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2018年4月の18件の記事

2018年4月30日 (月)

SFマガジン2018年6月号

(ヘイ、ルーン。ぶっとばしちゃいなよ)
  ――冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第20回

あらゆる異世界ものは、広義のファースト・コンタクトものと言えるのである!
  ――柿崎憲「SFファンに贈るWEB小説ガイド」

『生き物は、身近な環境にあるものをなんでも利用して生きていく』
  ――神林長平「先をゆくもの達」第3回

 376頁の標準サイズ。

 特集は「ゲームSF大特集」。映画「レディ・プレイヤー1」を中心に、小説・インタビュウ・最新ゲームガイドなど。

 小説は豪華13本。まず「ゲームSF大特集」で読み切り4本。小川一水「プレイヤーズ・アンノウン・ストリーミン・グラウンド」,柴田勝家「姫日記」,クラベ・エスラ「超能力戦士ハリアーの意志」,廣江聡太朗(あでゆ)「ハイ・リプレイアビリティ」。

 連載は5本。夢枕獏「小角の城」第47回,椎名誠のニュートラル・コーナー「居酒屋会議」,神林長平「先をゆくもの達」第3回,冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第20回,藤井太洋「マン・カインド」第5回。

 読み切り&不定期掲載は4本。菅浩江「博物館惑星2・ルーキー第3話 手回しオルガン」,早瀬耕「十二月の辞書」,瀬尾つかさ「沼樹海のウィー・グー・マー 前編」,小川哲「ひとすじの光」。

 小川一水「プレイヤーズ・アンノウン・ストリーミン・グラウンド」。C-130H輸送機の後部ハッチから放り出された。パラグライダーを開いて島に降りる。降りるのは99人、生き残るのは一人。最初は丸腰。武器は自ら見つけるか、敵のを奪うか。そんなゲームを実況中継していたあたしは…

 同じ特集中の「読者に薦めるゲームガイド2018」によると、ゲームのモデルは「PLAYERUNKNOWN'S BATTLEGROUNDS」だろう。次第に戦場が狭くなるって仕掛けは、とても優れていると思う。だって潜んで獲物を待つスナイパーも、否応なくアジトから叩き出されるので、プレイに動きが出るから。

 柴田勝家「姫日記」。日頃から『信長の野望』で鍛えた軍師の腕の見せ所だ。どんな弱小大名だろうと天下人にしてみせる。今回の主は毛利元就。だがなぜか三つ編みの眼鏡っ娘。まず毛利家当主としての立場を確たるものにして…

 ゲームの道は修羅の道。ちょっと見は似たようなゲームでも、同じ名前のパラメータが全く異なる働きをしたり、バランスが違ってたり。などと他のゲームで刷り込まれた思い込みを消していく過程も、新しいゲームに挑む楽しさの一つ。にしても、柴田勝家が毛利家に仕えていいのか?

 クラベ・エスラ「超能力戦士ハリアーの意志」。14歳のオランダ人少年は、1986年12月3日に横須賀生まれの日本人になった。人生を変えたのはドリームキャストのゲーム「シェンムー」。殺された父親の仇をとるため、俺は横須賀の街を走り回り…

 ゲーム内のキャラクターの行動ってのは、明らかに奇妙なもので。自由度が高くグラフィックがリアルなゲームほど、その奇妙さは目立ってしまう。特に会話は難しくて、NPCは予め設定した台詞しか喋ってくれない。将来は多少マシになるんだろうか。

 廣江聡太朗(あでゆ)「ハイ・リプレイアビリティ」。左の画面には“彼女”、右の画面には「彼女」。数日前、何者かが全世界の全ての家庭に一台の古いコンピュータを配った。ある事件を記録した現物のコピーだ。真相を突き止めると、莫大な報酬が手に入るらしい。

 大量に残された証言の動画を手掛かりに、事件の真相を突き止めようとする僕。下心まじりに、その手助けを頼んだ相手が「彼女」。「彼女」とのコミュニケーションは、テキストチャットのみ。今ならLINEになるのかな? こういう世界は流行り廃りが早いんで、小説家も大変だなあ。

 菅浩江「博物館惑星2・ルーキー第3話 手回しオルガン」。手回しオルガンで日銭を稼ぐ少年は、絵のモデルになった。絵は話題になり、少年も観光名物となったためか、多少は稼ぎも増えた。ただしメシのタネのオルガンには少し手が入り…

 オルガンってのはやたらとバリエーションの多い楽器で、建物に組み込まれたパイプオルガンから、肩にかけて持ち歩ける小型のものまで、実に様々。ここに登場するのは、屋台で曳くタイプだろう。高尚な雰囲気のアフロディーテながら、庶民的で親しみやすい一面を描く一編。オルガンの音を表すオノマトペが、とっても楽しい。

 椎名誠のニュートラル・コーナー「居酒屋会議」。再び地表?に戻った私は、高原線路の終点イースト駅へと向かい、居酒屋に入った。幸い店はにぎわっていて、馴染みのメンバーが飲み食いしている。ばかりか、新顔も…

 読んだのが晩飯前のためか、オマール茶,ベニヒメスソハライのソテー,踊り豆のタカトントンなんてメニューが頭の中で暴れてしょうがない。特に踊り豆のタカトントン。どんな歯ごたえなんだろう。ムニムニって感じなんだろうか。

 冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第20回。ついに合流したウフコックとバロット。お互い話したいことは山積みだが、今はそれどころじゃない。早くも敵の手が回ってきた。天井に広がる赤錆。クインテットのエンハンサー、ラスティの攻撃だ。

 お待ちかねウフコック&バロット大暴れの回。今回の事件では多くのメンバーを失ったイースターズ・オフィスだけど、バロットの能力は飛びぬけている上に、ウフコックとの相性も抜群にいい。ただ、ウフコックはそれを素直に喜べないだろうなあ。

 小川哲「ひとすじの光」。執筆支援AI「Leibniz」。ヒトはシナリオに必要な設定をする。AIは原稿を吐き出す。その原稿にヒトが赤を入れる。僕はLeibnizでゲームのシナリオを作り、二つの会社に勤めた後、独立して小説を書き始めた。

 これを読む直前、スペシャルウィークの訃報が流れた(→JRA)。打ち切りになった小説の続編が読めるのは嬉しいなあ。ガンパレも「未来へ 4」を無かったことにしてブツブツ…。疑問があると、とりあえず調べちゃうのは学者の性なんだろうか。血統の記録がよく残っている競走馬ならではの作品。

 瀬尾つかさ「沼樹海のウィー・グー・マー 前編」。ウェイプスウィイード事件から二年。事件の影響で、ヨルは生まれ育った島を出され、もっと広い島の全寮制学校に進んだ。ケンガセンは食い詰めている。上司の大学教授が失脚し、そのあおりで大学を叩きだされ、住処も失う。そこに仕事の話が舞い込み…

 ヨルとゲンガセンに再び会えたのも嬉しいが、それ以上に、六年を経てハヤカワ文庫JAより書籍化ってニュースが嬉しい。さてお話は。現地住民との関係がややこしい所にコロニーの有人船が落ち、再びヨルとゲンガセンが調査、というより調停に赴くことに。両名共にハグレ者だけに、どんな展開を見せてくれるか楽しみ。

 早瀬耕「十二月の辞書」。既に書籍化された「プラネタリウムの外側」の番外編。高校三年の秋、南雲薫はガールフレンドの「母の昔の恋人」に紹介された。その男は、彼女に別宅を遺した。別宅には彼女のポートレイトがある、と言うのだが…

 舞台は函館。しかも海が見える高台にある別宅って、美味しい海鮮が食べ放題じゃないか…と思ったが、北海道の人には美味しい魚介類なんか当たり前すぎて、あまり有り難くないのかも。いやそういう話じゃ全くないんだけど。

 神林長平「先をゆくもの達」第3回。ナミブ・コマチが生んだ火星で初めての男子ハンゼ・アーナクが、地球に来て60年になる。一人で暮らすハンゼを、カリンが訪ねてきた。火星に向かった若生の姪だという。

 いきなり60年も時代が進むのに驚いたが、雰囲気はのんびりしたもの。「トーチには、機嫌よく働いてもらいたい」って発想が、ケッタイなシロモノを祀りたがる精霊信仰や神道の感覚と似ているような。小難しい理屈を並べるよりも、感覚的にわかった気になるから面白い。

 藤井太洋「マン・カインド」第5回。戦死者の遺族を訪ねる旅を続ける迫田とレイチェル。次に向かうのは、ジャスパー・ジョーンズの両親、モーリスとミシェル。追ってコヴフェのトーマも加わる予定だ。ジャスパーの肌は白いが、両親の肌は黒い。

 新しいモノにい疎い老いた両親の目を通し、最新技術の原理と動作を説明するのは巧い工夫。コヴフェ台頭のきっかけはトランプvsヒラリーからヒントを得たんだろうけど、麻疹流行は現実の動きを読んだのか単なる偶然か。「赤いマフラーをなびかせて」ってのはアレのネタ? かと思えば tail コマンドとか、ほんと芸が細かい。

 「ゲームSF大特集」の記事、『レディ・プレイヤー1』監督スティーブン・スピルバーグ・インタビュウ。お相手は渡辺麻紀。よく記事が取れたなあ。コンテンツの自由度が高いと、ユーザを創作側が望む方向に誘導しにくくなる。これの両立は確かに難しい。その点、ドラゴンクエストの巧みさはよく話題になるなあ。

 鹿野司「サはサイエンスのサ」性淘汰の逆転劇。19世紀には性淘汰って現象が全く受け入れられなかったってのも驚きだが、その理由もなんともはや。ヒトの思い込みってのは、相当に強いものなんだろう。そういえば、そろそろカラスの子育ての時期だなあ。

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2018年4月26日 (木)

谷甲州「エミリーの記憶」ハヤカワ文庫JA

 「死神殺しさ。戦場にあらわれては、死神を殺してまわる神様もいるらしい」
  ――死神殺し

「奴らが攻撃をしかけてくるときは、いつも同じだ。連絡がないんで様子をみにいったら、部隊は全滅している。生存者はいない。何カ月もかけてつくった前進キャンプが、一晩でつぶされたこともある」
  ――猖獗戦線

「あの街は、ぼくの街です」
  ――ぼくの街

「私はL(ララ)。道化師のLよ」
  ――L

【どんな本?】

 ベテランSF作家の谷甲州が、今はなきSF雑誌のSFアドベンチャー(SFA)に寄稿した作品から、宇宙SF以外の短編を集めた作品集。

 航空宇宙軍史や山岳アクションなど、シリーズ物や長編では硬派な作風が多い著者だが、この作品集では、仮想現実や超能力や記憶トリック、淡いボーイ・ミーツ・ガールからヌルヌルのポルノまで、幅広い芸風が楽しめる。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 元は1994年7月に徳間書店より単行本で発行。文庫版は2006年5月15日にハヤカワ文庫JAより発行。文庫本で縦一段組み、本文約420頁に加え、あとがき10頁+文庫版のためのあとがき3頁。9ポイント39字×17行×420頁=約278,460字、400字詰め原稿用紙で約697枚。文庫本としては少し厚め。

 文章はいつもの谷甲州で、短く端的な表現が多くて読みやすい。ガジェットも特に凝ったものは出てこないので、あまり構えなくていいです。

【収録作は?】

 それぞれ作品名 / 初出。

逝きし者 / SFA1986年10月号
 いつも見る夢。地面に横たわったまま、俺を見あげる俘虜。その肩には、すでに血の乾いた銃創。俺は俘虜を尋問している。所属部隊を、現有兵力を、隊長名を、司令部との連絡方法を、隣接部隊名を尋ねる。
 航空宇宙軍シリーズの外伝のような作品。アッサリと平野部を制圧した航空宇宙軍の陸戦隊だが、敵は湿地帯に潜みゲリラ戦を展開する。戦記物を読むと、同じ戦場を描いた作品でも、著者により、書かれている内容が全然違ってたりする。そういう混乱がよく出ていると思う。
死神殺し / SFA1987年3月号
 敵の攻撃を受け、海防艦は沈む。なんとか脱出には成功したものの、助けが来る気配はない。浮遊物にしがみついて一昼夜。周りに陸はおろか、他の浮遊物もない。仲間も力尽きて波間に消えた。おまけに天候も悪化の兆しが見える。そんな時、ゆっくりと近づいてきたのは…
 海で、ジャングルで、極寒の惑星で。様々な戦場で、兵士は死んでゆく。その死の間際に彼らが思うのは何か。同じ死ぬにしても、ジワジワと死ぬ餓死や、苦しい溺死は嫌だなあ。
猖獗戦線 / SFA1989年4月号
 雨がふりつづき、地面はぬかるむジャングルを切り開き、設けられたキャンプ。植物の成長は異様に早く、気を抜けばゾラゾラと呼ばれるシダに似た植物に占領されてしまう。攻撃の起点となる最終キャンプの一つ前、第四キャンプのソベリン一等兵は、最終キャンプ壊滅の報を聞く。
 ベトナム戦争の米軍も、こんな苦労をしたんだろう、と思うような暑苦しい風景の中で展開する、異星の戦場の物語。優れた装備が役に立たなければ、敵の正体もよくわからず、どころか戦争の目的すら判然としないあたりも、ベトナム戦争そのまんま。
竜次 / SFA1989年5月号
 二人の警官に追われる竜次。うち一人が竜次に拳銃を突きつける。その時、竜次の双眸が光を放ち…
 「竜次」って名前で、ヤクザ物、それも下っ端の若いチンピラかな、と思ったら、やっぱりそうだった。映画「竜二」の影響だろうか。当然、私も竜次は金子正次をイメージしながら読みました、はい。お話は全然違うけど。
過去を殺した男 / SFA1987年7月号
 シミュレータで訓練する警官。設定はこうだ。一般市民の多い市街地に、武装した五人の凶悪犯が潜んでいる。可能なら逮捕、抵抗したなら発砲も許可。同地区にほかの警官もいるが、連絡はとれない。まず凶悪犯の一人目を射殺し…
 「戦争における[人殺し]の心理学」によると、たいていの人は他の人を殺すのを強く嫌い、戦場でも発砲するのは10人中1人ぐらいだとか。それを克服するためには、リアルなシミュレーションの効果は大きくて、だから警官もリアルな人形で訓練してるそうな。
ぼくの街 / SFA1989年3月号
 この街に引っ越してきて、もう一年ぐらいになる。この街のことなら、なんでも知っているし、だれとでもしたしくしている。そこに若い警官がやってきた。新しく赴任してきたばかりで、まだ街に慣れていない。ぼくは彼に話しかけ…
 これまたシミュレーションを扱う作品だが、今回の舞台は普通の市街での普通の暮らし。セカンドライフより更にリアルだけど、そこに居る人の大半はコンピュータが創ったNPC。もう少しAIが進歩したら、MMOもNPCをサクラとして使うようになるのかなあ。
エミリーの記憶 / SFA1989年7月号
 あまり流行っていないバーで、エミリーと出会った。見た目は十五、六歳に見えるが、今の簡易美容整形技術ファンダメンタル・メイクなら幾らでも誤魔化せるし、最近はそういうのが流行ってる。エミリーの手にあるのはジョイン・ラブ用のカクテル。
 いつもは軍事物や山岳物など、硬派な男の世界を描く著者が、果敢にも挑戦したポルノ、それもロリータ物。しかも描写に工夫があるんだけど、それは読んでのお楽しみ。
L(ララ) / SFA1989年3月号
 しょっちゅう引っ越してばかりの少年時代。その年の夏休みは、海沿いの地方都市にいた。海ぞいに広がる、人気のない松林が気に入っていた。後で知ったのだが、その松林でむかし自殺した人がいるらしいい。ララと会ったのは、その松林の中だ。
 幼い頃は引っ越しばかりで親しい友達もできず、でもそれなりに人付き合いの妙は心得た少年。少年、夏の青い空、海のそばの街、そして謎の若い女といった定番風の道具立てを使いつつ展開する、幻想的な作品。ひとりで居ることに慣れた者には、色々と突き刺さってくる。
子どもたちのカーニバル / SFA1989年11月号
 長女の摩由は、ことし小学校にあがったばかり。その摩由が、担任の山崎と一緒に帰ってきた。服は泥だらけで、手足にも傷があり、泣きじゃくっている。山崎を問いただすが、どうも要領を得ない。
 最近話題の「いじめ」を扱った作品。子どもには子どもの社会とその掟hがあるんだけど、そういうのって、なかなか大人からは見えない。その見えなさ具合が、うまく書けていると思う。
宗田氏の不運 / SFA1989年9月号
 きっかけは半年ほど前。まずは靴紐が切れた。万年筆のペン先が折れ、エレベーターに乗り損ね、忙しい時に間違い電話がかかってくる。幸か不幸か、その日は早くに体があいたので、普段は行かない店を幾つかハシゴした末に、その男に出会った。
 ちょっと「笑ゥせぇるすまん」に似た雰囲気の作品。順風満帆だった男が、場末の飲み屋で胡散臭い奴と話をしたのが運の尽き…と思ったら。フレドリック・ブラウンやロバート・シェクリイやリチャード・マシスンなど、50年代のアメリカSF風のネタを、和風に仕上げた感じ。
十年の負債 / SFA1989年6月号
 30過ぎで素寒貧の男が、六畳一間のアパートでラーメンをすすっている。そこにいきなり見知らぬ婆さんが現れ、貸した十年を返せと言う。
 これまた古風なアメリカSF風のネタを和風に仕上げた話。とはいえテキサスを舞台にジョー・R・ランズデールあたりが書いたら、やっぱり今でも充分に通用しそうなんで、普遍性をもったネタなんだろう。にしても、嫌な普遍性だw
神の存在 / SFA1989年8月号
 「あなたは神の存在を信じますか」。二日酔いの頭を抱え、ノコノコとドアホンの呼び出しに応じたら、お馴染みの文句と共に来た女は、思った通り化粧っ気のない地味な女だった。だが、意外な事に次の言葉は…
 新聞の売り込みやケッタイな商品のセールスと並び、皆さんお馴染みの宗教勧誘。いずれも最初は正体を隠して話を始めるので、はなはだタチが悪い。やはり懐かしいアメリカSF短編風でもあり、また70年代あたりの日本SF短編のようでもあり。
響子と陽子 / SFA1988年4月号
 「人を一人、消していただきたいのですが」。依頼人は、若い女。俺は個人営業の興信所、つまり探偵だ。幸い幾つかの企業と長い付き合いもあり、今は特に金にも困っていない。あまり物騒な仕事は引き受けたくないのだが…
 ハードボイルドの王道、私立探偵物。ただし掲載誌がSFAだけあって、ちょっと奇妙な能力がある。オケラじゃなく、企業相手に安定した収入がある所が独特だが、確かにこんな能力があれば便利だよね、色々と。
消えた女 / SFA1988年7月号
 「私の過去を、さがしていただきたいのですが」。今度の仕事は、得意先からの紹介だけに断りにくい。依頼人は30半ばの男、高野典夫。それなりの企業の中間管理職だ。二年前の春から秋にかけて、記憶がゴッソリ抜け落ちている、と言う。
 前の「響子と陽子」に続く、私立探偵もの。このままシリーズを続けていたら、山岡由美はレギュラーになったんじゃないかなあ。

 航空宇宙軍史や「星を創る者たち」のように、先端テクノロジーを扱いながらも油臭さが漂う作品が多い人だけど、それとは全く異なる意外な一面が見えるのが興味深かった。

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2018年4月24日 (火)

マイケル・L・パワー,ジェイ・シュルキン「人はなぜ太りやすいのか 肥満の進化生物学」みすず書房 山本太郎訳

本書はヒトの生物学(ヒューマンバイオロジー)についての本である。(略)
本書は、どのようにすれば肥満を予防できるか、肥満を「治療」できるかといった問題に解答を与えるものではない。ヒトがなぜ、そしてどのように肥満になるかを理解しようという試みなのである。
  ――はじめに ヒューマンバイオロジー、進化、肥満

唾液中に含まれる消化酵素アミラーゼはデンプンを単糖類に分解する。デンプンの消化は食物が嚥下される前から始まっているのである。
  ――第2章 私たちの遠い昔の祖先

肥満と栄養失調は同じ集団のなかで見られるばかりでなく、同一個人においても見られる。
  ――第5章 進化、適応、現代の試練

肥満は同時に、血中の低いカルシフェジオール濃度とも関係しており、それはビタミンD欠乏症のリスクを増大させる。(略)脂肪組織の大きな塊は、過剰なビタミンDや他の脂溶性ビタミンを脂肪組織に貯蓄し隔離してしまう。
  ――第10章 食べるということの逆説

【どんな本?】

 ご存知のように、アメリカ人はやたらと太っている。もっと酷いのは南太平洋の島々で、ナウルでは70%以上の人が肥満と判断された。これは世界的な傾向で、エピデミックと言ってよい。そのためアメリカでは回転ドアや自動車のチャイルドシートも大きくなり、航空機の燃費も悪くなった。

 遺伝子の異常で太る人もいるが、それは肥満者の5%未満だ。今の肥満は、進化の過程でヒトの体に備わった性質と、高カロリー小運動の現代生活とのミスマッチと考えていいだろう。

 と言うと何かわかったような気になるが、具体的にはどういう事なんだろう? 食物を食べ、消化し、エネルギーまたは脂肪に変える際、私たちの体の中では何が起きているんだろう?

 脳は、胃は、腸は、肝臓は、脂肪細胞は、それぞれ何を分泌し、分泌物はどこに作用し、どんな反応を引き起こすのか。そこにはどんな遺伝子のどんな働きが関わっているのか。それぞれの遺伝子は、長い進化の過程で、どんな環境で生き延びるために、どんな役割を果たしてきたのか。

 食物の摂取・消化・吸収・加工・保存・利用のプロセスを、生化学的に細かく調べ、ヒトの体の複雑さ・巧妙さを描き出すと共に、現代科学の先端で行われている研究の成果と不明点も紹介する、一般向けのやや高度な科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Evolution of Obesity, by Michael L. Power and Jay Schulkin, 2009。日本語版は2017年7月18日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約333頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント46字×19行×333頁=約291,042字、400字詰め原稿用紙で約728枚。文庫本なら厚めの一冊分。

 文章はやや硬い。なんたって、みすず書房だし。内容も、かなり難しい。専門書ってほどでもないが、高校卒業程度の化学や生理学の知識か、または知らない化学物質の名前が出てきてもビビらない度胸が必要。だって単糖とかウロコルチンとか弓状核とか、小難しい言葉がしょっちゅう出てくるし。

【構成は?】

 原則として前の章を受けて次の章が展開する形なので、素直に頭から読もう。

  • はじめに ヒューマンバイオロジー、進化、肥満
  • 第1章 肥満への道
    肥満を測定する/肥満の流行は本当に存在するのか?/世界の肥満者割合/健康上の帰結/健康以外の帰結/肥満の流行に対する理解/肥満と進化/何が肥満を引き起こすのか?/なぜ、太らない人もいるのか?/まとめ
  • 第2章 私たちの遠い昔の祖先
    初期のヒト/大きな体を持つことの利点/食物と適応/進化の歴史における食物の変化/ヒトの消化管/食物の腸内滞留時間/デンプンの消化/私たちの消化機構と現代の食事/「不経済な組織」仮説/まとめ
  • 第3章 食事の進化
    ヒト、食物、食べるという行為/食事とは何か?/チンパンジー、肉食、そして食事/食事と脳/協働と忍耐/チンパンジーとボノボ/協調と公平性/獲物と捕食者/協働と効率/まとめ
  • 第4章 進化、適応、ヒトの肥満
    ミスマッチ・パラダイム/恒常性パラダイム/アロスタティックロード/過去から受け継いだ機械装置/怠けることは、一つの適応か?/旧石器時代の食事/稀なものが貴重になる/ハチミツ/脂肪/脳と脂肪酸/まとめ
  • 第5章 進化、適応、現代の試練
    現代の食事/カロリーを生む液体/フルクトース(果糖)/高グリセミック指数食/カロリー源として以上のもの/外食/一人前のサイズ/身体活動/建造環境/睡眠/栄養転換/ひいマンと栄養失調/肥満は伝染するのか?/まとめ
  • 第6章 エネルギー、代謝、生命の熱力学
    エネルギーと代謝/生命の熱力学/エネルギーを取り除く/「食べる」こととエントロピー/エネルギー支出/エネルギー総支出量/「不経済な組織」仮説の再検討/エネルギー摂取/エネルギーバランス/均衡試験/エネルギーの貯蔵/エネルギー貯蔵組織/エネルギー貯蔵とエネルギー要求性/まとめ
  • 第7章 情報分子とペプチド革命
    進化的視点/情報分子/ペプチド革命/ホルモンと内分泌腺/消化を助ける内分泌腺/脳腸ペプチド/膵臓ポリペプチド/レプチン物語/ニワトリ・レプチンの興味深い例/レプチンの栄養機能/魔法の弾丸か鉛の散弾か/まとめ
  • 第8章 食欲と飽満
    満腹感、飽満、食欲/食欲を制御する信号/脳、食欲、そして満腹ということ/代謝モデル/代謝と肥満/まとめ
  • 第9章 食べるための準備を整える
    パブロフ再検討/脳相反応/制御生理における期待反応の重要性/摂食における期待反応の重要性/脳相反応の証拠/味覚の役割/脂肪に対する味覚は存在するか?/中枢神経の貢献/脳相インスリン反応/まとめ
  • 第10章 食べるということの逆説
    食欲における脳相反応の役割/満腹における脳相反応の役割/情報分子の多様な機能/食欲と飽満、そしてエネルギー収支/まとめ
  • 第11章 脂肪の生物学
    脂肪組織/内分泌系/脂肪組織と内分泌機能/ステロイドホルモンとしてのビタミン/ビタミンDと脂肪組織/ステロイドホルモンと脂肪/レプチン/レプチンと妊娠/腫瘍壊死因子/アディポネクチン/神経ペプチドY/肥満と炎症/中心性肥満と末梢性肥満/まとめ
  • 第12章 脂肪と生殖
    脂肪、レプチン、生殖/脂肪過多における性差/中心性肥満 対 末梢性肥満/性ホルモンが脂肪蓄積と代謝へ与える影響/レプチンとインスリン/脂肪の代謝/生殖における脂肪の利点/太った赤ん坊/脂肪と女性の生殖/脂肪、レプチン、思春期/肥満と出産/肥満、妊娠、出産の結果/まとめ
  • 第13章 肥満の遺伝とエピジェネティクス
    古い遺伝学/新しい遺伝学/一塩基多型/子宮内での代謝プログラミング/貧困、栄養、心疾患/エピジェネティックな要因/倹約遺伝子/子宮内プログラムの機構/倹約遺伝子仮説への批判/ヒトの多様性/体脂肪分布と代謝/ピマ・インディアン/同類婚と肥満の流行/緯度と食事中の脂肪/まとめ
  •  訳者あとがき/表/参考文献/索引

【感想は?】

 みすず書房の本だけあって、ダイエットの教本としてはからきし役に立たない。なんたって…

肥満は、摂取カロリーが消費カロリーを上回るという驚くほど単純な事実に起因する。
  ――第1章 肥満への道

 と、みもふたもない。得られる教訓は、せいぜい、バランスのいい食事と適度な運動ってぐらいだ。そういう点では、小学校の家庭科の教科書の方が遥かに役に立つ。

 とはいえ、多少は小技的に役立ちそうな事もある。例えば、甘い物だと…

摂取された果糖(フルクトース)は同カロリーのグルコース(ブドウ糖)より摂取の際のインスリン反応が弱い。(略)もし、インスリンが満腹に重要な役割を演じるならば、高果糖のコーンシロップで味付けしたような食物は、潜在的には(単位)カロリーに対して低い満腹感しか示さなくなるだろう。
  ――第9章 食べるための準備を整える

 果糖はカロリーの割に満腹感が少ないので、つい摂りすぎちゃうのだ。「甘い物は別腹」ってのは、本当だったんだね。他に重要な栄養素だと、カルシウムが印象に残る。

習慣的なカルシウム摂取が、ボディマス指数や体重増加、体脂肪量と逆相関することを示す多くの研究結果がある。
  ――第4章 進化、適応、ヒトの肥満

 カルシウムが足りないと運動しても贅肉が落ちにくい、のかもしれない。マウスの実験では、そんな結果が出た。ただしヒトへの影響は分かっていない。また、妊娠・出産・授乳でも大事で…

一般に女性は授乳期間中に、3~10%ものカルシウムを骨から失う。(略)食事中のカルシウムはほとんどこうしたカルシウム代謝に影響を与えない。高カルシウム食は、妊娠期間中に骨カルシウム量を増加させるが、授乳期間中のカルシウム補助食品は、(略)尿からのカルシウム排泄を増加させるだけである。
  ――第12章 脂肪と生殖

 赤ちゃんが育つ時、当然ながら赤ちゃんの骨も育つ。骨の主な原料はカルシウムだ。そのカルシウムは、母乳から得る。その乳のカルシウムは、母体の骨からきている。でも出産後にカルシウムを摂っても手遅れで、オシッコとして出ちゃう。カルシウムは妊娠中に摂らないと意味ないのだ。

 つか、母親ってのは、まさしく骨を削って子供を育ててるんだなあ。もちろん、赤ちゃんは骨だけで出来てるわけじゃない。ガリガリどころか、たいていはプニプニしてる。ヒトの赤ちゃんってのは、哺乳類の中でも異様に脂肪が多いのだ。特に赤ちゃんの脂肪は大事で…

赤子では、エネルギー支出の50%以上が脳代謝のために使用されている。ヒトの赤子の脳のエネルギーコストは、チンパンジーの赤子と比較して三倍か、それ以上に上る。
  ――第12章 脂肪と生殖

 ヒトの脳はバカでかい。デカいだけあって、燃費も悪く、多くのエネルギーが要る。それを賄うためにも、脂肪は大事なんだが、ヒトの乳は意外と脂肪が少ない。だから、体の肉付きが大事なのだ。

 加えて、ヒトの赤ちゃんは、凄まじい勢いで成長する。特に脳の成長は著しい。その脳は、大半が脂肪でできている。だもんで…

ある種の脂肪酸は、脳の適切な成長と発展に必須である。
  ――第4章 進化、適応、ヒトの肥満

 一般に脂っこい食べ物はダイエットの敵だ。重さが同じなら、油のカロリーは炭水化物の三倍もある。だからといって、若い人が油を摂らないと、ヤバい事になるかもしれない。

 と、そんな風に、ダイエット本だと思うと、「どないせえちゅうねん」と暴れたくなるぐらい役に立たない。これはそういう本じゃないのだ。ヒトが何かを食べる時、体の中で何が起きているのか。食べ物として摂ったエネルギーを、ヒトの体はどう使い蓄えるのか。そういう事が書いてある。

 これがやたらと複雑で。胃は胃液で食物を溶かし、腸は吸収し…と、それぞれの臓器は何かの役割を担っている。が、それだけなく、臓器同士は化学物質で連絡を取り合うのだ。例えば…

脳と消化管は多くの脳腸ペプチドで結ばれている。(略)たとえば胃で産生される腸ペプチドであるグレリンは、下垂体に働き成長ホルモンの分泌を促す。また、食欲を刺激する。
  ――第7章 情報分子とペプチド革命

 そんな風に、腹が減ったら食欲が増え、たくさん食べたら食欲がなくなるのも、当たり前だと私たちは思っている。でも、そのメカニズムを調べると、胃や腸と脳が連絡を取り合い、調整し合っている。このメカニズムは体の具合にもよって、寝不足だと食欲が増えたりする。当然、肥満も影響して…

ヒトやラットには、強固な脳相インスリン反応が存在する。食物の咀嚼や味覚情報に反応して、膵臓は素早くインスリン分泌を開始する。(略)
肥満した人では、脳相インスリン反応が欠如しているか減弱していることが多い。
  ――第9章 食べるための準備を整える

 などと、太ることで消化能力が変わったりもする。気分も関係あって、例えば苦しみや悲しみや恐怖を感じると、胃腸はウロコルチンや副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモンを出す。これは食欲を減らし、「直腸運動を促進する」、と書くと偉そうだが、つまりは漏らすのだ。

 お陰で体は軽くなり、胃腸に回ってた血は脳や筋肉に回るんで、判断も動きも速くなる。これは「[戦争]の心理学」にもあったなあ。この現象、ちゃんと生理学的にも解析されてたんだね。

 ってな具合に、胃腸だけでなく脳や膵臓、そして皮下脂肪に至るまで、私たちの体は化学物質による情報ネットワークで繋がってて、盛んにメッセージをやりとりしているらしい。脳を中心とした神経系によるトップダウンのネットワークってイメージは、これでガタガタと崩れてゆく。

 SF者としては、なんかワクワクする話だよねえ。とすると、AIによるシンギュラリティってのは、やっぱり無理で、身体が必要なのかも、それならそれで、IoTが突破口に…ってな妄想は置いて。

 体の話に戻ろう。それぞれの化学物質と、それが意味する情報や命令は、必ずしも一対一に対応しているわけじゃない上に、タイミングや位置によってメッセージの意味は違い…

 と、肥満をネタにしつつ、その実はヒトの体が秘めた複雑怪奇な化学物質駆動型の情報ネットワークの一端を解き明かし、また環境の変化に応じて動的に平衡のバランスを変えてゆくアロスタシスなる概念を紹介するなど、体が持つダイナミックな性質を語る、現代科学ならではの興奮に満ちた本だった。

 ただし、文章は硬いし、専門用語も容赦なく出てくるので、相応の歯ごたえがあるのは覚悟しよう。

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2018年4月22日 (日)

津久井五月「コルヌトピア」早川書房

 信じている。この現実に隣り合うようにして、目を覚まそうとしているもうひとつの現実があることを、同時に、全く同様に信じながら。
  ――p7

【どんな本?】

 2017年第五回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作「コルヌトピア」を加筆訂正した、長編SF小説。

 2084年。改造した植物=フロラを、計算資源として使う技術が発達した。東京は、直径30km・幅500m~3kmの緑地帯=グリーンベルトで周囲を囲い、巨大な計算資源として使っている。更に、フロラが使う電力用に、植物の根に集まる微生物を利用する緑地発電システムの活用も始まっていた。

 フロラの開発・設計・運用改善を請け負う企業の調査室に勤める砂山淵彦は、グリーンベルト内で起きた小規模火災の調査に駆り出される。ボヤは起きたのは、緑地発電システムの試験運用区域だ。同じチームにいた折口鶲(ひたき)は、多くの植物種をフロラ化した実績を誇る植物学者で…

 緑に囲まれた未来の東京を舞台に、ヒトと環境の関係を描く、長編SF小説。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2017年111月25日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約176頁に加え、「第五回ハヤカワSFコンテスト選評」6頁。9ポイント40字×16行×176頁=約112,640字、400字詰め原稿用紙で約282枚。文庫本なら薄い一冊分。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。庭いじりが好きな人と、東京またはその近郊に住む人は、ニヤリとする場面が多い。

【感想は?】

 なんか悔しい。

 なんといっても、舞台の風景がいい。コンクリートジャングルの大都会・東京が、大きな森に囲まれている。だけでなく、そこに建つ建物にも、盛んに緑が生い茂っている。

 似たような風景は、池上永一の「シャングリ・ラ」にもあった。が、「シャングリ・ラ」だと、温暖化の影響もあり、かなり荒々しくて猛々しく、ヒトの手に負えない緑だった。

 対してこの作品では、もともと計算資源として使うため人工的に造った緑地帯なだけに、手入れの良さを感じる。というか、実際、かなり細かく手入れしてるんだけど。主人公の砂山淵彦がボヤの調査に赴く場面でも、ヒトが森を丁寧に管理している様子がうかがえる。

 今のインターネット&コンピュータは、大雑把に言って、三種類の計算資源から成り立っている。一つは、大量のサーバを集めたデータセンター。もう一つは、皆さんが使うパソコンやスマートフォン。その間に、企業全体や部署のネットワークやファイルを管理する小規模のサーバ。

 そのデータセンターに当たるのが、東京を囲むグリーンベルトだ。これも魅力なんだが、小規模サーバに当たるシロモノが作り出す風景も、実にユニークで面白い。

 データセンターがフロラ化しているように、小規模サーバもフロラ化してる。もちろん筐体は植物だ。ってんで、あなたが勤めるオフィスにも、緑が生い茂っている。当然ながら、植物には日光が必要だ。だから、フロラに光を与えるために建物にも工夫が凝らされ…

 そんなわけで、表紙にもある新宿の風景が、私にはとっても楽しかった。表紙が描いているのは西口の都庁を中心とした高層ビル群で、これをいかに効率的にフロラで覆うかの工夫も楽しい。

 それ以上に、今のゴミゴミガチャガチャした東口の変貌が、もうねw 実に斬新だよなあ、こんな新宿。新宿がコレなら、渋谷や池袋や浅草はどうなる事やら。秋葉原は、フロラ市場と化すんだろうか。石丸電気も高層の温室に建て替えたりしてw

 などと脱線したが。このフロラ化の理屈も、「アレをそう使うか!」と盲点を突いたもの。最初はちょっと無理があるかな…と感じたのだ。が、読み進むうちに、どうも私の早とちりではないかと疑惑が沸いてきた。

 実はもっと細かい設定はあるんだけど、それ書いちゃうと早口でしゃべるオタクみたいでウザくなり、小説としてのバランスが取れない。そこで敢えて控えたんじゃないか、と。

 これが悔しい。だって「フロラ」って発想が、滅茶苦茶に面白いんだもん。

 今のコンピュータは、ハードディスクの一画が壊れたら、普通はデータを失う。この作品では、冒頭からボヤでグリーンベルトの一画を失っている。が、それで、データを失ったわけじゃなさそうだ。

 たぶん、現在のRAIDみたいな形で、同じデータのコピーを幾つかの区画に置き、保険をかけてるんだろう。焼け落ちた区画は試験運用区域なんで、より慎重に保険をかけていた、または保険のためのコピー用区画だったと考えれば、辻褄はあう。

 演算速度もちと不安があるんだが、これも大量の計算資源を動員した並列処理で、モノによっては補える。例えば、ORACLE など高価な商用DBMSで管理する大規模なデータベースで、多くの表を組み合わせる負荷の高い問い合わせなどは、フロラと相性がいいと思う。

 作品中では全く別の使い方をしてるけど、Oとかのオーダーで爆発的に演算量が増えてくって点は同じだから、そういうモンだと思ってください。

 とか長々しく語っちゃったけど、今なら「クラウド」の一言で表せるから便利だ。いや私もクラウドの意味、よく分かってないけど。で、そういう「隠した設定」を、たった一言で済ましちゃってるあたりが、とっても悔しいのだ。そういう所が美味しいのに。

 とか思ってたら、終盤に入って話は意外な方向に広がる可能性を示唆して終わる。選評では、「受賞後に大胆な書き換えを試みた」が「出版には間に合わなかった」とか。それもまた悔しい。すんげえ読みたいぞ、その風景。

 新宿駅東口のゴチャゴチャした風景を見慣れた人にお薦め。あの風景がこう変わるかー、と驚くだろう。

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2018年4月20日 (金)

ケン・トムソン「外来種のウソ・ホントを科学する」築地書館 屋代通子訳

本書は、在来種と外来種、さらには外来侵入種産業と呼べるほどに膨らんだ分野にかかわるあらゆる問いと、その陰にある意味とを精査しようとする試みだ。
  ――序 ラクダはどこのものか

今日のニュージーランドの植物学者は全員が、人間からの直接または間接の作用を排除すれば、在来植物は常に外来種に優位を保っていられるという意見だ。
  ――第2章 在来種のわずかな歴史

2007年末の時点で、連邦共和国としてのアメリカ合衆国からも、アメリカのどの州からも、外来種との競争で失われた植物種がひとつでもあるという証拠は皆無なのだ。
  ――第6章 生態学の講義を少々

生物防除のために導入された生物のうち、定着するのは三例にひとつで、そのうちのおよそ半数(つまり、導入された全体の約16%)だけが狙った標的の駆除に成功している。
  ――第8章 制御不能

【どんな本?】

 昨年はヒアリが大きな騒ぎになった。セイタカアワダチソウはあまり騒がれなくなったが、最近はアライグマが話題だ。ブラックバスも嫌われ者だし、異国から入ってくる生物は、ロクなもんじゃない

 …と、決めつけられたら困る。なんたって、アメリカ大陸からやってきたジャガイモもトマトも大好きだし。牛や豚や鶏だって、今どきはイギリスやアメリカからの輸入種か、またはその混血種だ。

 昔の外人レスラーよろしく、とかく悪役にされがちな外来種だが、本当にそうなのか。

 英国シェフィールド大学の生物学・生態学者が、イギリス・アイルランド・ニュージーランド・ハワイなどの島・島国や、オーストラリア・ヨーロッパ・アメリカ合衆国など大陸も見渡し、外来種がはびこる理由・その悪行の実態と興亡・悪評の原因などを追究し、環境保護活動に疑問を呈する一般向け解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Where Do Camels Belong? : The Story and Science of Invasive Species, by Ken Thompson, 2014。日本語版は2017年3月3日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約277頁、9ポイント45字×18行×277字=約224,370字、400字詰め原稿用紙で約561枚。文庫本なら普通の厚さの一冊分。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。た舞台は世界中を飛び回るので、世界地図があると便利。

 ただ、タイトルで見当がつくように、いくらか政治的な主張を含んでいる。そのため、意見が合わない人もいるだろう。

【構成は?】

 全体は穏やかにつながっているので、できれば頭から読もう。

  • 序 ラクダはどこのものか
  • 第1章 移動する種
    • 生物種と大陸
    • 残存種、避難圏、そして氷河時代
    • 渡り、海や鳥を伝う分散
    • 人の手による分散
    • どれほど長くて不思議な旅だったことか
  • 第2章 在来種のわずかな歴史
    • 「在来」とは何か
    • 戦争と平和
    • 在来であることの価値
    • 急を要する保護
    • 金の力
    • 本書の今後
  • 第3章 まずは悪いニュースを少々
    • ミナミオオガシラ グアムの在来鳥類減少事件
    • カワホトトギスガイ 五大湖イシガイのミステリー
    • ギョリュウ アメリカ南西部の砂漠化植物
    • エゾミソハギ 大惨事を引き起こす湿地の侵入者
  • 第4章 訴状の通り有罪か?
    • エゾミソハギ 目立ちすぎが災いする?
    • ギョリュウ ほんとうに水を使いすぎているのは誰か?
    • カワホトトギスガイ 恩恵を受ける生き物たちもいる
    • それはわかった。だがミナミオオガシラはどうなんだ?
  • 第5章 いいものなら在来種に違いない
    • 英国固有の植生
    • ノウサギ、アナウサギ、ザリガニ
    • 英国のビーバー
    • 誤解されるディンゴ
    • カリブのアライグマ
    • コガタトノサマガエルのこんがらがった物語
    • 攻撃される在来性
  • 第6章 生態学の講義を少々
    • ニッチ理論を少し
    • ニッチ理論を検証する
    • ニッチと侵入
    • コラム 「島の生物地理学」理論
    • 外来種と地球規模の生物多様性
    • コラム カウリの物語
    • 歴史から学ぶ
  • 第7章 悪いやつを探せ
    • 勝者と敗者
    • どちらかといえば的外れな理論ふたつ
    • 少しはましな理論
    • コラム ロードデンドロン・ポンティクム 在庫一掃セール、1000株につき105シリング
    • 順化協会
  • 第8章 制御不能
    • 外来種と島
    • 大陸ではどうか 「悪魔の爪」の例
    • 有用な外来種
    • 生物防除とふたつのカタツムリ
    • 外来種と法律
  • 第9章 後戻りなし
    • 外来種を最大限に利用する
    • 長い見通し
    • 外来種の進化
    • 侵入された側の進化
    • 氷山の一角
  • 第10章 競技場を均すには
    • 意図的導入 ナミテントウの奇妙なお話
    • 園芸家の世界
    • イタドリ 救世主シラミ見参
    • 移住支援
    • コラム 英国に移転させるべき生物候補六種
  • 第11章 侵入にまつわる五つの神話
    • 神話その1:外来種による侵入が生物多様性を損ない、生態系の機能を失わせる
    • 神話その2:外来種はわたしたちに多額の損害を与える
    • 神話その3:悪いのはいつも外来種
    • コラム ハイタカとカササギ 現行犯?
    • 神話その4:外来種はわたしたちを狙って野をうろついている
    • 神話その5:外来種は悪者、在来種はいい者
  • 第12章 わたしたちはどこに向かうのか
  • 謝辞/訳者あとがき/写真クレジット/参考文献/索引

【感想は?】

 いきなり、冒頭から足元をすくわれた。ラクダだ。原産地はどこだろう?

 北アフリカでもアジアでもない。なんと、「4000万年ほど前に北アメリカで進化した」。北米産かい。ちなみに眷属は「リャマ、アルパカ、グアナコ、ビクーニャ」。アルパカってラクダに近いのか。言われてみると、微妙にユーモラスなところは似てるかも。

 ってのはおいて。

 今、北米に野生のラクダはいない。オーストラリアにはいるらしいが。でもラクダで想像するのは、アフガニスタン・パキスタンなどの中央アジアや、シリア・アラビア・エジプトなど中東だろう。時とともに、ラクダの住む所も変わってきたのだ。

 とすると、在来種と外来種って、どうやって区別するんだろう?

 この問いは、日本のような島国だと、さらに深刻になる。主食のイネをはじめ、たいていの生物種は、中国や東南アジアから来た種だし。

 そういう点では、著者が島国のイギリス人なのも、日本と似た視点を持っていて、ちょっと親しみが湧く。近くに大陸(ヨーロッパ)があるのも似ているし、かつての大帝国(ローマ)の遺産が大きいのも、中国の影響を受けた日本と似ている。

 もちろん、違う所もある。特に大きいのが、イギリス連邦の遺産なのか、オーストラリアとニュージーランドの資料が多いこと。いずれも外来種と在来種のせめぎあいが激いが、大陸オーストラリアと島国ニュージーランドの違いもあって、科学者にとっては格好の比較材料だ。例えばオーストラリアは…

こと哺乳動物に関しては、地球上でもオーストラリアが絶滅集中地点だ。ヨーロッパ人が入植して以来、18種が絶滅していて、これは同じ期間中に世界中で絶滅した全哺乳類のほぼ半数にあたる。主な原因が、持ち込まれた捕食動物――キツネと野生化したイエネコの子孫であるのはまず間違いない。
  ――第5章 いいものなら在来種に違いない

 と、希少種の保護に関心が深い人にとっては、注目の土地だ。しかも、ソコの外来種は、たいていイギリス人が持ち込んだもので、著者にも馴染みが深い。そんな著者の主張は、いささか極端に聞こえる。

外来種を排除したければ――究極の目標が在来種森林の再生ならば――無視するのが一番だということだ。
  ――第9章 後戻りなし

 つまり、「ほっとけ」だ。一時的に増えて在来種を駆逐するように見えるけど、たいていはすぐに勢いが衰えて在来種と共存するよ、と。もっとも、「すぐ」ってのが、学者さんの時間感覚で、50年とか100年とかなんだけど。

 と、かなり悠長なことを言っているようにも見えるが、厳しい指摘もある。例えば私たちの思い込みだ。昔のプロレスじゃ外人レスラーは悪役だったように、たいていヨソ者は悪者扱いされる。何か悪い事があると、ヒトはヨソ者を疑う。おまけに、目立つヨソ者ならなおさらだ。

外から持ち込まれる生物が共通して持っているものは何なのかを、最初の一目で見抜くのは難しい。ただ実際にはどれもが、目には定かに見えないが、ある一つの共通項を持っている。人間の近くで栄えるという点だ。
  ――第10章 競技場を均すには

 新顔で、しかもヒトのそばではびこる奴は、どうしたって目立つ。そういう奴は、どうしても悪役を押し付けられやすい。

 が、たいていは、宅地開発など、ヒトによる変化が原因だったりする。環境が変わったため、新しいニッチができて、そこにそかさず新種が入り込んだ、そういう事だ。

英国でもどこでも、そして在来種でも外来種でも、繁栄する植物は変化があったことの指標であって、それ自体が変化を推進するものではなく、彼らはただ、人間が自然環境をこんな風に変えてくれてうれしいよ、と言い続けているのだ。
  ――第7章 悪いやつを探せ

 加えて、ヒトには判官びいきな傾向もある。

一般的に言って、わたしたちは、愛らしくてわれわれに厄介をかけない動物や植物が好きだ。さらに言えば、生息数が減少している生き物が好きで、彼らになりかわって頑張ってしまうことさえしばしばある。
  ――第5章 いいものなら在来種に違いない

 トキなど絶滅しそうな生き物は、ついつい応援したくなるのだ。また、ヒトは、昔からある慣れた脅威より、目新しい脅威に注目しがちだ。デング熱がいい例だろう。交通事故の方が2~3桁ほど被害は大きいのに、マスコミは大騒ぎした。なんたって…

在来種は外来種ほどニュースバリューがないのだ。
  ――第11章 侵入にまつわる五つの神話

 そう、マスコミは見慣れた事柄を取り上げないのだ。だって手あかがついてて面白くないし。といった、ヒトの心理的な盲点を突いてくるのも、この本の特徴だろう。で、実際問題として、外来種は益と害、どっちが多いのか、というと…

生態系には数多くの機能があり、どの機能を測定するかでも話は大きく変わってくる。しかし実際に測定されたたくさんの機能のうち、ほとんどが外来種の影響を被っていなかったし、生産性、微生物の活動、土壌の炭素、窒素とリンの総量、利用可能な窒素量に関しては、外来種が存在することでむしろ増えていた。
  ――第11章 侵入にまつわる五つの神話

 と、全体的には、生態系を活発にして、しかも種の多様性を豊かにする傾向が強いとか。逆に言うと、雑草が増えるって事なんだけど、それが損か得かはヒトの都合によるから、ヒトってのは勝手なもんです。

 著者の主張はマスコミの論調と大きく違うし、そこに違和感を持つ人も多いだろう。でも、一般にマスコミの報道はヒステリックになりがちなものだし、冷や水を浴びせるような主張は報じない。落ち着いて考えるために必要な、新しい視点を与えてくれる本、ぐらいに考えて読んでみよう。

 どうでもいいが、Ken Thompson って名前、IT系の人は一瞬ギョッとするけど、もちろん別人です。

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2018年4月18日 (水)

ニーヴン,パーネル,バーンズ「アヴァロンの戦塵 上・下」創元SF文庫 中原尚哉訳

水はグレンデルを意味する。
  ――上巻p221

「どこを見ても、どこへ手をのばしても、そこには新しい動物や新しい植物がいるんだ」
  ――下巻p40

「ここはおれたちの場所なんだ。このすべてがだ。キャメロットでもない、サーフスアップでもない。ここがおれたちの土地なんだ」
  ――下巻p116

「あの土地はあいつらのものさ。おれたちではなく」
  ――下巻p179

「おれたちはすべてを捨て、ただ旅立ちたいと願った人間の集まりなんだ」
  ――下巻p200

「理由はいろいろだろうが、夢はひとつだった。未来を切り拓くことさ」
  ――下巻p244

「グレンデルのことは理解したと思っていたのに、じつはそうでなかった」
  ――下巻p324

【どんな本?】

 「神の目の小さな塵」で有名なラリイ・ニーヴンとジェリイ・パーネルのコンビが、売り出し中のスティーヴン・バーンズと組んだ、SF長編「アヴァロンの闇」の続編。

 地球から10光年、鯨座タウ星系第四惑星、通称アヴァロン。160名の移民団は、この惑星の島キャメロット島に植民地を築く。彼らは全人類から選りすぐった者だったが、人口冬眠の副作用で脳の一部が「凍りつき」、多くの者が鋭敏なはずの頭脳を失ってしまう。

 それでもアヴァロンは楽園のような土地だった。しかしそこには、恐るべき敵がいた。グレンデル。体長数メートルに成長する肉食の両生類。主な武器である突進は、わずか三秒で時速110kmに達する。その際に発する熱は凄まじく、時として自らも焼き殺すため、体を冷やす水が豊かな所にしか棲めない。

 獰猛なグレンデルの襲撃により、一時は壊滅の危機に陥った移民団だが、多くの犠牲を払った末、ついにキャメロット島からグレンデルを駆逐する。

 それから20年。

 植民地は発展し、新しい世代も育ってきた。食物連鎖の頂上に立つグレンデルが絶滅したためか、キャメロット島の生態系にも変化が現れはじめる。

 島で生まれ育った若者たちは、広大な本土への進出を望む。しかしグレンデルの脅威を忘れられない第一世代は、慎重な姿勢を崩さない。そんな時、本土にある無人採掘場で事故が起きる。何かが爆発したらしいのだが…

 フロンティアの暮らしと世代間の対立を背景に、奇想天外なエイリアンの生態と、見えざる敵の脅威を描く、長編パニックSF小説。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Beowolf's Children, by Larry Niven, Jerry Pournell, Steven Barnes, 1995。日本語版は1998年10月30日初版。文庫本の上下巻、縦一段組みで本文約379頁+423頁=802頁に加え、堺三保の解説5頁。8ポイント42字×18行×(379頁+423頁)=約606,312字、400字詰め原稿用紙で約1,516枚。文庫本としては上中下の三巻でもいい大長編。

 文章は比較的にこなれている。驚異のダッシュ力を誇るグレンデルをはじめ、多種多様で奇妙奇天烈な異星生物の生態が楽しい作品なので、そういうのが好きな人向け。ちなみにケッタイな性質も一応はソレナリの理屈がついているので、生物学や生態学、それと化学を少し齧った程度だと、更に楽しめる。

 同じトリオによる長編「アヴァロンの闇」の続きだが、必要な設定は要所で説明しているので、前を読んでいなくてもだいたいは理解できる。私も「アヴァロンの闇」はだいぶ前に読んだけど、中身をほとんど忘れていた。が、それでも楽しめたので、これから読み始めても大丈夫だろう。

【感想は?】

 まず目立つのが、世代間の対立。これを引き立たせる設定が巧みだ。

 普通の社会には、様々な年齢の人がいる。世代間の対立ったって、ハッキリ分かれてるわけじゃない。三十路もいればアラフォーだっている。

 現実には明確な区切りなんかないんだけど、それじゃわかりにくいし面白くない。だから、マスコミが中間の世代を無視して、オッサン・オバサン vs 若者って図式に作り上げて報じる。

 でも、この作品では、本当に世代の断絶がある。アヴァロンは移民の地だ。第一世代は、10光年の遥かな旅を経てこの惑星にやってきた。対する第二世代は、第一世代の子供たち。その間には、20歳以上の年齢の隔絶がある。年齢的に、クッキリ分かれているのだ。

 育った環境も違う。第一世代は地球で生まれ育った。当然、地球をよく知っている。だが第二世代は、アヴァロンの開拓地で生まれ育った者たちだ。世界観が全く違う。

 加えて、グレンデルの恐怖だ。第一世代は、グレンデル相手に、一時期は絶滅の恐怖を味わった。だが第二世代は、そんな事を知らない。

 ダメ押しになっているのが、人口冬眠不安症。10光年を旅する間、ずっと起きているわけにはいかない。そこで人口冬眠するんだが、その副作用でオツムが多少イカれちゃってる。おかげで第一世代は自分の判断が信用できない。だもんで、何につけても慎重になる。

 対して第二世代には、そんな心配がない。そうでなくても若者はリスクを恐れないものだ。そんな若者たちの前には、開拓を待つ広い未踏の大陸が広がっている。

 狭いが安全なキャメロット島に閉じこもる第一世代と、何が潜むか分からない広い大陸を切り拓こうとする若者たち。両者の対立が、人間側のストーリーの軸となる。

 が、それ以上に面白いのが、奇妙奇天烈なアヴァロンの生物たちだ。

 だいたいグレンデルからして意地が悪い。人間の文明は大河のほとりで育った。ヒトが生きていくには、淡水が欠かせない。その水源には、最も危険な天敵グレンデルがいる。小さな島のグレンデルにさえ、人類は壊滅の危機に追いやられた。大陸ともなれば、どれほど恐ろしい奴がいることか。

 この予想は裏切られず、冒頭の地図からして「老グレンデル」「ダムをつくるグレンデル」「雪のグレンデル」と、個性豊かな強敵の大盤振る舞いだ。

 私が最もシビレたのは、彼らグレンデル視点の語り。

 彼らの最大の武器は、「スピード」による猛ダッシュだ。3秒で110km/hに達する、ぶっちゃけチートだよね。が、それだけに、制限もあればツケも溜り…。これを「いつ」「どこで」「どのように」使い、ツケをどう払うか。だけでなく、水に棲む生物だけあって、世界の認識方法も、ヒトとは大きく違う。

 これをエイリアンの立場で描くあたりは、パク人やモート人を生み出し、化け物を描かせればピカ一のSF作家ニーヴンの腕が冴えわたるところ。

 ばかりでなく、当然ながら、グレンデルに劣らぬケッタイな生物が、次々と出てくる。序盤に出てくるウナギもどきの生態からしいて、異境の雰囲気たっぷりだ。もちろん、グレンデルを超える恐ろしい敵も出てくるので、乞うご期待。

 広大な新天地へ踏み出す人類に襲い掛かる試練を描く、正統派の秘境冒険SF。リラックスして楽しもう。

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2018年4月15日 (日)

スティーヴン・ウィット「誰が音楽をタダにした? 巨大産業をぶっ潰した男たち」早川書房 関美和訳

「なんでこのことを今までだれにも話さなかったんだ?」
「ああ、だって聞かれなかったから」
  ――イントロダクション

音楽トレンドを理解することはすなわち黒人音楽を理解することだった。
  ――3章 ヒットを量産する

「自分がなにをやってのけたか、わかってる?」最初のミーティングのあとにアダーはブランデンブルグに聞いた。「音楽産業を殺したんだよ!」
  ――4章 mp3を世に出す

mp3の不正コピーをなくすには、そmの代わりになる合法なやり方を提示するのがいちばんだった。
  ――7章 海賊に惚れ込まれる

ナップスターのブームは音楽産業の史上最高の2年間と重なっていたし、(ダグ・)モリスでさえしばらくの間はナップスターのファイル共有がCD売上を押し上げたと考えていた。
  ――9章 法廷でmp3と戦う

1999年から2009年にかけて北米のコンサートチケット売上は3倍になった。多くのミュージシャンがレコーディングよりツアーから多くの収入を得るようになってきた。
  ――18章 金脈を掘り当てる

2011年には、蓄音機の発明以来初めて、アメリカ人は録音された音楽よりもライブにおカネを落としていた。
  ――エピローグ

【どんな本?】

 私はラジオで育った。ラジオから流れる曲をカセット・テープに録音し、ウォークマンで持ち歩いた。今は iTunes でリッピングした曲を iPod nano で聴いている。自宅のパソコンに向かう時は、インターネット・ラジオや Youtube で音楽を流している。

 Youtube はいい。昔ならお茶の水や新宿の輸入レコード屋にあしげく通い、埃にまみれた中古版や海賊版を漁り、それでも数カ月で手に入れば幸運なんてレアな音源が、今は Youtube で検索すればスグ出てくる。

 動く Paul Kossoff がいつでも見られるとは、なんていい時代だろう。おお Randy Meisner, 昔はスマートだったなあ。つか Gryphon, Treason なんてアルバム出してたのか。長く幻のバンドだったってのに、ライブの映像まであるぜウヒャヒャ…

 などと恩恵を受けているのは、年寄りばかりじゃない。どころか、ポピュラー・ミュージックの主な聴き手である、若者こそが最大の恩恵を受け、ボーカロイドなどネット環境ならではの新しい音楽も生み出した。そして、世界的に、音楽ビジネスは大きな変革を迫られている。

 この変革は、どこから始まったのか。どんな者が、どんな役割を果たしたのか。mp3 を創り出したカールハインツ・ブランデンブルグ,CDプレス工場で働くデル・グローバー,そして米国音楽界を牛耳るダグ・モリスの三者を軸に、音楽産業の革命をドラマチックに描く、エキサイティングなドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

原書は How Music Got Free : The End of an Industry, The Turn of the Century, and the Patient Zero of Piracy, by Stephen Witt, 2015。日本語版は2016年9月25日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約334頁に加え、訳者あとがき4頁。9.5ポイント43字×17行×334頁=約244,154字、400字詰め原稿用紙で約611枚。文庫本なら少し厚めの一冊分。

 文章はこなれている。というか、少し最近のネット文体の香りがする、くだけた文体。内容も特に難しくない。技術的な話も少しは出てくるが、わからなければ読み飛ばして構わない。というか、少々怪しい所もある。それより、2000年以降の音楽、それもヒップホップ系に詳しいと、更に楽しめる。

【構成は?】

 話は時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

  •  主な登場人物
  • イントロダクション
  • 1章 mp3が殺される
  • 2章 CD工場に就職する
  • 3章 ヒットを量産する
  • 4章 mp3を世に出す
  • 5章 海賊に出会う
  • 6章 ヒット曲で海賊を蹴散らす
  • 7章 海賊に惚れ込まれる
  • 8章 「シーン」に入る
  • 9章 法廷でmp3と戦う
  • 10章 市場を制す
  • 11章 音楽を盗む
  • 12章 海賊を追う
  • 13章 ビットトレント登場
  • 14章 リークを競い合う
  • 15章 ビジネスモデルを転換する
  • 16章 ハリポタを敵に回す
  • 17章 「シーン」に別れを告げる
  • 18章 金脈を掘り当てる
  • 19章 海賊は正義か
  • 20章 法廷で裁かれる
  • エピローグ
  •  情報源についての注意書き
  •  謝辞/訳者あとがき/原注

【感想は?】

 若い人には歴史だろうけど、オッサンには懐かしい話がいっぱい。

 なんたって、MS-DOS の時代から話が始まる。今をときめくmp3も、当時は絶命寸前ってのには驚いたし、AACとの関係も全く知らなかった。

 ブランデンブルグの目の付け所もいい。mp3は圧縮率の割に音質がいい反面、処理に時間がかかる。将来、CPUの性能はガンガン上がるので、処理時間は問題じゃなくなる。が、回線速度は上がりにくいので、圧縮率がネックになる。

 ここで最初の利用者が全米ホッケーリーグってのも、意外ではあるが納得。確かにスポーツ中継はライブじゃないとね。細い蜘蛛の糸一本で生きながらえたmp3は、お堅い研究者には思いもよらぬ形で市場を制覇してゆく。

 などの開発者に続き、登場するのがCDプレス工場で働くデル・グローバー。メカ好きではあっても研究者ではなく、ありがちなコンピュータ・オタク。職場じゃ真面目に残業をこなしつつ、やがては音楽海賊シーンの隠れた大物になってゆく。うんうん、当時は「パソコン通信」だったねえ。

 彼を中心に描かれるのは、ネットの中で繰り広げられる、胡散臭いコミュニティーの群雄割拠と栄枯盛衰。得体のしれない連中が寄り集まっては別れ、栄誉を求めて競い合うあたりは、「あの頃」のカビ臭い香りが漂ってきて、オジサンはちょっと遠い目になったり。

 グローバーや仲間たちが、発売前の音源を盗み出す多彩な手口も、驚くやら呆れるやら。日本版のボーナストラックって、案外と価値あるのね。

 そして最後に登場するダグ・モリスは、米国音楽界の大物ビジネスマン。彼を中心に描かれるアメリカのミュージック・ビジネスは、音楽好きな者に複雑な気持ちを湧きあがらせる。なんたって、CDの価格が安い。$16.98でも「強気の価格」とは。ちなみに原価は$1未満。

 彼が新人を発掘するあたりも、アメリカの音楽シーンの豊かさを物語る。例えばカレッジ・チャート。向こうの大学には(たぶんFM)ラジオ局があって、独自の番組を作って放送している。

 これはたぶん電波法の違いが大きいんだろうけど、お陰で大学に限らず有象無象の小さなラジオ局がウジャウジャあるのだ。競争が激しいため、カントリーばっかしとかラップだけとか局ごとの個性も豊かで、ご当地スターも沢山いる。そういう所から、新しいミュージシャンが次々と生まれるのだ。

 大物ミュージシャンも若者の発掘に熱心で。日本だと小室哲哉とつんく♂ぐらいしか知られていないけど、例えば KISS のジーン・シモンズはメタル系を、プリンスもファミリーを組みシーラ・Eなどを育てている。ごめんね、例えが古くて。

いやこの本に出てくるのはヒップホップ系が多いんだけど、私はソッチをよく知らないのよ。時代的にヒップホップが市場を呑みこんでいく頃を描いているため、出てくるのも2パックやジェイ・Zなど、そっちの人が多く、彼らが津波のように米国音楽界を席巻していく様子も生々しく描かれる。

 などと並行して、大企業病に冒された日本の家電企業とイケイけな韓国企業の対比、ラジオ局とレコード会社の薄暗い関係、海賊とFBIのチェイス、アップルの殴り込み、そしてもちろんナップスターなど、「あの頃」の楽しい話題がいっぱい。

 今の時代がとってもエキサイティングな事を再確認させてくれる。とっても楽しくて少し懐かしい本だ。

【関連記事】

【どうでもいい話】

 ところで。ラジオがテーマの曲っていうと、何を思い浮かべます? 私はこんな所かなあ。

  • カーペンターズの「イエスタデイ・ワンス・モア」
  • ジャーニーの「レイズド・オン・レイディオ」
  • バグルスの「ラジオスターの悲劇」
  • RCサクセション の「 トランジスタ・ラジオ」
  • スティーリー・ダンの「FM」

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2018年4月13日 (金)

デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 7

1920年から28年の間、選挙で選ばれたパレスチナのアラブ人社会における指導層の少なくとも1/4は、本人がじかに、あるいは家族を通じて、ユダヤ人入植者に土地を売っている。
  ――第58章 チャーチルとパレスチナ問題

19世紀のイギリスは、中東を侵略しないという了解を相互に結ぶことによって、ヨーロッパ列強との間に事を構えずにやってきた。しかし、それだけにとどまらない。その結果、世界は安定を保ってきたのである。
  ――第59章 ばらける連合

第一次世界大戦のさなかと戦後に、イギリスをはじめとする連合国は中東の古い秩序を根こそぎ覆した。中東のアラビア語圏におけるトルコの支配を一掃したのだ。(略)
その結果、1914年から22年にかけて生じた一連の出来事は、ヨーロッパの中東問題に終止符を打ちはしたが、新たに中東自体における中東問題を生み出してしまった。
  ――第61章 中東問題の解決

デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 6 から続く。

【どんな本?】

 混迷が続く現代の中東。その原点を、第一次世界大戦とそれに続くオスマン帝国の崩壊に求め、オスマン帝国の遺産をめぐる欧州列強の争いと誤算を、イギリスそれもウィンストン・チャーチルとロイド=ジョージに焦点を当てて描く、迫真の歴史ノンフィクション。

【ほころびる防衛ライン】

 第一次世界大戦は終結したが、イギリス経済は疲弊し、国内には不満が渦巻いていた。この危機にチャーチルは果断に軍事費を削減、戦争で召集した将兵の復員を強引に進めてゆく。これは海外の駐屯地も例外ではない。

 戦後の戦略として、イギリスは地中海からインドへと続く陸の回廊を求めた。しかし、その西端エジプトからパレスチナ・メソポタミア(イラク)・ペルシア・アフガニスタンと、いずれもイギリスの目論見は外れ、政権交代や反乱が相次ぎ、その支配の土台が崩れてゆく。

 おまけに欲をかいたギリシアが新生トルコに余計な出入り(→Wikipedia)を仕掛けたあおりで、ダーダネルズおよびイスタンブルにおけるイギリスの支配権まで危うくなる始末。この状況を鑑みるに…

 カーゾン卿と外務次官のハーディング卿(略)は、ロシアの強引な進出に屈して中東の一部でも失えば、次にはその後方に位置する地域も失うことになり、これがドミノ倒しの連鎖反応を引き起こしてついにはインドも失うことになるだろうと主張した。
  ――第54章 ソヴィエトの脅威に怯えて

 冷戦期のアメリカがベトナム介入の言い訳に使ったドミノ理論そのままだ。理論といえば理屈で考えた末の結論のように思えるけど、実際は本能的な恐怖による条件反射みたいなモンじゃなかろか。

【分析】

 連鎖反応的に次々と事が起これば、ヒトはそこにパターンを見出す。事実、根拠と思える事実はあった。

新たにモスクワの庇護を受けることになったイスラーム諸国がすべて、ロシア主導のもと、反イギリスで手を結んだ。条約はいずれも、帝国主義に反対するものだったが、具体的対象となるのがイギリス帝国主義であることは疑いの余地がなかった。
  ――第52章 ペルシア(イラン) 1920年

 そう、レーニンが率いるロシア改めソヴィエトと、その中核であるボリシェヴィキだ。確かにボリシェヴィキの扇動と支援はあった。が、実際は…

中東の部族民にとっては、部族という単位を超えて忠誠を尽くすような対象はひとつも存在しなかった。
  ――第56章 エンヴィル、ブハラに死す

 彼らはそれぞれの都合に応じて勝手に動いているだけなのだ。それを今まではオスマン帝国が抑え、それなりの秩序を保ってきた。だが、第一次世界大戦によるオスマン帝国が崩壊し、その遺産を奪ったのはイギリスだった。ところが、そのイギリスの駐屯軍はチャーチルの軍事費削減でヘロヘロ。

 となれば、もう抑えは効かない。ウザいポリ公がいねえ、こりゃチャンスだぜヒャッハー。

 こういった、旧支配層が失われたため、様々な勢力がそれぞれ勝手に暴れまわるっていう図式は、現在のイラクやシリアやイエメンやアフガニスタン、そしてパキスタンの部族直轄地域も共通している。

 あの辺は元来そういう所、と言っちゃえば簡単だが、ぼちぼち100年近くたってるのに、相変わらずってのは、何なんだろうね。

 それはともかく。当時は偽書『シオンの長老の計画』(→Wikipedia)が人気を博した頃でもあり…

イギリス情報部は、ボリシェヴィズムも、国際的な金融取引も、汎アラブ主義や汎トルコ主義も、イスラームとロシアの存在も、すべては世界を股にかけて暗躍するユダヤ人とプロイセン人のドイツが結託して事を進める大がかりな陰謀の手先であるとみなした。
  ――第53章 敵の正体を暴く

 はい、やっと 5 からつながった。当時の流行りで、今も細々と続いている、ユダヤ陰謀論ですね。

 今にして思えば、汎アラブ主義・汎トルコ主義・スラーム・ロシア・ドイツ、いずれもユダヤとめっぽう相性が悪いんだからお笑い草なんだけど、当時のイギリス情報部は真面目にそう考えていた。「自分に都合の悪い奴はみんな裏でつながってる」と考えるクセが、ヒトにはあるんだろうか。

【おわりに】

 と、現在まで続く中東の混乱の根源を、第一次世界大戦に伴うオスマントルコ帝国の崩壊に遡り、これに対するイギリスの軍事/外交政策を中心に描きつつ、「アラビアのロレンス」に代表される俗説を次々と覆す、なかなか痛快な本だった。

 言われてみれば、今も騒動が続いている地域の多くは、かつてのオスマン帝国領なわけで、なるほどと思う所は多い。

 また、私はパレスチナ問題に関心があるんで、それ関係のネタも楽しかった。アミーン・アル=フサイニー(→Wikipedia)やデイヴィッド・ベン=グリオン(→Wikipedia)など、「おおエルサレム!」で活躍する面々が出てくるのも懐かしい。

 とまれ、主題が主題だけに、1925年以降の話は出てこないので、そのあたりも知りたくなってしまうのは、困った副作用かも。確か「アラブ500年史」のユージン・ローガンが「オスマン帝国の崩壊」なんてのを出してたんで、そのうち読むつもり。

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2018年4月12日 (木)

デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 6

オスマン帝国の窮状は連合国軍の想像を超えていた。ブルガリアが崩壊したため、オーストリアとドイツへの陸路が断たれ、補給だけでなく希望も失われた。国内でも、オスマン帝国軍からの100万人にのぼる脱走者が狼藉の限りを尽くしていた。
  ――第39章 トロイアの浜を望んで

ヨルダンがかつてパレスチナの一部だったことは、今日ではほとんど忘れられている。
  ――第57章 主導権を握るウィンストン・チャーチル

 デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 5 から続く。

【グレート・ゲームのはじまり】

 世界大戦が終結に向かい始めると、それぞれの国は戦後に向けて動き始める。イギリスの考えは、こうだ。地中海からインドへつながる陸の回廊が欲しい。ところが…

ロイド=ジョージ「トルコ帝国は、東方における我が国の大いなる財産――インド、ビルマ、マラヤ、ボルネオ、ホンコン、および、オーストラリアとニュージーランド両自治領――に至る陸路と海路をふさいでいる」
  ――第33章 バルフォア宣言への道

 そのオスマン帝国が潰れそうだ。フランスはシリア(現レバノンを含む)を欲しがっているから、くれてやろう。南下を目論むロシアの防波堤にもなるし。我々はパレスチナ・メソポタミア・ペルシア・アフガニスタンをいただこう。

 いい気なもんだが、肝心のトルコについて、どれぐらい知っていたか、というと。トルコじゃ革命が起きて大騒ぎだってのに…

連合国首脳は、(略)ムスタファ・ケマルについて、ほとんど知識を持ち合わせなかった。イギリス外務省もイギリス情報部も、ケマルが親スルタンなのか反スルタンなのかを首相に報告することさえできない有様だった。
  ――第42章 講和会議という非現実世界

 と、情けないありさま。名高いMI6も、不慣れな場所じゃ役に立たないんだね。ばかりか、自らが関わったアラブの反乱についても…

パレスチナおよびシリア方面作戦に参加したファイサルのアラブ人部隊は、約3500人で構成されていたが、ロイド=ジョージの手元には、戦時中のいずれかの時点でファイサル、またはフサインに仕えた、あるいは同盟したアラブ人が約10万人にのぼる、という公式声明が届いていた。
  ――第39章 トロイアの浜を望んで

 と、とんでもない勘違いをしている有様。そもそも現地の人々に対しては…

アレンビー将軍は、アラブ人とフランス人の間で戦争が勃発するかもしれない、と警告した。ウィルソン大統領は(略)中東に調査団を派遣して住民の意思を確認しようと提案し、ロイド=ジョージとクレマンソーの虚を突いた。(略)
欧米でいう「世論」というものが、中東には存在しないと信じていたからだった。
  ――第41章 裏切り

 と、ハナから無視、どころか、考える必要があるとすら思っていなかった様子。ウッドロー・ウィルソンの姿勢は、今のアメリカからはとうてい考えられない。ベトナムやイラクやアフガニスタンでも、こういう考え方を持っていればなあ。

【戦争末期の混乱】

 なんにせよ、インドにつながる陸の回廊を夢見たイギリスだが、現実はどうにも様子が違う。ロシアはソヴィエトとなり、例えば中央アジアでは…

こうして、トルキスタンの平原で(略)混乱のうちに戦闘が始まった。(略)連合関係が入れ替わり、いまやイギリスとトルコが組んで、ロシア、ドイツと戦っていた。
  ――第38章 袂を分かつ

 と、敵味方が入れ替わって大混戦。まさしく欧州情勢は複雑怪奇だ。

【先立つもの】

 なんとか終戦には漕ぎつけたものの、事態は思わしくない。膨れ上がった戦費でイギリス経済は苦境にあえぐ。そこでチャーチルは大ナタを振るう。大胆な軍縮を断行し、将兵を復員させた。これは中東も同じで…

1922年9月の時点で、チャーチルは中東にかかわる(略)年間経費を4500万ポンドから1100ポンドに縮小したのである。
  ――第57章 主導権を握るウィンストン・チャーチル

 チャーチルって、なんとなく好戦的な人だと思ってたけど、こういう面もあるんだなあ。それはいいが、中東の経費を削ったって事は、駐屯する将兵も減らしたって事だ。チャーチルはこれを新設した空軍による機動力で補おうと考えていた。

 戦車といい空軍といい、技術的な面でもチャーチルは先見の明があったんだなあ。海軍の艦艇も動力を石炭から石油に変えてるし。

 まあ、それはいいけど、空軍の効果については、今の米軍が身に染みて分かっているように、相手によりけりで。ベトナムやアフガニスタンのように、ゲリラ的な戦い方の相手に対しては、やっぱり限界があって、結局は陸上兵力が必要になるんだよなあ。

【点と線】

 そんなわけで、イギリスの支配的な地域では、反乱が相次いでしまう。

 エジプトでは、閣僚経験者のサアード・ザグルール(→Wikipedia)を代表とする代表団が、エジプトの独立を求めてイギリスと話し合おうとするが、イギリスは彼を逮捕・追放する。その結果、イギリスじゃ反英機運が盛り上がり、デモからストライキ、そしてイギリス軍人への襲撃へと発展してしまう。

(サアード・)ザグルールという一地方政治家を相手にしていたつもりが、気づいてみれば、全土に信奉者が広がっていた――これにはイギリスも驚いたが、当人はもっと驚いたかもしれない。
  ――第44章 エジプト 1918~1919年春

 ザグルール、法曹界の人で武闘派じゃなかったみたいだし、驚いただろうなあ。

 アラビア半島だと、イギリスの政策はよくわからない。ここではアラブの反乱を指揮するヒジャーズの王フサインと、後にサウジアラビア王国を創るサウードがにらみ合ってるんだが…

フサインに言わせれば、イブン・サウードの攻撃から自領を防衛するために、イギリスからの援助金のうち毎月一万二千ポンドを支出しなければならない。そのイブン・サウード自身、月に五千ポンドを援助として受け取っているのに、である。
  ――第46章 アラビア半島 1919年春

 戦ってる双方に、イギリスが金を渡してるわけ。たぶんインドとカイロの方針の不整合なんだろうが、間抜けな話だ。仮に軍事介入しようにも…

イギリス海軍がアラビア半島の海岸線を砲撃するとしたら、どんな目標が考えられるか、という問いに、湾岸担当の当局者は、砲撃する価値のあるものは存在しない、と答えている。
  ――第46章 アラビア半島 1919年春

 と、欧州の戦場での常識が通用しない土地なのだ。地図を見ればわかるように、アラビア半島なんて大半が不毛の砂漠だし。

 トランス・ヨルダン(現ヨルダン)では、フサインの次男でファイサルの兄、アブドゥッラーを国王に祭り上げる。そのトランス・ヨルダンの状況は…

ここ(トランス・ヨルダン)の住民は、等質の政治単位を形成してはいない。定住者とベドウィンは、鋭く一線を画している。(略)両者が共通の国家のために、単一の政府を形成するとは、とうてい期待できない。
  ――第49章 パレスチナ東部(トランスヨルダン) 1920年

 と、そもそも国としての一体感を欠いている。「知恵の七柱」でも、なんか覇気に欠ける人物に描かれているアブドゥッラー、この本でもロレンスは…

「アブドゥッラーに要する経費は陸軍一個大隊にかかる経費を下回っている。我々がいかなる解決を目指すにせよ、人気がすこぶる高くもなく、あまりに有能でもないかぎり、現体制は我が国の利益を少しも損なうことはない」
  ――第57章 主導権を握るウィンストン・チャーチル

 と、「傀儡にはちょうどいいよね」みたいな評だ。でも結果を見ると、中東戦争を除けばヨルダンは湾岸諸国同様に西側ベッタリな上に、比較的に政情も安定してるんで、いいい選択だったかも。

 と同時に、傀儡政権の指導者に求められる資質がよくわかる文章だ。有能で人気があっちゃ困るんです、宗主国としては。イラクの王に仕立て上げたファイサルみたく、なまじ覇気があると、困った注文をつけはじめるし。

【おわりに】

 無駄に長くなったけど、次の記事で終わります、たぶん。

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2018年4月11日 (水)

デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 5

ヒジャーズの反乱について、アラブ局は1918年の報告にこう書いている。「反乱はここ数カ月来、ようやくその重要性を示すようになり、日に日に拡大している。しかし同時に、ファイサルの軍隊の90%が盗賊の域を出ないことは、言っておかなければならない」
  ――第36章 ダマスカスへの道

 デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 4 から続く。

【はじめに】

 やっと下巻の半ばまで読んだところ。ここまで読んで、やっとこの本の主題が見えてきた。

 副題は The Fall of the Ottoman Empire and the Creation of the Middle East。直訳すると「オスマン帝国の滅亡と現代中東の創生」。まるでオスマン帝国と中東が主役みたいだ。

 が、中身はだいぶ違う。むしろ「大英帝国の挫折 PART 1」が近い。ちなみに PART 2 は第二次大戦後。これについてはラリー・コリンズ&ドミニク・ラピエールのインド独立を扱う「今夜、自由を」と第一次中東戦争のエルサレム攻防を描く「おおエルサレム!」が傑作です。

 というのも。記述の多くを、ロンドンのイギリス政府や、エジプト・インドの総督府に割いているため。同じ連合国のフランス・ロシア・アメリカや、敵のドイツ・オーストリアの記述は、イギリスの1/4にも満たない。比較的にマシなのはオスマン帝国だが、それでもイギリスの半分未満だろう。

【どんな本?】

 現在も戦火が絶えない中東。その原点を、第一次世界大戦と、それに続くオスマン帝国の滅亡、そして植民地を求める列強の領土的野心に求め、主にイギリスの中東政策を中心に、その軍事・外交の実態を赤裸々に描く、迫真の歴史ノンフィクション。

【アメリカ参戦】

 アメリカの参戦で勢力図は大きく変わる。が、当時のアメリカは孤立主義だし、率いるウッドロー・ウィルソンは欧州の植民地主義を嫌う。この本では学究肌で理想主義の半面、陰険な駆け引きには向かない人物に描かれている。

 アメリカは1917年に戦後世界を考える「調査会」を作るが、これも人材は学会寄り。ハーヴァード大学学長が候補者選定に関り、本部もニューヨーク公立図書館。

 アメリカが中東に疎いのはこの頃も同じで、「『中東』グループには、現代中東の専門家がひとりもいなかった」。浮世離れした人ばかりだったようで、報告書も、「この「地域に大量の石油が埋蔵されている可能性に言及していない」。

 ウッドロー・ウィルソンに代表されるように、この頃のアメリカは、今と全然違ってたんだなあ。そもそも学者が国のトップになるってのも、現代の日本やアメリカじゃ、ちと考えられないし。

【シオニズム】

 現在、イスラエルの主な後ろ盾はアメリカだ。確かに軍事的に重要な地域ではある。が、胡散臭い話も聞く。シオニズムが関わっているらしいが、日本人にはピンとこない。そもそもシオニズムって、ユダヤ教の一派だろ? それを、キリスト教プロテスタントのアメリカが、なぜ支援する?

 みたいな、シオニズムをめぐる謎も、少しだけ出てくる。が、この本での各国の対応は、何度もひっくり返るんで、結局はよくわからなかった。

 シオニズム支援の動きは、この頃からあったらしい。清教徒の一部は、こう信じた。「ユダヤの民が父祖の地に帰還すれば、メシアが再臨する」。たぶん、アメリカでは、今もこれが残ってるんだろうなあ。

 加えて、政治的な意図もある。フランスはマロン派を、ロシアは東方正教会を、それぞれ保護すると称して、オスマン帝国の分け前を求めている。イギリスも保護対象が欲しい。そこでシオニズムだ。ところが、当時のシオニズムってのは…

数字の記録が残る最後の日付である1913年の時点で、ジオニズム支持を表明していたのは、世界のユダヤ人人口の約1%にすぎない。
  ――第34章 約束の地

 と、あまし人気のある発想じゃなかったらしい。とまれ、当時の中東にはアチコチにユダヤ人がいて。

バグダードはエルサレムと並んで、アジアにおける二大ユダヤ人都市で、1000年前から「エクシラルク」――捕囚の地バビロニアにおけるユダヤ教の長――の座となり、したがって、東方におけるユダヤ教の中心地となっていた。
  ――第35章 クリスマスはエルサレムで

 今じゃとても信じられない。信じられないのはドイツの対応もそうで。

 オスマン帝国首脳はトルコ語を話すムスリム以外を敵視し、これがアルメニア人虐殺の一因になる。1917年、三羽烏の一人アフメト・ジェマル・パシャはエルサレムの民間人の追放を目論む。その大半はユダヤ人だ。これが実現しなかったのは、「ひとえにドイツ外務省が強硬に反対したおかげだ」。

 後のドイツの歴史を考えると、ちと信じがたい。逆に今のトルコ大統領エルドアンは反イスラエルに傾いているが、その源流はこの辺にあるんだろうか。

 下巻中盤には、ユダヤ陰謀論のネタ本として有名な偽書『シオンの長老の計画』(→Wikipedia)が出てくる。

 ロンドンでの出版は1920年だが、さっそく1921年夏には新聞記者が舞台裏を暴くあたり、昔から健全な記者魂はあったんだなあ、と感心する始末。ロンドン『タイムズ』紙イスタンブル特派員フィリップ・グレイヴズ曰く、「帝政ロシアの秘密警察が捏造したでっちあげ」だとか。

 ちなみに、この偽書、著者はロシアの役人セルゲイ・ニルスで、最初の発表は1903年の新聞。当時のロシアは…

19世紀後半から20世紀初頭の数年間にかけては、ポグロム(→Wikipedia)があまりに凄まじく、多数のユダヤ人が安全を求めてロシア帝国から逃げ出す有様だった。
  ――第32章 ロイド=ジョージのシオニズム

 ってな状況だったので、ユダヤ陰謀論がウケる素地は充分にあったんだろう。ちいなみに1990年代以降も、イスラエルにはロシア系の移民が押し寄せていて、確か「レーニンの墓」にその背景が書いてあった。要はポグロム再燃への恐怖です。

 とかを考えると、今のロシアがイスラエルを敵視するのも、単に軍事的な理由だけじゃないんだろうなあ、と思ったり。KKKが黒人を、日本の極右が韓国・朝鮮・中国人を憎むのと、似たような構図ですね。

【おわりに】

 ってのは置いて。このユダヤ陰謀論が、やがてイギリスでは説得力を持ち始める。というのも…と、続きは次の記事で。

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2018年4月10日 (火)

デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 4

サー・ヘンリー・マクマホン「私が心配なのは、アラブの反乱が鎮圧されてしまうことではなく、成功してしまうことなのだ。そんなことになったら、イギリスにとって脅威だ」
  ――第23章 マクマホン書簡をめぐる怪

オスマン政府は、キリスト教徒ばかりでなくユダヤ人、とりわけパレスチナに住む六万人あまりのユダヤ人の忠誠心についても、疑念をいだいていた。
  ――第26章 敵戦線の背後で

(1916年)当時、この国(イギリス)の新聞界は(略)たったひとりの男が牛耳っていた。その人物、ノースクリフ卿(アルフレッド・ハームズワース)は、(略)ロンドンで発行される新聞の半分を同時に支配下に収めていたのだ。
  ――第29章 連合国で相次ぐ政権交代

 デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 3 から続く。

【どんな本?】

 今なお戦火が絶えない中東情勢の起源を、第一次世界大戦とオスマントルコ帝国の崩壊に求め、荒阿多に発掘した資料を元に、迷走する列強の軍事・外交戦略を、イギリスとオスマントルコ帝国を中心に、つぶさに描く迫真の歴史ノンフィクション。

【アラブの反乱 開演前】

 アラブの反乱は、「アラビアのロレンス」で有名だ。が、その実体は、というと、T・E・ロレンス曰く「『知恵(の七柱)』のあの(ダマスカス解放)章は、本当と嘘が半々だからね」。この本は、その創作部分も幾つか暴いてて、私たちの思い込みをひっくり返してくれる。

 さて、反乱の神輿として担ぎ上げられたメッカの盟主フサイン・イブン・アリー。この本を読む限り、保守的で老獪な首長って雰囲気で、とてもじゃないが反乱に与するような人物には思えない。これは「知恵の七柱」でも同じで、典型的なアラブの地域ボスって感じだ。

 そんなフサインが、なぜ立ったか。一つにはキッチナーが勘違いして与えた餌、カリフの地位もあるだろう。それ以上に重要なのは、彼の尻には火がついてたのだ。少なくとも、フサイン自身はそう思い込んでいた。

 メッカの目玉商品は巡礼だ。ラクダやウマやロバのキャラバンで巡礼者を聖地であるメッカやメディナに送り迎えし、それのアガリで食っている。ところがオスマン帝国は、ヒジャーズ鉄道をダマスカスからメッカまで伸ばそうとした。んな真似されたら客をゴッソリ奪われ、フサイン一党は干上がってしまう。

 公的な地位の問題もある。メッカの盟主の地位は、オスマン帝国から与えられたものだ。ところが首都イスタンブールでCUP(青年トルコ人)によるクーデターが起き、トップが変わった。そのあおりでフサインは解任される手はずになっていたのが、戦争のドサクサで先送りになっていたのだ。

 ヤバいと感じたフサインは、保険をかけた。オスマン帝国内にもCUPを快く思わぬ者はいる。CUPはトルコ語の話者を贔屓するので、アラビア語を話すアラブ人にはウケが悪い。そこで三男ファイサルを通じ、反乱をたくらむダマスカスのアラブ人秘密結社と連絡を取る。

 これが裏目に出た。

 1916年四月、フサインに悪い知らせが届く。3500人のオスマン軍精鋭部隊がアラビア半島先端に向かう、と。目的は電信基地建設としているが、途中でフサインの縄張りヒジャーズを通る。これをフサインは、裏切り者を撃つ討伐部隊だと思い込んだのだ。

 保守的な人間を動かすには、餌をチラつかせるより、足元を揺さぶる方が効果的なんだと思う。

【アラブの怪人】

 この裏では、謎めいて胡散臭い人物が暗躍している。ムハンマド・シャリーフ・アル=ファルーキ。1915年に突然現れ、1920年にイラクの路上で殺されている。

 1915年当時は24歳。元オスマン陸軍の参謀中尉。ダマスカスで秘密結社に属し、CUP政権の三羽烏ジェマル・パシャ(→Wikipedia)に睨まれ地獄のガリポリ戦線(→Wikipedia)送り。そこで脱走してイギリス軍に身を投じ、重大な情報を握っていると称してカイロのイギリス情報部の尋問を受ける。

 ここでファルーキは思いっきりフカす。曰く、ダマスカスの秘密結社アル=アハドはオスマン陸軍に数十万の同志を持ち、またフサインともツルんでいる。フサインが立ち上がれば、呼応して同志も決起するだろう。これを聞いたキッチナー一党、そりゃもう大興奮。

 以後、ファルーキはカイロ・メッカ・ダマスカスを行き来し、連絡役を務める。いずれの者からも、ファルーキは他の二者いずれかの使者と思われていたらしい。

 と、正体を隠して暗躍したファルーキ、三者それぞれに都合のいい話を吹き込み、ソノ気にさせてゆくのだ。何者なのか、何を目論んでいたのかは全く分からないが、このペテン師が時代を大きく動かしたのは事実で…

アル=ファルーキのたぶらかしに乗ってしまったのは、マクマホン書簡だけではなかったことがわかる。もっと重要なことは、いわゆるサイクス=ピコ=サゾノフ協定を結ぶにいたったイギリスのフランとロシア、のちにイタリアも加えての交渉も、それに続く連合国間のオスマントルコ分割秘密協定の了解事項もまた、謎の人物アル=ファルーキ中尉の仕組んだいかさまが生んだものだったということである。
  ――第24章 戦後中東の領土分割をめぐる連合国の軋轢

 と、現代に至るまでの紛争の種を蒔いている。SF者としては、思わずタイムマシンを絡めた話を創りたくなってしまう。

【アラブの反乱 開演】

 そんなわけで、追い込まれたフサインはついに立ち上がる。ただし、その前に、オスマン政府からイギリス相手の戦費として五万ポンド以上の金貨を、イギリスからもトルコ相手の戦費をせしめていたというから、なかなか老獪だ。ただし、肝心の反乱は、ファルーキの話とは違い…

結局のところ、フサインが期待していた「アラブの反乱」は、いくら待っても起こりはしなかった。
  ――第28章 空回りしたフサインの反乱

 オスマン軍中のアラブ人も、他の部族も、誰も立ち上がらなかった。みんなオスマン帝国そのものを潰そうとは思ってなかったらしい。おまけにフサインの手持ちの部隊も数千人程度。これじゃ話にならん、って事で、ロレンスお勧めのゲリラ戦でお茶を濁す羽目になる。 

【クートの戦い】

 ガリポリの戦いも地獄だが、クート=エル=アマラの戦い(→Wikipedia)も切ない。

 「1914年11月6日、イギリスがオスマントルコに宣戦布告をした翌日」、英印連合軍はティグリス・ユーフラテス川の河口から攻め上る。目的はペルシアの油田からの石油補給を守ること。トルコ軍の抵抗は弱く、11月21日には120km奥のバスラまで進軍する。

 調子こいたメソポタミア遠征軍司令官のサー・ジョン・ニクソン将軍、チャールズ・ヴィア・フェラーズ・タウンゼント少将率いる第六師団にバグダード攻略を命じる。

 タウンゼントは嫌がった。この辺りは湿地と砂漠で、蚊や蠅が伝染病を媒介する。加えて道路も鉄道もなく、補給も進軍も難しい。進めば進むほど友軍の補給線は伸びる半面、バグダートを基地とする敵は補給が楽になる。しかも敵の指揮官は名将コールマン・フォン・デル・ゴルツ元帥である。

 にも関わらず、タウンゼントは卓越した指揮でバグダートから160kmのクテシフォンまで軍を進める。が、そこで力尽き、160km下流のクート=エル=アマラまで退却、陣を築いて立てこもる。救援を求めるが、ここで英軍は戦力の逐次投入の愚を犯す。

 146日の籠城の末、タウンゼントは「武器を破壊して無条件降伏」。この後が切ない。タウンゼント将軍はイスタンブルで快適に暮らしたのに対し、部下の将兵は…

バグダートまで160km、そこからさらにアナトリアまで800kmの「死の行進」を強いられたあと、鎖につながれて鉄道工事の重労働に駆り立てられた。最後まで生き延びた者は、ごくわずかだった。
  ――第25章 ティグリス川で勝利を収めたトルコ軍

 いつの時代も、ツケは下っ端が払う羽目になるんだよなあ。

【おわりに】

 以後、アルメニア人虐殺やキッチナーの死、ロシア革命などが上巻で描かれるけど、わたしの都合でその辺はとばして、次の記事から下巻に移ります。

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2018年4月 9日 (月)

デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 3

オスマン帝国の直接治世下を逃れてきていたこれらの亡命者は、ここ何十年来論議の的となっていた問題――オスマン帝国でアラビア語を常用しているさまざまな人びとは、いったい何者なのか、あるいは何者であるべきなのか、という問題を今も抱えていた。
  ――第10章 キッチナー、イスラームの抱き込みを画策

 デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 2 から続く。

【どんな本?】

 今なお戦火が絶えない中東情勢の起源を、第一次世界大戦とオスマントルコ帝国の崩壊に求め、荒阿多に発掘した資料を元に、迷走する列強の軍事・外交戦略をつぶさに描く、迫真の歴史ノンフィクション。

 とか書くと、私がこの本の全体を把握できてるように見えるけど、今やっと下巻を読み始めた所です、はい。

 とりあえず今気がついたのは、イギリスの記述が異様に多いこと。その分、フランスドイツ・ロシアはとてもアッサリと片づけてる。イギリスに次いで多いのはオスマン帝国で、これは騒動の舞台なんで当然なんだが、ここでも記述の半分以上をイギリス人が占めてたりする。

 だもんで、まるでイギリスが単独で戦っているような印象を受けてしまう。

 もっとも、これは目次を見れば一目瞭然なんで、今まで気が付かない私が鈍い。

【わかってるけどわかってない】

 そんなイギリスは、中東についてどれぐらい知っていたか、というと…

1917年にイギリス軍がシリアを目指して北方に侵攻したとき、陸軍当局から現地の状況を記した案内書の提示を養成されたイギリス情報部は、現地の社会状態や政治情報についてヨーロッパの言語で書かれた書物は一冊も見当たらないと回答したのだった。
  ――第8章 キッチナー、陣頭に立つ

 なんて無様な有様。もっとも第二次世界大戦後の合衆国も、ベトナム・アフガニスタン・イラク政策を見る限り似たようなモンだし、末期の清朝も国際情勢に疎かったから、大国ってのは、そういう性質になりがちなのかも。

 そんな所に登場したのが、陸軍元帥ホレイシオ・ハーバート・キッチナー(→Wikipedia)。スーダンを征服・平定し、ボーア戦争を勝利に導いた英雄だ。しかも今は総督としてエジプトを仕切る身。となれば、誰だって中東情勢に通じていると思うだろう。そんな人が、陸相として戦争を率いる立場に就く。

 が、しかし。

 彼が知っていたのは、エジプトとスーダンだけで、シナイ半島から北については何も知らなかった。にも関わらず、キッチナーとその一党は、こう考えた。

 ムスリムはカリフに従う。ならイギリスに都合のいい者をカリフにしよう。メッカの盟主フサイン・イブン・アリー(ファイサルの父)が丁度いい。これでオスマン帝国ばかりかペルシアからアフガニスタン・チベットに至る全ムスリムを掌握できるぜ。

 どうも彼らはカリフって地位を、ローマ法王みたいな宗教上の最高指導者と考えていたらしい。が、実際は、カリフって地位は政治も仕切れば軍も指揮する、絶対的な権力者である。んな事も分かってなかったんだとしたら、呆れるばかりだ。

【東方の声】

 そこでインド政府外務省から横やりが入る。インドったって、今のインドじゃない。現在のバングラデシュとパキスタンを含んでいる。そして、実質的には大英帝国のインド出張所だ。

 加えて、「チベット、アフガニスタン、ペルシア、東部アラビア(略)との関係に責任」を負い、「アデンやペルシア湾岸のいくつかの首長国などイギリスの保護領」に「知事や現地常駐代表」を置く。ほとんど紅海より東の大英帝国領すべてを面倒見る立場であり、領内に多数のムスリムを抱えている。

 そんな彼らの理想は…

「我々が求めているのは団結したアラビアではなく、分裂した無力なアラビア、我々の宗主権のもとでできるかぎり小さないくつもの首長国に分かれたアラビア――我々に敵対して共同行動を起こす能力はないが、西欧の列強に対する緩衝地帯の役目を果たすアラビアである」
  ――第11章 インド政府の抗議

 典型的な「分割して統治せよ」だね。こういった政策上の対立に加え、縄張り争いもあり、またインドの推しはアブドゥルアズィーズ・イブン・サイド(後のサウジアラビア初代国王)、フサインのライバルだから、さあ大変。

 ところでこのイブン・サウード、名前は何度か出てくるんだが、この本じゃ人物像はよくわからない。フサインはかなり詳しく書いてあって、地に足の着いた考え方をする保守的で老練な首長って印象を持った。そんな保守的な者が、アラブの反乱なんて冒険に出るのは意外だが、そこは追って。

【補給戦】

 前の記事でアクロバティックなまでに見事な外交を見せたエンヴェル・パシャ(→Wikipedia)。でも軍事じゃ無能だった模様。

 戦争でも手柄を立ててええトコ見せようと張り切り、カフカスを越えロシアに攻め入ろうと画策する。ところが冬に4000m級の山脈越えなんて無茶な条件に加え、補給の無視が祟ってトルコ陸軍の精鋭第三軍を潰してしまう。将兵十万人中の八万六千が「命を落とした」って、敗戦なんてモンじゃない。

 おまけに若い働き手と牛馬を奪われた農村は荒れ、収穫はガタ落ち…って、まるで20世紀半ばの極東の某国みたいだ。

 そんなボロボロのオスマン帝国に、大英帝国が誇る艦隊が首都イスタンブールへと迫る。

【海峡】

 地中海から黒海への入り口となるダーダネルズ海峡は、昔から戦略の要所だ。ここを墜としゃ一発じゃんと考えた英仏は艦隊を派遣、「艦隊は(1915年)三月十八日午前十時四十五分、いよいよダーダネルズ海峡突入の総攻撃を開始した」。

 ここの戦闘の記述は、短いながらも読みごたえがある。というのも、最終的に艦隊は撤退するんだが、被害を受けた五隻中の四隻は機雷にやられたらしい。一隻だけはトルコ軍の砲火によるものだけど。その結果…

三月十八日の戦いのあと――この戦闘でド・ローベック提督はすっかり怖じ気づいてしまい、率いる艦隊に退却を命じてしまったのだが――実はトルコ軍の司令官たちはこの戦いに勝ち目はないと観念していた。
  ――第18章 運命を分けたダーダネルズ海峡の攻防

 というのも、トルコ軍の弾薬は既に尽きており、「手持ちの弾薬を撃ち尽くした上で陣地を放棄せよという命令を受けていた」。ほんと、あと一歩だったのだ。

 これをどう考えるかは人それぞれだろうが、私は機雷の威力を思い知った。狭い海域に入念に設置した機雷は、要塞の砲火にも勝るらしい。

【ガリポリ】

 海軍が駄目なら陸軍で、って事で、今度はガリポリ半島上陸作戦(→Wikipedia)が描かれる。これも阿呆な話で。奇襲が功を奏して上陸は無傷で成功。ところが一部の部隊は更に進んで崖を登ろうとせず、砂浜に塹壕を掘って立てこもる。

 その間にトルコ軍は増援を得て、崖の上に塹壕を掘って撃ちおろす。高所を取った方が有利なのは素人の私でもわかる。ってんで、最終的には…

連合国軍とオスマントルコ軍がともに50万の兵力を投入し、それぞれが約25万人の死傷者を数えたのである。
  ――第21章 消え失せた灯台の光

 元は先の艦隊ダーダネルズ突入と合わせた陸海同時作戦だったし、そうしてれば成功してただろうとか、このあたりは連合国側のヘマがやたらと目立つ上に、ちょっと日露戦争の旅順攻略を思い起こさせる状況でもあり、軍ヲタにはかなり美味しい章だった。

【おわりに】

 は、いいが。やっとこさ第Ⅲ部まで来たが、この本は全部で第Ⅻ部まである。この調子じゃいつまでたっても終わらんぞ、と不安を深めつつ、次の記事に続く。

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2018年4月 8日 (日)

デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 2

サー・マーク・サイクス「オスマン帝国の消滅は、我がイギリス帝国が消滅に向かう第一歩に違いない」
  ――第7章 オスマン帝国政府の策略

 デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 1 から続く。

【どんな本?】

 今なお戦火が絶えない中東。その火種はいつ撒かれたのか。

 ボストン大学で歴史学教授を勤める著者が、新しく掘り起こされた資料を元に、第一次世界大戦と、それに続くオスマン帝国の崩壊、そしてヨーロッパの列強が中東に抱く野望を軸に、主要な人物の思惑にまで踏み込み、多くの通説を覆す実態を明らかにする、衝撃の歴史絵巻。

【疲弊したオスマントルコ】

 前の記事では、列強に食い荒らされるオスマン帝国の悲惨な内情を紹介した。

 それだけに国内には不満が渦巻き、やがてCUP(青年トルコ人)によるクーデターが勃発、政権掌握へと至る。

 当時のオスマン帝国は広い。現在のトルコ・シリア・レバノン・ヨルダン・イスラエル・イラク・サウジアラビアに及ぶ。加えてエジプト・スーダン・イエメンも、名目上は支配下にある。実質的にはイギリスが仕切ってるけど。

 今のシリア内戦でもわかるように、これだけ広い地域だと、住む人も様々だ。アラブ、アルメニア、シーア派、マロン教徒、ユダヤ…。しかし、CUPは…

いったん権力の座を占めると、CUP(青年トルコ人)は前言を翻してそのナショナリズムの暗い側面を露呈し、トルコ語を母語とするムスリムがほかの住民グループに対し絶対の優位に立つことを主張したのだった。
  ――第4章 青年トルコ人運動、懸命に同盟者を求める

 国粋主義というより、民族主義だね。しかも、帝国の版図でトルコ語を話すムスリムは4割程度。最大勢力ではあっても、支配的とまではいかない。こういったあたりも、中東の火種になってる気がするんだが。

【二隻の戦艦】

 などと、この本の特徴の一つは、オスマン帝国&イギリス両国の内情に多くの記述を割いている点だろう。それも、主な人物の思惑にまで踏み込むことで、通説とか大きく異なったドラマが展開する。

 最初にそれを痛感したのが、トルコ参戦のきっかけとなる、イギリスによるスルタン・オスマン一世号&レシャディエ号の接収。「八月の砲声」では、こんな風にドラマが進む。

トルコ「イギリスの旦那、チャカ二丁(戦艦二隻)都合つかんか?」
イギリス「よござんす」
  ――第一次世界大戦勃発――
トルコ「ぼちぼち渡してくれんかのう」
イギリス「いや非常事態なんでウチが頂きますわ」
トルコ「ナメとんのかワレ!」
ドイツ「トルコの親分さん、ワシらと組めば戦艦二隻にテッポダマ(乗組員)つけますわ」
トルコ「よし乗った!」

 まず、違うのが、トルコの戦艦をイギリスがガメるくだり。本書によれば、これは当時の海相チャーチルの先走った個人プレイだとか。造船所や警備当局に戦艦の足止めを命じ、実質的に確保した後に、内閣の承認を取っている。

 トルコの側も、「八月の砲声」ではパクられてから怒った事になっているが、少し違う。当時のトルコの陸相エンヴェル・パシャは、イギリスがパクるだろうと読んでいた。そこにドイツからアプローチが来る。ドイツには時間がない。地中海じゃ二隻の戦艦が英国海軍に追われ、イスタンブールに匿って欲しい。

 そこで取引である。トルコはドイツに対し、見返りに列強との不平等条約の撤廃、および勝利の際の領土の分け前を求める。イギリスに戦艦二隻をパクられたのを隠し、ドイツ艦と艦隊を組もうと持ち掛ける。

エンヴィルとタラートは、内密のうちにフォン・ヴァンゲンハイム大使にスルタン・オスマン一世号を提供すると申し出ていたのである。
  ――第6章 チャーチル、トルコの戦艦二隻を接収

 ばかりか、追い詰められたドイツの弱みにつけ込み、ドイツ戦艦二隻は乗組員込みでトルコに譲らせ、支払ってもいない八千万マルクの領収書を受け取り、かつ戦費として二百万トルコ・ポンドの金塊までせしめている。金を配るしか能のない我が国から見ると、羨ましい限りの外交手腕だ。

 もっとも、そんな凄腕のエンヴェル・パシャも、前線の指揮官までは思い通りに動かせなかった。トルコは「攻撃を受けたので仕方なく反撃した」形にしたかったんだが…

 ドイツ戦艦ゲーペン号&ブレスラウ号を中心とした黒海艦隊司令官を務めるドイツ人ゾーホン提督、ロシア沿岸に砲弾の雨を降らせ、強引にトルコを戦争に引きずり込んでしまう。

 先のチャーチルの先走りもそうだし、好戦的な個人の行動で国家が戦争に深入りせざるを得なくなる例って、案外と多いんじゃなかろか。戦争って、火をつけるのは個人でも出来るけど、消すには多くの人が協力しなきゃいけない、そういう困った性質のシロモノなのかも。

 などの騒動の原因を作ったチャーチル、イギリス世論は拍手喝采なんだが、深く懸念する人もいて、それが冒頭の引用。

【おわりに】

 って、ここまで書いて、まだ第Ⅰ部だけ。果たしてちゃんと最後まで紹介できるんだろうか?と不安を抱えつつ、次の記事に続く。

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2018年4月 6日 (金)

デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 1

 私たちが現在、ニュース報道を通じて知っている中東は、元をただせば第一次世界大戦の戦中戦後に、連合国が下した一連の決定が生み出したものだ。私はこの一冊の本の中で、連合国がいかにして、またなにゆえにそうした決定を下したのか――それをもたらしたのはいかなる期待と懸念、愛と憎しみ、失策と誤解があってのことだったのか――その経緯について語ることにする。
  ――序文

【どんな本?】

 1914年6月28日、サラエボの銃声から始まった第一次世界大戦は、ヨーロッパ全体を覆う。その頃、中東に君臨するオスマントルコ帝国は、度々の敗戦・列強による権益の蚕食・進まぬ社会基盤の整備や殖産興業・重い負債による財政破綻・政府の弱体化そして内紛と、瀕死の状態にあった。

 当初は傍観の姿勢にあったトルコだが、イギリスに発注していた戦艦二隻を没収されるに至り、ついに戦乱の渦へ投げ込まれる。だが、この機に乗じようと、様々な者たちが蠢動を始めた。

 アフガニスタンを舞台にグレート・ゲームを繰り広げるイギリスとロシア、シリアを狙うフランス、同盟国を求めるドイツ、歴史的な因縁を抱えるギリシアやバルカン諸国、オスマン帝国からの独立を望むエジプト、王国を夢見るメッカの盟主フサイン・イブン・アリー、その隙を窺うアブドゥルアズィーズ・イブン・サウード、イスラエル建国を切望するシオニスト…

 現在の中東の騒乱の源泉を第一次世界大戦に求め、特にウィンストン・チャーチルに焦点を当てながら、関連する諸国・諸勢力の思惑と駆け引き、そして勘ちがいと誤算を日の元に晒す、歴史学者による迫力のノンフィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は A Peace to End All Peace : The Fall of the Ottoman Empire and the Creation of the Middle East, by David Fromkin, 1989。日本語版は2004年8月31日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで上下巻、本文約405頁+449頁=約854頁に加え、平野勇夫による訳者あとがき10頁。9ポイント46字×20行×(405頁+449頁)=約785,680字、400字詰め原稿用紙で約1965枚、文庫本なら四巻分の大容量。

 分厚いハードカバーの上下巻と、一見威圧的な雰囲気だが、意外と文章は読みやすい。内容もあまり難しくないし、たいした前提知識も要らないが、当時の国境については、多少は知っている方がいい。

 例えば、この本でのインドは、現代のインドに加え、バングラデシュとパキスタンを含む。また主な舞台となるトルコは、現在のトルコに加え、シリア・レバノン・ヨルダン・イラク・イスラエル・パレスチナ・サウジアラビアなど湾岸諸国を含み、名目上はイエメンとエジプトとスーダンもオスマン帝国の傘下にある。もっとも、オスマン帝国の版図は、上巻の巻頭に地図があるので、それを見ればスグにわかるけど。

 また、各勢力の駆け引きは、それぞれの個人の立場や思惑も絡んで、スパイ物のように込み入って複雑な様子になるんだが、落ち着いて読めばだいたい構図が見えてくる。推理小説を読むつもりで、じっくり読もう。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に話が進むので、素直に頭から読もう。

  •   上巻
  • 関連地図/本書に登場する主な人物/謝辞/序文
  • 第Ⅰ部 歴史の十字路に立って
    • 第1章 古きヨーロッパ最後の日々
    • 第2章 アジアにおける覇権争いの遺産
    • 第3章 第一次世界大戦前の中東
    • 第4章 青年トルコ人運動、懸命に同盟者を求める
    • 第5章 大戦前夜のウィンストン・チャーチル
    • 第6章 チャーチル、トルコの戦艦二隻を接収
    • 第7章 オスマン帝国政府の策略
  • 第Ⅱ部 ホレイシオ・キッチナー元帥、将来に備える
    • 第8章 キッチナー、陣頭に立つ
    • 第9章 キッチナーの腹心たち
    • 第10章 キッチナー、イスラームの抱き込みを画策
    • 第11章 インド政府の抗議
    • 第12章 メッカの総督フサイン、板挟みの苦境に
  • 第Ⅲ部 中東の泥沼にはまり込んだイギリス
    • 第13章 トルコ軍、立て続けの大敗
    • 第14章 キッチナー、イギリスのトルコ侵攻を承認
    • 第15章 ダーダネルズ海峡の勝利を目前にして
    • 第16章 トルコの海峡地帯横取りを狙うロシア
    • 第17章 中東におけるイギリスの目標設定
    • 第18章 運命を分けたダーダネルズ海峡の攻防
    • 第19章 将軍たちの思惑
    • 第20章 政治家たちの策謀
    • 第21章 消え失せた灯台の光
    • 第22章 「アラブ局」の創設
    • 第23章 マクマホン書簡をめぐる怪
    • 第24章 戦後中東の領土分割をめぐる連合国の軋轢
    • 第25章 ティグリス川で勝利を収めたトルコ軍
  • 第Ⅳ部 後方攪乱
    • 第26章 敵戦線の背後で
    • 第27章 キッチナー卿、北海に没す
    • 第28章 空回りしたフサインの反乱
  • 第Ⅴ部 最悪の事態に陥った連合国
    • 第29章 連合国で相次ぐ政権交代
    • 第30章 帝政ロシアの崩壊
  • 関連略年表/原注
  •   下巻
  • 本書に登場する主な人物
  • 第Ⅵ部 新世界と約束の地
    • 第31章 アメリカ、参戦へ
    • 第32章 ロイド=ジョージのシオニズム
    • 第33章 バルフォア宣言への道
    • 第34章 約束の地
  • 第Ⅶ部 中東への侵攻
    • 第35章 クリスマスはエルサレムで
    • 第36章 ダマスカスへの道
    • 第37章 シリアをめぐる戦い
  • 第Ⅷ部 勝利の利得
    • 第38章 袂を分かつ
    • 第39章 トロイアの浜を望んで
  • 第Ⅸ部 引き潮のとき
    • 第40章 時間との競争
    • 第41章 裏切り
    • 第42章 講和会議という非現実世界
  • 第Ⅹ部 アジアの暗雲
    • 第43章 揉め事の始まり 1919~1921年
    • 第44章 エジプト 1918~1919年春
    • 第45章 アフガニスタン 1919年春
    • 第46章 アラビア半島 1919年春
    • 第47章 トルコ 1920年1月
    • 第48章 シリアとレバノン 1920年春から夏
    • 第49章 パレスチナ東部(トランスヨルダン) 1920年
    • 第50章 パレスチナ(アラブ人とユダヤ人) 1920年
    • 第51章 メソポタミア(イラク) 1920年
    • 第52章 ペルシア(イラン) 1920年
  • 第Ⅺ部 ロシア、ふたたび中東に目を向ける
    • 第53章 敵の正体を暴く
    • 第54章 ソヴィエトの脅威に怯えて
    • 第55章 モスクワの目標
    • 第56章 エンヴィル、ブハラに死す
  • 第Ⅻ部 1922年の中東の解決
    • 第57章 主導権を握るウィンストン・チャーチル
    • 第58章 チャーチルとパレスチナ問題
    • 第59章 ばらける連合
    • 第60章 ギリシアの悲劇
    • 第61章 中東問題の解決
  • 訳者あとがき/関連略年表/原注/参考文献/索引

【感想は?】

 まだ上巻の半分ぐらいしか読んでないのだが、やたらと面白い。

 何が面白いといって、狐と狸の化かし合いと言うか、権謀術数を駆使した各国の駆け引きが、実に生々しく書かれているのがいい。

 今のところ、最も細かく描かれているのはイギリスで、次いでオスマン帝国、そして最後にツケを回される役のドイツ。それぞれに国家としての立場だけでなく、主要な役割を果たす人物にまで踏み込み、各員の国の中での立場や、国際関係への主義主張まで、生き生きと描かれている。

 これらを通じ、「八月の砲声」や「知恵の七柱」で刷り込まれた思い込みが、心地よく次々と覆されてゆく。

 まずは、当時のオスマン帝国の内情が切ない。

 タテマエ上はスルタンの絶対王政だが、事実上は各地の長老や首長が仕切っている。もともと四分五裂状態だったんだね、あの辺りは。徴税すら、「政府が直接徴税していた税金は全体のわずか5%」で、残りの95%は「政府から徴税権を買い取った取り立て請負人が徴税していた」。

 産業化しようにも通信・交通機関がない。整えようにも元手がない。投資したがる海外資本はあるが、同時に独占も企てている。ちょっと想像してみよう。JRやKDDや日本郵便や東京電力がロシア資本だったら、と。

 あの頃の鉄道が、どう凄いのかというと。それまではラクダ・ウマ・ロバのキャラバンで、一日の行程は「25~35km」。対して鉄道、速度は10倍以上、コストは1/10。勝負にならない。これはやがてメッカの盟主フサイン・イブン・アリーにも深く関わってくる。ロレンスが鉄道を敵視したのも、そのためか。

 何より厳しいのは財政。10憶ドルを越す外債が不渡りとなり、1881年に徴税管理権を英仏蘭独墺伊に明け渡す。これで「帝国の歳入のほぼ1/4」を失う。しかし失った財源の中に酒税があるのは、いいんだろうか? まあ今でもトルコは比較的に大らかみたいだけどw

 他にも裁判権や治外法権などもあって、国が他国に食い散らかされるとはどういう事か、痛いほどよく伝わってくる。日本史の教科書には、黒船到来による開国で不平等条約に悩んだと学んだが、その実情はピンとこなかった。が、この本の冒頭だけでも、その恐ろしさが実感できた。

 なんてのはホンの手始めで、面白くなるのはこれから

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2018年4月 4日 (水)

樋口恭介「構造素子」早川書房

「A=A'=false and A=true'」。以下の文字列はその論理式に含まれる。

無数の選び取られた可能性と、無数の選び取られなかった可能性の中で、無数に分岐する物語の可能性が開かれている――。
  ――3 Bugs

H・G・ウェルズ的な未来を思うこと――それは現状の社会を変えることでもあり、未来を変えることでもあった。
  ――6 Variables

誰だって自分が正しいと思うようにコーディングされてる。
  ――7 Engines

物語は無数の可能性の中で分岐し、無数の可能性の中で解釈されますが、分岐の果てに、解釈の果てに、一つの物語のコードが書かれます。
  ――8 Hypotheses

【どんな本?】

 2017年第五回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作「構造素子」を加筆訂正した、長編SF小説。

 L-P/V基本参照モデルにおける、L8-P/V2に属する世界。一年前、エドガー・ロパディンの父ダニエルが死んだ。エドガー・アラン・ポーに憧れたダニエルは小説家を志す。若い頃は幾つかの雑誌に短編が載ったが、次第に時流に乗り遅れてゆく。

 そんな父ダニエルは、一つの草稿を遺した。母ラブレスからエドガーに渡された草稿、そのタイトルは『エドガー曰く、世界は』。

 売れないSF作家だった父ダニエルが遺した草稿、小説を書くという行為の意味と実態、言語と物語・言語と世界の関係、そして父と息子の絆。メタフィクションの手法を駆使して構築する、一つの、そしてあらゆる世界の物語。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2017年11月25日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約392頁に加え、「第五回ハヤカワSFコンテスト選評」6頁。9ポイント45字×19行×392頁=335,160字、400字詰め原稿用紙で約838枚。文庫本なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらいの分量。

 文章はやや硬め。これは意図したものだろう。内容も、かなり凝っている。まず、架空の世界の中で架空の物語が増殖していく、みたいな凝った構造だ。また懐かしめのSF・哲学・数学など多岐にわたるガジェットを投入しており、その手のモノが好きな人にはアチコチにお楽しみが埋まっている。

 気になる人は、巻末の「参考・引用文献」をザッと眺めるといい。

【感想は?】

 印象としては「とっつきやすい円城塔」。

 正直、ちゃんと読みこなせてる気がしない。たぶん、最も楽しんで読めるのは、小説や漫画など、自分で物語を創っている人たちだろう。それも、SFやファンタジイなど、世界設定から必要な物語。

 つまり、「私はこんな風に物語を創っています」みたいな話なんだと思う。ただし、書き方はそんなに素直じゃない。なにせ第五回ハヤカワSFコンテストで大賞をかっさらった作品だ。思いっきり今風のSFらしい書き方をしている。なんたって、いきなり…

 あなたの前にモデルがある。L-P/V基本参照モデル。2001年に英国王立宇宙間通信標準化機構によって制定された、異次元間通信を実現するための宇宙の階層構造モデル。

 と、バリバリにSFな雰囲気で始まる。“L-P/V基本参照モデル”なんて言葉で「なんか数学か情報工学っぽい難しい話かな?」と思ってたら、“異次元間通信”で「やっぱハッタリか」と安心させてくれる。と同時に、それが“2001年”って所で、「歴史改変ものかな?」と疑念を抱かせる。

 やはりこの手の作品にコンピュータ、それも量子コンピュータは必須のガジェットらしく、そっちの用語も続々出てくる。そもそも目次からして Bugs,Methods,Variables と、情報系の用語が並んでるし。もちろん、チャールズ・パペッジ&エイダ・ラブレスと解析機関は必須。

 が、あまし深く考えないように。この辺は、どっちかというとスチーム・パンク的なノリで、「あり得たかもしれない世界」に分岐するためのスイッチ的な役割。このスチーム・パンクと量子コンピュータを組み合わせるって発想は、食い合わせとしてかなり強烈な印象を残す。

 などと、この記事を書きながら思い返すと、やはり「父ダニエルの遺した草稿」がキモなのかな、と思ったり。

 この記事を書くにしても、私は一気呵成に書き上げるタイプじゃない。少し書いては消し、どうしても入れたい要素は別のメモに書き散らし、無理矢理捻りだした文章を組み合わせ、なんとかブログ記事の体裁に整える、そんな書き方をしている。

 特にストーリーもなく、人物を生み出すわけでもなく、ましてや世界なんか創る必要もない、自己満足のための短いブログ記事ですら、幾つもの断片を作り出しては潰した末に、やっと出来上がる。ましてや一貫性が要求される物語を創るとなれば、どれほどのスクラップ&ビルド、トライ&エラーが必要な事やら。

 まあ世の中には若い頃のロバート・シルヴァーバーグみたく、椅子に座れば次々と言葉が湧き出してくる人もいるようだが、そうじゃない人だっているのだ。が、それでも「何かを書きたい」って欲望は抑えきれず、こうしてしょうもない駄文を日々量産してるんだが。

 それでも記事として人の目に触れる文章はまだマシで、大半の文章は書いた端から消えてゆく運命にある。とか書いてくと、プログラムも似たようなもんだなあ。特に私の場合、書いたコードの8割以上は捨てられる運命に会ったり。いやホント、日曜プログラマとはいえお恥ずかしい話だ。

 と、この作品は、そんな事を書いているのかな、と思うんだが、全然違うって気もする。

 余計なおせっかいかも知れないが。次々と厨二心を刺激する固有名詞が出てくるが、油断しちゃいけない。たいていは巧妙に創作を交えているので、ちゃんと元ネタは調べよう。そこでまた、新しい世界が生まれてゆくから。

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2018年4月 3日 (火)

ジョエル・ベスト「統計はこうしてウソをつく だまされないための統計学入門」白揚社 林大訳

この本は、おかしい統計についての本、おかしい統計がどこから生まれ、なぜなかなか消え去らないのかについての本である。
  ――はじめに

私たちが何らかの社会問題に気づき、心配しはじめるのは、普通、さまざまな問題宣伝者――活動家、記者、専門家、公職者、民間組織――の努力の結果である。
  ――1 社会統計の重要性

活動家は、広い定義に基づく大きな数字と、最も深刻なケースという関心を引きつける例を組み合わせて用いる。
  ――2 ソフトファクト おかしい統計の根源

報道機関は群集の規模をめぐる論争に興味をもったが、記者は概してただ相対立する数字を伝えただけだった。おおかたの記者はそれぞれの数字がどのように導き出されたのかを理解する努力などしなかった。
  ――5 スタット・ウォーズ 社会統計をめぐる紛争

【どんな本?】

 アメリカは弁護士が多い、と言われる。日本では人口1万人当たり1人ぐらいなのに対し、アメリカでは1万人あたり28人もいる、と。このように具体的な数字を出されると、いかにも本当らしく聞こえる。だが、その実体は…

 世論調査や政策決定には、よく統計数字が使われる。マスコミも「〇分に一人が云々」などと報じるし、広告でも「当社比で×%」などと数字を出す。だが、それらはどれぐらい信用できるのだろうか。どんな数字が信用できて、どんな数字を疑うべきなんだろうか。

 社会学者として統計数字に接する機会の多い著者が、世に流布する様々な「おかしい」数字について、なぜおかしくなるのか、どんな経緯でおかしくなるのか、そしてどんな意図でおかしくするのかなど、異様な数字が出てくる原因を探り、私たちが確かめるべき事柄を示す、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Damned Lies ans Statistics : Untangling Numbers from the Media, Politicians, and Activists, by Joel Best, 2001。日本語版は2002年11月10日第一版第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約207頁に加え、訳者あとがき3頁。9.5ポイント42字×15行×207頁=約130,410字、400字詰め原稿用紙で約327枚。文庫本なら薄めの一冊分。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。一部にややこしい理屈が出てくるが、「何か面倒くさいことを言ってるんだな」程度に捕えても、だいたいは通じる。たぶん最も難しい統計用語は「オッズ」(→Wikipedia)だろう。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

  • はじめに 最悪の社会統計
  • 1 社会統計の重要性
    • 社会統計の台頭
    • 社会問題をつくりだす
    • 数字オンチの受け手としての一般大衆
    • 組織慣行と公式統計
    • 統計を社会的産物として考える
    • 本書の構想
  • 2 ソフトファクト おかしい統計の根源
    • 当て推量
    • 定義
    • 計測
    • 標本抽出
    • よい統計の特徴
  • 3 突然変異統計 数字をおかしくする方法
    • 一般化 初歩的な種類の誤り
      疑わしい定義/不適当な計測/まずい標本
    • 変換 統計の意味を変える
    • 混乱 複雑な統計をねじ曲げる
    • 複合的な誤り おかしい統計の連鎖をつくりだす
    • 突然変異統計の根源
  • 4 リンゴとオレンジ 不適切な比較
    • 異なる時点の比較
      計測方法の変化/変わらない尺度/予測
    • 異なる場所の比較
    • 集団間の比較
    • 社会問題の比較
    • 比較の論理
  • 5 スタット・ウォーズ 社会統計をめぐる紛争
    • 特定の数字をめぐって論争する 100万人が行進したのか
    • データ収集をめぐって論争する 国勢調査はどのように人口を数えるか
    • 統計と争点
    • 統計の権威を主張する
    • スタット・ウォーズを解釈する
  • 6 社会統計を考える 批判的アプローチ
    • 素朴な人々
    • シニカルな人々
    • 批判的な人々
    • 避けられないものに立ち向かう
  • 謝辞/訳者あとがき/註/索引

【感想は?】

 内容的には「統計という名のウソ」「あやしい統計フィールドガイド」と、ほぼ同じ。というか、本書が「柳の下の最初のドジョウ」なんだけど。

 どれか一冊だけを選ぶなら、私は「統計という名のウソ」が一番好き。そこそこ量もあるし、具体例と理論のバランスもいい。文章の構成も、一般の読者に向けた書き方に慣れてきた感がある。「あやしい統計フィールドガイド」は、無理してネタをひねり出した雰囲気が漂ってるし。

 と、テーマそのものは他の二冊とほぼ同じなので、続けて読むと、ちとクドく感じたり。それでも、出てくる具体例はそれぞれ違うので、雑学としての様々な数字が好きな人には、それなりの楽しみがある。

 なんたって、いきなり衝撃的な例が出てくるのだ。とある論文の一節に、こうあった。曰く「米国で銃によって殺される子供の数は、1950年以来、年ごとに倍増している」。

 これのどこがおかしいか、IT関係の職に就いている者なら、すぐピンとくるだろう。毎年倍に増えるとなると、数字は雪だるま式に膨れ上がってゆく。1年なら倍で済むが、10年で千倍以上、20年で百万倍以上、30年で十億倍以上に増えてしまう。アメリカの全人口(約3憶)より遥かに多い。

要は2のn乗だ。ちなみに2の10乗は1024≒1K(キロ),20乗は1,048,576≒1M(メガ),30乗は1,073,741,824≒1G(ギガ)となる。

 なんでこんな数字が出てきたか、というと。元はCDF(児童保護基金)の「1994年版 米国の児童の現状に関する年報」。そこには、こうあった。「1年間に米国で銃によって殺される子供の数は、1950年以来倍増している」。

 毎年増えている、じゃないのだ。1950年と比べて、1994年は倍になった、と言っている(または、1950年には1994年の半分だった)。ちょっとした言い間違いが、大変な違いを生み出してしまう。

 最初に出した日米の弁護士の数の差は、もっと微妙な違いによるものだ。実はここ、今になって Wikipedia を調べて気づいたんだが、本書の訳文はちとわかりにくい。要は、「弁護士」と「lawer」の違いだ。

 いずれも、「法学の学位を取得して司法試験に合格した人」を示すと思っていい。「法学の学位を取り」、かつ、「司法試験に合格した人」だ。ここでは、日米の司法試験の違いが原因となる。

 日本の司法試験は難関試験の代名詞みたいなモンで、司法浪人なんて言葉もあるくらいだ。Wikipedia によると、2010年以降の合格率は25%前後の狭き門。よって、法学部を出ても司法試験を受けない人は多い。そういう人は、政府や企業の法律部門で働くが、「弁護士」ではない。

 対してアメリカの司法試験は、「司法試験を受ける人の大半は合格する」。なんじゃい、そりゃ。そして、合格者の大半は、やっぱり政府や企業の法律部門で働き、「lawer」と呼ばれる。

 つまり、「法学の学位は持っているが、弁護士業には就かず政府や企業の法律部門で働いている人」を、アメリカはカウントしていて、日本ではカウントしていない。この差が、日米の弁護士数の違いなわけ。こういう、定義や言葉の違いが数字の違いとなって出ている場合も、統計にはあるのだ。

 これに政治が絡むと、事は更に面倒になる。なにせ賛否双方に思惑があるので、いずれも譲らない。ここではネイション・オヴ・イスラム(→Wikipedia)の1995年の百万人大行進が印象深い。主催者側は参加者数が百万人を超えたと主張するが、「公園警察は40万と見積もった」。

 倍以上の違いだ。当時、公園警察は散々に罵られたが、著者は公園警察が妥当だろうとしている。ちなみに、公園警察によると、百万人を超えたのは二回だけで、「1965年のリンドン・ジョンソンの大統領就任式と1976年の建国200年祭」。ジョンソンって人気あったんだなあ。

 ってのは置いて。困った事に、マスコミは「百万を超えたか否か」だけに焦点を当てて報じた。過去に同規模のデモはあったか、他の有名なデモは何人ぐらいだったかなど、他と比べる報道はほとんどなかった。比べていれば、私たちの受ける印象はだいぶ違っていただろう。

 ある意味、ペテンの手口を暴く本でもある。なので、「真相はいかに?」みたいな下世話な興味で読んでも面白い。頁数も少ないし、意外なエピソードも多い。堅苦しく構えず、気楽に読もう。

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2018年4月 2日 (月)

新井素子「そして、星へ行く船」出版芸術社

あたし、あなたのことが好きだったのに。
  ――そして、星へ行く船

「でも、これが、この星のあるがままの姿です。地球の感覚だと、異常な世界に見えるかも知れませんけど、これが、この星の自然です」
  ――そして、星へ行く船

【どんな本?】

 デビュー作「あたしの中の…」から、若い女の子の話ことばをそのまま書き起こしたような文体で、喧々囂々の議論を巻き起こした新井素子による、初期の長編シリーズ完結編。長編「そして、星へ行く船」に加え、短編二編「αだより」「バタカップの幸福」を収録。

 人類が宇宙へと積極的に進出している未来。森村あゆみは19歳で地球から家出し、火星に居を構える。幸いにして仕事も見つかり、21歳になった。

 勤め先は水沢総合事務所。所長の水沢良行、事務担当で水沢所長の奥さんの麻子さん、元ベテラン商社マンの熊谷正浩、自称腕利き探偵の山崎太一郎、あゆみと同期で情報屋の中谷広明、そして森村あゆみの小さな所帯。主な業務は、やっかいごとよろず引き受け業、平たく言えば私立探偵兼なんでも屋。

  麻子さんのストライキに始まり、あゆみに届いた不審な手紙・挙動不審な痴漢・新時代の殺し屋と、予想外の展開を見せた事件は、懐かしい人物たちの再登場と共に火器を用いた乱戦へと発展し…

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 元は集英社文庫コバルトシリーズ「そして、星へ行く船」として1987年に発行。その一部を手直しし、短編二編「αだより」「バタカップの幸福」を加え、2017年3月30日に出版芸術社より第一刷発行。

 単行本ソフトカバーで縦一段組み、本文約416頁に加え、定番の書き下ろしのあとがき8頁。9.5ポイント42字×17行×416頁=約297,024字、400字詰め原稿用紙で約743枚。文庫本なら厚めの一冊分。

 文章は例の新井素子調。かなり個性が強いが、最近のライトノベルに慣れていれば問題はないだろう。内容はSFとはいえ、特に難しい理屈は出てこないので、理科や数学が苦手でも大丈夫。

 ただし、お話は「逆恨みのネメシス」から直接続いているので、一つの長編の上下巻にような関係にある。シリーズ全体を通しての伏線回収や、懐かしい人物が重要な枠割を果たす場面も多いので、できれば最初の「星へ行く船」から読もう。

【感想は?】

 うーむ、こそばゆい。

 このシリーズの感想を書く際、なんとなく避けてきた点がある。他でもない、これはラブコメだって事だ。最初は薄かったラブコメ色が、巻を追うごとに濃くなり、この巻では満開で迫ってくる。

 せめて煩悩にまみれたエロ坊主視点なら、息継ぎの合間もあるんだが、生真面目な若い娘さんの視点で書かれているため、そんなスキもない。おまけに拍車をかけるのが、この巻で明らかになるあゆみの秘密。

 これは幸福なのか不幸なのか。知らなきゃ、ずっと幸福でいられたろうなあ。もしくは、もちっと違う育ち方をしたら…いや、それを許さないのが、この秘密なわけで。いずれにせよ、やっぱりあゆみになってしまうのが、この「秘密」の怖い所。

 と、散々こそばゆい想いをさせてくれただけに、広明の報復には思わず喝采しちゃったぞ。よくやった広明、これでこそ広明。そういう立場なら、是非ともそうせねば。にしても、そういう所で使うなら、素材も特殊だろうし、手間ばかりか予算も相当の額になると思うが、何にせよよくやったw

 そんなわけで、五巻の大長編のフィナーレに相応しく、ちょっと切ない完結編だった。が、こういうこそばゆいラブコメは、若いうちに読んでおきたいね。

 SF者として気になるのが、火星の風景。ちょっと調べた限りでは、今になっても空の色はよくわからないらしい。日本にしても、季節によって多少違うばかりか、春には黄砂なんて現象もあるわけで、火星でも場所と季節と天気によって違うんだろうなあ。

 他にも苔むしたSF者には懐かしい名前が出てきて、「おおっ!」となったり。ちょうど最近、傑作選が出たばかりなのは、嬉しい偶然か。

 短編「αだより」「バタカップの幸福」は、いずれも本編の後日譚で、コメディ・タッチ。

 「αだより」は、本編を受けた、直接の続編と言っていい。そのためか、ほとんどピンク色に染まった雰囲気の中で話が進み、やっぱり何かとこそばゆい作品。にしても、悪あがきすればするほど、事態を悪化させてしまう太一郎には、やっぱり「ざまあ」と言ってやりたいw

 「バタカップの幸福」は、お待ちかねバタカップが主役を務める作品。

 こと研究に関係した事となると空気が読めなくなるイワンさんが素敵だw やっぱり第一線で働く研究者は、これぐらい人間が壊れてないとw ちなみに、これに出てくるウミウシモドキ、似たような能力を持つ生物は日本にもいます(→Wikipedia)。

 本編で明らかになる問題が問題だけに、どちらの短編もコミュニケーションが重要なカギとなっているのは、ワザとなのか偶然なのか。特に猫は、数年どころか一万年近くもヒトと付き合いがあるってのに、なかなかコミュニケーションが取れないのは、どういう事なんだか。

 文章は読みやすく、物語は起伏に富み、展開はスピーディー。実は考証もシッカリしたSFでありながら、それを感じさせずサラリと流す職人芸。独特の文体も相まって、この時期、既にライトノベルとしての形を完成させていた力量に、改めて恐れ入ったシリーズだった。

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2018年4月 1日 (日)

新井素子「逆恨みのネメシス」出版芸術社

森村あゆみ様
私はあなたが嫌いです。
  ――逆恨みのネメシス

【どんな本?】

 若い女の子の話ことばのような文体で、デビュー作「あたしの中の…」から喧々囂々の議論を巻き起こした新井素子による、初期の長編シリーズ第四弾。長編「逆恨みのネメシス」に加え、書き下ろし短編「田崎麻子の特技」を収録。

 人類が宇宙へと積極的に進出している未来。森村あゆみは19歳で地球から家出し、火星で職と住処にありつき、21歳になった。

 職場は水沢総合事務所。所長の水沢良行、事務担当で所長の奥さん水沢麻子、元ベテラン商社マンの熊谷正浩、自称腕利き探偵の山崎太一郎、あゆみと同期で情報屋の中谷広明、そして森村あゆみの小さな所帯だ。職務内容は、やっかいごとよろず引き受け業、平たく言えば私立探偵兼なんでも屋。

 朝からあゆみはため息ばかり。というのも、妙な手紙がポストに入っていたため。脅すでもなく、悪く言うでもなく、単に「私はあなたが嫌いです」、それだけ。害を加えようとしているわけでもなく、犯罪として成立しないだけに、余計に気味が悪い。

 あゆみの今までの仕事を考えれば、人に恨まれる心当たりはいくらでもある。モヤモヤしたまま、太一郎と食事に出かけたあゆみに、奇妙な男が近づき…

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 元は集英社文庫コバルトシリーズ「逆恨みのネメシス」として1986年に発行。これの一部を手直しし、短編「田崎麻子の特技」を加え、2017年1月27日に出版芸術社より第一刷発行。

 単行本ソフトカバーで縦一段組み、本文約246頁に加え、書き下ろしのあとがきが豪華34頁。9.5ポイント42字×17行×246頁=約175,644字、400字詰め原稿用紙で約440枚。文庫本ならちょい薄めの一冊分。

 文章は例の新井素子調。アクは強いものの、実はスラスラ読める。内容はSFだが、特に難しい理屈は出てこないので、理科や数学が苦手でも大丈夫。ただし、今までのシリーズと繋がっているので、開幕編の「星へ行く船」から読もう。

【感想は?】

 ぐおお、ここで<つづく>かよおぉぉっっ!

 そう、これは完結していない。むしろ「そして、星へ行く船」前編と言った方がいい。そして、謎も物語もアクションも思いっきり盛り上がった所で終わる。だから、気の短い人は、予め「逆恨みのネメシス」「そして、星へ行く船」の二冊を用意してから読み始めた方がいい。

 滑り出しは陰険コメディ。水沢総合事務所の面々が揃った場面ながら、珍しくどよ~んとした雰囲気で始まる。空気は淀みがちながら、事務所内の序列がハッキリわかるのが楽しい。やっぱりボスはあのお方かいw

 先の「カレンダー・ガール」もそうなんだけど、冒頭から「変な事件」で読者を一気に物語に引き込む手腕は見事。この巻では奇妙な手紙だ(この記事冒頭の引用)。何やら敵意を持っているらしいのはわかるが、にしても何かを要求しているわけでも、脅しているわけでもない。所内の面々は嫌な想像をしてばかり。

 とか悩んでいるうちに、事態はさらに素っ頓狂な方向にすっ飛んでいくから、読んでて飽きない。テンポよく話が進む上に、次々と意表をついてくれるんで、頁をめくる手は逸るんだが、そうもいかないから意地が悪い。

 というのも、話そのものがかなり込み入ってるんで、じっくり読む必要があるのだ。事件そのものの仕組みが込み入っているので左脳を駆使せにゃならん上に、あゆみと手紙の主の関係がアレで、それぞれの心の奥まで探っていくため、右脳もフル稼働する羽目になる。にしても「新しいタイプの殺し屋」ってw

 そう、前の「カレンダー・ガール」もそうだったんだが、ここでも懐古趣味がチョロチョロと顔を出して。「小癪千万」とか、完全に入り切っちゃってるよなあ。やっぱし未来にも時代劇は生き残ってるんだろうか。今はロケ地も減り制作費の問題もあり、難しい状況らしいけど。

 などに加え、いよいよシリーズも終盤に入って来たな、と感じさせる展開になっているのも、「読みたい、でもじっくり味わいたい」のジレンマに陥らせる原因。今までのシリーズで登場した懐かしい連中が、意外な場面で意外な形で登場してくる。

 といったドラマも面白いが、SF者へのサービスも忘れちゃいない。

 正直言うと、ちょっと引っかかっていたのだ、あの左腕。全体として考えると理屈に合わない所もあるけど、お話としては面白いから、ま、いっか、と思って流していたんだ。

 が、その「引っかかっていた」所をズバリと突いて、しかもキチンと理屈をつけてくれたから嬉しい。こんなの気にするのは重箱の隅をつつくSF者ぐらいだろうに、敢えてソコを逆手に取り、ストーリー上の重要なポイントに持ってくるとは。そこまで考えていたのか。

 もう一つ、SF作家としての斬新な発想を見せてくれるのが、短編「田崎麻子の特技」。なんと料理SFだ。

 やってる人ならわかると思うが、料理ってのは、案外と頭を使う仕事で。何より、慣れないとスケジュール調整が難しい。私の場合はガスレンジが二口なんで単純な方なんだが、それでも鍋とフライパン、そしてまな板を同時並行的に扱っていく。何より大事なのは、あったかい品はあったかいまま食卓に出すこと。

 ってんで、スケジュールは完成する時点から逆算して組んでいく。煮物と炒め物の例だと。

 まず鍋に水を入れて湯を沸かし、その間にまな板で皮を剥いたり刻んだり。一般に煮物は火をかけちゃえばあまりかき回さずに済むが、炒め物は強火で炒める間、常にかき回す。だから鍋で煮ている間にフライパンで炒め、両方が同時に完成するようにスケジュールを組むと、アツアツの食事を楽しめる。

 慣れればこういった計算は瞬時にできるんだが、コンピュータにやらせようとすると、これはこれで面白い問題なのだ。使えるリソースは限られている。食材・調味料・火の口・加工する人手・包丁やピーラーなどの道具。これらの組み合わせで、最適な調理スケジュールをはじきだす。ちょっとした線形計画法である。

 まあオッサンの料理なんで「食えりゃいいじゃん」ぐらいの完成度で充分だし、多少味はアレでもあったかけりゃ大抵のモノは食える。線形計画法ったって、まず「何を最適化するか」って要求仕様が大事なんだが、オッサンなら求めるべき最適値も、だいたい定まってる。安く手軽に、だ。

 が、人に出す、それも大切な人に出すとなると、この程度じゃ済まない。下ごしらえして何日か寝かせにゃならん物もあるし、食材も「ソコにある物」ってワケにゃいかない。組み合わせによる相性もあるし、その時に手に入る食材の鮮度もある。考えるべき要素と制約条件は雪だるま式に膨れ上がっていく。

 ばかりか麻子さん、実は完璧主義者で…

 といった、指数関数的に膨れ上がるスケジューリングの計算量に加え、宇宙時代ならではの食の事情にまで掘り下げていくから楽しい。こんなに短いのが恨めしくなるほど、妄想が膨らむ書き下ろしだった。

 なのはともかく、本編の引きは完全に狙ったもの。続きを何カ月も待たずに読める今が本当に嬉しい。

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