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2018年5月 6日 (日)

デイヴィッド・E・ホフマン「死神の報復 レーガンとゴルバチョフの軍拡競争 上・下」白水社 平賀秀明訳 4

「クルチャトフ研究所」に所属するロシアの指導的核科学者のひとりは、1994年3月に訪露したアメリカ代表団にこう告げている。多くの施設は保有する兵器級物質の在庫状況を全面調査したことが一度もないので、仮に何かが無くなっていても分からないかもしれないと。
  ――第21章 「サファイア計画」

 デイヴィッド・E・ホフマン「死神の報復 レーガンとゴルバチョフの軍拡競争 上・下」白水社 平賀秀明訳 3 から続く。

【どんな本?】

 1972年、BWC(生物兵器禁止条約、→Wikipedia)が調印、米ソ共に署名した。戦争目的での細菌の開発・生産を禁じる条約である。

 1979年4月。ソ連スヴェルドオルスク(現エカテリンブルク)郊外で、ヒツジやウシが死に始める。続いて人間も倒れた。彼らは病院に運び込まれたが、次々と亡くなってゆく。症状は肺炎に似て、肺やリンパ節から激しい出血がある。疫病の流行は、七週間ほど続いた。

 汚染した肉が原因である、それがソ連の公式発表だった。

 被害が出た地区から北北西1.6kmほどに、軍の施設「第19区」がある。ソ連国防省の第15総局の微生物関連施設であり、その目的は炭疽菌をふくむ致死性病原体の開発・試験センターである。当日は、施設から被害地区へと風が吹いていた。

 ソ連はBWCを破り、密かに生物・化学兵器を開発していた。ペスト、ブルセラ、炭疽などの細菌。天然痘、エボラ、マールブルグなどのウイルス。サリン、ソマン、VXなどの化学兵器。そして、半ば自動化された核による報復システム“死者の手”。

 1980年代より悪化した共産圏の経済は、1989年に東欧崩壊へと至り、1991年にはソ連邦まで崩壊してしまう。ソ連経済の約20%を占めていた軍事予算は枯渇し、国は各部門に自活を求める。核・生物・化学兵器の研究・開発・生産部門も例外ではない。

 だがビジネスに慣れぬ軍人や研究者が運営する組織は、軍事から民生への転換も上手くいかず、経営は行き詰まる。施設は老朽化し在庫管理もままならない。給与の遅配に苦しむ研究者たちは、自宅の庭で育てた作物で飢えを満たす。

 世界を見渡せば、核や生物兵器や毒ガスを求める国や組織はいくらでもある。混乱に乗じて、苦しむ研究者たちにも、「救いの手」が伸びようとしていた。

 鉄のカーテンの向こう側で行われていた狂気の兵器開発、それを管理するソ連・ロシアの疲弊しきった組織、そしてソ連軍産複合体の恐るべき遺産を描く、恐怖のドキュメンタリー。

【交渉の裏で】

 ちょうど今、はしか(麻疹)が話題になっている。生物兵器ってのは、こういう病気をワザと流行らせようという、とんでもねえ話だ。これを国家あげてのプロジェクトにしてたんだから、何を考えてたんだか。ルイセンコ論争(→Wikipedia)による遅れが、彼らを焦らせたのかもしれない。

 が、よく読むと、案外と医療に役立ちそうな話も載っている。

 兵器に望ましい菌やウイルスは、増やしやすく、害が多く、感染しやすく、タフで暑さ寒さ乾燥に強いものだ。ところが、「生産者としての特性を伸ばそうとすると、しばしば殺人者としての特性が劣化」してしまう。増えやすい=感染しやすい菌やウイルスは、症状が軽いのだ。

 抗生物質が効かない菌を作る話もあるが、これも同じ。多くの抗生物質に耐える菌は、毒性が弱まる。薬剤耐性(→Wikipedia)が問題になっているが、意外な形で解決するかもしれない。

 というか、きっと、こういう研究をしている人もいるんだろうなあ。

【ガジェット】

 これらを開発する研究者たちの工夫は、まるきしSFだ。

 病原菌の中に別の病原菌を仕込む。またはペスト菌や野兎金にジフテリアの遺伝子を組み込む。散布用の工夫もある。病原体をふくむ粒子を、重合体のカプセルでくるむ。こうすると、紫外線じゃ殺菌できない。または低空を飛ぶ巡航ミサイルから菌をまき散らす方法。

 加えて、アメリカの小麦畑を潰すため、「植物を標的とする病原体の開発」まで手掛けている。

 化学兵器では、「バイナリー」って工夫が怖い。理屈はへっぴり虫(→Wikipedia)に似てる。普段は安定した二種類の成分に分けておく。そして「最後の瞬間、砲弾や爆弾のなかで一体化して、毒のカクテルに変わる」。空港のチェックにも引っかかりにくいだろうし、テロリストは大喜びだろうなあ。

 核だって凄い。ソ連の科学者によれば、小型核はアメリカ製に比べ「重量は半分、核出力は倍」。大砲から撃ちだせる核爆弾も作ってる。

【査察】

 それでも一応BWC参加国だし、ゴルバチョフのグラスノスチもあるので、アメリカ人が査察に来る。これを誤魔化す手口も涙ぐましいというかセコいというか。

 まずは想定問答集を作り、労働者に覚えさせる。無駄な飲食やプレゼンで現場を見る時間を潰す。電球が切れていると言い訳して照明をつけず、暗くして細部を見にくくする。ペスト菌が残っていると脅して部屋に入れない。査察団ってのは、この手のインチキを出し抜く能力も必要なんだなあ。

 こういう誤魔化しは、エリツィン時代まで続いていた、と本書にはある。たぶん今でも変わっていないだろう。

【確執】

 などの情報の多くを提供したのは、科学者たちだ。彼らの愚痴は日本の企業で働く研究者・開発者もうなずくだろう。

 生物兵器開発の拠点の一つ、ナポレオンスクを仕切ったのは、ニコライ・ウラコフ少将。軍人さんだ。ところが彼は、部下の研究者たちがあまり気に入らなかった。研究者のセルゲイ・ポポフは愚痴っている。

「自分がもはや問題について行けないこと、この研究所の微生物方面のレベルがあまりに高いことに気づいたからさ」
  ――第13章 細菌、毒ガス、そして秘密

 IT開発者の皆さん、心当たりがありませんか、そんな上司。

【死者の手】

「ソ連指導部という“死者の手”が痙攣すると、核攻撃によって祖国が一掃されたあと、大規模報復攻撃が解き放たれるのである」
  ――第19章 発覚

 そして、書名にもなっている DEAD HAND。これぞまさしくSF。敵の攻撃で軍や指導部が全滅したら、自動で大量の核ミサイルを敵国に撃ち込むシステムである。ソ連は本気で作っていた。ただ、全自動とまではいかないけど。

にしても、これを秘密にしたのは、ソ連の性格だろうか。「ある」と言うから脅し=抑止力になるんで、黙ってたら意味がないと思うんだが。

 ただ、このシステムには、大きな問題があった。大韓航空機撃墜事件やルスト君の赤の広場訪問でわかるように、ソ連の警戒網はガタガタだった。中国からのミサイルでも、アメリカからだと勘違いする可能性が充分にあったのだ。

【パンドラの箱】

 それでもソ連があるうちは、一応の統制が取れていた。だがそのソ連は潰れ、混乱状態になる。独立したカザフスタン・ウウズベキスタン・トルクメニスタン・ウクライナなどは、多くの核・生物・化学兵器を抱えていた。元ソ連の国同士で争奪戦が起きてもおかしくない。

 にも関わらず、それぞれの研究・開発・製造組織は、自活を求められる。自ら商売せえってわけだ。などと言われても、今まで共産主義でやって来たので…

「利益というのは、どうやって計算するのですか?」と工場長は尋ねた。
  ――第17章 大変動

 などとお粗末な有様だ。ロシア語ができるなら、商業高校の卒業生でも経理で優れた仕事ができだろう。給料は激安だけど。追い詰められた彼らは…

「チュテク」は特別業務を売り物にしていた。化学物質や毒物からなる工業廃棄物、原子炉、その他ありとあらゆるものを、地下の核爆発で破壊して見せます――という触れ込みだった。
  ――第17章 大変動

二人きりになると、メッテは真顔になった。じつはアメリカ政府にウランを売れるかどうか、その可能性について話がしたいのだがと切り出した。
  ――第21章 「サファイア計画」

 と、無茶苦茶な商売を考え始める。しかも、ソ連の管理体制ときたら…

ソ連邦は1959年から92年まで、核廃棄物や要らなくなった原子炉を北極海に無断投棄してきた。潜水艦用原子炉12基のうち6基などは、燃料を装填したまま捨てられている。
  ――第19章 発覚

 なんてお粗末なシロモノだ。そして、火事場泥棒よろしく、この機に付け込もうとする目ざとい連中は、世界にいくらでもいる。

極端な例だが、北朝鮮がとあるミサイル設計局をまるごとリクルートしようと試みたことがあった。
  ――第18章 科学者たち

 実際、そうするだけの価値は充分にあるのだ。炎上した油田の火を消す装置を開発しちゃったり。そんな優れた人たちが、食うために庭を畑にしている状態だった。にしても、イランからのリクルートの話は、いかにもイランらしくて、ちょっと笑っちゃったが。

 って、全然笑い事じゃないんだが、そういう明るいネタで気を紛らわさないと、私の神経が持たないんです、特に第三部は。暑苦しい夏の夜に読むと、少しは涼しくなるでしょう。

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【一方ロシアは】

 とかの舌の根も乾かぬうちに、最後にロシアネタを一発。

 混乱期のロシアで宙に浮いたウランを買い取るため、アメリカからC5ギャラクシー輸送機が飛んでくる。積み終わり離陸しようとしたが、滑走路が雪に埋もれて使えない。困ったとボヤいていると、除雪車がやってきた。といってもブルドーザーじゃない。トラックだ。

 ただし、後部にジェット・エンジンを積んでいる。排気炎で雪を吹き飛ばすのだ。さすがロシア、豪快なw

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