津久井五月「コルヌトピア」早川書房
信じている。この現実に隣り合うようにして、目を覚まそうとしているもうひとつの現実があることを、同時に、全く同様に信じながら。
――p7
【どんな本?】
2017年第五回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作「コルヌトピア」を加筆訂正した、長編SF小説。
2084年。改造した植物=フロラを、計算資源として使う技術が発達した。東京は、直径30km・幅500m~3kmの緑地帯=グリーンベルトで周囲を囲い、巨大な計算資源として使っている。更に、フロラが使う電力用に、植物の根に集まる微生物を利用する緑地発電システムの活用も始まっていた。
フロラの開発・設計・運用改善を請け負う企業の調査室に勤める砂山淵彦は、グリーンベルト内で起きた小規模火災の調査に駆り出される。ボヤは起きたのは、緑地発電システムの試験運用区域だ。同じチームにいた折口鶲(ひたき)は、多くの植物種をフロラ化した実績を誇る植物学者で…
緑に囲まれた未来の東京を舞台に、ヒトと環境の関係を描く、長編SF小説。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2017年111月25日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約176頁に加え、「第五回ハヤカワSFコンテスト選評」6頁。9ポイント40字×16行×176頁=約112,640字、400字詰め原稿用紙で約282枚。文庫本なら薄い一冊分。
文章はこなれている。内容も特に難しくない。庭いじりが好きな人と、東京またはその近郊に住む人は、ニヤリとする場面が多い。
【感想は?】
なんか悔しい。
なんといっても、舞台の風景がいい。コンクリートジャングルの大都会・東京が、大きな森に囲まれている。だけでなく、そこに建つ建物にも、盛んに緑が生い茂っている。
似たような風景は、池上永一の「シャングリ・ラ」にもあった。が、「シャングリ・ラ」だと、温暖化の影響もあり、かなり荒々しくて猛々しく、ヒトの手に負えない緑だった。
対してこの作品では、もともと計算資源として使うため人工的に造った緑地帯なだけに、手入れの良さを感じる。というか、実際、かなり細かく手入れしてるんだけど。主人公の砂山淵彦がボヤの調査に赴く場面でも、ヒトが森を丁寧に管理している様子がうかがえる。
今のインターネット&コンピュータは、大雑把に言って、三種類の計算資源から成り立っている。一つは、大量のサーバを集めたデータセンター。もう一つは、皆さんが使うパソコンやスマートフォン。その間に、企業全体や部署のネットワークやファイルを管理する小規模のサーバ。
そのデータセンターに当たるのが、東京を囲むグリーンベルトだ。これも魅力なんだが、小規模サーバに当たるシロモノが作り出す風景も、実にユニークで面白い。
データセンターがフロラ化しているように、小規模サーバもフロラ化してる。もちろん筐体は植物だ。ってんで、あなたが勤めるオフィスにも、緑が生い茂っている。当然ながら、植物には日光が必要だ。だから、フロラに光を与えるために建物にも工夫が凝らされ…
そんなわけで、表紙にもある新宿の風景が、私にはとっても楽しかった。表紙が描いているのは西口の都庁を中心とした高層ビル群で、これをいかに効率的にフロラで覆うかの工夫も楽しい。
それ以上に、今のゴミゴミガチャガチャした東口の変貌が、もうねw 実に斬新だよなあ、こんな新宿。新宿がコレなら、渋谷や池袋や浅草はどうなる事やら。秋葉原は、フロラ市場と化すんだろうか。石丸電気も高層の温室に建て替えたりしてw
などと脱線したが。このフロラ化の理屈も、「アレをそう使うか!」と盲点を突いたもの。最初はちょっと無理があるかな…と感じたのだ。が、読み進むうちに、どうも私の早とちりではないかと疑惑が沸いてきた。
実はもっと細かい設定はあるんだけど、それ書いちゃうと早口でしゃべるオタクみたいでウザくなり、小説としてのバランスが取れない。そこで敢えて控えたんじゃないか、と。
これが悔しい。だって「フロラ」って発想が、滅茶苦茶に面白いんだもん。
今のコンピュータは、ハードディスクの一画が壊れたら、普通はデータを失う。この作品では、冒頭からボヤでグリーンベルトの一画を失っている。が、それで、データを失ったわけじゃなさそうだ。
たぶん、現在のRAIDみたいな形で、同じデータのコピーを幾つかの区画に置き、保険をかけてるんだろう。焼け落ちた区画は試験運用区域なんで、より慎重に保険をかけていた、または保険のためのコピー用区画だったと考えれば、辻褄はあう。
演算速度もちと不安があるんだが、これも大量の計算資源を動員した並列処理で、モノによっては補える。例えば、ORACLE など高価な商用DBMSで管理する大規模なデータベースで、多くの表を組み合わせる負荷の高い問い合わせなどは、フロラと相性がいいと思う。
作品中では全く別の使い方をしてるけど、Onとかのオーダーで爆発的に演算量が増えてくって点は同じだから、そういうモンだと思ってください。
とか長々しく語っちゃったけど、今なら「クラウド」の一言で表せるから便利だ。いや私もクラウドの意味、よく分かってないけど。で、そういう「隠した設定」を、たった一言で済ましちゃってるあたりが、とっても悔しいのだ。そういう所が美味しいのに。
とか思ってたら、終盤に入って話は意外な方向に広がる可能性を示唆して終わる。選評では、「受賞後に大胆な書き換えを試みた」が「出版には間に合わなかった」とか。それもまた悔しい。すんげえ読みたいぞ、その風景。
新宿駅東口のゴチャゴチャした風景を見慣れた人にお薦め。あの風景がこう変わるかー、と驚くだろう。
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