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2018年7月30日 (月)

ジョビー・ウォリック「ブラック・フラッグス [イスラム国]台頭の軌跡 上・下」白水社 伊藤真訳

なぜイスラム国はこんな振る舞いをしているのか?
  ――日本語版への序文

「黒い旗は東からやって来るだろう、故郷の村を姓とした、長い髪と顎ひげの、勇ましい男たちに導かれて」
  ――プロローグ ヨルダンの首都アンマン 2015年2月3日

ブッシュ政権がサダム・フセインを攻撃する理由として挙げたこのテロリストは、実はそのフセインの敗北によって力を得たのだった。
  ――8 「もはや勝利ではない」

2011年の時点では、シリアが直面する最大の問題は経済的なものだと言えた。高失業率と、長引く旱魃で農村の住民が職を求めて都市に流入し、それが悪化した事だ。
  ――17 「民衆の望みは政権打倒!」

「アメリカ大統領はアドバイスや意見をすることはしないのです。アサドは辞任すべきだと大統領が言えば、やつを確実に辞任に追い込むのがわれわれの仕事なのです」
  ――17 「民衆の望みは政権打倒!」

「彼ら(ヌスラ戦線)は『イラクのアル=カーイダ』のシリアにおける顔になる予定でした。組織拡張の基礎工事が目的です。別個のグループになるはずではなかったのです」
  ――19 「これはザルカウィが道を開いた国家だ」

【どんな本?】

 アフマド・ファディル・アル=ハライレー、またの名をアブー・ムサブ・アッ=ザルカウィ。ヨルダン北部の工業都市ザルカで生まれ育ち、酒と麻薬と暴力で「ごろつきのアフマド」と呼ばれたチンピラ。地方都市の小悪党だった男は、やがてイラクを震撼させるテロリストとして悪名を轟かせる。

 米軍によって殺されたザルカウィは、更に凶悪な悪霊の卵を遺していった。孵化した雛たちは、アブー・バクル・アル=バグダディことイブラヒム・アワド・アル=バドリをカリフと掲げ、ISISを名乗りイラク北部とシリアを席巻してゆく。

 ザルカウィやバグダディらは、どこでどう育ったのか。なぜ彼らのような無法者がのし上がれたのか。彼らは何を目指し、どんな手口を使ったのか。そして、彼らに対し、アラブ諸国やアメリカはどう対応したのか。

 シリアやイラクでは勢いを失ったとはいえ、今なお世界中にシンパが多く残るISISを、その受胎からカリフ制の宣言まで、その母体を率いたザルカウィと、後継者バグダディを中心に、彼らを追うヨルダンの統合情報部ムハーバラートやCIA、そしてイラクやシリア市民などの証言で描く、迫真のドキュメンタリー。

 2016年度ピュリツァー賞一般ノンフィクション部門に輝いた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は BLACK FLAGS : The Rise of ISIS, by Joby Warrick, 2015。日本語版は2017年8月10日発行。単行本ハードカバー上下巻、縦一段組みで本文約229頁+237頁=466頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント45字×18行×(229頁+237頁)=約377,460字、400字詰め原稿用紙で約944枚。文庫本でも普通の厚さの上下巻ぐらいの分量。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。敢えて言えば、イラクとシリアの地名がよく出てくる。巻頭に地図が載っているが、細かい所までは分からないので、地図帳や Google Map を見ながら読むと、更に迫力が増す。

【構成は?】

 基本的に時系列順に話が進むので、素直に頭から読もう。

  •   上巻
  • 日本語版への序文
  • 注記/主要登場人物
  • プロローグ ヨルダンの首都アンマン 2015年2月3日
  • 第1部 ザルカウィの台頭
    • 1 「目だけで人を動かすことができる男」
    • 2 「これぞリーダーという姿だった」
    • 3 「厄介者は必ず戻ってくる」
    • 4 「訓練の時は終わった」
    • 5 「アル=カーイダとザルカウィのために」
    • 6 「必ず戦争になるぞ」
    • 7 「名声はアラブ中に轟くことになる」
  • 第2部 イラク
    • 8 「もはや勝利ではない」
    • 9 「武装反乱が起きていると言いたいんだな?」
    • 10 「胸くそ悪い戦い、それがわれわれのねらいだ」
    • 11 「アル=カーイダのどんな仕業も及ばない」
    • 12 虐殺者たちの長老
  • 原注
  •   下巻
  • 注記/主要登場人物
  • 第2部 イラク
    • 13 「あそこはまったく見込みがないい」
    • 14 「やつをゲットできるのか?」
    • 15 「これはわれわれの9.11だ」
    • 16 「おまえの終わりは近い」
  • 第3部 イスラム国
    • 17 「民衆の望みは政権打倒!」
    • 18 「イスラム国なんて、いったいどこにあるの?」
    • 19 「これはザルカウィが道を開いた国家だ」
    • 20 「ムード音楽が変わり始めた」
    • 21 「もう希望名はなかった」
    • 22 「これは部族の革命だ」
  • エピローグ
  • あとがき
  • 謝辞/訳者あとがき/原注

【感想は?】

 全体は3部構成だ。うち1部・2部はザルカウィが主役で、3部はISISの台頭を描く。

 ただし視点は、彼らを追う者たち。中でも主な役割を果たすのが、ヨルダン政府と、統合情報部ムハーバラート。ムハーバラートはアメリカのFBIや日本の公安だろうか。

 全般的に、ヨルダン、特にハシム王家には好意的な記述が多い。特にアブドゥッラー二世国王に対しては、先見の明を持ち穏健ながら活動的かつ誰からも好かれる快活な人物として描かれている。彼の王位継承のエピソードも詳しく書いてあるんだけど、ちょっと裏を読みたくなる。

 そんなヨルダンの足を引っ張るのが、アメリカ。ここでは「倒壊する巨塔」や「アメリカの卑劣な戦争」と同じく、わざわざテロリストたちに温床と餌を与える間抜けな役を演じている。サダム・フセイン政権を倒したのはいいが、その後の占領・統治そして再建の事は、何も考えていなかった、と。

2003年3月のイラク侵攻計画に備え、その立案の最終段階で召集されたCIAの職員たちは、何年ものちになってそのときの驚きを証言した。サダム・フセインを打倒した後いかにイラクを運営していくのか、何の展望も(合衆国政府には)なかったのだ。
  ――9 「武装反乱が起きていると言いたいんだな?」

 ここでは、CIAの視点で、主にディック・チェイニーが間抜け役を演じる。自分の思い込みを裏付ける証拠だけを求め、そうでない情報にはケチをつけまくって聞こうとしなかった、と。そして、ザルカウィをトップスターの座に押し上げたのが、あのコリン・パウエルの演説だ、というのが切ない。
「コリン・パウエルはあの演説でザルカウィに人気と悪名を同時にもたらした」
  ――7 「名声はアラブ中に轟くことになる」

 ヨルダンのチンピラだったザルカウィは、愛する母親に諭されて宗教講座に通い、アフガニスタンへと向かう。ソ連と戦うためだ。生憎とソ連撤後で共産主義者とは戦えなかったが、アフガニスタン政府軍との戦いで経験を積む。戦友の証言では、極めて勇敢だったとか。

「おれは過去の行いのおかげで、シャヒード――殉教者――にならない限り、何をしたってアラーは許してくださるまい」
  ――3 「厄介者は必ず戻ってくる」

 トキソプラズマの感染(→「ゾンビの科学」)と偏った食事(→「暴力の解剖学」)による刹那的で暴力的な傾向に、側頭葉性てんかんによる宗教的への傾倒(→「書きたがる脳」)が言い訳を与えたのでは? とか考えてしまう。

 やがてヨルダンに帰ってきたザルカウィは、刑務所で知り合った過激な聖職者のアブー・ムハンマド・アル=マクディシに影響を受け、リーダーとしての能力を身に着けてゆく。ここでもサイイド・クトゥブ(→Wikipedia)の名前が出てきて、彼の影響力の大きさをつくづく感じさせられる。

 と同時に、刑務所の中でテロリズムが感染してゆく様子も、よくわかる。サイイド・クトゥブも、エジプトの刑務所で、仲間と共に思想を先鋭化させていったんだよなあ。

「アル=カーイダと、続いてISISをつくり出した人たちの多くはアラブ諸国の監獄の中で急進化したのです。米軍のジェット戦闘機とアラブの監獄、これらを決定的な支点としてアル=カーイダとISISの芽が育っていったのです」
  ――エピローグ

 やがてヨルダンの王位継承に伴う大赦で自由の身となったザルカウィに、格好の活躍の場を与えたのがアメリカだ。それまでサダム・フセインの独裁とはいえ秩序が保たれていたイラクが、いきなり無法地帯となった。そこにつけこんだザルカウィは、テロで反目の種を蒔く。

「ザルカウィがやって来るまで、われわれはスンナ派とシーア派の違いも知らなかった。それが今は、毎日殺しが続いているのです」
  ――16 「おまえの終わりは近い」

 「ボスニア内戦」にも描かれていたが、秩序が崩れると、チンピラが対立感情を煽って暴力による支配を目論むのだ。「イラクのアル=カーイダ」を名乗っていたザルカウィらだが、意外なことにビン・ラディンとは路線が違っていたらしい。

ビン・ラディン自身はスンナ派だったが、ムスリムの統一者を自任し、シーア派の一般市民を攻撃する意思を表したことなどなかったのだ。
  ――10 「胸くそ悪い戦い、それがわれわれのねらいだ」

 この辺を読むと、アル=カーイダもISISも、あまりカッチリとした組織ではなく、OEMみたいな感じで商標を付け替えてるんじゃないか、ってな気がしてくる。ただし、ザルカウィもISISも、メディアの使い方は巧みだった。

「われわれは戦いのただ中にいる。そしてその戦いの大半はメディアが戦場なのだ」
  ――14 「やつをゲットできるのか?」

 残酷でショッキングな動画を通じて、世界中から不満を抱えた若者を集めるのだ。

「これはさまざまな集団やセクトにとって、こうした正当な義務と現実的な必要性を成就させるために馳せ参じよとの誘いであり、手形である」
  ――12 虐殺者たちの長老

 加えて、ザルカウィの遺志を継いだISISは、シリアの混乱につけこむ際、アメリカとは正反対の方針を取った。占領地には、法と秩序をもたらした。

…あらゆるものを敵に回す重武装したこの集団(ISIS)の存在自体と、彼らが既存の裁判所や警察を自分たちの法制度によって置き換えてしまうという事態によって。
  ――21 「もう希望名はなかった」

 アハメド・ラシッドの「タリバン」にも描かれていたが、混乱の中にいる者は、何はともあれ安定と秩序を求めるのだ。ヤクザにミカジメ料を払うようなもんだが、それでも、いつ誰に襲われるかわからない状態よりはマシなんだろう。

 やがてシリアの混乱に乗じ、ISISは勢力を広げてゆく。だがオバマ政権はブッシュ政権と異なり介入には消極的だった。というのも…

イラクの侵攻、占領、再建、そして安定化の直接経費だけでアメリカの国庫から一兆ドルが消え、間接費もさらに一兆ドルの負担を納税者たちに強いた。
  ――18 「イスラム国なんて、いったいどこにあるの?」

 と、これ以上厄介を背負い込みたくはなかったからだ。にしても、ベトナムもそうなんだけど、とにかく金はあるんだよなあ、アメリカは。使い方はやたらと下手だけど。

 今となってはシリアとイラクのISISは見る影もないが、不吉な予言で本書は終わる。

ISISのリーダーたちは「欧米人たちをシリアにおける聖戦に加わるよう誘っていた」(略)「母国のあらゆる地域やあらゆる地下鉄駅に闘争を持ち帰るよう、欧米人に教え込みたかったのだ」
  ――エピローグ

 他にもテロリストが国境を越える手口や、平穏に見えるヨルダンの意外な実態、クルド・イラン・湾岸諸国などの介入など、興味深いエピソードにはこと欠かない。白水社らしくボリュームはあるが、中身は見た目以上に充実している。混迷の中東情勢を読み解くには格好の資料だろう。

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【蛇足・アブドゥッラー二世の継承】

 以下は単なる妄想で、書評とは関係ない。

実の所、本書の記述はちと怪しい。いやたぶんヨルダンでは本書の記述が通説になってるんだろうが、ちょっと勘ぐってしまう。表向きのシナリオは、こうだ。

 先代のフセイン国王は、弟のハッサン王子を皇太子とする。だが、亡くなる直前に、ハッサン王子を格下げし、長男のアブドゥッラーを皇太子に変えた。

 先王フセインは、当初アブドゥッラーを後継者にする気がなかったように読める。が、実は最初からアブドゥッラーに継がせるつもりだったんじゃないか、そんな気がするのだ。いや根拠はとっても薄いんだけど。

 まず、名前。フセインは曽祖父の名と同じだ。かつてメッカの太守であり、幻と消えたヒジャーズ王国の国王でもある。その息子アブドゥッラーが、ヨルダンの初代国王となる。つまり、アブドゥッラー二世国王の曽祖父だ。

 曽祖父の名を継いだフセイン先王が、長男に祖父=長男にとっては曽祖父の名を与える。ここにフセイン先王の意志が見える気がするんだけど、どうなんだろう? いやアラブの命名のしきたりは知らないんだけど。

 もう一つは、国王って地位に伴う危うさ。本書では、フサイン国王は「少なくとも18回の暗殺未遂を体験した」、とある。王位継承権第一位ともなれば、同じぐらい目の敵にされるだろう。そこでハッサン王子を当て馬にして、本命は安全な所に置こう、ぐらいの計算はしたんじゃなかろか。

 突然の変更にも関わらず、アブドゥッラー二世国王の王位継承は表向きスンナリいった。とすると、ハッサン王子も了解の上で、そういう筋書きが書かれていたのかも。

 などと深読みしていくと、いつまでたっても眠れないので、今日はここまで。

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