アナスタシア・マークス・デ・サルセド「戦争がつくった現代の食卓 軍と加工食品の知られざる関係」白揚社 田沢恭子訳
(湾岸戦争の掩蔽壕で米軍)兵士たちが分け合った食料――数年前につくられたビーフパティとブラウンソースがレトルトパウチに入ったもの――は、自宅の冷蔵庫や食器棚に入っている食べ物とはまるで無縁のもののように思われる。
――第1章 子どもの弁当の正体戦闘食糧配給局キャシー=リン・エヴァンゲロス「賞味期限は摂氏27℃で三年としています」
――第2章 ネイティック研究所 アメリカ食糧供給システムの中枢Ⅰ別の分子から電子をもらう分子を酸化剤、電子を与える分子を還元剤という
――第5章 破壊的なイノベーション、缶詰「現在の私たちが口にする食品の多くや、受容性や簡便性という概念、それに食品の安定性は、すべて戦争を背景として陸軍需品科が生み出したものなのだ」
――第6章 第二次世界大戦とレーション開発の立役者たち念のための備えとして、ネイティック研究所はフリーズドライほど大がかりで高価な設備を必要としない、水分を含んだ食品の研究も行っていた。その食べ物とはドッグフードだ。
――第7章 アメリカの活力の素、エナジーバー戦場に配置されてレーションばかり食べる兵士の場合、ゴミの量は通常の10倍にもなる。
――第10章 プラスチック包装が世界を変える第二次世界大戦は、戦地の兵士の食事が一般市民と著しく異なり、食べるものはほぼすべて加工食品からなるレーションだったという点で、過去に例のない戦争だった。
――第12章 スパーマーケットのツアーリンゴやバナナなど、収穫後に成熟するクリマテリック型果実と呼ばれるものはエチレンを大量に放出する。エチレンは1ppmの濃度でも、一緒に運ばれているレタスすべてを一日で堆肥の山送りにしてしまう。
――第13章 アメリカ軍から生まれる次の有力株イラク戦争とアフガニスタン戦争は、(略)護衛付きの輸送車隊の車両の七割が給油車だった。基地へ届ける燃料一ガロンにつき、輸送のために燃料を七ガロン使っていた。
――第13章 アメリカ軍から生まれる次の有力株料理というのは、先に音楽がたどったのと同じ道を歩んでいて、いわば死にかけのアートだ。内輪の個人的なもの――曽祖父母の世代は自分たちで歌を歌ったり楽器を演奏したりしていた――から、大勢で共有する商業的なものへと移り変わってきている。
――第14章 子どもに特殊部隊と同じものを食べさせる?
【どんな本?】
著者は料理が好きで、学校に通う子には手作り弁当を持たせた。後にフードライターとして取材を重ねるうち、困った事実を掘り起こしてしまう。手作り弁当は、幾つかの点で学校給食に及ばない。鮮度はともかく、栄養価でも環境負荷でも。
インスタントコーヒー・クラッカー・ハム・パンなど、多くの加工食品は賞味期限が異様に長い。レトルト・パックもそうだ。これらの秘密を探る著者は、やがて合衆国陸軍の一部署にたどり着く。スーパーに並ぶ加工食品が使っている技術の多くは、もともと軍用だったのだ。
部署の名は、ネイティック研究所。
遠い異国で戦う将兵も、食べなければ戦えない。だが熱帯のジャングルでは何もかもがすぐに腐り、熱砂の砂漠では干からびる。ゲリラ戦は輸送隊を襲うのが常道だ。イラクやアフガニスタンでは、前線まで物資を届けるのも一苦労である。かといって食事がマズければ、将兵は戦意を失う。
だから、将兵が持ち歩くレーションは、運びやすく長持ちし、栄養価が高く美味しくなければならない。
これらの目的を達成するために、どんな困難があり、どんな技術で乗り越えたのか。そもそもなぜ食品は劣化するのか。そこには、どんなプロセスが働いているのか。軍用の技術をどのように民間移転したのか。それはどんな食品に使われているのか。それは安全なのか。
私たちが毎日気づかずに使っている身近な軍用技術について、その歴史的経緯から科学的な原理までを、熱心な取材と調査で明らかにした、衝撃のルポルタージュ。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Combat-Ready Kitchen : How the U.S. Military Shapes the Way You Eat, by Anastacia Marx de Salcedo, 2015。日本語版は2017年7月20日第一版第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約320頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント45字×19行×320頁=約273,600字、400字詰め原稿用紙で約684枚。文庫本なら少し厚め。
文章は比較的に読みやすい。内容も特に難しくない。一部に好気性やフリーラジカルとか科学っぽい言葉が出てくるが、面倒なら読み飛ばしてもいい。大事っぽいのはpH(→Wikipedia)で、酸性かアルカリ性かを示す。7が中性、それより小さければ酸性、大きければアルカリ性。
また、アメリカ人向けに書いているので、日本では馴染みのない食品も出てくる。
その代表はエナジーバー。スニッカーズやカロリーメイトみたく棒状の加工食品らしい。調べたら特色もウリも様々で、アスリート向けプロテイン型,登山向け高カロリー,ダイエット向け低カロリー,ベジタリアン向け,フルーツ入りから版権キャラクター物まで、色とりどり。
製品ばかりか手作り用のレシピもあるので、加工食品というより、「クッキー」や「麺」みたく食品の形態の一つ、ぐらいの位置づけなのかも。
【構成は?】
前半は時代を辿り、中盤では個々の技術を紹介し、終盤で現在から未来を見る形。できれば頭から読んだ方がいいが、美味しそうな所をつまみ食いしてもいいだろう。
- 第1章 子どもの弁当の正体
- 第2章 ネイティック研究所
アメリカ食糧供給システムの中枢Ⅰ - 第3章 軍が出資する食品研究
アメリカ食糧供給システムの中枢Ⅱ - 第4章 レーションの黎明期を駆け足で
- 第5章 破壊的なイノベーション、缶詰
- 第6章 第二次世界大戦とレーション開発の立役者たち
- 第7章 アメリカの活力の素、エナジーバー
- 第8章 成形肉ステーキの焼き加減は?
- 第9章 長持ちするパンとプロセスチーズ
- 第10章 プラスチック包装が世界を変える
- 第11章 夜食には、三年前のピザをどうぞ
- 第12章 スパーマーケットのツアー
- 第13章 アメリカ軍から生まれる次の有力株
- 第14章 子どもに特殊部隊と同じものを食べさせる?
- 謝辞/訳者あとがき/註/参考文献
【感想は?】
自分で料理する者にとっては、美味極まりない本。軍ヲタであれ、自然食品派であれ。
ニワカ軍ヲタとしては、将兵が飢え死にするに任せた帝国陸海軍と、食事の味にまで気を配った米軍の違いに歯ぎしりする思いだ。「われレイテに死せず」では、米軍将兵に不評だったレーションを、帝国陸軍将兵が命がけで奪う場面がある。ガダルカナルとかジンギスカン作戦とか、もうね…
とにかくアメリカは、科学技術にかける熱意と規模、そして視野が違う。
連邦政府は、アメリカ国内で行われる科学技術関連の研究開発全体のうち、およそ1/3に資金を拠出している。(略)基礎研究においては政府の資金が59%を(略)、開発研究では(略)18%…
――第3章 軍が出資する食品研究 アメリカ食糧供給システムの中枢Ⅱ
選択と集中とか言ってるどこぞの政府とは大違いだ。
しかも、大胆に民間を巻き込んでやってる。これにも、ちゃんと意味があるのだ。予め民間に技術を移転し、大規模な製造体制を整えておけば、イザという時、素早く安上がりに軍事に転用できる。これは、いきなり巻き込まれた二回の世界大戦から学んだ教訓。こういう歴史に学ぶ姿勢も侮れない。
民間だって、モトっが取りにくい基礎研究を、官費で賄えるなら美味しい話。上手くいけば商品化して大儲けできる。アメリカは、こういう制度作りが巧みなんだよなあ。
とかの社会的な面も読みどころ盛りだくさんだが、賞味期限を延ばす科学・工学的な話も驚きの連続。
まずは、時と共に食品が腐ったりマズくなるのはなぜか、食品のなかで何が起きているのかから、話は始まる。要は中で菌が暴れ出すからだ。細胞が死ぬと、酵素が細胞内の糖を乳酸に変えpHを下げ(酸性にな)ると、タンパク質が水と結合しにくくなり云々…
やっと水が出た。昔から食品を長持ちさせる方法には、幾つかの定番があった。乾燥させる、塩や砂糖につける。いずれも食品内の水を減らし、菌が増えないようにするのだ。他にも酢漬けって手もある。強い酸性だと、菌は生きていけない。
つまり水を減らして菌が増えないようにするってのが、保存食品の基本である。干物やインスタント・コーヒーは乾燥、塩漬け肉や砂糖漬けフルーツは砂糖や塩で水分を奪う方法。が、最近のレトルト食品は、ドロドロしてかなり水分があるよね。
これは予め殺菌してあるから。最もわかりやすいのは缶詰で、熱で菌を殺す。常識だね。逆に冷凍庫に突っ込む手もあるが、往々にして港にコンテナが放置されたりするんで、あまし信用できない。
またジュースや牛乳を沸騰させたり凍らせたりしたら、味が変わってしまう。そこで高圧加工だ。菌だって、高圧にさらされれば死ぬ。どれぐらいかというと、「1セント硬貨の上にミニバンを20台積み重ねたぐらい」の圧力をかける。
などの調理法に加え、レトルト食品用パウチのハイテクぶり、サランラップやアルミホイルなどの包装材、レタスを腐らせるエチレンをソーラー発電で分解するハイテク・コンテナなど、包装や輸送の技術は、私たちの身のまわりにセンス・オブ・ワンダーが溢れている事に改めて気づかせてくれる。
他にも人類定住の異説やマックリブの秘密など、小ネタには事欠かない。軍ヲタに、料理好きに、お菓子マニアに、SF者にと、様々な人にお薦めできる、一冊で二度も三度も美味しいお得な本だ。
でもパンの長期保存は難しいらしい。
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