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2018年1月 5日 (金)

ジョン・ロペス「ネゴシエイター 人質救出への心理戦」柏書房 土屋晃・近藤隆文訳

「人は交渉人は話し上手でなくてはならないと思っている。(略)もっと重要なのは聞き上手であることだ」
  ――第二部 ビジネス 第三章 売り込み

目隠しや頭巾は人質犯の兵器庫にあるもっとも強力な武器のひとつだ。正体を守ってくれるのはもちろん、人質にあたえる心理的効果が大きい。(略)目が見えなければ、すり足でゆっくり歩かなくてはならず、最後には導いてくれる人質犯を頼るようになる。
  ――第二部 ビジネス 第四章 もっとも長い道のり

被害者はたいてい夜遅くに拉致される。そうすれば犯人はATMで二度、金を奪える。12時前と後の二回、一日の引きだし限度額いっぱいまで金をおろさせる。
  ――第二部 ビジネス 第四章 もっとも長い道のり

統計的に、人質案件が長引けば長引くほど、人質が生きて家に帰れる可能性は高くなる。
  ――第三部 降下地域 第六章 損の上塗り

たとえ彼(アルカーイダのザルカウィ)がアッラーやアルカーイダの名の下に人の首をはねていなくても、その邪悪な幻想を正当化する理由を見つけて実行に移していたはずだ。
  ――第四部 新しい波 第九章 最後の手段

交渉人が金額を提示する際には、数字がきれいにそろわないようにする配慮が必要になる。(略)42万5千ドルという数字は、人質の身内が必死にかき集め(略)たという感じがする。
  ――第四部 新しい波 最後の手段

政治とは、事態の本質から遠ざかる簡単な方法だ。
  ――第五部 不和 第十三章 ジャーの兵士

【どんな本?】

 ネゴシエイター。人質交渉人。フレデリック・フォーサイスの小説「ネゴシエイター」や、映画「交渉人 真下正義」などで有名な職業である。

 交渉人として活躍する著者は、主に身代金目当ての誘拐事件を担当した。その目的は、人質の身柄の安全を確保すること。ベネズエラで育った経歴を活かし、主に南米の事件を得意とするが、活動範囲は世界中に及ぶ。

 この本では、自らが務めた誘拐事件を紹介する中で、交渉人の存在意義と仕事の内容,誘拐事件の現状とその背景,犯人のパターンと手口,被害者や周囲の者の立場と反応,人質を安全かつ確実に取り戻すための適切な対応などを説いてゆく。

 緊張感あふれる誘拐事件の描写をリアリティたっぷりに描く、迫真のノンフィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Negotiator : My Life at the Heart of the Hostage Trade, by Ben Lopez, 2011。日本語版は2012年7月10日第1刷発行。なお、著者名は仮名。加えて、これは私の推測なんだが、おそらくプロの作家かライターが協力している。詳しくは後述。

 単行本ハードカバー縦一段組みで本文約350頁に加え、松坂健の解説「誘拐産業の『経営学』 知力の限りを尽くす交渉人の世界」8頁。9ポイント44字×18行×350頁=約277,200字、400字詰め原稿用紙で約693枚。文庫本なら少し厚めの一冊分。

【構成は?】

 内容はそれぞれの部ごとに独立しているが、人質交渉人の背景事情などは前の章に書いてあるので、できれば頭から順に読む方がいい。

  • 緒言
  • 身代金目的の誘拐事件の実相
  • 第一部 エンド・ゲーム
    • 第一章 身柄
  • 第二部 ビジネス
    • 第二章 ゴムのニワトリ
    • 第三章 売り込み
    • 第四章 もっとも長い道のり
  • 第三部 降下地域
    • 第五章 初動
    • 第六章 損の上塗り
    • 第七章 詐術
    • 第八章 シェパードの祈り
  • 第四部 新しい波
    • 第九章 最後の手段
    • 第十章 裸の王様
  • 第五部 不和
    • 第十一章 立てこもり
    • 第十二章 交渉人部屋
    • 第十三章 ジャーの兵士
    • 第十四章 突破口
    • 第十五章 長い議論
    • 第十六章 帰ってほしい
    • 第十七章 高値の標的
    • 第十八章 魔女の集会
  • 第六部 海賊たち
    • 第十九章 ザ・ウルフ
    • 第二十章 循環
  • 解説 松坂健

【感想は?】

 ノンフィクションだが、全編を通して「早く次を読みたい」という気にさせる本だ。

 先に「プロの作家かライターが協力している」と書いたのは、そのためだ。とにかく構成が巧い。誘拐事件は、私たちの野次馬根性を惹きつける。常に緊張感が漂い、ちょっとした変化が大きな悲劇を予感させる。「狼たちの午後」など映画がよく人質事件をネタにするのも、人質事件の面白さゆえだ。

 この本では、著者が担当した誘拐事件の進行を、ドキュメンタリー映画風に迫力たっぷりに描いてゆく。この描写が、読者の野次馬根性を刺激し、全体に高い緊張感をもたらしている。

 と同時に、その合間に挟む形で、ワイドショウのゲストの専門家が解説するような雰囲気で、より一般的な話を説明する。それは人質誘拐事件が起きる社会的な背景だったり、誘拐犯が使う小賢しい手口だったり、被害にあった家族に起きる事柄だったり。

 そしてもちろん、人質交渉人が駆使するテクニックや、その仕事の実態も。

 一般的な話がダラダラと続けば、専門的だが面白みのない本になる。これを進行中の事件と絡めて描くことで、物語としての面白さがグッと増した。こういう、読者を惹きつける工夫の巧みさが、プロの手によるものと私が考える根拠だ。

 おそらく、「カラシニコフ自伝」や「アメリカン・スナイパー」と似た方法で進めたんだろう。まずプロの書き手が著者の話を聞く。次に書き手が構成を考えて文章にする。出来上がった文章を著者がチェックし、間違いや不適切な表現があれば正す。専門的な内容を面白く伝えるには、最善の方法だろう。

 この本が紹介する舞台は、ブラジル・メキシコ・パキスタン・アフガニスタン・ロンドン・アルゼンチン・イタリアそしてソマリアの海賊など、世界各地に渡り、また犯人の背景や事件の実情も様々だ。

 これらの事件を通し、私たちの知らない様々な事柄が語られてゆく。最初に気付くのは、交渉人の意外な仕事ぶり。

身代金めあての誘拐の場合、レスポンス・コンサルタント――人質交渉人を指す業界用語――が誘拐犯と直接交渉をもつことは稀である。
  ――第一部 エンド・ゲーム 第一章 身柄

ネゴシエイターには、破るべからざる大切なふたつの黄金律がある。ひとつ、銃を使わないこと。ふたつ、自分自身で交換をおこなわないこと。
  ――第一部 エンド・ゲーム 第一章 身柄

 そう、交渉人は表に出ないのだ。被害者または実際に犯人と話す者のそばに寄り添い、様々なアドバイスをする、それだけ。気楽で無責任な、と思うかもしれない。が、読み進めれば、深く広い知識を持ち経験を積んだプロがどれほど頼もしいか、自然にのみこめてくる。

 先にあげた舞台は、治安の悪い地域が多い。「戦場の掟」の舞台イラクもそうだが、警察が貧弱または腐敗していて治安が悪いと、身代金目的の誘拐が「儲かるビジネス」になってしまう。そのため、交渉人の目的も、警察とは異なってくる。警察は犯人逮捕を望むが…

私は、逮捕には気をまわさない。唯一の目的は人質の無事の解放を確保することだ。
  ――第五部 不和 第十八章 魔女の集会

一般的に言って、コンサルタントが存在することによる有益で副次的な効果とは、身代金の支払い額が当初の要求に比べて著しく下がることにある。
  ――第二部 ビジネス 第二章 ゴムのニワトリ

 と、最優先は人質の安全。次に身代金を値切ること。まさしく被害者の立場に立った商売なわけだ。が、普通はこう考えるだろう。「値切ったら人質の命は危なくなるのでは?」

 違うんだなあ。これまた意外な事に、巧く値切ることが被害者の安全にもつながってくる。そのメカニズムは納得できるもので、とっても面白いんだが、是非これは皆さんの目で確かめていただきたい。

 当たり前だが、犯人は切り札である人質を握っている。この状態では、何もできることが無いように思える。これも意外なのだが、犯人のタイプと立場によっては、色々と交渉の余地はあるのだ。ただし、主に身代金目当ての誘拐の場合に限るんだけど。

 本格派の推理小説よろしく、小さく目立たぬ証拠から、犯人の性質や立場を見抜いてゆく過程は、とてもスリリングで意外性に富んでおり、読者を飽きさせない。

 などの交渉人の仕事を通じ、人質事件のニュースの見どころも分かってきて、野次馬としての目が冴えてくるのも嬉しい。加えて、私たちが世間で暮らす中で避けられない「交渉」のコツも見えてくるのが、ちょっとした拾い物。スリルとサスペンスに加え、約に立たない無駄知識満載でオタク心も満たされる充実した本だった。

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