ジェシー・ベリング「ヒトはなぜ神を信じるのか 信仰する本能」化学同人 鈴木光太郎訳
「神を信じる本能」のようなものがあったりするのだろうか?
――はじめに私たちヒトは――そして多少はゴリラやチンパンジーもかもしれないが――「生まれついての心理学者」になるように進化してきた。(略)ほかの人間の側から見るとどう見えるのかというストーリーをもたらす脳を発達させなければならなかった。
――1章 ある錯覚の歴史私たちは、実際には心をもたないモノに対しても、心の状態を帰属してしまうのだ。
――2章 目的なき生目的とは人間が作ったものだ。
――2章 目的なき生本当の謎は、なぜ生命の目的というこの疑問が、論理的な科学をまえにしても、これほど気をそそり、強固なのかにある。
――2章 目的なき生激論を引き起こすような問題に関係している時にはつねに、私たちの大部分は、神も自分たちと意見を同じくしているという強い確信をもっている。
――3章 サインはいたるところに科学的心理学の研究者からすれば、中心となる問題は、死後の世界があるかどうかではなく、なぜそもそもそんな疑問が生じるのかである。
――4章 奇妙なのは心の死一般には他者についてより多くの情報をもてばもつほど、彼らについて適応的判断を下すうえで有利な立場になる。
――6章 適応的錯覚としての神自分の正体を隠して戦闘に臨んだ戦士は、隠さない戦士よりも、相手を殺し、切り裂き、苦しめることが多い。
――6章 適応的錯覚としての神
【どんな本?】
科学が進歩してインターネットが普及しても、神の名の下にテロに走る若者は後を絶たない。わかりやすい品種改良のサンプルである犬を飼っている人でも、進化論を拒む人は多い。そして地震や洪水などの災害があれば、「神の怒りだ」とl決めつける者もいる。
なぜ「神」という概念は、これほどまでに根強いのか。
心理学の研究者からコラムニストに転身した無神論者の著者が、ヒトの持つ心理的な傾向から「神を信じる気持ち」について分析する、一般向けの解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Belief Instinct : The Psychology of souls, Destiny, and the Meaning of Life, by Jesse Bering, 2011。日本語版は2012年8月25日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約257頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント45字×18行×257頁=約208,170字、400字詰め原稿用紙で約521枚。文庫本なら標準的な厚さの一冊分。
文章は普通、かな。エッセイにしては硬いが、哲学書にしてはこなれている。内容は特に難しくない。国語が得意なら中学生でも読みこなせるだろう。
【構成は?】
原則として前の章を受けて後の章が展開する形なので、できれば頭から読む方がいいい。
- はじめに
- 1章 ある錯覚の歴史
- 2章 目的なき生
- 3章 サインはいたるところに
- 4章 奇妙なのは心の死
- 5章 神が橋から人を落とす時
- 6章 適応的錯覚としての神
- 7章 いずれは死が訪れる
- 謝辞/訳者あとがき/註/参考文献/索引
【感想は?】
まずお断りしておく。これは宗教書じゃない。
なんたって、著者は無神論者だ。よって、信心深い人には向かない。特にアブラハムの宗教を硬く信じている人には、不愉快な本だろう。
ただし、「反★進化論講座 空飛ぶスパゲッティ・モンスターの福音書」のように、信仰心を茶化して面白がる本ではないし、リチャード・ドーキンスのように、理詰めで神を否定し、「これだけ言ってもまだわからないのか!」と信者を追い詰めるわけでもない。
最近の本には珍しく、書名が見事に内容を表している。なぜ人は神なんてシロモノをデッチあげるのか。そのメカニズムを探る、そういう姿勢の本だ。
ちなみに「神」と言っても、聖書の神と天神様じゃだいぶ違うが、あまり気にしなくていい。本書では神の他にも、死後の世界や創造主、神の怒り(または祟り)なども重要なテーマとなる。つまりは、「そういう世界観」の代名詞として、「神」と言っているのだ。
だから、所によっては、UFO や守護霊や星占い、差別主義者や陰謀論に至るまで、多くのトンデモさんにも当てはまりそうな理屈を順々と説いてゆく。
そのキモとなるのが、「心の理論」(→Wikipedia)だ。
なんか難しそうだが、幼い子供じゃない限り、たいていの人が持っている能力である。例えば、人通りの多い道で、私が立ち止まって空を見あげ指をさしたら、他の人もつられて私と同じ方向を見てしまう。なぜか。
「アイツが指をさしている。ソッチに何かがあるからだろう」と、私の心を推し量るからだ。ヒトは、他のヒトの心を「読む」能力がある。というか、意図して読もうとしなくても、反射的に読んでしまう。役者や手品師、そしてペテン師はこれを巧みに操る。
この能力は本能的なものだ。だから、制御が難しい。読む対象がヒトだけならともかく、他の動物やモノにまで、心があるように感じてしまう。
お陰で私はアニメやゲームや漫画が楽しめるんだが、ソコに居るのはヒトじゃない。ドットやインキがパターンを成しているだけだ。わかった「つもり」になっちゃいるが、もちろん勘ちがいである。そして、ヒトって生き物は、勘違いするようにできているのだ。
勘ちがいは、「ソレに心がある」だけに留まらない。「ソレには何か目的/意図がある」「私に向けたメッセージがある」「そうなった原因がある」と、勝手に決めつけてしまう。
この決めつけにも、強弱がある。道を歩いていて信号が赤になった程度なら、決めつけは弱いので、理性が勝つ。しかし、大切な人が亡くなるなど、感情を大きく揺さぶられると、「単なる偶然」や「わからない」では納得できない。どうにかこうにかして、原因や目的をデッチあげようとする。
ヒトの脳ミソには、そういう癖があるのだ。
と書くとヒトゴトみたいだが、もちろん私にも色々と心当たりがある。比較的に認めやすいのが、「わからない」じゃ納得できない気持ち。入れ込んじゃった物語は、ちゃんとケリがついて欲しい。榊版ガンパレは唖然としたし、三浦健太郎はベルセルクをちゃんと完結させてほしい。
理性が勝るように見えるSF作家も、やっぱり「わからないじゃ納得しない」に囚われてる。グレッグ・イーガンにしても、数学や物理学の探求にドップリ浸かってたり。とか人を引き合いに出す前に、私自身が「宇宙の秘密を探る」類のお話が大好きだし。
そこで「わからない」に納得せず安易な解に飛びつくと、原理主義やトンデモさんや差別主義に行きついてしまうのだ。
ってな事を、5章まで多くの例を挙げて検証していく。多くの例が学術研究による統計数字なのに対し、ときおり幼い頃に亡くなった母親の話が混じっていて、これが結構しっとりきたり。
熱心なクリスチャンであるC・S・ルイスの「沈黙の惑星より」を読んだとき、絶望的なまでの世界観の違いを感じた。ソレが何なのか、私は巧く語れなかったが、この本はスッキリと説明してくれたように思う。と当時に、本書の著者の仮説が当たっていれば、会話や説得、まして嘲笑は無駄だろうなあ、とも。
とまれ、手品はタネを明かせば一気にシラけるわけで、今後も研究を続けて欲しいなあ。
【関連記事】
- 2017.11.5 トレイシー・ウイルキンソン「バチカン・エクソシスト」文藝春秋 矢口誠訳
- 2017.03.12 ジョーゼフ・キャンベル「千の顔を持つ英雄 上・下」ハヤカワ文庫NF 倉田真木・斎藤静代・関根光宏訳
- 2014.11.16 ジョナサン・ハイト「社会はなぜ左と右にわかれるのか」紀伊國屋書店 高橋洋訳 1
- 2014.01.23 ダニエル・C・デネット「解明される宗教 進化論的アプローチ」青土社 阿部文彦訳
- 2012.10.19 ロバート・A・バートン「確信する脳 [知っている]とはどういうことか」河出書房新社 岩坂彰訳
- 2012.03.23 ミゲル・ニコレリス「越境する脳 ブレイン・マシン・インターフェースの最前線」早川書房 鍛原多惠子訳
- 書評一覧:ノンフィクション
| 固定リンク
コメント