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2018年1月 2日 (火)

笈川博一「物語 エルサレムの歴史 旧約聖書以前からパレスチナ和平まで」中公新書

十字軍時代こそ、現在まで続くイスラム文明とキリスト教文明の対立の出発点と言えるのかもしれない。
  ――8 1099年から1187年まで 第二次イスラム時代

ベンイェフダはヘブライ語の辞書を作った。普通、辞書は使われている言葉を集めて編纂するものだが、ベンイェフダの場合は言葉そのものを作ったのだから大変だ。
  ――10 1516年から1917年まで オスマン・トルコ時代

(第三次中東)戦争の大勝利は、外国、特にアメリカにいるユダヤ人に大きな影響を与え、イスラエル訪問が流行になった。
  ――13 1967年から2010年まで イスラエル時代

その(第一次インティファーダの)間にパレスチナ人の平均収入は約30%低下したと言われる。
  ――13 1967年から2010年まで イスラエル時代

たしかな統計があるわけではないが、第一次インティファーダの数年間で殺されたパレスチナ人は約2000人だったと推定される。その半数はパレスチナ人同士の犠牲者だったらしい。罪名は常に“イスラエル協力者”であった。
  ――13 1967年から2010年まで イスラエル時代

【どんな本?】

 2017年12月5日。アメリカ合衆国トランプ大統領は、在イスラエルのアメリカ大使館を、今のテルアビブからエルサレムに移すと発表した。つまり名目共にエルサレムをイスラエルの首都と認めたのだ。このニュースは世界中で大騒ぎとなり、国連にまで持ち込まれる。

 他の国なら、首都をどこにしようが、その国の勝手であり、他国が云々する事はない。ではなぜエルサレムがこれほど騒がれるのか。エルサレムの何が特別なのか。

 本書では、紀元前4千年にまで遡り、聖書やコーランをはじめとする古文書はもちろん、碑文や発掘された土器なども参照し、エルサレムの起源から、その時々の住民の構成、周辺の国家の力関係などを含め、エルサレム及び周辺地域の歴史を説いてゆく。

 ユダヤ教にもキリスト教にもイスラム教にも疎い人のための、一般向け歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2010年7月25日発行。新書版ソフトカバー縦一段組みで本文約300頁に加え、あとがき3頁。9ポイント41字×16行×300頁=約196,800字、400字詰め原稿用紙で約492枚。文庫本なら普通の厚さの一冊分。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。旧約・新約ともに聖書を元にした話も多いが、知らなくても大きな問題はない。

 著者はヘブライ大学留学の経験もあり、現地の情勢に詳しい。聖書やコーランはあくまでも歴史文書として見ており、他の文書と突き合わせて整合性を確かめる姿勢だ。なので、そういう視点が気にならない人向け。また、パレスチナ問題に対しては、イスラエルの左派に近い立場だと感じた。

【構成は?】

 原則として時系列順に進むので、素直に頭から読もう。また、テーマがイスラエル建国に深く関わるので、半ばイスラエルの歴史みたいな部分もある。

  • 第Ⅰ部 諸王国の興亡
     史料としての聖書/地方都市エルサレム
    • 1 紀元前1000年まで
      呪詛文書に記されたエルサレム/アマルナ書簡/東西大国の狭間で/旧約の二つのエピソード/アブラハムのもう一人の息子/出エジプトとカナン征服
    • 2 紀元前1000年から925年まで ダビデ、ソロモンの統一王国時代
      理想の王ダビデ/ダビデ時代の実像/ダビデと契約の箱/ダビデからソロモンへ
    • 3 紀元前922年から720年まで 南北朝時代
      北のイスラエル王国、南のユダ王国/二王国の滅亡/バビロン捕囚とアイデンティティ/礼拝の変容
    • 4 紀元前539年から紀元後70年まで 第二神殿
      エルサレムへの帰還と神殿再建/アレクサンドロス大王の遠征とヘレニズムの浸透/対シリア戦争とローマによる占領/ヘロデ王によるエルサレム建設/イエスの誕生/新約聖書のクリスマス/エルサレム包囲とマサダの戦い
    • 5 70年から614年まで ローマ、ビザンチン時代
      ユピテル神殿建設から再び反乱へ/バル・コクバ反乱がもたらしたもの/キリスト教公認
    • 6 ササン朝ペルシャによる征服
    • コラム サマリア人とは誰か
  • 第Ⅱ部 イスラム興隆の中で
    • 7 638年から1099年まで 第一次イスラム時代
      イスラム教の誕生/ムハンマドの死後/二つのモスクの誕生
    • 8 1099年から1187年まで 第二次イスラム時代
      ヨーロッパ側の必然性/エルサレム王国の建設/キリスト教とイスラムとの確執
    • 9 1187年から1516年まで 第二次イスラム時代
      サラハディンの入城/第二次エルサレム王国
    • 10 1516年から1917年まで オスマン・トルコ時代
      歓迎されたオスマン・トルコ/救世主(メシア)と聖地/衰退と転機/ユダヤ民族主義/ドレフュス事件の波紋/第一次世界大戦/マクマホン書簡、バルフォア宣言、サイクス・ピコ協定
    • 11 1917年から19488年まで 英委任統治時代
      戦後処理の様相/委任統治の困難/第二次世界大戦
    • コラム 安息日に救急車は呼べるか
  • 第Ⅲ部 イスラエル建国ののち
    • 12 19477年から11967年まで ヨルダン王国時代
      テロと戦闘/独立宣言から戦争へ/アラブ人難民の波
    • 13 1967年から2010年まで イスラエル時代
      第三次中東戦争/イスラエルによるエルサレム併合/第三次中東戦争その後/併合後の市民たち/第四次中東戦争/エジプト和平 結果としてのレバノン戦争/第一次インティファーダ/インティファーダが引き起こしたもの/ロシア移民とエチオピア移民/湾岸戦争時のエルサレム/マドリード会議/オスロ合意/パレスチナ自治のつまづき/ラビン暗殺/第二次インティファーダとシャロン政権/「和平のためのロードマップ」の死/旧市街/併合された東エルサレム/混迷の将来
  • あとがき

【感想は?】

 最初の頁から、妄想マシーンに燃料を大量注入してくれる。というのも…

ヘブライ語には単数、双数、複数の三種類がある。(略)現在のヘブライ語でエルサレムは“イェルーシャライム”と双数になっており、これも意味不明だ。

 へ? 双数? とすると、もう一つ、現エルサレムと対をなす場所があるのか? 真エルサレムとか裏エルサレムとか闇エルサレムとか。 と思って地球上でエルサレムの裏側にある所を調べたら、南太平洋ド真ん中、ニュージーランド沖。そりゃそうだ。

 確かに紀元前4千年ごろから人は住んでいたようだが、特に戦略上の要所でも特産物があるわけでもない。何より不便だ。山の上で水源もなく土壌も貧しく、軍事的にも脆弱な地形にある。だもんで、周辺の王朝からは、あまり重要視されていなかった模様。

 とはいえ、エジプト・アッシリアなど大河のほとりに芽生えた大帝国からすると、隣の大国との境にあるため、それぞれの国の興隆と衰退の波により、アッチに呑まれたりコッチに食われたりの繰り返し。そのためか、ユダヤ人も各地に散らばってゆく。

 このあたりは、大国のはざまにある小国の悲哀が漂うものの、それでも民族としてのアイデンティティを保つ礎になったのが宗教ってあたり、現在の中東問題の根の深さを感じさせる。

 散らばったユダヤ人が集まって作った国がイスラエルだ。だもんで、今のイスラエルには様々な国から来た人がいる。中でもエピソード的に光ってるのがイエメン系の人。まず、本を読む時、「一定の角度に傾けて置いたり、逆さまから見たりした方が読みやすい人々がいた」。

 イエメンじゃ本が手に入りにくい。そこで、貴重な本を読む時は、多くの人が本を八方から囲んで読んだのだ。だもんで、横からのぞき込んだり向かい側から読んだりする人も出てくる。それが癖になっちゃったわけ。本読みの鑑だ。幾らでも好きなだけ本が読める現代日本の有難みをつくづく感じる。

 もう一つはイスラエル建国に伴い、イエメンからイスラエルに移住する際の話。五万人近い彼らを迎え入れるため、イスラエルは飛行機を手配する。それまで「非常に原始的な生活をしていたのに、迎えに来た飛行機にはまったく驚かなかった」。ニュースで知っていたから? 違います。

 なんと、聖書のイザヤ書に「鷲のように翼で上昇する」と記述があったから。

 はいいが、茶を入れるため機内で焚き火を始めたんで大騒ぎだそうな。また、「イスラエルの歌手にはイエメン出身者が多い」とか。ちょっと Youtube で漁ると、リズミカルでノリがよく踊りたくなる曲が多いなあ。今のイエメンは内戦で大変だけど、平和だったら優れたミュージシャンを輩出してたかも。

 今でこそムスリムとイスラエルの確執は激しいが、最初はそうでもなかったようで。二代目カリフのウマル(・イブン・ハッターブ、→Wikipedia)はイスラムの版図を広げ、当時はキリスト教徒の支配下にあったエルサレムも占領する。その際には略奪もせず改宗も強いなかった。ばかりか…

 聖墳墓協会を訪れた際、ちょうど祈りの時間となる。ウマルは敢えて教会の外に出て、階段の上で祈った。ウマル曰く、教会内で祈れば、「教会は接収され、モスクに替えられるだろう」。自らの絶大な影響力を知った上で、異教徒との共存を自らの行動で示したわけです。まあ、言い伝えだけど。

 などの歴史的経緯も面白いが、「第Ⅲ部 イスラエル建国ののち」では、現代のエルサレムの様子が、そこで暮らす市民の眼で描かれていて、なかなか貴重な情報だったり。どの国にも、喉元に刺さった棘みたいな事件はある。イスラエルだとディル・ヤシン事件(→Wikipedia)が、その一つ。

 (ディル・ヤシン事件の)犠牲者の人数をどう見るかはその人の政治信条を示す。
  ――12 19477年から11967年まで ヨルダン王国時代

 日本での南京虐殺事件みたいな位置づけなんだろう。意外なのが、エルサレムは広がりつつある事。近くの地方自治体を統合し、「(第三次中東戦争)戦前の三倍近い広さになった」。新エルサレムには官庁街や大学キャンパスを作り、首都としての役割をアピールしている。挑発的だなあ。

 加えて、エルサレムが「貧しい街」だってのも、意外。パレスチナ人地区のインフラ整備などをサボるため、そこに住む者も貧しい。ばかりでなく、ユダヤ教の「宗教的な人」も多く、彼らの所得も少ない。聖地とは言うものの、地域によっては見栄えが良くない所も多いんだろう。

 また、各国の大使館が揃うテルアビブとの比較も著者ならでは。曰く…

…テルアビブでは左派が強く和平賛成、エルサレムでは右派が強く和平反対という二つの町の性格をはっきりと浮き出させた。
  ――13 1967年から2010年まで イスラエル時代

 なんて点も考えると、アメリカ大使館の移転は、私が思っていたより大きな意味を持つんだろう、なんて考えを改めたり。

 古代はエジプトとアッシリアの狭間に、次いでペルシャとローマの狭間に、そしてヨーロッパとアラブの狭間にと、常に世界の大勢力に挟まれ、揺れ動いたエルサレム。その歴史も面白いが、イスラエル建国以降の事情もとてもエキサイティング。この時期にこの本に出合えたのは、とてもラッキーだった。

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