スキーと読書
私は本が好きだ。こんなブログをやってるし。
なんで好きかというと、楽しいからだ。そして、どんな趣味であれ、ヒトは自分の趣味に他人を引きずり込もうとする性質がある。このブログをやってる理由の一つが、それだ。私にとって、読書は趣味・道楽なのだ。
が、世の中には、本を読むのは苦行だと思っている人もいる。人により好みは違うから、本より好きな事がある人も多いだろう。そういう人が、本なんか読んでる暇はないと言うなら、納得できる。が、苦行だってのは、ちと違うんじゃないか。
私は昔、スキーをやっていた。スキーをやらない人は、スキーを苦行だと思うだろう。「なんだって寒い時に、もっと寒い所に行って、シンドイ運動なんかするんだ」と。
実際、スキーヤーがやってるのは、そういう事だ。しかも高い金を払い、夜中に重たい荷物を担いで歩き、または車で危険な雪道を長いドライブし、帰ってきたら泥だらけの車を洗う手間までかけて。苦労ばかりじゃないか。
でも、楽しいのだ。自分の腕に合った斜面を、一気に駆け降りる心地よさ。雪を跳ね飛ばして曲がる時の、「もしかして今の俺カッコいんじゃね?」的な気持ち。そして、日常では味わえない、風を切って進むスピード感。心のなかのケダモノを解放する、野生に帰った感覚。
そりゃ吹雪にあったり、ゲレンデが岩だらけだったり、逆にカチコチのアイスバーンだったりと、ハズレな時もある。でも、状態がいい時の気持ちよさは、そんなハズレを差し引いても、タップリとオツリが来る楽しさに溢れている。何より、スキーに行かなきゃ、スキーの楽しさを味わえないじゃないか。
そんな楽しさを味わうには、幾つかの条件がある。ゲレンデや天気の良しあしもある。が、その前に。何より、スキーヤーが、ある程度スキーの技術を身につけていなくちゃいけない。
滑れない人を急斜面に連れて行ったら、そりゃ苦行でしかない。寒いし、コケてばかりで体中痛いし、立ち上がるのにも筋力を使うし。それ以上に、下手なコケ方をすれば、怪我しかねない。
だから、スキーを始めるなら、まずスキー教室に入って、基本的なスキーの技術を身につけよう。そこで板やストックなど装備の選び方と使い方、怪我をしない転び方、滑り方、止まり方、曲がり方、そしてゲレンデのマナーなど、スキーを楽しむために必要な事を学び、知識と技術を身につけるのだ。
これは読書も似たようなモンで。
どんな本でも、それを楽しむためには、ある程度の「技能」が必要なのだ。
どんな技能がどの程度に必要かは、本によって違う。「補給戦」は、古今の有名な戦いをアチコチで引用しているので、歴史に疎いと、読みこなすのは難しい。逆に、「剣客商売」あたりは、テレビの時代劇の雰囲気をなんとなく知っていれば、充分に楽しめる。
ばかりでなく、もっと基本的な技能もある。例えば日本語を読む能力だ。これがないと、日本語で書かれた本が読めない。加えて、読解力も要る。
一言で読解力と言っても、その中身はよく分からない。どんな要素から成っていて、それぞれの能力はどうすれば育つのか。最近になって新井紀子教授の読解力テストが話題になった。これでやっと、「読解力」を構成する要素が見えてきた程度だ。
が、残念ながら、読解力を構成するそれぞれの能力を、どうすりゃ鍛えられるのかまでは、分かってない。
これがスキーと読書の大きな違いで。
スキーだと、必要な技能の洗い出しは終わってる。また、どういう順番で教えるべきかも、だいたいの方針が定まっている。ボーゲンの是非など、多少の議論はあるようだが。
いずれにせよ、「生徒がどの段階にあるのか、次に何を教えればいいのか」が、スキーはだいたい決まっているし、生徒がどの段階にいるのかも、見ればわかる。だから、教える側は、ガイドラインに沿い、生徒の習得具合に合わせ、段階を踏んで教えていけばいい。
が、読解力については、スキーほどハッキリしたガイドラインがない。だもんで、教える側も、「とりあえず本を読めや」と、かなり無茶な教え方をしたりする。スキーで言えば、「とりあえずゲレンデに来い」と言ってるようなもんだろう。
しかも、だ。
スキーなら、初心者をいきなり急斜面に置き去りにする、なんて真似は無茶だと、誰だって考える。まずは緩い斜面で板に慣れる所から始めるだろう。
が、これが本になると、いきなりグレッグ・イーガンの直交三部作を勧めるとか、無茶を強要する性格悪い奴がいたり。
スキーなら、ゲレンデのシンドさは、見ればだいたいわかる。急な斜面は上級者向きで、初心者は緩い斜面の方が楽しめるだろう。それぐらいは、素人でもスグに判断できる。別に斜面を見なくても、斜度(角度)って数字で、ハッキリと難しさがわかるし。
が、本だと、そうはいかない。
パッと見てわかるのは、本の厚さだ。が、これが大きな罠だったり。「補給戦」は薄いが、斜面で言えば頂上の急斜面だ。対して「木枯し紋次郎」の傑作選とかは、分厚いわりに、とっても読みやすくてスラスラ読めるのだ。
また、「難しさ」にも、いろいろある(右図)。
例えば白雪姫。日本語の本なら何の問題もないが、タガログ語で書かれていたら、私にはまず読めない。内容以前に、タガログ語の素養が必要で、私にはソレがないからだ。
「液晶の歴史」は一般向けの科学解説書だ。とても丁寧に書かれていて、一歩一歩順を踏んで説明している。だもんで、じっくり読めば、なんとか最後までついていける。ただし、途中で投げ出さない執念が必要だ。
と、こんな風に、同じ「難しい」でも、敷居が高い難しさと、内容の濃さゆえの難しさの、少なくとも二種類がある。他にも、最初は楽そうなのに、途中でいきなりレベルが上がっちゃう本とか。
などと、難しさや読みにくさの原因は色々ある。けど、斜面の角度のように、本の読みやすさも、ハッキリと数字で示せればいいのに、と思う。
もっとも、それをどうやって測るかってのが、難しい問題で。とりあえず考えたのが、「私が一時間に何文字読めたか」で測るとか。で、単位の名前は当然、「ちくわぶ」だ。イーガンは千ちくわぶ、「木枯し紋次郎」は4万ちくわぶ、とか。
なんて馬鹿なことを考えたが、そうやって測るためには、ストップウォッチ片手に読まにゃならん。それは面倒くさいぞ。加えて、SFは全般的に査定が緩くなりそうだ。でも、Kindle とかの電子媒体なら、読むのにかかった時間を勝手に測ってくれそうだなあ。いや私は Kindle 持ってないんだけど。
などと難しい関門は幾つもありそうだが、なんとか「本の読みやすさの尺度」みたいなモンが出来るといいなあ。あなた、どう思います?
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