景戒「日本霊異記」平凡社ライブラリー 原田敏明・高橋貢訳
少しばかり聞き伝えたところをしるし、日本国現報善悪霊異記と名づけて、上中下の三巻に分け、後世に伝える。
――上巻の序文吉志火麻呂は武蔵国多磨郡鴨里の人、母は日下部真刀自である。聖武天皇の世に火麻呂は大伴某に指名されて、九州防備の防人にいくことになった。防人の年限は三年である。母は子について行ってともに暮らし、妻は国にとどまって家を守った。
――中巻 極悪の子が妻を愛し、母を殺そうと謀って、たちどころに悪い死に方をした話 第三奈良の都に一人の僧がいた。名前は分からない。僧はいつも方広経を誦して、俗人の生活をして、銭を貸すことによって妻子を養っていた。
――下巻 方広経を誦した僧が海に沈んで溺れなかった話 第四
【どんな本?】
平安時代初期の僧・景戒が、聞き知った話を書き記したとされる、仏教の説話集。主に飛鳥・奈良時代を中心に、因果応報・勧善懲悪のストーリーで、仏教の信心を説く話が多い。が、中には、雷を捕えた・狐の嫁を娶ったなど、ちょっとした怪異譚も採録している。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
解説によると、成立は平安時代初期、嵯峨天皇の治世、810~824年ごろ。著者は「奈良右京の薬師寺の僧、景戒」と序文にある。正式な書名は「日本国現報善悪霊異記」。上巻35話,中巻42話,下巻39話の計3巻116話から成る。
この版の現代語訳は1967年8月東洋文庫より刊行。これを平凡社ライブラリーに収録、2000年1月24日に初版第1刷発行。文庫本で縦一段組み、本文約296頁に加え、両訳者による解説20頁。9ポイント41字×15行×296頁=約182,040字、400字詰め原稿用紙で約456枚。文庫本では普通の厚さ。
現代語訳だけを収録している。文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。成立は平安時代だが、飛鳥・奈良時代を舞台とした話が多い。なので中学校で学ぶ程度の日本史の素養はあった方がいい。
【感想は?】
仏教の説話集だ。ただし庶民向け。なので、これを読んでも当時の仏教の教義はほとんどわからない。
「信心しなさい」とは言うものの、じゃ信心って何?となると、かなりあやふや。殺生はイカン、ってのはわかるが、それ以外は仏像を拝めとか写経しろとか、とにかく熱心にやれってだけ。
特にワケがわからんのは中巻「法師を打って現に悪病にかかり、死んだ話 第三十五」。「仏法を守る神はどうしていないいのか」なんて台詞が出てくる。当時は僧侶でも仏様と神様をハッキリ区別してなかったんだろう。
そんな中でもちと都合よすぎだろ、と思うのは僧の扱い。乞食坊主であろうとも、僧をいじめたりののしったりしたら祟るぞ、だの、僧は魚を食べても構わないんだとかは、当時の仏教僧の特権意識がよく出ている。
とまれ、そんな説教臭い所は置いて、怪異譚として読むと、それなりに収穫がある。
なんたって、いきなり「雷を捕えた話」だ。たった三頁だが、話の展開がやたら早く、雷神は二度も捕まってる。残念ながら雷神の姿については何も書いていないので、虎のパンツをはいてたかどうかはわからないw
次の「狐を妻として子を生ませた話」も、2頁と少しで話が終わる。男が嫁さんをナンパする場面も、実にスピーディ。正体がわかっても最後まで嫁さんラブラブな男が可愛い。昔からケモナーはいたんだなあ。お話の展開から、もしかしたら雪女の原型かも。
異種婚姻譚だと、他には蛇が娘につきまとう話が幾つか。お話の中だと狐は雌で蛇は雄なのは、何か理由があるんだろうか。
世界各地の神話・伝説と似てたり、共通点のある話もある。第三の「雷の好意で授けてもらった強力の子の話」では、生まれた子に蛇が巻き付いている。確かヘラクレスも雷神ゼウスの子で、赤ん坊の時に蛇を殺してるから、何か関係があるのかも。
処女懐胎も幾つかあるけど、イマイチ有難みは少ない。
比較的にマシなのは下巻「女が石を産み、神としてまつった話」第三十一。処女が孕み、三年ほどして二つの石を産む。実はこの石、神様の子で…とはあるが、特に何か有り難い事も起きず、アッサリ話は終わってしまう。「結石じゃね?」とか突っ込んじゃいけません。
そんな中でも、やはり大きいと感じるのが中国の影響。死んで閻魔様に会い、話を聞いて蘇るってパターンがアチコチにある。これらは微妙に聊斎志異と雰囲気が似てて、たぶん大陸から流れてきた話なんだろう。
ここでは「頭は牛、体は人間の形をした」云々ってキャラも出てくる。まるきし鬼だ。が、この話では鬼とは書いていない。他の話で鬼は出てくるんで、当時の鬼は今と違う姿をしていたのかも。
また、「○○は××の人である」ってな書き出しも、中国の古典の定型を持ってきたんだろうなあ。
おおらかだよね、と思うのは下巻「愛欲の心が生じ、吉祥天女の像をしたって、不思議なことがあった話」第十三。ある男が吉祥天女の像に惚れ、お勤めの度に「あなたみたいな美女を下さい」と熱心に祈ったところ…。このままエロマンガに使えそうな話だ。つまりアレって美少女フィギュアなのね。
時代は変わっても人は同じと感じるのは、最後の一つ前、下巻「災いと善との前兆があって、後でそれが現れた話」第三十八。これは他と毛色が違って、著者の景戒自身が登場し、いろいろとボヤいてる。「わたしが身を受けること、ただ五尺あまり」とか嘆いてて、昔から背の高い男がモテたんだなあ。
ここでは「爪はじき」なんて言葉も出てくるんだが、意味が現代と全く違っちゃってるのも、ちょっと趣があったり。また、景戒も僧ではあるけど嫁さんも子供もいて、戒律は江戸時代とだいぶ違う様子。
とか、変なネタばかりを拾って紹介したけど、基本的には勧善懲悪な仏教の説話です、はい。
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