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2018年4月 1日 (日)

新井素子「逆恨みのネメシス」出版芸術社

森村あゆみ様
私はあなたが嫌いです。
  ――逆恨みのネメシス

【どんな本?】

 若い女の子の話ことばのような文体で、デビュー作「あたしの中の…」から喧々囂々の議論を巻き起こした新井素子による、初期の長編シリーズ第四弾。長編「逆恨みのネメシス」に加え、書き下ろし短編「田崎麻子の特技」を収録。

 人類が宇宙へと積極的に進出している未来。森村あゆみは19歳で地球から家出し、火星で職と住処にありつき、21歳になった。

 職場は水沢総合事務所。所長の水沢良行、事務担当で所長の奥さん水沢麻子、元ベテラン商社マンの熊谷正浩、自称腕利き探偵の山崎太一郎、あゆみと同期で情報屋の中谷広明、そして森村あゆみの小さな所帯だ。職務内容は、やっかいごとよろず引き受け業、平たく言えば私立探偵兼なんでも屋。

 朝からあゆみはため息ばかり。というのも、妙な手紙がポストに入っていたため。脅すでもなく、悪く言うでもなく、単に「私はあなたが嫌いです」、それだけ。害を加えようとしているわけでもなく、犯罪として成立しないだけに、余計に気味が悪い。

 あゆみの今までの仕事を考えれば、人に恨まれる心当たりはいくらでもある。モヤモヤしたまま、太一郎と食事に出かけたあゆみに、奇妙な男が近づき…

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 元は集英社文庫コバルトシリーズ「逆恨みのネメシス」として1986年に発行。これの一部を手直しし、短編「田崎麻子の特技」を加え、2017年1月27日に出版芸術社より第一刷発行。

 単行本ソフトカバーで縦一段組み、本文約246頁に加え、書き下ろしのあとがきが豪華34頁。9.5ポイント42字×17行×246頁=約175,644字、400字詰め原稿用紙で約440枚。文庫本ならちょい薄めの一冊分。

 文章は例の新井素子調。アクは強いものの、実はスラスラ読める。内容はSFだが、特に難しい理屈は出てこないので、理科や数学が苦手でも大丈夫。ただし、今までのシリーズと繋がっているので、開幕編の「星へ行く船」から読もう。

【感想は?】

 ぐおお、ここで<つづく>かよおぉぉっっ!

 そう、これは完結していない。むしろ「そして、星へ行く船」前編と言った方がいい。そして、謎も物語もアクションも思いっきり盛り上がった所で終わる。だから、気の短い人は、予め「逆恨みのネメシス」「そして、星へ行く船」の二冊を用意してから読み始めた方がいい。

 滑り出しは陰険コメディ。水沢総合事務所の面々が揃った場面ながら、珍しくどよ~んとした雰囲気で始まる。空気は淀みがちながら、事務所内の序列がハッキリわかるのが楽しい。やっぱりボスはあのお方かいw

 先の「カレンダー・ガール」もそうなんだけど、冒頭から「変な事件」で読者を一気に物語に引き込む手腕は見事。この巻では奇妙な手紙だ(この記事冒頭の引用)。何やら敵意を持っているらしいのはわかるが、にしても何かを要求しているわけでも、脅しているわけでもない。所内の面々は嫌な想像をしてばかり。

 とか悩んでいるうちに、事態はさらに素っ頓狂な方向にすっ飛んでいくから、読んでて飽きない。テンポよく話が進む上に、次々と意表をついてくれるんで、頁をめくる手は逸るんだが、そうもいかないから意地が悪い。

 というのも、話そのものがかなり込み入ってるんで、じっくり読む必要があるのだ。事件そのものの仕組みが込み入っているので左脳を駆使せにゃならん上に、あゆみと手紙の主の関係がアレで、それぞれの心の奥まで探っていくため、右脳もフル稼働する羽目になる。にしても「新しいタイプの殺し屋」ってw

 そう、前の「カレンダー・ガール」もそうだったんだが、ここでも懐古趣味がチョロチョロと顔を出して。「小癪千万」とか、完全に入り切っちゃってるよなあ。やっぱし未来にも時代劇は生き残ってるんだろうか。今はロケ地も減り制作費の問題もあり、難しい状況らしいけど。

 などに加え、いよいよシリーズも終盤に入って来たな、と感じさせる展開になっているのも、「読みたい、でもじっくり味わいたい」のジレンマに陥らせる原因。今までのシリーズで登場した懐かしい連中が、意外な場面で意外な形で登場してくる。

 といったドラマも面白いが、SF者へのサービスも忘れちゃいない。

 正直言うと、ちょっと引っかかっていたのだ、あの左腕。全体として考えると理屈に合わない所もあるけど、お話としては面白いから、ま、いっか、と思って流していたんだ。

 が、その「引っかかっていた」所をズバリと突いて、しかもキチンと理屈をつけてくれたから嬉しい。こんなの気にするのは重箱の隅をつつくSF者ぐらいだろうに、敢えてソコを逆手に取り、ストーリー上の重要なポイントに持ってくるとは。そこまで考えていたのか。

 もう一つ、SF作家としての斬新な発想を見せてくれるのが、短編「田崎麻子の特技」。なんと料理SFだ。

 やってる人ならわかると思うが、料理ってのは、案外と頭を使う仕事で。何より、慣れないとスケジュール調整が難しい。私の場合はガスレンジが二口なんで単純な方なんだが、それでも鍋とフライパン、そしてまな板を同時並行的に扱っていく。何より大事なのは、あったかい品はあったかいまま食卓に出すこと。

 ってんで、スケジュールは完成する時点から逆算して組んでいく。煮物と炒め物の例だと。

 まず鍋に水を入れて湯を沸かし、その間にまな板で皮を剥いたり刻んだり。一般に煮物は火をかけちゃえばあまりかき回さずに済むが、炒め物は強火で炒める間、常にかき回す。だから鍋で煮ている間にフライパンで炒め、両方が同時に完成するようにスケジュールを組むと、アツアツの食事を楽しめる。

 慣れればこういった計算は瞬時にできるんだが、コンピュータにやらせようとすると、これはこれで面白い問題なのだ。使えるリソースは限られている。食材・調味料・火の口・加工する人手・包丁やピーラーなどの道具。これらの組み合わせで、最適な調理スケジュールをはじきだす。ちょっとした線形計画法である。

 まあオッサンの料理なんで「食えりゃいいじゃん」ぐらいの完成度で充分だし、多少味はアレでもあったかけりゃ大抵のモノは食える。線形計画法ったって、まず「何を最適化するか」って要求仕様が大事なんだが、オッサンなら求めるべき最適値も、だいたい定まってる。安く手軽に、だ。

 が、人に出す、それも大切な人に出すとなると、この程度じゃ済まない。下ごしらえして何日か寝かせにゃならん物もあるし、食材も「ソコにある物」ってワケにゃいかない。組み合わせによる相性もあるし、その時に手に入る食材の鮮度もある。考えるべき要素と制約条件は雪だるま式に膨れ上がっていく。

 ばかりか麻子さん、実は完璧主義者で…

 といった、指数関数的に膨れ上がるスケジューリングの計算量に加え、宇宙時代ならではの食の事情にまで掘り下げていくから楽しい。こんなに短いのが恨めしくなるほど、妄想が膨らむ書き下ろしだった。

 なのはともかく、本編の引きは完全に狙ったもの。続きを何カ月も待たずに読める今が本当に嬉しい。

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