ケン・リュウ「母の記憶に」新☆ハヤカワSFシリーズ 古沢嘉通他訳
どちらが狩人で、どちらが獲物だ?
――烏蘇里羆いつか、人は、この市に命を捧げた史可法兵部省所がどれほど勇ましかったかという話を語るだろうけど、あたしたちみたいな女がいたことなんかけっしてかまいやしない。
――草を結びて環を銜えん現実を凍結させたいという願望は、現実を避けることなのだ。
――シミュラクラ邪悪には、先入観にかられずに立ち向かわねばならない。
――レギュラー「あの数字はまちがってたのよ、父さん」カイラはつぶやいた。「もうひとつの死を見落としてたのよ」
――ループのなかで「われわれは人々の内側にすでにある闇の覆いをはがしているだけだ」
――パーフェクト・マッチ<シンギュラリイティ>以後、ほとんどの人間は死ぬことを選んだ。
――残されし者過去は記憶の形で生き続けるし、権力を握った連中はいつだって、過去を消して黙らせたい。
――訴訟師と猿の王「だれもがこの国に来ると新しい名前を手に入れるものだ」
――万味調和――軍神関羽のアメリカでの物語
【どんな本?】
「紙の動物園」以来、人を食ったような偽史・抒情的な家族物・歴史ファンタジイなど、バラエティ豊かな作品を旺盛に発表し続け、SF界に嵐を巻き起こしたアメリカの新鋭SF作家ケン・リュウの、日本オリジナル短編集第二弾。多彩で変化自在な芸風は相変わらずで、引き出しの多さには驚くばかり。
SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2018年版」のベストSF2017海外篇の2位に輝いた。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2017年4月25日発行。新書版で縦二段組み、本文約467頁に加え、藤井太洋による「どこにでもいるケン・リュウ」5頁+古沢嘉通の訳者あとがき12頁。9ポイント24字×17行×2段×467頁=約381,072字、400字詰め原稿用紙で約953枚。文庫本なら上下巻でもいい分量。
【収録作は?】
それぞれ 作品名 / 原題 / 初出 / 訳者 の順。
- 烏蘇里羆 / The Ussuri Bear / オリジナル・アンソロジー Beast Within 4: Gears and Growls, 2014 / 古沢嘉通訳
- 1907(明治40)年2月、延辺(現中国吉林省の北朝鮮国境近く)。中松丈吉博士が率いる帝国陸軍の探検隊は、10型機械馬の実施試験を兼ね、長白山脈を進む。求めるは烏蘇里羆、灰色熊の祖先であり、この地域の食物連鎖の頂点に君臨する。隊が見つけた白骨は…
- 帝国陸軍が秘密裏に開発した機械馬とか、一種のスチームパンクですね。対するは獰猛にして狡猾、冬山の王者である烏蘇里羆。「羆嵐」を読んでいると、羆が侵入者に対する大地の敵意を凝縮した化け物に思えてきて、迫力倍増です。
- 草を結びて環を銜えん / 結草銜環 Knotting Grass, Holding Ring / オリジナル・アンソロジー Long Hidden' 2014年 / 古沢嘉通訳
- 1645年。明朝を席巻した満州族に包囲あれた楊州(南京の東)。売れっ子の娼妓の緑鶸(みどりのわひわ)は、お供の雀を伴いお座敷に出る。相手は守備隊の李隊長。史可法兵部省所(長官)は住民を守ると宣言し、七日間を持ちこたえた。だが北京ですら落ちたのだ。
- 清朝の予親王多鐸による楊州虐殺(→Wikipedia)に題をとった作品。都市の陥落とそれに伴う略奪と虐殺を、抗戦する政府高官や軍人ではなく、抗う術のない娼妓の視点で描いてゆく。おまけに緑鶸ときたら、抗うどころか…。犠牲者の数には諸説あるが、その一人一人にこんな物語があるんだよなあ。
- 重荷は常に汝とともに / You'll Always Have the Burden with You / オリジナル・アンソロジー In Situ 2012年 / 市田泉訳
- ルーラ。人類が宇宙で唯一見つけた、高度な文明の遺跡。中でもサディアス・クローヴィス博士が見つけたテキスト、<ルーラのサーガ>は有名だ。地球外考古学を学ぶフレディは、公認会計士を目指すジェインと共に、ルーラ最大の地球人居住区ゼフへ向かう。
- 芸の多彩さはしっていたが、こんな引き出しまで隠していたとは。フレデリック・ブラウンやリチャード・マシスンやロバート・シェクリイなど、黄金期のアメリカSFを思わせる、意表を突く小粋でユーモラスなアイデア・ストーリーだ。
- 母の記憶に / Memories of My Mother / デイリー・サイエンス・フィクション2012年3月19日配信 / 古沢嘉通訳
- 病気のママに残された時間は二年間だけ。そこでママは決意した。光速に近い速さで飛ぶ宇宙船に乗ろう。宇宙船で三カ月過ごす間に、地球では七年が過ぎる。そうすれば、愛する娘エミーの成長を見届けられる。
- 七年に一度だけ、昔の姿のままで姿を現す母親を、娘の視点で描く掌品。解説によると、短編映画にもなったとか。私はレイ・ブウラッドベリの「ロケット・マン」を思い出した。いや全く中身も芸風も違うんだけど。
- 存在 / Presence / アンカニー2014年11月12月合併号 / 古沢嘉通訳
- 大洋を超え、アメリカに移り住んだ息子。国を離れるのを拒み、老いて病院で介護される母親。毎晩、息子は母親を見舞う。ただし、ロボットで。
- 色々な意味で、ケン・リュウらしい作品。こんな風に親の介護が問題になるのは、儒教の影響が強い極東の文化圏ぐらいじゃなかろうか。とまれ、病室の甘い匂いまで漂ってくる描写は見事だ。いや本来なら匂いはしない筈なんだけど。
- シミュラクラ / Simulacrum / ライトスピード2011年2月号 / 古沢嘉通訳
- シミュラクラ。ヒトの精神活動をスキャンし、保存・再生する。ポール・ラリモアは、この発明で大金を稼ぎ、名士となった。だが娘のアンナは…
- あー、うん、そりゃ多感な年頃の娘が、そんなモン見ちゃったらなあ。
- レギュラー / The Regular / オリジナル・アンソロジー Upgraded 2014年 / 古沢嘉通訳
- ルースはボストンで私立探偵を営む。今日の依頼人は五十代の婦人、サラ・ディン。娘のモナが殺された、真犯人を見つけて欲しい、と。モナはエスコート嬢、個人営業の売春婦だ。警察はギャングの抗争に巻き込まれたと見ているが、依頼人は納得できない様子で…
- これまたケン・リュウの意外な一面が楽しめる中編。ロバート・B・パーカーのスペンサー・シリーズの向こうを張る、正統派の香り高い探偵物だ。もちろん<調整者>などSFガジェットは出てくるし、チャイナタウン絡みで重要な役割を果たす。が、それ以上に、主人公の私立探偵ルースのタフな生き様が印象に残る。シリーズ化して欲しいなあ。
- ループのなかで / In the Loop / オリジナル・アンソロジー War Stories 2014年 / 幹瑤子訳
- カイラの父親は、陸軍でドローンの操縦士だった。殺した敵は1251人。だが心が壊れ、家庭も壊れた。大学を出たカーラは、ある求人ポスターに目を止める。『志望者は保全許可認定審査に合格する必要あり』『われらが英雄たちへのPTSDの影響を除去します』。
- ドローンとはいえ、所詮はリモコン。結局は人が操って、トリガーを引く。これが「人を殺した」という心の傷になるのならってんで考えたのが…。米軍の場合、根本的に占領統治政策が下手なんじゃ、とか言い出すとキリがない。
- 状態変化 / State Change / オリジナル・アンソロジー Polyphony 4 2004年 / 市田泉訳
- リナは冷凍庫をあけて、アイスキューブを見る。見るたびに少し小さくなっているような気がする。ミレイは蝋燭の両端に火を灯し、光り輝く人生を送った。エドナはガチョウの綿毛より、重くてしっかりしたものならよかったと思ってる。そして明るく人懐こいジミーは…
- 「アイアマンガー三部作」と似たアイデアを使いながら、舞台を現代アメリカに設定して、全く違う味わいにしたロウ・ファンタジイ。初出を見ると最初期の作品ながら、ケリー・リンクなどに通じる「奇妙な味わいの物語」に仕上がっている。
- パーフェクト・マッチ / The Perfect Match / ライトスピード2012年12月号 / 幹瑤子訳
- センチュリオン社のティリーは、一種の電子秘書だ。目覚まし代わりに好みの音楽を鳴らし、一日のスケジュールを管理し、デートの相手まで紹介してくれる。法律事務所に勤めるサイはティリーを使いこなしている。でも隣に住むジェニーときたら…
- 今となっては、Google も Amazon も、私たちの好みを知り尽くしている。理屈はだいぶ違うけど、Twitter のタイムラインも、人によって流れるツィートは全く違う。そして、いずれも暮らしに欠かせないサービスになりつつある。ビッグデータとディープ・ラーニングが話題の今、この問題は目前に迫っているんだよなあ。
- カサンドラ / Cassandra / クラークスワールド2015年3月号 / 幹瑤子訳
- エアコンを買いにディスカウント・ストアに行った時、それが起きた。幼い男の子を連れた夫婦が、大画面テレビのそばで話している。彼らが去ってから、同じテレビに触れた時、それが見えた。狭い部屋はぐちゃぐちゃになり、泣く女と責める男の声。そして…
- 何かとイジられがちな某スーパーヒーローと、その敵役のお話。まあイジりたくなる気持ちはわかる。なんか「いつだって品行方正な優等生」な雰囲気が、ちょっとイラつくんだよね。
- 残されし者 / Staying Behind / クラークスワールド2011年10月号 / 幹瑤子訳
- シンギュラリティ。人々は次々とマシンの中へ移り住み、地上から人間はどんどん減っていった。死者たちはドローンを飛ばし、盛んに宣伝している。森林は広がり、街は小さくなり、通信ネットワークの維持も難しくなってきた。でもおれとキャロルは、娘のルーシーと共に残っている。
- 静かで平和な終末の景色を描いた作品。戦争でも自然災害でもなく、人格アップロードというのがいい。サバイバリストが自家用シェルターなどを用意してるアメリカでは、こんな風景がアチコチで見られるんだろうなあ。
- 上級読者のための比較認知科学絵本 / An Advanced Reader's Picture Book of Comparative Cognition / 短編集 The Paper Menagerie and Other Stories 2016年 / 市田泉訳
- フェルミのパラドックス(→Wikipedia)と、それを出し抜こうとする突飛な探査計画を柱に、奇想天外なエイリアンの生態をまぶした作品。どのエイリアンも堂々と長編の主役を張れる奇天烈な役者揃いなのに、惜しげもなく短編で使い捨てちゃうとは凄い。
- 敢えて言えば、スタニスワフ・レムの「泰平ヨンの航星日記 改訳版」に少し似ているけど、悪ノリなギャグ・テイストは控えめで、静かな情愛を足した感じ。
- 訴訟師と猿の王 / The Litigation Master and the Monkey King / ライトスピード2013年8月号 / 市田泉訳
- 清朝の最盛期、第六代の乾隆帝の治世。楊州近くに住む田晧里は50過ぎの飲んだくれ。読み書きはできるが科挙に受かったことはなく、手紙の代筆などで日々を凌いでいる。だが本当の稼ぎ口は別だ。村人が役人に目をつけられた時に…
- 「草を結びて環を銜えん」同様、楊州虐殺に題をとった作品。「猿の王」は日本でも有名な、暴れん坊のトリックスターだが、中国では少し性格付けが違うようだ。物語そのものが余りに力強いため、その奥に隠れたメッセージは見えにくいが、そこは注意深く読み取りたい。舞台が楊州近くなだけに、そこに囚われそうだが、私は現在日本で進行中の事柄を連想してしまう。
- 万味調和――軍神関羽のアメリカでの物語 / All the Flavors / ギガノトサウルス2012年2月号 / 古沢嘉通訳
- 1865年、アイダホ・シティ。クリックとオビー二人のならず者は、強盗殺人を誤魔化すために火をつけ、街全体に被害をおよぼす大火災となった。その数週間後、痩せて疲れ切った中国人の男たちが街にやってきた。彼らは大勢で小さな部屋に住み、賑やかな音を立てる。ジャック・シーヴァーと幼い娘のリリーは彼らに興味を惹かれ…
- 舞台は西部劇ながら、主な役者が出稼ぎの中国人と、アイルランド系のシーヴァー一家ってのが、捻りが効いてる。アイルランド民謡「フィネガンの通夜」はこちら(→Youtube)。赤ら顔で髭モジャ、三国志演義では無双の豪傑な関羽将軍も、幼い女の子には弱いようでw ジャックも、アイリッシュの典型で偏屈者かと思ったら…
- 『輸送年報』より「長距離貨物輸送飛行船」(<パシフィック・マンスリー>誌2009年五月号掲載) / The Long Haul: From the ANNALS OF TRANSPORTATION, The Pacific Monthly, May 2009 / クラークスワールド2014年11月号 / 古沢嘉通訳
- 甘粛省蘭州市雁灘空港。<パシフィック・マンスリー>誌の取材のため、わたしはここでバリー・アイクの長距離貨物輸送船、東風飛毛腿機に乗り込み、ラスヴェガスへと向かう。乗組員はふたり、アイクと葉玲の夫婦だ。ふたりは六時間交代で操縦と睡眠をとる。
- 悠々と大空を遊弋する飛行船は、雄大でカッコいい。でも、「飛行船の歴史と技術」や「日本飛行船物語」を見る限り、現実に運用するとなると、目的や費用面で難しそうだ。そこをなんとかするのが作家の腕の見せ所。米中間の貿易が増えてきた今、この筋書きはかなり魅力的だ。と同時に、アメリカ男と中国女の、互いにスレ違いつつも寄り添おうとする夫婦関係も、ケン・リュウならでは。
- 藤井太洋 どこにでもいるケン・リュウ
- 古沢嘉通 訳者あとがき
「紙の動物園」でも芸の多彩さに舌を巻いたが、まだ手札を隠し持っていたとは、と驚きの多い作品集。ケン・リュウならではの「草を結びて環を銜えん」や「万味調和――軍神関羽のアメリカでの物語」もいいし、黄金期のSFを現代に蘇らせた「重荷は常に汝とともに」も嬉しいが、私は「レギュラー」が一番好き。
なお、解説によると、最近のケン・リュウは長編と翻訳に力を入れているものの、発表済みの中短編は50編を超えているそうなので、まだまだ続きが期待できそう。そういえば「良い狩りを」の続編は?
【関連記事】
- 2016.11.25 ケン・リュウ「蒲公英王朝期」新☆ハヤカワSFシリーズ 古沢嘉通訳
- 2016.11.01 ケン・リュウ「紙の動物園」新☆ハヤカワSFシリーズ 古沢嘉通訳
- 2018.3.25 アダム・ロバーツ「ジャック・グラス伝 宇宙的殺人者」新☆ハヤカワSFシリーズ 内田昌之訳
- 2017.11.21 ハーラン・エリスン「ヒトラーの描いた薔薇」ハヤカワ文庫SF 伊藤典夫他訳
- 2017.07.04 ジャック・ヴァンス「スペース・オペラ」国書刊行会 浅倉久志・白石朗訳
- 2017.04.21 チャイナ・ミエヴィル「爆発の三つの欠片」新☆ハヤカワSFシリーズ 日暮雅通他訳
- 書評一覧:SF/海外
| 固定リンク
「書評:SF:海外」カテゴリの記事
- エイドリアン・チャイコフスキー「時の子供たち 上・下」竹書房文庫 内田昌之訳(2022.04.25)
- ピーター・ワッツ「6600万年の革命」創元SF文庫 嶋田洋一訳(2022.04.13)
- アフマド・サアダーウィー「バグダードのフランケンシュタイン」集英社 柳谷あゆみ訳(2022.02.16)
- 陳楸帆「荒潮」新☆ハヤカワSFシリーズ 中原尚哉他訳(2021.10.21)
- ザック・ジョーダン「最終人類 上・下」ハヤカワ文庫SF 中原尚哉訳(2021.09.27)
コメント