アイラ・レヴィン「ローズマリーの赤ちゃん」ハヤカワ文庫NV 高橋泰邦訳
「ブラムフォードはドアの一つにR=G・ウッドハウスと書かれるとき、禍いの家から幸福の家に変わるでしょう」
――p32彼は役者だ。役者がいつ演技でなく真実なのか、誰に分かるだろうか?
――p120「スーツケースが一つで足りない人はね」「ありゃあ観光客で、旅行家じゃあない」
――p238
【どんな本?】
ミステリやサスペンスで人気のアメリカの作家アイラ・レヴィンによる、ベストセラー小説。発表後すぐに映画化され、これもまた大ヒットとなった。
ローズマリーはネブラスカ州オマハ出身の24歳。カトリックの一家で六人兄弟の末っ子。兄や姉はみな若いうちに結婚し、両親の近くに住んでいる。ローズマリーは単身ニューヨークに出てきて、売り出し中の役者で9歳上のガイ・ウッドハウスと結婚した。両親はガイがカトリックでないのを快く思っていない。
子供は欲しいと思っているが、ガイがその気にならない。新居を探している時、古風な古いブラムフォードの黒いアパートが見つる。親友の作家ハッチはブラムフォードの不吉ないわれを語るが、ぞっこん惚れこんだローズマリーの決心は固い。
隣のローマン&ミニー・キャスタベットは年配の夫婦だ。ミニーはいささか変わった嗜好の持ち主だが、明るく親し気に接してくれる。老夫妻は、若い娘のテリー・ジオノフリオを養っている。ローズマリーはテリーとも親しくなったが…
ヒタヒタと恐怖が忍び寄る、都会派ホラーの古典。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Rosemaryy's Baby, by Ira Levin, 1967。日本語版は1972年1月31日発行。私が読んだのは1994年7月31日の19刷。着実に版を重ねてるロングセラーですね。文庫本で縦一段組み、本文約308頁に加え訳者あとがき4頁。8ポイント43字×18行×308頁=約238,392字、400字詰め原稿用紙で約596枚。文庫本としては標準的な厚さ。
さすがに半世紀も前の作品なので、出てくる言葉は時代を感じさせるものの、文章そのものは意外と読みやすい。ここで感じる「古さ」ってのも変なモンで、ぐっと遡って18世紀あたりを舞台にすると、古さどころか逆に異境的な新鮮さを感じるから、奇妙な話だ。
内容もわかりやすいが、多少ニュアンスを読み取るべき所がある。
まず、ローズマリーがネブラスカのカトリック一家出身で六人兄弟という点。ニューヨークから見ればネブラスカは田舎だ。カトリックの六人兄弟って所から、家族は信心深い事がうかがえる。田舎の信心深い子だくさん家庭の出身、という所を押さえておこう。
ガイは33歳で売り出し中の役者。それなりに仕事は入ってきちゃいるし、評判も上がりつつあるが、ボチボチ一発当てないと、年齢的にヤバい。朗らかに振る舞っちゃいるが、内心はかなり焦っているはず。ローズマリーより九歳も上で、しかも演技のプロである役者なのも、巧みな設定だ。
加えて、ローマ教皇や「神は死んだ」など、キリスト教関係の要素。これはすぐ気が付くだろう。
【感想は?】
とっても底意地の悪い、妊娠小説。
正直、今の感覚だと、本題に入るまでが長い。じっくりと描かれたニューヨークでの新居での暮らしは、狭い日本家屋に住む身としちゃ、かなり羨ましかったり。いいねえ、新婚二人で四部屋なんて。
アパートのエレベーターにボーイがいるのも、当時のニューヨークならでは。昔はデパートにエレベーター・ガールがいたんだけど、今は手動開閉式なんて滅多にないし。
とかも、古い映画が好きな人は、良く知っているだろう。夫のガイが役者で、親友のハッチが作家なためか、レトロなエンタテイメントのネタがアチコチに仕込んである。
冒頭の引用はジーヴス・シリーズで有名なイギリスのユーモア作家P・G・ウッドハウス(→Wikipedia)だし、「ロンドン子の花売り娘を、公爵夫人に」はピグマリオン(→Wikipedia)だろう。いや私は映画マイ・フェア・レディ(→Wikipedia)しか知らないけど。
と、そんな出だしの明るさは、ローズマリーの妊娠で大きく変わる。
待ちに待った赤ちゃんとはいえ、はじめての妊娠で不安がいっぱい。頼りになる家族は近くにいないし、そもそも折り合いが悪い。親身になってくれるハッチは男なので、なにかと相談しづらい。
日頃の暮らしも、気持ちの持ち方がガラリと変わる。ちょっとした家事や街を歩くのも、おなかの赤ちゃんの安全のため、色々と気を遣う。慣れない変わった食べ物も、体にいいからと聞いては色々と試す。そんな食べ物の好みも変わったり戻ったり。当然、体の具合も今までとは違い…
住みかが変わり、日頃から付き合う人も変わった。新居のご近所は親切にしてくれるものの、付き合いが浅い上に歳も離れており、なによりどこか正体が捉えどころがなく、得体のしれない習慣も多い。
と、はじめての妊娠で不安いっぱいなローズマリーの気持ちが、ひしひしと伝わってくる。
夫のガイの挙動も、役者なんて不安定な仕事のせいのようにも思えるし、何か裏があるような気もしてくる。隣のキャスタベット夫妻、特にミニーはやたらと押しつけがましいのかもしれないし、単に親切な世話焼き婆さんなのかもしれない。
中でも私が最もゾクッときたのは、体調がコロリと変わった時のローズマリーが、最初に何を考えたか。これはもう、「うおおっ!やられた!」と完全に脱帽。
ほのめかされる予兆、ローズマリーの周囲で起きる様々な出来事、そしてハッチの不吉な予言。誰が信じられて誰が信じられないのか。初めての妊娠で安定になっているローズマリーの思い過ごしなのか、ローズマリーの知らない所で何かが進んでいるのか。
国際色豊かなニューヨーク、不規則な役者の暮らし、そして若い妊婦の不安な気持ちをブレンドし、アアチコチに巧みな伏線をはりつつ、驚愕の終盤へとなだれ込む、現代ホラーの古典。いやホント、改めて読み直すと、伏線が実に見事なんだ。
【関連記事】
| 固定リンク
« バーバラ・W・タックマン「愚行の世界史 トロイアからヴェトナムまで」朝日新聞社 大社淑子訳 3 | トップページ | ハーレー,デネット,アダムズJr.「ヒトはなぜ笑うのか ユーモアが存在する理由」勁草書房 片岡宏仁訳 »
「書評:フィクション」カテゴリの記事
- ドナルド・E・ウェストレイク「さらば、シェヘラザード」国書刊行会 矢口誠訳(2020.10.29)
- 上田岳弘「ニムロッド」講談社(2020.08.16)
- イタロ・カルヴィーノ「最後に鴉がやってくる」国書刊行会 関口英子訳(2019.12.06)
- ウィリアム・ギャディス「JR」国書刊行会 木原善彦訳(2019.10.14)
- 高木彬光「成吉思汗の秘密」ハルキ文庫(2019.06.19)
コメント