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2018年7月の13件の記事

2018年7月30日 (月)

ジョビー・ウォリック「ブラック・フラッグス [イスラム国]台頭の軌跡 上・下」白水社 伊藤真訳

なぜイスラム国はこんな振る舞いをしているのか?
  ――日本語版への序文

「黒い旗は東からやって来るだろう、故郷の村を姓とした、長い髪と顎ひげの、勇ましい男たちに導かれて」
  ――プロローグ ヨルダンの首都アンマン 2015年2月3日

ブッシュ政権がサダム・フセインを攻撃する理由として挙げたこのテロリストは、実はそのフセインの敗北によって力を得たのだった。
  ――8 「もはや勝利ではない」

2011年の時点では、シリアが直面する最大の問題は経済的なものだと言えた。高失業率と、長引く旱魃で農村の住民が職を求めて都市に流入し、それが悪化した事だ。
  ――17 「民衆の望みは政権打倒!」

「アメリカ大統領はアドバイスや意見をすることはしないのです。アサドは辞任すべきだと大統領が言えば、やつを確実に辞任に追い込むのがわれわれの仕事なのです」
  ――17 「民衆の望みは政権打倒!」

「彼ら(ヌスラ戦線)は『イラクのアル=カーイダ』のシリアにおける顔になる予定でした。組織拡張の基礎工事が目的です。別個のグループになるはずではなかったのです」
  ――19 「これはザルカウィが道を開いた国家だ」

【どんな本?】

 アフマド・ファディル・アル=ハライレー、またの名をアブー・ムサブ・アッ=ザルカウィ。ヨルダン北部の工業都市ザルカで生まれ育ち、酒と麻薬と暴力で「ごろつきのアフマド」と呼ばれたチンピラ。地方都市の小悪党だった男は、やがてイラクを震撼させるテロリストとして悪名を轟かせる。

 米軍によって殺されたザルカウィは、更に凶悪な悪霊の卵を遺していった。孵化した雛たちは、アブー・バクル・アル=バグダディことイブラヒム・アワド・アル=バドリをカリフと掲げ、ISISを名乗りイラク北部とシリアを席巻してゆく。

 ザルカウィやバグダディらは、どこでどう育ったのか。なぜ彼らのような無法者がのし上がれたのか。彼らは何を目指し、どんな手口を使ったのか。そして、彼らに対し、アラブ諸国やアメリカはどう対応したのか。

 シリアやイラクでは勢いを失ったとはいえ、今なお世界中にシンパが多く残るISISを、その受胎からカリフ制の宣言まで、その母体を率いたザルカウィと、後継者バグダディを中心に、彼らを追うヨルダンの統合情報部ムハーバラートやCIA、そしてイラクやシリア市民などの証言で描く、迫真のドキュメンタリー。

 2016年度ピュリツァー賞一般ノンフィクション部門に輝いた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は BLACK FLAGS : The Rise of ISIS, by Joby Warrick, 2015。日本語版は2017年8月10日発行。単行本ハードカバー上下巻、縦一段組みで本文約229頁+237頁=466頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント45字×18行×(229頁+237頁)=約377,460字、400字詰め原稿用紙で約944枚。文庫本でも普通の厚さの上下巻ぐらいの分量。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。敢えて言えば、イラクとシリアの地名がよく出てくる。巻頭に地図が載っているが、細かい所までは分からないので、地図帳や Google Map を見ながら読むと、更に迫力が増す。

【構成は?】

 基本的に時系列順に話が進むので、素直に頭から読もう。

  •   上巻
  • 日本語版への序文
  • 注記/主要登場人物
  • プロローグ ヨルダンの首都アンマン 2015年2月3日
  • 第1部 ザルカウィの台頭
    • 1 「目だけで人を動かすことができる男」
    • 2 「これぞリーダーという姿だった」
    • 3 「厄介者は必ず戻ってくる」
    • 4 「訓練の時は終わった」
    • 5 「アル=カーイダとザルカウィのために」
    • 6 「必ず戦争になるぞ」
    • 7 「名声はアラブ中に轟くことになる」
  • 第2部 イラク
    • 8 「もはや勝利ではない」
    • 9 「武装反乱が起きていると言いたいんだな?」
    • 10 「胸くそ悪い戦い、それがわれわれのねらいだ」
    • 11 「アル=カーイダのどんな仕業も及ばない」
    • 12 虐殺者たちの長老
  • 原注
  •   下巻
  • 注記/主要登場人物
  • 第2部 イラク
    • 13 「あそこはまったく見込みがないい」
    • 14 「やつをゲットできるのか?」
    • 15 「これはわれわれの9.11だ」
    • 16 「おまえの終わりは近い」
  • 第3部 イスラム国
    • 17 「民衆の望みは政権打倒!」
    • 18 「イスラム国なんて、いったいどこにあるの?」
    • 19 「これはザルカウィが道を開いた国家だ」
    • 20 「ムード音楽が変わり始めた」
    • 21 「もう希望名はなかった」
    • 22 「これは部族の革命だ」
  • エピローグ
  • あとがき
  • 謝辞/訳者あとがき/原注

【感想は?】

 全体は3部構成だ。うち1部・2部はザルカウィが主役で、3部はISISの台頭を描く。

 ただし視点は、彼らを追う者たち。中でも主な役割を果たすのが、ヨルダン政府と、統合情報部ムハーバラート。ムハーバラートはアメリカのFBIや日本の公安だろうか。

 全般的に、ヨルダン、特にハシム王家には好意的な記述が多い。特にアブドゥッラー二世国王に対しては、先見の明を持ち穏健ながら活動的かつ誰からも好かれる快活な人物として描かれている。彼の王位継承のエピソードも詳しく書いてあるんだけど、ちょっと裏を読みたくなる。

 そんなヨルダンの足を引っ張るのが、アメリカ。ここでは「倒壊する巨塔」や「アメリカの卑劣な戦争」と同じく、わざわざテロリストたちに温床と餌を与える間抜けな役を演じている。サダム・フセイン政権を倒したのはいいが、その後の占領・統治そして再建の事は、何も考えていなかった、と。

2003年3月のイラク侵攻計画に備え、その立案の最終段階で召集されたCIAの職員たちは、何年ものちになってそのときの驚きを証言した。サダム・フセインを打倒した後いかにイラクを運営していくのか、何の展望も(合衆国政府には)なかったのだ。
  ――9 「武装反乱が起きていると言いたいんだな?」

 ここでは、CIAの視点で、主にディック・チェイニーが間抜け役を演じる。自分の思い込みを裏付ける証拠だけを求め、そうでない情報にはケチをつけまくって聞こうとしなかった、と。そして、ザルカウィをトップスターの座に押し上げたのが、あのコリン・パウエルの演説だ、というのが切ない。
「コリン・パウエルはあの演説でザルカウィに人気と悪名を同時にもたらした」
  ――7 「名声はアラブ中に轟くことになる」

 ヨルダンのチンピラだったザルカウィは、愛する母親に諭されて宗教講座に通い、アフガニスタンへと向かう。ソ連と戦うためだ。生憎とソ連撤後で共産主義者とは戦えなかったが、アフガニスタン政府軍との戦いで経験を積む。戦友の証言では、極めて勇敢だったとか。

「おれは過去の行いのおかげで、シャヒード――殉教者――にならない限り、何をしたってアラーは許してくださるまい」
  ――3 「厄介者は必ず戻ってくる」

 トキソプラズマの感染(→「ゾンビの科学」)と偏った食事(→「暴力の解剖学」)による刹那的で暴力的な傾向に、側頭葉性てんかんによる宗教的への傾倒(→「書きたがる脳」)が言い訳を与えたのでは? とか考えてしまう。

 やがてヨルダンに帰ってきたザルカウィは、刑務所で知り合った過激な聖職者のアブー・ムハンマド・アル=マクディシに影響を受け、リーダーとしての能力を身に着けてゆく。ここでもサイイド・クトゥブ(→Wikipedia)の名前が出てきて、彼の影響力の大きさをつくづく感じさせられる。

 と同時に、刑務所の中でテロリズムが感染してゆく様子も、よくわかる。サイイド・クトゥブも、エジプトの刑務所で、仲間と共に思想を先鋭化させていったんだよなあ。

「アル=カーイダと、続いてISISをつくり出した人たちの多くはアラブ諸国の監獄の中で急進化したのです。米軍のジェット戦闘機とアラブの監獄、これらを決定的な支点としてアル=カーイダとISISの芽が育っていったのです」
  ――エピローグ

 やがてヨルダンの王位継承に伴う大赦で自由の身となったザルカウィに、格好の活躍の場を与えたのがアメリカだ。それまでサダム・フセインの独裁とはいえ秩序が保たれていたイラクが、いきなり無法地帯となった。そこにつけこんだザルカウィは、テロで反目の種を蒔く。

「ザルカウィがやって来るまで、われわれはスンナ派とシーア派の違いも知らなかった。それが今は、毎日殺しが続いているのです」
  ――16 「おまえの終わりは近い」

 「ボスニア内戦」にも描かれていたが、秩序が崩れると、チンピラが対立感情を煽って暴力による支配を目論むのだ。「イラクのアル=カーイダ」を名乗っていたザルカウィらだが、意外なことにビン・ラディンとは路線が違っていたらしい。

ビン・ラディン自身はスンナ派だったが、ムスリムの統一者を自任し、シーア派の一般市民を攻撃する意思を表したことなどなかったのだ。
  ――10 「胸くそ悪い戦い、それがわれわれのねらいだ」

 この辺を読むと、アル=カーイダもISISも、あまりカッチリとした組織ではなく、OEMみたいな感じで商標を付け替えてるんじゃないか、ってな気がしてくる。ただし、ザルカウィもISISも、メディアの使い方は巧みだった。

「われわれは戦いのただ中にいる。そしてその戦いの大半はメディアが戦場なのだ」
  ――14 「やつをゲットできるのか?」

 残酷でショッキングな動画を通じて、世界中から不満を抱えた若者を集めるのだ。

「これはさまざまな集団やセクトにとって、こうした正当な義務と現実的な必要性を成就させるために馳せ参じよとの誘いであり、手形である」
  ――12 虐殺者たちの長老

 加えて、ザルカウィの遺志を継いだISISは、シリアの混乱につけこむ際、アメリカとは正反対の方針を取った。占領地には、法と秩序をもたらした。

…あらゆるものを敵に回す重武装したこの集団(ISIS)の存在自体と、彼らが既存の裁判所や警察を自分たちの法制度によって置き換えてしまうという事態によって。
  ――21 「もう希望名はなかった」

 アハメド・ラシッドの「タリバン」にも描かれていたが、混乱の中にいる者は、何はともあれ安定と秩序を求めるのだ。ヤクザにミカジメ料を払うようなもんだが、それでも、いつ誰に襲われるかわからない状態よりはマシなんだろう。

 やがてシリアの混乱に乗じ、ISISは勢力を広げてゆく。だがオバマ政権はブッシュ政権と異なり介入には消極的だった。というのも…

イラクの侵攻、占領、再建、そして安定化の直接経費だけでアメリカの国庫から一兆ドルが消え、間接費もさらに一兆ドルの負担を納税者たちに強いた。
  ――18 「イスラム国なんて、いったいどこにあるの?」

 と、これ以上厄介を背負い込みたくはなかったからだ。にしても、ベトナムもそうなんだけど、とにかく金はあるんだよなあ、アメリカは。使い方はやたらと下手だけど。

 今となってはシリアとイラクのISISは見る影もないが、不吉な予言で本書は終わる。

ISISのリーダーたちは「欧米人たちをシリアにおける聖戦に加わるよう誘っていた」(略)「母国のあらゆる地域やあらゆる地下鉄駅に闘争を持ち帰るよう、欧米人に教え込みたかったのだ」
  ――エピローグ

 他にもテロリストが国境を越える手口や、平穏に見えるヨルダンの意外な実態、クルド・イラン・湾岸諸国などの介入など、興味深いエピソードにはこと欠かない。白水社らしくボリュームはあるが、中身は見た目以上に充実している。混迷の中東情勢を読み解くには格好の資料だろう。

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【蛇足・アブドゥッラー二世の継承】

 以下は単なる妄想で、書評とは関係ない。

実の所、本書の記述はちと怪しい。いやたぶんヨルダンでは本書の記述が通説になってるんだろうが、ちょっと勘ぐってしまう。表向きのシナリオは、こうだ。

 先代のフセイン国王は、弟のハッサン王子を皇太子とする。だが、亡くなる直前に、ハッサン王子を格下げし、長男のアブドゥッラーを皇太子に変えた。

 先王フセインは、当初アブドゥッラーを後継者にする気がなかったように読める。が、実は最初からアブドゥッラーに継がせるつもりだったんじゃないか、そんな気がするのだ。いや根拠はとっても薄いんだけど。

 まず、名前。フセインは曽祖父の名と同じだ。かつてメッカの太守であり、幻と消えたヒジャーズ王国の国王でもある。その息子アブドゥッラーが、ヨルダンの初代国王となる。つまり、アブドゥッラー二世国王の曽祖父だ。

 曽祖父の名を継いだフセイン先王が、長男に祖父=長男にとっては曽祖父の名を与える。ここにフセイン先王の意志が見える気がするんだけど、どうなんだろう? いやアラブの命名のしきたりは知らないんだけど。

 もう一つは、国王って地位に伴う危うさ。本書では、フサイン国王は「少なくとも18回の暗殺未遂を体験した」、とある。王位継承権第一位ともなれば、同じぐらい目の敵にされるだろう。そこでハッサン王子を当て馬にして、本命は安全な所に置こう、ぐらいの計算はしたんじゃなかろか。

 突然の変更にも関わらず、アブドゥッラー二世国王の王位継承は表向きスンナリいった。とすると、ハッサン王子も了解の上で、そういう筋書きが書かれていたのかも。

 などと深読みしていくと、いつまでたっても眠れないので、今日はここまで。

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2018年7月26日 (木)

松崎有理「5まで数える」筑摩書房

「…かくして、すべての生体実験はヒトのみで行われることになりました」
  ――たとえわれ命死すとも

「疑似科学測定三原則。1.反証不可能性。2.検証実験への消極性。3.自己修正機能の欠如」
  ――やつはアル・クシガイだ 疑似科学バスターズ

「魔法はけっして起こらない」
  ――バスターズ・ライジング

亜熱帯性気候から白い肌を守りたい。
  ――超耐水性日焼け止め開発の顛末

【どんな本?】

 「あがり」で2010年の第一回創元SF短編賞に輝き、その後も順調に執筆活動が続く新鋭作家・松崎有理によるSF短編集。

 この世界とは少し違う世界で医学研究に勤しむ人々を描く「たとえわれ命死すとも」、疑似科学を扱う連作「やつはアル・クシガイだ」「バスターズ・ライジング」、囚人たちの脱走を描く「砂漠」、少年の目線で数学を見つめなおす「5まで数える」、オチが見事な掌編「超耐水性日焼け止め開発の顛末」など、バラエティ豊かな作品が味わえる

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2018年版」のベストSF2017国内篇の20位に食い込んだ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2017年6月10日初版第一刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約236頁。9ポイント43字×20行×236頁=約202,960字、400字詰め原稿用紙で約508枚。文庫本なら普通の厚さの一冊分。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。多少ソレっぽい言葉も出てくるが、「何か専門的な事を言ってるんだな」程度に思っていれば充分に楽しめる。

【収録作は?】

 それぞれ 作品名 / 初出。

たとえわれ命死すとも / 「ちくま」2016年4月号~6月号
 彗星病。50年周期で流行る感染症で、小児の致死率は六割にも及ぶ。ヒト以外には感染しない。病原体の実態は未だつかめていない。実験医となった大良は、感染症研究班の第五班に配属された。動物実験は禁止されているため、治療法を確かめるには、自らを実験とするしかない。
 動物実験の禁止など、今とは少し違った世界で、感染症の撲滅に挑む医学者を描く。私が気にいったのは、同じ目的に対し、それぞれの研究者が取るアプローチの違い。
 目標に向かって一直線に突き進もうとする若い大良のいらだちもわかるし、他の研究者たちの一歩退いた、だがより広い視野に立った方法にも納得する。と同時に、現代の医学が、とても裾野の広い研究に支えられていることが伝わってくる。
やつはアル・クシガイだ 疑似科学バスターズ / 「ちくま」2016年7月号~9月号
 疑似科学バスターズ。ノーベル賞ダブル受賞のワイズマン博士、「モヒ族さいごの呪術師」の二つ名で有名な奇術師ホークアイ、そしてプラカード持ちのマコト。ペテン師いる所に彼らは現れ、その手口を暴いてゆく。今回の相手はアル・クシガイ。
 いいねえ、疑似科学バスターズ。わが国でも、ぜひ結成して活躍していただきたい。科学者には何人か協力してくれそうな人がいるけど、奇術師は探すのに苦労しそう。集団ヒステリーは、最近の日本でも起きそうで怖い。にしても、アメリカ人ってのは、なんだってアレが好きなんだか。
バスターズ・ライジング / 書き下ろし
 二度のノーベル賞に輝いたワイズマン博士は、研究を引退すると発狂した。今後は疑似科学を撲滅するために力をつくす、と。同じころ、自称超能力者のロクスタ師は、ステージを成功させていた。同様に、ライバルはの奇術師ホークアイ、自称「モヒ族さいごの呪術師」も。
 疑似科学バスターズ結成のお話。ホークアイ、酔いどれパディ、リズなどの人物像が、鮮やかに立ち上がってくると同時に、それぞれの役割に説得力を与える作品。確かに理詰めだけじゃ巧くいかないんだよなあ。にしてもギデオンは可哀そうw
砂漠 / 書き下ろし
 護送機は、砂漠に墜落した。生き残ったのは六人の少年。いずれも犯罪で捕まった連中だ。麻薬取引、放火、冤罪、連続強姦、詐欺、そして殺人。困った事に、全員が手錠で繋がれている。近くの町を目指し、彼らは歩き始めるが…
 極限状態で放り出された六人の悪党の中で、生き残るのは誰か。みんなが手錠で繋がれているってのが、面白い仕掛け。放火犯の使い方には笑った。確かにこの状況じゃ、この技能は便利だよね。
5まで数える / 書き下ろし
 九月。アキラは五年生になり、先生も変わった。ファン先生、若い女の人だ。最初の授業は数学。でもアキラは数学が苦手で、頭が痛くなる。アキラのお父さんは腕のいいディーラーで、巨大カジノで働いている。ディーラーは計算ができなきゃ駄目なのに、アキラは…
 世にも珍しい数学ファンタジイ。算数と数学の違い、障害を持つ者の悩み、引っ越しの不安など、多くののテーマを盛り込みながら、巧みにまとめた心地よい作品。にしても、いい先生に恵まれたなあ、アキラ君。私はセント・アイヴスにまんまとひっかかった。でもいいんだ、その方が作品を楽しめるし←をい
超耐水性日焼け止め開発の顛末 / Web「IHI空想ラボラトリー」2015年9月24日公開開始
 今日も暑い。日焼け止めを塗っても、汗で流れ落ちてしまう。営業あがりの開発部長は、呑気に「水に強い日焼け止めがほしい」なんて言う。無茶言うな、と思ったが、おもしろそう、などとも考えたのが運のツキ。ヨーコに開発が任され…
 五頁の掌編。オチのキレは鮮やか。国際スキンタイプ分類なんてあるのか。松崎しげるはきっと六段階の六だな。他にもアクリル樹脂とかほにゃらら酸とか、ソレっぽい言葉を散りばめながら、このオチかいw

 短編に現代医学の歴史を詰め込んだ「たとえわれ命死すとも」もいいいが、グレッグ・イーガンとは全く異なったアプローチで数学を扱った「5まで数える」も、その視点の見事さに脱帽してしまう。「超耐水性日焼け止め開発の顛末」も、オチが鮮やか。

 どれもネタをハッキリと示さないのが、この人の芸風なんだろうか。知らなくても話を楽しむには問題ないし、知っていればニヤニヤできる、ちょっとした読者サービスかな。

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2018年7月25日 (水)

ユージン・ローガン「オスマン帝国の崩壊 中東における第一次世界大戦」白水社 白須英子訳

バルカン諸国はすべて、かつてのオスマン帝国の一部であった。
  ――第1章 革命と三つの戦争 1908-1913

「なんでヨーロッパの戦争で私たちの生活を変えなくちゃいけないの?」
  ――第2章 「大戦」前の平和

戦争開始後は、(オスマン帝国の)全人口2300万人の12%にあたる280万人が出征することになる。
  ――第3章 世界規模の動員令

ムスタファ・ケマル「私はおまえたちに攻撃せよとは言わない。死ねと命令する。われわれが死ねば、別の部隊の兵士や司令官たちが取って代わるであろう」
  ――第6章 ダーダネルス海峡襲撃

「提供できる糧食や弾薬の量次第で、戦闘員は名乗り出たり、姿を消したりした。常に中核を成す存在がなく、聖戦士に除隊を申し出られれば、とどめるすべがなかった」。アラブ部族兵はいつものことながら、気まぐれであてにならなかった。
  ――第10章 クートの攻囲

トルコ軍兵士たちは降伏に同意したが、敵側に立つアラブ部族兵に囲まれると、武器を手放すのを拒否した。(略)トルコ兵はベドウィンから攻撃される心配がないとわかってからようやく武器を手放した。
  ――第13章 次々と結ばれた休戦協定

オスマン帝国戦線は、紛争の終結を早めるどころか、かえって戦いを長引かせた。
  ――終章 オスマン帝国の終焉

【どんな本?】

 エジプト、イエメン、サウジアラビア、ヨルダン、イスラエル、パレスチナ、シリア、レバノン、イラク、トルコ、イラン。今なお戦火の絶えない、または政治的な不安定を抱えるこれらの国々は、元は一つの国だった。

 オスマン帝国。一時はウィーンにまで迫った大帝国だが、18世紀以降は領土を失い続け、19世紀の初期には崩壊寸前と目されていた。この危機に立ち上がった青年将校を中心とする「青年トルコ人」は、専制君主スルタン・アブデュルハミト二世から権力を奪い、帝国を立て直そうとする。

 そこに始まった第一次世界大戦は、西部戦線の膠着状態の打開を求める両陣営の思惑もあり、広大な領土と複雑な権力配分、そして様々な民族・部族を抱えるオスマン帝国も巻き込み、戦線を更に広げてゆく。

 現代の中東情勢を形作った、第一次世界大戦におけるオスマン帝国の戦いを、アラブ近現代史を専門とする歴史家が描く、一般向けの歴史書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Fall of the Ottomans : The Great War in the Middle East 1914-1920, by Eugene Rogan, 2015。日本語版は2017年10月10日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約526頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント46字×20行×526頁=約483,920字、400字詰め原稿用紙で約1,210枚。文庫本なら厚めの上下巻ぐらいの大容量。

【構成は?】

 ほぼ時系列に沿って進むので、素直に頭から読もう。

  • 用語の適用について/はじめに
  • 第1章 革命と三つの戦争 1908-1913
  • 第2章 「大戦」前の平和
  • 第3章 世界規模の動員令
  • 第4章 一斉射撃始まる バスラ アデン エジプト 東地中海
  • 第5章 ジハード開始 オスマン帝国領コーカサスとシナイ半島での戦い
  • 第6章 ダーダネルス海峡襲撃
  • 第7章 アルメニア人の虐殺
  • 第8章 ガリポリ半島でのオスマン帝国の勝利
  • 第9章 メソポタミア侵攻
  • 第10章 クートの攻囲
  • 第11章 アラブの反乱
  • 第12章 負け戦 バグダート シナイ半島 エルサレムの陥落
  • 第13章 次々と結ばれた休戦協定
  • 終章 オスマン帝国の終焉
  • 謝辞/訳者あとがき/写真クレジット/参考文献/原注/索引

【感想は?】

 テーマは、第一次世界大戦におけるオスマン帝国の戦い。

 このテーマは、「平和を破滅させた和平」とかなりカブっている。違いは、本書が主にオスマン帝国の視点で書いていること。

 だから、お話の基本的な流れは「平和を破滅させた和平」と同じだ。いずれも歴史書なんだから、同じなのは当たり前だけど。ただ、「平和を破滅させた和平」が、イギリスの国内事情を細かく書いているのに対し、本書はオスマン帝国の兵や市民の手紙や証言を多く収録している。

 中でも最もナーバスな話題は、アルメニア人虐殺(→Wikipedia)だろう。かなりアラブ贔屓な著者も、虐殺は事実だと認めている。ただ、その背景は、少々ややこしい。

 オスマン帝国はムスリムが多い。アルメニア人は正教徒だ。そして、同じ正教のロシアに親しみを感じている。もともと、ムスリムとアルメニア人との間には反目があり、衝突の歴史もあった。アルメニア人集落をクルド人が襲うこともあった。そこにロシアとの戦争である。そのため…

コーカサスにおけるロシアとトルコの宗教政策にはかなりの相似性があり、ロシア皇帝政府は、トルコに対するキリスト教徒の反乱を誘発することを期待し、同様にオスマン帝国政府は、ムスリムの連帯意識を利用してロシアに対するコーカサス・ムスリムのジハードの喚起をねらっていた。
  ――第5章 ジハード開始 オスマン帝国領コーカサスとシナイ半島での戦い

 と、互いに相手国内での蜂起を煽っていたし、実際に蜂起した例もある。これを恐れたオスマン帝国は根本的な解決を試みた。

「アルメニア人殺害は誰の命令で行われたのかね?」と、バラキヤンは突っ込んで訊いた。
「命令はコンスタンチノープルの統一派中央委員会と内務省から来た」とシュクリ大尉は説明した。
  ――第7章 アルメニア人の虐殺

 と、国家ぐるみの組織的な政策だった、とするのが本書の見解だ。このあたりは、トルコ贔屓の人には辛い所だろう。

 アルメニア人に限らず、当時のオスマン帝国は広く、実に多様な人々が住んでいた。イラクのシーア派、シリアやメソポタミアのベドウィン、リビアのサヌースィー教団、事実上は英国支配下だがタテマエはオスマン帝国内のエジプト人、そしてクルド人やアルメニア人…

こういった多種多様な人々が、多少の軋轢はあるにせよ、戦争前はちゃんと共存していたのだ。そういう点では、オスマン帝国の統治も、いい所があるじゃないか、と思えてしまう。こういう点では、現代人の方がよっぽど料簡が狭い。いったい、何が違うんだろう?

 前線で戦う将兵の手紙や取材も多いのが、本書のもう一つの特色だろう。中でも生々しいのが、ガリポリの戦い(→Wikipedia)。予想に反して長期の塹壕戦となるが、西部戦線と異なり、英仏軍の将兵には休める後方がない。そのため塹壕に釘付けとなり…

八月半ばまでに神経症患者は負傷者の五倍になったという。
  ――第8章 ガリポリ半島でのオスマン帝国の勝利

 と、長い戦いが将兵の心を蝕んだ様子がうかがえる。この戦いは双方の将兵に強い記憶となって残り、後の「アラブの反乱」では…

(英国軍)ラクダ部隊のある兵士の回想によれば、「驚いたことに、数人のトルコ兵が塹壕から飛び出してきて、われわれに握手を求めた」。それは、ダーダネルス戦で会ったのが最後の兵士たち同士が旧交を温めるという奇妙な一瞬だった。
  ――第12章 負け戦 バグダート シナイ半島 エルサレムの陥落

 なんて場面も。

 この「アラブの反乱」は「アラビアのロレンス」こと「知恵の七柱」が有名だが、この本とはだいぶ経緯が違う。そもそもロレンスが登場する前にファイサルが戦いを始めているし。どうもロレンスは単なる連絡将校みたいな立場らしい。

 もう一つ、重要なのが、当時のパレスチナ・シリア・レバノンに住む人々の暮らし向き。

 オスマン帝国は、若い男を徴兵し、歯向かいそうな者も追放した。人手不足で農地は荒れ、商店も閉じる。加えてイナゴが襲来して食い荒らし、「シリア地方では穀物の75~90%が失われた」。しかも、残った食料を軍が挑発し、強欲な商人は買いだめで値を吊り上げる。

1916年、空腹は飢餓に変わった。イナゴ、軍事接収、買いだめに加えて、食料の輸送や分配も滞ったため、1916年から戦争が終わるまでの間にシリアとレバノンに住む30万から50万の人たちに飢餓が生じた。
  ――第11章 アラブの反乱

 反乱の機は熟してたわけ。にしても、イナゴとは。さすが大陸の国は違う。

 例のイギリスの三枚舌も書いてあるが、元をただせばイギリスによるスルタン・オスマン号&レシャディエ号の押収である。確か首謀者はチャーチルだったような。

 当時のオスマン海軍の最高司令官は英国海軍のアーサー・リンプス提督だった。オスマン帝国を英仏側に抱き込むか、または中立に留めおく余地は充分にあったのに…とか、考えてしまう。そんな歴史改変物の小説って、ありそうな気がするんだけど、知っていたら教えてください。

 ハードカバーで500頁越えと、見た目の迫力は凄いし、実際に中身も大変に充実している。それでも、終盤のムスタファ・ケマルが立ち上がるあたりでは、かなり駆け足の雰囲気があって、名残惜しい気持ちになった。現代の中東が生き抜いてきた歴史の厳しさが伝わってくる、重い本だった。

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2018年7月23日 (月)

Macは普通のパソコンか?

1990年代初頭、某社にて。

当時のIT技術部のコンピュータは、SUN などのUNIX系マシンばかり。
Mac や Windows は少なかった。
そんなIT技術部に、営業さんがFD(*)を持ってきた。
中に入っている文書を読みたいらしい。

*FD:フロッピーディスク。
コンピュータ用外部記憶媒体。
今のUSBメモリのように、文書の持ち運びなどに使う。
ややこしいことに、FDはOSごとにフォーマットが違っていた。
そのため、Mac で書いたFDは Wiindows じゃ読めない。
逆に Windows で書いたFDは、特別な手立てを使うと Mac でも読めた。

そこで交わされた会話。

営業「パソコンある?」
技術「あるよ」Macを示す
営業「そうじゃなくて普通のパソコン」
技術「Macは普通のパソコンだよ」
営業「…もういい!」

確かにMacは普通のパソコンじゃない。
贅沢なパソコンだもんね。

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2018年7月20日 (金)

ケン・リュウ「母の記憶に」新☆ハヤカワSFシリーズ 古沢嘉通他訳

どちらが狩人で、どちらが獲物だ?
  ――烏蘇里羆

いつか、人は、この市に命を捧げた史可法兵部省所がどれほど勇ましかったかという話を語るだろうけど、あたしたちみたいな女がいたことなんかけっしてかまいやしない。
  ――草を結びて環を銜えん

現実を凍結させたいという願望は、現実を避けることなのだ。
  ――シミュラクラ

邪悪には、先入観にかられずに立ち向かわねばならない。
  ――レギュラー

「あの数字はまちがってたのよ、父さん」カイラはつぶやいた。「もうひとつの死を見落としてたのよ」
  ――ループのなかで

「われわれは人々の内側にすでにある闇の覆いをはがしているだけだ」
  ――パーフェクト・マッチ

<シンギュラリイティ>以後、ほとんどの人間は死ぬことを選んだ。
  ――残されし者

過去は記憶の形で生き続けるし、権力を握った連中はいつだって、過去を消して黙らせたい。
  ――訴訟師と猿の王

「だれもがこの国に来ると新しい名前を手に入れるものだ」
  ――万味調和――軍神関羽のアメリカでの物語

【どんな本?】

 「紙の動物園」以来、人を食ったような偽史・抒情的な家族物・歴史ファンタジイなど、バラエティ豊かな作品を旺盛に発表し続け、SF界に嵐を巻き起こしたアメリカの新鋭SF作家ケン・リュウの、日本オリジナル短編集第二弾。多彩で変化自在な芸風は相変わらずで、引き出しの多さには驚くばかり。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2018年版」のベストSF2017海外篇の2位に輝いた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2017年4月25日発行。新書版で縦二段組み、本文約467頁に加え、藤井太洋による「どこにでもいるケン・リュウ」5頁+古沢嘉通の訳者あとがき12頁。9ポイント24字×17行×2段×467頁=約381,072字、400字詰め原稿用紙で約953枚。文庫本なら上下巻でもいい分量。

【収録作は?】

 それぞれ 作品名 / 原題 / 初出 / 訳者 の順。

烏蘇里羆 / The Ussuri Bear / オリジナル・アンソロジー Beast Within 4: Gears and Growls, 2014 / 古沢嘉通訳
 1907(明治40)年2月、延辺(現中国吉林省の北朝鮮国境近く)。中松丈吉博士が率いる帝国陸軍の探検隊は、10型機械馬の実施試験を兼ね、長白山脈を進む。求めるは烏蘇里羆、灰色熊の祖先であり、この地域の食物連鎖の頂点に君臨する。隊が見つけた白骨は…
 帝国陸軍が秘密裏に開発した機械馬とか、一種のスチームパンクですね。対するは獰猛にして狡猾、冬山の王者である烏蘇里羆。「羆嵐」を読んでいると、羆が侵入者に対する大地の敵意を凝縮した化け物に思えてきて、迫力倍増です。
草を結びて環を銜えん / 結草銜環 Knotting Grass, Holding Ring / オリジナル・アンソロジー Long Hidden' 2014年 / 古沢嘉通訳
 1645年。明朝を席巻した満州族に包囲あれた楊州(南京の東)。売れっ子の娼妓の緑鶸(みどりのわひわ)は、お供の雀を伴いお座敷に出る。相手は守備隊の李隊長。史可法兵部省所(長官)は住民を守ると宣言し、七日間を持ちこたえた。だが北京ですら落ちたのだ。
 清朝の予親王多鐸による楊州虐殺(→Wikipedia)に題をとった作品。都市の陥落とそれに伴う略奪と虐殺を、抗戦する政府高官や軍人ではなく、抗う術のない娼妓の視点で描いてゆく。おまけに緑鶸ときたら、抗うどころか…。犠牲者の数には諸説あるが、その一人一人にこんな物語があるんだよなあ。
重荷は常に汝とともに / You'll Always Have the Burden with You / オリジナル・アンソロジー In Situ 2012年 / 市田泉訳
 ルーラ。人類が宇宙で唯一見つけた、高度な文明の遺跡。中でもサディアス・クローヴィス博士が見つけたテキスト、<ルーラのサーガ>は有名だ。地球外考古学を学ぶフレディは、公認会計士を目指すジェインと共に、ルーラ最大の地球人居住区ゼフへ向かう。
 芸の多彩さはしっていたが、こんな引き出しまで隠していたとは。フレデリック・ブラウンやリチャード・マシスンやロバート・シェクリイなど、黄金期のアメリカSFを思わせる、意表を突く小粋でユーモラスなアイデア・ストーリーだ。
母の記憶に / Memories of My Mother / デイリー・サイエンス・フィクション2012年3月19日配信 / 古沢嘉通訳
 病気のママに残された時間は二年間だけ。そこでママは決意した。光速に近い速さで飛ぶ宇宙船に乗ろう。宇宙船で三カ月過ごす間に、地球では七年が過ぎる。そうすれば、愛する娘エミーの成長を見届けられる。
 七年に一度だけ、昔の姿のままで姿を現す母親を、娘の視点で描く掌品。解説によると、短編映画にもなったとか。私はレイ・ブウラッドベリの「ロケット・マン」を思い出した。いや全く中身も芸風も違うんだけど。
存在 / Presence / アンカニー2014年11月12月合併号 / 古沢嘉通訳
 大洋を超え、アメリカに移り住んだ息子。国を離れるのを拒み、老いて病院で介護される母親。毎晩、息子は母親を見舞う。ただし、ロボットで。
 色々な意味で、ケン・リュウらしい作品。こんな風に親の介護が問題になるのは、儒教の影響が強い極東の文化圏ぐらいじゃなかろうか。とまれ、病室の甘い匂いまで漂ってくる描写は見事だ。いや本来なら匂いはしない筈なんだけど。
シミュラクラ / Simulacrum / ライトスピード2011年2月号 / 古沢嘉通訳
 シミュラクラ。ヒトの精神活動をスキャンし、保存・再生する。ポール・ラリモアは、この発明で大金を稼ぎ、名士となった。だが娘のアンナは…
 あー、うん、そりゃ多感な年頃の娘が、そんなモン見ちゃったらなあ。
レギュラー / The Regular / オリジナル・アンソロジー Upgraded 2014年 / 古沢嘉通訳
 ルースはボストンで私立探偵を営む。今日の依頼人は五十代の婦人、サラ・ディン。娘のモナが殺された、真犯人を見つけて欲しい、と。モナはエスコート嬢、個人営業の売春婦だ。警察はギャングの抗争に巻き込まれたと見ているが、依頼人は納得できない様子で…
 これまたケン・リュウの意外な一面が楽しめる中編。ロバート・B・パーカーのスペンサー・シリーズの向こうを張る、正統派の香り高い探偵物だ。もちろん<調整者>などSFガジェットは出てくるし、チャイナタウン絡みで重要な役割を果たす。が、それ以上に、主人公の私立探偵ルースのタフな生き様が印象に残る。シリーズ化して欲しいなあ。
ループのなかで / In the Loop / オリジナル・アンソロジー War Stories 2014年 / 幹瑤子訳
 カイラの父親は、陸軍でドローンの操縦士だった。殺した敵は1251人。だが心が壊れ、家庭も壊れた。大学を出たカーラは、ある求人ポスターに目を止める。『志望者は保全許可認定審査に合格する必要あり』『われらが英雄たちへのPTSDの影響を除去します』。
 ドローンとはいえ、所詮はリモコン。結局は人が操って、トリガーを引く。これが「人を殺した」という心の傷になるのならってんで考えたのが…。米軍の場合、根本的に占領統治政策が下手なんじゃ、とか言い出すとキリがない。
状態変化 / State Change / オリジナル・アンソロジー Polyphony 4 2004年 / 市田泉訳
 リナは冷凍庫をあけて、アイスキューブを見る。見るたびに少し小さくなっているような気がする。ミレイは蝋燭の両端に火を灯し、光り輝く人生を送った。エドナはガチョウの綿毛より、重くてしっかりしたものならよかったと思ってる。そして明るく人懐こいジミーは…
 「アイアマンガー三部作」と似たアイデアを使いながら、舞台を現代アメリカに設定して、全く違う味わいにしたロウ・ファンタジイ。初出を見ると最初期の作品ながら、ケリー・リンクなどに通じる「奇妙な味わいの物語」に仕上がっている。
パーフェクト・マッチ / The Perfect Match / ライトスピード2012年12月号 / 幹瑤子訳
 センチュリオン社のティリーは、一種の電子秘書だ。目覚まし代わりに好みの音楽を鳴らし、一日のスケジュールを管理し、デートの相手まで紹介してくれる。法律事務所に勤めるサイはティリーを使いこなしている。でも隣に住むジェニーときたら…
 今となっては、Google も Amazon も、私たちの好みを知り尽くしている。理屈はだいぶ違うけど、Twitter のタイムラインも、人によって流れるツィートは全く違う。そして、いずれも暮らしに欠かせないサービスになりつつある。ビッグデータとディープ・ラーニングが話題の今、この問題は目前に迫っているんだよなあ。
カサンドラ / Cassandra / クラークスワールド2015年3月号 / 幹瑤子訳
 エアコンを買いにディスカウント・ストアに行った時、それが起きた。幼い男の子を連れた夫婦が、大画面テレビのそばで話している。彼らが去ってから、同じテレビに触れた時、それが見えた。狭い部屋はぐちゃぐちゃになり、泣く女と責める男の声。そして…
 何かとイジられがちな某スーパーヒーローと、その敵役のお話。まあイジりたくなる気持ちはわかる。なんか「いつだって品行方正な優等生」な雰囲気が、ちょっとイラつくんだよね。
残されし者 / Staying Behind / クラークスワールド2011年10月号 / 幹瑤子訳
 シンギュラリティ。人々は次々とマシンの中へ移り住み、地上から人間はどんどん減っていった。死者たちはドローンを飛ばし、盛んに宣伝している。森林は広がり、街は小さくなり、通信ネットワークの維持も難しくなってきた。でもおれとキャロルは、娘のルーシーと共に残っている。
 静かで平和な終末の景色を描いた作品。戦争でも自然災害でもなく、人格アップロードというのがいい。サバイバリストが自家用シェルターなどを用意してるアメリカでは、こんな風景がアチコチで見られるんだろうなあ。
上級読者のための比較認知科学絵本 / An Advanced Reader's Picture Book of Comparative Cognition / 短編集 The Paper Menagerie and Other Stories 2016年 / 市田泉訳
 フェルミのパラドックス(→Wikipedia)と、それを出し抜こうとする突飛な探査計画を柱に、奇想天外なエイリアンの生態をまぶした作品。どのエイリアンも堂々と長編の主役を張れる奇天烈な役者揃いなのに、惜しげもなく短編で使い捨てちゃうとは凄い。
 敢えて言えば、スタニスワフ・レムの「泰平ヨンの航星日記 改訳版」に少し似ているけど、悪ノリなギャグ・テイストは控えめで、静かな情愛を足した感じ。
訴訟師と猿の王 / The Litigation Master and the Monkey King / ライトスピード2013年8月号 / 市田泉訳
 清朝の最盛期、第六代の乾隆帝の治世。楊州近くに住む田晧里は50過ぎの飲んだくれ。読み書きはできるが科挙に受かったことはなく、手紙の代筆などで日々を凌いでいる。だが本当の稼ぎ口は別だ。村人が役人に目をつけられた時に…
 「草を結びて環を銜えん」同様、楊州虐殺に題をとった作品。「猿の王」は日本でも有名な、暴れん坊のトリックスターだが、中国では少し性格付けが違うようだ。物語そのものが余りに力強いため、その奥に隠れたメッセージは見えにくいが、そこは注意深く読み取りたい。舞台が楊州近くなだけに、そこに囚われそうだが、私は現在日本で進行中の事柄を連想してしまう。
万味調和――軍神関羽のアメリカでの物語 / All the Flavors / ギガノトサウルス2012年2月号 / 古沢嘉通訳
 1865年、アイダホ・シティ。クリックとオビー二人のならず者は、強盗殺人を誤魔化すために火をつけ、街全体に被害をおよぼす大火災となった。その数週間後、痩せて疲れ切った中国人の男たちが街にやってきた。彼らは大勢で小さな部屋に住み、賑やかな音を立てる。ジャック・シーヴァーと幼い娘のリリーは彼らに興味を惹かれ…
 舞台は西部劇ながら、主な役者が出稼ぎの中国人と、アイルランド系のシーヴァー一家ってのが、捻りが効いてる。アイルランド民謡「フィネガンの通夜」はこちら(→Youtube)。赤ら顔で髭モジャ、三国志演義では無双の豪傑な関羽将軍も、幼い女の子には弱いようでw ジャックも、アイリッシュの典型で偏屈者かと思ったら…
『輸送年報』より「長距離貨物輸送飛行船」(<パシフィック・マンスリー>誌2009年五月号掲載) / The Long Haul: From the ANNALS OF TRANSPORTATION, The Pacific Monthly, May 2009 / クラークスワールド2014年11月号 / 古沢嘉通訳
 甘粛省蘭州市雁灘空港。<パシフィック・マンスリー>誌の取材のため、わたしはここでバリー・アイクの長距離貨物輸送船、東風飛毛腿機に乗り込み、ラスヴェガスへと向かう。乗組員はふたり、アイクと葉玲の夫婦だ。ふたりは六時間交代で操縦と睡眠をとる。
 悠々と大空を遊弋する飛行船は、雄大でカッコいい。でも、「飛行船の歴史と技術」や「日本飛行船物語」を見る限り、現実に運用するとなると、目的や費用面で難しそうだ。そこをなんとかするのが作家の腕の見せ所。米中間の貿易が増えてきた今、この筋書きはかなり魅力的だ。と同時に、アメリカ男と中国女の、互いにスレ違いつつも寄り添おうとする夫婦関係も、ケン・リュウならでは。
藤井太洋 どこにでもいるケン・リュウ
古沢嘉通 訳者あとがき

 「紙の動物園」でも芸の多彩さに舌を巻いたが、まだ手札を隠し持っていたとは、と驚きの多い作品集。ケン・リュウならではの「草を結びて環を銜えん」や「万味調和――軍神関羽のアメリカでの物語」もいいし、黄金期のSFを現代に蘇らせた「重荷は常に汝とともに」も嬉しいが、私は「レギュラー」が一番好き。

 なお、解説によると、最近のケン・リュウは長編と翻訳に力を入れているものの、発表済みの中短編は50編を超えているそうなので、まだまだ続きが期待できそう。そういえば「良い狩りを」の続編は?

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2018年7月18日 (水)

スティーブン・ジョンソン「世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史」朝日新聞出版 大田直子訳

本書のテーマのひとつは、この不思議な影響の連鎖、「ハチドリ効果」である。ある分野のイノベーション、またはイノベーション群が、最終的に、まるでちがうように思われる領域に変化を引き起こす。
  ――序章 ロボット歴史学者とハチドリの羽

グーテンベルクの発明から100年とたたないうちに、ヨーロッパ全土で多くの眼鏡メーカーが繁盛し、眼鏡はふつうの人がふつうに身に着ける――新石器時代の衣服の発明以来――最初の先進技術になった。
  ――第1章 ガラス

アイデアというものは根本的にほかのアイデアとのネットワークだからである。
  ――第2章 冷たさ

都市の成長と活力はつねに、人々が密集するとできる人間の排泄物の流れを管理できるかどうかにかかっている。
  ――第4章 清潔

リースはずっと、共同住宅改革――および都市貧困に対する戦略全般――の問題は、結局、想像力の問題ではないかと思っていた。
  ――第6章 光

「このプロセスの本質は代数や分析ではなく算術と数字のはずだと思っている人が多い。これはまちがいだ。この機関は数字で表された量を、まるで文字などの一般的符号であるかのように、配列して組み合わせることができる」
  ――第7章 タイムトラベラー

【どんな本?】

 私たちの暮らしは、様々な技術に支えられている。日の光は取り入れるが風や雨は遮るガラス。食品を長持ちさせる冷蔵庫。ニュースを伝えるラジオ。安心して飲める水。正確な時を刻む時計。夜を照らす電灯。そして、このブログを読み書きするコンピュータ。

 いずれも今の私たちにとっては当たり前のものだが、それの土台となる技術は、今とは全く異なる目的のために開発され、予想外の出会いと紆余曲折を経て、現在の形へと至ったものだ。

 ガラス・冷たさ・音・清潔・時間・光そして演算装置の七つの技術の誕生と成長の歴史を辿り、ヒトの知識と技術が社会にもたらす意外な効果を解き明かす、一般向けの技術史読本。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は How We Got to Now : Six Innovations That Made the Modern World, by Steven Johnson, 2014。日本語版は2016年8月30日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約310頁。9.5ポイント43字×17行×310頁=約226,610字、400字詰め原稿用紙で約567枚。文庫本なら標準的な厚さの一冊分。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。たまに馴染みのない化学物質の名前が出てくるが、「そういうモノがある」程度に思っていれば充分で、理科が苦手でも大丈夫。どちらかというと科学より歴史の本なので、常識程度に世界史を知っていれば更に楽しめる。

【構成は?】

 各章は穏やかに繋がっているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。ただ、全体を通して一貫したメッセージもあり、それは頭から読んだ方が伝わりやすい。

  • 序章 ロボット歴史学者とハチドリの羽
    ハチドリの羽はどうやってデザインされたのか?/世界を読み解く「ロングズーム」
  • 第1章 ガラス
    ツタンカーメンのコガネムシ/ガラスの島/グーテンベルクと眼鏡/顕微鏡からテレビへ/ガラスで編まれたインターネット/鏡とルネサンス/ハワイ島のタイムマシン/ガラスは人間を待っていた
  • 第2章 冷たさ
    ボストンの氷をカリブに運べ/氷、おがくず、空っぽの船/冷たさの価値/氷によってできた街/人工の冷たさをつくる/イヌイットの瞬間冷凍/エアコンの誕生と人口移動/冷却革命
  • 第3章 音
    古代洞窟の歌/音をつかまえ、再生する/ベル研究所とエジソン研究所/勘ちがいから生まれた真空管/真空管アンプ、大衆、ヒトラー、ジミヘン/命を救う音、終わらせる音
  • 第4章 清潔
    汚すぎたシカゴ/ありえない衛生観念/塩素革命/清潔さとアレルギー/きれいすぎて飲めない水
  • 第5章 時間
    ガリレオと揺れる祭壇ランプ/時間に見張られる世界/ふぞろいな時間たち/太陽より正確な原子時計/一万年の時を刻む時計
  • 第6章 光
    鯨油ロウソク/エジソンと“魔法”の電球/“天才”への誤解/ピラミッドで見いだされた光/スラム街に希望を与えたフラッシュ/100リットルのネオン/バーコードの“殺人光線”/人口の“太陽”
  • 第7章 タイムトラベラー
    数学に魅せられた伯爵夫人/180年前の“コンピューター”/隣接可能領域の新しい扉
  • 謝辞/原注/参考文献/クレジット

【感想は?】

 「風か吹けば桶屋が儲かる」の技術史版。

 新しい技術が出てきた時、「それが何の役に立つの?」と見下そうとする人がいる。そういう人を言いくるめるのに、この本はとても役に立つ。

 それが最もよく出ているのが、「第1章 ガラス」だ。あなたの部屋の窓にはまっている、あのガラスだ。

 話は古代エジプトのツタンカーメンのスカラベから始まり、1204年のコンスタンティノープル陥落へと飛ぶ。オスマン軍から逃げたガラス職人たちは、ヴェネチアに引っ越す。彼らの技術は金になるが、火を扱うので火事が怖い。そこで首長はガラス職人を街区から追い出し、ムラーノ島に集めた。

 これが現在のシリコンバレーと同じ効果をもたらした。職人同士が技を競い、新しい工夫を交換し合って、ヴェネチア・グラスのブランドを打ち立てる。中でも秀でているのが、アンジェロ・バロヴィエールの功績だ。彼は「とびきり透明なガラス」を創り上げた。

それまでのガラスは、何かしら色がついていた。教会のステンド・グラスがカラフルなのは、ワザとじゃない。透明なガラスがないので、そうするしかなかったのだ。

 時代は飛んで15世紀。グーテンベルクが印刷機を発明する。これが、人々に意外な発見をもたらす。「なんかこの本、読みにくいなあ」。

 昔から遠視の人はいた。ただ、細かい字なんか読まないから、気が付かなかった。そこに安い本がやってきて、識字率もあがる。否応なしに、多くの人が自分が遠視だと気づかされたのだ。

 これで喜んだのが、眼鏡業界。透明なガラスがレンズを実用化したのはいいが、それまでは細々とした商売だった。だって字なんか読めるのは、修道院の学者さんぐらいだし。

 ところが印刷機の発明で、レンズの市場が一気に広がる。やがてレンズを組み合わせた顕微鏡が生まれ、コッホが細菌を見つけ出す。この発見が現代医学に、どれほどの貢献した事か。やがてレンズはカメラや携帯電話に搭載され、またグラスファイバーは断熱材や航空機、果ては光回線に…

 透明なガラスは別の変化ももたらす。職人はガラスの裏にスズと水銀の合金を貼った。鏡の誕生である。私たちは、やっと自分の姿をハッキリと見られるようになったのだ。これは絵画の世界に革命をもたらす。最初は自画像の流行だが、また遠近法も生み出してしまう。

 コンスタンチノープルの陥落から、遠近法の誕生や細菌の発見を予測できる者が、果たしてどれぐらい居ることやら。一つの技術が世界にどんな影響をもたらすのか、誰にもわからないのだ。

 とかの、巧くいった技術の歴史も面白いが、発明者の勘違いも面白い。

 例えば、かの有名なトーマス・エジソンとアレキサンダー・グラハム・ベル。蓄音機のエジソンと電話のベルだ。両者が最初に目論んだ目的が、見事にスレ違っている。

 エジソンは、蓄音機を手紙の代わりとして考えていた。声を吹き込んだ巻物を相手に郵便で送れば、メッセージを送れる。ボイスメールだね。そしてベルは、電話によるコンサートの実況中継を目論んでいた。今ならケーブルテレビの生中継に当たるんだろうか。

 ところが現実には、電話が個人相手へのメッセージ伝達に、録音機材が不特定多数相手の放送に使われている。開発者の言葉を鵜呑みにしちゃいけません。ティム・バーナーズ=リーだって、出会い系やXVIDEOS、ロシアによるアメリカ大統領選への介入までは予測できなかっただろう。

 同様に戸惑っているのが、真空管の父リー・ド・フォレスト。真空管はやがてラジオを生み出し、そこから流れてくるのは南部の黒人が生み出したジャズ。

「あなたがたは私の子どもであるラジオ放送に、何をしてくれたのだ?ラグライムだの、スイングだの、ブギウギだのといったぼろを着せて、このこの品位を落としている」
  ――第3章 音

 やがて真空管はエレクトリック・ギターを生み出す。アンプを通すまで「空気の振動」が存在しない、異端の楽器だ。新世代のミュージシャンたちは真空管に過大な負荷をかけると奇妙な効果が起きることを見つける。ヘビメタには不可欠なディストーション・サウンドの誕生だ。

 どうでもいいいが、この次にある「ハウリング」は、ギタリストの間じゃ「フィードバック」と呼ばれてる。

 などと、一つの技術や製品が生まれるまでの紆余曲折は、実に意外性に満ちていて楽しい。と同時に、一つのアイデアや技術が、社会にもたらす影響の予測の難しさもよくわかる。また、終盤では、アイデアを生み出す源泉について、面白い考察もしている。

 楽しく読みやすく意外性に満ちて、小ネタも満載。ほんと、技術史の本ってのは面白いなあ。

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2018年7月16日 (月)

エリザベス・ベア「スチーム・ガール」創元SF文庫 赤尾秀子訳

ピーター・バントルには絶対に、一泡吹かせてやる。
  ――p38

「わたしはね、我慢できないんですよ、いいたいことをはっきりいえない女は」
  ――p79

いまここにいる人たちは、お互いいやな思いをしないよう、みんな仮面をつけているのかも
  ――p101

「襲撃はこれが初めてではない」
  ――p304

【どんな本?】

 アメリカの新鋭SF作家エリザベス・ベアによる、西部劇風味の百合アクション娯楽SF長編。

 19世紀終盤のアメリカ、ゴールドラッシュに沸く西部の町ラピッド・シティ。カレン・メメリーは16歳。ホテル・モンシェリに住み込みで働く「縫い子」だ。主人はマダム・ダムナブル、縫い子を大切に扱ってくれるが、決して甘やかしはしない。辣腕で抜け目なく、商売柄か町の有力者にも顔が利く。

 雨が降る冬の夜、モンシェリに二人の女が逃げ込んできた。一人はメリー・リー、チャイナタウンの有名人で縫い子を助ける運動をしている。もう一人はプリヤ、インド人で歳はカレンと同じぐらい。二人とも傷だらけだ。

 すぐに追っ手もきた。率いるのはピーター・バンドル、マダムと同じく娼館で稼いでいる。でも女の扱いは荒い上に、時には見世物にする嫌な奴だ。おまけにアチコチに手を回し、街の支配を目論んでいる。今夜はどうにか追い返したが、奴が持つ変な手袋には不思議な力がある。

 気の荒い連中が集う西部を舞台に、正体不明の連続殺人鬼・それを追う(副)保安官とその助手・陰謀を目論む悪党・追われる娘・活動家の中国人などが入り乱れ、女の子が大暴れするアクション小説。

 2017年10月20日初版という出版時期の不利にも関わらず、SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2018年版」のベストSF2017海外篇の20位にランクインした。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は KAREN MEMORY, by Elizabeth Bear, 2015。日本語版は2017年10月20日初版。私が読んだのは2017年11月117日の再版。勢いありますねえ。文庫本で縦一段組み、本文約415頁に加え訳者あとがき4頁。8.5ポイント42字×18行×415頁=313,740字、400字詰め原稿用紙で約785枚。文庫本としては厚め。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。一応はSFだが、特に難しい理屈は出てこないので、理科が苦手でも大丈夫。それより大事なのは、アメリカの歴史と西部劇の素養。当時の人々の暮らしぶりや、開拓使の有名人の名前が出てくるので、詳しい人には嬉しいクスグリが沢山詰まってる。

【感想は?】

 裏表紙にはスチームパンクとあるが、私は西部劇風味のプリキュアと言いたい。

 なんたって、舞台がモロに西部劇だし。時は19世紀終盤、南北戦争の記憶も新しい頃。場所は西海岸の(架空の)ラピッド・シティ、ゴールドラッシュでにぎわう港町だ。

 一攫千金を狙う荒くれどもが集い、町は賑わっている。新しい国でもあり、南北戦争の傷跡も深く、連邦政府の威光は遠い西部にまでは届かない。そのため、それぞれの町は自治に任せる羽目になる。まっとうな者が治めているならいいが、悪党が権力を握ったら…

 そんな具合だから、お尋ね者が潜り込むには都合がいい。ネズミが潜り込むなら、ネコも追いかけてくる。この話だとネズミは正体不明の連続殺人鬼、ネコは副保安官バス・リーヴズとその助手トモアトゥーア。雰囲気は猫というより狼だけど。

ちなみに副保安官って肩書はあまり偉くなさそうだが、バス・リーヴズで調べると、全然違う。ローン・レンジャーのモデルとなった人で、凄腕の連邦保安官だ。今でいうFBI捜査官だろう。日本の刑事ドラマなら、本庁から派遣されたエリート刑事にあたる。

 そんな西部劇の見どころはガン・ファイト…と言いたいところだが、ここは幾つかヒネってあって。

 中でもマニアックなのが、馬。主人公のカレンが馬に特別な想いを抱いていて、バス・リーヴズが連れた馬に彼女が出会う場面が、一つの読みどころ。彼女が馬をどんな目で見ているのか、どんな気持ちを抱いているのか、ひしひしと伝わってくる。

 また、当時の人々の暮らしを細かく書いているのも、地味ながら楽しいところ。海が近いからシーフードも多いし、チャイナタウンがあるから中華風の食材もある。蒸しパンときたかw 「縫い子」なんて言葉でわかるように、身に着ける物も生地や柄はもちろん、靴の履き方まで実に細かく書いてある。

 とかのマニアックな描写だけでなく、有名な人もチラホラ。先のバス・リーヴズに始まり、カラミティ・ジェーン(→Wikipedia)やアニー・オークレイ(→Wikipedia)など、どこかで聞いた事のある名前を散りばめてある。当然、本好き向けのクスグリもあって…

 と、西部の雰囲気が満載ながら、今風に捻ってあるのがおわかりだろうか。

 バス・リーヴズは黒人。相棒のトモアトゥーアはコマンチェ。メリー・リーは中国系の女。プリヤもインドの少女。語り手のカレンも少女だし、カレンと共にバンドルに挑むモンシェリの面々も色とりどり。

 いずれも、従来の西部劇では無視されてきた人々だ。荒くれどもに踏みつけられ、食い物にされてきた立場の人々を、主人公カレンの目線で描いているのが、この作品のもう一つの特徴。私はクリスピンが好きだなあ。いや別に髪型に親近感が沸いたわけじゃないぞ。違うったら。

 そんな中で、かぐわしく漂う百合の香りが、これまたたまんない。何せ時代が時代だけに、世相はそういう関係を歓迎しない。それだけに、カレンとプリヤもためらいがちに心を寄せ合ってゆく。いいねえ、青春だねえ。

 だけじゃなく、「女のこだって暴れたい!」のがプリキュア。初代ならカレンがキュアブラック、プリヤがキュアホワイトかな。特に中盤から終盤にかけて、カレンが大暴れするから楽しみにしよう。

 スペースオペラの原点、ホースオペラ=西部劇を題材としながらも、忘れられがちな人々を中心に配し、少しだけ「あったかもしれない技術」を交えながら、百合風味を利かせた楽しく爽快な娯楽アクション作品だった。

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2018年7月12日 (木)

マイケル・S・ガザニガ「脳のなかの倫理 脳倫理学序説」紀伊国屋書店 梶山あゆみ訳

私は脳神経倫理学をこう定義したい――病気、正常、死、生活習慣、生活哲学といった、人々の健康や幸福にかかわる問題を、土台となる脳メカニズムについての知識に基づいて考察する分野である、と。
  ――はじめに

胚をどの時点から人とみなすべきか
  ――1章 胚はいつから人になるのか

音楽家の体性感覚野を見ると、特定の指に対応する領域が大きくなっていて、どの指の領域が大きくなるかは楽器の種類によって異なる。
  ――4章 脳を鍛える

どうやら脳では、何かの課題をはじめて行うときにはたくさんの脳細胞(ニューロン)が使われるのに、技能が身につくにつれて、関与するニューロンの数がしだいに少なくなっていくらしい。
  ――4章 脳を鍛える

リタリンという薬は、多動症の子供の学業成績をよくするだけでなく、正常な子供に対しても同じ効果を発揮する。多動症でもそうでなくても、リタリンを飲めばSAT(大学進学適性試験)の点数が100点以上アップすると言われている。
  ――5章 脳を薬で賢くする

「ハリーがやったのではありません。ハリーの脳がやったのです。ハリーに行為の責任はありません」
  ――6章 私の脳がやらせたのだ

科学者と伝道者を比べた研究によると、新しいデータを突きつけられたとき、自分の考えをなかなか改められないのは科学者のほうだとの興味深い研究結果もある。
  ――9章 信じたがる脳

「三つの考え方はそれぞれ異なる脳領域を重視しているとみなせそうだ。カント(功利主義)は前頭葉。ミル(義務論)は、前頭前野と、大脳辺縁系と、感覚野。アリストテレス(徳倫理)はすべてを適切に連携させながら働かせる」
  ――10章 人類共通の倫理に向けて

人間は状況に対して自動的に反応している。脳が反応を生み出しているのだ。その反応を感じたとき、私たちは自分が絶対の真実に従って反応していると信じるに至る。
  ――10章 人類共通の倫理に向けて

【どんな本?】

 ES細胞の研究はどこまで許されるべきか。老いて認知症となった人の安楽死を認めてよいのか。自らの子の遺伝子改造はどうか。アスリートのドーピングが悪なら、試験前にコーヒーで脳にカツを入れるのはいいのか。P・K・ディックの小説「マイノリティ・レポート」のように、犯罪傾向の強い者の監視は許されるのか。記憶はどこまで信用できるのか。信念や信仰心はどこから来るのか。

 2001年から米国の「大統領生命倫理評議会」のメンバーとなった神経科学者が、fMRIやPETなどの技術が明らかにしたヒトの脳の性質を踏まえ、科学と倫理が交わる領域に生まれる様々な問題を取り上げて吟味する、一般向けの科学と倫理の解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Ethical Brain, by Michael S. Gazzaniga, 2005。日本語版は2006年2月2日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約229頁に加え、訳者あとがき4頁。9.5ポイント44字×17行×2299頁=約171,292字、400字詰め原稿用紙で約429枚。文庫本なら少し薄めの一冊分ぐらいの文字数。

 文章は比較的にこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。「前頭葉」や「灰白質」など脳の部位や要素の名前が出てくるが、具体的な場所や形は気にしなくていい。本気で脳神経学者になるつもりなら話は別だが、興味本位で読む分には、「脳にはそういう名前の場所がある」ぐらいに思っていれば、充分に楽しめる。

【構成は?】

 各章のつながりは穏やかなので、気になった所だけを拾い読みしても楽しめるだろう。

  • 謝辞/はじめに
  • 第1部 脳神経科学からみた生命倫理
    • 1章 胚はいつから人になるのか
    • 2章 老いゆく脳
  • 第2部 脳の強化
    • 3章 よりよい脳は遺伝から
    • 4章 脳を鍛える
    • 5章 脳を薬で賢くする
  • 第3部 自由意志、責任能力、司法
    • 6章 私の脳がやらせたのだ
    • 7章 反社会的な思想とプライバシーの権利
    • 8章 脳には正確な自伝が書けない
  • 第4部 道徳的な信念と人類共通の倫理
    • 9章 信じたがる脳
    • 10章 人類共通の倫理に向けて
  • 訳者あとがき/原注

【感想は?】

 つぎの言葉にピンときたらお薦め。

  • オリヴァー・サックス
  • V・S・ラマチャンドラン
  • デーヴ・グロスマン
  • ジョナサン・ハイト
  • ダニエル・C・デネット
  • ロバート・B・チャルディーニ
  • マイケル・サンデル
  • ミラーニューロン
  • ブレイン・マシン・インターフェース

 「脳倫理学」と書くと何やら難しそうだが、取り上げるテーマは多くの人の興味をそそる。曰く…

  • ヒトの受精卵を使うES細胞の研究は、どこまで許されるべきか?
  • 認知症を患った者の尊厳死は許されていいのか?
  • 遺伝子改造で「賢い子」を作るのは?
  • アスリートの本番のドーピングは不許可だが、練習中のドーピングは?
  • ドーピングが不許可なら、賢くなる薬はどうなの?
  • 脳が原因で暴力的な者に、刑事責任を問えるのか?
  • fMRIなど脳医学の先端技術を、法廷に持ち込むべきか?
  • 記憶はどこまで信用できるのか?「のどまで出かかってるのに出てこない」のはなぜ?
  • 「信念」は、どうやって生まれる?
  • 道徳は生来のものか、学んで身に着けたのか。

 それぞれの問題につき、誰もが意見を持っている。だが、親しい人と話し合うのは難しい。営業さんにとって政治と宗教と野球の話がタブーであるように、この手の話はみんな頑固に自分の考えを曲げようとしない。だから、下手に話題にすると、人間関係まで壊しかねない。

 人間、いったん口に出した意見を変えるのは難しい。なんか意地になっちゃうし。その点、本はいい。書いてあることが気に入ればパクればいいし、気に入らなければ無視すればいい。本で考えが変わったら、読む前から知っていたような顔をしたってバレなきゃ大丈夫。

 なんかズルいと思うかもしれないが、ヒトの脳なんて実はかなりいい加減なシロモノなんだと、この本を読めばわかる。裁判にしたところで、目撃証言はあまりアテにならないと、統計と事例で証明してくれる。加えて記憶の正確さと、証言者の自信は、ほとんど関係ないなんて、ショッキングな事実も。

 ばかりか、ある程度、記憶は作れるのだ。

空想や作り話だとわかっている情報の場合も、「のちにそれを現実のものとして[被験者が]記憶する妨げにならない」ことが明らかになっている。それどころか、誤った情報を繰り返し提示するだけで、その情報が真実に間違いないものとして記憶される確率は高くなる。
  ――8章 脳には正確な自伝が書けない

 と、「嘘も百回言えば本当になる」は、あながち間違いでもないらしい事。これが積もれば偏見を助長する。ネットでデマが出回っている今、これは深刻な問題なのかも。

 こういう、技術と法廷の問題に関して、私はちょっと疑問を持った。

 というのも。fMRIで、ある程度は相手に対する好悪の感情を調べられるとか。アメリカじゃ弁護士は証人に対して使いたいらしい。O・J・シンプソン裁判など、人種差別が大きな問題となっているアメリカだ。これで証人の人種偏見の有無を調べ、被告に有利な証拠としたい。

 ただしこの技術、データの解釈が難しい。嫌な感情を抱いたのは分かるが、ソレが人種差別なのか、嫌いな奴に似ているからなのかは、わからない。そもそも技術の信頼性もアレだし。

 で、だ。

 この技術、判事の差別意識の有無を調べるため、判事に対して使いたいと言ったら、判事はどう答えるだろう? 裁判員に選ばれた時、あなたはこの技術による判定を、受けてもいいと答えますか?

 先に書いたように、V・S・ラマチャンドランやダニエル・C・デネットなど、似たようなテーマの本は多い。それだけに、どこかで読んだようなネタもよく見かける。ミラーニューロンが、その代表だろう。が、やはりあった、意外な盲点が。

 中でも恥ずかしいのが、これ。

認知症とは、認知機能の低下をもたらすさまざまな疾患や損傷に対する総称だ。認知症の原因としては、過度の飲酒、喫煙、慢性的ストレス、脳外傷、脳卒中のほか、ハンチントン舞踏病、パーキンソン病、アルツハイマー病などの脳疾患が考えられる。
  ――2章 老いゆく脳

 認知症って、一つの病気を示すのかと思ったら、全然違った。幾つもの病気の症状をまとめて認知症と呼ぶのか。全然知らなかった。いやあ、恥ずかしい。

 他にも「ドーピングが駄目なら、試験前にコーヒーで頭をシャッキリさせるのはいいのか?」とか、男女の出生比が偏ってる国の一覧(ちなみにアゼルバイジャン・アルメニア・グルジアが1:1.2)とか、表情を読むATMとか、小ネタは満載。

 私が特に興味を持ったのは音楽家の話で。ミュージシャンには左利きが異様に少ない。私が知っているのは、ジミ・ヘンドリクスとポール・マッカートニーと秋山澪(←をい)ぐらいだ。ところが意外な事に、「幼いうちに訓練を始めた音楽家は、非音楽家より手の器用さに左右差が少ない」とか。

 つまりは両手利きが多いのだ。そういえばリンゴ・スターも本来は左利きだって噂もあるなあ。左利き用の楽器は手に入りにくいんで、右利き用の楽器を使っているうちに馴染んじゃったってケースが多いんだろうか。

 まあいい。それぞれのテーマについて、著者なりの考えも書いている。が、あまり押しつけがましくはなく、逆に「あなたはどう思います?」と問いかける感じで、ブログのネタ帳としても便利かもしれない。

 原書の出版が2005年といささか古いが、ネタそのものの面白さは色あせていない。むしろ、この本では空想だったことの幾つかは、既に実現していて、更にエキサイティングになっている。自分に、正義に、そして科学に興味がある人にお薦め。

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2018年7月10日 (火)

菅浩江「五人姉妹」ハヤカワ文庫JA

「でも……みんな嘘」
  ――ホールド・ミー・タイト

「介護ロボットといいっても、介護をするほうじゃない。<中枢>は介護されるロボットを開発したんだ」
  ――KAIGOの夜

お祭りだ。秋祭りだ。五穀豊穣を寿いでみんなが幸せになる、華やかなお祭りだ。
  ――秋祭り

昔を今になすよしもがな
  ――賤の小田巻

【どんな本?】

 ソフトで口当たりの良い文章にのせ、今から少しだけ進んだ科学技術をガジェットとして使い、それが照らし出すヒトの心の屈折や鬱屈を容赦なく描き出す、菅浩江ならではの甘いながらも強烈な毒が詰まった短編集。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2003年版」のベストSF2002国内篇14位。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2002年1月に早川書房より単行本刊行。2005年1月15日にハヤカワ文庫JAより文庫版発行。文庫本で縦一段組み、本文約339頁に加え、加納朋子の解説「祈りにも似て」8頁を収録。9ポイント39字×17行×339頁=約224,757字、400字詰め原稿用紙で約562枚。文庫本としては標準的な分量。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。いや実は所々に凝った先端技術のネタも混じってるんだけど、ほとんど気にならないように甘い衣に包んであるのが、この人の特徴。なので、別にわからなくても小説としては全く問題ないです。

【収録作は?】

五人姉妹
 園川グループは、医療品も手掛ける。社長の一人娘の葉那子は、社の新製品である成長型の人工臓器を埋め込まれて育つ。もしもの時のために、生体臓器のバックアップとして、四人のクローンも育てられていた。父の死に伴い、葉那子は姉妹たちと初めて会い、会話を交わす。
 同じ遺伝子を受け継ぎながらも、個性豊かに育った園川葉那子・吉田美登里・小坂萌・海保美喜・国木田湖乃実の五人姉妹。それぞれに思惑と鬱屈、そして父への想いを抱えながら、何を語るのか。私は美登里さんが好きだなあ。
ホールド・ミー・タイト
 松田向陽美はアラサー。好きな仕事だが上司とは折り合いが悪い。職場では四人の部下がいる。電脳空間では、性別を偽ってホストのまねごとをしている。イケメンに化けて、女の子たちを楽しませるのだ。幸いにして評判はいい。
 逆パターンはよくある話で、出会い系でオッサンがサクラをやったり。お互い同性だとツボを心得ているんだけど、引きどころが難しいそうだなあ。それより私は水木さんみたくバーテンをやってみたい。だって粋で渋くてカッコいいし。ある意味、憧れの職業だよね、バーテン。
KAIGOの夜
 世界は<大患>から立ち直り始め、多少は余裕ができたのか、<中枢>は一年前に個性尊重令を出した。フリーライターのユウジに連れられ、ケンは取材へと向かう。<中枢>は介護「される」ロボットを開発したという。そのロボットの所有者に会いにゆく。
 敢えて手間暇かけて面倒をみるってのは、楽しみの一つかもしれない。「たまごっち」や「プリンセス・メーカー」など、育成ゲームはあるけど、看取りゲームってのはさすがに知らないなあ。敢えて言えば「俺の屍を越えてゆけ」が…いや、だいぶ違うか。育てゲームは先に希望が見えるけど、看取るのは行き止まりなだけに、本質が露わになるのかも。とは別に、オチはロジャー・ゼラズニイの傑作を思わせたり。
お代は見てのお帰り
 バート・カークランドは、十歳の息子アーサーを連れ、ラグランジュ3にある博物館惑星<アフロディーテ>を仕事で訪れた。今は大型企画として大道芸人フェスティバルが開催中。風船芸人,ジャグラー,ダンサー,マジシャンなどが芸を披露するが、アーサーは顔をしかめ…
 「またSFなんてくだらない物ばかり読んで!」と、親からお小言食らって育ったSF者には身に染みる出だし。が、そこにもう一ひねり入ってるあたりが、面白いところ。一時期は大道芸ってあまり見なくなったけど、最近は駅前で歌う若者を見かけるようになった。やっぱり生の歌ってワクワクするよね。
夜を駆けるドギー
 別に大きなトラブルを抱えてるわけじゃない。でも家でも学校でも、どうもシックリこない。目立たぬよう日々をやり過ごしている。ネットではコープス=死体と名乗り、腕利きのHANZと組んでサイトを立ち上げた。テーマはドギー、犬型のマシン・ペットだ。
 「逝ってよし」など、あの頃の2ちゃんの雰囲気を、こんな風に見せつけるのは酷いw コープスのイタさもあって、今となってはムズ痒くてのたうちまわりたくなるw どころか、このブログの昔の記事もなかなかアレなんだが、それを気にしたら負けだw
秋祭り
 巨大なドームに覆われ、土壌も気候も完全に制御された、大規模な農業プラント。作業の大半は機械化されているが、立地が辺鄙なため、後継者が足りない。募集に応じた林絵衣子と高津ムサシは、木田に案内されて見学を続ける。今日は年に一度の秋祭りだ。
 イマドキのスーパー・マーケットは、作物の旬が全くわからない。さすがにスイカや柿は季節によるけど、キャベツやタマネギはいつ行っても売ってるし。改めて考えると、昔の農業ってのは、凄まじく賭け金のデカいギャンブルだよなあ。なんたって一年の年収、どころか下手すっと命が賭かってるんだから。
賤の小田巻
 AIターミナル。老人用の終身保養施設。入所者は頭蓋手術を受け、常時AIにサポートされる。AIは老人たちに心地よい仮想現実を与え、代償として人格パターンを学ぶ。入江雅史の父親、入江燦太郎は大衆演劇の人気役者だったが、座を解散してAIターミナルへ入所した。最後の演目は「賤の小田巻」。
 老いて肌には皴がより、それでも舞台の上では女形として若い娘を演じ続けた燦太郎と、それに反発し芸の道を離れた雅史。ありもしない楽園を入所者に見せ、また訪問者には居もしない若い姿の入所者を見せるAIターミナル。存在しない娘を舞台に現出させる役者。そういえば、作家も、見てきたような嘘を吐く商売だなあ。でもって、読者は「もっと騙してくれ」とせがんでたり。
箱の中の猫
 ISS。国際宇宙ステーション。90分で地上400kmを周回する、宇宙開発の拠点。守村優佳の恋人は、そこにいる。十日に一度、普久原淳夫から通信が入る。遠距離恋愛とはいえ、方向が高さとなると、はるかに遠い。エリートでありながら、淳夫は優佳の仕事、保育士に敬意を払い…
 なんと Wikipedia には「宇宙に行った動物」なんて記事もある。みんな実験用で、さすがに猫はいない。やっぱり猫は実験に向かないよねえ。もちろんネタはシュレーディンガーの猫なんだけど、「箱を開ける」の解釈が見事。
子供の領分
 僕はマサシ。記憶喪失で、十歳ぐらい。山奥の孤児院にいる。訪問者は月に一度、ドレイファス医師が来るだけ。一緒に住んでいるのは五人。妊娠中のマリ先生、11歳で喘息持ちのアキヒコ、14歳でお姫様気取りのカナエ、8歳でガキ大将のコウジロウ、5歳でバレリーナに憧れるリィリィ。
 どっかで聞いた事のあるタイトルだと思ったら、ドビュッシーの曲だった(→Youtube)。リィリィはともかく、他の三人はなかなかに鼻持ちならないクソガキ揃い。が、読み終えて改めてそれぞれの性格を見ていくと、うーむ。マサシから見ると、そう見えるんだろうなあ。

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2018年7月 8日 (日)

ダン・アッカーマン「テトリス・エフェクト 世界を惑わせたゲーム」白揚社 小林啓倫訳

「これ以上テトリスを手元に置いておけない!」
  ――6 拡がるクチコミ

「これはソ連からやって来た、最初の知的財産なんですよ」
  ――8 ミラーソフトへ

オリジナルのエレクトロニカ60版テトリスが開発されてからというもの、新しいバージョンが生み出される際には、みなゼロから開発しなければならなかった。オリジナル版のテトリスも、そしいてゲラシモフ版、ハンガリー版も、そのたびに新しいコードが書かれたのである。
  ――9 ロシア人がやってくる

テトリスは単純だ。あまりに単純すぎる。
  ――12 テトリス、ラスベガスをのみこむ

このロシア人たちは、ゲームカートリッジとは何か、そして日本の家庭用ゲーム機がどのようなものかも理解していないのか。
  ――16 大きな賭け

「モニター、ディスクドライブ、キーボード、オペレーティングシステムで構成される」
  ――18 チキンで会いましょう

(エド・)ログの秘密は、彼が対数によるチューニングに精通しているところにあった。難しさを倍にしたい場合、たんに速度を倍にするのではだめなことを、彼は見抜いていた。
  ――19 ふたつのテトリスの物語

【どんな本?】

 みんな知ってる大ヒット・ゲーム、テトリス。

 落ちてくるブロックを横にズラし、または回して、隙間なく詰めこむ。ブロックは7種類、いずれも4つの正方形を組み合わせたもの。ルールは簡単、操作も単純。ストーリーもキャラクターもなく、敵も味方もいない。感情を揺さぶる要素は何もないはずの、幾何学的なパズルゲーム。

 にも関わらず、テトリスは史上空前の大ヒットとなり、私たちの貴重な時間を食いつぶし、みんなを寝不足に追いやった。ばかりでなく、ぷよぷよなど幾つもの後継者を生み出し、「落ちゲー」というジャンルまで開拓してしまう。

 そのテトリスは、どんな環境で、どのように生まれたのか。いかにして増殖し、マシンの違いを乗り越えて変異・適応し、国家の壁をすり抜け、世界中にパンデミックを引き起こしたのか。

 1970年代から1990年代までのコンピューター情勢、冷戦末期の緊張漂う国際関係、魑魅魍魎が徘徊する戦国時代のゲーム市場、当時のソ連の意外な素顔、コネと度胸と計算とハッタリが渦巻くビジネス・シーン、プログラマー同士の絆、そしてテトリスとゲームボーイにまつわる秘話など、刺激的なネタをたっぷり詰めこみ、驚きと興奮と郷愁に満ちた傑作ドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The TETRIS EFFECT : The Game That Hypnotized the World, by Dan Ackerman, 2016。日本語版は2017年10月17日第一版第一刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約343頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント45字×18行×343頁=約277,830字、400字詰め原稿用紙で約695枚。文庫本ならやや厚めの一冊分。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくないが、テトリス登場当時の興奮を知っている年齢だと、更に楽しめる。中でも最も楽しめるのは、アセンブラで直接にハードウェアを叩くようなプログラムを書いている人だろう。

【構成は?】

 ほぼ時系列に沿って話が進むので、できれば頭から読んだ方がいい。あと、できれば登場人物一覧が欲しかった。重要そうな人物が登場する場面には、栞を挟むか付箋をつけるなどしておくといい。

  • Part 1
    • 1 グレイト・レース
    • 2 アレクセイ・レオニードビッチ・パジトノフ
    • 3 アメリカへ
    • 4 最初のブロック
    • 5 ザ・ブラックオニキス
    • 6 拡がるクチコミ
  • BONUS LEVEL 1 これがテトリスをやっているときのあなたの脳だ
  • Part 2
    • 7 鉄のカーテンの向こうから
    • 8 ミラーソフトへ
    • 9 ロシア人がやってくる
    • 10 「悪魔の罠」
    • 11 ELORGへようこそ
    • 12 テトリス、ラスベガスをのみこむ
  • BONUS LEVEL 2 テトリスは永遠に
  • Part 3
    • 13 防弾の契約
    • 14 秘密のプラン
    • 15 迫りくる嵐
    • 16 大きな賭け
    • 17 詰め寄るライバルたち
    • 18 チキンで会いましょう
    • 19 ふたつのテトリスの物語
  • BONUS LEVEL 3 認知ワクチン
  • エピローグ 最後のブロック
  • 謝辞/訳者あとがき

【感想は?】

 驚き呆れ焦り同感し懐かしみ感嘆し…と、気持ちを揺さぶられっぱなし。

 テトリスがソ連出身なのは有名だ。ただ、何の目的で、どんな経緯で造られたのか、となると、様々な憶測がある。曰く数学の教育用、AI研究、果ては…

「あまりに時間を費やしてしまうので、テトリスはアメリカの生産性を下げるために、悪の帝国で開発された悪魔の罠ではないかと怪しんでしまうほどだ」
  ――10 「悪魔の罠」

 と、陰謀説まであった。当然ながら、本書ではその真相も明らかになる。その過程で描かれる、当時のコンピューター情勢は、ロートル・プログラマーにとって、涙が止まらない懐かしさ。今でこそプログラミングは手軽に始められるが、1970年代はコンピューターに触れるってだけで特権階級だった。

1970年代初頭にコンピューターを自由に使うことができたというのは、紙の卒業証書より価値のあるものだったのである。
  ――3 アメリカへ

 ここで言うコンピューターは、懐かしきパンチガードでジョブを流すメインフレームである。現代の若いプログラマには意外に思えるだろうが、当時のプログラマはコンピューターに直接触れる事はできなかった。それはオペレーターという別の職種の方々の権限であって…

 などと年寄りが昔話を始めるとキリがない。

 それでも西側はマシな方で、ソ連をはじめとする東側は更にアレだ。それでもハッカー気質な人は洋の東西を問わず生まれてくる。最初の開発者アレクセイ・レオニードビッチ・パジトノフもそうだし、IBM-PCに移植したワジム・ゲラシモフもお仲間で、まさしく類は友を呼ぶ見本。

 ここで描かれるソ連のプログラマ同士の付き合いは、ネクタイ族が幅を利かせる前の古き良きエンジニアの楽園を思わせる。確かに政治的な締め付けこそ厳しいものの、契約だ権利だなどのウザい邪魔物から隔離され、面白いものはみんなで分け合うのだ。改めて考えると、これって共産主義の理想だよなあw

 かような環境はエンジニアにとって心地よいばかりでなく、テトリスの繁殖にも有利に働く。そう、繁殖である。バジトノフの職場を席巻したテトリスは、モスクワ市街へと漏れ出し、赤い首都も易々と陥落させ、国境をも超えて進撃を始め…

 と、テトリスが次々と人類を虜にしてゆくあたりは、その旺盛な感染力に舌を巻くばかり。だが、やがて鉄のカーテンが立ちふさがり…

 このカーテンを突き破ろうとする、西側のゲーム業界人の苦闘も、この本の大事な柱。なにせ相手は共産圏、こっちの常識は全く通じない上に、そもそも誰を相手にすればいいのかさえ分からない。ここで掟破りの大暴れを見せる任天堂の回し者、ヘンク・ロジャースの活躍はまるきしニンジャだ。

 何せ鉄のカーテンの向こう。

何かを尋ねるといいうのは(とくに1980年代のモズクワで政府機関について探るのは)、疑わしい行為なのだ。なんであれ、それを知らないのなら、おまえは知るべき人間なのではない――地元の人々はそう考えていたのである。
  ――1 グレイト・レース

 なんて所に、ロクなコネもなければ相手も知らず、体一つで突撃をかましたハンクの冒険は、ビジネスの成功物語としてもワクワクする。彼がELORG相手に繰り広げる大立ち回りは、秀吉の毛利攻めのような知恵と努力と誠意の物語だったり。また、ここでロジャースのバックとなる任天堂の体質も、日本人としてはちょっと誇らしかったり。

 また、テトリスそのものの数学的な性質や、ゲーム史の中でテトリスが打ち立てた数々の記録、そしてテトリスがヒトの精神に及ぼす影響も…

2014年に行われた研究によれば、テトリスをプレイすることで、喫煙者や飲酒者の欲求が約24%減少した。
  ――テトリス・メモ22

 なんて嬉しい話や、もしかしたらPTSDの治療に役立つかも、なんてネタまであって、ゲーム・マニアにはたまらない一冊だ。プログラマに、ゲーム・マニアに、冷戦時代のソ連に興味がある人に、ビジネスで一旗あげたい人に。読み始めたら止まらない、刺激と興奮に満ちたドキュメンタリーの傑作だ。

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2018年7月 6日 (金)

クリストファー・プリースト「隣接界」新☆ハヤカワSFシリーズ 古沢嘉通・幹瑤子訳

「正三角形だった。頂点は直線で構成されており、少しのずれもなかった」
  ――第一部 グレート・ブリテン・イスラム共和国

「想像力が死ぬとき、希望も死ぬのだ」
  ――第二部 獣たちの道

「ドイツ軍もいない、敵もいない、ただ自由な空気と空があるだけ」
  ――第五部 ティルビー・ムーア

ブラチョウスは宗教を持たない島である。宗教的発言は大目に見てもらえるが、奨励されているわけではない。
  ――第七部 プラチョウス

カメラマンの仕事は、けっして自分がしたことではなく、自分が見たものにまつわる。
  ――第八部 飛行場

【どんな本?】

 イギリスのベテランSF/ファンタジイ作家クリストファー・プリーストによる、最新長編小説。

 近未来。ティボー・タラントは、カメラマンだ。看護師である妻のメラニーと共に、内戦下のトルコで働いた。だが戦闘に巻き込まれメラニーを喪い、失意を抱えて国に帰ってきた。母国イギリスは大規模なハリケーンに痛めつけられ、またテロも頻発し、緊張感に包まれている。軍用の人員輸送車で当局に連れまわされるタラントは…

 舞台は変わり、時は第一次世界大戦。ベテラン奇術師のトムは、王室海軍航空隊に徴用され、フランスへ向かう。既に兵として役に立つ歳でもなく、軍の意図をいぶかしむトムだが、任務の内容は現地に着くまで教えてもらえない。英仏海峡を渡る船の中で、トムはバートと名乗る同年配の男と知り合い…

 近未来のイスラム化したイギリス、第一次世界大戦の膠着した塹壕戦、第二次世界大戦の空軍基地、そして夢幻諸島と、幾つもの舞台を渡り歩く、幻想的な長編小説。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2018年版」のベストSF2017海外篇で堂々のトップに輝いた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Adjacent, by Christopher Priest, 2013。日本語版は2017年10月25日発行。新書版で縦二段組み、本文約558頁に加え、古沢嘉通による訳者あとがき3頁。9ポイント24字×17行×2段×558頁=約455,328枚、400字詰め原稿用紙で約1,139枚。文庫本なら上下巻ぐらいの分量。

 文章はこなれている。内容も、SFガジェットは少ないし、特に科学的に難しい理屈も出てこない。ただし、わかりやすいかと言うと…

【感想は?】

 うーむ、わからん。

 たぶん、この作品を楽しむのに必要なのは、理科ではなく国語の素養だ。でもって、私にはソレが徹底して欠けている。

 いや、お話のスジはわかるのだ。というか、この作品の中には、幾つかの(半ば独立した)小説が入っている。その「半ば独立した小説」のスジは、だいたいわかるし、それぞれ楽しめる。また、作品内小説は少しづつ関係していて云々、というのも見当がつく。

 タイトルが「隣接界」だし、奇術師がそのタネを説明するあたりでは、「何かヒッカケてるんだろうなあ」とは思う。が、何をどうヒッカケてるのかまでは、読み解けなかった。

 比較的にSFっぽいガジェットとしては、まずタラントが乗る人員運搬車メブシャーだろう。

 いわゆる装甲車で、無限軌道ではなくゴツい車輪を履いてるやつ(→Wikipedia)。これだけなら今でもあるが、エンジンがガスタービンって所がSF。とにかく甲高いエンジン音がうるさいのが特徴の一つで、タラントも散々に悩まされている様子。

 タラントが使うカメラも、なかなか便利で、撮ってすぐネットにアップできる優れもの。メーカーがアレなのは、ちょっと嬉しかったり。

 タラントのいる近未来のイギリスは、たびたびハリケーンに襲われている様子。たまたま、これを読んでいる時は、日本の各地に大雨注意報が出ていて、テレビも各地の河川が暴れる模様をしょっちゅう映していた。そういう点では、異常気象の恐ろしさが肌で感じられて、タイミングは良かったなあ。

 挨拶が「インシャラー」や「平安あれ」だったり、兵の名前がイブラヒムだったりするあたりは、イギリスがイスラム化している雰囲気を出している。タラントがどこに出入りするにも、いちいち権限の有無を尋ねられる場面では、小うるさい役人根性というか、異様な秘密主義の匂いが強く漂う。

 第二部の奇術師トムのパートでは、SFファン大喜びのゲストが登場して、闊達な魅力を振りまいてくれる。イギリス軍ってのは、ときおりフリーダムな発想を見せる所で、第二次世界大戦でドイツ軍のエニグマ暗号を解読する際にも、クロスワード・パズルのマニアとか色々と奇想天外な人を使ってたり。

 奇術師が戦争で何の役に…ってのは、この辺(ちょいネタバレ)を読んでると、少し見当がつく。軍ヲタとしては、ドイツ軍の秘密兵器(→Wikipedia)がチラリと出てくるのが嬉しかった。

 それ以上に軍ヲタが喜ぶのが、「第五部 ティルビー・ムーア」。主人公は英国空軍の整備兵。彼が面倒を見ているのは、重爆撃機ランカスター(→Wikipedia)で、ドイツへの戦略爆撃に従事している。ランカスターの活躍を描いたレンデントンの小説「爆撃機」を思い出しながら読んだ。

 が、ここで最も美味しい所をさらっていくメカは、やっぱりアレ(→Wikipedia)なのは仕方がないか。イギリス人なら、どうしたって贔屓するよね。ただし、少しヒネってある所がマニアック。

 また、主人公の相方の運命も、軍ヲタを唸らせる仕掛けなのが憎い。あの国であの立場だと、やっぱりあの事件(ちょいネタバレ、→Wikipedia)に巻き込まれ…。終戦間際にも壮絶な事件(ちょいネタバレ、→Wikipedia)があり、戦後もアレだし、なにかと厳しい歴史を背負った国なんだよなあ。

 などと、SFというより軍ヲタとして、散りばめられた小ネタが楽しい作品だったけど、こういう読み方する人は少ないと思う。リアルで凄惨なネタに気を取られてしまったためか、幻想世界との頭の切り替えがうまくいかなかったし。

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2018年7月 3日 (火)

ブライアン・フェイガン「古代文明と気候大変動 人類の運命を変えた二万年史」河出書房新社 東郷えりか訳

われわれの祖先は過去7,8万年のあいだに、少なくとも九回の長い氷期をくぐり抜けてきた
  ――はじめに

こうした技術革新も、過小評価されているある単純な発明がなければ、価値のないものになっただろう。それは今日もまだ使用されているもの――針と糸である。
  ――第2章 氷河時代末期のオーケストラ 18000年~15500年前

「クローヴィス人は世代ごとにおそらく一頭のマンモスを仕留め、それから残りの生涯をその話をしながら過ごしたのだろう」
  ――第3章 処女大陸 15000年~13000年前

それもこれもすべて、とどのつまりは、アガシー湖の湖岸が崩れたからなのである。
  ――第5章 1000年におよぶ干ばつ 紀元前11000年~前10000年

前8000年には、近くの山間にあった定住地ガンジ・ダレで、住民が家畜化したヤギの群れを飼っていた。その事実が判明しているのは、骨の中にオスは成獣に近い個体が多数あり、一方、メスはほとんどが年をとっていたからだ。
  ――第6章 大洪水 紀元前10000年~前4000年

エジプトのクフ王と後継者たちがナイル川沿いのギザにピラミッドを建設していた前2550年ごろまで、砂漠には多数の淡水湖があり、いくつかはかなり広大なものだった。マリ北部にはクロコダイルとカバが生息していた。現在、この地域の降雨量は年間5mmしかない。
  ――士の争い/アッカド帝国第8章 砂漠の賜物 紀元前6000年~前3100年

19世紀にはENSO(→Wikipedia)と干ばつによって生じた飢え、および飢饉に関連した感染症から、少なくとも2000万人が死亡した。
  ――エピローグ 西暦1200年~現代

【どんな本?】

 人類はアフリカで生まれ、世界中に散らばり、アメリカ大陸まで渡っていった。その時期とルートについては幾つかの説がある。中でも最も有力なのが、15000年以降に、今のベーリング海峡を歩いて渡った、とする説だ。

 当然ながら、この説が成り立つには、ベーリング海峡が陸地でなければならない。たかだか一万年かそこらで、海峡が干上がったり沈んだりと、地形は大きく変わった事になる。もちろん、それらは気候の大変動も連動している。

 気候の変化は、人類を地球全体へと拡散させた。狩猟採集から遊牧や農耕へと人類の暮らしの形を変え、メソポタミア・古代エジプト・マヤなど幾つもの文明を興しては滅ぼした。そこには、どんな気候要因が働いたのか。人々の暮らしは、どう変わったのか。それは、なぜわかるのか。

 アメリカの考古学者が、二万年ものスケールで、人類の歴史と気候の関係を全地球規模の視野で明らかにし、ダイナミックに脈動する地球の気候を伝える、衝撃的な一般向けの科学・歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Long Summer : How Climate Changed Civilization, by Brian Fagan, 2004。日本語版は2005年6月30日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約336頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント46字×19行×336頁=約293,664字、400字詰め原稿用紙で約735枚。文庫本なら厚い一冊分ぐらいの文字数。なお、今は河出文庫から文庫版が出ている。

 文章は比較的にこなれている。内容は多岐にわたり、できればスマートフォンかパソコンの助けを借りながら読むといい。というのも、世界中の地名や歴史上の出来事が頻繁に出てくるためだ。地名は Google Map で調べたくなるし、歴史上の出来事は年表で確かめたくなる。

 出てくる出来事は東地中海の話が多い。ただ、読んでいくと、それらは「地球の気候」という点で全世界に影響を及ぼしている事が次第にわかってくる。とすると、我々としては、つい「その頃、中国では」とか「日本では」とか考えちゃうよね。

【構成は?】

 原則として時系列順に進むので、できれば素直に頭から読む方がいい。

  • はじめに/著者注
  • 第1章 もろくて弱い世界に踏み入れて
    古代都市ウルの悲劇/ミシシッピ川の洪水との闘い
  • 第1部 ポンプとベルトコンベヤー
    • 第2章 氷河時代末期のオーケストラ 18000年~15500年前
      狩猟集団/氷河時代のステップ・ツンドラ/クロマニョン人が生き延びた理由/世界の気候はつねに変化した/はてしなくつづくステップ・ツンドラ/シベリア北東部へ/ひたすら前進する狩猟採集民
    • 第3章 処女大陸 15000年~13000年前
      最初のアメリカ人/「クローヴィス尖頭器」が語ること/アメリカ大陸定住へのシナリオ/シベリア北東部より/ベーリング陸橋の東側/氷河の後退/無氷回廊はなかった/南下をつづけて/大温暖化による新たな機会と危機
    • 第4章 大温暖化時代のヨーロッパ 15000年前~13000年前
      温暖化のもたらした変化/様変わりする環境のなかで/臨機応変なクロマニョン人/弓の発明
    • 第5章 1000年におよぶ干ばつ 紀元前11000年~前10000年
      ケバラ人/どんぐりがもたらした影響/アブ・フレイラ/アガシー湖/農耕の始まり/移動生活の終わり
  • 第2部 何世紀もつづく夏
    • 第6章 大洪水 紀元前10000年~前4000年
      定住と祖先への信仰/チャタルホユックの巨大な塚/ミニ氷河時代/エクウセイノス湖の大氾濫/移住/狩猟民と農耕民の思わぬ交流/共同体の発展/生活様式の変遷
    • 第7章 干ばつと都市 紀元前6200年~前1900年
      メソポタミアの調査/ウバイド人/干ばつとの闘い/シュメールの都市国家/都市同士の争い/アッカド帝国
    • 第8章 砂漠の賜物 紀元前6000年~前3100年
      サハラ砂漠/熱帯収束帯/ナイル川/サハラの牛とオーロックス/先王朝時代
  • 第3部 幸運と不運の境目
    • 第9章 大気と海洋の間のダンス 紀元前2200年~前1200年
      干ばつによって崩れたファラオの無謬性/レヴァント南部の社会崩壊/ウルブルンの沈没船/ミュケナイとヒッタイトと滅ぼしたもの/干ばつが侵略を生んだ/人類は新たに脆弱さをさらけだす
    • 第10章 ケルト人とローマ人 紀元前1200年~前900年
      ヨーロッパの気候の境界線/地中海北部地方の農民たち/火山と気候の変化/牧畜民の生活/太陽と気候の変化/農耕と戦争/ケルト人との交流/移動しつづける移行帯/世界各地の大干ばつ/運命は神の掌中
    • 第11章 大干ばつ 西暦1年~1200年
      南カリフォルニアでの調査/チュマシュ族/チュマシュ族の知恵/アンセストラル・プエブロ
    • 第12章 壮大な遺跡 西暦1年~1200年
      マヤ文明の繁栄/マヤ文明を滅ぼしたもの/新しい証拠/プレ・インカの都市、ティワナク
  • エピローグ 西暦1200年~現代
  • 謝辞/訳者あとがき/原注

【感想は?】

 SFだと、やがて太陽系を飛び出す人類は、他の恒星系の惑星上に植民地を築くことになっている。

 あれは間違いだ。他の恒星系に進出するほど賢ければ、地表なんかに定住地を作らない。小さな観測基地や、鉱山の周囲に町ぐらいは作るだろう。でも、商業や政治の中心となる大都市は作らない。

 なんたって、地表はヤバい。たかだか一万年かそこらで、ベーリング海峡が干上がったり沈んだりする。「一万年?悠長だねえ」と、前半では思えるかもしれない。でも、終盤の第三部になると、数百年どころか数十年のオーダーで、大都市が興り滅びてゆく様を、この本は見せつけてくれる。

 基本的なテーマは、最初の「はじめに」と「第1章 もろくて弱い世界に踏み入れて」に出てくる。気候変動のスケールと、集落のスケールの関係だ。

生存できるか否かは、往々にして規模の問題となる。(略)小規模の災害にたいする万全の対策として興隆した都市は、より大きな災害にはますます脆弱になっていたのだ。
  ――第1章 もろくて弱い世界に踏み入れて

 ちょっと想像して欲しい。数年の間、日本列島に日照りが続いたら、どうなるだろうか?

 縄文時代なら、大きな問題にはならない。今、住んでいる場所を捨て、他の所に移ればいい。小さな川や池は干上がるだろうが、利根川や琵琶湖の近くなら、なんとかやっていけるだろう。だが、人々が一つの所に定住し、人口も増えた現在では、大変な災害になる。

 人口が少ない頃は、治水も難しい。ちょっとした日照りや洪水で、すぐに耕地は駄目になる。その反面、新田を開墾する余地は充分にあるので、新しい土地に移って開墾すれば、いくらでもやり直せる。

 現代の東京の河川は、岸をコンクリートで固め、また河川敷を広くとった上で堤防を築いているので、滅多に洪水で浸水することはない。が、ひとたび堤防が切れたら、いったいどうなる事やら。多くのデータセンターが停電しFGOも止まり阿鼻叫喚の←違うだろ

 つまりだ。昔は集落が小さかった。そのため治水もロクにできず、ちょっとした日照りや洪水でも村や町が消えた。だが、人々は他の土地に移り住めば、いくらでもやり直しがきいた。それだけ土地は余っていたし、人と土地の関係も薄かった。

 だが大都市となると、話は違ってくる。運河や貯水池や堤防を築き、多少の日照りや洪水には耐えられるようになった。だが、予測を超えた干ばつや大洪水に襲われると、どうしようもない。増えた人口を養う蓄えは尽き、かといって周辺には大量の移民を受け入れる余地がない。

 大都市は小さな災害には耐えられるけど、大きな災害が来たら立ち直れない。

 本書は、そこまでしか書いていない。「都市化が進んだ現代って、ヤバくね?」とは、書いていない。が、少しでも想像力があれば、そういう恐怖がジワジワと湧き上がってくる。

 この本が描くのは、幾つもの文明の勃興と滅亡だ。パターンはだいたい決まっている。気候のいい時に文明と都市が栄え、人口も増える。周囲の耕作に適さない土地も、開墾や灌漑で耕地に変え、更に人口が増える。だがやがて気候が変わり…

 この気候の変わり方が、制御はおろか予想すら難しい。1783年のアイスランドのラーキ火山の噴火は、ヨーロッパばかりか日本にも天明の飢饉をもたらした。前11000年のシリアのアブ・フレイラの干ばつは、もっとややこしい。

 北アメリカ大陸中央、五大湖の西、カナダとアメリカの国境近く。当時はアガシー湖があった。その北にはローレンタイド氷床が広がっていた。

 地球が温かくなり氷床が解け始め、アガシー湖に解けた水が流れ込む。湖は広がり五大湖へと注ぎこみ、果てはラブラドル海(カナダとグリーンランドの間,→Wikipedia)へと向かう。これは北上していた暖流のメキシコ湾流を止め、ヨーロッパの気温を下げ、東地中海に干ばつをもたらす。

 北アメリカの湖が、シリアに干ばつを引き起こしたのだ。ここまで複雑なメカニズムは、予測のしようもない。まあ遠い未来なら、量子コンピュータの莫大な演算量でどうにかなるかもしれんが…

前一万年前から前四千年までは地球の軌道パラーメーターが変化したおかげで、夏の気温が上がり、降雨量も増えたことがわかる。こうした変化によって、北半球は以前よりも7%から8%は多く、太陽放射にさらされるようになった。
  ――第7章 干ばつと都市 紀元前6200年~前1900年

 とかになると、もうお手上げだ。なんたって原因は地球の軌道なんだから。地表というのは、意外と気候の変動が激しいのだ。こんな所に大都市を築くなんて頭がイカれている。せめて太平洋上に移動可能な洋上都市を…

 すんません。妄想が暴走しました。

 そんな風に、気候の変化が人類を西に東に南に北にと拡散させ、都市を興しては滅ぼしていく過程を、じっくりと描いたのがこの本だ。もちろん、単に過程を描くだけではなく、それをどうやって調べ裏付けたかも、面白い話がいっぱいだ。

 わかりやすい所では木材の年輪や遺跡から出た遺物があり、また地底・海底のコアからの同位元素比率の測定や黒曜石の微量元素など、先端科学を駆使した手法も出てくる。甲虫や花粉、スズメやネズミの骨など、生物の遺物を元にした推定も意外性に溢れている。

 地理的に地中海近辺とアメリカ大陸に偏っていて、東南アジアと中国がほとんど出てこないのは寂しいが、スケールは微量元素から太陽黒点までと融通無碍で、それに翻弄される人類の姿は逞しくもあり切なくもあり。特にSF者にはツボを刺激され妄想が止まらない困った本だった。

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2018年7月 1日 (日)

アナスタシア・マークス・デ・サルセド「戦争がつくった現代の食卓 軍と加工食品の知られざる関係」白揚社 田沢恭子訳

(湾岸戦争の掩蔽壕で米軍)兵士たちが分け合った食料――数年前につくられたビーフパティとブラウンソースがレトルトパウチに入ったもの――は、自宅の冷蔵庫や食器棚に入っている食べ物とはまるで無縁のもののように思われる。
  ――第1章 子どもの弁当の正体

戦闘食糧配給局キャシー=リン・エヴァンゲロス「賞味期限は摂氏27℃で三年としています」
  ――第2章 ネイティック研究所 アメリカ食糧供給システムの中枢Ⅰ

別の分子から電子をもらう分子を酸化剤、電子を与える分子を還元剤という
  ――第5章 破壊的なイノベーション、缶詰

「現在の私たちが口にする食品の多くや、受容性や簡便性という概念、それに食品の安定性は、すべて戦争を背景として陸軍需品科が生み出したものなのだ」
  ――第6章 第二次世界大戦とレーション開発の立役者たち

念のための備えとして、ネイティック研究所はフリーズドライほど大がかりで高価な設備を必要としない、水分を含んだ食品の研究も行っていた。その食べ物とはドッグフードだ。
  ――第7章 アメリカの活力の素、エナジーバー

戦場に配置されてレーションばかり食べる兵士の場合、ゴミの量は通常の10倍にもなる。
  ――第10章 プラスチック包装が世界を変える

第二次世界大戦は、戦地の兵士の食事が一般市民と著しく異なり、食べるものはほぼすべて加工食品からなるレーションだったという点で、過去に例のない戦争だった。
  ――第12章 スパーマーケットのツアー

リンゴやバナナなど、収穫後に成熟するクリマテリック型果実と呼ばれるものはエチレンを大量に放出する。エチレンは1ppmの濃度でも、一緒に運ばれているレタスすべてを一日で堆肥の山送りにしてしまう。
  ――第13章 アメリカ軍から生まれる次の有力株

イラク戦争とアフガニスタン戦争は、(略)護衛付きの輸送車隊の車両の七割が給油車だった。基地へ届ける燃料一ガロンにつき、輸送のために燃料を七ガロン使っていた。
  ――第13章 アメリカ軍から生まれる次の有力株

料理というのは、先に音楽がたどったのと同じ道を歩んでいて、いわば死にかけのアートだ。内輪の個人的なもの――曽祖父母の世代は自分たちで歌を歌ったり楽器を演奏したりしていた――から、大勢で共有する商業的なものへと移り変わってきている。
  ――第14章 子どもに特殊部隊と同じものを食べさせる?

【どんな本?】

 著者は料理が好きで、学校に通う子には手作り弁当を持たせた。後にフードライターとして取材を重ねるうち、困った事実を掘り起こしてしまう。手作り弁当は、幾つかの点で学校給食に及ばない。鮮度はともかく、栄養価でも環境負荷でも。

 インスタントコーヒー・クラッカー・ハム・パンなど、多くの加工食品は賞味期限が異様に長い。レトルト・パックもそうだ。これらの秘密を探る著者は、やがて合衆国陸軍の一部署にたどり着く。スーパーに並ぶ加工食品が使っている技術の多くは、もともと軍用だったのだ。

 部署の名は、ネイティック研究所。

 遠い異国で戦う将兵も、食べなければ戦えない。だが熱帯のジャングルでは何もかもがすぐに腐り、熱砂の砂漠では干からびる。ゲリラ戦は輸送隊を襲うのが常道だ。イラクやアフガニスタンでは、前線まで物資を届けるのも一苦労である。かといって食事がマズければ、将兵は戦意を失う。

 だから、将兵が持ち歩くレーションは、運びやすく長持ちし、栄養価が高く美味しくなければならない。

 これらの目的を達成するために、どんな困難があり、どんな技術で乗り越えたのか。そもそもなぜ食品は劣化するのか。そこには、どんなプロセスが働いているのか。軍用の技術をどのように民間移転したのか。それはどんな食品に使われているのか。それは安全なのか。

 私たちが毎日気づかずに使っている身近な軍用技術について、その歴史的経緯から科学的な原理までを、熱心な取材と調査で明らかにした、衝撃のルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Combat-Ready Kitchen : How the U.S. Military Shapes the Way You Eat, by Anastacia Marx de Salcedo, 2015。日本語版は2017年7月20日第一版第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約320頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント45字×19行×320頁=約273,600字、400字詰め原稿用紙で約684枚。文庫本なら少し厚め。

 文章は比較的に読みやすい。内容も特に難しくない。一部に好気性やフリーラジカルとか科学っぽい言葉が出てくるが、面倒なら読み飛ばしてもいい。大事っぽいのはpH(→Wikipedia)で、酸性かアルカリ性かを示す。7が中性、それより小さければ酸性、大きければアルカリ性。

 また、アメリカ人向けに書いているので、日本では馴染みのない食品も出てくる。

 その代表はエナジーバー。スニッカーズやカロリーメイトみたく棒状の加工食品らしい。調べたら特色もウリも様々で、アスリート向けプロテイン型,登山向け高カロリー,ダイエット向け低カロリー,ベジタリアン向け,フルーツ入りから版権キャラクター物まで、色とりどり。

 製品ばかりか手作り用のレシピもあるので、加工食品というより、「クッキー」や「麺」みたく食品の形態の一つ、ぐらいの位置づけなのかも。

【構成は?】

 前半は時代を辿り、中盤では個々の技術を紹介し、終盤で現在から未来を見る形。できれば頭から読んだ方がいいが、美味しそうな所をつまみ食いしてもいいだろう。

  • 第1章 子どもの弁当の正体
  • 第2章 ネイティック研究所
    アメリカ食糧供給システムの中枢Ⅰ
  • 第3章 軍が出資する食品研究
    アメリカ食糧供給システムの中枢Ⅱ
  • 第4章 レーションの黎明期を駆け足で
  • 第5章 破壊的なイノベーション、缶詰
  • 第6章 第二次世界大戦とレーション開発の立役者たち
  • 第7章 アメリカの活力の素、エナジーバー
  • 第8章 成形肉ステーキの焼き加減は?
  • 第9章 長持ちするパンとプロセスチーズ
  • 第10章 プラスチック包装が世界を変える
  • 第11章 夜食には、三年前のピザをどうぞ
  • 第12章 スパーマーケットのツアー
  • 第13章 アメリカ軍から生まれる次の有力株
  • 第14章 子どもに特殊部隊と同じものを食べさせる?
  • 謝辞/訳者あとがき/註/参考文献

【感想は?】

 自分で料理する者にとっては、美味極まりない本。軍ヲタであれ、自然食品派であれ。

 ニワカ軍ヲタとしては、将兵が飢え死にするに任せた帝国陸海軍と、食事の味にまで気を配った米軍の違いに歯ぎしりする思いだ。「われレイテに死せず」では、米軍将兵に不評だったレーションを、帝国陸軍将兵が命がけで奪う場面がある。ガダルカナルとかジンギスカン作戦とか、もうね…

 とにかくアメリカは、科学技術にかける熱意と規模、そして視野が違う。

連邦政府は、アメリカ国内で行われる科学技術関連の研究開発全体のうち、およそ1/3に資金を拠出している。(略)基礎研究においては政府の資金が59%を(略)、開発研究では(略)18%…
  ――第3章 軍が出資する食品研究 アメリカ食糧供給システムの中枢Ⅱ

 選択と集中とか言ってるどこぞの政府とは大違いだ。

 しかも、大胆に民間を巻き込んでやってる。これにも、ちゃんと意味があるのだ。予め民間に技術を移転し、大規模な製造体制を整えておけば、イザという時、素早く安上がりに軍事に転用できる。これは、いきなり巻き込まれた二回の世界大戦から学んだ教訓。こういう歴史に学ぶ姿勢も侮れない。

 民間だって、モトっが取りにくい基礎研究を、官費で賄えるなら美味しい話。上手くいけば商品化して大儲けできる。アメリカは、こういう制度作りが巧みなんだよなあ。

 とかの社会的な面も読みどころ盛りだくさんだが、賞味期限を延ばす科学・工学的な話も驚きの連続。

 まずは、時と共に食品が腐ったりマズくなるのはなぜか、食品のなかで何が起きているのかから、話は始まる。要は中で菌が暴れ出すからだ。細胞が死ぬと、酵素が細胞内の糖を乳酸に変えpHを下げ(酸性にな)ると、タンパク質が水と結合しにくくなり云々…

 やっと水が出た。昔から食品を長持ちさせる方法には、幾つかの定番があった。乾燥させる、塩や砂糖につける。いずれも食品内の水を減らし、菌が増えないようにするのだ。他にも酢漬けって手もある。強い酸性だと、菌は生きていけない。

 つまり水を減らして菌が増えないようにするってのが、保存食品の基本である。干物やインスタント・コーヒーは乾燥、塩漬け肉や砂糖漬けフルーツは砂糖や塩で水分を奪う方法。が、最近のレトルト食品は、ドロドロしてかなり水分があるよね。

 これは予め殺菌してあるから。最もわかりやすいのは缶詰で、熱で菌を殺す。常識だね。逆に冷凍庫に突っ込む手もあるが、往々にして港にコンテナが放置されたりするんで、あまし信用できない。

 またジュースや牛乳を沸騰させたり凍らせたりしたら、味が変わってしまう。そこで高圧加工だ。菌だって、高圧にさらされれば死ぬ。どれぐらいかというと、「1セント硬貨の上にミニバンを20台積み重ねたぐらい」の圧力をかける。

 などの調理法に加え、レトルト食品用パウチのハイテクぶり、サランラップやアルミホイルなどの包装材、レタスを腐らせるエチレンをソーラー発電で分解するハイテク・コンテナなど、包装や輸送の技術は、私たちの身のまわりにセンス・オブ・ワンダーが溢れている事に改めて気づかせてくれる。

 他にも人類定住の異説やマックリブの秘密など、小ネタには事欠かない。軍ヲタに、料理好きに、お菓子マニアに、SF者にと、様々な人にお薦めできる、一冊で二度も三度も美味しいお得な本だ。

 でもパンの長期保存は難しいらしい。

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