵はただの名前であり、教訓を得るべき事例だ。

八カ月かけて五分の検討。そして次の自殺に移る。二度と検討されることはない。
  ――10章

 と、読者の気分を暗くする場面が、次から次へと展開し、著者はそんな風景を淡々と描き続ける。自らの感情を排し、ただ記録を取るだけのカメラに徹して。

 問題は山ほどあるにせよ、こういう本がちゃんと出てくるだけ、アメリカはマシなのかも知れない。彼らが苦しんでいる事をハッキリと認め、問題を解決すべく予算と人員を投入し、改善に向けてデータを取り、公開しているのだから。

 書名は疑問形だが、この本の中に解はない。それでも、読んでよかったと私は思う。とはいえ、どうしても想像してしまう。

 訓練を受けた戦士でさえ苦しむのだ。なら、彼らにガサ入れで踏み込まれたイラクやアフガニスタンの民間人たちや、出稼ぎでトラックを運転していたパキスタン人たち、そして何の手当も受けられない傭兵たちは、どうなんだろう、と。

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2018年8月13日 (月)

デイヴィッド・フィンケル「兵士は戦場で何を見たのか」亜紀書房 古屋美登里訳

「俺の思い描くイラクの最終局面というのは、イラクの子供たちがサッカー場でなんの不安もなく遊べることだ」
  ――1章 2007年4月6日

「俺たちが引き上げちまったらあいつら殺されるな」
  ――5章 2007年7月12日

2006年には、16-2においてそういった兵士が占める割合は高く、陸軍の15%が犯罪免責者だった。大半は軽犯罪者ではあったが、千人近い新兵が重罪犯で、それは三年前に比べると二倍以上になっていた。
  ――6章 2007年7月23日

「イラクはあらゆるものの発祥の地です。反乱も、食べ物も」
  ――8章 2007年10月28日

「兵士たちは怒りを抱えて帰っていきます。故郷に帰って普通の生活をしたいのです。ところが兵士の方がまったく普通ではなくなっている」(略)「休暇で帰郷するのは、派兵の中でも最悪のことなんです」
  ――9章 2007年12月11日

二、三日前にマーチは、1万3500ドルのボーナスを受け取れるということを知ってすぐに契約書にサインをした。志願兵が兵役期間を延長するとその金額をもらえることになっていた。
  ――11章 2008年2月28日

「立派な男が崩壊するのを、きみは目の当たりにするだろうな」
  ――12章 2008年3月29日

【どんな本?】

 2007年1月、ブッシュ大統領は軍の増派を発表する。反乱が続くイラクに平和を取り戻すためだ。
 増派に伴い、16-2が編成される。正式名称は合衆国陸軍第一歩兵師団第四歩兵旅団第16歩兵連隊第2大隊、またの名をレンジャーズ。隊長はラルフ・カウズラリッチ中佐、副隊長はブウレント・カミングズ中佐。人数は約800名、平均年齢は19歳。
 
 彼らの任地はバグダッド東部のラスタミヤFOB(前線作戦基地)。ここはシーア派が多い。ここで16-2はテロリストを狩り、住民を守って信頼を勝ち取り、イラクの治安部隊に任務を引き継ぐ予定だ。

 彼らが派遣されたバグダット東部は、どんな所か。そこで彼らは何をしたのか。住民は彼らをどう迎えたのか。日々のパトロールは、どの様に行い、どんな事件があったのか。イラクの治安部隊は育ったのか。そして、彼らの担当区域の治安は良くなったのか。

 カンザス州フォート・ライリーでの訓練から、イラクでの任務、そして帰国まで、16-2に同行して取材したジャーナリストが、最前線で戦う彼らの日々の暮らしと任務、そして戦場の様子をつぶさに描く、戦慄のルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Good Soldiers, by David Finkel, 2009。日本語版は2016年2月18日第1版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約388頁に加え、訳者あとがき7頁。9ポイント44字×18行×388頁=約307,296字、400字詰め原稿用紙で約769枚。文庫本なら厚めの一冊分ぐらいの文字量。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。軍事物だが、必要な前提知識は三つぐらい。まずは自動小銃と迫撃砲の区別がつくこと。次いで AK-47 がソ連製の自動小銃だとわかること。最後には階級で、偉い順に 中佐>中尉>曹長>特技兵 程度。

 ただ、IED(即席爆弾、→Wikipedia)やEFP(自己鍛造弾、→Wikipedia)などの略語が多く出てくるので、用語一覧が欲しかった。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に話が進むので、素直に頭から読もう。

  • 1章 2007年4月6日
  • 2章 2007年4月14日
  • 3章 2007年5月7日
  • 4章 2007年6月30日
  • 5章 2007年7月12日
  • 6章 2007年7月23日
  • 7章 2007年9月22日
  • 8章 2007年10月28日
  • 9章 2007年12月11日
  • 10章 2008年1月25日
  • 11章 2008年2月28日
  • 12章 2008年3月29日
  • 13章 2008年4月10日
  • 兵士名簿/附記/訳者あとがき

【感想は?】

 とてもリアルな戦場物だ。まず、戦場の匂いで驚いた。

 戦場の匂いと聞いて、何を想像するだろう? 硝煙の匂い? ゴムやプラスチックが焼ける匂い? 人肉が焼ける匂い? ガソリンの匂い?

 どれも違う。少なくとも、イラクとアフガニスタンでは。まず彼らが気づくのは、クソの匂いだ。例えじゃない。ウンコの匂いだ。少なくとも、イラクを描く本書と、アフガニスタンを扱う「アシュリーの戦争」は、そう書いている。最初に米兵が気づくのは、人糞の匂いだ。

 「アシュリーの戦争」では、カンダハルが最初の任地だった。本書では、バグダット東部である。いずれも多くの人が住む都市だ。長い戦いで荒れ果て、インフラが崩壊している。電気も、上下水道も。そして人は生きていればクソをする。多くの人がいれば、多くのクソが出る。

 クソは道路の横の堀に溜まる。掘は広く、蓋がない。装甲した兵員輸送車ハンヴィー(→Wikipedia)が、ずっぽりとハマるぐらい広い。

6月5日。午後10時55分。五人の兵士を乗せた一台15万ドルのハンヴィーが、誤って下水道にはまり、逆さまになって沈んだ。
  ――4章 2007年6月30日

 戦死にしたって、クソに溺れて死ぬなんて最低だ。遺族にだって伝えようがない。でも、それが本当の戦場らしい。ひでえ話だ。

 それでも、隊を率いるカウズラリッチ中佐は、戦士らしく果敢に困難に挑む。ラスタミヤFOBに籠らず、敢えて危険な区域に幾つかの前線基地を設ける。そこに住む者と仲良くするためだ。手ごろな廃工場を見つけたが、既に先客がいる。恐らく家を失ったんだろう、11人家族が住みついていた。

 彼らに1500ドルを払って叩き出し、前線基地を築く。いきなり重装備の兵隊たちに囲まれ、はした金で叩きだされる気分は、どんなもんだろうね。他の住民にしたって、嬉しい筈もなく、前線基地を設けた結果…

「このあたりの四割の住民が出ていきました」
  ――3章 2007年5月7日

 実際、これが賢明なのは、読み進めていくとわかる。なんたって、前線基地ばかりか、大隊が常駐するラスタミヤFOBまで襲われる始末だ。

 加えて、米兵のガサ入れも荒っぽい。それより酷いのは、テロリストの追跡だ。米兵を襲ったテロリストは、そこらの家に勝手に潜り込む。それを追い米兵も家に踏み入り、テロリストを射ち殺す。普通の主婦の目の前で。八歳の女の子の目の前で。

 これがイラク人に歓迎される筈もなく、稀に好意的な人がいても…

「申し訳ないんですが、私は協力することはできないんですよ」と男は言った。「私の命にかかわるので」
  ――2章 2007年4月14日

 と、及び腰だ。通訳など、米軍が現地で雇ったスタッフの声も拾っている。彼らも、その家族も命がけだ。隊長付きの通訳イジーは、帰宅時に何度もタクシーを乗り換える。テロリストに尾行され、家がバレたら、家族が危ない。近所の人にも、名前と身分を偽っている。

「身を守るための作り話です。だって、わたしがイラク人だと知れたら、きっとひどい目に遭わされるから」
  ――8章 2007年10月28日

 それでも大隊はパトロールを続ける。狙撃兵に狙われ、IEDやEFPに吹き飛ばされ、迫撃砲や手製の多連装ロケット弾を撃ち込まれ、クソの溜まった溝で溺れかけても。

 だが、こういった戦場の現実は、ワシントンに届かない。イラク戦争の最高司令官デイヴィッド・ペトレイアス大将はラスタミヤを訪れ、カウズラリッチから実情を聞く。しかし、ワシントンでのペトレイアスの証言は…

カウズラリッチのような兵士なら、戦争をイラクで戦っているものとして語れたかもしれないが、太西洋を渡ると戦争は別の姿になり、ワシントンに行ったペトレイアスが証言した戦争は、ワシントンで戦っている戦争になっていた。
  ――7章 2007年9月22日

 と、全く論調が違ってしまう。この本では、各章の冒頭に、ブッシュ大統領の演説を引用している。これが、実にキツい皮肉となって虚空に響き渡る。

 こういった状況の中で、戦士たちは次第に壊れてゆく。手が震え、悪夢にうなされ、または眠れず、動悸が止まらない。鬱に陥り、自殺を考える。手足の負傷なら、見ればわかるので、世間は英雄として扱う。だがPTSDは見えないし、そもそもPTSDの存在を認めない人も多い。

内部調査では、イラクに派兵された兵士のうち20%が、(略)PTSDの症状を示していた。この調査ではさらに、こうした症状は何度も派兵された兵士に数多く現れることや、こうした症状に苦しむ何十万人もの兵士の治療費のほうが、戦争自体で使われる費用より大きくなりかねないということも指摘していた。
  ――9章 2007年12月11日

 それでも、さすが米軍だと思うのは、これをチャンと調べ、防ぐための手立ても講じてること。グロースマン先生の「戦争における[人殺し]の心理学」や「[戦争]の心理学」は、ちゃんと活用されているらしい。

礼拝堂では、数カ月先にどんな事が起きるか、というセミナーを強制的に開いていた。フラッシュバックが起きるのは普通のことだ、と兵士たちは教えられた。
  ――11章 2008年2月28日

 終盤では、負傷兵の療養の様子も出てくる。著者は悲惨さを伝えようとしているみたいだが、私の感想は違った。確かに四肢や目を失った将兵は悲惨だが、看護は手厚い。合衆国が将兵を大切に扱っているのがよくわかる。

 太平洋戦争で戦った帝国陸海軍将兵は、少なくとも精神的なケアは何も受けなかった。敗戦など国情もあるにせよ、この国は人を粗末に扱う。PTSDに苦しんだ人も多い筈なのに、それが明るみに出ていない。臭いものに蓋、がこの国の基本態度であり、人の扱いが粗末だ。

 南スーダンやイラクに行った自衛隊員は、ちゃんとケアされてるんだろうか? 彼らの苦しみは、ほとんど報道されないだけに、余計に怪しんでしまう。

 「ブラック・フラッグス」が描いた、ザルカウィの目論見は、どんな形で実現したのか。その実体は、どんなものなのか。前線で戦う将兵は、何を経験したのか。そして、そこに住む人々の暮らしは、どうなったのか。

 汚い言葉が溢れているし、悲惨で血生臭い場面がひたすら続く。それだけに、決して読んで気分が良くなる本じゃない。それでも、否応なしに読まされてしまう迫力に溢れている。現実を直視する勇気があるだけに薦める。それでも、心身の調子が悪い時は避けた方が賢明だ。

 繰り返す。繊細な人、体調が悪い時、落ち込んでいる時は、読まない方がいい。これが現実だ。

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2018年8月10日 (金)

池上永一「ヒストリア」角川書店

「ここにいたらちゃんと泣けないの。ここにいたらちゃんと笑えないの。私は毎日怯えて生きている。そんな人生は嫌なのよ!」
  ――p93

「私はここで生きていくのよ。森はどけっ!」
  ――p203

「私はいつまでたっても切れないジジィのしょんべんみたいな戦争が嫌いなの」
  ――p310

「楽しかったでしょ? イマドキのセックスは女が発射するのよ」
  ――p423

私たちは人生のスピード狂で、死のスリルを楽しんでいる。
  ――p472

「いいこと? よく聞くのよ、エルネスト。ボリビアという国は存在しないからよ」
  ――p526

「あなたはコロニアに宿った最初の神様よ」
  ――p590

【どんな本?】

 生まれ育った沖縄に拘り続ける作家・池上永一による、南米に移民した沖縄の女が大暴れする、長編娯楽アクション・ファンタジイ。

 1945年3月、太平洋戦争の末期、沖縄の戦い。知花煉は、米軍の空襲により家も家族も失う。ばかりか、マブイ(魂)までどこかに飛んでしまった。

 なんとか終戦まで生き延びた錬は、コザの闇市でチャンスを見つけ、事業を起こす。人を雇い商売も軌道に乗り始めたころ、行き違いでお尋ね者となり、南米のボリビアへと高跳びする羽目になる。

 ボリビアでも商売を始めたが、なかなか芽が出ない。借金は嵩むが、暮らしていくのがやっとだ。現地で知り合った日系三世のイノウエ兄弟に連れられ、プロレスを見に行った煉は…

太平洋戦争末期の沖縄戦・米軍に占領された沖縄・スペインに占領された南米・その南米に移民した沖縄の人々など、過酷で複雑な社会背景を舞台に、負けん気が強く才気に溢れた女が走り回る、娯楽大作。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2017年8月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約623頁。9ポイント44字×21行×623頁=約575,652字、400字詰め原稿用紙で約1,440枚。文庫本なら上中下の三巻でもいい大長編。

 文章はこなれていて読みやすい。ファンタジイ的な仕掛けはマブイぐらいなので、あまり気にしなくていい。私たちには馴染みのない南米、それもボリビアが舞台で、その歴史・社会・風俗が重要な意味を持つが、必要な事柄は作中でわかりやすく説明してあるので、何も知らない人でも大丈夫。

【感想は?】

 池上ヒロイン大暴れ。

 池上ヒロインとは。本性は両津勘吉だが、見た目は秋本・カトリーヌ・麗子、そんな女だ。

 気位が高く、バイタリティに溢れ、鼻っ柱がやたらと強い。機を見るに敏で、フットワークが軽く、先を見通す目もある。だから商売を始めればまたたく間に繁盛し、あっという間に事業を拡げてゆく。

 ただし堅実に店を守るのは苦手だ。いつだって手を広げすぎ、または鼻っ柱の強さが災いして、地雷原に踏み込み、全てがおじゃんになる。

 そこで泣き怒り頭を掻きむしり、でもすぐに次の事を考えて動き出す。

 この作品の主人公、知花煉も、典型的な池上ヒロインの一人。太平洋戦争の末期、地獄の沖縄戦に巻き込まれ、家も財産も家族も失い、何も持たない孤児となってしまう。

 ここで描かれる、沖縄人から見た太平洋戦争は、かなり不愉快なシロモノだ。当時の大日本帝国がいい国だと思ってる人には、耐えられないだろう。しかも、ここで示されるテーマは、後に舞台がボリビアに移ってからも、何度も繰り返し奏でられる。よって、そういう人は、この本に近づかない方がいい。

 この辺は「終戦史」あたりが詳しいので、参考までに。

 やはりエンジンがかかってくるのは、ボリビアに移ってから。ここで登場するセーザルとカルロスのイノウエ兄弟も楽しい連中だが、なんといっても華があるのは「絶世の美女」カルメン。この物語の、もう一人のヒロインと言っていい。沖縄美女の代表が錬なら、ボリビア美女の代表だろう。

 沖縄でも裸一貫から事業を起こした煉のこと、ボリビアでも何度も転んでは立ち上がる。この中で描かれる、ボリビアを中心とした南米の事情は、船戸与一の南米三部作をギュッと一冊にまとめたような濃さだ。

 ただ、その背景に漂う空気が、だいぶ違う。いずれも無常感が底にあるんだけど、船戸作品はそれが虚無感となるのに対し、池上永一は「なんくるないさー」になる。どこか明るいのだ。

 これは主人公の性格もあるが、やはり池上節というか。

 やたらとテンポが良く、お話がコロコロと転がっていくのに加え、所々に仕込んであるシモネタも効いてる。「ジジィのしょんべん」なんて平気で言っちゃうヒロインだし。そのくせ、ボリビアのファッション・リーダーを気取ってるんだから、凄い女だw

 表紙にあるようにチェ・ゲバラが絡んできたりと、無謀に風呂敷を広げていくのも、池上節の楽しい所。南米物なら定番の悪役も出てくるし、マニア好みなメカも大活躍するので、好きな人はお楽しみに。

 南米ならではの複雑な社会事情を活かしたストーリーに、当時の事件を巧く織り込み、銀色のコンドルで飛び回る場面とか、内藤陳さんが生きていたら、大絶賛しただろうなあ。

 かと思えば、地に足をつけて生きている、路地で生きている人や、農民の暮らしも、ちゃんと描いているのも、この作品への力の入れようがわかる所。特に力がこもっているのが、料理の場面。沖縄の伝統料理を、南米の素材で再現していくあたりは、腹の虫が鳴きまくるので覚悟しよう。

 スピード感に溢れ起伏の激しいストーリー、次々と意外な姿を見せるボリビアを中心とした南米の歴史と社会、バイタリティ溢れるパワフルなヒロイン、人情味あふれる仲間たちが繰り広げるギャグとアクション、そして底に流れる沖縄への想い。寝不足必至の大型娯楽長編小説だ。

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2018年8月 7日 (火)

アン・カープ「[声]の秘密」草思社 梶山あゆみ訳

声を作るとき、唇と口が役に立っているのはわかりやすい。喉頭(このなかに声帯がある)も間違いなくかかわっている。だが、それだけではない。じつは胴体の3/4までもがこの作業に加わっている。
  ――2章 声が生まれる仕組み

声が大きいのはいつだってほかの人であって、決して自分ではない。
  ――3章 コミュニケーションを彩る「声の人格」

私たちは、自分に近いペースで話す人ほど能力も魅力もあると考える傾向にある。
  ――3章 コミュニケーションを彩る「声の人格」

母親語は恋人同士の会話によく似ているのだ。「こっちに来て」と赤ん坊に呼びかけるときの声は、恋人に向けて同じことを言うときとほとんど変わらない。
  ――6章 「母親語」は絆を育むメロディ

おもしろいことに、産声の周波数は楽器を調律するさいの世界基準の周波数と同じだ。
  ――7章 赤ん坊の声、恐るべし

「誰もがみんな、なんとか話を聞いてもらおうとして叫んでいる。本当によく聞いてもらえる経験をすると、『そうか、そんなに叫ばなくてもいいんだ』と徐々にわかってくるんだ」
  ――8章 声と自分の複雑な関係

ある研究によると、強い不安を感じている子供は、ほかの子供の怯えた声を怒りと勘違いしやすい。声に込められた怒りを正しく読み取れないと問題行動が生じ、それがのちに暴力行為や犯罪行為につながるおそれがあるとも指摘されている。
  ――9章 声に表われる感情

ルネサンスの時代になるまで、神が目に見える姿で描かれる事はなかった。神は音か振動だと考えられていたからである。
  ――13章 声の社会から文字の社会へ

18世紀と19世紀の俳優の声は、劇作家の書いたセリフをそのまま読んでいるのを隠そうともしなかった。20世紀半ばの映画俳優は、自分でその言葉を考えたかのように話すことを目指した。
  ――14章 人前での話し方はどう変わったか

1960年のアメリカ大統領選挙のときである。候補者のケネディとニクソンが史上初のテレビ討論に臨んだ。討論をラジオで聴いていた人は、ニクソンが勝ったと断言する。ところが、7000万人のテレビ(略)視聴者の圧倒的多数は、一回目の討論がケネディの勝利だと判断する。
  ――15章 テクノロジーは声を変える

【どんな本?】

 人は赤ん坊に話しかけるとき、普通とは違う話し方をする。言葉遣いが違うだけでなく、声も変わる。やや高い声になり、大きさ・高さなどの変化も大げさになる。これはペットに話しかけるときも同じだ。

 これほど極端ではないにせよ、人は相手によって話し方や声の調子を変える。また、職場と家庭など、状況によっても変えている。時と場所、そして相手との関係により、相応しい話し方や声の調子があるのだ。

 こういった情報は、文字にすると消えてしまう。電子メールではちょっとした言葉尻でトラブルになる事がある。これは、声が伝えていた情報が失われたため、とも言われる。

 では、そこには、どんな情報が込められているんだろう? 私たちは、どんな情報を受け取っているんだろう? どんな信号があって、どんな意味を伝えているんだろう? 何が生来の物で、何が文化的な物なんだろう?

 イギリスの社会学者兼ジャーナリストが、人の声が持つ不思議な性質を、科学・歴史・文化など様々な角度から切り取って描く、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Human Voice, by Anne Karpf, 2006。日本語版は2008年10月1日第1版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約285頁に加え、訳者あとがき2頁。9ポイント44字×18行×285頁=約225,720字、400字詰め原稿用紙で約565枚。文庫本なら普通の厚さの文字量。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。ただ、出てくる例の多くが、アメリカとイギリスの政治家や役者なので、洋画が好きな人の方が楽しめるだろう。

【構成は?】

 各章は比較的に独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

  • はじめに
  • 第Ⅰ部 声の生態
    • 1章 声が教えてくれること
      目の独裁支配/「話す」ことについての表現/声によるサポート/声はこんなに役立つ
    • 2章 声が生まれる仕組み
      驚異の製造プロセス/声を生み出す無意識の連係プレー/喉頭のダ・ヴィンチ/驚異の器官 耳/脳のなかの声、ナゾの錬金術/自分の声を聞くことの意味
    • 3章 コミュニケーションを彩る「声の人格」
      言語とパラ言語/“声のメロディ”ピッチとイントネーション/声の大きさは何で決まるか/話す速度の意味/一瞬で誰の声かわかる不思議
    • 4章 進化するヒトの声
      声を操る動物たち/「鳥頭」の中身/周波数の掟/人類は初めて言葉をしゃべったとき/「ヒトを人間にする」遺伝子/左側が大事なわけ/右脳と左脳、本当の関係
    • 5章 母の声は強し
      違いの分かる胎児/母の顔より母の声/パパは無視!/人間メトロノーム/リズムに合わせる赤ん坊/赤ん坊の感情と声/文化が話すリズムを変える/憂鬱の音/受け継がれる親の声/母の声は天使か悪魔か
    • 6章 「母親語」は絆を育むメロディ
      大人が赤ん坊を真似るわけ/「アー」「エー」「オー」/母親語はどこから来たのか/ところ変われば赤ん坊の待遇も変わる/ペット言葉と子供扱い/父親語
    • 7章 赤ん坊の声、恐るべし
      赤ん坊の声の発達 産声の神秘 最初の三カ月 三~六カ月 六~八カ月 12カ月/音や声を聞き分ける赤ん坊/失うことで得られるもの/メロディから学ぶ/赤ん坊が母国語を好むわけ/話す能力は生まれつき?/言葉遊びの意味
  • 第Ⅱ部 声を支配するもの
    • 8章 声と自分の複雑な関係
      声への不満を語る声/仕事をする声/怒りを鎮める声/使い分けられる声/留守電のメッセージが難しいわけ/声を失うとき/現実の声と心の声/声をなくしてわかること/自分の声を消す理由/「聞いてもらうこと」の魔力
    • 9章 声に表われる感情
      感情を声に変換する/パーソナリティは声に出るか/声に現れる憂鬱/現実から切り離された声/相手の「声」になって考える/声を読む子供、読まない子供/嘘は声を聞けばわかるか?/過去の記憶を呼び覚ます声
    • 10章 声の男女差
      声の性差はどこで生まれるのか?/「女性の声は裸と同じ」/放送から締め出されていた女性の声/女性の方がおしゃべりという固定観念/「女らしい声」の移り変わり/聞く側の問題
    • 11章 男性化する女性の声、女性化する男性の声
      日本人女性の高い声/進化論で読み解く声の男女差/「声を低くしてください」/黙り込む男性/女性化する男性の声
    • 12章 文化による声の違い
      呪術の声/日本人の相槌は何を表現しているのか/声は階級を語る/異文化間の誤解
  • 第Ⅲ部 声の温故知新
    • 13章 声の社会から文字の社会へ
      目から耳へ/声の文化は死なず/耳と目が和解する日/視覚と聴覚のコラボレーション
    • 14章 人前での話し方はどう変わったか
      俳優の声の移り変わり/大統領、首相、独裁者の声を読み解く フランクリン・デラノ・ルーズヴェルト ヒトラー チャーチル レーガン サッチャー トニー・ブレア ブッシュ、ゴア、ケリー
    • 15章 テクノロジーは声を変える
      体を持たない声 電話の誕生/保存される声 蓄音機の誕生/「声のアルバム」のその後/さらなる波 ラジオ放送の誕生/「声の戦争」としての第二次世界大戦/声なき人々の声/声と身体の再合体 トーキーの誕生/ハリウッド映画の声/デ・ニーロとアル・パチーノの鉢合わせ/テレビの登場が変えたもの/パワーポイントと声のパワー
    • 16章 声が盗まれ、失われるとき
      声紋鑑定の理想と現実/音声認証は安全か/携帯電話と新しい声の文化/声のパノプティコン/声の新たなる可能性/声の喪失を嘆く人たち/盗まれる声/声は誰のものか
  • おわりに
  • 訳者あとがき

【感想は?】

 私は自分の声が嫌いだ。僻みっぽく薄っぺらい人格がモロに出ている感じがする。でも、どうやら私だけじゃないと知って、少し安心した。

私たちは声を出すだけでなく、自分で自分の声を聞いてもいる。ところが、声を録音して聞かせると、ほとんどの人がそれを毛嫌いする。
  ――8章 声と自分の複雑な関係

 この章には、私と同じように感じている人が、何人も出てくる。だが、やはり声には人の心を動かす力があるらしく、弁護士は声の使い方が大事らしい。

 人の心を動かす商売といえば、なんと言っても役者だろう。

 音響テクノロジーが役者に与えた最初の試練は、なんといっても映画だ。映画がサイレントからトーキーに変わった際の、有名な映画俳優たちの反応も、私を安心させてくれる。クレタ・ガルボでさえ、「生まれる前の赤ん坊の気分」になったとか。

 役者と同じように、政治家も人の心を掴むのが商売だ。これの名人は、ヒトラーだろう。

彼はミュンヘンの有名なコメディアンの手法を真似て演説の技術を磨き、騒がしいビアホールのなかでも聴衆の注意を引けるようにした。さらには各ビアホールの音響効果を詳しく調べ、それぞれに合った声の高さで話した。
  ――14章 人前での話し方はどう変わったか

 ネット上のヒトラーの動画は、短時間の物が多い。たいていヒステリックに叫んでいる。だが、あれはごく一部を切り取ったものだ。実際には、最初から最後まで、話す速さや声の大小と高低を、周到に計算していたそうだ。しかも拍手するサクラを仕込み、聴衆の歓声を拾うマイクの位置まで計算して。

 政治家ではなく役者か演出家になれば、今でも偉業を称えられただろうに。

 やはり演出の妙を暴かれているのが、マーチン・ルーサー・キングJr。有名な「私には夢がある」だと、はじめはゆっくり、次第に声を大きく、「今こそ」の繰り返しでリズムを作る。レッド・ツェッペリンのヒット曲「天国への階段」と同じパターンだ。

 など、演出方法も面白いが、これには文化的な違いもある。アメリカとイギリスの例が多い本だが、なぜか日本の例もけっこう出てくる。最初にドキリとしたのが…

どんな地域を見ても、日本人女性ほど高い声で話す女性はまずいない。
  ――11章 男性化する女性の声、女性化する男性の声

 あまり言いたくないが、これ最も顕著なのがポルノ。洋モノを最初に見て驚いたのが、女優の声が低いこと。いやどうでもいいんだけど。ちなみに同じ日本のポルノでも生モノとアニメじゃ←いい加減にしろ

 ここでは、小宮悦子のエピソードが興味深い。同じテレビ番組でも、昼のバラエティと夜のニュース番組では、相応しい声が違うのだ。これを、ちゃんと周波数まで測って調べてあって、そこが私には嬉しかった。数字が出てくると、なぜか嬉しくなるんだ。

 この差を男女の社会的立場の違いと解釈してるんだが、どうなんだろう。そういえば、私は時おりインターネット・ラジオで様々な国の音楽番組を聞くんだけど、イランの女性歌手の声はカン高くて子供みたいな声なんだよなあ。

 などの男女差もあるが、お国事情もいろいろ。やはり日本の特徴として…

日本人が相槌を打つ回数はイギリス人より二倍多い。
  ――12章 文化による声の違い

 いやアメリカ人だって「アハン」とか「ムーフ」とか入れるじゃん、と思うんだが、イギリス人は違うらしい。

 また、声の大きさも国によりけり。アメリカ人は騒がしいって印象があるが、アラブ人は更に声がデカいとか。これ別に傍若無人ってわけではなく、そういう文化なのだ。アラブ人にとって小さい声は、「本心を語っていないように聞こえる」とか。

 この辺を読んでると、ぜひ日本のアニメ文化も調べて欲しいと思ったり。「ダメ絶対音感」なんて言葉もあって、かないみかとこおろぎさとみを聞き分けられる強者も世の中にはいるらしい。でも普通の人は、家族など聞きなれている相手はともかく、一見さん(というより一聞さん?)の声の記憶はあやふやで…

「声の面通し」の精度はわずか30%でしかない。
  ――16章 声が盗まれ、失われるとき

 と、法廷での証拠としちゃ声はあましアテにならないらしい。また、声紋分析の怪しさも暴いている。でも、逆に親や息子など、親しい人だと、電話越しの声でも、体調や気分がわかったりするから不思議。

 第Ⅰ部では、あまり文化や立場の違いが表れない赤ん坊の声で共通点を探り、第Ⅱ部以降で国・立場・時代で変化を調べる形にすることで、私たちの「声」が社会の影響を強く受けている事を鮮明に浮き上がらせる工夫も巧い。アッサリと読めるわりに、面白エピソードも多く、「気が付かなかった別世界」を覗かせてくれる本だった。

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【どうでもいい話】

 最近、気に入った声といえばこれ(→Youtube)。ポーランドのバンド Quidam のシンガー、Emila Derkowska。最初に聴いた時は背筋に電光が走った。かつての Renaissance のシンガー、Annie Haslam を思わせる透明な歌声がゾクゾクする。でも今はバンドを脱退してるらしい。悲しい。

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2018年8月 6日 (月)

エドモンド・ハミルトン「フェッセンデンの宇宙」河出書房新社 中村融編訳

アーノルド・フェッセンデンは、この惑星で最高の科学者だった――そして最悪の科学者だった。
  ――フェッセンデンの宇宙

「まるきりちがう世界にしていただろう――そこに住むはめになると知っていたら」
  ――追放者

「元気で立派な男の子ですわ、ただ――」
「ただ、なんだね?」
「ただ背中にこぶがあるんです、先生」
  ――翼を持つ男

いったいおれたち人類の血のなかにあるなにが、おれたちのいるべきではないこんな場所へおれたちを駆り立てるのだろう?
  ――太陽の炎

【どんな本?】

 エドモンド・ハミルトンは、アメリカSFの初期に活躍した。キャプテン・フューチャーなどのシリーズで人気を博し、スペース・オペラの黄金期を築いた功労者である。娯楽色の強いヒーロー物の印象が強いハミルトンだが、書名にもなっている「フェッセンデンの宇宙」など、短編では様々な芸風を見せる。

 彼の遺した短編から、編者おすすめの9編を選んだ、日本オリジナルの短編集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2004年4月30日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約330頁に加え、編訳者あとがき「あなたの知らないハミルトン」16頁+エドモンド・ハミルトン著作リスト3頁。9ポイント42字×18行×330頁=約249,480字、400字詰め原稿用紙で約624枚。文庫本なら少し厚めの分量。

 文章はこなれている。SFとはいえ、発表の時代が時代だけに、難しい理屈は出てこないので、理科が苦手でも大丈夫。むしろ大事なのは当時の風俗。カメラが乾板だったり電話が固定電話だけだったりと、「あの頃の世界」に入り込めるか否かが大事だったりする。

【収録作は?】

 それぞれ 作品名 / 原題 / 初出 の順。

フェッセンデンの宇宙 / Fessenden's Worlds / ウィアード・テールズ1937年4月号
 アーノルド・フェッセンデンは最高の科学者だ。本人も、それをちゃんとわかっている。だが近ごろはさっぱり大学に出てこない。講義すら代理にまかせ、屋敷に引きこもっている。いったい何をしているのか、気になった同僚のブラッドリーは、彼の屋敷を訪ねた。
 「引き籠ったマッド・サイエンティストがやらかす、とんでもない研究」の原型にして究極の短編。困るよねえ、SF黎明期にこんなとんでもない代物を書かれたら、後の者はやりにくくってしょうがないw 優秀にして傲岸不遜、研究のためなら何だってやる。知識と技能は豊かだが倫理観はゴッソリ抜け落ちてる、フェッセンデン博士のキャラクターがよいですw
風の子供 / Child of the Winds / ウィアード・テールズ1936年5月号
 トルキスタンの奥、人跡未踏も同然の高原に、豊かな金脈があるという。一山あてたいユルガンは、現地人のダサン・アンをガイドに雇い、「風の高原」を目指す。現地では、こう言われている。そこは風の聖地で、行く者は風に殺される、と。
 懐かしい風味の、秘境冒険譚。Google Earth なんてのが出てきて、地上に未踏の地が消えた今、この手の物語も一緒に消え…ては、いないんだな、嬉しい事に。というのも、舞台を「辺境の惑星」にすればいいんだから。もちろん、私はこの手の話が大好きです。レムの「砂漠の惑星」とか。
向こうはどんなところだい? / What's It Like Out There? / スリリング・ワンダー・ストーリーズ1952年12月号
 第二次火星探索隊は、多くの犠牲者が出た。フランク・八ッドン軍曹は、数少ない生還者の一人だ。国では有名人で、誰もが英雄として扱ってくれる。オハイオの家に帰るついでに、ハッドンには寄る所があった。探索の途中で亡くなった同僚の家族に、約束したのだ。
 スペース・オペラの大家とは思えぬ、哀しみと切なさに満ちた作品。1952年は第二次世界大戦の記憶も生々しく、また朝鮮戦争が38度線近くで膠着した頃。アメリカでも日本でも、ハッドン軍曹と同じ想いをした帰還兵も多いんじゃないだろうか。
帰ってきた男 / The Man Who Returned / ウィアード・テールズ1935年2月号
 冬の夜。ジョン・ウッドフォードは目覚めた。闇に包まれて。いや、棺の中でだ。昔から、持病があった。体が硬直し、呼吸も止まってしまう。勘ちがいされる事を恐れ、土葬ではなく納骨堂に収めるよう言い残したのが幸いした。だが、このままでは息が詰まってしまう。
 生きたまま葬られた者を主人公としたホラー。出だし、棺の中でジョンが足掻く場面が秀逸。狭い棺に閉じ込められた者が味わう恐ろしさ・息苦しさが、ひしひしと伝わってくる。が、話が進むに従い、恐怖に変わり漂うのは…。オッサンとしては、実に切ない。
凶運の彗星 / The Comet Doom / アメージング・ストーリーズ1928年1月号
 彗星が夜空に輝いている。新聞によると、地球に最も近づくのは三日後だ。それでも数百マイルの距離があり、何も害はない。休暇を旅行で過ごしたマーリンは、朝方に湖を船で渡って帰路につく。小さな漁船だ。航行中に、小さな島を見かけた。
 かつてのハミルトンらしい、「エイリアンの侵略」物。人里離れた場所に降り立ったエイリアンは、得体のしれない技術を操り、地球侵略を目論んでいた。それに立ち向かうのは、どこにでもいる普通の男たち。流石に90年前の作品だけに、科学的には色々とアレだが、お話の枠組みは今でもホラー映画・アクション映画の定番。
追放者 / Exile / スーパー・サイエンス・ストーリーズ1943年5月号
 その夜は、四人のSF作家が集まり、食事と酒を楽しんでいた。知らない人が見たら、どこにでもいる普通の男たちに見えただろう。でも、ここにいる奴らは、子供のころからケッタイな世界を思い描いていた。それというのも…
 SF作家同士の楽屋話の形をとった掌編。日本でも、星新一・小松左京・筒井康隆・半村良など、初期の日本SFを支えた人たちは、この手の楽屋ネタっぽい作品を書いてたなあ。それだけSF界は狭く、また作家同士の付き合いが深く結束も堅かったんだろう。
翼を持つ男 / He That Hath Wings / ウィアード・テールズ1938年7月号
 デイヴィッド・ランドは、生まれてすぐ孤児となる。そればかりか、奇形でもあった。背中にふたつ、大きなこぶがある。骨も中空で、体重も軽い。やがて翼が生えるだろう。産婦人科のハリマン医師は、デイヴィッドを引き取り、沖合の孤島で育てることにした。
 ある意味、「風の子供」と対照をなす作品。ケイト・ウィルヘイムの「翼のジェニー」やリチャード・バックの「かもめのジョナサン」と同じように、人が持つ飛ぶことへの憧れが強く出た作品。
太陽の炎 / Sunfire! / アメージング・ストーリーズ1962年9月号
 士官学校の頃から、誰よりも宇宙への憧れが強かったヒュー・ケラード。探査局に入ってからも、情熱はかわらなかった。だが、水星から帰った彼は、探査局をやめると言い出した。事故で二人のクルーを失い、情熱も同時に失ったように見える。だが事故の真相は…
 これまた「向こうはどんなところだい?」と対を成すような作品。やはり哀しみと喪失感が漂う雰囲気ながら、アメリカの歴史を思い浮かべると何か関係が…などと考えるのは、深読みのしすぎだろうか。
 当時、水星は自転周期と公転周期が同じで、常に同じ面を太陽に向けていると思われていた。確かラリイ・ニーヴンが「いちばん寒い場所」を発表した直後に周期の違いがわかり、最も早く時代遅れになった小説としてマニアの話題になったとかならなかったとか。
夢見る者の世界 / Dreamer's Worlds / ウィアード・テールズ1941年11月号
 ドラガル山脈への偵察の帰りに、カール・カン王子は砂漠民のキャンプを見かけた。供のブルサルとズールが諫めるのも聴かず、王子はキャンプに馬を走らせる。黄金の翼と呼ばれる。族長の娘を一目見るために。
 ヘンリー・スティーヴンスは、保険会社に勤める30歳。幼いころからずっと、眠ればカール・カンの夢を見てきた。鮮明で生々しく、細かな所まで辻褄があっている。行動力に溢れ大胆不敵、起伏に富んだ人生のカール・カンと、愛しい妻に恵まれ平穏な人生のヘンリー、どちらが現実なのか?
 ある意味、異世界転生物のバリエーションかも。ただし、両者の性格がまったく違うのはともかく、人格も別なあたりが、ヒネリの効いている。異境の冒険物として楽しめるカール・カンのパートと、サイコ・スリラーっぽいヘンリーのパートの取り合わせも、いいアクセントになっている。

 90年も前の作品もあり、さすがに道具立ては古いながら、「凶運の彗星」などの基本的な枠組みは今でも映画などで繰り返し使われているあたり、人類普遍の物語をSFは受け継いでいるんじゃないか、なんて思ったり。私が最も気に入ったのは、「向こうはどんなところだい?」。軍ヲタのせいか、八ッドンの姿が帰還兵に見えてしょうがなかった。

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2018年8月 5日 (日)

オキシタケヒコ「おそれミミズク あるいは彼岸の渡し綱」講談社タイガ

ぼくはこの座敷牢に、話をするために通い続けている。
そして彼女が望んでいるのは、まさに――そういう話なのだ。
  ――p39

「ぬしのこわいは、とてもよいぞ、ミミズク」
  ――p62

【どんな本?】

 2015年の「波の手紙が響くとき」でSFファンを狂喜させた新鋭作家オキシタケヒコによる、ライトノベル風味のホラー。

 逸見瑞樹は22歳。親の死により、12歳の時に引っ越してきた。今は叔母が営む新聞店で、配達の仕事をしている。海沿いの町は過疎化が進みつつあり、人口も三千を割った。

 逸見は人付き合いが苦手だ。この町に住んで10年になるが、親しい友人は同級生の入谷勇と、ツナという名の少女だけ。既に入谷は都会で働いている。そしてツナは…

 引っ越してきた年に、瑞樹は自転車で町を走り回った。土地勘を養うためだ。その最中に、逸見はあの屋敷を見つけた。なんの因果か屋敷の奥に通された逸見は、座敷牢に閉じ込められた少女ツナと出会う。色白で下半身が動かないツナは、この十年、ほとんど成長していないように見える。

 逸見は、週に一度、ツナに会いにゆく。彼女に怖い話を聞かせるために。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2018年版」のベストSF2017国内篇の17位に食い込んだ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2017年2月20日第1刷発行。文庫本で縦一段組み、本文約317頁。8.5ポイント40字×18行×317頁=約228,240字、400字詰め原稿用紙で約571枚。文庫本としては標準的な分量。

 文章はこなれている。特に難しい理屈も出てこない。ただし巧妙な仕掛けがあるので、謎解きが好きな人は、特に序盤を注意深く読もう。

【感想は?】

 SFファンが楽しめるホラー。

 SFの面白さは、いろいろある。中でも私が好きなのは、世界観をひっくり返される感覚だ。A.C.クラークの「幼年期の終り」や山田正紀の「弥勒戦争」とか、実にたまらない。

 お話は伝奇物風に始まる。

 舞台は海辺の寂れゆく町。主人公の瑞樹は22歳の孤児。まだ若いのにマトモな職に就かず、今は叔母の営む新聞店で配達を手伝っている。田舎の町ではロクな職もなく、身を寄せる新聞店も、この先の営業は思わしくない。何より人付き合いが苦手な上に極端な怖がりで、慢性の胃潰瘍に苦しんでいる。

 と、お先真っ暗…というか、むしろ自ら将来を投げ捨てているような瑞樹だが、この町を離れられない理由もある。

 それはツナ。小径の奥にある屋敷。雨戸までシッカリ閉めた暗い屋敷に、住んでいるのは老婆のシズと、座敷牢に閉じ込められたツナだけ。当然、ツナが着ているのは和服である。おお、いかにも忌まわしい曰くがありそう。

 とかの陰鬱な舞台装置を、更に盛り上げるのが、作品中に散りばめられた、短い恐怖譚。

 なぜかツナは怖い話を聞きたがる。そのため、瑞樹はツナに話す「怖い話」を仕入れなきゃいけない。そんなわけで、数頁の体験談が、作中作として入っていて、これがなかなかに不気味。

 怖い話も様々だ。古典的なパターンは、怪異の正体がわかっているもの。番町皿屋敷のお菊や、瓜子姫を攫う天邪鬼は、幽霊だったり妖怪だったりと、一応は正体がわかってる。子供はこういうのが好きだけど、大人になると怖さが薄れ、人によっては研究の対象になっちゃったりする。

 対して、この作中作に出てくるのは、名前がついてない。現代人の体験談なので、どうしても都市伝説風になる。怪異の正体もわからず、結論を放り出していて、これが更に怖さを際立たせる。思うに、口裂け女や人面犬も、名前がつく前に話を聞いたら、もっと怖かったと思う。

 正体不明なのは、ツナも同じ。そもそも座敷牢に閉じ込められ、怖い話をせがむってのが、意味わからん。なまじ愛らしい上に、怖い話を聞くと喜ぶってのも、なんかヤバそうだ。もしかして瑞樹、アブないシロモノに魅入られてるんじゃ…

 とか思って読んでいくと、全く違う風景が忍び込んできて。

 これがまた、世界をひっくり返すと同時に、おぞましい深遠を垣間見せる仕掛けになってるのが、なかなか憎い。おまけに初秋に目立つアレの印象も、ガラリと変わっちゃったり。

 思い込みを覆されるのを心地よく感じる人にお薦め。

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2018年8月 3日 (金)

鎌田浩毅「マグマの地球科学 火山の下で何が起きているか」中公新書

本書では、地球科学の領域で細菌30年間に急速に進展した研究例を紹介し、地球とマグマに関わる驚くべき現象を伝えたい。
  ――はじめに

地球上でマグマは、どこに出てくるのだろうか? 実は、マグマの八割ほどは、海の中に噴出する。くわしく見ると、75%近くが中央海嶺fr、約5%が海洋プレートの真ん中に出てくる。
  ――第3章 地球上の火山活動

マグマは、珪酸塩というものからできている。珪酸塩とは、二酸化珪素(SiO2)と金属の酸化物からなる塩のことをいう。
  ――第4章 マグマの起源

近年、海底の下1kmの深さで、おびただしい数の微生物が生息しているのが発見された。
  ――コラム 地球深部探査船「ちきゅう」プロジェクト

現実に噴火予知は地震予知と比較すると、すでに実用段階にあると言われている。
  ――第7章 火山ガス

多くの研究者が、現在の地球内部から出ている熱は、放射性の崩壊によるものが主要であると考えている。その量は、微惑星が地球に衝突することで発生した熱エネルギーの1/10くらいと見積もられている。
  ――第8章 火山の熱源と根もと

コロンビアのガレラス火山の噴気孔からは、毎日0.05kgの金が大気中に逃げているそうだ。すなわち、一年間につき20kgの金が、火山から放出されていることになる。
  ――第10章 火山のもたらす財宝

【どんな本?】

 浅間山や桜島など、日本には火山が多い。雲仙普賢岳の噴火では、多くの犠牲者が出た。

 重たい地面を突き破り、地球の重力に逆らって噴火するのエネルギーは、どこからやってくるんだろう? 火山の中は、どうなっているんだろう? マグマの原料は何で、どんな種類があり、どんなしくみで噴火するんだろう? そして、普賢岳の悲劇は防げるのだろうか?

 地道な調査で積み重ねたデータと、技術の進歩が実現した新たな観測方法により、今までは隠されていた火山の姿が見えるようになってきた。現代科学が明らかにした火山の実態を描く、一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2008年12月20日発行。新書版で縦一段組み、本文約254頁。9ポイント41字×17行×254頁=約177,038字、400字詰め原稿用紙で約443枚。文庫本でも普通の厚さの一冊分ぐらいだが、地図・イラスト・グラフなども多く載っているので、文字数は8~9割程度だろう。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。いや実はけっこう難しい事も書いてあるんだが、わからなければわからずに済ませられるように書いてある。必要なのは、わからない所を読み飛ばすいい加減さ。どうしてもちゃんと読みたい人は、玄武岩(→Wikipedia)と花崗岩(→Wikipedia)を調べておこう。

【構成は?】

 原則的に前の章を受けて後の章が続く形なので、できれば頭から読もう。また、地図やイラストは同じ図を後で何度も参照するので、栞をたくさん用意しておこう。

  • はじめに
  • 第1章 火山とは何か
    富士山はどこからどこまでか/火山という言葉/火山の恵み/火山学の誕生/近代火山学の誕生/日本の火山学
  • コラム 博物学は科学の原点
  • 第2章 プレートの運動
    地球表面の形/大陸が動いた?/大陸はなぜ動くか/大陸移動説の復活/プレートの三つの境界/プレート・テクトニクス理論の展開/押す、引く、滑る、そして送り出すプレート
  • コラム 科学者のたまごに「大陸は動く」を
  • 第3章 地球上の火山活動 マグマの上がってくるさまざまな場所
    中央海嶺と大陸リフトの火山活動/沈み込み帯の火山活動/火山の輪/時間軸で火山を見る/ヒマラヤはどうしてできたか/大陸の衝突とマグマ/海洋ホットスポットの火山活動/ホットスポットから地球の動きを見る/ホットスポットの根もと/さまざまな場所に出現するホットスポット/大陸にあるホットスポットの火山活動
  • コラム ホットスポット、ハワイの火山を見る
  • 第4章 マグマの起源
    マントルでマグマはいかに作られるか/地中の温度/岩石が溶けてマグマになる仕組み/高温の「低速度層」/マグマのネットワーク/岩石が溶けるための条件/マグマが落ち着くマグマだまり/ダイアピルの上昇/火山のモデルを立てる
  • コラム 出前授業はおもしろい
  • 第5章 マグマの多様な種類
    主要なマグマの種類/非適合元素と適合元素/実験岩石学/地球の初期を知る/マグマの分類/アルカリ岩と非アルカリ岩/さらに細かく分類すると/マグマの二つの系列/火山学で用いる図の意味/噴出する地域によるマグマの違い/玄武岩が基本
  • コラム 地球深部探査船「ちきゅう」プロジェクト
  • 第6章 マグマは変化する
    マグマだまりを探る/噴火の休止とマグマの進化/マグマは変化する/マグマの同化/マグマの混合/結晶分別作用/結晶が次々と誕生する/マグマの中での斑晶の成長/結晶分別作用は密度がキーワード/マグマの変化をシミュレーションで再現/室内実験でマグマの挙動を再現/実験結果を野外で確かめる
  • コラム 世界最大の活火山、マウナロア山
  • 第7章 火山ガス
    火山ガスを採取する/火山ガスの化学成分/火山ガスの噴出量/危険な二酸化炭素ガス/揮発性成分の変化と物性/火山ガスの起源/異なる起源を持つ水/火山ガス観測を噴火予知に役立てる/噴火予知の実例
  • コラム 二酸化炭素を石炭層に固定する
  • 第8章 火山の熱源と根もと
    火山をもたらす熱源/マグマオーシャンの誕生/地球を暖めるさまざまな熱源/地球内部の温度/地球の温度勾配/火山の根もとにあるマグマだまり/マグマの源とプレート・テクトニクス/火山の根もとにある現世のマグマだまり/過去のマグマだまりから火山を知る
  • コラム 雲仙科学掘削プロジェクト
  • 第9章 火山のエネルギー
    地熱エネルギーと地熱パワー/地熱地帯の熱の運搬/熱水を採取する/地熱探査の三要素/カルデラ内の地熱貯蔵層/高温乾燥岩体や溶けたマグマから地熱を得る/地熱エネルギーの未来
  • コラム 火山を伴わない温泉
  • 第10章 火山のもたらす財宝
    水の循環と火山活動/火山による元素の循環/地球上の水の起源/火山は地球の蒸留器/火山は鉱床を作る/貴金属を多く生産する火山/炭酸塩のマグマ/ダイヤモンドを運ぶダイアストリーム/海底の煙突
  • コラム 世界自然遺産「知床」と硫黄の溶岩流
  • 第11章 火山と気候変動
    18世紀の異常気象/19世紀に起きた火山噴火と気温低下/20世紀の大噴火と異常気象/地球温暖化と火山噴火
  • コラム 古生代末に起きた大量絶滅の原因
  • おわりに/索引

【感想は?】

 一般向けの御多分に漏れず、著者が研究を楽しんでいるのがよく伝わってくる。

 10年前の本だ。科学では長い時間だが、火山の時間スケールは更に長い。なにせ最初に出てくるのがウェゲナーの大陸移動説だし。

 今じゃ大陸移動説は常識だが、長く認められなかった理由の一つは、「大陸を移動させる原動力が説明できなかったから」。そういえば私も、「そうか、大陸も動くのか」で納得して、「なぜ動くのか」までは考えなかった。こういう疑問を持てるか否かが、科学者の資質なんだろうか。

 ちなみにこの答え、今でも「完全に突き止めるまでには至っていない」。こういう、わかっていない事も書いてあるのが、先端科学の本の魅力の一つだろう。

 この大陸移動説、地図や地球儀を見て、ウェゲナーと同じ発想に至る子供もいるとか。子供ってすごい。これ欧米の子は地図、日本の子は地球儀で気づくらしい。

 教育制度が云々、と思ったが、世界地図を見て納得。日本の世界地図は太平洋が中心で、大西洋は左右に分かれてる。だから、アフリカ西海岸と南米東海岸が似てると気づきにくい。でも地球儀なら左右に切れないから、見ればわかるのだ。なるほど、そういう事か。

 科学は日夜進歩している。お陰で、私のようなオッサンにとっては、幼い頃に刷り込まれた思い込みが覆されるのも、この手の本の楽しみの一つ。

 まずはマントルだ。地球の表面は薄い地殻、次いでマントル→外核→内核となっている。このマントル、今までドロドロの液体だとばかり思っていたが、実は固体らしい。液体なのは外核だけで、他はみんな固体。

 とすっと、なんか変だ。マントル対流とかプルーム・テクトニクスとかあるじゃん。小松左京と上田早由里が言ってた。対流と言うからには、液体なんじゃないの?

 実は固体でも対流は起こるらしい。ただし、とってもゆっくりと。そういえば、地質学が扱う時間は何千万年とか何億年とか、やたら長い時間だった。ただし、なんで固体なのかってのがミソ。

 山の上じゃすぐ湯が沸く。気圧が低いと沸点も低くなる。沸点だけじゃなく、融点も圧力と関係あるらしい。圧力が低けりゃ融点は下がり、高けりゃ上がる。

 とかの圧力の関係もあるし、中身も関係してくる。「玄武岩の溶岩の融解温度は、たった0.1%の水の加入で100℃近くも引き下げられる」。日本列島は海洋プレートが沈み込む所にある。海洋プレートが沈み込む時、海水も一緒に引きずり込まれる。これが融点を下げるんで、日本は火山が多い…のかな?

 水は氷ると体積が増えるが、これは例外。普通は液体が固体になると体積は減るし、逆に固体が液体になると体積が増える。体積が増えると、軽くなって、上に昇ってゆく。もっとも火山の場合は単純じゃなくて、いったん地下にマグマ溜まりができて…

 とかの、火山ができる仕組みの部分は、けっこうややこしい。なんたって、一見均一に見えるマグマも、中には様々なモノが混じってて、それぞれ重さも違えば融点も違うし、状況も刻々と変わっていくからだ。

 とかの科学の話はもちろん面白いが、小学校から高校までの出張授業のネタも楽しい。歳が上になるほど反応が鈍くなるなんて話は、色々と考えてしまう。

 何せ小学校まで出かけて授業する著者である。とにかく布教熱心で、この本でも読者を地学に帰依させようとっする熱意がアチコチから漏れてくる。グラフの見方まで教えてくれる親切さは、ちょっと他に例をみない。そういう意味でも、読んでてとても楽しい本だった。科学者ってのは、子供の好奇心を持ち続けた大人なんだなあ。

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2018年8月 1日 (水)

ロバート・シルヴァーバーグ「時間線をのぼろう」創元SF文庫 伊藤典夫訳

「ファックするんだ! 最高だぞ! 天国だぞ! 時間と空間に挑戦するんだ! 神の目玉に指をつっこんでやれ!」
  ――p148

「時間旅行の開発によって、新しい事実がつぎつぎと発見された結果、歴史に残る感動的な逸話のなかから修正の必要があるものがたくさん出てきました」
  ――p178

そんなところに行くのは、よほどの狂人、怪人、変質者、倒錯者だけ。ということは、この旅が大繁盛していることを意味する。
  ――p232

「今夜は、いつに泊まる?」
  ――p252

【どんな本?】

 SFはもちろんポルノからノンフィクションまで幅広く、しかも一時は一カ月に長編三冊という凄まじい執筆ペースを誇ったロバート・シルヴァーバーグが、今度は質を重視した芸風に切り替え、ニュー・シルヴァーバーグと呼ばれたころに発表した、ユーモラスでエロチックな悪ふざけ満載の長編SF小説。

 時間旅行が発明されてしばらくたった未来。ジャド・エリオットは24歳。素寒貧で南部のニューオーリンズに来た。町で知り合ったサムの勧めで、団体旅行の添乗員になる。

 といっても、扱うのは普通の旅行じゃない。時間局の旅行部観光課に勤める時間観光ガイドだ。団体客を時間旅行に連れ出し、歴史上の有名なイベントを見学させ、現地の雰囲気を味合わせる。人気のイベントは、キリストの磔・マグナカルタの調印・リンカーンの暗殺など。

 それと同時に、客がトラブルを起こさぬよう、厳しく監視するのもガイドの務めだ。特に時間旅行ともなれば、普通の旅行とは違ったトラブルが起こる。下手にバレたら時間局に大目玉を食らう。

 最初は緊張気味だったジャドだが、経験豊かな先輩たちに導かれ、自信がついたのはいいいが…

 1975年星雲賞海外長編部門に輝いた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Up the Line, by Robert Silverberg, 1969。日本語版は1974年7月に「時間線を遡って」として中村保男訳で創元SF文庫より刊行。私が読んだのは2017年6月16日初版の新訳版。文庫本で縦一段組み、本文約350頁に加え、高橋良平の解説「豊穣の日々のなかで ニュー・シルヴァーバーグの時代」が豪華16頁。8ポイント41字×18行×350頁=約258,300字、400字詰め原稿用紙で約646枚。文庫本としては少し厚め。

 文章はこなれている。内容は、というと。時間旅行に伴うややこしい理屈は出てくるが、落ち着いて読めば、だいたいわかる。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズが楽しめる人なら、充分についていける。もちろん、理科が苦手でも全く問題ない。

 ただ、主な舞台がビザンティン(東ローマ帝国)、それもコンスタンティノープル(現イスタンブール)周辺なので、そのあたりの歴史に詳しいと、更に楽しみが増す。

【感想は?】

 セックス・ドラッグ・タイムトラベル。

 ビザンティンの歴史をベースに、ドタバタ風味の中に激動の60年代の香りを乗せ、明るく楽しく悪ノリを含めてエロチックに仕上げた、ユーモアSF。

 語り手のジャドは置いて、次に出てくるサムが実にファンキーというかヒップというか。登場してすぐ、ジャドとの会話が、頭の回転が速くてノリがよく、フレンドリーながらも相応の教養を備えているのが伝わってくる。

 この記事は書評だから、直接に「頭の回転が速い」なんて書けるけど、これを数行の会話で表すのは難しい。もちろん、サムが「俺は頭の回転が速い」なんて自己紹介するわけでもない。ジャドと初対面での会話だけで、そういうサムのキャラクターをバッチリ伝えるあたりは、シルヴァーバーグの腕に感服するのみ。

 と同時に、この物語が書かれた「激動の60年代」な空気が伺えるのも、今ならではの楽しみの一つ。フラワー・チルドレンがマリファナを回し飲みしながらフリーセックスを楽しみ、南部では公民権運動が吹き荒れた時代。

 そういう時代の人が想像した未来は、どんな世界なのか。今でも相当にアブないジョークを軽々と交わすサムとジャドの会話から、ハチャメチャながらも夢と希望に溢れた60年代末期の香りが漂ってくる。

 そんな明るく開放的な雰囲気の中で、ジャド君は元気にヤりまくる。これも性の解放が叫ばれた60年代的というか、それまでのSFが禁欲的なまでに性の話題を避けていた反動なのか。とにかくお色気…というよりモロなベッド・シーンが次々と。もっとも、今の基準から見るとかなりソフトな描写だけど。

 もちろん、それだけで星雲賞に選ばれるワケはなく。

 SFとしての主なテーマは、タイム・トラベルだ。しかも、その扱いが「シャント」一発と、やたら軽い。なんたって、営利目的の観光旅行に使ってるぐらいだし。

 そんなワケで、観光ガイドとして団体旅行を率いるジャド君は、作品中で数えきれないほど「シャント」する。はいいが、時間旅行となれば、様々なパラドックスが考えられる。自分を産む前の親を殺したら? 英雄の偉業を邪魔したら? 逆に死すべき者を助けたら?

 それでも旅する者が真面目な学者だったり、お堅いタイム・パトロールなら、慎重に行動するだろう。でも、ジャド君が率いるのは、いかにもお気楽でマイペースで能天気な団体旅行客たち。お陰でジャド君は気の休まる暇が…

 と思ったら、こっちはこっちで存分に人生を楽しんでるからしょうもないw 特に腕利きのベテラン添乗員、テミストクリス・メタクサスときたらw 添乗員ならではの役得を、存分に味わってるから羨ましい。

 などの軽いフレイバーながら、そのベースになっているのがビザンティン(東ローマ帝国)の歴史エピソードなのが、実に憎い。中でもクライマックスは、メフメト二世による包囲・陥落だろう。この事件そのものもいいが、これを見物しようとする観光客の態度も、いかにも野次馬なのが酷いw

 歴史マニア向けの蘊蓄を隠し味として、SFファンを喜ばせる幾つものパラドックスを仕込み、お気楽極楽人生エンジョイな風味に仕上げた、腕利きの職人ならではのユーモア作品だ。

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