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2018年1月の17件の記事

2018年1月31日 (水)

ゲイル・スマク・レモン「アシュリーの戦争」株式会社KADOKAWA 新田享子訳

 本書では、特殊部隊を支援しようと志願した女性たちのありのままの姿を描いています。この女性たちは、米軍最精鋭の兵士と共に戦えるチャンスがある事を知り、居ても立ってもいられずに、自ら進んで戦うことを誓いました。
  ――はじめに

この選抜プログラムは、兵士たちを常に不安定な状態にしておくように組まれている。
  ――PART1 召集の声 4 地獄の100時間

「君たちなら、我々が行けない場所に行ける。我々が接触を許されない人たちと話せる。君たちは非常に大きな貢献ができるし、任務の成功には君たちが必要だ」
  ――PART1 召集の声 6 訓練の日々

「お前たちはどいつもこいつも、いつも部隊で一番出来のいいオンナだったんだ。(略)それが今、一番じゃなくなった」
  ――PART1 召集の声 7 ダイヤモンドの中のダイヤモンド

最悪の事態を避けるには、とりあえずレンジャーのマネをするのが一番だ。
  ――PART2 派遣 11 夜の山に登る

【どんな本?】

 アフガニスタンの戦争に足を取られて約10年。やっと米軍は気がつく。「女が必要だ」。

 アフガニスタンでは男女の垣根が高く厳しい。男が女と話すのはおろか、女の持ち物に触れただけでも無礼と見なされる。当然、隠し持った武器を探るボディチェックなど、もってのほかだ。

 米軍はアフガン人の好意を得たい。だが前線にいるのは男ばかり。だからアフガンの女とは話ができないし、ガサ入れでも女の部屋には入れない。お陰で、女装したゲリラはやすやすと非常線を越えてゆく。

 前線に女の将兵がいれば、この問題は解決する。女の兵ならアフガンの女と話せるし、ボディチェックもできる。アフガンの女だって井戸端会議をするし、夫や息子が何をしているか見当はついている。前線に女の将兵を送り込めば、米軍はアフガンの女たちと接点が持てる。

 そこでJSOC(統合特殊作戦コマンド)はCST(Cultural Support Team、文化支援部隊)を発足させ、希望者を募った。対象は現役の陸軍将兵、州兵、そして予備役将校。もちろん、女だけだ。彼女らは、精鋭のレンジャーやグリーンベレーやシールズに同行し、少人数の部隊で敵地の真っただ中へ放り込まれる。

 卓越した能力を要求され、最も厳しく危険な任務に志願する女たちは、どんな者なのか。何のために彼女たちは志願したのか。軍は彼女たちをどう扱い、彼女たちはどんな任務を担ったのか。

 第一期CSTとして厳しい選抜試験をくぐり抜け、アフガニスタンでも優れた実績を残し、新たな道を切り開いた女たちに焦点を当てた、異色の軍事ルポルタージュ。

 なお、日本語版には “米軍特殊部隊を最前線で支えた、知られざる「女性部隊」の記録” の副題がついている。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Ahley's War, by Gayle Tzemach Lemmon, 2015。日本語版は2016年6月29日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約373頁に加え、あとがき5頁。9ポイント40字×19行×373頁=約283,480字、400字詰め原稿用紙で約709枚。文庫本なら厚めの一冊分。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくないが、軍の階級と陸軍・海軍・空軍・海兵隊の違いぐらいは知っておいた方がいい。兵器などは文中に説明があるので、わからなくても大丈夫。

【構成は?】

 だいたい過去から現在へと向かって進むので、なるべく頭から順に読もう。

  • はじめに
  • 序章 カンダハル
  • PART1 召集の声
    • 1 アンクルサムは「君」を求む
    • 2 召集
    • 3 ランドマーク・イン
    • 4 地獄の100時間
    • 5 合格
    • 6 訓練の日々
    • 7 ダイヤモンドの中のダイヤモンド
  • PART2 派遣
    • 8 アフガニスタン到着
    • 9 「フィットイン」作戦
    • 10 通訳
    • 11 夜の山に登る
    • 12 貢献
    • 13 戦争のウソ
  • PART3 最後の点呼
    • 14 最初の死
    • 15 哀しみ
    • 16 闘技場の男
    • 17 カンダハル
  • エピローグ
  • あとがき

 JSOCやROTCなどの略語が頻繁に出てくるので、できれば用語一覧が欲しかった。加えて、登場人物の一覧も。

【感想は?】

 男社会の軍で活躍の場を求める女の話だ。だから、ジェンダー系の話が多い。

 が、同時に、大きな組織の中で存在感を示そうと足掻く少数派の物語でもある。企業内の情報ネットワークを管理している人などは、共感する点も多いだろう。

 もちろん、単なる少数派とは違う。彼女たちは、みな志願者だ。自分の能力を示し、「ちゃんとやれる」と証明する機会を求めていた。だが、2011年当時の米軍は、女が前線で戦うのを禁じていた。どれだけ実績を積もうと、戦う機会すら与えようとしなかった。

 書名は「アシュリーの戦争」だ。実際、アシュリー・ホワイト中尉に最も多くの紙面を割いている。が、読み通した感想としては、群像劇の印象が強い。

 強姦の傷を乗り越えようとするレーン。下士官として尋問官を務め、幹部候補生学校を出て将校になったアンバー。身長152cmと小柄ながら高校ではアメフト続け、憲兵となったケイト。工兵将校として手腕を認められたアン。明るいチアリーダーだったクリステン。書類仕事に飽き飽きしていたリグビー。

 イラクで地方政府高官と信頼関係を育んだリーダ。彼女は将来CSTのリーダーとなる事を期待されている。などのメンバーの中で、トリスタンの初登場場面は酷いw 何か恨みでもあるのかw もちろん、彼女もMLRS(多連装ロケット)小隊の隊長として実績を積んでいる。

 そして、主人公のアシュリー。よき両親に恵まれ、ROTC(予備役将校訓練課程)を経て州兵となる。大学のレンジャー・チャレンジで夫のジェイソンと知り合い、今は新婚家庭を築いている。小柄で静かだが、たゆまぬ努力を怠らず、言い出したら決して曲げない。

 私は育ちに僻みを持つリグビーが好きだなあ。最初はやっかみ半分に同僚を見ていたリグビーも、実力と人柄を認めたら受け入れる素直さがいい。

 男社会の軍で足掻いてきた同胞として、そしてCST第一期の同期として、彼女たちが絆を育んでゆく過程は、爽やかな青春物語として心地よく読める。やがて彼女たちは、それぞれにアフガニスタンの別々の部隊に配属され…

 などとは別に、ニワカ軍ヲタとしての収穫も多かった。

 まずはJSOCの間抜けっぷり。アフガン社会の男女の立場について、10年近くも戦いつづけてやっと気が付く間抜けさには呆れる。ベトナム戦争から何も学んでない。

 次に、レンジャーと陸軍特殊部隊・俗称グリーンベレーの任務の違い。

 レンジャーの仕事は敵のアジトを急襲して潰し、さっさと引き上げる。基本的に夜襲だ。初めの事は「2、3日かけて作戦部隊を編成」していた。が、次第に酷くコキ使われるようになり、「与えられた時間は今や15分」。この辺は、「アメリカの卑劣な戦争」と一致している。お陰で誤爆も増えたんだよなあ。

 対してグリーンベレーは長期にわたるVSO(集落安定化作戦)を担う。敵対的な地域に行き地元の者と共に暮らし、地域の有力者を味方に引き込む。仕事を世話し、農業技術を教え、医療を提供し、警官を育てる。または地元の軍事勢力と共にタリバンと戦ったり。これは「ホース・ソルジャー」が詳しい。

 CSTはレンジャー・グリーンベレーのいずれかと行動を共にする。この本では、レンジャーの記述が大半だ。中には、シールズの部隊に加わるCSTもいたり。この場合、任務はレンジャーに近い。

 戦闘場面では、やっぱりIED(即席爆弾)が怖い。爆弾といっても、使い方としては地雷に近い。特にこの本に出てくるのは強烈だ。雰囲気は仕掛け花火。多数の地雷をつなげ、どれかが爆発すると、次々と他の地雷も爆発する。

 タリバンは地元の地形に詳しい。だから現地で急襲部隊が集まりそうな場所や、攻め込んでくるルートも見当がつく。そこに仕掛けておけば一網打尽にできるって寸法。

 などに加え、女性通訳の孤独や、ヘリコプターの弱点、基地周辺の様子、太平洋戦争の数カ月前から日本語通訳を育成してたなんて秘話や、もちろん女ならではの苦労もたっぷり書いてあって、親しみやすいながら収穫も多い本だった。できればグリーンベレー編も出して欲しい。

 ただ、ショッキング・ピンクを多用したデザインはオヂサンにはちと厳しかったぞ。

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2018年1月29日 (月)

山田正紀「屍人の時代」ハルキ文庫

「ウエンカムはオホーツクの悪霊、アザラシの王という」
  ――第一話 神獣の時代

なにしろ、ぼくは幽霊を探偵しているもんですから。
  ――第二話 零戦の時代

いたく錆びしピストル出でぬ
砂山の
砂を指もて掘りてありしに
  ――第三話 啄木の時代

勝手ながら、ここ一両日中に、ご所有の「白鳥の涙」を頂きにあがる所存でおりますので、どうぞ、その旨よろしくお願い申し上げます……
  ――第四話 少年の時代

【どんな本?】

 SF・ミステリ・冒険小説・時代小説と、多様な分野で活躍するベテラン作家・山田正紀による、大正から昭和にかけての時代を舞台とした、ファンタジックなミステリ連作短編集。「人喰いの時代」の続編。

 呪師霊太郎。探偵を自称する年齢不詳の男。目つきも態度も悪い黒猫の耕介を連れ、奇妙な事件が起きる所に出没する。北の果て吐裸羅島でアダラシを追い、太平洋戦争中には幽霊を探り、大正時代に石川啄木の謎を調べ、昭和初期には温泉に浸る。

 彼が巻き込まれる不思議な事件を通して戦前・戦中の日本の闇を暴く、奇想に満ちた短編集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2016年9月18日第一刷発行。文庫本で縦一段組み、本文約379頁。9ポイント40字×18行×379頁=約272,880字、400字詰め原稿用紙で約683枚。文庫本としては少し厚め。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくないが、昭和初期の歴史と風俗を知っていると、更に楽しめる。

【収録作は?】

第一話 神獣の時代
 流氷が海を覆うオホーツクの孤島・吐裸羅(とらら)島へと向かう呪師霊太郎。根室から出た船も、流氷に阻まれて島までたどり着けない。氷原を歩く霊太郎を誘うように、数メートルの間隔を置いてアザラシの皮らしきものが落ちている。
 寒波が厳しい今の季節にピッタリの幕開け。1939年といえば、ドイツがポーランドに侵攻した年。緊張感漂う日ソ関係が背景ながら、物語は四人の男が一人の娘を賭けてアザラシの王、ウエンカムのハントに挑む、なんて定石っぽい方向へ進む。
 が、そこは曲者の山田正紀。あっという間に常道を踏み外し、お話はあらぬ方向へ。でも、案外と爽やかなストーリーのような気も。ウエンカムはたぶんゼニガタアザラシだろうなあ。WIkipedia によれば、「野生の肉食獣なので、むやみに近づくのは危険である」とのこと。
第二話 零戦の時代
 役者を目指す緋内結衣子は、池袋で映画のオーディションを受けた。だが、その後なんの知らせもない。不審に思い電話したが、録音で「この電話は使われていない」と返ってくる。オーディション会場だったビルの管理人に尋ねると、そんなオーディションは知らないと言われる。
 改めてお話の構成を見直すと、「これから読者を騙しますよ」とハッキリ宣言してるんだよなあ。それでも私はまんまと騙された。
 1996年の東京で始まった物語は、太平洋戦争が終わった1945年8月の北海道へと飛ぶ。舞台となる美母衣は、たぶん美幌だろう。航空基地もあったし。
 優れた手腕を認められながらも、醜聞のために僻地に送られた零戦パイロットにスポットを当てながら、終盤で光と影が入れ替わる語りが鮮やか。
第三話 啄木の時代
 1961年。21歳の榊智恵子は、日活のスタジオで働いている。当時の日活は石原裕次郎と小林旭に加え、「第三の男」赤木圭一郎を抱え、無国籍アクション映画を量産していた。智恵子はバレエの技術を活かし、レビューのダンサー役で稼いでいたのだ。
 「幻象機械」でも扱ってたし、著者は石川啄木が好きなんだろうなあ。同じく若くして亡くなった人気俳優の赤木圭一郎も登場させ、強いコントラストを出す。
 人気上昇中の赤木圭一郎。存命中はあまり評価されなかった石川啄木。ゴーカートの事故で派手に散った赤木圭一郎。病に倒れた石川啄木。華やかな映画の世界で輝いた赤木圭一郎。赤貧のうちに消えた石川啄木。
 というと、石川啄木は哀れな人にも思えるが、Wikipedia をみると、案外としょうもないヤツじゃないかw 当時の日活のファンには嬉しいクスグリも入ってて、これは著者の趣味だろうなあ。
第四話 少年の時代
 1933年、岩手。地元では富豪で知られる竹内氏に、犯罪予告の手紙が届く。差出人は少年二十文銭。東北と北海道を中心に大胆不敵な活動をしている、正体不明で神出鬼没の怪盗だ。狙うはロマノフ家の秘宝と言われるダイヤ、「白鳥の涙」。
 怪盗の予告状にロマノフ家の秘宝とくれば、古風ゆかしいミステリの定番。おまけに怪盗の名前が少年二十文銭って、もうノリノリだなあ。キャストも怪盗の少年二十文銭と探偵の呪師霊太郎、そして敏腕刑事の御厨と、これまた定番通り。
 …なのに、特高の梶山が絡むのが、山田正紀らしい。過去のミステリの名作にオマージュを捧げつつ、次から次へと謎を投げかけ、唖然とする方向へと話は進む。とはいえ、一部のネタは、舞台でピンと来るかも。

 主役?の呪師霊太郎、年齢も正体も不祥なあたりは、「ファイナル・オペラ」の黙忌一郎っぽいな、といいうのが第一印象。が、微妙な軽さがあって、どこか剽軽なあたりは、だいぶ親しみやすい雰囲気がある。

 禍々しさが漂うタイトルだが、少し救いのあるエンディングの作品が多くて、読後感は意外と心地よかったり。ミステリかSFか迷ったが、私的に山田正紀はSF作家ということになっているので、カテゴリはSF/日本とした。

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2018年1月28日 (日)

ジョン・ロンソン「ルポ ネットリンチで人生を壊された人たち」光文社新書 夏目大訳

「森の中で獲物を追いかけているハンターのような気分かもしれません」
  ――第二章 誰も気づかなかった捏造

どうも皆、実際の私とは違う別の(略)人物を作り上げていたような気がします。
  ――第四章 世界最大のツイッター炎上

「フェイスブックは友人に嘘をつく場所で、ツイッターは見知らぬ他人に本音を話すところ」
  ――第四章 世界最大のツイッター炎上

「他人から勝手に自分の物語を押し付けられても相手にしてはいけない」
  ――第一〇章 独白劇の捏造

公衆の面前で誰かにわざと恥をかかせれば、その人を本来とは違う姿に見せることができる。
  ――第一二章 法廷での羞恥

「あらゆる暴力は、その被害者から自尊心を奪い、代わりに恥の感情を植え付ける。それは事実上、その人を殺すのと同じだ」
  ――第一三章 恥なき世界

「インターネット上での情報の流れを支配しているのは、わずかな数の大企業です」
  ――第一五章 あなたの現在の速度

【どんな本?】

 インターネットには、力がある。以前は理不尽に抗えなかったごく普通の市民が、インターネットで訴えることで多くの人々の共感を呼び、強大な組織に対抗できるようになった。

 相手が大企業や自治体なら、これも進歩と言えるだろう。だが、炎上は対象を選ばない。時としてインターネットは、普通の市民も追い詰める場合がある。

 不謹慎なギャグをつぶやいた者。シモネタで友人と盛り上がった男と、その男を告発した女。敬意を表すべき場所でおちゃらけた写真を撮った者。彼らはインターネットで猛攻撃を受け、職を失い、失意の日々を過ごす羽目になった。どころか、単に名前が同じというだけで、巻き添えになる人もいる。

 誰が、どんな目的で彼らを追い詰めるのか。なぜ多くの人が集まるのか。そこには、どんなメカニズムが働いているのか。

 かと思えば、醜聞にもめげず今まで通りの暮らしを送る者もいれば、自ら恥をさらすような仕事に勤しむ者もいる。

 晒し物になると、人はどうなるのか。苦しむ者とそうでない者は、何が違うのか。なぜ苦しむのか。苦しみから逃れる手立てはあるのか。

 ロンドン在住の人気コラムニストが、炎上した当人や周囲の人々に取材し、炎上の被害をつぶさに描くと共に、「人はなぜ炎上に苦しむのか」にまで迫って掘り下げた、迫真のルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は So You've Been Publicly Shamed, by Jon Ronson, 2015。日本語版は2017年2月20日初版1刷発行。新書版で縦一段組み、本文約475頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント41字×16行×475頁=約311,600字、400字詰め原稿用紙で約779枚。文庫本なら厚めの一冊分ぐらい。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。ただし、炎上のサンプルがアメリカのものばかりだ。そのため、極端にインターネットに浸っているのでない限り、日本の読者にはピンとこないかも。

【構成は?】

 基本的に前の章を受けて次の章が展開する構成になっている。著者のメッセージを読み解きたければ、素直に頭から読もう。そうではなく、単に炎上の顛末を知りたいだけなら、関係ありそうな所だけを拾い読みしてもいい。

  • 第一章 ツイッターのなりすまし
    突然現れた、もう一人の自分/直接対決/ソーシャル・メディアという武器
  • 第二章 誰も気づかなかった捏造
    ボブ・ディランはいつこんなことを言ったのか/著者への問い合わせ/嘘の発覚/懇願/後悔/秘密を暴露され名誉を失った人たち
  • 第三章 ネットリンチ 公開羞恥刑
    ジョナ・レーナーへの取材申し込み/著書の回収/講演原稿/謝罪、ツイッターの反応/リアルタイムで大炎上/魔女狩り将軍/公開羞恥刑の歴史/サイコパスとソシオパス/レーラーの新しい本
  • 第四章 世界最大のツイッター炎上
    11時間のフライトの間に、世界一の有名人に/炎上後の生活/炎上の発端/いくら隠しても、検索すれば自分がどういう人間かわかってしまう/公開羞恥刑を科してきた判事/権力者より恐ろしい一般人
  • 第五章 原因は群集心理にあるのか?
    ル・ボンの群集心理の概念/ジンバルドーの心理学実験/実験の真相/良いと思った行動が、大きな犠牲を産む
  • 第六章 善意の行動
    下品なジョークで失職/告発者へのインタビュー/「荒らし」のたまり場“4chan/b/”で話題に、そして失職/DDoS攻撃の常習者/マルコム・グラッドウェルの誤り/「呼び止め」が若者をネットのエキスパートにした/善意の行動が二人の職を奪った
  • 第七章 恥のない夢の世界への旅
    これ以上ない恥/自動車産業のハニートラップ/勝利/報道の犠牲者/モズレーはソシオパス?/ポルノの世界に学ぶ、恥ずかしいと感じないコツ
  • 第八章 徹底的な正直さ
    「人に知られたくないこと」を人前で話す/女装して街を歩く恐怖/殺意の理由/講座は役に立つか?
  • 第九章 売春婦の顧客リスト
    69人の名前/起きなかった炎上/「恥」の概念が変わった
  • 第一〇章 独白劇の捏造
    存在しなかった健康被害/鮮やかな復活/ジャスティン・サッコとの再会/忘れられる権利
  • 第一一章 グーグルの検索結果を操作する男
    軍や兵士に対する冒涜/グーグルの検索結果を変えた男/ジョーク写真を検索結果から消せるか/法廷での公開羞恥刑
  • 第一二章 法廷での羞恥
    羞恥は人を弱く見せる/ソーシャル・メディアの方がまだまし?
  • 第一三章 恥なき世界
    同性愛を告白し、辞任した州知事/恥の感情が凶悪犯罪の原因/ハドソン郡矯正センター
  • 第一四章 猫とアイスクリームと音楽と
    検索結果の一ページ目で世間の印象は決まる/グーグルのアルゴリズム/シュタージ 人はなぜ密告者になりたがるのか/すべてが作戦どおり
  • 第一五章 あなたの現在の速度
    炎上でグーグルはどのくらい儲かるのか/変な標識/人間の行動を変えさせるフィードバック・ループ
  •  参考文献と謝辞/訳者あとがき

【感想は?】

 話題先行の投手とナメてかかってたら、手元で胸元に切り込む鋭いシュートに打ち取られたバッター、それが私です。

 なにせ書名が「ネットリンチで人生を壊された人たち」だ。野次馬根性がうずく。ブロガーの一人として炎上を恐れる、怖い物みたさの興味もあった。が、それ以上に、ネットで馬鹿を晒した奴の末路が見たい、そんな野卑な気持ちの方が強かった。

 つまりメシウマを期待をして読み始めたし、最初の方は、確かにそういう期待に応える部分もある。

 登場するのは、インターネットで火あぶりにされた人たちだ。デッチアゲがバレたポピュラー・サイエンス・ライター。不謹慎なつぶやきで数時間のうちに有名人になってしまった者。講演会の客席で友人とシモネタで盛り上がった男。それをツイッターで訴えた女。

 みんな、不幸になっている。職ばかりか、家族まで失った者もいる。何より、再起が難しいのが厳しい。困った形で有名になってしまい、なかなか新しい職が見つからない。

 が、それは、あくまで読者を釣る餌だ。もっとも、本書のテーマにも深くかかわってくるのだが。

 「あれ?」と思わされるのは、「第四章 世界最大のツイッター炎上」から。ここでテキサス州の下院議員テッド・ポーが登場する。彼は元名物判事で、ユニークな判決を下すことで有名だ。例えば窃盗犯に対し、こんな判決を下す。

 七日間、「私はこの店で窃盗をしました」と書いたプラカードを持って、店の前に立て。

 つまり犯罪者に恥をかかせるのだ。しかも、公衆の面前で。とはいえ、収監はなしだ。果たしてどっちが厳しいんだろうか?実は、こんな考え方もある。アメリカ建国の父の一人ベンジャミン・ラッシュ(→Wikipedia)は、1787年にこう述べている。

公衆の面前で屈辱を与える刑罰は、実は死刑よりも残酷であると広く認識されている。
  ――第三章 ネットリンチ 公開羞恥刑

 晒し者にするのは死刑よりも厳しい、そういう主張だ。ここで私は「なら死刑すら生ぬるい極悪人は晒し者に」などと考えたが、この本はそういう本じゃない。

 著者の主張の一つは、炎上への懸念だ。死刑以上の厳しい刑罰を、正式な司法の手続きを経ずに、私たちは勝手に下している。それも、往々にして、若気の至りだったり、マナー違反だったりと、司法手続きを経れば罰金刑で済むような、ささいな事で。

 最初に槍玉にあげられるポピュラー・サイエンス・ライターのジョナ・レーナーの例も、私には他人ごとではない。流石に他人の文章を無断でパクってはいないと思うが、無意識にしている可能性は充分にある。それより怖いのは「自己盗用」、つまり文章の使いまわしだ。

 なにせ語彙が少ない上に表現力も乏しい。そのため生み出せる文章は限られている。おまけに記憶力も怪しくチェックも緩いから、探せばきっと見つかる。幸いにして無名な上にお金は絡んでいないから、ネタとしてもつまらないし、バレてもあざ笑われるだけで済むだろうが、それだけでも相当に恥ずかしい。

 と、やっと本論にたどり着いた。

 そう、これこそが、この本の面白いところ。「恥」だ。私たちは、恥を恐れる。炎上が怖い理由の一つは、晒し者にされて恥をかくからだ。では、恥はヒトにどんな影響を与えるのか。どんな気分になり、他の者からどう見えるのか。長期的に人をどう変えるのか。そして、恥を克服する手立てはあるのか。

 この解を求め、著者は多くの文献に当たり、様々な人に取材する。その過程で、意外な事柄に突き当たる。「群集心理」の起源、スタンフォード監獄実験の真相、割れ窓理論の裏、ハッカーと警察の相性の悪さ、殺意の源泉、ネット工作の手口、法廷戦術、スピード違反を防ぐ意外な方法。

 加えて、美味しそうな本もいくつか教えてくれたのが嬉しい。「私のように黒い夜」と「殺してやる 止められない本能」か。ちぃ、おぼえた。

 下卑た野次馬根性で手に取った本だが、意外な掘り出し物だった。とりあえず読んでみるもんです。

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2018年1月26日 (金)

クレア・ノース「ハリー・オーガスト、15回目の人生」角川文庫 雨海弘美訳

 ふたたび大きな異変が起きたのは1996年、11回目の人生でのことだった。

【どんな本?】

 イギリスの人気ヤングアダルト作家キャサリン・ウエブが、正体を隠しクレア・ノース名義で出したSF長編小説。

 ハリー・オーガストは、1919年1月1日イングランド北部で生まれ、すぐ孤児となる。領主の館ヒューン・ホールの使用人で子供のいないオーガスト夫婦の養子として育ち、第二次世界大戦に出征した。生還後は父の跡を継ぎ没落してゆくヒューン・ホールを守り、1989年に死んだ

 …はずだったが、彼には人といささか違う運命が待っていた。なんと、再び1919年に生まれたのだ。

 何度も同じ日時・場所で生まれ直す。生まれた時は普通の赤ん坊だが、物心がつく頃には以前の人生の記憶、すなわち未来の記憶が蘇ってくる。何度か人生をやり直したハリーは、同じ「体質」の仲間と出会う。そして11回目の人生の終焉の時、ハリーはメッセージを受け取った。

 「世界が終わる、しかも終わる日が早くなっている」と。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2017年版」のベストSF2016海外篇で、13位に食い込んだ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The First Fifteen Lives of Harry August, by Claire North, 2014。日本語版は2016年8月25日初版発行。文庫本で縦一段組み、本文約516頁に加え、大森望の解説5頁。9ポイント39字×18行×516頁=362,232字、400字詰め原稿用紙で約906枚。上下巻に分けてもいい分量。

 文章はこなれている。内容は、ちとややこしい。SFとしたが、理科や数学が苦手でも大丈夫。多少、ソレっぽいメカが出てくるが、ハッキリ言ってハッタリだ。なので、「なんか凄い理屈の凄いメカ」ぐらいに思っておこう。

 それより面倒くさいのは、時間の流れが複雑怪奇なこと。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」や「君の名は。」を更にひねった仕掛けがある上に、語りも時系列をシャッフルしているので、注意深く読もう。

【感想は?】

 そう、とってもややこしい話なのだ。にも関わらず、不思議とスラスラ読めてしまうから不思議だ。

 人生をやりなおせたら、と考える事は、ある。「あの時、ああすればよかった」と。そういう発想で書かれた物語は多い。時の流れは厳しい。だからこそ、巧くヒネれば優れたSFが生まれる。

 が、人生の最初からってのは、ちと勘弁してもらいたい。いい歳こいたオトナが、小学校に突っ込まれたら、そりゃたまらん。なんだってガキどもと一緒にラジオ体操や漢字の書き取りをせにゃならんのか。とか考えると、コナン君にも少し同情したくなったり。

 現代の日本なら、その程度の呑気な話で済むが、20世紀初頭の保守的な北イングランドで、使用人の倅ともなれば、更にシンドい。領主の母コンスタンスは冷酷な婆さんだし、肝心の領主ローリーは腰抜けの卑劣巻。そのクレメントはタチの悪いクソガキ。どう考えても温かい環境じゃない。

 とはいえ、未来を知っていれば、いろいろと有利だ。すぐに思いつくのは競馬の勝ち馬。他にも景気の浮き沈みを知っていれば投機で稼げるし、伸びる企業を知っていれば株で荒稼ぎできる。ベトナム戦争やオイルショックなど大きな事件を知っていれば、どこの投資すればいいか判る。

 おお、ラッキー。子ども時代はシンドくても、大人になって多少なりとも自由になる金があれば、豊かな人生を送れるじゃん。しかも、死ぬのが怖くない。単にリセットされるだけなんだし。

 とはいかないのが、このお話の巧みな所。

 なにせ、ハリーみたいな者が、わずかだが常に生まれているって設定がいい。しかも、仲間を見つけてはツルんでる。冒頭からして、1989年に死にゆくハリーに、子供が伝言を頼みに来る。この子供もハリーの同類で、見た目は子供、中身は大人…って、やっぱコナン君だなw

 伝言を受けたハリーは、1919年に戻る。そして若いハリーが、老いて死にゆく仲間に伝言を伝えれば、更に過去へと言葉を伝えられる。時を越えて過去へと情報を送れるのだ。おお、賢い。なら二度の世界大戦だって阻止できる…

 ともいかないのが、更に巧みな所。お陰でハリー君は、世界を終わらせないために奮闘する羽目になる。

 とか書くと、正義の味方みたいな感じだが、そうでもないのがイギリス人らしいヒネリというか。なにせ見た目は若者でも、中身は数百歳の老人だ。それだけ長く生きた者が、どうなるかというと…。

 長い人生の中で、ハリーは様々な人に会う。私が最も印象に残っているのは、1973年のアフガニスタンで出会うフィデル・グスマン。クーデターで王制が倒れた頃ですね(→Wikipedia)。ある意味、天職を見つけた幸運な人。科学者やエンジニアじゃ、こうはいかないよなあ。

 逆に科学の進歩を加速しようとする者もいて。ソイツが語る、「電卓が省いてくれる時間」と「電卓を開発できるレベルまで技術を引きあげるのにかかる時間」を天秤にかける発想は、計算機屋にはお馴染みの悩み。

 そう、道具を作るのにかかる時間と、その道具が省いてくれる時間、どっちが得かって悩み。でも、結局は、その時の気力や納期でケリがついたりするんだけど。

 かと思えば、なかなか正体を現さない者もいたり。ハリーにとって身近な筈のコンスタンスも、その正体が判明するのは(いろんな意味で)終盤になってから。

 若い頃に出会い、「この人は何を考えてるんだろう?」と心中が全く判らなかった人で、歳をとってから「ああ、あの人はこういう人だったのか」と腑に落ちた、そんな人って、いませんか? 解説で著者の履歴を見ると、この作品を書いたのは27歳の時。そんなに若いのに、よく書けたなあ。

 謎含みながら、微妙に英国人風の人生観が漂う前半に対し、後半は娯楽色満開のサスペンスとなり、怒涛の終盤へと雪崩れ込んでゆく。ちょろっとフレッド・ホイルが出てきたりと、ソッチが好きな人には嬉しいクスグリも交え、楽しく読めた一冊。

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2018年1月25日 (木)

ヨアヒム・ラートカウ「木材と文明 ヨーロッパは木材の文明だった」築地書館 山縣光晶訳 3

ジェームス・ワットは、フロギストン理論(燃素理論、→Wikipedia)に基づいて、石炭で加熱される蒸気機関を発明しました。
  ――第三章 産業革命前夜 「木の時代」の絶頂と終焉
     /木材の消費者 家計を営む者の木材の節約、拡がる木材の節約

20世紀中頃、日本においては68%を下回らない国土が森で被覆されていました。これに対して、中国では、推計値ですが、それはなんとわずか8%だったのです。
  ――第五章 国境を越えて見る 西欧文化以外における木材と森の生業
     /グローバルな視野とコントラスト アジア諸国の事例

「国家の諸機関には規制を徹底する能力が欠けている。そして、農民は彼らの権利の喪失とともに森への関心を失ってしまった」
  ――第五章 国境を越えて見る 西欧文化以外における木材と森の生業
     /グローバルな視野とコントラスト アジア諸国の事例

熱帯林の伐採による森の消失が頂点に達したのは、植民地時代後のことでした。たとえば、ケニアでは独立後にその森の90%を失いました。
  ――第五章 国境を越えて見る 西欧文化以外における木材と森の生業
     /相克と(自称の)解決策

南ヨーロッパでもまた、ユーカリの植栽は19世紀にまで遡る伝統をもっています。それは、マラリア蚊との闘いの中でなされました。というのも、ユーカリは水分消費量が大きいので、マラリア蚊の巣となる湿地帯の乾燥化に役立ったからです。
  ――第五章 国境を越えて見る 西欧文化以外における木材と森の生業
     /相克と(自称の)解決策

森の保護は、その土地に長く暮らしている住民の利益・関心や法意識と少なくとも部分的にでも一致する場合にのみ、成功するのです。
  ――第五章 国境を越えて見る 西欧文化以外における木材と森の生業
     /翻って将来を展望する 森と木材の歴史における他と際立って違う六つの特性

 ヨアヒム・ラートカウ「木材と文明 ヨーロッパは木材の文明だった」築地書館 山縣光晶訳 2 から続く。

【燃料】

 先の記事に書いたように、歴史的に木材の最大の使い道は、燃料だ。暖を取るための薪もあるが、もっと大掛かりなのもある。製鉄と製塩がそれ。

「森の木々がなければ、鉱山は、舌のない鐘や弦のないリュートと同じだ」
  ――第二章 中世、そして、近世の曙 蕩尽と規制の間にあった木材資源
     /薪の大規模消費者の勃興と第一波のフォルスト条例

 ただし、現在の石油や石炭と違い、木材には困った問題がある。やたらデカくて重いので、運ぶのが難しいのだ。今は細かく刻んだチップにして運ぶんだが、昔はそんな技術はない。だから、製鉄所は木材が手に入りやすい所に作らなきゃいけなかった。

 というのも、製鉄の利益率を決めるのは木材だから。1553年当時の帳簿によれば、木炭の経費が費用全体の3/4、対して鉄鉱石は1/12。映画「もののけ姫」でエボシ御前のたたら場は山ん中にあったけど、木材/木炭の調達を考えれば、木の多い山の中は、それなりに理屈に叶ってるわけ。

 それはそれとして。

 ここで筏流し・管流しが出てくる。切った丸太を(筏にして)川に流し、製鉄所まで運ぶわけ。ライン川の筏流しは豪勢で、幾つもの筏をつなげ、「主となる筏だけで、長さ400m、幅80mあった」って、タンカーか空母かって規模だ。おまけに筏の上に小屋を建て、旅客まで運んだというから、もはや浮かぶ町だね。

 この「運ぶのが大変」な性質が、森を守るから面白い。筏流しができる、川が近い森は荒れるけど、運ぶのが不便な所の木は、運送費がかかりすぎてモトが取れない。ってんで、山が丸裸になるのは避けられた。当時は自動車なんかなかったし。いやあ、よかった。

【森の人】

 これまた意外なんだが、「鉄の算出は、近世が始まる頃は、まだその多くが農民の副業でした」。中国は大躍進で各村に製鉄所を作ったけど、案外と製鉄そのものは小規模でもできるのだ。製品の品質さえ問わなけりゃ。

 副業ではなく本格的に森に住む人としては炭焼き職人がいるが、意外なのがガラス職人。ガラスを作るには灰が必要で、「1kgの木灰を生産するためには、なんと、平均1000kgの木材が必要」ってんだから、そりゃ木の多い森に住んだ方がいいよなあ。

 そして当然、森の住人の代表が、伐採夫、つまり木こり。力仕事のように思われるけど、実は経験と知識も必要。

 というのも、先に書いたように、木は運ぶのが大変。だもんで、「森の中で可能なかぎり丸太や板に加工された」から。加工ったって、使い道によって適切な切り方は違う。薪なら小さくするけど、建材用なら、なるたけ長く真っすぐ切った方がいいい。

 だもんで、同じ伐採夫でも木工用・建材用・薪炭用、それぞれに分業化したそうな。

 森の中で木材(丸太)を運びだすための修羅路(木造滑路)の写真があって、これがなかなかに見事。つまりは長~い滑り台なんだけど、冬には凍結して材木がよく滑ったとか。木材が滑り降りる所は、さぞかし見物だったろうなあ。

【産業革命以降】

 やがて産業革命や石炭の利用で、彼らの仕事も変わる。得物も斧からチェーンソーになり…

1960年から1970年までの間だけでも、チェーンソーの投入により、労働者一人あたりの木材生産量は約200%高まりました。
  ――第四章 高度工業化時代 材料への変質と木材のルネッサンス
     /森 工業化の時代の経済の原動力

 って、凄いね。ただ、これには、もう一つの大きな変化もあって。

 産業革命により、多くの木造製品が鉄鋼製に変わってゆく。それまでは、水車にせよ農機具にせよ、私たちが使う道具は、壊れた際に自分たちで直してた。プロに頼むにしたって、せいぜいが村の鍛冶屋ぐらいの職人さんで済んでた。

 ところが、鉄に変わると、「労働者は、自分で機械を製造することができなくなったのです」。この辺は、「ゼロからトースターを作ってみた結果」を読むと、しみじみ感じられる。とか書くと何やら知ってる風に聞こえるが、私だってハードディスクが壊れたらお手上げです、はい。

 まあいい。それで木材の需要が減るかというと逆で。例えば鉄道じゃ枕木が必要だし、19世紀末のアメリカは薪で蒸気機関車を走らせてたから、「鉄道だけで森の総伐採量の20%~25%が消費されました」。アメリカが発達した理由の一つは、恵まれた木材にあったんだね。つくづくチートな国だ。

 他にもトラックが輸送費用を安くしたり、合板や接着技術や薬剤注入などの木材加工技術の進歩、そしてパルプからの製紙と、木材の需要は増えてて、喜んでいいのか憂えるべきなのか。

【日本】

日本を観ると、木材愛好家は目を輝かせます。この「日が昇る国」は、世界でも最高の木の文化をもっています。
  ――第五章 国境を越えて見る 西欧文化以外における木材と森の生業
     /グローバルな視野とコントラスト アジア諸国の事例

 終盤にはヨーロッパ以外の国の事情も載ってて、日本はご覧のように嬉しい書き出し。でも油断しちゃいけない。現代日本の木材政策にはかなり辛辣で、特にスギ花粉に象徴される針葉樹造林については「経済行為としては無意味」とバッサリ切って捨ててたり。

 なんて国内だけじゃなく、外国でやらかした悪さも暴露してるから痛い。今でも7割近くを輸入で賄ってるし、これは今後も頭が痛い問題だなあ。

【おわりに】

 技術史かな、と思って読み始めたら、生物学・生態学・工学・化学などの科学はもちろん、生活史・経済史・技術史・流通史など、あらゆる方面の学問にまたがる、とんでもなく広い範囲をカバーした本だった。文章こそやや硬いものの、内容は新鮮な驚きに満ちていて、充実した時間が過ごせる本だった。

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2018年1月24日 (水)

ヨアヒム・ラートカウ「木材と文明 ヨーロッパは木材の文明だった」築地書館 山縣光晶訳 2

1960年から1970年までの間だけでも、チェーンソーの投入により、労働者一人あたりの木材生産量は約200%高まりました。
  ――第四章 高度工業化時代 材料への変質と木材のルネッサンス
     /森 工業化の時代の経済の原動力

森の保護は、その土地に長く暮らしている住民の利益・関心や法意識と少なくとも部分的にでも一致する場合にのみ、成功するのです。
  ――第五章 国境を越えて見る 西欧文化以外における木材と森の生業
     /翻って将来を展望する 森と木材の歴史における他と際立って違う六つの特性

 ヨアヒム・ラートカウ「木材と文明 ヨーロッパは木材の文明だった」築地書館 山縣光晶訳 1 から続く。

【はじまり】

 「石器時代」なんて言葉があるが、当然ながらヒトは木も使っていた。

 最初に出てくる写真は、なんと40万年前の投げ槍。残りやすい石に対し、木は腐るから、見つかりにくいのだ。確か人類発祥の地アフリカも、土壌の性質のため骨が残りにくいというから、木も残りにくかろう。とすると、案外と石より木の方が頻繁に使われていたのかも。だって加工しやすいし。

【構造材】

 構造材として見ると、木の扱いは難しい。というのも、種類や扱い方により、性質が異なるからだ。

「全般的に木材は、その非均質性の故に、決まりきった、だれにでもわかるような構造に関する規則の応用には向いていない」
  ――第三章 産業革命前夜 「木の時代」の絶頂と終焉
     /木材の消費者 家計を営む者の木材の節約、拡がる木材の節約

 例えば木の種類だ。柔らかい柳と硬いブナは全然違う。広葉樹と針葉樹で細胞構造が違うなんて知らなかった。曰く「針葉樹材は、もっぱら単一な種類の細胞からできています」。建材としてスギやヒノキが好まれるのは、このためかな?

 湿気によっても違う。一般に楽器に使う際は充分に乾かすのが普通だ。生木を使うと反ったりするし。古い楽器が好まれる理由の一つは、乾燥しているとよく響くため。ロリー・ギャラガーの塗装のハゲたストラトとか、カッコいいよね。

 意外な事に、建材でも中古が好まれたり。「大変良く乾燥して」いるのもあるが、「その品質が既に証明」されてるためでもある。同じ木から採った木材でも、部位や扱いにより違うから、実績のあるモノが喜ばれるのだ。これは家具も同じだとか。だもんで、巧く使えば、精密機械だって作れるのだ。

最初の紡績機は、大部分が木材でできていました。
  ――第三章 産業革命前夜 「木の時代」の絶頂と終焉
     /しだいに押しのけられる木材

 なら湿気は苦手そうだが、モノによるとか。「ニレは、水中での平均最長寿命が1000年に達し」って、凄い。ただし、常に水に浸かってればいいが、「湿気と乾燥に交互にさらされると、どのような木材の寿命も著しく落ちます」。

 だもんで、木の水車は常に動き続け濡れてればいいけど、止まって乾くとダメになるのだ。

 これの激しいのが船で、「多くの船は、二、三年航海したあとで、もう一度あらためて組み立てなおされねばなりませんでした」。海軍大国の英国も木には苦労したようで。帆柱はモミ。真っすぐなのもあるが、「圧縮強度よりも弾力性と曲げ強度」を重視したため。

 この船で驚いたのが、曲がった木が重宝されたこと。なんたって、帆船はカーブが多い。そのカーブに沿って曲がった骨材が必要なのだ。これは船のサイズも制限した。鉄鋼船が革命的なのは、このためもあったんだろう。

 意外なことに、石と比べて、こんな長所も。

木材は石と比較して非常に大きな引っ張り強度をもっていますが、これに対して圧縮強度は小さいのです。
  ――第一章 歴史への木こり道/歴史的変遷における木材の自然としての本性

 おお、圧縮強度は強いけど引っ張り強度は弱いコンクリートの反対じゃん。じゃ木筋コンクリートも…と思ったら、竹筋コンクリート(→Wikipedia)ってのがあった。でも腐食とかで、木とコンクリートとの相性は悪いみたいだ。

 もっとも、今は合板や曲げる技術の登場で、木材の復権が始まりつつある様子。

【放牧地】

 今でこそ牧場は真っ平らな場所って印象があるけど、昔のドイツじゃ森は豚の放牧地だったとか。「1600年頃のゾーリングでは、森での豚の飼育は木材全体の利用の20倍のお金をもたらしました」。木材を売るより、豚を飼った方が遥かに儲かったわけ。

 だもんで、そういう所では、木材としちゃあまり歓迎されないブナが大事にされたり。そうやって家畜を飼うのは農民で、一般に領主と利害が対立するんだけど、文献じゃ領主側の言い分が残りやすい。そこで…

真の窮乏は、しばしば無言で押し黙っているものなのです。
  ――第三章 産業革命前夜 「木の時代」の絶頂と終焉
     /「木材飢饉という亡霊」 木材業は破局を目の前にしていたのか

 と、庶民の立場を述べた資料も丹念に漁っているのが、本書の特徴の一つ。

 ただし有益なのは豚で、牛や羊、特に山羊は森に与える害の方が大きかったとか。元が平原の生き物か、森林の生き物かの違いかなあ。何はともあれ、こういう複合的な使い方が、私たちの考える「自然の森」のイメージの原点なんだよ、とやんわり指摘して…

自然愛好家たちが「原生林」として愛するものは、普通、かつての拓伐林か、昔の放牧地や入会利用の地の景観なのです。
  ――第四章 高度工業化時代 材料への変質と木材のルネッサンス
     /断絶を招く原材料、つなぎ合わせる手段 環境保護の時代の森と木材

 と、イメージ先行の「自然保護」を揶揄する姿勢も忘れないあたりに、学者魂が炸裂してる。

【経済】

 なんにせよ、この本の特徴の一つが、こんな風に歴史を語りつつ、「20倍のお金」と、経済的な視点も重視している点。

昔も今も、原材料輸出は輸出国の経済に不利に作用し、発展を停滞に導く
  ――第三章 産業革命前夜 「木の時代」の絶頂と終焉/改革、革命、そして、木材業

 かの有名なオランダ病(→Wikipedia)ですね。とは言うものの…

20世紀、世界の覇権を握ったロシアとアメリカは、最初は木材と森の産物の供給者として世界経済に登場したのです。
  ――第三章 産業革命前夜 「木の時代」の絶頂と終焉/改革、革命、そして、木材業

 なんて例もあったり。でもロシアは再び原材料輸出国に戻っちゃったけど。

 そんな風に、経済に目を向けると、木材には鉱物や石油と大きく違う性質があって…と、続きは次の記事で。

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2018年1月23日 (火)

ヨアヒム・ラートカウ「木材と文明 ヨーロッパは木材の文明だった」築地書館 山縣光晶訳 1

この本は、次の二つの目的を追求します。
第一の目的は、製材品などの木材半製品への木材加工技術と、さらにそれらを家具什器や木工品、船など木材完成品に加工する技術の発展を明らかにすることです。
第二の目的は、(略)木材を例にとって、技術の発展が原材料に制約されていることや、社会史や経済誌が環境や資源に制約されていることを明らかにすることです。
  ――はじめに

森の歴史におけるよき時代とは、人間の歴史では基本的に悪しき時代となります。
  ――第一章 歴史への木こり道/歴史的変遷における木材の自然としての本性

【どんな本?】

 建物に、家具に、そして紙パルプにと、木材はさまざまな用途に活躍している。歴史を辿れば、船に、樽に、橋にと、木材の利用範囲はもっと多い。加えて、燃料として欠かせないものだった。製塩に、製鉄に、そして何より煮炊きや暖房用の薪に、木材は使われた。

 だが、一言で木材と言っても、種類は様々だ。

 現代の建材用なら、真っすぐで背の高い木が欲しい。薪などの燃料用は、背の低い木がいい。また、かつての森は、豚などの放牧地でもあった。この場合は、実の多いナラなどが好まれる。

 供給地の森も、時代と立場によって意味や価値は違う。

 領主は鹿など森に棲む獣の狩を楽しんだ。だから、領主にとっての森は狩猟獣の住処である。しかし、農民にとって鹿は作物を荒らす害獣だ。しかし森は役に立つ。それは薪の供給源であり、また豚を飼う放牧地でもあった。

 他にも炭焼き職人や伐採夫、製鉄・製塩業と、森に関わる者の立場は多様だ。当然、立場により、好ましい森のあり方は異なってくる。

 文献では、権力を持つ領主や役人の視点に偏りがちになる。本書では、農民や伐採夫など、暮らしの中で森と関わる者たちの視点も取り上げ、森そして木材が持つ複雑な性格を細かく描いてゆく。

 主にドイツそして西欧を中心として、人間と木材および森の関係を辿り、「石と鉄」と思われがちなヨーロッパ文明が木材と深く関わっていたことを明らかにし、森の持つ複雑で豊かな性質を示す、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Holz : Wie ein Naturstoff Geschichte schreibt, von Joachim Radkau, 2012。日本語版は2013年12月10日初版発行。単行本ハードカバー縦2段組で約333頁に加え、訳者あとがき6頁。8.5ポイント26字×23行×2段×333頁=約398,268字、400字詰め原稿用紙で約996枚。文庫本なら上下巻ぐらいの大容量。

 文章はやや硬いが、内容はあまり難しくない。当然ながら、木に詳しいほど親しみやすい。が、広葉樹と針葉樹の違いぐらいしか分からない私でもなんとか読めたので、あまり構えなくてもいいだろう。

【構成は?】

 だいたい時系列順に話が進むので、素直に頭から読もう。

  • はじめに/この本の成立について
  • 第一章 歴史への木こり道
    • 「木の時代」
      • 一.原材料は歴史をつくるか
      • 二.木だ、木だ、どこもかしこも木だらけだ
      • 三.先史時代 最初に火があった
      • 四.古代 想像上の森の危機
      • 五.森への依存 時限爆弾か、それとも、非常ブレーキか?
    • 人間と森 歴史を物語る数々の歴史
      • 一.饒舌な歴史と、沈黙の歴史
      • 二.森の生業の歴史と木材業の歴史の転換期
      • 三.森とは何か または、森は木だけで成り立っているのか
    • 歴史的変遷における木材の自然としての本性
      • 一.よき時代と悪しき時代 自然は歴史に逆らうのか
      • 二.木材の種類の特性と、変転する利用価値
      • 三.木材の種類の分類
      • 四.森の経営の形態
      • 五.「木材の瑕疵」とは何か 自然原材料である木材につきまとう技術的諸問題
  • 第二章 中世、そして、近世の曙 蕩尽と規制の間にあった木材資源
    • 森の限界に突き当たる中世社会
      • 一.開墾から森の利用の規制と管理へ
      • 二.マルク共同体の住民と木の裁判
      • 三.森の所有を巡る闘い
      • 四.農民が「吸血ヒル」だとしたら、領主は森の「救い手」だとでもいうのか
    • 建築用木材と様々な用途の木材 木材が交易商品となる
      • 一.造船のためのナラの木 木材の枯渇の始まりと木材の交易
      • 二.木造軸組構法の家屋 木組みの技法から建築術へ
      • 三.手作りの木工製品、その全体像と分化独立
    • 薪の大規模消費者の勃興と第一波のフォルスト条例
      • 一.「火を使う生業」と木材
      • 二.鉱山・工業における繁栄の陶酔と「木材のブレーキ」
      • 三.木材飢饉 それはだれのためのものだったのか
      • 四.フォルスト条例と鉱山の利害
      • 五.ニュルンベルクの針葉樹の種まきによる森づくりと、ジーガーラント地方のタンニン樹皮採取業
      • 六.筏流しと管流し 木材業の原動力としての水運
      • 七.薄明りの中の森の生業 木灰生産者、木ピッチや木タール生産者、森のガラス職人、炭焼き職人
      • 八.発明の目的としての木材の節約
  • 第三章 産業革命前夜 「木の時代」の絶頂と終焉
    • 改革、革命、そして、木材業
      • 一.通商革命、木材景気、そして、オランダ向け木材の筏流し
      • 二.資本主義と保護主義
      • 三.国家の改革と林業林政改革
      • 四.「農業革命」、森と農地の境界
    • 「木材飢饉という亡霊」 木材業は破局を目の前にしていたのか
      • 一.18世紀に鳴らされた非常警報と歴史家たち
      • 二.不足する木材 構造的制度的危機だったのか、それとも環境の危機だったのか
      • 三.運送システムの隘路
      • 四.18世紀における地方分散的な工業化
      • 五.木材不足への関心 嘆き声と、その逆の声
      • 六.林業林政改革と環境の危機
    • 森 生活の空間から資本へ
      • 一.人工的産物としての森と算術問題としての森
      • 二.仕組まれた木材不足
      • 三.森における「自由」 私有財産と「木についての軽犯罪」
      • 四.森林官と伐採夫 森の仕事が職業になる
      • 五.林業労働者
      • 六.鋸に敵対した伐採夫たちの蜂起
      • 七.製材工場の勃興
    • 木材の消費者 家計を営む者の木材の節約、拡がる木材の節約
      • 一.魔力を失う火 木材の経済、時間の経済
      • 二.窮乏は発明をなすか 「木材という糧食」と技術の変遷
      • 三.製塩所
      • 四.製鉄業
      • 五.建築部門、工業化と木材
      • 六.木造船の造船
      • 七.木炭 木材節約手段から工業の膨張の駆動力に
    • しだいに押しのけられる木材
      • 一.道具と機械 「木の時代」の終焉
      • 二.鉄道 新しいタイプの技術
  • 第四章 高度工業化時代 材料への変質と木材のルネッサンス
    • 森 工業化の時代の経済の原動力
      • 一.「森を殺戮するような経営」か、それとも持続的な森づくりか
      • 二.新しい「木の時代」を巡ってせめぎ合う未来像
      • 三.利回りの問題を前にした林業
      • 四.森の経営の強化 「工業用木材」への移行
      • 五.機械化による合理化 林業労働における技術の変化
    • 木材工業における技術革命
      • 一.工業原料へと変身する木材
      • 二.製紙用原料
      • 三.新しい木質系工業材料(合板、パーティクルボード、繊維板)
      • 四.家具作りの遅れてやってきた工業化
      • 五.木材半製品の製造における合理化と機械化の推力
      • 六.木造軸組構法家屋建築と集成剤家屋建築 大工の技法から高度な技術計算がなされた木造建築物へ
    • 断絶を招く原材料、つなぎ合わせる手段 環境保護の時代の森と木材
      • 一.「環境革命」の始まり
      • 二.森への環境保護的な眼差しと情緒的な眼差し
      • 三.「森林死」という恐怖のシナリオ
      • 四.森の経営における転換
      • 五.カリスマ的段階にある環境保護の時代と官僚主義化の段階に入った環境保護の時代
      • 六.「自然のままであること」という実験 自然保護のコンセプトを巡る論争
      • 七.気候変動とエネルギー危機 大きな緑の連合の成立か
  • 第五章 国境を越えて見る 西欧文化以外における木材と森の生業
    • グローバルな視野とコントラスト アジア諸国の事例
      • 一.真の意味での木の文化 日本
      • 二.中国 迫り来る砂漠に対する一つの「緑の長城」
      • 三.インドにおける森の保護 植民地時代の遺産から村落共同体の抗議へ
      • 四.途上国の規範であるネパール
    • 相克と(自称の)解決策
      • 一.熱帯における森の破壊
      • 二.プランテーション的経営と「傍若無人に生い茂る森」 ユーカリの事例
      • 三.薪 昔も今も世界の主要なエネルギー資源
    • 翻って将来を展望する 森と木材の歴史における他と際立って違う六つの特性
  • 付録
    • 森林認証の秘密についての追伸 持続的な林業を環境保護運動もどきと区別する難しさ
    • 木や木材と森についての名言集
  • 訳者あとがき/著者・訳者略歴

【感想は?】

 ちょっと並木道を散歩するつもりで出かけたら、密林に迷い込んでしまった、そんな気分。

 書名は「木材と文明」だが、「森と文明」としてもいい。もちろん、木材が持つ個性豊かで複雑な性質も載っている。が、それと同時に、森と人間の関わりについての話も多い。

 それは森が木材の供給地だからだ。が、一言で木材と言っても、性質は様々だ。例えば針葉樹と広葉樹の違いもあるし、硬材と軟材とする分け方もある。成長の早い遅いもあれば、真っすぐか曲がっているかもある。他にも実の有無や丈の高低、気候との相性など、切り口は幾らでもある。

 それぞれの切り口での性質は、森と関わる立場によって、長所にも短所にもなる。例えば建材用の木材の供給源として見れば、真っすぐで成長が早く、丈の高い針葉樹がいい。だが薪を拾う農民の立場では、背が低い方が都合がいい。燃料としてみると、樹脂が多い針葉樹は嬉しくない。

 などと、様々な切り口や立場を考えようとすると、その基盤となる学問も幅広い素養が求められる。

 例えば科学では、樹木の性質を調べる生物学・植物学、森に住む生物や実を調べる生態学、建材としての強度を調べる工学、木が含む物質や加工方法を調べる化学、土壌を調べる農学。

 また、時代ごと・地域ごとに社会は変わり、木材・森との関わり方も違う。そこで歴史学も重要な素養となる。その時期ごとの人口、利用できたテクノロジー、人々の暮らし方。加えて、当時・当地の経済的な事情も大事だ。地域ごとの木材の需要と供給、貿易状況、そして流通網。

 と、実はやたらと複雑で広い範囲にまたがる、とんでもない世界への扉を開く、恐ろしい本である。「たかが木」などとナメて読み始めたので、驚くことばかり。とはいえ、言葉ってのは便利なもんで、こんな世界もたった一言、林学(→Wikipedia)で表せちゃうんだけど。

 まず、最初に驚いたのが、木材の使われ方。この寒い時期なんだし、落ち着いて考えれば当たり前なんだが、歴史的に木材が最も多く使われたのは…

推定では、木材の九割は19世紀に至るまで燃料として消費されていました。
  ――第一章 歴史への木こり道/二.木だ、木だ、どこもかしこも木だらけだ

 そう、燃料なのだ。お爺さんは森に柴刈りに行く。あれは生きるため絶対に必要な仕事なのだ。暖をとるってのはもちろんある。が、同時に、煮炊きにも火が要る。そして火をおこす柴がなけでば、飯も炊けない。幸いにして今の日本はガスレンジがあるが…

経済的に開発途上にある南の国々では、推定ですが、平均すると毎年住民一人あたり1.5トンの木材が燃やされています。
  ――第五章 国境を越えて見る 西欧文化以外における木材と森の生業
     /相克と(自称の)解決策

 と、21世紀の現在だって、国や地域によっては柴や薪が生活必需品なのだった。そんな人々にとって、森は何よりもまず、柴や薪、または木炭の供給源となる。となると、理想の森は…

 すんません、続きは次の記事で。

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2018年1月22日 (月)

再び日本翻訳大賞を勝手に宣伝

 2018年1月21日から、日本翻訳大賞の推薦作の募集が始まっている。締め切りは1月31日(水)まで。

 対象となるのは、「2016年12月1日から2017年12月31日までに日本語に翻訳された公刊物」。こういう賞は小説を思い浮かべてしまうが、この定義ならノンフィクションもアリだ。実際、既に某科学解説書が候補に挙がっている。

 おお祭り的な面白さはもちろんあるし、「面白い本」を探すガイドとしても役に立つ。というか、私は主にソッチの目的で楽しんでいる。「レッド・スペシャル・メカニズム」も、これで見つけた。まだ読んでないけど、「アシュリーの戦争」と「堆塵館」は、近いうちに読もうと思っている。

 こんな風に、受賞作より候補作のリストの方が興味深い賞ってのも、インターネットが普及して、誰もが何かを言える現代ならではだよなあ。

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2018年1月19日 (金)

池上永一「黙示録」角川書店

人は『太陽(でた)しろ』を生き、神は月しろを生きる。
  ――p10

「舞で千年を生きてみせろ」
  ――p53

貧しさを軽く扱う者は決まって衣食住に足る奴らだ。
  ――p443

【どんな本?】

 「レキオス」「テンペスト」など、沖縄/琉球を舞台にしたスケールの大きい作品を紡ぎ出す池上永一による、琉球歴史ファンタジイ絵巻。

 18世紀初頭、尚益王(→Wikipedia)の治世。琉球は大和・清に挟まれ、両国のバランスを保つ形で生き延びている。しかし、このような小国としての地位をよしとせず、大きな野望を抱く者がいた。

 具志堅文若、唐名を蔡温(→Wikipedia)。若くからその才の評判は高く、在留通事として清で見識を深め、今は王子の教育係を務めている。やがて王子が王位を継げば、その片腕となって働くだろう。

 幸いにして王子は人柄も良く知識欲も旺盛だ。やがてはよき王となるだろう。だが、琉球が更なる高みへとのぼるためには、それだけでは足りない。太陽(でた)しろたる王には、相応しい月しろが必要だ。その月しろたる者は…

 大和と清の両大国を相手に、大胆な外交で琉球の地位を押し上げんと目論む蔡温。遺体すら葬って貰えぬ最下層の身分からの脱出を目指す了泉。了泉に才を見出し復権を図る石羅吾。蔡温のライバル玉城里之子、その秘蔵子で幼い頃から芸一筋に打ち込んできた雲胡。

 綱渡りの王国の命運と、道果てぬ芸人の業、そして神と人の関係を、色鮮やかな琉球を舞台に描く、怒涛の歴史ファンタジイ大作。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2013年9月30日初版発行。単行本ハードカバー縦2段組みで本文約620頁。9ポイント23字×20行×2段×620頁=約570,400字、400字詰め原稿用紙で約1,426枚。文庫本なら上中下の三巻にしてもいい巨大容量。既に角川文庫から文庫版が上下巻で出ている。

 文章はこなれている。琉球語や漢詩がアチコチに入るが、慣れればそれも風情と感じるだろう。内容も特に難しくないが、琉球の歴史を少し齧ると、更に面白みが増す。

【感想は?】

 これぞ池上永一。

 琉球風味はもちろんのこと、波乱万丈・疾風怒濤、大法螺吹きまくりで予測不能な暴風雨が吹き荒れる、ノンストップの娯楽大作。ついでに言うと、舞台化・映像化はまず無理。

 物語は二人の人物が中心となる。いずれも秀でた芸で認められた宿命のライバルだ。

 まずは了泉。人とすら見なされぬ卑しい立場で、食わんがために仕方なく芸の道に入る。幸か不幸か天性の才があり、付け焼刃ながらその踊りは舞台も客席も支配する。

 そのライバルが雲胡。幼い頃より人生を芸に捧げ、厳しい稽古に耐えてきた。長い修練が培った強固な基礎は誰にも負けず、将来を嘱望されている。

 とくれば、さわやかなスポ根ものになりそうだが、そこは池上永一。そんなありきたりでわかりやすい話には決してならない。

 定石なら、舞台に立つうちに互いの芸を高め合うところ。が、なにせ、互いにかかっているものが違う。トップを奪うためなら手段を選ばぬ了泉、そんな了泉を見下し毛嫌いする雲胡。両者が七島灘を渡る場面は、笑うべきか恐れるべきか。

 この両名に関わってくる、脇役もアクの強い奴が揃っていて、特に前半では主役二人を食いかねない大暴れを見せる。

 まず度肝を抜くのが與那城王子。王位継承権第五位なんて御大層な地位だが、王子って立場から連想するのとは全く違う規格外のお方。映像化も舞台化も不可能となった責任の大半は、この人にある。登場場面からして、明らかに人智を越えた存在で…。

 まあ、ある意味、與那城王子こそ、池上永一たる象徴みたいなキャラクターかも。

 次に樺山聖之助。薩摩の侍で、居合の達人。悪い人じゃないんだが、あまり周囲にいて欲しくない人。つか、なんてシロモノを腰に下げてるんだw まさしく○○に××じゃないかw と思ったが、案外と相応しい者に相応しい得物なのかも、な場面もあったり。與那城王子とは別の意味で、人間離れしたお方。

 もう一人、紹介したいのが、瓦版屋の銀次。一昔前のトップ屋、今ならパパラッチ。お江戸のゴシップを一手に引き受け、ある事ない事書き立ててあぶく銭を稼ぐ芸能記者。彼と大物役者の関係は、案外と今でも受け継がれているのかも。

 私が彼を気に入った最大の理由は、彼の特技。ラリイ・ニーヴンのアイデアを、こんな形で蘇らせるとは。こういうのがあると、SF者の血が騒いでしょうがない。

 とかの濃いキャラが次々と騒動を引き起こす前半は、驚きの展開の連続で、読んでるだけでも息切れがするほど。

 これが、後半に入ると、ガラリとトーンが変わり、芸人の業の深さが、恐怖すら伴って忍び寄ってくる。

 蔡温も玉城里之子(玉城朝薫)も、Wikipedia に項目があり、ちゃんと歴史に名が残っている。位の高い政治家だってのもあるが、玉城里之子は組踊の祖としても名高い。

 同じ芸でも、文学や絵画や彫刻は作品が残る。そのため、後の世までも名を残すことができる。音楽でも西洋音楽は楽譜があるので作曲家の名は残るが、演奏家はそうじゃない。これは踊りも同じで、彼らの芸はその場限りで消えてゆく運命にある。

 にも関わらず、彼らはなぜ踊るのか。もちろん、食うため、稼ぐため、出世するためでも、ある。だが、それだけじゃない。

「ぼくのおめけりは凡庸でした。でも誉められた。こんな屈辱があるでしょうか……」
  ――p538

 一つの作品が演じられる時、その舞台の上で、または舞台の裏で、何が起きているのか。新しい作品を生み出そうとする時、それに関わる人は何を考えているのか。終われば消えてしまう踊りに、なぜ役者は懸命になるのか。

 大きな曲がり角を迎えた琉球の歴史を背景に、芸を極めんとする者の業を清濁併せて描く、重量級の娯楽ファンタジイ大作。次の日の朝が早い人は、充分に覚悟して臨もう。

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2018年1月17日 (水)

ブライアン・メイ+サイモン・ブラッドリー「レッド・スペシャル・メカニズム」DU BOOKS 坂本信訳

僕のレッド・スペシャルは、父の工房で父と僕とふたりで作ったんだ
  ――第1章 父ハロルドの工房からすべてが始まった

ブリッジはアルミニウムの塊をノコギリで切ってヤスリで削って作った。ぼくのアイデアは、弦を載せるサドルの代わりに、ステンレスのローラーを使うというものだった。
  ――第2章 レッド・スペシャル誕生秘話

もともとはセミ・アコースティックにするつもりで――頭の中ではそう考えていた――fホールをひとつ開けることになっていた。
  ――第3章 知られざるディテールとメカニズム初公開

最初の頃は、チューニングがひどく狂う傾向があったけれど、その原因はペグにあることを突き止めたんだ。
  ――第3章 知られざるディテールとメカニズム初公開

【どんな本?】

 20世紀末のポップ・ミュージック・シーンに君臨した Queen。そのギタリスト、ブライアン・メイの愛器レッド・スペシャルは、彼と父が設計し、自宅で造った手作りの一品だった。

 Tie Your Mother Down(→Youtube) の迫力あるリフ、Killer Queen(→Youtube) の甘くエロティックなソロ、そして血液までもが躍り出す Keep Yourself Alive(→Youtube) のリズム。千変万化でありながらも唯一無二のサウンドは、どのように創りだされたのか。

 ブライアン・メイ自らが、音楽ジャーナリストであるサイモン・ブラッドリーの協力を得て書き上げた、最も個性あふれるギターの伝記。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Brian May's Red Special : The Story of the Home-made Guitar That Rocked Queen and the World, by Brian May + Simon Bradley, 2014。日本語版は2016年1月1日初版発行。

 単行本ソフトカバーで横2段組み144頁。7ポイント31字×49行×2段×144頁=437,472字、400字詰め原稿用紙で約1,094枚。文庫本なら上下2巻分ぐらいの大容量…では、ない。実は紙面の6~8割を写真と図版が占めているので、文字数だけなら文庫本一冊に余裕で収まる。

 ただし、図版はレッド・スペシャルのパーツの設計図だったり、写真も取り外したピックアップやスライド・スイッチの裏側だったりと、実に貴重であり、また内容を理解するのに必須なものも多いので、文庫サイズにするわけにはいかないだろうなあ。

 文章は音楽雑誌によくある文体。インタビュウ形式の一人称で、親しみやすい。ところでブライアンの一人称が「僕」なのは、日本の音楽雑誌のお約束なのか…と思って少し検索したら、どうも Queen はみんな「僕」らしい。

 内容は、それなりに前提知識が必要。特にハイライトの「第3章 知られざるディテールとメカニズム初公開」。当然ながら、読者には Queen のファンを想定しているので、曲を知っていること。加えて、エレクトリック・ギターの知識も必要。できればピックアップのメーカーも知っているといい。

【構成は?】

 メカに興味がある人にとっては、第3章がクライマックスだが、第2章もなかなかの読みごたえ。

  • 序文/序章
  • 第1章 父ハロルドの工房からすべてが始まった
  • 第2章 レッド・スペシャル誕生秘話
  • 第3章 知られざるディテールとメカニズム初公開
  • 第4章 クイーンのサウンドを支えたレッド・スペシャル
  • 第5章 エリザベス女王も聴いたイギリス国歌演奏
  • 第6章 ブライアン所有のレッド・スペシャル量産モデル
  • 謝辞

【感想は?】

 とある優れたアナログ・ハックの記録。

 そう、ブライアン・メイはハッカーだった。彼の父ハロルド・メイもそうだ。彼はハッカーの家に生まれ、ハッカーとして育ち、そして意外な世界で成功したのだ。

 世にギター小僧はウジャウジャいるが、自分でギターを作ろうなんて考える奴は滅多にいない。仮にいても、たいていは市販品を組み合わせて満足する。それを、木材から調達して電気系統の配線も自分でやろうなんてのは、彼とエディ・ヴァンヘイレンぐらいしか私は知らない。

 特にハッカー気質を感じるのは、道具も自作するあたり。

万力の力で正確にフレットを曲げるための工具は、試行錯誤しながら開発した
  ――第3章 知られざるディテールとメカニズム初公開

 フレットを指板のカーブに沿って曲げるため、専用の道具から作ったのだ。こういう「道具を作る道具を作る」あたりが、強烈にハッカー気質を感じさせる。この後、フレットを指板に接着する時も、専用の工具を作ってたり。

 このフレットを指板のどこに置くかも、ちょっとした難しい問題。というのも、フレットの位置で音程が決まるからだ。これを間違えると、音痴なギターになる。普通のギターと同じサイズなら、その値を定規で測って真似すればいい。が、しかし。

 レッド・スペシャルは、少し小型なので、他のギターの数値は使えないのだ。

 幸いにして現代の12平均律は、厳密な数学規則にのっとって決まっている(→Wikipedia)。今ならネットで調べればすぐ出てくるが、当時はそんなモノはない。じゃどうするかというと、自分で計算するのだ。ここでは、デジタルのハックもしてたりw 今なら Excel 一発だが、当時は大変だったろうなあ。

 など、製作の苦労も面白いが、独特のメカニズムも驚きがいっぱい。もっとも、熱心な Queen のファンには常識かもしれないが。

 まず私の恥を告白しよう。今までずっと、ピックアップはハムバックだと思いこんでいた。んなの、ちょっと見ればわかりそうなモンだが、全く注意してなかったのだ。ああ恥ずかしい。

 それもこれも、音がゴージャスで豊かなせいだ。シングルコイル特有のトンガった感じがしない。6ペンス硬貨をピックに使う独特のアタックのせいもあるが、配線もやたらマッド。

 外から見ると、シングルコイルのピックアップが3個だ。ストラトと同じだね…と思ったら、なんと直列でつないでいる。え? 加えて、ボディ下の6個のスイッチもキモ。各ピックアップのオン・オフに加え、位相も反転できるという凝りよう。 って、それハムバックじゃん! 俺の耳は間違ってなかったんだ←をい。

 などの電気系統の工夫は他にも幾つかあって、やっぱりシングルコイルの弱点、ノイズには悩まされた模様。配線系の写真を見ると、こんなに細くて頼りないコードから、あんなに大きくて迫力ある音が生まれるというのが、ちょっと信じられなかったり。

 ギタリストの悩みとしてノイズと並ぶのが、チューニングの狂い。特にトレモロはトラブルメーカーで、安物はすぐにチューニングが狂ってしまう。と同時に、巧みに操れば「飛行機の爆音やクジラの鳴き声」も出せて、変化に富んだサウンドを生み出せる強力な武器になる。

 いかにして正確なチューニングを維持するかが、製作者の腕の見せ所。それはレッド・スペシャルも同じ。金属板の焼き入れの工夫から弦と接するサドル、そしてヘッドのペグの位置まで、「いかに正確なチューニングを保つか」に心を配ってたり。

 でも弦が切れた時は大変だなあ。あとオクターブ・チューニングも難しそう…と思ったら、写真を見る限り、やっぱり完成後に微調整したっぽい。

 ボディがホロー(中空)ってのも意外だったし、直筆の設計図も貴重。貴重と言えば、なんとX線写真まで収録した凝りよう。長年の酷使ですり減ったフレットや、メンテ中の部品のアップは、かなりの迫力。マニア向けの本だが、だからこそマニアには美味しい一冊。

 ただ、ブライアンの一人称、特にこの本に限れば「私」が相応しいと思うんだけど、あなた、どうです?

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2018年1月16日 (火)

マリオ・プーヅォ「ラスト・ドン 上・下」ハヤカワ文庫NV 後藤安彦訳

「われわれはいつの日にか聖者になりたいと思う」ドンが答えた。「だが殉教者にはなりたくない」
  ――上巻p16

「映画は頭脳を征服する必要はなく、感情を征服するだけでいいんだ」
  ――上巻p65

「第一に、そしてこれはもっとも危険な点だが、逆境にいる美女には用心しなさい。第二に、きみよりもさらに大きな野心を持っている女には気をつけたほうがいい」
  ――p168

「愚かな連中を相手に理性的な解決に達することは不可能なのだ」
  ――下巻p300

【どんな本?】

 1969年に「ゴッドファーザー」で空前の大ヒットを飛ばし、映画も大当たりとなったマリオ・プーヅォが、アメリカの合法社会への進出を狙うマフィアを描いた長編小説。

 クレリクーツィオ・ファミリーを仕切るドン・ドメニコの計画は、仕上げに入っていた。既に宿敵サンタディオ・ファミリーは戦争で壊滅させた。他のファミリーとは友好的な関係を保っている。息子たちはそれぞれ合法的なビジネスを展開し、また信頼できる甥のピッピもラスベガスに拠点を築いた。

 政府の締め付けは年々厳しくなっている。特に麻薬ビジネスは厳しい。新たに参入したコロンビア人はあまりに無謀で大胆だ。裏稼業は自分たちの代で終わりにしよう。新しい世代は合法的な世界でまっとうなアメリカ人としての生涯を送るのだ。

 孫のダンテと甥ピッピの息子クロスの洗礼式の日、ドンは他のファミリーに取引を持ち掛け、最後の撤退戦に向け陣営を整える。だが、それは新たな流血の幕開けでもあった。

 厳しい掟に従いつつも暴力と策略で社会を蝕むマフィアの世界に加え、ギャンブルの楽園ラスベガスのビジネスや、金と欲が渦を巻くハリウッドの人間関係も暴き、現代アメリカのダークサイドを晒す、娯楽長編。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Last Don, by Mario Puzo, 1996。日本語版は1996年12月に早川書房から単行本で出版、後に2000年10月31日にハヤカワ文庫NV発行。文庫本で縦一段組みの上下巻、本文は491頁+415頁=約906頁に加え、関口苑生の解説8頁。8.5ポイント41字×18行×(491頁+415頁)=約668,628字、400字詰め原稿用紙で約1,672枚。3~4巻に分けてもいい巨大容量。

 文章はこなれている。内容もあまり難しい所はない。ややこしいのは、金の流れを説明する部分。つまりはペテンの手口なんだが、面倒くさかったら読み飛ばして、「なんか汚いことやってんだな」ぐらいに思っておこう。

【感想は?】

 これを読んだら、カジノ法案に抱くかもしれないし、逆に賛同したくなるかもしれない。

 なんたって、ドンの目論見が「ギャンブルの合法化」だ。そもそも、マフィアは滅多な事じゃまっとうな商売には手を出さない。「楽してズルしていただき」がモットーの連中である。

 そのマフィアのトップ、ドン・ドメニコ・クレリクーツィオの狙いは、ファミリーを合法化すること。政府の締め付けは次第に厳しくなる。今までのように、法を犯し暴力を厭わないビジネス、例えば麻薬の取引は先行きが暗い。そこで、新たな資金源として狙うのが、ギャンブルだ。

 そのギャンブルの具体例として、詳しく描くのは、ラスベガスのカジノ。それも、そこらのパチンコ屋みたく、セコい金額じゃない。新築の家が買える金額が一晩で吹っ飛ぶような、デッカいギャンブルの世界だ。

 ただし、視点はギャンブラーではなく、オーナー側。彼らがいかにして大口の顧客から金を引き出すか、その手口をわかりやすく描いてゆく。例えばニューヨーク発で飛行機代・ホテル代・食事代タダのツアーとかもあったり。

 そんな一見美味しいツアーが成立しうるのも、ギャンブルが法で守られているラスベガス、そしてネバダ州ならでは。そんなワケで、ここで商売するには、州政府との関係も大事で。

そういえばUFO騒ぎで有名な空軍基地エリア51もネバダ州だっけ。実はここ、合衆国の核開発の拠点でもあった(「エリア51」)。とすると、連邦政府との関係も重要、とか考えると、一味違ってくる。

 などの美味しいビジネスのギャンブルに、更に美味しいトッピングを添えようってのが、ドンの目論見。しかも、その目論見の裏をかくとんでもねえ奴まで出てくるんだから、地下社会の闇は深い。もっとも、このトッピングに似たシロモノは、既に日本で合法化されてたりするから怖い。

 もう一つ、重要な柱になるのが、ハリウッドの内幕。最近は Twitter で #MeToo が流行っているように、ソッチの話題も遠慮なく出てくる。ただし、この作品では、かなり男に都合のいい形になってるけど。

 それより私にはカネの話の方が面白かった。この小説ではアーネスト・ヴェールなんて作家も出てきて、彼はどう見てもマリオ・プーヅォ自身だ。作家としての能力はともかく、人間的にはしょうもない奴に描かれていて、読みながらついニヤニヤしてしまう。

 彼が語る、小説家が映画に抱く屈折した想いなどは、本好きにはかなり突き刺さる台詞。代表作ゴッドファーザーにしても、映画を知っている人は多いが、小説を読んだ人はほとんどいない。やたら面白いのになあブツブツ…

 とかに加え、小説と脚本の違いも、ちょっとした読みどころ。

 それより何より、自作を映画化する際に交わす、権利関係の契約のキモが、生臭く面倒くさいながらも、だからこそ生々しい迫力を放っている。明らかに彼自身の経験から学んだ教訓なんだろうが、原作者の懐が潤わないメカニズムが、実に狡猾で容赦ない。そりゃ素人はコロリと騙されるよなあ。

 そして、裏社会物に欠かせない、ケッタイな連中の生態も、ちゃんと描いている。

 最初に出てくるのが、ボズ・スキャネット。ええトコのボンボンな上にイケメン。しかも頭もよけりゃ腕もたつ。おまけに綺麗で賢い嫁さんを貰ったはいいが…。まあ、えてして男なんてそんなモンです。

 ちょい役だが、ロサンゼルスの形成外科医も印象に残る。これは私がSFファンだからかも。外科医に相応しく(←をい)、ちとマッド・サイエンティストの匂いを漂わせているあたりがたまらない。

 医者と言えば、下巻に出てくるケネス・カルドーンも忘れ難い。彼も歯科医で、物語に出てくる歯科医と言えば変態と相場が決まっている(←酷い決めつけだ)。彼のイカれっぷりは一風変わってて、理解できる人はちと危ないかも。

 と、端役にも個性的な人物を取りそろえ、現代アメリカの病んだ部分を背景に、ドンの計画は静かに進んでゆく。ある点では「仁義なき戦い」にも似て、これは現代に君臨する権力者たちのルーツの物語なのかもしれない。

 ただし。美食の場面も多く、特にイタリアンが好きな人は、深夜に読んではいけない。

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2018年1月14日 (日)

リチャード・フォーティ「<生きた化石> 生命40憶年史」筑摩選書 矢野真知子訳

この本では、地質時代から生き残ってきた残存種と、その種が語る進化の道程という私個人の関心事をテーマにしている。(略)残存種がこんにちまでどのように生き延びたのかを観察することは、(略)かれらの長寿の理由について手がかりを得ることになる。
  ――第1章 カブトガニと三葉虫

海中生活に適応している地衣類はない。
  ――第2章 カギムシを探して

現在の微生物学者の標準的な見方では、古細菌は真核生物に近く、細菌とは離れている。
  ――第4章 熱水泉での暮らし

物事をよく知る人ほど、自分が無知であることをよくよく自覚している。
  ――第5章 ホネのないやつ

分岐図は経験により作業者により、少しづつ違ったものができてくる。
  ――第8章 保温性を手に入れる

こんにちのクロマグロもそうだが、ある動物が希少になると値段が上がり、その市場価値がさらに乱獲を招いて絶滅させる方向に進んでしまう。
  ――第9章 島と氷

カブトガニは太古の昔から変わらない甲羅を背負っているように見えるかもしれないが、それでも時代とともに少しづつ変わっている。
  ――第10章 困難をくぐり抜けて生き残る

【どんな本?】

 イギリスの古生物学者で三葉虫を専門とし、「生命40憶年全史」や「地球46億年全史」などの著作がある、リチャード・フォーティによる一般向け科学解説書。

 カブトガニ,カギムシ、イチョウ,シーラカンスなど、太古から現在まで生き延び「生きた化石」と呼ばれる種をテーマに、彼らは現在のどんな種に近いのか,生まれた時の地球の状況,彼らの暮らしぶり,生き延びてきた秘訣などを探り、逞しく生きてゆく姿を描き出す。

 なお、「生命40憶年全史」と似た書名だが、違う本なので要注意。というか私も勘違いして読んでしまった。でも面白かったからいいや。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Survivors : The Animal and Plants that Time Has Left Behind, by Richard Fortey, 2011。日本語版は2014年1月15日初版第一刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約395頁に加え、訳者あとがき3頁。9ポイント43字×18行×395頁=約305,730字、400字詰め原稿用紙で約765枚。文庫本なら厚めの一冊分。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に前提知識は要らない。国語と理科、特に生物系が好きなら、中学生でも楽しめるかも。

【構成は?】

 全体を通しての流れはある。が、個々の章は、別々の読み物としても楽しめるので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

  • プロローグ
  • 第1章 カブトガニと三葉虫
    古びた海辺の真夜中の宴/カニではない/青い血の恵み/ジュラ期のメソリムルス/「生きた化石」/カンブリア紀の三葉虫/婚礼の最中の大惨事?
  • 第2章 カギムシを探して
    古くて新しい孤島/丸木の影で悠久の時を生きる/カンブリア紀の葉足動物/系統樹におけるカギムシの位置/エディアカラ紀のフラクタルな生物/悠然と歴史から消える/海はすべてを飲みこみ存続する
  • 第3章 シアノバクテリアの造形
    無限にくり返される風景/ストロマトライトの息づく被膜/地球の生命史の長さを見直す/内部共生という飛躍/地球に酸素を/原生代の生き残り「海苔」/食べるもの、食べられるもの/菌類の起源/オゾン層をもつくり出す
  • 第4章 熱水泉での暮らし
    プレートがぶつかり合う場所/あらゆる地熱現象/三つのドメイン/35億年の縮図/深海のオアシス/動物の消化器という新天地
  • 第5章 ホネのないやつ
    栄養豊富な干潟/新参者と共存する腕足動物/多様な軟体動物/中生代の動物が入植した海苔/相称形をとらない海綿動物/クラゲとサンゴ
  • 第6章 大地を緑に
    上陸に必要ないくつかの構造/日陰の主役たち/天目山のイチョウ/恐竜時代の頑丈な植物/ゴンドワナ遺産の植物たち/砂漠に居座るウェルウィッチア/花咲く世界へ
  • 第7章 ホネのあるやつ
    肺呼吸する魚/ひれから肢へ/古い言語が生き残っている国/顎の発明/陸生動物の試作品/ゆっくり生きるムカシトカゲ/大量絶滅期をくぐり抜けた爬虫類たち
  • 第8章 保温性を手に入れる
    卵を産む哺乳類/ハリモグラとカモノハシ/霊長類の枝の根本/燃料を積んで空へ飛び立つ/陸に戻った鳥たち/現生鳥類への道のり
  • 第9章 島と氷
    マリョルカ島のサンバガエル/巨大なオタマジャクシ/孤島の進化の脆弱さ/北極圏という孤島/氷期を生き延びた大型動物/気候変動かヒトの干渉か/アメリカバイソンと微生物
  • 第10章 困難をくぐり抜けて生き残る
    生き残るための秘訣はあるのか/地質時代のハードル/重要なのは生息地の存続/時の避難所/資質について考える
  • エピローグ
  • 謝辞/用語解説/訳者あとがき/図版クレジット一覧/参考文献/事項索引/生物名索引

【感想は?】

 そう、本書全体を通してのテーマはある。

 大昔から現在までしぶとく生き残り、「生きた化石」と言われる生物がいる。最も有名なのはシーラカンスだろう。肺魚やカモノハシなど、系統樹の境界にいる生物もよく知られている。身近な所では、イチョウやシアノバクテリア、そしてゴキブリも登場する。

 ちなみにシアノバクテリアって何かというと、藍藻(→Wikipedia)。庭やベランダに水を入れたコップを放置すると、水が緑色に濁るよね。あの緑色のヤツがシアノバクテリア。原核生物のクセに光合成する生意気な奴。

 ばかりか、太古の無酸素状態の地球に酸素で満たし、巨大な鉄鉱床を作った(→Wikipedia)、小さいけど凄い奴…と思っていたが、地球を酸素で満たす過程は、それほど単純じゃないらしい。

 とかを描いているのが、「第3章 シアノバクテリアの造形」。ここで主役を務めるストロマトライト(→Wikipedia)も変な奴。海岸にある岩にしか見えないんだけど、れっきとした生物のコロニーだ。水に入れて光を当てると、泡を出す。なんと光合成してるのだ。

 など、各章に出演する生物たちのキャラが濃すぎて、読んでる最中はテーマをつい忘れてしまう。

 先のストロマトライトもそうなんだが、SFやファンタジイを書く際に、印象的なシーンのヒントになりそうな場面にも事欠かない。

 例えば最初の「第1章 カブトガニと三葉虫」は、砂浜にカブトガニの大群が押し寄せるシーンで始まる。夜の砂浜には、カチカチという音が響く。ギッシリと群れた彼らの甲羅がぶつかり合う音である。彼らは命がけで卵を産みにきたのだ。

 こういう、あたり一面を埋め尽くす○○なんて描写は、SF者の妄想マシーンを刺激してやまない。しかも目的が生殖だ。梶尾真治ならどう料理するんだろう…とか考え出すと、キリがない。やはり物語好きには、「そうだったのか!」なネタもある。先の「第3章 シアノバクテリアの造形」だと…。

海苔は海水中のヨウ素を多くとりこんでしまうため、暑い日には揮発性元素が蒸発し、それが大気中で水滴になるのが海霧だということがこれまでに確認されている。
  ――第3章 シアノバクテリアの造形

 海苔とあるが、つまりは海藻だ。私が連想したのは「あゝ伊号潜水艦」の、巨大昆布に覆われたベーリング海で、濃霧に包まれる所。海洋冒険物語が好きな人なら、艦が濃霧のサルガッソで立ち往生する場面を思い浮かべるだろう。あの濃霧は、コンブが作り出したのか!

 が、逆に、SF者に水を差すフレーズも。

 なぜオーストラリアやニュージーランドにカモノハシやハリモグラなどの固有種が多いのか、というと、大陸から海で隔てられていたから。だもんで、大陸からネズミやネコが侵入してくると、彼らは易々とエジキになってしまう。こういうのは、経過が決まってて…

広大な本土で進化した生き物と出会ったとき、島の固有種はかならず負ける。別の言い方をしてみよう。最初に小さな島で進化した種が、その後に近くの本土に入植して大繁栄し、在来種を駆逐したという例を、私は一つも見つけられない。
  ――第8章 保温性を手に入れる

 じゃ、マタンゴはナシか。南洋の無人島で拾った小動物が大繁殖して人類ピンチ!は定番パターンなのに。そういえば、キング・コングも殺されたなあ←違う。

 とか、物語好きの血が騒ぐのは、出演者のキャラが濃いってだけじゃない。時間的なスケールでも、何かと妄想の種をワンサカと仕込んでいるからだ。例えば、恐竜物の映画は、たいていシダやソテツが生い茂っている。植物相が今とは違うのだ。しかし…

中新世以降は、頭頂部が食われても根元からひっきりなしに再生する草が平原を覆い、偶蹄類の草食動物や反芻動物の命を支えた。
  ――第6章 大地を緑に

 WIkipedia の植物の進化で確認すると、「最も新しく登場した大きなグループはイネ科の草で、およそ4000万年前の第三紀中期から重要な存在になってきた」とある。恐竜退場後にスポットを浴びた、意外と新参者なのだ。これがあったから、人類はイネ・ムギ・トウモロコシなどの農耕を始められた。

 ばかりでなく、ウシやブタやヒツジなど、後に家畜となる動物たちも、草に支えられている。とすると、イネ科の植物がない異星の生態はどうなるんだろう、とか考え出すと、なかなか眠れそうにない。これにゴンドワナ大陸とかの地形の影響も絡むと…

 など、個々のエピソードはSF者の妄想癖を煽りまくる。お陰で読んでる途中は「あれ、これ、何の本だっけ?」と、完全に主題を忘れてしまう始末。最後の章で主題に戻るんだが、その頃にはアクの強いキャラたちの印象が強すぎて、「そういえばそういう本だった」と、主題はどうでもよくなってたり。

 なにはともあれ、変な生き物や変わった風景が好きな人には、刺激的な場面が次々と出てくる、そんな本だ。

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2018年1月10日 (水)

C・L・ムーア「シャンブロウ」論創社 仁賀克雄訳

「シャンブロウ! おい……シャンブロウだ!」
  ――シャンブロウ

「金塊がほしくありません、あなた?」
  ――黒い渇望

「それは愛ではないわ。愛よりも強いものなの、ノースウエスト・スミス」
  ――冷たい灰色の神

【どんな本?】

 SFが勢いを増し始めた1930年代にデビューし、黄金期へと押し上げたC・L・ムーアによるスペースオペラの代表的シリーズ「ノースウエスト・スミス」物を集めた短編集で、論創社のダーク・ファンタジイ・シリーズの第9弾。

 太陽系を渡り歩く無法者、ノースウエスト・スミスと相棒ヤロールのコンビ。火星の酒場で、金星の波止場で。危ない仕事を渡り歩く彼らは、妖しげな女が絡む胡散臭い事件に次々と巻き込まれ…

 なお、日本ではハヤカワ文庫SFの「大宇宙の魔女」「異次元の女王」「暗黒界の妖精」で紹介されている。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2008年7月15日初版第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約473頁に加え、訳者による解説6頁。9ポイント42字×18行×473頁=約357,588字、400字詰め原稿用紙で約894枚。文庫本なら薄めの上下巻ぐらいの分量。

 文章は比較的にこなれている。内容はSFというよりホラー寄りのファンタジイなので、理科が苦手な人でも全く問題ない。美女美少女が続々と登場し、かなり凝ったサービスを繰り広げてくれるので、そういうのが好きな人は期待しようw

【収録作は?】

 それぞれ 作品名 / 原題 / 初出 の順。

シャンブロウ / Shambleau / Weird Tales 1933.11
 火星の新開地。群衆が一人の娘を追っている。「シャンブロウだ!」。娘は赤褐色の肌に緋色の服。無法者のノースウエスト・スミスは、行きがかり上、娘を庇う。彼が「この女はおれのものだ」と叫んだとたん、群衆は静まりスミスを軽蔑の目で見る。
 SF界ではク・メルやサーバルちゃんを凌ぐ人気を誇る、猫系美少女シャンブロウが鮮烈なデビューを果たした作品。多くの青少年が、この作品のせいで、困った性癖を植え付けられたんだろうなあ、と思うと、なかなか罪深い作品だったりw
黒い渇望 / Black Thirst / Weird Tales 1934.4
 金星の波止場。夜の闇にたたずむノースウエスト・スミスに、美女が語りかける。「金塊がほしくありません、あなた?」 幼い頃から男を魅惑する術を仕込まれたミンガ要塞の女だ。彼女らを手に入れられるのは、際限ない富を誇る王侯のみ。
 薄汚い無法者に、絶世の美女が金塊を差し出す。あざといまでに男の欲望を手玉に取る幕開けは、先の「シャンブロウ」同様、掴みの巧みさが光る。とにかく男を篭絡するのが上手い作家だよなあ。わかっちゃいるけど乗ってしまうのが男のサガってもんです。
緋色の夢 / Scarlet Dream / Weird Tales 1934.5
 火星のラクマンダ市場の屋台で、ノスウエスト・スミスは得体のしれないショールを手に入れる。生きているように手にまとわりつき、軽く柔らかい。青い地に緋色の模様が躍るデザインは、どこのものとも知れない。宿に戻ったスミスは…
 これまた童貞小僧の妄想を刺激しまくる作品。今回のヒロインは、オレンジ色の髪で血まみれの美女。女が絡むとロクな事にならないと、いい加減に学んでもよさそうなスミスだが、そこはそれw
神々の遺灰 / Dust of Gods / Weird Tales 1934.8
 素寒貧になり酒場でクダをまくスミスとヤロールに、仕事の話が舞い込む。報酬は悪くない。ただし、かなり厄介だ。以前にも、二人組のハンターに同じ仕事を頼んだ。だが失敗したハンターたちは、明らかに怯え切っている。それは太古の神にまつわる仕事で…
 今まであまり言及されなかった設定を活かした作品。このシリーズでは、人類以前に、古の神々が宇宙に君臨していた事になっている。われわれの知覚では捉えきれない神々の不気味さを、スミスとヤロールの探索を通して描く。
ジュリ 異次元の女王 / Julhi / Weird Tales 1935.3
 スミスの体には多くの傷がある。短剣の切り傷、小刀の突き傷、鞭打ち刑の十字傷。それは彼の闘いのしるしだ。中でも知られていないのは、左の胸、心臓の上にある渦巻き模様の赤く丸い傷跡は…
 ビジュアルは魅力的だが映像化は難しい作品の多いこのシリーズの中では、比較的になんとかなりそうな気がするし、ファンタジイよりややSF寄りの作品。ちゃんと肉体を持ち、なんとか意志疎通ができるあたりも、「あやかし」というより「エイリアン」な感じがする。とはいえ、コミュニケーション手段は意表を突くもの。
暗黒の妖精 / Nymph of Darkness / Fantasy Magagine 1935.4
 金星のエドネス波止場の暗がりなら、パトロール隊も近寄らない。あたりに気を配りながら歩くスミスは、追手に追われる女を匿う羽目になる。その名はナユーサ。その声は聞こえるが、姿は見えない。彼女の両親は…
 いきなり裸の美女が腕のなかに飛び込んでくるなどという、これまた年頃の小僧の妄想を刺激しまくるオープニング。ほんと、この人、短編の掴みが巧い。
冷たい灰色の神 / The Cold Gray God / Weird Tales1935.10
 雪舞う火星の極地リグアは、無法者の街だ。その中心街ラクラン通りを、優雅な足取りで歩く若い女。通りの男を値踏みしながら街をゆく女は、スミスに目を付けた。不審に思いながらも、彼女の屋敷へ誘われたスミスは…
 いい女に絡まれるとロクな事にならないと、いい加減学んでもよさそうなスミスだが、まあ仕方がないw 
イヴァラ 炎の美女 / Yvala / Weird Tales1936.2
 あり金を使い果たしたスミスとヤロールは、仕事にありついた。かつて木星の衛星の一つで遭難し、かろうじて助かった男がいる。そこで絶世の美女を見たという。誰も信じなかったが、別の男が同じ目にあった。奴隷商人のウィラード一味がこの話に興味を持ち…
 ジャングルの描写が、忌まわしいほどに見事。実体のない、またはおぼろな脅威が多いこの作品集の中で、珍しく肉体的な危険を感じさせるから、だろうか。また、最後のオチも、相棒ヤロールのしょうもなさを強調してる。なんでこんなのとツルんでるんだw
失われた楽園 / Lost Paradise / Weird Tales1936.7
 有象無象が行き交うニューヨークで、ヤロールは小男に目を付けた。最古の民族、セレス族だ。アジアの奥地に住み、何かの秘密を守り通している。見ていると、その小男は何者かに絡まれ、大事そうに抱えていた小包を奪われた。
 珍しく地球を舞台とした作品。高層ビルが立ち並ぶだけでなく、その間を数多の高架橋がつないでいる。ある意味、懐かしい未来だ。
生命の樹 / The Tree of Life / Weird Tales 1936.10
 パトロールに追われたスミスは、イラールの廃墟に逃げ込む。苛む渇きの中で、スミスは古代の井戸を思い出す。そこは神殿の庭園だったらしい。その時、薄暗がりの中ですすり泣く女の声を聞いた。「ねえ、わたしを生命の樹の影に連れていって」
 オカルトの定番、生命の樹(→Wikipedia)をネタにしたお話。男ってのは欲が絡むと思考能力の9割が蒸発する生き物で、そういう意味では樹木人間の描写は正確なのかもw
スターストーンの探索 / Quest of the Starstone / Weird Tales 1937.11
 赤毛の処女戦士ジレルは、甲冑の戦士たちを引き連れ、魔導士フランガのアジトに踏み込んだ。フランガはあわてて逃げ出すが、ジレルは見事スターストーンを手に入れる。なんとか逃げ延びたフランガはスターストーンを取り戻そうと…
 C・L・ムーアのもう一つの人気シリーズ、処女戦士ジレルとの共演作であり、またSFで最も有名な歌「地球の緑の丘」が登場する作品。ジレルさん、なかなか凶暴で迫力あります。
狼女 / Werewoman / Leaves Ⅱ 1938 Winter
 傷ついたスミスは、西方の岩塩荒地を目指し歩く。かつてここには広い町があったという。その豊かさは近隣の反感を買い、戦いで荒野になっただけでなく、土地に呪いまでかけられた、と。今では誰からも忘れられ、狼がときどき出没するとの噂が…
 幻想的な作品が多いこの作品集の中で、幻想的でありながらも五感に訴える描写の多い作品。風に乗って漂うかすかな匂い、喉を振るわす遠吠え、口からしたたるヨダレ、身を苛む飢え、そして地をかける足。そういう生き方もいいかな、と思ったり。
短調の歌 / Song in a Minor Key / Scienti-Snap 1940.2
 3頁の掌編。クローバーに覆われた丘の窪地に寝転ぶスミスが思い描くのは…

 金星は潤いに満ちた美男美女の星で、火星は無法者が行き交う乾いた荒野、そして木星の衛星はジャングル。こういった大らかな設定は、この時代ならでは。

 それはそれとして、小説としてみると、やはり書き出しの「ツカミ」の巧さが卓越している。読者の欲望のツボをキッチリと抑えて期待を膨らませ、また二重三重の謎を示して先を読みたい気分を煽る。にもかかわらず、語りは素直な時系列順で、一度読めば筋書きがちゃんと頭に入る親しみやすさは、この作家ならではだろう。そしてもちろん、魅力的なヒロインたちも。特にロングヘアーが好きな人にはたまらない。

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2018年1月 8日 (月)

秋本実「日本飛行船物語 航空界の特異な航跡を辿る」光人社NF文庫

…古代の「空飛ぶ船」にイメージの誕生から気球と飛行船の出現まで海外の先覚者たちの模索の跡を簡単に紹介したのち、軍用気球と軍用飛行船を中心として、わが国における気球と飛行船の歩みを日本の航空史探索の一環として辿って見ることにした。
  ――はじめに

アドバルーン(Ad-Ballon)は、アドバーテイスメント(Advertisement、広告)の頭文字のアド(ad)とバルーン(気球)を組み合わせた和製英語で、宣伝用の字幕などを吊るして空に掲げる繋留気球のことである。明治末期にわが国で考案されたという。
  ――コラム② アドバルーン

空を飛ぶ 鳥より早く 見えにけり 大崎野辺の 天の岩船
  ――第六章 日本軍用飛行船の歩み 国産飛行船の胎動

【どんな本?】

 大空を悠々と泳ぐ飛行船。ヒンデンブルグに代表されるツェッペリン型の大型硬式飛行船が有名だが、日本でも一時期は半硬式飛行船ツェッペリンNTが21世紀初頭の東京の空を遊弋していた。

 戦闘において、高地を占めるのは戦術の基本だ。高いところから見下ろせば敵陣の様子がわかるし、長距離砲撃の着弾地点も観測できる。そのためか、日本では19世紀末から、帝国陸海軍が軽航空機の開発・運用をリードした。

 西南戦争で陸海軍の共同で緊急に開発された偵察用気球に始まり、陸軍最後の飛行船となった雄飛号・海軍が開発した一五式飛行船から、終戦末期のあがきである風船爆弾まで、日本における軽航空機の歴史を辿る、貴重な著作。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2007年4月15日発行。文庫本で縦一段組み、本文約377頁に加え、あとがき3頁。8.5ポイント41字×18行×377頁=約278,226字、400字詰め原稿用紙で約696枚。文庫本としてはやや厚め。

 軍事物だけに文章は一見硬めだが、読んでみると意外とそうでもない。内容も、あまり技術的・軍事的に突っ込んだ話は出てこないので、素人でもついていける。なお、気球や飛行船の大きさ・重さ・速度などの諸元や、搭乗員の所属と名前など、資料的な内容も多いので、面倒だったら適当に読み飛ばそう。

【構成は?】

 原則として時系列順に話が進むので、素直に頭から読もう。

  • はじめに
  • 第一章 天翔ける船の神話と伝説
  • 第二章 空飛ぶ方法の模索
  • 第三章 幕末気球奇談
  • 第四章 日本気球事始
  • 第五章 日本軍用気球の歩み
    • 陸軍の偵察気球
    • 陸軍の防空気球
    • 海軍の偵察気球
  • 第六章 日本軍用飛行船の歩み
    • 国産飛行船の胎動
    • 陸軍の飛行船
    • 海軍の飛行船
  • 第七章 風船爆弾
  • あとがき/気球・飛行船発達略年表
  • コラム① 飛行船と気球
  • コラム② アドバルーン
  • コラム③ 飛行船による定期航空の計画
  • コラム④ 気球・飛行船関係部隊長一覧
  • コラム⑤ 海軍の飛行船と気球の名称と標識
  • コラム⑥ 第2回航空ページェント

【感想は?】

 飛行船が好きな人は、少し悲しくなる本。

 物語だと、飛行船は派手な雄姿を見せてくれる。「ダイナミック・フィギュア」の司令船や「オマル」のイャルテル号などだ。しかし、この本を読むと、否応なしに思い知らされるのだ。どうも飛行船はイマイチ使えない、と。

 新しい技術を切り開く過程では、様々な問題が起きる。今も使われている技術の先駆者たちは、それを一つ一つ乗り越えて、なんとかモノにしてきた。気球や飛行船も、それは同じだ。この本では、そういった先達たちの苦労と、短い栄光の日々を描いてゆく。

 第三章までは、気球と飛行船の歴史と、幕末までの日本での歴史を語る。日本での本格的な開発は、第四章からとなる。キッカケは、1877年の西南戦争(→Wikipedia)。

 田原坂を押さえられ熊本城が孤立した政府軍は、泥縄式に気球の開発を始める。無謀にも程があるが、「昼夜兼行で約二週間ほど」で試作品を作り上げたのは凄い。陸軍は気球が欲しいが、開発経験があるのは海軍だけ。そこで海軍に試作を頼んだというのも、当時は陸海軍の確執が弱かったことをうかがわせる。

 今なら熱気球にするんだろうが、当時は気嚢に石炭ガス(水素とメタン、→コトバンク)を入れていた。ったって、液体水素の発明は1896年で、当時はそんな便利なモンはない。

 じゃどうするのかと言うと、現地でガスを作るのだ。よって実戦で使うには、戦地までガス発生装置を持って行かなきゃいけない。浮かんでる姿は気楽そうに見える気球だが、地上には多くの機材と人員が必要で、それを考えると実用上の機動性は酷く悪い。

 このガスを作る苦労は以降も散々に祟る。以後は水素に替えたが、現地で水素を作ることに変わりはない。

 日露戦争の旅順攻略で使った記録も詳しく載っているが、運用部隊を現地まで運ぶのに酷く苦労している。そりゃ当時は荷駄だしなあ。ちなみに、ロシア軍も偵察用に気球を使っていたとか。テクノロジーの制約の中だと、ヒトが考える事は似たような形になるんだろう。

 やはり燃えやすい水素の取り扱いは難しいようで、以降、気球・飛行船とも何度もヒンデンブルグ号のように爆発炎上事故を起こしている。

 気嚢の扱いもデリケートで。当初はアルミニウム粉末交じりの塗料を使っていたが、伝導体だと火花が散って爆発炎上につながりやすい。また水に使ったりすると、気嚢の素材が硬くなったりして使い物にならなくなる。単に放置するだけでも、やっぱり経年劣化でオジャン。寿命が短いのだ。

 じゃ使ったら、というと、これも劣化する。1913年に陸軍が飛行船で調べてるんだが、「気嚢が縦の方向に縮小し、横方向に伸長することがわかった」「全長が短縮し、直径が増加する」。その結果、気嚢の容積は1割ほど増える。

 当時は絹の地に塗料を塗る方法で、素材の絹も色々と試した様子。なんにせよ、変形した分、素材は疲労して弱くなり、寿命が減ってしまう。加えて、水素ガスによる劣化もある。当時は硫酸を使って水素を作ってた。そのためか、出来上がった水素にも少し酸が混じる。この酸が気嚢を蝕んでゆく。

 使っても使わなくても、気嚢は寿命が縮むのだ。第一次世界大戦中の複葉機には今でも飛んでいるのがあるが、飛行船はない。気嚢で浮かぶ航空機は、どうしても寿命が短いらしい。

 おまけに格納庫はデカいのが要る。これを痛感するのが、1929年のグラーフ・ツェッペリン号来日時の様子。特に霞ケ浦の格納庫に収める場面では、海軍の苦労がヒシヒシと伝わってくる。

 ちなみに、乗った感想は、豪華で快適だが、タバコが吸えず風呂に入れないのが辛いとか。そりゃ水素を使ってるから火気厳禁だろうし、重量制限が厳しいから水も無駄遣いできないよなあ。

 やはり軽航空機の弱さを実感するのが、天気、特に風に左右される点。暴風により飛行を取りやめる場面が、何度も出てくる。逆に強風を利用した風船爆弾が最後に出てくるが、それは例外。人を載せて確実に運航するとなると、お天気に左右されるのは軍でも民間でも厳しい。

 おまけに、出てくる飛行船の大半がオーダーメイドで、量産品はほとんどない。数がはけないんじゃ量産効果も期待できず、どうしてもコストは嵩んでしまう。となると商用でも厳しくて…

 と、飛行船の限界を否応なしに思い知らされる、飛行船好きには少し切ない読後感が残る本だった。もっとも、それも、先人の苦労をつぶさに記録した著者の着眼点と丹念に記録を漁った誠実さによるものであり、その執念が結実した細かい描写は、飛行船好きにたまらない魅力だろう。

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2018年1月 5日 (金)

ジョン・ロペス「ネゴシエイター 人質救出への心理戦」柏書房 土屋晃・近藤隆文訳

「人は交渉人は話し上手でなくてはならないと思っている。(略)もっと重要なのは聞き上手であることだ」
  ――第二部 ビジネス 第三章 売り込み

目隠しや頭巾は人質犯の兵器庫にあるもっとも強力な武器のひとつだ。正体を守ってくれるのはもちろん、人質にあたえる心理的効果が大きい。(略)目が見えなければ、すり足でゆっくり歩かなくてはならず、最後には導いてくれる人質犯を頼るようになる。
  ――第二部 ビジネス 第四章 もっとも長い道のり

被害者はたいてい夜遅くに拉致される。そうすれば犯人はATMで二度、金を奪える。12時前と後の二回、一日の引きだし限度額いっぱいまで金をおろさせる。
  ――第二部 ビジネス 第四章 もっとも長い道のり

統計的に、人質案件が長引けば長引くほど、人質が生きて家に帰れる可能性は高くなる。
  ――第三部 降下地域 第六章 損の上塗り

たとえ彼(アルカーイダのザルカウィ)がアッラーやアルカーイダの名の下に人の首をはねていなくても、その邪悪な幻想を正当化する理由を見つけて実行に移していたはずだ。
  ――第四部 新しい波 第九章 最後の手段

交渉人が金額を提示する際には、数字がきれいにそろわないようにする配慮が必要になる。(略)42万5千ドルという数字は、人質の身内が必死にかき集め(略)たという感じがする。
  ――第四部 新しい波 最後の手段

政治とは、事態の本質から遠ざかる簡単な方法だ。
  ――第五部 不和 第十三章 ジャーの兵士

【どんな本?】

 ネゴシエイター。人質交渉人。フレデリック・フォーサイスの小説「ネゴシエイター」や、映画「交渉人 真下正義」などで有名な職業である。

 交渉人として活躍する著者は、主に身代金目当ての誘拐事件を担当した。その目的は、人質の身柄の安全を確保すること。ベネズエラで育った経歴を活かし、主に南米の事件を得意とするが、活動範囲は世界中に及ぶ。

 この本では、自らが務めた誘拐事件を紹介する中で、交渉人の存在意義と仕事の内容,誘拐事件の現状とその背景,犯人のパターンと手口,被害者や周囲の者の立場と反応,人質を安全かつ確実に取り戻すための適切な対応などを説いてゆく。

 緊張感あふれる誘拐事件の描写をリアリティたっぷりに描く、迫真のノンフィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Negotiator : My Life at the Heart of the Hostage Trade, by Ben Lopez, 2011。日本語版は2012年7月10日第1刷発行。なお、著者名は仮名。加えて、これは私の推測なんだが、おそらくプロの作家かライターが協力している。詳しくは後述。

 単行本ハードカバー縦一段組みで本文約350頁に加え、松坂健の解説「誘拐産業の『経営学』 知力の限りを尽くす交渉人の世界」8頁。9ポイント44字×18行×350頁=約277,200字、400字詰め原稿用紙で約693枚。文庫本なら少し厚めの一冊分。

【構成は?】

 内容はそれぞれの部ごとに独立しているが、人質交渉人の背景事情などは前の章に書いてあるので、できれば頭から順に読む方がいい。

  • 緒言
  • 身代金目的の誘拐事件の実相
  • 第一部 エンド・ゲーム
    • 第一章 身柄
  • 第二部 ビジネス
    • 第二章 ゴムのニワトリ
    • 第三章 売り込み
    • 第四章 もっとも長い道のり
  • 第三部 降下地域
    • 第五章 初動
    • 第六章 損の上塗り
    • 第七章 詐術
    • 第八章 シェパードの祈り
  • 第四部 新しい波
    • 第九章 最後の手段
    • 第十章 裸の王様
  • 第五部 不和
    • 第十一章 立てこもり
    • 第十二章 交渉人部屋
    • 第十三章 ジャーの兵士
    • 第十四章 突破口
    • 第十五章 長い議論
    • 第十六章 帰ってほしい
    • 第十七章 高値の標的
    • 第十八章 魔女の集会
  • 第六部 海賊たち
    • 第十九章 ザ・ウルフ
    • 第二十章 循環
  • 解説 松坂健

【感想は?】

 ノンフィクションだが、全編を通して「早く次を読みたい」という気にさせる本だ。

 先に「プロの作家かライターが協力している」と書いたのは、そのためだ。とにかく構成が巧い。誘拐事件は、私たちの野次馬根性を惹きつける。常に緊張感が漂い、ちょっとした変化が大きな悲劇を予感させる。「狼たちの午後」など映画がよく人質事件をネタにするのも、人質事件の面白さゆえだ。

 この本では、著者が担当した誘拐事件の進行を、ドキュメンタリー映画風に迫力たっぷりに描いてゆく。この描写が、読者の野次馬根性を刺激し、全体に高い緊張感をもたらしている。

 と同時に、その合間に挟む形で、ワイドショウのゲストの専門家が解説するような雰囲気で、より一般的な話を説明する。それは人質誘拐事件が起きる社会的な背景だったり、誘拐犯が使う小賢しい手口だったり、被害にあった家族に起きる事柄だったり。

 そしてもちろん、人質交渉人が駆使するテクニックや、その仕事の実態も。

 一般的な話がダラダラと続けば、専門的だが面白みのない本になる。これを進行中の事件と絡めて描くことで、物語としての面白さがグッと増した。こういう、読者を惹きつける工夫の巧みさが、プロの手によるものと私が考える根拠だ。

 おそらく、「カラシニコフ自伝」や「アメリカン・スナイパー」と似た方法で進めたんだろう。まずプロの書き手が著者の話を聞く。次に書き手が構成を考えて文章にする。出来上がった文章を著者がチェックし、間違いや不適切な表現があれば正す。専門的な内容を面白く伝えるには、最善の方法だろう。

 この本が紹介する舞台は、ブラジル・メキシコ・パキスタン・アフガニスタン・ロンドン・アルゼンチン・イタリアそしてソマリアの海賊など、世界各地に渡り、また犯人の背景や事件の実情も様々だ。

 これらの事件を通し、私たちの知らない様々な事柄が語られてゆく。最初に気付くのは、交渉人の意外な仕事ぶり。

身代金めあての誘拐の場合、レスポンス・コンサルタント――人質交渉人を指す業界用語――が誘拐犯と直接交渉をもつことは稀である。
  ――第一部 エンド・ゲーム 第一章 身柄

ネゴシエイターには、破るべからざる大切なふたつの黄金律がある。ひとつ、銃を使わないこと。ふたつ、自分自身で交換をおこなわないこと。
  ――第一部 エンド・ゲーム 第一章 身柄

 そう、交渉人は表に出ないのだ。被害者または実際に犯人と話す者のそばに寄り添い、様々なアドバイスをする、それだけ。気楽で無責任な、と思うかもしれない。が、読み進めれば、深く広い知識を持ち経験を積んだプロがどれほど頼もしいか、自然にのみこめてくる。

 先にあげた舞台は、治安の悪い地域が多い。「戦場の掟」の舞台イラクもそうだが、警察が貧弱または腐敗していて治安が悪いと、身代金目的の誘拐が「儲かるビジネス」になってしまう。そのため、交渉人の目的も、警察とは異なってくる。警察は犯人逮捕を望むが…

私は、逮捕には気をまわさない。唯一の目的は人質の無事の解放を確保することだ。
  ――第五部 不和 第十八章 魔女の集会

一般的に言って、コンサルタントが存在することによる有益で副次的な効果とは、身代金の支払い額が当初の要求に比べて著しく下がることにある。
  ――第二部 ビジネス 第二章 ゴムのニワトリ

 と、最優先は人質の安全。次に身代金を値切ること。まさしく被害者の立場に立った商売なわけだ。が、普通はこう考えるだろう。「値切ったら人質の命は危なくなるのでは?」

 違うんだなあ。これまた意外な事に、巧く値切ることが被害者の安全にもつながってくる。そのメカニズムは納得できるもので、とっても面白いんだが、是非これは皆さんの目で確かめていただきたい。

 当たり前だが、犯人は切り札である人質を握っている。この状態では、何もできることが無いように思える。これも意外なのだが、犯人のタイプと立場によっては、色々と交渉の余地はあるのだ。ただし、主に身代金目当ての誘拐の場合に限るんだけど。

 本格派の推理小説よろしく、小さく目立たぬ証拠から、犯人の性質や立場を見抜いてゆく過程は、とてもスリリングで意外性に富んでおり、読者を飽きさせない。

 などの交渉人の仕事を通じ、人質事件のニュースの見どころも分かってきて、野次馬としての目が冴えてくるのも嬉しい。加えて、私たちが世間で暮らす中で避けられない「交渉」のコツも見えてくるのが、ちょっとした拾い物。スリルとサスペンスに加え、約に立たない無駄知識満載でオタク心も満たされる充実した本だった。

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2018年1月 4日 (木)

森奈津子「姫百合たちの放課後」ハヤカワ文庫JA

「自慰道」と名づけられたそれは、柔道と共にわが国で生まれた競技として世界中に広まり、愛好者を増やし、オリンピックの正式種目に加えられるまでになったのである。
  ――花と指

あるときは人気絶頂のアイドル歌手、あるときは往年の美人女優、あおしてまたあるときは渋い二枚目俳優。して、その実体は……
  ――お面の告白

【どんな本?】

 暴走する欲望を厨二臭あふれる強引な設定で物語に仕立て上げ、SF・ポルノ・SMの垣根をあっさり蹴散らし踏み越える、森奈津子による傍若無人な百合SMポルノSFギャグ短編集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2004年1月に単行本で刊行。2008年8月25日、ハヤカワ文庫JAより「ひとりあそびの青春」を加え文庫化。縦一段組みで本文約270頁に加え、あとがき5頁+文庫版あとがき3頁。9ポイント39字×17行×270頁=約179,010字、400字詰め原稿用紙で約448枚。文庫本としては普通の厚さ。

 文章は読みやすい。内容は…まあ、アレだ。おバカな妄想が詰まった本なので、気楽に。ただし表紙がピンクの地にシライシユウコの可憐なイラストなので、オヂサンが通勤電車の中で読むには、ちと気恥ずかしいw いや中身は別の意味で恥ずかしいんだけどw

【収録作は?】

 / 以降は初出。

姫百合たちの放課後 / 雑誌フリーネ1995年6月創刊号
放課後。立花純子は、憧れの三年生の西園寺静香が奏でるピアノの調べに聞き入っていた。そこにやって来たのは、ボーイッシュで下級生に人気のある本郷レイ。二人が会話を交わすスキに、静香様に忍び寄るのは、三年の吉良美夜子。妙な趣味を持つと噂の…
森奈津子お得意の、様式美あふれる「お姉様に憧れる可憐な少女」な雰囲気で始まる開幕編。思いっきりなりきっている純子に、レイが入れるクールで鋭いツッコミが楽しい一編。にしても、純子をそう呼ぶかw 縄文式土器なんて発想が、どっから出てくるんだかw
姫百合日記 / 雑誌フリーネ1995?二号
 静香お姉様への想いはつのるばかりの純子。とはいえ、友人は友人。ということで、ここは乙女らしく交換日記を始めることに。
前作「姫百合たちの放課後」を受けて、交換日記の形で話は進む。日記の形なので、あまり直接的な描写はないが、それもまたアレで。純子ちゃん、いい根性してます。
放課後の生活指導 / 雑誌アニース2003年冬号
 中学教師の内田紀子が待つ生徒指導室に入ってきたのは、新庄貴恵。紀子が受け持つ三年一組の学級委員長だ。性格は明るく成績もいいためか、人望も厚い。そんな貴恵が打ち明けた悩みとは…
 女教師と女生徒ってキャスティングながら、そうきますかw 何かと手馴れていて準備のいい美羽ちゃん、どこで習ったんだw 最後まで教師としての気持ちを忘れない紀子先生、素敵ですw
花と指 / 雑誌アニース2001年夏号
 オナニーは自慰道として、オリンピックの正式種目となる。佐久間美麗は、二年ながら神奈川女子体育大学の主将だ。道場で練習に励む美麗を、熱く見つめる視線があった。碓井チヨ。美麗と同じ自慰道部二年で、テクニックはあるものの、成績はパッとせず…
 出だしから爆笑の作品。いいねえ、自慰道。この厨二感覚あふれる発想が大好きだ。こんなんテレビで中継したら、そりゃ視聴率うなぎのぼりだろうなあw にしても、森さん、よっぽど山口百恵が好きと見える。
2001年宇宙の足袋 / 雑誌アニース2002年夏号
 ベッドに座る折原係長いや路恵を、清水優香は押し倒す。前から優香は路恵に憧れていた。スラリと長い脚、フェミニンンなショートカット、そして雰囲気はクールながら、さり気なく部下を気遣う人柄。だが今は、地球を救うために…
 このタイトル、そして「地球を救う」。なんか凄い事が起こるのかと思ったら、やっぱり。こういう厨二ベタベタな妄想がやたら楽しい。いやあモモコちゃん、いい性格してますw 色々あるけど、つまり「愛は地球を救う」お話です。本当にそうなんだったら!
お面の告白 / アンソロジー ハンサムウーマン1998年7月
 北島由紀、芸能人専門のゴーストライター。インタビュウの録音を聞き、あたかも本人が書いたような文章に仕立てる仕事だ。この職についてはや五年、既に著作は七冊を数える。今回の仕事は女優の間宮京子、由紀も彼女の大ファンだ。ところが受け取った音源は…
 ゴーストライターと美人女優だから、当然…と思っていたら、お話はお思わぬ方向に。そうきたかー。百合ポルノながら、ほのかに切なさが漂う作品。ちなみに無能と不能なら、そりゃ怖いのは不能に決まってます。にしても、こういう編集者なら、ロクに校正もせずそのまま載せちゃいそうな気も…
1991年の生体実験 / 雑誌アニース2002年冬号
 かつて、不良少女の制服のスカート丈は長かった。だが1990年代において、スケバン・スタイルは絶滅し、変わって台頭したのはルーズ・ソックスにミニスカートのコギャル・ルックである。この革命の裏にあったのは…
 どう考えても湾岸戦争もソ連崩壊も関係ないんだが、ま、いっかw あったね、スケバン。今はコスプレのネタになっちゃってるのが、なんとも。意気揚々とお嬢様学校に乗り込むスケバン香坂真里奈、迎え撃つ生徒会長の早川絹絵&副会長の矢上虹子。
お姉さまは飛行機恐怖症 / アンソロジー カサブランカ帝国2000年7月
 両親の結婚により、義理の姉妹となった汀子と里奈。二人とも大学二年の19歳。互いに仲良くしたくとも、どうにもギクシャクしてしまう二人の仲を、なんとかしようと考えた両親は、二人での香港旅行をプレゼントする。だが飛行機に乗り込んだとたん、汀子が里奈に打ち明けたのは…
 飛行機tってのは、案外と残酷な乗り物で。私は船酔いならぬ飛行機酔いになった事がある。厳しい旅程で体力が落ちていたうえに、乱気流の多い航路でやたらと揺れたのがマズかった。船なら甲板に出て風に当たれるんだが、ジェット機じゃ窓を開けるわけにもいかず。
ひとりあそびの青春 / 雑誌 小説NON2005年3月号
 オナニーを覚えたのは、四歳か五歳のころだ。幼い頃、こんな自分はおかしいと思っていた。中学に入り、同級生に恋をした。スポーツ万能で頭脳明晰な美少女だ。なんとか彼女と親しくなりたいと考えていたが…
 オナニーにまつわる私小説風の作品。まあオナニーなんて自分ひとりで完結しちゃうんだから、私小説にするのが最も適してるのかも。誰だって妄想はするが、それを文章や絵にできるかどうかが、素人とクリエイターの境目なのかな、と考え込んだり。
あとがき+文庫版あとがき

 山口百恵・スケバンなんて風俗に加え、「エス」なんて言葉が、70年代~80年代の香りを醸し出し、そういう所もオヂサンには嬉しい作品集。私は「花と指」と「2001年宇宙の足袋」の突き抜けたお馬鹿さ加減が好きだなあ。

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2018年1月 2日 (火)

笈川博一「物語 エルサレムの歴史 旧約聖書以前からパレスチナ和平まで」中公新書

十字軍時代こそ、現在まで続くイスラム文明とキリスト教文明の対立の出発点と言えるのかもしれない。
  ――8 1099年から1187年まで 第二次イスラム時代

ベンイェフダはヘブライ語の辞書を作った。普通、辞書は使われている言葉を集めて編纂するものだが、ベンイェフダの場合は言葉そのものを作ったのだから大変だ。
  ――10 1516年から1917年まで オスマン・トルコ時代

(第三次中東)戦争の大勝利は、外国、特にアメリカにいるユダヤ人に大きな影響を与え、イスラエル訪問が流行になった。
  ――13 1967年から2010年まで イスラエル時代

その(第一次インティファーダの)間にパレスチナ人の平均収入は約30%低下したと言われる。
  ――13 1967年から2010年まで イスラエル時代

たしかな統計があるわけではないが、第一次インティファーダの数年間で殺されたパレスチナ人は約2000人だったと推定される。その半数はパレスチナ人同士の犠牲者だったらしい。罪名は常に“イスラエル協力者”であった。
  ――13 1967年から2010年まで イスラエル時代

【どんな本?】

 2017年12月5日。アメリカ合衆国トランプ大統領は、在イスラエルのアメリカ大使館を、今のテルアビブからエルサレムに移すと発表した。つまり名目共にエルサレムをイスラエルの首都と認めたのだ。このニュースは世界中で大騒ぎとなり、国連にまで持ち込まれる。

 他の国なら、首都をどこにしようが、その国の勝手であり、他国が云々する事はない。ではなぜエルサレムがこれほど騒がれるのか。エルサレムの何が特別なのか。

 本書では、紀元前4千年にまで遡り、聖書やコーランをはじめとする古文書はもちろん、碑文や発掘された土器なども参照し、エルサレムの起源から、その時々の住民の構成、周辺の国家の力関係などを含め、エルサレム及び周辺地域の歴史を説いてゆく。

 ユダヤ教にもキリスト教にもイスラム教にも疎い人のための、一般向け歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2010年7月25日発行。新書版ソフトカバー縦一段組みで本文約300頁に加え、あとがき3頁。9ポイント41字×16行×300頁=約196,800字、400字詰め原稿用紙で約492枚。文庫本なら普通の厚さの一冊分。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。旧約・新約ともに聖書を元にした話も多いが、知らなくても大きな問題はない。

 著者はヘブライ大学留学の経験もあり、現地の情勢に詳しい。聖書やコーランはあくまでも歴史文書として見ており、他の文書と突き合わせて整合性を確かめる姿勢だ。なので、そういう視点が気にならない人向け。また、パレスチナ問題に対しては、イスラエルの左派に近い立場だと感じた。

【構成は?】

 原則として時系列順に進むので、素直に頭から読もう。また、テーマがイスラエル建国に深く関わるので、半ばイスラエルの歴史みたいな部分もある。

  • 第Ⅰ部 諸王国の興亡
     史料としての聖書/地方都市エルサレム
    • 1 紀元前1000年まで
      呪詛文書に記されたエルサレム/アマルナ書簡/東西大国の狭間で/旧約の二つのエピソード/アブラハムのもう一人の息子/出エジプトとカナン征服
    • 2 紀元前1000年から925年まで ダビデ、ソロモンの統一王国時代
      理想の王ダビデ/ダビデ時代の実像/ダビデと契約の箱/ダビデからソロモンへ
    • 3 紀元前922年から720年まで 南北朝時代
      北のイスラエル王国、南のユダ王国/二王国の滅亡/バビロン捕囚とアイデンティティ/礼拝の変容
    • 4 紀元前539年から紀元後70年まで 第二神殿
      エルサレムへの帰還と神殿再建/アレクサンドロス大王の遠征とヘレニズムの浸透/対シリア戦争とローマによる占領/ヘロデ王によるエルサレム建設/イエスの誕生/新約聖書のクリスマス/エルサレム包囲とマサダの戦い
    • 5 70年から614年まで ローマ、ビザンチン時代
      ユピテル神殿建設から再び反乱へ/バル・コクバ反乱がもたらしたもの/キリスト教公認
    • 6 ササン朝ペルシャによる征服
    • コラム サマリア人とは誰か
  • 第Ⅱ部 イスラム興隆の中で
    • 7 638年から1099年まで 第一次イスラム時代
      イスラム教の誕生/ムハンマドの死後/二つのモスクの誕生
    • 8 1099年から1187年まで 第二次イスラム時代
      ヨーロッパ側の必然性/エルサレム王国の建設/キリスト教とイスラムとの確執
    • 9 1187年から1516年まで 第二次イスラム時代
      サラハディンの入城/第二次エルサレム王国
    • 10 1516年から1917年まで オスマン・トルコ時代
      歓迎されたオスマン・トルコ/救世主(メシア)と聖地/衰退と転機/ユダヤ民族主義/ドレフュス事件の波紋/第一次世界大戦/マクマホン書簡、バルフォア宣言、サイクス・ピコ協定
    • 11 1917年から19488年まで 英委任統治時代
      戦後処理の様相/委任統治の困難/第二次世界大戦
    • コラム 安息日に救急車は呼べるか
  • 第Ⅲ部 イスラエル建国ののち
    • 12 19477年から11967年まで ヨルダン王国時代
      テロと戦闘/独立宣言から戦争へ/アラブ人難民の波
    • 13 1967年から2010年まで イスラエル時代
      第三次中東戦争/イスラエルによるエルサレム併合/第三次中東戦争その後/併合後の市民たち/第四次中東戦争/エジプト和平 結果としてのレバノン戦争/第一次インティファーダ/インティファーダが引き起こしたもの/ロシア移民とエチオピア移民/湾岸戦争時のエルサレム/マドリード会議/オスロ合意/パレスチナ自治のつまづき/ラビン暗殺/第二次インティファーダとシャロン政権/「和平のためのロードマップ」の死/旧市街/併合された東エルサレム/混迷の将来
  • あとがき

【感想は?】

 最初の頁から、妄想マシーンに燃料を大量注入してくれる。というのも…

ヘブライ語には単数、双数、複数の三種類がある。(略)現在のヘブライ語でエルサレムは“イェルーシャライム”と双数になっており、これも意味不明だ。

 へ? 双数? とすると、もう一つ、現エルサレムと対をなす場所があるのか? 真エルサレムとか裏エルサレムとか闇エルサレムとか。 と思って地球上でエルサレムの裏側にある所を調べたら、南太平洋ド真ん中、ニュージーランド沖。そりゃそうだ。

 確かに紀元前4千年ごろから人は住んでいたようだが、特に戦略上の要所でも特産物があるわけでもない。何より不便だ。山の上で水源もなく土壌も貧しく、軍事的にも脆弱な地形にある。だもんで、周辺の王朝からは、あまり重要視されていなかった模様。

 とはいえ、エジプト・アッシリアなど大河のほとりに芽生えた大帝国からすると、隣の大国との境にあるため、それぞれの国の興隆と衰退の波により、アッチに呑まれたりコッチに食われたりの繰り返し。そのためか、ユダヤ人も各地に散らばってゆく。

 このあたりは、大国のはざまにある小国の悲哀が漂うものの、それでも民族としてのアイデンティティを保つ礎になったのが宗教ってあたり、現在の中東問題の根の深さを感じさせる。

 散らばったユダヤ人が集まって作った国がイスラエルだ。だもんで、今のイスラエルには様々な国から来た人がいる。中でもエピソード的に光ってるのがイエメン系の人。まず、本を読む時、「一定の角度に傾けて置いたり、逆さまから見たりした方が読みやすい人々がいた」。

 イエメンじゃ本が手に入りにくい。そこで、貴重な本を読む時は、多くの人が本を八方から囲んで読んだのだ。だもんで、横からのぞき込んだり向かい側から読んだりする人も出てくる。それが癖になっちゃったわけ。本読みの鑑だ。幾らでも好きなだけ本が読める現代日本の有難みをつくづく感じる。

 もう一つはイスラエル建国に伴い、イエメンからイスラエルに移住する際の話。五万人近い彼らを迎え入れるため、イスラエルは飛行機を手配する。それまで「非常に原始的な生活をしていたのに、迎えに来た飛行機にはまったく驚かなかった」。ニュースで知っていたから? 違います。

 なんと、聖書のイザヤ書に「鷲のように翼で上昇する」と記述があったから。

 はいいが、茶を入れるため機内で焚き火を始めたんで大騒ぎだそうな。また、「イスラエルの歌手にはイエメン出身者が多い」とか。ちょっと Youtube で漁ると、リズミカルでノリがよく踊りたくなる曲が多いなあ。今のイエメンは内戦で大変だけど、平和だったら優れたミュージシャンを輩出してたかも。

 今でこそムスリムとイスラエルの確執は激しいが、最初はそうでもなかったようで。二代目カリフのウマル(・イブン・ハッターブ、→Wikipedia)はイスラムの版図を広げ、当時はキリスト教徒の支配下にあったエルサレムも占領する。その際には略奪もせず改宗も強いなかった。ばかりか…

 聖墳墓協会を訪れた際、ちょうど祈りの時間となる。ウマルは敢えて教会の外に出て、階段の上で祈った。ウマル曰く、教会内で祈れば、「教会は接収され、モスクに替えられるだろう」。自らの絶大な影響力を知った上で、異教徒との共存を自らの行動で示したわけです。まあ、言い伝えだけど。

 などの歴史的経緯も面白いが、「第Ⅲ部 イスラエル建国ののち」では、現代のエルサレムの様子が、そこで暮らす市民の眼で描かれていて、なかなか貴重な情報だったり。どの国にも、喉元に刺さった棘みたいな事件はある。イスラエルだとディル・ヤシン事件(→Wikipedia)が、その一つ。

 (ディル・ヤシン事件の)犠牲者の人数をどう見るかはその人の政治信条を示す。
  ――12 19477年から11967年まで ヨルダン王国時代

 日本での南京虐殺事件みたいな位置づけなんだろう。意外なのが、エルサレムは広がりつつある事。近くの地方自治体を統合し、「(第三次中東戦争)戦前の三倍近い広さになった」。新エルサレムには官庁街や大学キャンパスを作り、首都としての役割をアピールしている。挑発的だなあ。

 加えて、エルサレムが「貧しい街」だってのも、意外。パレスチナ人地区のインフラ整備などをサボるため、そこに住む者も貧しい。ばかりでなく、ユダヤ教の「宗教的な人」も多く、彼らの所得も少ない。聖地とは言うものの、地域によっては見栄えが良くない所も多いんだろう。

 また、各国の大使館が揃うテルアビブとの比較も著者ならでは。曰く…

…テルアビブでは左派が強く和平賛成、エルサレムでは右派が強く和平反対という二つの町の性格をはっきりと浮き出させた。
  ――13 1967年から2010年まで イスラエル時代

 なんて点も考えると、アメリカ大使館の移転は、私が思っていたより大きな意味を持つんだろう、なんて考えを改めたり。

 古代はエジプトとアッシリアの狭間に、次いでペルシャとローマの狭間に、そしてヨーロッパとアラブの狭間にと、常に世界の大勢力に挟まれ、揺れ動いたエルサレム。その歴史も面白いが、イスラエル建国以降の事情もとてもエキサイティング。この時期にこの本に出合えたのは、とてもラッキーだった。

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