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2018年4月 9日 (月)

デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 3

オスマン帝国の直接治世下を逃れてきていたこれらの亡命者は、ここ何十年来論議の的となっていた問題――オスマン帝国でアラビア語を常用しているさまざまな人びとは、いったい何者なのか、あるいは何者であるべきなのか、という問題を今も抱えていた。
  ――第10章 キッチナー、イスラームの抱き込みを画策

 デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 2 から続く。

【どんな本?】

 今なお戦火が絶えない中東情勢の起源を、第一次世界大戦とオスマントルコ帝国の崩壊に求め、荒阿多に発掘した資料を元に、迷走する列強の軍事・外交戦略をつぶさに描く、迫真の歴史ノンフィクション。

 とか書くと、私がこの本の全体を把握できてるように見えるけど、今やっと下巻を読み始めた所です、はい。

 とりあえず今気がついたのは、イギリスの記述が異様に多いこと。その分、フランスドイツ・ロシアはとてもアッサリと片づけてる。イギリスに次いで多いのはオスマン帝国で、これは騒動の舞台なんで当然なんだが、ここでも記述の半分以上をイギリス人が占めてたりする。

 だもんで、まるでイギリスが単独で戦っているような印象を受けてしまう。

 もっとも、これは目次を見れば一目瞭然なんで、今まで気が付かない私が鈍い。

【わかってるけどわかってない】

 そんなイギリスは、中東についてどれぐらい知っていたか、というと…

1917年にイギリス軍がシリアを目指して北方に侵攻したとき、陸軍当局から現地の状況を記した案内書の提示を養成されたイギリス情報部は、現地の社会状態や政治情報についてヨーロッパの言語で書かれた書物は一冊も見当たらないと回答したのだった。
  ――第8章 キッチナー、陣頭に立つ

 なんて無様な有様。もっとも第二次世界大戦後の合衆国も、ベトナム・アフガニスタン・イラク政策を見る限り似たようなモンだし、末期の清朝も国際情勢に疎かったから、大国ってのは、そういう性質になりがちなのかも。

 そんな所に登場したのが、陸軍元帥ホレイシオ・ハーバート・キッチナー(→Wikipedia)。スーダンを征服・平定し、ボーア戦争を勝利に導いた英雄だ。しかも今は総督としてエジプトを仕切る身。となれば、誰だって中東情勢に通じていると思うだろう。そんな人が、陸相として戦争を率いる立場に就く。

 が、しかし。

 彼が知っていたのは、エジプトとスーダンだけで、シナイ半島から北については何も知らなかった。にも関わらず、キッチナーとその一党は、こう考えた。

 ムスリムはカリフに従う。ならイギリスに都合のいい者をカリフにしよう。メッカの盟主フサイン・イブン・アリー(ファイサルの父)が丁度いい。これでオスマン帝国ばかりかペルシアからアフガニスタン・チベットに至る全ムスリムを掌握できるぜ。

 どうも彼らはカリフって地位を、ローマ法王みたいな宗教上の最高指導者と考えていたらしい。が、実際は、カリフって地位は政治も仕切れば軍も指揮する、絶対的な権力者である。んな事も分かってなかったんだとしたら、呆れるばかりだ。

【東方の声】

 そこでインド政府外務省から横やりが入る。インドったって、今のインドじゃない。現在のバングラデシュとパキスタンを含んでいる。そして、実質的には大英帝国のインド出張所だ。

 加えて、「チベット、アフガニスタン、ペルシア、東部アラビア(略)との関係に責任」を負い、「アデンやペルシア湾岸のいくつかの首長国などイギリスの保護領」に「知事や現地常駐代表」を置く。ほとんど紅海より東の大英帝国領すべてを面倒見る立場であり、領内に多数のムスリムを抱えている。

 そんな彼らの理想は…

「我々が求めているのは団結したアラビアではなく、分裂した無力なアラビア、我々の宗主権のもとでできるかぎり小さないくつもの首長国に分かれたアラビア――我々に敵対して共同行動を起こす能力はないが、西欧の列強に対する緩衝地帯の役目を果たすアラビアである」
  ――第11章 インド政府の抗議

 典型的な「分割して統治せよ」だね。こういった政策上の対立に加え、縄張り争いもあり、またインドの推しはアブドゥルアズィーズ・イブン・サイド(後のサウジアラビア初代国王)、フサインのライバルだから、さあ大変。

 ところでこのイブン・サウード、名前は何度か出てくるんだが、この本じゃ人物像はよくわからない。フサインはかなり詳しく書いてあって、地に足の着いた考え方をする保守的で老練な首長って印象を持った。そんな保守的な者が、アラブの反乱なんて冒険に出るのは意外だが、そこは追って。

【補給戦】

 前の記事でアクロバティックなまでに見事な外交を見せたエンヴェル・パシャ(→Wikipedia)。でも軍事じゃ無能だった模様。

 戦争でも手柄を立ててええトコ見せようと張り切り、カフカスを越えロシアに攻め入ろうと画策する。ところが冬に4000m級の山脈越えなんて無茶な条件に加え、補給の無視が祟ってトルコ陸軍の精鋭第三軍を潰してしまう。将兵十万人中の八万六千が「命を落とした」って、敗戦なんてモンじゃない。

 おまけに若い働き手と牛馬を奪われた農村は荒れ、収穫はガタ落ち…って、まるで20世紀半ばの極東の某国みたいだ。

 そんなボロボロのオスマン帝国に、大英帝国が誇る艦隊が首都イスタンブールへと迫る。

【海峡】

 地中海から黒海への入り口となるダーダネルズ海峡は、昔から戦略の要所だ。ここを墜としゃ一発じゃんと考えた英仏は艦隊を派遣、「艦隊は(1915年)三月十八日午前十時四十五分、いよいよダーダネルズ海峡突入の総攻撃を開始した」。

 ここの戦闘の記述は、短いながらも読みごたえがある。というのも、最終的に艦隊は撤退するんだが、被害を受けた五隻中の四隻は機雷にやられたらしい。一隻だけはトルコ軍の砲火によるものだけど。その結果…

三月十八日の戦いのあと――この戦闘でド・ローベック提督はすっかり怖じ気づいてしまい、率いる艦隊に退却を命じてしまったのだが――実はトルコ軍の司令官たちはこの戦いに勝ち目はないと観念していた。
  ――第18章 運命を分けたダーダネルズ海峡の攻防

 というのも、トルコ軍の弾薬は既に尽きており、「手持ちの弾薬を撃ち尽くした上で陣地を放棄せよという命令を受けていた」。ほんと、あと一歩だったのだ。

 これをどう考えるかは人それぞれだろうが、私は機雷の威力を思い知った。狭い海域に入念に設置した機雷は、要塞の砲火にも勝るらしい。

【ガリポリ】

 海軍が駄目なら陸軍で、って事で、今度はガリポリ半島上陸作戦(→Wikipedia)が描かれる。これも阿呆な話で。奇襲が功を奏して上陸は無傷で成功。ところが一部の部隊は更に進んで崖を登ろうとせず、砂浜に塹壕を掘って立てこもる。

 その間にトルコ軍は増援を得て、崖の上に塹壕を掘って撃ちおろす。高所を取った方が有利なのは素人の私でもわかる。ってんで、最終的には…

連合国軍とオスマントルコ軍がともに50万の兵力を投入し、それぞれが約25万人の死傷者を数えたのである。
  ――第21章 消え失せた灯台の光

 元は先の艦隊ダーダネルズ突入と合わせた陸海同時作戦だったし、そうしてれば成功してただろうとか、このあたりは連合国側のヘマがやたらと目立つ上に、ちょっと日露戦争の旅順攻略を思い起こさせる状況でもあり、軍ヲタにはかなり美味しい章だった。

【おわりに】

 は、いいが。やっとこさ第Ⅲ部まで来たが、この本は全部で第Ⅻ部まである。この調子じゃいつまでたっても終わらんぞ、と不安を深めつつ、次の記事に続く。

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