A・V・バナジー+E・デュフロ「貧乏人の経済学 もう一度貧困問題を根っこから考える」みすず書房 山形浩生訳
本書は、援助すべてがいいとか悪いとかは言いません。でも、援助の特定の事例が、何かいい結果をもたらしたか、もたらさなかったかは述べます。
――第1章 もう一度考え直そう、もう一度ほとんどの富裕国専門家たちが開発援助や貧困に関する問題で取る立場というのは、その人固有の世界観に左右されることが多いのです。
――第1章 もう一度考え直そう、もう一度18カ国で集めたデータによると、貧しい人々はラジオやテレビがないところに限って、祭りにたくさんの金をつぎこむ傾向にあります。
――第2章 10億人が飢えている?問題は、貧しい人々が健康にいくら使ってるかということではなく、何にお金を使っているかということです。安価ですむ予防よりも、高くつく治療にお金が使われているのです。
――第3章 お手軽に(世界の)健康を増進?わたしたちの本当の強みは、当然のように享受している多くのことから来ています。きれいな水の出る水道がひかれた家に住んでいます――毎朝忘れずにクローリン(消毒剤)を水に加える必要はありません。
――第3章 お手軽に(世界の)健康を増進?ムハマドオ・ユヌスやパドマジャ・レディのような人々のイノベーション(マイクロファイナンス)は、もっと手の届く金利で貧乏人に融資するという発想だけではありません。それを実現する方法を考案したことなのです。
――第7章 カブールから来た男とインドの宦官たち多くの貧乏な人の貯金方法はお金を他人から安全に守るだけでなく、自分自身から守るようにも意図されているのです。
――第8章 レンガひとつづつ貯蓄雇用の安定性こそが、中流階級と貧乏な人々との大きなちがいのようです。
――第9章 起業家たちは気乗り薄ウガンダ政府は学校に対し、(略)補助金を出し(略)てします。中央政府が学校に割り当てたこの資金のうち、実際に学校の手に渡るのはいくらなのでしょうか?(略)
資金のうち学校に届いたのはたった13%。
――第10章 政策と政治優勢な集団からの選出者は、腐敗率が高かったのです。
――第10章 政策と政治
【どんな本?】
「アフリカでは×億人が飢えて云々」と昔から言われてきた。そして、ずっと援助もされてきた。だが、それで貧困が消えたという話はまず聞かない。着実に成長しているボツワナは、奇蹟とまで言われる始末だ。まるで成長しないのが当たり前のようではないか。
なぜなのだろう。どうすればいいのだろう。これには、様々な意見がある。
例えばグラミン銀行で有名なムハマド・ユヌスは、ソーシャル・ビジネスが正解だと語る(「貧困のない世界を創る」)。貧しい者でも起業家精神はある、ただ起業資金が調達できないのだ、と。そこで貧しい人向けのグラミン銀行を創り出し、同様のマイクロ・ファイナンスは世界中に広がった。
ジェフリー・サックスは、こう主張する。彼らは「貧困の罠」に囚われている。貧しいがゆえに稼げないのだ、と。そこで二次大戦後に合衆国が西欧を支援したマーシャル・プランのように、ドカンと大きな支援を、と主張する(「貧困の終焉」)。
これに対し、「支援は無駄だ」とする立場もある。
例えばダロン・アセモグルとジェイムズ・A・ロビンスンは、政治制度が問題の根源だと説く(「国家はなぜ衰退するのか」)。事態をよくするには、革命ですら不足で、徹底した制度改革が必要だ、と。
また、ウィリアム・イースタリーは、下手な援助は逆効果だ、と言う。解は自由市場と適切なインセンティブ(動機付け)だ、と。
これらの主張に対し、著者らは実験で統計を取り、成果を測ってみた。また、成功した事例・失敗した事例それぞれにつき、実際に支援の対象となる人々の声を聞き、またその家計の収支にまで踏み込み、各実験の成否の原因を突き止めてゆく。
そこで見えてくるのは、もっと微妙な要因が成否を左右しているらしい、という事実である。貧しい人々の暮らしを知ることが大事なのだ、と。
果たして援助は役に立っているのか、いいないのか。役に立つとしたら、どんな支援が効果的なのか。なぜ支援が無駄になるのか。どうすれば無駄を減らせるのか。または革命ですら無駄なのか。
多くの統計データに加え、個々の人々の暮らしぶりから得た具体例を用い、適切な支援のあり方を示すと共に、そもそも「貧しいとはどういうことか」を私たちに突きつける、リアリティあふれる経済学の本。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Poor Economics : A Radical Rethinking of the Way to Fight Global Poverty, by Abhijit V. Banejee + Esther Duflo, 2011。日本語版は2012年4月2日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約349頁に加え、訳者解説が豪華12頁。9ポイント46字×18行×349頁=約288,972字、400字詰め原稿用紙で約723枚。文庫本なら厚い一冊分の分量。
文章は比較的にこなれている。内容も意外と難しくない。ただ、貧しい人の暮らしの本なので、生まれつき豊かな人にはピンとこないかも。もちろん。私にはグサグサきました。そう、貧しいってのは、そういう事なんだよなあ。
【構成は?】
全体としての流れはあるが、個々の章だけでも一応は完結しているので、美味しそうな所をつまみ食いしてもいい。
- はじめに
- 第1章 もう一度考え直そう、もう一度
貧困にとらわれる? - 第1部 個人の暮らし
- 第2章 10億人が飢えている?
本当に10憶人が飢えているのか?/貧乏な人々は本当にしっかり十分に食べているのか?/なぜ貧乏な人々は少ししか食べないのか?/だれも知らない?/食べ物より大事/結局、栄養摂取による貧困の罠は実在するのか?
- 第3章 お手軽に(世界の)健康を増進?
健康の罠/なぜこれらの技術はもっと利用されないのか?/十分に活用されない奇跡/健康改善願望/お金をドブに捨てる/みんな政府が悪いのか?/健康追及行動を理解する/無料は無価値のあかし?/信仰?/弱い信念と希望の必要性/新年の誓い/後押しか説得か?/ソファからの眺め
- 第4章 クラスで一番
需要供給戦争/需要ワラーの言い分/条件付き補助金の風変わりな歴史/トップダウン型の教育政策は機能するか?/私立学校/プラサム対私立学校/期待の呪い/幻のS字曲線/エリート主義的な学校教育/なぜ学校は失敗するのか/教育の再設計
- 第5章 パク・スダルノの大家族
大家族の何が問題か?/貧乏人は子作りの意思決定をコントロールするのか?/セックス、制服、金持ちおじさん/だれの選択?/金融資産としての子供/家族
- 第2部 制度
- 第6章 はだしのファンドマネージャ
貧乏のもたらす危険/ヘッジをかける/助け合い/貧乏人向けの保険会社はないの?/なぜ貧乏人は保険を買いたがらないの?
- 第7章 カブールから来た男とインドの宦官たち
貧乏人に貸す/貧乏人融資のやさしい(わけではない)経済学/マクロ計画のためのマイクロ洞察/マイクロ融資はうまくいくのか?/マイクロ融資の限界/少し大きめの企業はどうやって資金調達を?
- 第8章 レンガひとつづつ貯蓄
なぜ貧乏人はもっと貯蓄しないのか/貯蓄の心理/貯蓄と自制心/貧困と自制心の論理/罠から抜け出す
- 第9章 起業家たちは気乗り薄
資本なき資本家たち/貧乏な人のビジネス/とても小さく儲からないビジネス/限界と平均/企業はむずかしすぎる/職を買う/よい仕事
- 第10章 政策と政治
政治経済/周縁部での変化/分権化と民主主義の実態/権力を人々に/民族分断をごまかす/政治経済に抗して - 網羅的な結論にかえて
- 謝辞/訳者解説/原注/索引
【感想は?】
結論は簡単だ。万能の策はない。が、個々の問題に効く方法はあり、限界もまたある。
問題解決なんて何でもそうだが、つまりは「細かい所が大事」なのだ。そして、現場をよく知ることも。って、まるでソフトウェアの開発か薬みたいだ。
この本の特徴は、二つだろう。第一に、それぞれの支援方法を、ランダム化対照実験(またはランダム化比較実験,RCT,→Wikipedia)で効果を測っている点。薬の二重盲検のように、実験で支援の効果を測っている点だ。これにより、統計的な数字が出てくる。
次に、実際に貧しい人々の所に出かけてゆき、なぜ支援の効果が出たのか/出ないのかを、支援される人々に訪ね、原因を探っている事だ。そこで、オフィスではわからない「現場の事情」が見えてくる。ちょっとした手順の違いが、大きな効果を生み出す事もあるらしい。
手順の違いの興味深い例が、終盤に出てくる。世銀が金を出し、インドネシアの村の道や灌漑水路を修理する計画KDPだ。村で集会を開いたら、成人数百人中、平均50人しか出てこない。うち半数は地元のエリート。発言したのも8人だけ、うち7人はエリート層。これじゃ貧しい人の話は聞けない。
そこで、手紙で村人に出席を依頼したところ、出席者は65人に増えた。これには続きがある。
一部の村では、手紙にアンケート用紙をつけた。手紙を配る際、二つの方法を取った。片方は学校で子供に渡し、家に届けるよう頼む。もう一方は村の長が配る。この配り方で、アンケートの結果が違ってくるから面白い。学校経由で配ると、批判的な答えが増えるのだ。
どうもアンケートは、受ける人の微妙な気持ちの違いに強く影響されるらしい。
「経済政策で人は死ぬか?」では、不況時にこそ医療と教育を充実させろ、とある。これは不況だけでなく発展途上国も同じで、特に妊婦と子供がお得。ラテンアメリカの調査によると、マラリアに罹らないだけで、成人後の年収が5割ほど増えるとか。子供を大事にする国は伸びるのだ。
だが、教育は難しい。「ご冗談でしょう、ファインマンさん」では、ブラジルの科学教育の酷さを嘆いていた。この本ではインドの例で、その歪みを植民地時代に求めている。
宗主国イギリスが求めたのは「現地のエリートとなる役人」であって、賢い労働者じゃない。だから、優等生だけを優遇し、他の者は落ちこぼれるままにした。落ちこぼれた者は、授業が分からないし学校がつまらないので通わなくなる。
皮肉なのは、親も不登校を「仕方がない」とすぐ認めちゃうこと。周りにも学校に行かない子が多いので、「そんなもんだ」と思ってるんだろうか。子が不登校だと親が焦る日本と、どっちがいいのやらw
が、ちゃんと成功例もある。1991年、エチオピアからイスラエルに一万五千人が移住してきた。親の多くは1~2年しか教育を受けていないが、「エチオピア出身の子供のうち65%が、落第することなく第12学年に達していました」。日本だと高校卒業に当たるのかな。ちなみにロシアからの移民だと74%。
環境を整えて、基礎をちゃんと教えれば、なんとかなるのだ。但し、教師にも相応の訓練が要るけど。といっても、アメリカのボストンの例だと、1週間~10日程度の研修で身につくらしい。加えて、習熟度別のクラス分けも効果があるとか。なんで日本は飛び級を認めないのかねえ。
とかの制度的な話も面白いが、貧乏ならではの苦労も身につまされたり。
例えば水だ。私たちは断水でもしなけりゃ、まず水に困らない。日本の水道水は塩素で消毒されてるから、赤痢の心配もない。だが、水道がないインドの村では違う。彼らは、毎朝クローリンで水を消毒しなきゃいけない。貧しいってのは、病気を防ぐってだけでも、手間と費用が嵩むってことなのだ。
など、私の好みを反映した例ばかりを抜き出したが、そうでない例も出てくる。例えばマイクロファイナンスについて、効果は認めながら「でも限界はあるよ」と、かなり痛い所を突いてきたり。その最たるものが、冒頭の引用ウガンダが学校に出す補助金だろう。どうやら地区の役人がネコババしたらしい。
が、ちゃんとオチもついてる。これが明るみに出ると大騒ぎになり、財務省が新聞で送金額を発表するようになった。結果、学校は80%を受け取れるようになったとか。つまりは情報公開が大事なのかも。だってのに、わが国はブツブツ…
他にも税金の納め方の違いが社会構造や経済発展に影響する例とかもあって、これは給料天引き制度の日本人にはかなりショッキング。今すぐ役立つ本ではないけど、多少なりとも経済政策や権力構造に興味があるなら、きっと楽しく読めるだろう。
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