バーバラ・W・タックマン「愚行の世界史 トロイアからヴェトナムまで」朝日新聞社 大社淑子訳 1
愚行は権力の落とし子だ
――一章 愚の行進 国益に反する政策の追及
【どんな本?】
国を治める者が、国の害にしかならない決定を下した例は、歴史上いくらでもある。それらは、たいてい次の四つの要因を含んでいる。
- 暴政または圧政
- 過度の野心
- 無能または堕落
- 愚行または頑迷
いずれも困ったことだが、ここでは「4.愚行または頑迷」に絞ろう。加えて、現代の民主主義社会の教訓とするため、次の三つの制約を加えよう。
- 「今思えば愚かだった」ではなく、当時の基準でも愚かだとわかるもの
- 他にも取りうる可能な選択肢があったこと
- 独裁者など個人の決定ではなく、集団によるもの
これらの基準により、著者は四つの例を選んだ。
- ギリシア軍の木馬を城壁内に引き入れたトロイア
- プロテスタントの分離を招いたルネサンス時代のローマ法王たち
- アメリカ合衆国を独立戦争に追いやった18世紀の英国政府
- ヴェトナム戦争にはまり込んだ20世紀のアメリカ合衆国政府
なぜ権力者たちは愚かな決定を下すのか。そして、愚かだと分かっていながら、なぜその決定にしがみつくのか。「三人いれば文殊の知恵」と言うが、議会や内閣などの集団が愚かな判断を下すこともある。そこにはどんな力が働いているのか。そして、私たちは、歴史からどんな教訓を学べるのか。
「八月の砲声」で評判の高い歴史学者のバーバラ・W・タックマンが、縦横無尽に資料を駆使して、愚行の原因と過程そしてメカニズムを暴き出す、一般向けの歴史解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The March of Folly : From Troy to Vietnam, by Barbara W. Tuchman, 1984。日本語版は1987年12月20日第一刷発行。単行本ハードカバー縦二段組みで本文訳427頁に加え、訳者あとがき4頁。8ポイント26字×22行×2段×427頁=約488,488字、400字詰め原稿用紙で約1,222枚。今は中公文庫から文庫本が上下巻で出ている。上下巻でも厚めの部類だろう。
文章は比較的にこなれている。ただ、内容はちとシンドかった。というのも、三章と四章は西洋史の知識が必要なため。それぞれルネサンス期のイタリア・18世紀後半のイギリスが舞台だ。そのため、知らない人名や事件が次々と出てきて、ちと辛かった。
【構成は?】
一章が全体の紹介、二章が開幕編、三章~五章で具体例を細かく見ていく。一章を最初に読めば、後は拾い読みしてもいいだろう。ちなみに一章には大日本帝国の対米開戦も出てきます。
- 謝辞
- 一章 愚の行進 国益に反する政策の追及
- 二章 愚行の原型 トロイア人、木馬を城壁内に引き入れる
- 三章 法王庁の堕落 ルネサンス時代の法王たち、プロテスタントの分離を招く(1470-1530)
- 1 寺院のなかの殺人 シクストゥス四世(1471-1484)
- 2 異教徒の宿主 インノケンティウス八世(1484-1493)
- 3 悪行 アレクサンデル六世(1492-1503)
- 4 戦士 ユリウス二世(1503-1513)
- 5 プロテスタントの勃興 レオ十世(1513-1521)
- 6 ローマの略奪 クレメンス七世(1523-1534)
- 四章 大英帝国の虚栄 英国、アメリカを失う
- 1 与党と野党(1763-1765)
- 2 「行使できないとわかっている権利を主張して」(1765)
- 3 満帆の愚行(1766-1772)
- 4 「レハベアムを思い出せ!」(1772-1775)
- 5 「…病気だ、精神の錯乱だ」(1775-1783)
- 五章 ヴェトナム戦争 アメリカはヴェトナムで自己背信をおかす
- 1 胚子(1945-1946)
- 2 自己催眠(1946-1954)
- 3 保護政権を作る(1954-1960)
- 4 「失敗と縁組みして」(1960-1963)
- 5 大統領の戦争(1964-1968)
- 6 離脱(1969-1973)
- エピローグ 「船尾の灯」
- 訳者あとがき/索引
【感想は?】
歴史とはいいものだ。特に他国の歴史は。
たいていの人間は、自分の事となると頭に血が上りやすく、落ち着いて論理的に考えられなくなる。いや自分に限らず、家族や親しい友人に関わる事でも、感情的になりやすい。少なくとも私はそうだ。
この傾向は自分に近いほど強く、遠いほど弱い。自分の勤め先や出身校の話には強く興味を惹かれ、名も知らぬ外国のニュースは「フーン」で済ます。地理的な距離だけでなく、時間も影響する。ワイドショウが取り上げるのは今日か昨日の事件で、大正時代のネタは滅多に出てこない。
そして、人間は間違いや欠点を指摘されるのは嫌いだ。だから自分や家族を悪く言われるとムッとする。でも大昔の異国の者の悪口なら、「へえ、そういう人なんだ」で済ます。名前すら知らない人の事なら、なおさらだ。
この本には、悪口が詰まっている。
木馬を城壁内に引き入れ自滅したトロイア人、教会を腐敗させプロテスタントの勃興を招いたルネサンス期のローマ法王たち、モトの取れない税金を取ろうとして植民地アメリカを失った18世紀の英国政府、そして無駄な血と金をヴェトナムに注ぎ込んだ20世紀のアメリカ合衆国。
いずれもパターンは似ている。まず最初の一歩を間違った方向に踏み出す。それが巧く行かないと、さっさとひき返せばいいのに、敢えてさらに踏み込む。何回か同じことを繰り返し、まちがいの証拠が積み上がってるのに、頑として現実を認めようとせず、無駄に傷口を広げてゆく。
これが自分の事だったら、落ち着いて読めないだろう。でも、昔の他人の話だから、「うんうん、馬鹿な事やったね」と鼻で笑って読める。おまけに、登場人物は、国家を動かす権力者ばかり。ただの貧乏人の私には関係ないね。
…と思ってたら、ときおり挟まれる警句が、特大ブーメランとなって私に返ってきた。
【一章 愚の行進】
国王、軍人階級、地主階級、産業資本家、大実業家たちにとっては、利益をもたらす戦争だけが権力の座にとどまりうる唯一の方法だった。
――一章 愚の行進
二章以降で、個々の愚行を細かく見ていく。対して一章では、「損するとわかっている政策を国が盗った例」を、幾つかの例を挙げ大雑把に見る形だ。
中でも興味深く読めたのは二つ。第一次世界大戦のドイツの無制限潜水艦戦(→Wikipedia)と、大日本帝国の真珠湾攻撃。いずれもアメリカの参戦を促し、国を破滅へと導いた。著者はその原因を「支配の夢、壮大な自負、貪欲」としている。四つの要因の中では「2.過度の野心」だろうか。
などと書くと、まるで大日本帝国は国家として統一した軍事・外交政策があるように思えるけど、実態はもっとお粗末なのが情けない。軍は前線司令官の暴走を止められないし、国家としても外務省と陸軍と海軍の方針(というより思惑)が違ってたり。
逆に賢い例も一つだけ載ってる。紀元前6世紀のアテナイのソロン(→Wikipedia)だ。混乱したアテナイで執政官となったソロン、奴隷解放・選挙権の拡大・通貨改革・度量衡の統一に加え法を定めた。要は政治改革ですね。加えて評議会に今後10年改革を維持するよう誓わせた後…
なんと、船を買って旅に出る。つまりはトンズラだ。無責任なようだが、国にいれば改革に文句を言われるし、法を元に戻せとの圧力もかかる。居なけりゃ文句も言えまい? その分、権力者としての美味しい想いもできないけど。
が、ここまで無欲で大胆な真似ができる人は滅多にいない。アシモフじゃないけど「いっそAIに政治を任せちゃおう」なんて思いたくなる例が、この後に延々と続くので覚悟しよう。
そんなわけで、続きは次の記事で。
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