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2018年5月の13件の記事

2018年5月29日 (火)

大江健三郎「同時代ゲーム」新潮社

とんとある話。あったか無かったかは知らねども、昔のことなれば無かった事もあったにして聴かねばならぬ。
  ――第二の手紙 犬ほどの大きさのもの

【どんな本?】

 メキシコの大学で日本の文化を教える男が、六通の手紙を送る。彼は四国の山奥で生まれ育った。幼い頃より父=神主から伝えられた、村=国家=小宇宙の神話と伝説を、記す時がついに来たのだ。「壊す人」の巫女となった双子の妹に宛て、彼は創建のいきさつから語り始める。

 創建者たちは、藩から追放された者たちだった。港から船に乗せ海に追いやられた者たちは、藩を欺いて、隠れた河口を見つけ出し川を遡り、山奥へと向かう。行く手をふさぐ大岩塊または黒く硬い土の塊りを爆破し、伝説の地となる谷間と「在」にたどり着く。

 悪臭と大雨と洪水に始まる開拓。村=国家=小宇宙の社会に破壊と創造をもたらす大怪音。幕末から維新にかけての三度の一揆。維新政府に対し独立を守る策略。大日本帝国を相手に戦った五十日戦争。

 そんな伝説の中で、創造の神話から全体を通し、何度も再生を繰り返すように異様な存在感を誇る「壊す人」。それぞれの家に祀られているメイスケサン。村=国家=小宇宙と、それを囲む森をめぐる「死人の道」。森の奥にひそむ怪物フシギ。そして、父=神主から始まる、彼ら家族の生涯。

 大江健三郎の奔放な想像力が紡ぎ出す、壮大で生命力に満ちた物語を、双子の兄が妹に送る手紙の形で綴る、奇想天外なファンタジイ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 1979年11月25日初版発行。私が読んだのは1979年12月20日の2刷。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約487頁に加え、巻頭に大江健三郎と加賀乙彦の対談「現代文明を風刺する」8頁を収録。9ポイント43字×21行×487頁=約439,761字、400字詰め原稿用紙で約1,100枚。文庫本なら上下巻でもいい分量。なお、今は新潮文庫より文庫版が出ている。

 文章は比較的にこなれている。が、物語そのものは、かなり読みづらい。

 まず、幾つもの話を並行して語っていて、時系列的も混乱していること。書き手の近況,書き手や家族の過去,村=国家=小宇宙の歴史上の様々な事件などが、ブツ切りになって出てくるので、物語や登場人物の全体像が掴みにくい。

 また、近親者に向けた手紙の形をとっているためか、最初のうちは意味不明な言葉や文章が、説明なしにポンポン出てくる。特に最初のうちは背景事情も掴めないので、かなり辛抱強く読む必要がある。

 加えて、一人称の物語でもあり、語り手が少々信用できない。加えて…

【感想は?】

 許容量の広いSFでさえ持て余しかねない怪作。

 敢えてレッテルを貼るなら、民話風ワイドスクリーン・バロック大作とでも言うか。語られる物語、描かれる情景は、四国の山奥なんて狭くるしい舞台ながら、奇想に満ちており、時として壮大ですらあったり。

 四国の山奥なんてキーワードは、いかにも陰惨な猟奇の匂いがする。が、それより、隔離された一種のユートピアを成立させうる場所として選んだようだ。というか、単純に著者が四国を好きなのかも。

 確かにいきなり「恥毛のカラー・スライド」とか出てくるし、語り手がやたらと妹の尻にこだわっていたりと、そういう要素はある。また舞台となる村=国家=小宇宙も、最初は悪臭漂う地だったように、糞尿ネタもちょくちょく出てくる。

 が、いずれも、あまり暗い雰囲気はなく、旺盛な生命力の一つの側面だったり、または再生に必要な肥えのような役割だったり。

 それより何より、個々のエピソードが、とにかく波乱万丈にして奇想天外。舞台のを見つける場面からして、娯楽映画に欠かせない大爆破・大洪水で始まるし。今思えば、これも小宇宙の誕生に相応しいビッグバンを象徴しているのかも。

 その後も、活力を持て余す巨人やら、大怪音やら、冬眠機械やら、五十日戦争やらと、奇矯な話が続々と、ただし語り手の近況報告を交えながら、次々と出てくる。

 中でも痛快なのが、五十日戦争だろう。

 時は太平洋戦争開戦の前夜。それまで村=国家=小宇宙は、政府を謀り半ば独立を維持してきた(この策略も実に無茶苦茶で楽しい)。しかし挙国一致を求める大日本帝国は、支配を強めんと一隊を差し向ける。これに対し独立を守ろうと住民たちは立ち上がり…

 やたらと個性的な登場人物たち、地の利を生かした住民たちのゲリラ戦術、それに翻弄され散々な目に合う軍の将兵、彼らを率いる生真面目な「無名大尉」。遊びを応用した攪乱作戦で活躍する子どもたちや、俘虜になってさえ尋問者を翻弄する大人たちが、いかにもこの地の住民らしくていい。

 そして、そんな村=国家=小宇宙の歴史を通じ、何度も蘇るかに見える創建の立役者「壊す人」。

 名前すら残っていないってのも不思議だし、呼び名の「壊す人」ってのも何か奇妙だ。が、時代の節目に現れては今までの社会構造を変える役割を果たすわけで、そういう意味では「壊す人」でいいのかも。そもそも最初の活躍からしてアレだし。

 などの神話・伝説と共に、語り手の近況も綴られてゆく。これまた最初のうちは何がなんやらよく分からないんだが、家族の生い立ちと近況に至るに従い、彼ら家族の個性的ながらもエネルギッシュな生き方が見えてくる。

 これも今から思えば無茶苦茶なようだけど、「麻雀放浪記」とかを読むと、戦後の混乱期はそんなもんだったんだろうなあ、と思ったり。

 いずれにせよ、語られるのは神話と伝説だ。真偽を突き詰めてもしょうがない。そもそも一人称の語りだから、信用性には疑問があるし、冒頭の引用にあるように、創られまたは飾られたエピソードもある。ばかりか、次第に明らかになるように、語り手に伝える父=神主もまた…

 と、語り口のトリックも相まって、読み解くのは相当にシンドい。特に序盤は、「壊す人」らの前に立ちふさがる「大岩塊または黒く硬い土の塊り」がごとき難所が続く。が、その奥に潜むイメージの奔流は、風刺なんて言葉に収まるほど可愛いシロモノではなく、夜ごと脳内で暴れまわりかねない凶暴さを秘めている。

 読尾見通すにはそれなりの覚悟と時間が必要だ。気力体力を充実させて挑もう。

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2018年5月24日 (木)

マリオ・リヴィオ「なぜこの方程式は解けないか? 天才数学者が見出した[シンメトリー]の秘密」早川書房 斉藤隆英訳

対称性は、科学と芸術、心理学と数学の橋渡しをする最高のツールだ。
  ――1 対称性

電子や陽子を多くもつ原子ほど、原子核と電子の間に働く電気的引力は強くなるため、水素原子より酸素原子は小さく、ウラン原子はさらに小さくなると考えられる(略)。ところが、事実はまるで違うことが実験から明らかになっている。電子の数に関係なく、原子の大きさはおおむね同じとわかっているのだ。
  ――1 対称性

どんな系でも、すべての対称変換の集合は必ず群になる。
  ――2 対称性を見る心の目

エヴァリスト・ガロア「私が提案した一般的命題は、それを応用するだれかが私の著作を念入りに読んだときに初めて完全に理解できるだろう」
  ――5 ロマンチックな数学者

アンリ・ポアンカレ「どんな数学も群の問題」
  ――6 群

「群が現れるか導入できるところでは必ず、混沌から単純さが結晶化した」
  ――7 対称性は世界を支配する

バートランド・ラッセル「物理学が数学的なのは、われわれが物理学の世界をよく知っているからではなく、ほとんど知らないからである。我々に見いだせるのは、物理学の数学的特性だけなのだ」
  ――8 世界で一番対称なのはだれ?

創造性で一番肝心なのは、一般の思い込みを打ち破り、既存の発想から抜け出す能力と言っていい。
  ――9 ロマンチックな天才へのレクイエム

【どんな本?】

 二次方程式 ax2 + bx + c = 0 となる x は、( -b ± ( b2 -4ac )(1/2) ) / 2a で計算できる。「解の公式」として有名な式だ。三次方程式と四次方程式の解き方は、16世紀にジェローラモ・カルダーノ(→Wikipedia)が著作「アルス・マグナ」で公にした。では、五次方程式は?

 この問題に挑んだ者は多い。中でも19世紀の若き天才二人、ニルス・ヘンリック・アーベル(→Wikipedia)とエヴァリスト・ガロア(→Wikipedia)は、画期的な方法で取り組む。特にガロアは、20歳そこそこで群論(→Wikipedia)への道を切り開く。

 これは後の数学に大きな変革をもたらすばかりでなく、物理学・言語学・文化人類学など数多の学術分野に多くの示唆を与え、偉大な発見の礎となる理論だった。

 方程式の解法が、結婚相手の決め方やルービック・キューブ、そして宇宙の姿と何の関係があるのか。ガロアは何を成したのか。そして、偉大な業績を残す天才には、どんな性質が備わっているのか。

 群論の誕生から現在までの成長を、「対称性」をキーワードとして語ると共に、若くして非業の死を遂げたエヴァリスト・ガロアの生涯を辿る、一般向けの数学の解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Equation that Couldn't be Solved : How Mathematical Genius Discovered the Language of Symmetry, by Mario Livio, 2006。日本語版は2007年1月31日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約361頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント45字×20行×361頁=約324,900字、400字詰め原稿用紙で約813枚。文庫本なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらいの分量。

 文章そのものは比較的にこなれている。意外と数学の能力は要らなくて、中学卒業程度でも充分についていける。私も二次方程式の解の公式はほとんど忘れていたが、それでも充分に楽しめた。

 ただし、群論を述べる所は、ややこしい言い回しが付きまとう。あくまでも「ややこしい」のであって、「難しい」わけじゃない。中学生程度の数学についていける人なら、あせらずじっくり読めば、群論の雰囲気は掴める。

 もっとも、あくまで雰囲気であって、群論そのものがマスターできるわけじゃない事は、念のためにお断りしておく。

【構成は?】

 ややこしい群論の雰囲気を伝えるため、全体の流れを工夫しているので、素直に頭から読もう。

  • はじめに
  • 1 対称性
  • 2 対称性を見る心の目
  • 3 方程式のまっただ中にいても忘れるな
  • 4 貧困に苛まされた数学者
  • 5 ロマンチックな数学者
  • 6 群
  • 7 対称性は世界を支配する
  • 8 世界で一番対称なのはだれ?
  • 9 ロマンチックな天才へのレクイエム
  • 訳者あとがき
  • 図版・引用出典/参考文献
  • 原註/付録

【感想は?】

 この本の面白さは、陰謀論に似ている。

 世の中には、いろんな問題がある。陰謀論は、一つの仮説で全ての問題を説明してしまう。曰くアトランティス、レムリア、ニャントロ星人…。

 ニャントロ星人ぐらい間抜けな名前ならネタだと思えるが、現実に居る人間だと、なんだか本当っぽい反面、その被害も冗談じゃ済まないんだが、それは置いて。多くの問題を解決できる一つの道具を手に入れた時、ヒトは強い高揚感を味わう。

 ナスカの地上絵は、地上からじゃ見えない。あまりに大きいので、上空から見ないとパターンが見えてこないのだ。あれを見るには、視点を変えなきゃいけない。大きなパターンを見つけるには、高い視点が必要なのだ。

 私のような駄目プログラマは、個々の問題を解くプログラムを作る。優れたプログラマは、多くの問題に共通するパターンを見つけ出し、そのパターンを解くプログラムを作る。更に優れたプログラマは、多くのパターンに共通するパターン=メタパターンを見つけ出し、メタパターンを解くプログラムを作る。

 駄目プログラマは個々の問題視か見ない。優れたプログラマは、問題からパターンを見出す。そして更に優れたプログラマは、パターンのパターンを見出す。優秀なプログラマは、視点が違うのだ。よりメタな視点で問題を見る者が、より優れたエンジニアとなる。

 ガロアは、これを数学の世界でやった。数学そのものを数学したのだ。その結果が群論だ。この本は、そういう物語だと、私は読んだ。

 群とは何か。これは2章に説明がある。私なりに説明してみよう。以下4つの条件をすべて満たすものが、群だ。ここでは整数と加算(足し算)からなる群を例に挙げる。整数を元、加算を操作と呼ぶ。

  1. 閉包:整数と整数を足したら、結果は必ず整数になる。
  2. 結合法則:どんな順番で足しても結果は同じになる。(x+y)+z=x+(y+z)。
  3. 単位元:x+a=xとなるaがある。整数だと0がソレ。
  4. 逆元:すべてのxは、x+y=0(単位元)となるyを持つ。整数だと、+2の逆元は-2。

 以上の4つを満たすシロモノを群と呼び、群の性質を探るのが群論だ。たぶん間違ってるけど←をい

 これの何が凄いかというと、これは数学そのものを表しているからだ。

 どんな論理体系であれ、それが群を成しているなら、群論で結果を予言できる。代数はもちろん、幾何学・集合論・論理学など、数学のあらゆる分野に群論は応用できる。「元」と「操作」に、いろいろなモノを当てはめていけばいい。

 今まで「四色問題」や「史上最大の発明アルゴリズム」を読んでもピンとこなかったが、多分これは群論が絡む所で躓いてたんだろうなあ、と今さらながらに思い知った。もっとも、プログラムにバグが一つとは限らないように、他にも躓きのもとはあるのかも知れないが。

 これは幾何学にも応用できて、ルービック・キューブにも群論は応用できる。グラフ理論に応用したのが、「バースト! 人間行動を支配するパターン」や「複雑な世界、単純な法則」や「スモールワールド・ネットワーク 世界を知るための新科学的思考法」だろう。

 また、「元」をデータに、「操作」を「演算子」や「関数」に当てはめれば、これはコンピュータのプログラムそのものだ。LISPには関数を返す関数なんてのもあるから、関数を元に組み込むと、更に世界は広がる。オラ、なんだかワクワクしてきたぞ。

 など、とんでもなく広い世界を、5次方程式の解法を求める過程で、ガロアは見つけてしまった。今まで「ガロアは天才だ」と言われてもピンとこなかったが、この本でその片鱗が掴めた…ような、気がする。

 終盤では、ガロアが切り開いた世界が、音楽や物理学にまでつながっていた由を説き、また天才が備える性質にも切り込んでゆく。ジミヘンやプリンスも、ある点じゃガロアに似てるなあ、と思ったり。

 世界の謎を解く鍵を与えてくれるという点で、この本は陰謀論に似ているし、読んでいる最中の高揚感も同じだ。残念ながら群論そのものについては雰囲気しかつかめないが、その面白さは充分に伝わってくる。世界の謎に迫るワクワク感が好きだけど、群論は知らない人にお薦め。

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2018年5月21日 (月)

ジャック・ヴァンス「魔王子シリーズ5 夢幻の書」ハヤカワ文庫SF 浅倉久志訳

トリーソングの活動範囲はオイクメーニ全域にまたがっている。<圏外>へ足をのばすことはめったにない。“超人たちの王”と自称したことでも知られている。
  ――p9

「いかにもハワードらしいじゃない? あの子はいつも惜しいところでしくじるのよね」
  ――p214

【どんな本?】

 色とりどりの生態系・社会・文化・風習を創り出し、見事なディテールで成立させてしまうSF作家ジャック・ヴァンスによる、5巻に渡るスペース・オペラ・シリーズ完結編。

 人類が恒星間宇宙へと進出した遠い未来。人類はオイクメーニ宙域に発展した社会を築くが、その権威が及ばない<圏外>にも、様々な社会が広がっている。

 ある日、<圏外>のある惑星の町マウント・プレザントが襲われた。首謀者は魔王子と呼ばれる五人。少年カーズ・ガーセンは、祖父と共にからくも生き残る。二人は復讐を誓い、祖父は少年を殺人者として鍛え上げる。やがて祖父は亡くなり、成長したカース・ガーセンは復讐の道を歩み出す。

 災厄のアトル・ラマゲート、殺戮機械ココル・ヘックス、ヴィオーレ・ファルーシ、<巨鳥>レンズ・ラルクと四人の魔王子を倒したガーセンは、最後の一人ハワード・アラン・トリーソングの足跡を掴む。大がかりな罠を仕掛けトリーソングを誘い出そうとするガーセンだが…

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Book of Dreams, by Jack Vance, 1981。日本語版は1986年6月30日発行。文庫本で縦一段組み、本文約369頁に加え米村秀雄の解説7頁。8ポイント43字×19行×369頁=約301,473字、400字詰め原稿用紙で約754枚。文庫本としてはやや厚め。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。80年代の作品だけに、SFガジェットもあまり凝ったモノは出てこない。むしろコンピューターやデジタル通信がほとんど出てこないので、それが不自然に思えるほど。相変わらず登場人物が多いので、登場人物一覧が欲しかった。

【感想は?】

 魔王子よりカース・ガーセンの悪辣さが光ってきたこのシリーズ、最後もやっぱりガーセンが悪役w

 もっともガーセンの場合は、主人公だからなのか、一応は相手によりけりで。セコい悪党を相手に上前をハネる手口には磨きがかかってる。中盤の初頭、貧しく荒っぽい連中ばかりの惑星ボニフェースで、クソガキどもをやりこめるあたりも、実にアコギで容赦ないw ちったあ手加減してやれよw

 そんなガーセンも、今回は少しばかり痛い目を見る順番が回ってきたようで。惑星モウダーヴェルトのモーニッシュで、どんな因果か楽団員としてフルートを吹く羽目になり、しごかれる場面では、ちょっと「ザマぁw」と思っちゃったり。音楽教師ってのは、なんだってこうエキセントリックで権高なんだろうね。

 このモーニッシュの社会と風俗も、異境を描くヴァンスの腕が冴える所。風景はヨーロッパの田舎を思わせる、静かで落ち着いたたたずまい。でも、そこに住む人々は、奇妙ながらも厳格な宗教が染み込んでいて…。もっとも、敬虔な者とそうでない者がいるのは、どこでも同じだけど。

 今回の魔王子はハワード・アラン・トリーソング。ラスボスだからと期待して構えていたら、実はイタズラ好きのクソガキが、そのまんま大きくなったような奴。お菓子工場でのイタズラも、今なら電子掲示板を賑わす類のロクデもない真似だったりw

 もちろん、魔王子の名にふさわしい凶暴な事もやってはいるんだが、彼の生い立ちが見えてくるあたりから、ちょっと親しみが湧いてきたり。にしても、「夢幻の書」って、そういう意味かあ。そりゃ大事だよねえ、いろいろとw

 何かと面白い人なのは確かで。

 序盤、今回のヒロインを勤めるアリス・ロークと電話で話すあたりも、本性は見えないながら、少々イタいキャラが全開だったり。魔王子とまで呼ばれるお方が、電話口でそこまでやりますかw 部下が聞いたら、どんな顔するんだろう。案外と「またか」で済んじゃったり。それはそれで、更にイタいけどw

 特に彼の魅力が爆発するのは、終盤での「同窓会」の騒ぎ。元イタズラ小僧の本領発揮というか、クソガキのまんま地位と名誉?を手に入れた者らしく、実にセコい目的のために準備万端整え、全力を尽くして暴れまわります。爽快な気分になるSF者も多いだろうなあw あまし白状したくないけどw

 とかのメイン・ストーリーに加えて、ちょっとしたオカズも楽しいのが、この巻。

 全20章に分かれていて、各章の冒頭に架空の本の引用が入ってる。これは舞台の惑星を紹介する旅行ガイドだったり、役割を果たすアイテムの解説だったりするんだが、特殊な果物チャールネイの紹介文が楽しい。レオン・ウォーク記者、ある意味じゃ本望かも。

 中でも、15章の冒頭、“『第九次元からの書簡』のうち、「生き神の弟子」”は、8頁に及ぶ力作で、ちゃんと起承転結があり、これだけでも独立した短編として成立しちゃってる楽しい物語。「奇跡なす者たち」や「天界の眼 切れ者キューゲルの冒険」で見せた、ファンタジイ作家としてのヴァンスの腕が味わえる。

 かと思えば、意外な懐かしい人がヒョッコリ顔を出したり。やっぱり気に入ってたんだなあ、あのキャラ。いかにもアクの強いクセ者で、ヴァンス好みのキャラだし。ちなみにラックローズ君は幾らか苦労が報われたようです。

 「魔王子シリーズ」なんて名前に萩尾望都の華麗な表紙とは裏腹に、互いが腹に一物抱えたクセ者同士の丁々発止の駆け引きと、大掛かりな仕掛けの割にしょうもない動機のギャップが楽しい、世知に長けたヴァンスの悪知恵が光るシリーズだった。

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2018年5月18日 (金)

ジャック・ヴァンス「魔王子シリーズ4 闇に待つ顔」ハヤカワ文庫SF 浅倉久志訳

「狂人、野獣、拷問者――レンズ・ラルクはそのいずれにも当てはまるだろうが、絶対に馬鹿ではありません」
  ――p86

「あの呪われたメセル人どもは日の出に一日をはじめるんだ。きみやわたしのようなりっぱな盗賊が一日を終える時間にだぞ」
  ――p209

“悪魔と食事をするなら、柄の長いスプーンを使え”
  ――p355

【どんな本?】

 一見異様に見える世界、奇妙に思える社会や風習を、見事な筆致で本物のように描き出すSF作家ジャック・ヴァンスによる、5巻に渡るスペース・オペラ・シリーズ第四幕。

 人類が恒星間宇宙へと進出した遠い未来。人類はオイクメーニ宙域に発展した社会を築くが、その権威が及ばない<圏外>にも、様々な社会が広がっている。

 ある日、<圏外>のある惑星の町マウント・プレザントが襲われた。首謀者は魔王子と呼ばれる五人。少年カーズ・ガーセンは、祖父と共にからくも生き残る。二人は復讐を誓い、祖父は少年を殺人者として鍛え上げる。やがて祖父は亡くなり、成長したカース・ガーセンは復讐の道を歩み出す。

 災厄のアトル・ラマゲート、殺戮機械ココル・ヘックス、そしてヴィオーレ・ファルーシをも地獄に追い落としたガーセンは、次なる獲物<巨鳥>レンズ・ラルクへと迫る。貴重な鉱物デュオデシメートを産する惑星ダー・サイに手がかりを見つけたガーセンは…

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Face, by Jack Vance1979。日本語版は1986年3月15日発行。文庫本で縦一段組み、本文約605頁に加え訳者あとがき2頁。8ポイント43字×19行×365頁=約298,205字、400字詰め原稿用紙で約746枚。文庫本としてはやや厚め。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。流石に半世紀も前の作品なので、SFガジェットもあまり凝ったモノは出てこない。ただ相変わらず登場人物が多く、登場人物一覧がないのは辛い。

【感想は?】

 ヴァンスだから覚悟はしていたが、いろいろとヒドいw

 我とアクの強い人物を描くと冴えるヴァンスの筆致、今回も序盤じゃダー・サイ料理のレストラン「ティントル天蓋」での軽いジャブで肩慣らし。

 ここを切り盛りする女将さん、愛想は悪いが威勢はやたらといい。というか、客に売るのは料理より喧嘩って感じのキレのいい啖呵が次々と飛び出す。ウェイトレスも女将に負けず劣らずの喧嘩腰な上に、出てくる料理がこれまたアレでw よくこれで商売になるなあw ラックローズ君こそいい迷惑だw

 ここで未だ見ぬダー・サイの風俗に期待を膨らませつつ、次に出てくる巡回裁判の様子も、妙にしゃっちょこばった司法関係者の立ち居振る舞いを徹底して茶化してたり。まあ確かに裁判で“天秤”が象徴になるのはわかるけど、そこまでやるかw

 さて、三部構成のこの巻、第1部の「ティントル天蓋」で膨らんだ期待に応えてくれるのが、続く第2部。舞台は貴重な鉱物デュオデシメートを産する灼熱の惑星ダー・サイ。あのレストランに相応しく、荒々しく油断のならない世界で。

 なんたって、観光名所が“絞首台”,“電気石の塔”,“サソリの園”…。まあ、そういう物騒な所です。おまけに、なぜレストランの名前が「ティントル天蓋」なのかも、スグにわかる親切設計。

 ここでは最初に出てくるティッピン君からして、「地元の事情に通じていて愛想もよく、役には立つが油断はできない現地のガイド」な様子がよくでてる。こういう輩を丁々発止の駆け引きで巧いこと使いこなす、ガーセンの軽妙なやり取りが楽しめる。

 もっともダー・セン編じゃティッピン君はホンの前菜で、メインディッシュは株券の争奪戦。やはり欲深で疑い深いダー・サイ人と、彼らに輪をかけて悪辣なレンズ・ラルク一味を相手に、ガーセンの口八丁手八丁なペテンが読みどころ。

 そんなガーセンが本領を発揮するのが、ダー・サイの人気競技ハドールの場面。一種のバトル・ロイヤルですね。プロレスのバトル・ロイヤルもそうなんだけど、必ずしも格闘で最強の者が生き残るとは限らないのが、この手の競技の面白い所。

 もともとペテンと欺瞞の世界ダー・サイだけに、ここでも互いが手を組んでは裏切っての油断も隙もないバトルが繰り広げられる。誰がいつ裏切るか、一瞬の判断で形勢がガラリと変わる狐と狸の化かし合い、こういうのを書いたら、ほんとヴァンスは巧い。

 そしてお待ちかね、衝撃のラスト。魔王子レンズ・ラルクの目論見やいかに…って、これがほんっとにしょうもないw いやまあ、そういう真似をしたくなる気持ちはわからんでもないが、そうまで準備万端整えてやる必要があるのか? あるんだろうなあ、レンズ・ラルク的にはw

 ちなみに私はレンズ・ラルク、プロレスラーのキラー・カーンを思い浮かべながら読みました。

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2018年5月15日 (火)

ジャック・ヴァンス「魔王子シリーズ3 愛の宮殿」ハヤカワ文庫SF 浅倉久志訳

「コイン・ツリーとも、役立たずの木とも呼ばれています。基材としても発効剤としても、まるっきり無害なんですよ」
  ――p20

「若い頃?」ナヴァースは唾を飛ばした。「わしは一生かけて無茶をやらかしてきた!」
  ――p145

「美はそれを見るものの目に存在する」
  ――p183

「どうか謎をたもってくださいますように。これは全員で演じるゲームとお考えください」
  ――p245

【どんな本?】

 センス・オブ・ワンダーあふれる異星の風景や生態系、そして奇想天外な制度や社会を、見てきたように余裕たっぷりに描き出すジャック・ヴァンスによる、5巻に渡るスペース・オペラ・シリーズ第三幕。

 人類が恒星間宇宙へと進出した遠い未来。人類はオイクメーニ宙域に発展した社会を築くが、その権威が及ばない<圏外>にも、様々な社会が広がっている。

 ある日、<圏外>のある惑星が襲われた。首謀者は魔王子と呼ばれる五人。少年カーズ・ガーセンは、祖父と共にからくも生き残る。二人は復讐を誓い、祖父は少年を殺人者として鍛え上げる。やがて祖父は亡くなり、成長したカース・ガーセンは復讐の道を歩み出す。

 災厄のアトル・ラマゲート、次いで殺戮機械を擁するココル・ヘックスを片づけたガーセンは、次なる獲物ヴィオーレ・ファルーシを追う。毒匠の里サルコヴィーに手がかりを見つけたガーセンは、ファルーシの過去を嗅ぎ当て…

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Palace of Love, by Jack Vance, 1967。日本語版は1985年11月30日発行。文庫本で縦一段組み、本文約305頁に加え訳者あとがき2頁。8ポイント43字×19行×305頁=約249,185字、400字詰め原稿用紙で約623枚。文庫本としては少し厚め。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。流石に半世紀も前の作品なので、SFガジェットもあまり凝ったモノは出てこない。ただ相変わらず登場人物が多く、登場人物一覧がないのは辛い。

【感想は?】

 尻上がりにジャック・ヴァンスの意地悪さが光り出してきた。

 冒頭、サルコヴィーの描写が、宇宙港にたどり着いた所からして、生活感があふれ出ていて生々しい。かつて船員として世界を巡った経験が活きているんだろうか。

 というのも。少人数で途上国を旅した経験のある人にはお馴染みの風景なんだが、ゲートを出たとたんに、自称ガイドに取り囲まれてしまう。当然、向こうも商売なので、口先は親切だが、考えていることは似たようなもんで…。

 とまれ、さすが毒匠の里サルコヴィー、売り込み文句が一味違う。お土産としちゃ確かに珍しいが、親しい人に贈るにはちょっとw

 この後、ガイドとなったエーデルロッドと丁々発止のやり取りも、口ぶりこそ紳士的なものの、互いに相手の腹の底を見透かしながらの陰険で絶妙なやりとり。ガーセン、地元を見られちゃ困ると思ってるのか、または交渉自体を楽しんでるのかw

 やがて今回の獲物ファルーシの過去にたどり着くんだけど、過去を知る者の境遇を描くところが、実に嫌な感じで苦しかった。遠未来を舞台としたSFだというのに、現代日本の重大問題を鮮やかに皮肉ってるのだ。これ書いた時のヴァンスは夢にも思わなかっただろうってのが、更に悲しい。

 というのは置いて。この巻でのスターは間違いなく詩人ナヴァース。何度かの浮き沈みを繰り返し、今はドン底のハウスボート暮らし。となりゃ拗ねて困った人になっていそうなもんだが。あ、いや、確かに口の減らない困った爺さんなんだが、なんか憎めないのだ。

 もちろん、現実に身近にいたら困るタイプなんだけど、傍から見ている分には「次に何をやらかすか楽しみ」というか。遊び相手としては実に頼もしくて、人生の楽しみ方を知り尽くしているタイプ。ただ費用対効果とか計画性とかの概念は微塵もないってのが、ねえ。

 彼が手掛けるパーティーは見事ながら、そのオチも無茶苦茶w よくこんなあくどいイタズラを考えたもんだw ダン・シモンズの巨編「ハイペリオン」に出てくる詩人マーティン・サイリーナスは、ナヴァースがモデルなんじゃなかろか。

 そして、おったまげるのが、ファルーシの本拠地の税制度。

 前巻の<交換所>も、「おい、いいのか?」と本能的に突っ込みたくなるが、理屈を知ればなんか頷ける妙な合理性があった。それはここの徴税所も同じで、反射的に「おいおいw」と言いたくなるが、確かに充分な税収が見込める上に、たいていの奴は喜んで支払ってしまう困った制度だ。さすが魔王子w

 そして、あまりにも酷いのが、ファルーシへの復讐。

 いや確かに奴がやらかした事は悪辣だし、許せることじゃない。が、奴が非行(と言うには凶悪すぎるけど)に走った原因は、なんか同情したくなるってのに、最後の最後にこの仕打ちは、あまりにもあんまりだw

 タイトルといい表紙といい、微妙に詐欺っぽい感じがするけど、それもまたヴァンス。騙されて喜ぶアレな趣味の人向けの、軽い娯楽作品。

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2018年5月13日 (日)

ジャック・ヴァンス「魔王子シリーズ2 殺戮機械」ハヤカワ文庫SF 浅倉久志訳

狼星からコースをとろう
アケルナルの北寄りに
いちばん外まで飛んでいけ
サンバーの光、ほら真正面
  ――p119

【どんな本?】

 センス・オブワンダーあふれる異境を描かせたらピカ一の作家、ジャック・ヴァンスによる5巻に渡るスペース・オペラ・シリーズ第二幕。

 人類が恒星間宇宙へと進出した遠い未来。人類はオイクメーニ宙域に発展した社会を築くが、その権威が及ばない<圏外>へと向かう者も多い。

 五人の魔王子の襲撃により<圏外>の街マウント・プレザントは滅びた。祖父と共にからくも生き延びた少年カーズ・ガーセンは復讐を誓い、祖父は少年を殺人者として鍛え上げる。最初の標的「災厄のアトル・ラマゲート」を殺したガーセンは次の獲物ココル・ヘックスの足取りを追うが…

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Killing Machine, by Jack Vance, 1964。日本語版は1985年10月31日発行。文庫本で縦一段組み、本文約270頁に加え訳者あとがき3頁。8ポイント43字×19行×270頁=約220,590字、400字詰め原稿用紙で約552枚。文庫本としては普通の厚さ。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。半世紀の作品だけあって、あまり凝ったSFガジェットは出てこないので、理科が苦手でも大丈夫。前巻と同様に登場人物が多くいので、できれば登場人物一覧が欲しかった。

【感想は?】

 著者のエンジンが、だんだん暖まってきた感じ。

 今回の標的はココル・ヘックス、人の不安と恐怖を煽る天才だ。その居場所も正体も掴めないのは、前巻と同じ。だもんで、ガーセンはヘックスの手がかりを追い星々を駆け巡る。

 ただし、荒っぽくさびれた<圏外>が主な舞台で、西部劇の面影が残っていた前巻とは違い、この巻では都市部の印象が強く、ハードボイルド風味のタフな探偵物の空気が漂う。でもって、これが、あの傑作「宇宙探偵マグナス・リドルフ」で見せた、ヴァンスならではの底意地の悪さの萌芽を感じさせる。

 まず楽しいのが、IPCCとイタチ駆除部隊の関係。

 IPCCは星際保安協力機構、今の国際刑事警察機構=インターポールに近い。文明世界オイクメーニの広域警察機構で、<圏外>に逃げた凶悪犯を追う任務もある。ただし<圏外>だと捜査員はイタチと呼ばれ、忌み嫌われる存在。きっとお尋ね者がウジャウジャいるんだろうなあ。

 対するイタチ駆除部隊は、イタチを始末する組織。これが<圏外>唯一の星際的組織ってあたりが、ヴァンスらしい皮肉。もっとも、今のところは噂だけで姿は見せないけど。

 ガーセン君、今回はそのイタチ役を仰せつかる羽目になる。オヂサンは「何の因果かマッポの手先」なんて台詞を思い出したりして。そんなこんなで、探偵よろしく聞き込みを始めたガーセン君と、胡散臭い酒場にいる後ろ暗い心当たりが山ほどありそうな輩との、しぶとく陰険な駆け引きが楽しい。

 やはり駆け引きの妙が楽しめるのが、工場主マイロン・パッチとのやりとり。

 あの手の仕事に気が進まないあたりは悪い人じゃなさそうなんだが、秘密保持の手段を悪用するあたりっは、ちょっとw にしても、ケッタイなメカが出てくるSFは多いけど、その製造場面が出てくるのは珍しいし、ちょっと嬉しい。かなりワクワクすると同時に、ちょっと間抜けな感じが漂うのも面白い。

 などの次に、いかにもヴァンス的なのが、<交換所>ってシステム。確かにこういうのがあれば、スポンサーも滞在客にも有り難いけど、いいのかw しかもキチンと在庫処理まで考えているあたりが、ビジネスの国アメリカで書かれたSFらしいというか。

 そして最後の舞台が、ある意味じゃお馴染みの様式。読者も慣れてるもんだから、そういうモンだ、とか思いながら読んでいると…。ホント、こういう所にまで罠を仕掛けておく底意地の悪さが、いかにもジャンク・ヴァンスらしいと言うか。

 少し懐かしい感じのする、軽く読める娯楽作品。

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2018年5月11日 (金)

ジャック・ヴァンス「魔王子シリーズ1 復讐の序章」ハヤカワ文庫SF 浅倉久志訳

どの魔王子もユニークで、きわめて個性が強く、それぞれが特有のスタイルを誇示している。
  ――p215

「わたしは魔王子をことごとく破滅させたい」
  ――p267

【どんな本?】

 センス・オブワンダーあふれる異境を描かせたらピカ一の作家、ジャック・ヴァンスによる5巻に渡るスペース・オペラ・シリーズの開幕編。

 人類が恒星間宇宙へと進出した遠い未来。人類はオイクメーニ宙域に発展した社会を築くが、その法の力が及ばぬ<圏外>へと向かう者も多い。

 ある日、<圏外>のある惑星が襲われ、多くの者が殺され、生き残りは奴隷として連れ去られる。首謀者は魔王子と呼ばれる五人。少年カーズ・ガーセンは、祖父と共に逃れ、復讐を誓う。祖父は少年を殺人者として鍛え上げる。やがて祖父を喪ったカース・ガーセンは、復讐の第一歩を踏み出す。

 最初の獲物は「災厄のアトル・ラマゲート」。どんな者なのか、どこにいるのか、なかなか尻尾が掴めないアトル・ラマゲートを追うガーセンは、スメードの星で脈のありそうなネタを掴み…

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は STAR KING, by Jack Vance, 1964。日本語版は1985年9月30日発行。私が読んだのは1986年12月31日の二刷。文庫本で縦一段組み、本文約275頁に加え訳者あとがき6頁。8ポイント43字×19行×275頁=約224,675字、400字詰め原稿用紙で約562枚。文庫本としては普通の厚さ。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。流石に半世紀も前の作品だし、出てくるSFガジェットも今となってはお馴染みの効果を持つシロモノばかり。ただし登場人物が多くいので、できれば登場人物一覧が欲しかった。特にこの巻はマラゲートの正体を探るお話なので、人間関係が重要だし。

【感想は?】

 この巻は、意外とマトモなチェイス物。

 正体の掴めない敵「災厄のアトル・ラマゲート」を探り、たまたま掴んだ糸を頼りに、無法世界の<圏外>から法治社会オイクメーニへ、そしてまた<圏外>へと、宇宙を駆け巡る。

 最初の舞台は<圏外>らしい、スメードの星。ったって、住んでるのはスメード一家だけ。生物相の貧しい惑星に居を構え、レストラン&ホテルを営む。孤独を好むフィンランド人かい。でも、こういう生活に憧れる人もいるんだろうなあ。

 主役のカース・ガーセンは、探星師のフリをしてる。探星師って字面でなんとなくわかるように、いわば山師だ。金になりそうな星を探し、オンボロ宇宙船を駆って宇宙を彷徨う旅烏。どことなく薄汚くて胡散臭い商売だ。スター・ウォーズなら、ハン・ソロみたいな雰囲気なんだろう。

 ところで「探星師」みたく、目新しいけど意味は通じる言葉を創るセンスは、ベテラン訳者の浅倉久志ならでは。SFの翻訳って、言葉を選ぶだけじゃなく、創る必要もあって、けっこう大変な仕事だよね。特にジャック・ヴァンスはセンスが独特で、かなり難儀な作家だと思うんだが、どうなんだろ。

 次に出てくる「美形のヒルデマー・ダース」も、なかなか不気味な様相。いかにも悪の組織の武闘派幹部って雰囲気バリバリ。今ならCGを駆使すれば再現できるだろうけど、演じる役者はかなり苦労するだろうなあ。

 あと、肌を好きな色に染めるって文化も、魔王子世界の大きな特徴。肌を染めるのがオシャレで、無彩色は不精の印なのだ。これはもしかしたら、人種差別への密かな皮肉なのかも。

 こういった、アトル・ラマゲートを追う過程で出てくる、ユニークでケッタイな世界・社会も、ジャック・ヴァンスの欠かせない魅力。

 まずはスメードの宿で出会う、同業のティーハルトが見つけた、珠玉の惑星。雰囲気は地球に似ていて、青い空と巨木の世界。そこには「木の精」とも呼ぶべき生き物がいて…。なんかメルヘンチックだけど、連中の食事の様子は、それほど可愛らしくないのがなんとも。

 惑星ユーヴィルも、けっこう困った風習が根付いてる。都市が五つあるんだが、どの都市を訪れるにしても、それぞれの旅券が必要。そこまではいいんだが、この旅券ってのが曲者で。なんと額に五角形の刺青をせにゃならん。それぞれの都市で色が違い…。あんまし嬉しくないなあw

 これも、もしかしたら中東問題の皮肉なのかな、と思ったり。いいやイスラエルは六芒星だけど、あの辺を旅する際、パスポートにイスラエルの入国記録があると、他の国に入る際に苦労するって話があって。

 そして、原書のタイトルにもなっている、スターキング。この世界の数少ないエイリアン。その生態は謎に包まれていながらも、相当数が人類世界に入り込んでいて…

 奇矯な世界と文化、そこに住む人々の個性的な暮らしなど、SF的な小道具大道具を散りばめながらも、お話はスペース・オペラの語源となったホース・オペラ、すなわち「西部で賞金首を追う賞金稼ぎ」っぽいタフでラフなハードボイルド調で進む、わかりやすい娯楽作品だ。

 ちなみに表紙は萩尾望都です。

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2018年5月 9日 (水)

ジョン・クラカワー「信仰が人を殺すとき」河出書房新社 佐宗鈴夫訳

最近の調査によれば、世界中に、信者は千百万人以上いる。モルモン教は西半球でもっとも急成長している宗教なのである。
  ――第1章 聖徒たちの都市

ジョセフ・スミス「私は現世の人々にとって第二のマホメットになるだろう」
  ――第9章 ホーンズ・ミル

「神と対話する者は頭がおかしいという発言は、宗教界全体に大きな波紋を呼んでいる。それは、正気というものの世俗的な見方を押しつけるものであり、すべての宗教が正気でないことを意味するのだ」
  ――第23章 プロヴォの裁判

それはたぶん、自己愛性人格障害だろう。他人が規則を破ったり、不正行為をしたり、パイの分け前を多目にとったりしたと思われるときには、ナルシストはかならず独善的に怒りを爆発させる。しかし、自分がルール違反を犯しても、少しも悪いとは思わないのだ。
  ――第23章 プロヴォの裁判

(モルモン)教会の年間収入は推定で60憶ドルであり、現在、ユタ州では最大の雇用者である。
  ――第25章 アメリカの宗教

「(宗教は)多くの人々がくださなければならない重要な決定を自分でしなくてもすみますし、その決定にも責任がないのです」
  ――第26章 ケイナン山

【どんな本?】

 1984年7月24日、米合衆国ユタ州ハイランドで、母と娘が殺された。母はブレンダ・ラファティ24歳、娘はエリカ・ラファティ1歳。第一発見者はアレン・ラファティ、ブレンダの夫である。朝早く仕事に出かけたアレンは、夜八時に帰宅し、血まみれの二人を見つけたのだ。

 警察は三人の男を逮捕した。一人はリチャード・M・ナップ、宿無しの前科者。他の二人はロンことロナルド・ラファティとダン・ラファティ、アレンの長兄と次兄である。ロン、ダン、アレンのラファティ兄弟は、いずれもモルモン教の極端な原理主義に染まっていた。

 ラファティ家の惨劇の根源に迫る著者は、モルモン教の誕生と歴史、そしてヒトと宗教との関係そのものへと深く分け入ってゆく。19世紀に生まれたモルモン教は、新しいため事件などを検証しやすく、また記録を残す事を重視しているため、成立から現在までの過程が辿りやすいのである。

 惨劇の動機は何か。モルモン教とは何か。なぜロンとダンは凶行に走ったのか。原理主義の何がラファティ家の男たちを引きつけたのか。これらを追う著者は、モルモン教に限らず全ての宗教が持つ性質と向かい合う羽目になる。

 アメリカのジャーナリストが、ラファティ家の惨劇とモルモン教の歴史の二つを軸に、ヒトと宗教の関係に迫る、衝撃のドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Under the Banner of Heaven : A Story of Violent Faith, by Jon Krakauer, 2003。日本語版は2005年4月30日初版発行。単行本ハードカバー縦二段組みで本文約416頁に加え、作者の言葉8頁+高橋弘「日本語版のための解説」6頁。8.5ポイント24字×21行×2段×416頁=約419,328字、400字詰め原稿用紙で約1,049枚。文庫本なら上下巻ぐらいの分量。今は河出文庫から文庫版が出ている。

 文章は比較的にlこなれている。内容もそれほど難しくない。ただし登場人物がやたらと多く、人間関係が込み入っているので、人物一覧が欲しかった。また、モルモン教の歴史を語る所では、アメリカ合衆国の地図があると便利。あと、単位がヤード・ポンド法だ。1フィートは約30cm、1マイルは約1.6km。

【構成は?】

 先に書いたように、人間関係がややこしいので、素直に頭から読んだ方がいい。

  • プロローグ
  •   第一部
  • 第1章 聖徒たちの都市
  • 第2章 ショート・クリーク
  • 第3章 バウンティフル
  • 第4章 エリザベスとルビー
  • 第5章 第二の大覚醒
  • 第6章 クモラの丘
  • 第7章 静かなる細き声
  • 第8章 調停者
  •   第二部
  • 第9章 ホーンズ・ミル
  • 第10章 ノーヴー
  • 第11章 教義
  • 第12章 カーシッジ
  • 第13章 ラファティの男たち
  • 第14章 ブレンダ
  • 第15章 力のある強い者
  • 第16章 殺害
  •   第三部
  • 第17章 退去
  • 第18章 水では
    役に立ちそうもないから
  • 第19章 スケープゴート
  • 第20章 神の御旗のもとに
  •   第四部
  • 第21章 福音主義
  • 第22章 リーノ
  • 第23章 プロヴォの裁判
  • 第24章 大いなる恐ろしい日
  • 第25章 アメリカの宗教
  • 第26章 ケイナン山
  • 作者の言葉/謝辞/覚え書き
  • 日本語版のための解説 高橋弘
  • 参考文献

【はじめに】

 「作者の言葉」に、こうある。

宗教について書く者は、読者にたいし自らの神学的な判断基準を明確にしなければならない

 私もそう思う。著者は不可知論に近い。要は「わからん」だ。そういう人が書いた本である。

 私はスチャラカ仏教徒だ。結婚式や葬式では、そこの様式に従う。宗教とは儀式の様式や振る舞い方の流儀であり、生き方や世界観とは関係ない。神や仏は脳のバグだ。ヒトの脳は、それらをデッチあげるクセがある。つまり「ヒトはなぜ神を信じるのか」にかぶれたわけ。とりあえず、今のところは、そう考えている。

 ある宗教の歴史と、そこから派生した原理主義の一派について、不可知論者が書いた本を、無神論者が紹介する。これはそういう記事です。

【感想は?】

 モルモン原理主義者の凶行を追ったら、宗教の本質を垣間見てしまった、そんな本だ。

 いきなり驚いたのは、モルモン教といっても、一枚岩じゃないこと。最大派閥は末日聖徒イエス・キリスト教会(→Wikipedia)だが、他にもたくさんの宗派があり、「我こそは本物」と主張し、互いにいがみ合ってる。

 この本では、まず原理主義者たちの暮らしを描く。次に19世紀の教祖ジョセフ・スミスから始まるモルモン教の歴史を辿る。モルモン教は幾度も分裂を繰り返し、その過程で原理主義者たちを生み出すのだが、ここを読んでいくと、原理主義者が生まれるのは必然と思えてくるから怖い。

 ちなみに原理主義者と一言で言っても、小さな派閥が沢山あるからややこしい。加えて、この本が描く原理主義者の多くは一夫多妻で、これが人間関係、特に家族関係を更にややこしくしてる。

 ロンやダンなど原理主義者たちのやり口は、実に腹立たしい。一夫多妻はともかく、妻子を殴り、人付き合いを制限し、教育を受けさせず、テレビ・雑誌・新聞に触れさせない。ばかりか、12~3歳の娘に結婚を迫り、逆らえば強姦してでも従わせる。

 ダンに至っては、運転免許証まで「ユタ州に送りかえし」ている。明らかに頭がおかしい。

 そんな連中がカナダ・メキシコ・米合衆国に3~10万人もいるというから恐ろしい。しかも、そんな連中の一つは「年間六百万ドル以上の補助を受けているのである」。ほとんどペテンなんだが、金を受け取る側は、それが当然であり、もっと毟り取るべきと思っているんだよなあ。

 こんな連中を生み出したモルモン教の歴史は、虐殺してはされての繰り返し。

 そもそも信徒以外を「異邦人」と呼び見下す姿勢であるばかりでなく、何より一夫多妻が世間から忌み嫌われた。教祖のジョセフ・スミスからして40人の妻を娶った上に、「売春宿によく出入りしていた」というから、どんだけ精力が有り余ってるんだ。

 笑っちゃうのが、最初は「自分で神の声を聞け」と言ってたジョセフが、後で取り消したこと。だって…

神がモルモン教徒全員に直接語りかければ、ほかの者たちに告げられた相容れない真理よりも、ジョセフに啓示された真理のほうが正当なものであることを、誰が決めることになるだろう?
  ――第7章 静かなる細き声

 いくつかの意見が対立したら、どれが本物の神の声なのか、区別がつかないよね。にしても、神の声が聞こえるって、統合失調症の症状みたく思えるんだが。まあいい。これに限らず、初期の教えは幾つかの問題を抱え、後に多くの宗派に分かれる元凶を幾つか孕んでいた。

 その最大のものが一夫多妻で、当初は一部の者以外には内緒にしていたが、「調停者」なる本にコッソリ記している。また、三代目大管長ジョン・テイラーも…

「一夫多妻制は神のしきたりです」
  ――第20章 神の御旗のもとに

 と、宣言してたり。これが元で合衆国政府から睨まれ、1890年10月6日に屈服する。他にも妻子を殴って支配するのも…

ここで、妻は、従者、お手伝い、牛、馬と同様、夫の所有物であることを宣言する
  ――第8章 調停者

 と、ジョセフの教えに基づく行いであり、またダン・ラファティが運転免許証の返却も…

ダンはまた、神の法が人間の法律に優先する、とジョセフが教えていたことも知った。
  ――第13章 ラファティの男たち

 これまた、当初の教えに忠実に従っただけ。他にも黒人差別が(少なくとも)1978年まで続いてたり(黒人は神権保持者になれなかった)、今の常識からすると狂ってるんだが、そういう教えなんだから仕方がない。当然、反発をかい、無理に押し通せば合衆国を敵に回す。組織そのものを潰されたら元も子もないので、教会は膝を屈して世間に合わせる。

 だが、信心深い教徒が、モルモン教に真摯に向き合い、より純粋な教えに立ち返ろうとすると、どうしても原理主義者になってしまう。その結果、教会から叩き出される。もともと信心深い人なので、信仰は捨てられない。そこで考え方が似た同志=原理主義者に合流する。

 だが、原理主義者は、いずれも強い信念をもって独自に真理に達した人たちだ。しかも、それぞれが個々に神の声を聞いている。神が語る言葉は人によって違うが、その言葉は絶対だ。だから妥協もできず…

 などの構図が、モルモン教の歴史と、現在の原理主義者たちの生い立ちから、次第に浮かび上がってくる構成は見事。ちなみにモルモン教の経典が記す人類史も、なかなかキていて楽しい。モロナイ,ニーファイ,レーマンなどの単語も、なんかファンタジイっぽい響きがあってワクワクする。

 これだけなら「モルモン教ってなんか怖いね」で終わるのだが、最後の第四部では、そんな読者の足元を一気に突き崩すから意地が悪い。

 ここではモルモン教の歴史とラファティ兄弟の裁判が合流し、兄弟の精神鑑定をめぐって、モルモン教に限らず、あらゆる宗教に対し厳しい問いを突き付けるのだ。ここではオウム真理教による地下鉄サリン事件を思い浮かべてもいいだろう。

 ある意味、とても危険な本だ。筋金入りの無神論者か、救いようのないスチャラカ者なら、野次馬根性を満足させるだけで済むだろう。だが、真面目に信仰している人にとっては、自分だけでなく家族を巻き込んで破滅させる劇薬になりかねない。警告はした。あとは各自で判断してください。

【関連記事:ワクチン編】

 まずは毒消しや予防薬になりそうな本をいくつか。特に「ヒトはなぜ神を信じるのか」は効きます。

【関連記事:宗教編】

 次に宗教関係の本を。「カルトの子」は強烈です。

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2018年5月 7日 (月)

ココログ:カスタムCSSでタイトルバナーがリンクと判るようにする

T0  このブログの左上、タイトルバナー(右図の赤い丸の所)は、トップページへのリンクになっている。

 ここをクリックすると、トップページに飛ぶ。トップページには、最近の記事5件の全文が載っている。

 今までのデザインだと、リンクになっている事が伝わりにくい。文字の色が地の文と同じ黒なので、見分けがつかない。マウスカーソルを重ねれば、アイコンが指の形になるけど、文字の色が変わらないので、見逃しかねない。

 なんとか「タイトルバナーはリンクだ」と判るようにしたい。そこで、タイトルバナーの色を本文中のリンクと同じ色にする。また、マウスカーソルが来た時の挙動も、本文中のリンクと同じにする。つまり、カーソルを指の形にして、文字の色も緑色にする。

 タイトルバナーの色を変えるだけなら、標準の「デザイン」→「現在のテンプレートを編集」で出来る。が、マウスカーソルが重なった時に色を変える方法は見つからない。そこで、カスタムCSSを使った。

 と言っても、以下の4行を付け足すだけ。

#banner a:link    { color: #0044ff; } /* 未訪は青 */
#banner a:visited { color: #660099; } /* 既訪は紫 */
#banner a:hover   { color: #336600; } /* マウスカーソルが来たら緑 */
#banner a:active  { color: #cc0000; } /* クリックしたら赤 */

 以下が結果だ。既にトップページに来ているなら、タイトルバナーが紫色になる。

T1

 マウスカーソルを重ねると、文字が緑色になってマウスカーソルが指の形になる。

T2

 これで多少は「リンクである」由が伝わればいいんだが。

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2018年5月 6日 (日)

デイヴィッド・E・ホフマン「死神の報復 レーガンとゴルバチョフの軍拡競争 上・下」白水社 平賀秀明訳 4

「クルチャトフ研究所」に所属するロシアの指導的核科学者のひとりは、1994年3月に訪露したアメリカ代表団にこう告げている。多くの施設は保有する兵器級物質の在庫状況を全面調査したことが一度もないので、仮に何かが無くなっていても分からないかもしれないと。
  ――第21章 「サファイア計画」

 デイヴィッド・E・ホフマン「死神の報復 レーガンとゴルバチョフの軍拡競争 上・下」白水社 平賀秀明訳 3 から続く。

【どんな本?】

 1972年、BWC(生物兵器禁止条約、→Wikipedia)が調印、米ソ共に署名した。戦争目的での細菌の開発・生産を禁じる条約である。

 1979年4月。ソ連スヴェルドオルスク(現エカテリンブルク)郊外で、ヒツジやウシが死に始める。続いて人間も倒れた。彼らは病院に運び込まれたが、次々と亡くなってゆく。症状は肺炎に似て、肺やリンパ節から激しい出血がある。疫病の流行は、七週間ほど続いた。

 汚染した肉が原因である、それがソ連の公式発表だった。

 被害が出た地区から北北西1.6kmほどに、軍の施設「第19区」がある。ソ連国防省の第15総局の微生物関連施設であり、その目的は炭疽菌をふくむ致死性病原体の開発・試験センターである。当日は、施設から被害地区へと風が吹いていた。

 ソ連はBWCを破り、密かに生物・化学兵器を開発していた。ペスト、ブルセラ、炭疽などの細菌。天然痘、エボラ、マールブルグなどのウイルス。サリン、ソマン、VXなどの化学兵器。そして、半ば自動化された核による報復システム“死者の手”。

 1980年代より悪化した共産圏の経済は、1989年に東欧崩壊へと至り、1991年にはソ連邦まで崩壊してしまう。ソ連経済の約20%を占めていた軍事予算は枯渇し、国は各部門に自活を求める。核・生物・化学兵器の研究・開発・生産部門も例外ではない。

 だがビジネスに慣れぬ軍人や研究者が運営する組織は、軍事から民生への転換も上手くいかず、経営は行き詰まる。施設は老朽化し在庫管理もままならない。給与の遅配に苦しむ研究者たちは、自宅の庭で育てた作物で飢えを満たす。

 世界を見渡せば、核や生物兵器や毒ガスを求める国や組織はいくらでもある。混乱に乗じて、苦しむ研究者たちにも、「救いの手」が伸びようとしていた。

 鉄のカーテンの向こう側で行われていた狂気の兵器開発、それを管理するソ連・ロシアの疲弊しきった組織、そしてソ連軍産複合体の恐るべき遺産を描く、恐怖のドキュメンタリー。

【交渉の裏で】

 ちょうど今、はしか(麻疹)が話題になっている。生物兵器ってのは、こういう病気をワザと流行らせようという、とんでもねえ話だ。これを国家あげてのプロジェクトにしてたんだから、何を考えてたんだか。ルイセンコ論争(→Wikipedia)による遅れが、彼らを焦らせたのかもしれない。

 が、よく読むと、案外と医療に役立ちそうな話も載っている。

 兵器に望ましい菌やウイルスは、増やしやすく、害が多く、感染しやすく、タフで暑さ寒さ乾燥に強いものだ。ところが、「生産者としての特性を伸ばそうとすると、しばしば殺人者としての特性が劣化」してしまう。増えやすい=感染しやすい菌やウイルスは、症状が軽いのだ。

 抗生物質が効かない菌を作る話もあるが、これも同じ。多くの抗生物質に耐える菌は、毒性が弱まる。薬剤耐性(→Wikipedia)が問題になっているが、意外な形で解決するかもしれない。

 というか、きっと、こういう研究をしている人もいるんだろうなあ。

【ガジェット】

 これらを開発する研究者たちの工夫は、まるきしSFだ。

 病原菌の中に別の病原菌を仕込む。またはペスト菌や野兎金にジフテリアの遺伝子を組み込む。散布用の工夫もある。病原体をふくむ粒子を、重合体のカプセルでくるむ。こうすると、紫外線じゃ殺菌できない。または低空を飛ぶ巡航ミサイルから菌をまき散らす方法。

 加えて、アメリカの小麦畑を潰すため、「植物を標的とする病原体の開発」まで手掛けている。

 化学兵器では、「バイナリー」って工夫が怖い。理屈はへっぴり虫(→Wikipedia)に似てる。普段は安定した二種類の成分に分けておく。そして「最後の瞬間、砲弾や爆弾のなかで一体化して、毒のカクテルに変わる」。空港のチェックにも引っかかりにくいだろうし、テロリストは大喜びだろうなあ。

 核だって凄い。ソ連の科学者によれば、小型核はアメリカ製に比べ「重量は半分、核出力は倍」。大砲から撃ちだせる核爆弾も作ってる。

【査察】

 それでも一応BWC参加国だし、ゴルバチョフのグラスノスチもあるので、アメリカ人が査察に来る。これを誤魔化す手口も涙ぐましいというかセコいというか。

 まずは想定問答集を作り、労働者に覚えさせる。無駄な飲食やプレゼンで現場を見る時間を潰す。電球が切れていると言い訳して照明をつけず、暗くして細部を見にくくする。ペスト菌が残っていると脅して部屋に入れない。査察団ってのは、この手のインチキを出し抜く能力も必要なんだなあ。

 こういう誤魔化しは、エリツィン時代まで続いていた、と本書にはある。たぶん今でも変わっていないだろう。

【確執】

 などの情報の多くを提供したのは、科学者たちだ。彼らの愚痴は日本の企業で働く研究者・開発者もうなずくだろう。

 生物兵器開発の拠点の一つ、ナポレオンスクを仕切ったのは、ニコライ・ウラコフ少将。軍人さんだ。ところが彼は、部下の研究者たちがあまり気に入らなかった。研究者のセルゲイ・ポポフは愚痴っている。

「自分がもはや問題について行けないこと、この研究所の微生物方面のレベルがあまりに高いことに気づいたからさ」
  ――第13章 細菌、毒ガス、そして秘密

 IT開発者の皆さん、心当たりがありませんか、そんな上司。

【死者の手】

「ソ連指導部という“死者の手”が痙攣すると、核攻撃によって祖国が一掃されたあと、大規模報復攻撃が解き放たれるのである」
  ――第19章 発覚

 そして、書名にもなっている DEAD HAND。これぞまさしくSF。敵の攻撃で軍や指導部が全滅したら、自動で大量の核ミサイルを敵国に撃ち込むシステムである。ソ連は本気で作っていた。ただ、全自動とまではいかないけど。

にしても、これを秘密にしたのは、ソ連の性格だろうか。「ある」と言うから脅し=抑止力になるんで、黙ってたら意味がないと思うんだが。

 ただ、このシステムには、大きな問題があった。大韓航空機撃墜事件やルスト君の赤の広場訪問でわかるように、ソ連の警戒網はガタガタだった。中国からのミサイルでも、アメリカからだと勘違いする可能性が充分にあったのだ。

【パンドラの箱】

 それでもソ連があるうちは、一応の統制が取れていた。だがそのソ連は潰れ、混乱状態になる。独立したカザフスタン・ウウズベキスタン・トルクメニスタン・ウクライナなどは、多くの核・生物・化学兵器を抱えていた。元ソ連の国同士で争奪戦が起きてもおかしくない。

 にも関わらず、それぞれの研究・開発・製造組織は、自活を求められる。自ら商売せえってわけだ。などと言われても、今まで共産主義でやって来たので…

「利益というのは、どうやって計算するのですか?」と工場長は尋ねた。
  ――第17章 大変動

 などとお粗末な有様だ。ロシア語ができるなら、商業高校の卒業生でも経理で優れた仕事ができだろう。給料は激安だけど。追い詰められた彼らは…

「チュテク」は特別業務を売り物にしていた。化学物質や毒物からなる工業廃棄物、原子炉、その他ありとあらゆるものを、地下の核爆発で破壊して見せます――という触れ込みだった。
  ――第17章 大変動

二人きりになると、メッテは真顔になった。じつはアメリカ政府にウランを売れるかどうか、その可能性について話がしたいのだがと切り出した。
  ――第21章 「サファイア計画」

 と、無茶苦茶な商売を考え始める。しかも、ソ連の管理体制ときたら…

ソ連邦は1959年から92年まで、核廃棄物や要らなくなった原子炉を北極海に無断投棄してきた。潜水艦用原子炉12基のうち6基などは、燃料を装填したまま捨てられている。
  ――第19章 発覚

 なんてお粗末なシロモノだ。そして、火事場泥棒よろしく、この機に付け込もうとする目ざとい連中は、世界にいくらでもいる。

極端な例だが、北朝鮮がとあるミサイル設計局をまるごとリクルートしようと試みたことがあった。
  ――第18章 科学者たち

 実際、そうするだけの価値は充分にあるのだ。炎上した油田の火を消す装置を開発しちゃったり。そんな優れた人たちが、食うために庭を畑にしている状態だった。にしても、イランからのリクルートの話は、いかにもイランらしくて、ちょっと笑っちゃったが。

 って、全然笑い事じゃないんだが、そういう明るいネタで気を紛らわさないと、私の神経が持たないんです、特に第三部は。暑苦しい夏の夜に読むと、少しは涼しくなるでしょう。

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【一方ロシアは】

 とかの舌の根も乾かぬうちに、最後にロシアネタを一発。

 混乱期のロシアで宙に浮いたウランを買い取るため、アメリカからC5ギャラクシー輸送機が飛んでくる。積み終わり離陸しようとしたが、滑走路が雪に埋もれて使えない。困ったとボヤいていると、除雪車がやってきた。といってもブルドーザーじゃない。トラックだ。

 ただし、後部にジェット・エンジンを積んでいる。排気炎で雪を吹き飛ばすのだ。さすがロシア、豪快なw

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2018年5月 4日 (金)

デイヴィッド・E・ホフマン「死神の報復 レーガンとゴルバチョフの軍拡競争 上・下」白水社 平賀秀明訳 3

ミハイル・ゴルバチョフ「われわれは負ける。なぜなら、いま現在、われわれはその能力の限界点まで来ているのだから」
  ――第11章 レイキャヴィクへの道

それより何より、「サリー・シャガン」にはどうしても隠さなければならないものがあった。すなわち、ソ連の技術レベルがあまりにも立ち遅れているという、苦痛に満ちた現実である。
  ――第12章 武器よさらば

1個あたり 通常兵器 $2000
      核    $800
      化学   $60
      生物   $1
  ――第14章 失われた年

マーガレット・サッチャー「われわれはミハイル(・ゴルバチョフ)を助けなければならない」
  ――第16章 不穏な年

 デイヴィッド・E・ホフマン「死神の報復 レーガンとゴルバチョフの軍拡競争 上・下」白水社 平賀秀明訳 2 から続く。

【どんな本?】

 長く続いた冷戦のさなか、核廃絶の夢をひそかに抱くロナルド・レーガンは、やっと話の出来る相手が出てきたと思い始めていた。ミハイル・ゴルバチョフ、彼は今までのソ連の指導者とは毛色が違う、と。

 着々と改革に乗り出すゴルバチョフだったが、既にソ連を中心とした共産主義は限界に達していた。チェルノブイリの原発事故、赤の広場に降り立つセスナ機、相次ぐ亡命、そしてベルリンの壁崩壊。それらは、改革を目指すゴルバチョフの足元も突き崩してゆく。

 しかし、その陰で、人類を滅ぼしかねない凶悪な兵器の開発だけは、着々と進んでいた。

 冷戦末期、核廃絶を求めた指導者たちの姿と、機密に包まれた兵器開発やスパイ合戦の実像を描く、国際ドキュメンタリー。

【チェルノブイリ】

 確かにソ連の末期は酷かった。ほころびが見え始めたのは、1986年のチェルノブイリ原発事故だろう。

 それまでも、人の流れで揃うとでもなんとなく想像はできた。ソ連から逃げてくる人は多いが、逆は滅多にいない。向こうの暮らしは辛いんだろう、ぐらいの事は誰でも想像がつく。

 これが確信にかわったのが、チェルノブイリ原発事故だ。日本でもスウェーデンなどから汚染物質検知のニュースが入ってくるが、肝心のソ連からは何の発表もない。余程ヤバくて言えないんだろう、と私は思っていた。

 が、実態はもっと酷かった。国のトップですら、何が起きたのか分からなかったのだ。「原発所長が最初にとった行動のひとつは、チェルノブイリ周辺の不要不急の電話回線を閉じることだった」。現場の責任者が、まず隠蔽を画策したのである。そして防護服すら与えず兵を派遣する。

 などの後処理もショッキングだが、事故が起きた原因もわかりやすく書いている。

 炉に冷却水を送るポンプは電動だ。電源を切っても、惰性で暫くは回り続ける。なら、惰性で炉に冷却水を送れるんじゃね? ちょっと試してみよう。

 と思いついて試すのはいいが、現場の運転員に「どんな目的で何をするのか」をちゃんと知らせていない上に、原子炉の設計にも欠陥があった。運転員は馬鹿正直に手順書に従い…

 「いいから黙って言うとおりにしろ」と命じたくなる時は、ある。でも部下を馬鹿扱いするボスには、無能な部下しかつかないだよなあ。

【最強兵器】

 更に追い打ちをかけたのが、1987年5月に赤に広場におりたったセスナ機。かのマティアス・ルスト(→Wikipedia)君だ。大韓航空機撃墜事件もそうだが、これもソ連防空網のほころびを象徴する事件だった。

 ソコロフ国防相や防空軍のトップをはじめ、「およそ150人の上級将校」の首を飛ばしたため、西側の最強兵器なんて言われた。が、どうもゴルバチョフはこの事件を利用して軍のウザい連中を始末した気配もある。

 ちなみに当時のソ連の権力を握るのは五つの組織。曰く「国防省、外務省、KGB、軍事工業委員会、中央委員会」。日本だと財務省が最強で、経産省が二番手って感じ。国防第一のソ連、経済重視の日本と、国の性格の違いがよく出てるなあ。

【軍とカネ】

 往々にして軍は経済観念に乏しいもんだが、ソ連もご多分に漏れず。

 「セルゲイ・コロリョフ ロシア宇宙開発の巨星の生涯」でも、とにかくロケット技術は作って飛ばしの繰り返しで進むもの、みたいな大雑把な感覚で、風洞実験やシミュレーションとかのシミったれた事は一切考えず予算を湯水のごとく使う、ソ連ロケット開発の贅沢な姿を描いてた。

 これは軍も同じで「なかでも海軍は最悪だった」。タイフーン級潜水艦の発射手順訓練でも、「200室のアバートを建設できる」価格の本物のミサイルを撃ちまくる。訓練の目的は発射手順を乗員に仕込む事なので、「中にコンクリートを詰めた訓練用ミサイルでも、乗員にとっては何ら変わりがない」。

 日々やりくりに苦労している防衛相や自衛隊の人は、どう思うんだろう。

【逃した魚】

 そんな中、ソ連から逃げ出す兵器研究者たち。中でも笑っちゃうのが、ウラジーミル・バセチニク。生物兵器を統括する「バイオプレパラト」で、病原体を凝縮し、また微粒子にして噴霧する研究所の管理職。彼はフランス出張を利用して亡命するんだが…

カナダ大使館まで歩いていき、ドアをノックし、こう告げていた。自分はソ連の秘密生物兵器研究機関の科学者で、貴国に亡命したのだがと。
  ――第15章 最大の突破

 これに対するカナダ大使館は「バセチニクに門前払いを喰らわせた」。おツムがアレな人と思ったんだろうか。幸いイギリスは彼を温かく迎えたんだが、ソ連の生物兵器開発の実態を語る彼の証言に度肝を抜かれる。「そんなものはない」ってのが、ソ連の表向きの態度だったからだ。

ちなみにバックパッカーの間では、困った時に駆け込むなら日本大使館よりアメリカ大使館にしろ、なんて話もあって。日本大使館はカナダみたく追い払われるけど、アメリカはとりあえず保護してくれるとか。いや試したことはないけど、瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件(→Wikipedia)じゃ…

 その実体は、次の記事で。

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2018年5月 3日 (木)

デイヴィッド・E・ホフマン「死神の報復 レーガンとゴルバチョフの軍拡競争 上・下」白水社 平賀秀明訳 2

ロナルド・レーガン「その人間になりきるという、昔ながらの役者のテクニックを試してみた。別の人間の目から、世界がどのように見えるかを想像し、観客がそうした私の目をとおして、世界を見るのを助けるのだ」
  ――第7章 アメリカの夜明け

ロナルド・レーガン「核戦争に勝利者はなく、ゆえに決して戦ってはならないのです」
  ――第10章 剣と楯

 デイヴィッド・E・ホフマン「死神の報復 レーガンとゴルバチョフの軍拡競争 上・下」白水社 平賀秀明訳 1 から続く。

【どんな本?】

 冷戦が続く1980年代。ソビエト連邦の指導部は生気の失せた老人が支配し、あらゆる変化を頑迷に拒んでいた。増え続ける軍事負担は国家の産業構造を歪め、特に先進技術において取り返しのつかない遅れを生み出していた。

 対する合衆国大統領ロナルド・レーガンは、核兵器の廃絶を夢見て、核ミサイルを迎え撃つSDI(戦略防衛構想、Strategic Defense Initiative、→Wikipedia)をブチあげる。

 そこに新しい男が登場する。ミハイル・ゴルバチョフ。マーガレット・サッチャーは変化の匂いを嗅ぎつけ、レーガンは「彼となら話し合いができるのではないか」と希望の光を見る。だが、その影では、CIA・MI6そしてKGBが熾烈な駆け引きを演じ、また軍も人類を滅ぼしかねない兵器の開発に余念がなかった。

 冷戦時代の舞台裏を描く、白熱のドキュメンタリー。

【まずニュース】

 前の記事で「プーチンは核の引き金を軽くしている(→「力の信奉者ロシア その思想と戦略」)」と書いた直後に、「ロシア軍事費、1998年以来のマイナスに」(AFP)なんて記事を見つけた。どうも経済制裁のダメージが軍事費にまで押し寄せたって事らしい。

 もっとも、軍事費を誤魔化す手口は色々あって。例えばウクライナへの介入は「義勇兵」だし、シリアには民間軍事会社を使ってる。日本だと、確か軍人恩給は厚労省(*)防衛相じゃなく総務省の管轄なので軍事費には入らない。また、下巻に詳しいんだが、ソ連は民生用を装う手口を使ってた。

*2018.05.04訂正。こういうのはちゃんと調べてから書かないと駄目ですね。

 それはともかく。今、東欧が崩壊する所を読んでいて、朝鮮半島情勢を思わせ、とっても生々しく感じる。先のニュースも…

【圧壊】

 現ロシアの軍事費削減は経済の不調の影響だ。当時のソ連の軍事費も、増える一方で…

「前回の五カ年計画の期間中、軍の支出は、国民所得の二倍の勢いで成長した。
  ――第10章 剣と楯

 まあ、それも国民所得が増えてるって前提での話で。共産主義国の統計は、「毛沢東の大飢饉」を読むと信頼性はかなり疑問なんだが、まあそれは置いて…

状況をさらに悪化させているのは、問題の分析すらできないという事実である。軍産複合体にかんするあらゆる数字は、機密扱いなのだ。たとえ政治局のメンバーであろうと、その閲覧は叶わないのだ
  ――第10章 剣と楯

 と、実体すらわからないってんだから、酷い話だ。それでも一応の目安は出ていて…

1985年、防衛関連産業の全体的規模は、ソ連経済の20%に相当したとカターエフは推計している。
  ――第10章 剣と楯

 まあ、それじゃ国も亡びるだろうねえ。加えてKGBの職員や御用聞きも多かったみたいだし。

 それぐらい熱心に軍備増強を図ったのに、兵器の出来具合はイマイチで。自動小銃の名作AK47は製作時の加工精度が悪くてもチャンと動くのが長所のひとつ。またソ連製の戦闘機は安いけどエンジンがすぐにダメになるって噂がある。

 というのも、兵器の土台となる金属の純度や材質、そして製作時の精度も悪いので、ロクなモノが作れない。要は軍事産業の基盤となる工業が、軍事費の負担に負けてグズグズだったのだ。

【SDI】

 更にソ連を追い詰めたのが、SDI。西側じゃ評判悪いが、ソ連の首脳はこれに相当ビビったらしく、対抗策をあれこれと考える。チャフや囮ミサイルで目をくらませる、弾頭数を増やした飽和攻撃、そして同等のレーザー迎撃システム。

 これらの迷走が、更にソビエト経済を圧迫してゆく。おまけにサウジアラビアの石油増産による原油価格の下落は、ソ連の主な外貨獲得手段である原油輸出も痛めつけ、「モスクワは年間200憶ドルを失ったという」。踏んだり蹴ったりですな。

 ただし、レーガンの出方も大胆だ。

もしこれが機能するようなら、このシステム(SDI)をソ連側にもシェアするつもりであると(ゴルバチョフに)語った。
    ――第10章 剣と楯

 しかし、ゴルバチョフはあくまでもSDIを拒み、後の軍縮交渉でもSDIが障害となって話が進まなくなる。彼が何を恐れたのか、どうもよくわからない。

【影の男たち】

 などと表舞台が動く陰で、スパイは仕事に励む。

 ここは二重スパイ三重スパイは入り乱れる話で、結構ややこしいのだが、じっくり読む価値があるし、実際にとっても面白い。

 最初に登場するのは、1970年代~1980年代、KGBロンドン支局に勤めるオレグ・ゴルディエフスキー。西側の暮らしに触れた彼は、共産主義に幻滅してゆく。そんな彼の上司は、RYAN(核の第一撃)を恐れ…

 「接触している相手を総動員して、パーシングにも巡航ミサイルにも反対するキャンペーンを立ち上げるのだ!」
  ――第2章 ウォーゲーム

 今もロシアはインターネットでアメリカ大統領選にチョッカイ出したりしてるが、昔から似たような真似をやってたのだ。反戦運動の一部は、彼らが扇動してたんだろうなあ。あくまでも一部は、だけど。

 加えて、ボスが望む情報を渡さないと、ボスの機嫌が悪くなり評価が落ちる。そこで部下もボスの思い込みに沿ったネタばかりを送り付け、それが更にボスの思い込みを強化し…ってな悪循環に落ち込む。大きな組織にはありがあちな構図だね。

 なんてKGBも間抜けなら、CIAも負けず劣らずの失態を演じ…

【終わりに】

 今のところはスパイ関係とソ連の暗部ネタが面白い。やっぱり隠された所に魅力を感じるスケベ根性のせいだろうか。などと言いつつ、次の記事に続く。

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2018年5月 2日 (水)

デイヴィッド・E・ホフマン「死神の報復 レーガンとゴルバチョフの軍拡競争 上・下」白水社 平賀秀明訳 1

ロナルド・レーガン「敵への復讐よりも、まずはわが国民の命を守ることのほうが重要なのではないでしょうか」
  ――第1章 危地にて

ソ連側はかねてより、西側が訓練と称して、実際の攻撃をおこなうような事態を恐れていたし、ソ連側の戦争計画でも、有事の際は、これと似た欺瞞工作がおこなわれることになっていた。
  ――第3章 「戦争恐怖症(ウォースケア)」

「そんな愚行(細菌兵器開発)に加担した私にとって、唯一可能な正当化事由は、強要されたのだから仕方がないということだった」
  ――第4章 細菌の悪夢

アメリカは1949年から69年にかけて計239回もの野外実験をおこなっている。そのなかにはアメリカの都市を無断で実験場に使い、エアロゾル化された“細菌”をテスト散布した例もあり、「ペンシルヴェニア高速道路」のトンネルもそうした“実験場”のひとつだった。
  ――第4章 細菌の悪夢

【どんな本?】

 第二次世界大戦の終戦は、同時に米ソの睨み合いの始まりでもあった。両大国はともに核兵器・生物兵器・化学兵器の研究・開発・配備を進めると共に、それを敵地に叩きこむミサイル技術や、海に潜み動くミサイル発射基地となる原子力潜水艦も充実させてゆく。

 何度も人類を破滅させ得る軍拡競争に世界が怯える中、二人のリーダーが登場する。役者あがりでコワモテのカウボーイと目されるロナルド・レーガン、ソ連共産党の序列を大幅に飛ばしてトップに立ったミハイル・ゴルバチョフ。

 世界を巻き込む冷戦の裏側で、どのような計画が行われていたのか。当時の米ソ両国の実情は、どんなものだったのか。そして冷戦の遺産は、どのように配分されたのか。

 レーガンとゴルバチョフを中心に、大韓航空機撃墜事件・生物兵器の漏洩・CIAとKGBの熾烈な戦い、SDIのそれが与えた影響などを織り交ぜ、米ソ対立の裏側を描く、2010年ピュリツァー賞一般ノンフィクション部門受賞のドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Dead Hand : The Untold Story of the Cold War Arms Race and Its Dangerous Legacy, by David E. Hoffman, 2010。日本語版は2016年8月30日発行。単行本ハードカバーの上下巻、縦一段組みで本文約389頁+425頁=814頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント45字×20行×(389頁+425頁)=約732,600字、400字詰め原稿用紙で約1,832枚。文庫本なら四巻でもいい巨大容量。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。とはいうものの、私は冷戦を体験した世代なので、当時の状況をよく覚えているせいかも。そういう意味では、1950年代~1970年代に生まれた人は、「あの時代の雰囲気」が蘇ってくるだろう。

【構成は?】

 基本的に時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

  •   上巻
  • プロローグ/はしがき
  • 第1部
    • 第1章 危地にて
    • 第2章 ウォーゲーム
    • 第3章 「戦争恐怖症(ウォースケア)」
    • 第4章 細菌の悪夢
    • 第5章 炭疽工場
    • 第6章 死者の手
    • 第7章 アメリカの夜明け
  • 第2部
    • 第8章 「これまでのやり方じゃダメなのだ」
    • 第9章 スパイの年
    • 第10章 剣と楯
  • 略語一覧
  •   下巻
  • 第2部
  • 第Ⅵ部 新世界と約束の地
    • 第11章 レイキャヴィクへの道
    • 第12章 武器よさらば
    • 第13章 細菌、毒ガス、そして秘密
    • 第14章 失われた年
    • 第15章 最大の突破
    • 第16章 不穏な年
  • 第3部
    • 第17章 大変動
    • 第18章 科学者たち
    • 第19章 発覚
    • 第20章 エリツィンの約束
    • 第21章 「サファイア計画」
    • 第22章 悪との対峙
  • エピローグ
  • 謝辞/訳者あとがき/略語一覧/主要人名索引

【感想は?】

 とか偉そうに書いてるけど、今は上巻を読んでる途中。

 改めて考えると、現実のなんと狂っていることか。

アメリカ合衆国とソ連邦は当時、わが国はいつでも撃つ用意があるからなと、核ミサイルで互いを脅かしあっていたのである。ふたつの超大国は、およそ1万8400発の核弾頭を、(略)互いに狙いを定めていた。
  ――プロローグ

 当時がそうだっただけじゃなく、今だってたいして変わりゃしない。どころか、むしろプーチンは核の引き金を軽くしている(→「力の信奉者ロシア その思想と戦略」)し、中国も軍事力拡張に余念がない。

 にも関わらず、最近はあまり核の恐怖が騒がれない。これは私たちが慣れたからか、ネタとして新鮮味が失せたのでマスコミ的に美味しくないからなのか。

 どうでもいいけど当時の私は食っていくのに精いっぱいで、核なにそれ美味しいの状態でした、はい。そんな風に、自分があの頃に何を考え何をしていたか、なんて事を思い出しながら読むと、一味違った感慨があります。

 さて。こんな現実に対し、レーガンは「核の全廃を夢見ていた」。原子力発電所なら是非もあろうが、核兵器をなくそうというのは、実に当たり前の考えだろう。にも関わらず、これが合衆国大統領の立場だと、「極めて過激な考え」になってしまうのは、明らかに何かがおかしい。

 全般的に、レーガンをかなり贔屓目に書いてる感じ。自伝からの引用が多いし。とはいえ、幾つかの点で、私の思い浮かべるレーガン像とはだいぶ違う姿が浮かび上がってきた。

 例えば、幼い頃の彼は『火星のプリンセス』を読んでいた。SFファンだったのか。これがSDIへとつながったんだろう。また、1982年6月7日に教皇ヨハネ・パウロ二世と会談してる。バチカンとは対ソ連で「情報提供の面では緊密な協力関係にあった」。

 ポーランドの現代史は「ワルシャワ蜂起1944」を読んだだけだが、ああいう経緯なら、母国解放を強く願うのも当然だろう。プロテスタントの米国とバチカンの関係は…と思ったが、1980年にもカーターと会談してた(→バチカン放送局)。ヨハネ・パウロ二世が友好関係を築いたんだろうか。

 なんて深く考えさせる話もあるが、もっと感覚的にホラーな話もある。そもそも冒頭から1979年のソ連での炭疽菌漏洩事故で始まるし。しかも、その原因については「正確なところは、今日にいたるまで良く分かっていない」。ソ連ならでは、である。

 続けて1983年、ソ連の宇宙軍部隊・早期警戒センターの場面が描かれる。敵の長距離ミサイルを警戒する部署だ。ここでは、まるきし映画のような展開が待っている。

 などの恐怖を更に煽るのは、ソ連の機器が揃いも揃ってポンコツなだけでなく、共産党やKGBなどの組織のポンコツぶりを描く所。なんとなくKGBはキレ者揃いって印象を持っていたが、新聞をネタにするスチャラカな奴も多かった様子。

 また大韓航空機撃墜事件の真相も、かなりショッキングで、日本語版Wikipediaには載っていない米軍の関わりも書いてある。これもソ連のレーダー網のポンコツぶりが大きな要因だったり。

 などととりとめのないまま、次の記事に続く。

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