ハーレー,デネット,アダムズJr.「ヒトはなぜ笑うのか ユーモアが存在する理由」勁草書房 片岡宏仁訳
本書が示そうと試みるのは、ぼくらのご先祖たちが無制限の思考を備えるようになったとき生じた計算論的な問題からユーモアは進化してきたということだ。
――序文ぼくらは、この世界に意味をなしてもらいたがる。
――第六章 情動と計算無脊椎動物の単純きわまりない神経系から、ぼくらの立派な器官まで、あらゆる脳は予測生成機だ。
――第七章 ユーモアをこなせる心
【どんな本?】
人間は笑う。そして、わざと笑いを創り出す。ジョーク、コント、漫才。ギャグ漫画、コメディ映画。身内の馬鹿話、駄洒落。どれも楽しい。それは誰でも知っている。
だが。なぜユーモアは楽しいんだろう? どんな時に笑いが起きるんだろう? ジョークやギャグで笑う時、私たちの心の中では、何が起きているんだろう? 全てのジョークやギャグに共通する性質はあるんだろうか? そして、コンピュータはユーモアを獲得できるんだろうか?
昔から、ヒトは笑いに関し、色々と考え分析してきた。どんな性質を持っているか。どんなメカニズムで笑いが起きるのか。どんな条件を満たす必要があるのか。様々な人が様々な説を掲げた。しかし、今のところ、全てのユーモアやギャグを説明しうる説は見つかっていない。
本書では、それらの笑いに関する過去の説を紹介した上で、斬新かつ大胆な仮説を示す。
ユーモアを心地よく感じる性質は、ヒトにとって必要不可欠な機能である。その目的は、ヒトの脳が持つ優れた処理能力を維持する事だ、と。
ばかりでなく、笑い研究がもたらした成果も、多く紹介する。その代表は、サンプルとして大量に収録したジョークだ。
認知科学的な方法論で笑いを分析する真面目な本でありながら、同時にお笑い道の基礎を学べる、楽しい思想書。
なお、著者は以下の三人。認知科学者・哲学者・心理学者の異色トリオだ。
- マシュー・ハーレー:計算機科学・認知科学者
- ダニエル・C・デネット:哲学者
- レジナルド・B・アダムズJr.:心理学者
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Inside Jokes : Using Humor to Reverse-Engineer the Mind, by Mathew M. Hureley & Daniel C. Dennet & Reginald B. Adams Jr. , 2011。日本語版は2015年2月20日第1版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約480頁に加え、訳者あとがき11頁。9ポイント47字×19行×480頁=約428,640字、400字詰め原稿用紙で約1,072枚。文庫本なら上下巻ぐらいの大容量。
文章はやや硬い。内容も、真面目な部分は相当に難しい。ある程度、AI の基礎を知っている方がいい。それも、今流行りのディープラーニングではなく、それ以前のマーヴィン・ミンスキーなどが主導していた頃の諸理論だ。
もっとも、そういった小難しい所はバッサリ読み飛ばし、わかる所とジョークだけを拾い読みしても、充分に楽しめる。
【構成は?】
原則として前の章を基礎として次の章を組み立てる形なので、なるべく頭から読もう。
- 日本語版のための序文/序文/凡例
- 第一章 導入
- 第二章 ユーモアはなんのためにある?
- 第三章 ユーモアの現象学
- 1 対象または出来事の属性としてのユーモア
- 2 デュシャンヌの笑い
- 3 ユーモアの体系的な言い表しがたさ
- 4 「ワハハ 可笑しい」と「フム 可笑しい」
- 5 ユーモアの知識相対性
- 6 男女の事情
- 第四章 ユーモア理論の学説略史
- 1 生物学的理論
- 2 遊戯理論
- 3 優位理論
- 4 解放理論
- 5 不一致と不一致解決理論
- 6 驚き理論
- 7 ベルクソンの機械的ユーモア理論
- 第五章 認知的・進化論的ユーモア理論のための20の問い
- 第六章 情動と計算
- 1 笑いのツボを探す
- 2 論理か情動のどちらかがぼくらの脳を組織しているんだろうか?
- 3 情動
- 4 情動の合理性
- 5 情動の非合理性
- 6 情動的アルゴリズム
- 7 若干の含意
- 第七章 ユーモアをこなせる心
- 1 すばやい思考 頓智の費用・便益
- 2 メンタルスペース構築
- 3 活発な信念
- 4 認知的な警戒とコミットメント
- 5 衝突、そして解決
- 第八章 ユーモアとおかしみ
- 1 メンタルスペースの汚染
- 2 認知的情動のなかのおかしみ ミクロダイナミックス
- 3 報酬と首尾よくいった汚れ仕事
- 4 「笑いどころをつかむ」 基本ユーモアをスローモーションでみる
- 5 干渉する情動
- 第九章 高階ユーモア
- 1 志向的構え
- 2 一人称と三人称のちがい
- 3 擬人化と人間中心主義
- 4 志向的構えジョーク
- 第一〇章 反論を考える
- 1 反証可能性
- 2 認識的な決定不可能性
- 3 見かけ上の反例
- 4 他モデルを簡潔に検討
- 5 グレアム・リッチーの五つの問い
- 第一一章 周辺例 非ジョーク、ダメなジョーク、近似的ユーモア
- 1 知識相対性
- 2 強度の尺度
- 3 境界例
- 4 機知と関連現象
- 5 予想の操作に関するヒューロンの説
- 第一二章 それにしてもなんで笑うんだろう?
- 1 コミュニケーションとしての笑い
- 2 ユーモアと笑いの共起
- 3 コメディという芸術
- 4 文学における喜劇(と悲劇)
- 5 人を癒すユーモア
- 第一三章 おあとがよろしいようで
- 1 「20の問い」への回答
- 2 ユーモアのセンスをもったロボットはつくれるだろうか?
- 終章
- 注/訳者あとがき/参考文献/事項索引/人名索引
なお、巻末の「注」は、*の原注と★の訳注があるので注意。
【感想は?】
なぜか脳内で「笑点のテーマ」が鳴り響いて困った。
と書くとおかしな本のようだし、実際にたくさんのジョークを載せていて、笑える所も多い。が、基本的には「笑う時に私たちの脳内で何が起きているか」を、ごく真面目に分析した本だ。
真面目に考えると、笑いは難しい。一言で笑いと言っても、いろいろな種類があるし、この本でもダジャレ(地口)・変顔・戯画(デフォルメ)からお付き合いでの笑い、メシウマ、足の裏をコチョコチョくすぐるのまで、考えられる限りの「笑い」を挙げている。
こういった多くの種類の「笑い」を全て説明できる仮説を、著者たちは目指しているし、それは成功しているように私は思う。
なんといっても、これで「笑点のテーマ」のおかしみも説明できちゃうのが凄い。
これは終盤に入ってからなんだが、笑いのツボと、心地よい音楽のツボには、ちょっとした共通点があるのだ。童謡は単純な曲が多く、大人はもちっと複雑な音楽を好む。笑いもそうで、成長するにつれ、より複雑な笑いが発達してくる。
とまれ、それが「おかしみ」になるか、「斬新さ」になるかは、かなり微妙な線なんだけど。
このあたりは、認知心理学にかなり踏み込んでて、かなり慎重に読み進める必要があるんだが、それだけの価値はある。是非とも、落ち着いて、何度も繰り返して読もう。ややこしい理屈は出てくるが、じっくり読めば、だいたい理解できる。
といった分析に留まらず、更に大胆な一歩を踏み出しているのもエキサイティング。「笑う能力は、ヒトにとって、何の役に立つんだろう?」と。進化の過程で発達するのは、生存競争に役立つ機能だ。では、笑いは、人類百万年の野生の生存競争で、どう役に立つのか。
加えて、同じジョークでも、笑う人と怒る人がいる。シャルリ・エブド襲撃事件(→Wikipedia)がその典型だ。ブラック・ジョークやシモネタなど、ネタと人の相性によって「不謹慎だ」と感じたり、逆におかしさが増したり。このメカニズムの説明も、なかなか巧いと思う。
などと主張する説は大胆ながら、その姿勢は実証的かつ科学的なのに、好感を持ってしまう。なんたって、末尾の文章がこれだ。
このモデルで可笑しいと予測されるのに明らかに可笑しくないものや、ちゃんと可笑しいのにモデルでつかめないものを見つけ出してほしい。ぼくらは、理論がこの挑戦に耐えられるかどうかをみたいと切望している。
反例を探してみてくれ、と言ってるわけだ。こういう姿勢が、従来の哲学者や心理学者と大きく違ってて、誠実さを感じる。
とまれ、注が後ろにあって、しかも原注と訳注が分かれているのは、ちと辛い。
というのも、かなり面白いネタが注に入っているから。例えば、やたらダジャレを飛ばす人がいるでしょ。その大半はしょうもないオヤジギャグばかりの疲れる人なんだけど、たまにキレのあるギャグをかます人がいる。その違いは何なのか。いや、これの解もしょうもないオチなんだけがw
そんな風に、とっても真面目で、かつ小難しい理屈が詰まった本ながら、アチコチにオツムの凝りをほぐす楽しいネタを仕込み、読者を飽きさせない工夫をしてるのも嬉しい。
ちゃんと読むと、お笑い芸人が変な格好をしたり、舞台で小道具を使ったり、それぞれにキャラを作ったりする理由も見えてきたり。だけでなく、ジョークを巧く語るコツや、ナンパの際のギャグの効用など、下世話な意味での使い道も、注意深く読めば気がつくだろう。
特に嬉しいのが、多くのジョークを収録していること。私が気に入ったのは、これ。
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ところであなた、テレビを観ていて、リモコンの早送りボタンを押したことはあります?
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