池上永一「黙示録」角川書店
人は『太陽(でた)しろ』を生き、神は月しろを生きる。
――p10「舞で千年を生きてみせろ」
――p53貧しさを軽く扱う者は決まって衣食住に足る奴らだ。
――p443
【どんな本?】
「レキオス」「テンペスト」など、沖縄/琉球を舞台にしたスケールの大きい作品を紡ぎ出す池上永一による、琉球歴史ファンタジイ絵巻。
18世紀初頭、尚益王(→Wikipedia)の治世。琉球は大和・清に挟まれ、両国のバランスを保つ形で生き延びている。しかし、このような小国としての地位をよしとせず、大きな野望を抱く者がいた。
具志堅文若、唐名を蔡温(→Wikipedia)。若くからその才の評判は高く、在留通事として清で見識を深め、今は王子の教育係を務めている。やがて王子が王位を継げば、その片腕となって働くだろう。
幸いにして王子は人柄も良く知識欲も旺盛だ。やがてはよき王となるだろう。だが、琉球が更なる高みへとのぼるためには、それだけでは足りない。太陽(でた)しろたる王には、相応しい月しろが必要だ。その月しろたる者は…
大和と清の両大国を相手に、大胆な外交で琉球の地位を押し上げんと目論む蔡温。遺体すら葬って貰えぬ最下層の身分からの脱出を目指す了泉。了泉に才を見出し復権を図る石羅吾。蔡温のライバル玉城里之子、その秘蔵子で幼い頃から芸一筋に打ち込んできた雲胡。
綱渡りの王国の命運と、道果てぬ芸人の業、そして神と人の関係を、色鮮やかな琉球を舞台に描く、怒涛の歴史ファンタジイ大作。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2013年9月30日初版発行。単行本ハードカバー縦2段組みで本文約620頁。9ポイント23字×20行×2段×620頁=約570,400字、400字詰め原稿用紙で約1,426枚。文庫本なら上中下の三巻にしてもいい巨大容量。既に角川文庫から文庫版が上下巻で出ている。
文章はこなれている。琉球語や漢詩がアチコチに入るが、慣れればそれも風情と感じるだろう。内容も特に難しくないが、琉球の歴史を少し齧ると、更に面白みが増す。
【感想は?】
これぞ池上永一。
琉球風味はもちろんのこと、波乱万丈・疾風怒濤、大法螺吹きまくりで予測不能な暴風雨が吹き荒れる、ノンストップの娯楽大作。ついでに言うと、舞台化・映像化はまず無理。
物語は二人の人物が中心となる。いずれも秀でた芸で認められた宿命のライバルだ。
まずは了泉。人とすら見なされぬ卑しい立場で、食わんがために仕方なく芸の道に入る。幸か不幸か天性の才があり、付け焼刃ながらその踊りは舞台も客席も支配する。
そのライバルが雲胡。幼い頃より人生を芸に捧げ、厳しい稽古に耐えてきた。長い修練が培った強固な基礎は誰にも負けず、将来を嘱望されている。
とくれば、さわやかなスポ根ものになりそうだが、そこは池上永一。そんなありきたりでわかりやすい話には決してならない。
定石なら、舞台に立つうちに互いの芸を高め合うところ。が、なにせ、互いにかかっているものが違う。トップを奪うためなら手段を選ばぬ了泉、そんな了泉を見下し毛嫌いする雲胡。両者が七島灘を渡る場面は、笑うべきか恐れるべきか。
この両名に関わってくる、脇役もアクの強い奴が揃っていて、特に前半では主役二人を食いかねない大暴れを見せる。
まず度肝を抜くのが與那城王子。王位継承権第五位なんて御大層な地位だが、王子って立場から連想するのとは全く違う規格外のお方。映像化も舞台化も不可能となった責任の大半は、この人にある。登場場面からして、明らかに人智を越えた存在で…。
まあ、ある意味、與那城王子こそ、池上永一たる象徴みたいなキャラクターかも。
次に樺山聖之助。薩摩の侍で、居合の達人。悪い人じゃないんだが、あまり周囲にいて欲しくない人。つか、なんてシロモノを腰に下げてるんだw まさしく○○に××じゃないかw と思ったが、案外と相応しい者に相応しい得物なのかも、な場面もあったり。與那城王子とは別の意味で、人間離れしたお方。
もう一人、紹介したいのが、瓦版屋の銀次。一昔前のトップ屋、今ならパパラッチ。お江戸のゴシップを一手に引き受け、ある事ない事書き立ててあぶく銭を稼ぐ芸能記者。彼と大物役者の関係は、案外と今でも受け継がれているのかも。
私が彼を気に入った最大の理由は、彼の特技。ラリイ・ニーヴンのアイデアを、こんな形で蘇らせるとは。こういうのがあると、SF者の血が騒いでしょうがない。
とかの濃いキャラが次々と騒動を引き起こす前半は、驚きの展開の連続で、読んでるだけでも息切れがするほど。
これが、後半に入ると、ガラリとトーンが変わり、芸人の業の深さが、恐怖すら伴って忍び寄ってくる。
蔡温も玉城里之子(玉城朝薫)も、Wikipedia に項目があり、ちゃんと歴史に名が残っている。位の高い政治家だってのもあるが、玉城里之子は組踊の祖としても名高い。
同じ芸でも、文学や絵画や彫刻は作品が残る。そのため、後の世までも名を残すことができる。音楽でも西洋音楽は楽譜があるので作曲家の名は残るが、演奏家はそうじゃない。これは踊りも同じで、彼らの芸はその場限りで消えてゆく運命にある。
にも関わらず、彼らはなぜ踊るのか。もちろん、食うため、稼ぐため、出世するためでも、ある。だが、それだけじゃない。
「ぼくのおめけりは凡庸でした。でも誉められた。こんな屈辱があるでしょうか……」
――p538
一つの作品が演じられる時、その舞台の上で、または舞台の裏で、何が起きているのか。新しい作品を生み出そうとする時、それに関わる人は何を考えているのか。終われば消えてしまう踊りに、なぜ役者は懸命になるのか。
大きな曲がり角を迎えた琉球の歴史を背景に、芸を極めんとする者の業を清濁併せて描く、重量級の娯楽ファンタジイ大作。次の日の朝が早い人は、充分に覚悟して臨もう。
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