ハーラン・エリスン「ヒトラーの描いた薔薇」ハヤカワ文庫SF 伊藤典夫他訳
「実に単純明快なんだ。鉄のかたまりは誤りをおかす人間より十中八九はすぐれているんだ」
――ロボット外科医「言うのは簡単なんだ、実際にそれが自分の身に起こるまでは」
――バシリスク「世の中の人の大部分が幻想を信じこんでしまったら、そう、そのときにはっそれはもう現実なのね」
――ヒトラーの描いた薔薇「われわれは忘れるために夢を見るのだと思います。そしてそれはなかなかうまくいきません」
――睡眠時の夢の効用
【どんな本?】
アメリカSF界の暴れん坊、ハーラン・エリスン Harlan Ellison の作品を集めた、日本独自の短編集。
SFとは言っても、小難しい理屈はほとんど出てこず、仕掛けとしては悪魔や天国や民間伝承が多いので、むしろ奇想小説と言うべきかも。そのかわり、現代アメリカ社会を痛烈に皮肉る社会批評や、過激な暴力描写が売り物で、またオチを放り投げているような作品もある。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2017年4月25日発行。文庫本で縦一段組み、本文約350頁に加え、大野万紀の解説が豪華15頁。9ポイント40字×17行×350頁=約238,000字、400字詰め原稿用紙で約595枚。文庫本としては標準的な厚さ。
文章はこなれている。ただ、エリスンの芸風として、俗語や口汚い言葉がよく出てくるので、好みは別れるかも。SFとしても、あまり難しい仕掛けは出てこないので、理科が苦手な人でも大丈夫。
【収録作は?】
それぞれ 作品名 / 原題 / 初出 / 訳者 の順。
- ロボット外科医 / Wanted in Surgery / IF 1657年8月号 / 小尾芙佐訳
- 医工(フィメック)、医療ロボット。診断は正確で、手術の腕も確か。医工の登場で医学界には大きな衝撃が走る。人間の医師の地位は下がる一方で、難しい手術はみな医工に任される。外科医のスチュアート・バーグマンは失意に暮れ…
- ディープ・ラーニングを応用した AI が大流行の今こそホットな作品。ちなみにエキスパート・システムを使った MYCIN(→Wikipedia) は1970年代初期なので、時代を先取りした作品と言える。ちょっと調べたら、既にダヴィンチ(→News Picks)をはじめ、様々な医療ロボットが活躍しているとか。もっとも、今はまだ「道具」って位置づけだけど。
- 恐怖の夜 / The Night of Delicate Terrors / A Chicago Weekly 1961年4月8日 / 伊藤典夫訳
- 車を走らせるフッカー一家。南部ジョージア州メーコンから、北部イリノイ州シカゴへ。そこで秘密会議が開かれる。途中、吹雪に捕まったが、ここケンタッキー州では黒人が泊まれる宿はめったに見つからない。いや宿どころか、食事すら…
- SFじゃない。黒人の権利を求める公民権運動(→Wikipedia)が高まり始めた1960年代の作品。当時は差別が合法だったんだよなあ。北爆などベトナム戦争では評判の芳しくないジョンソン大統領だが、公民権法では優れた手腕を発揮してます。
- 苦痛神 / Paingod / ファンタスティック1964年6月号 / 伊藤典夫訳
- トレンテは苦痛神だ。エトス族がそう定めた。トレンテ以前にも苦痛神に選ばれた者はいた。苦痛神は、無限に近い寿命を持つ種族から選ばれる。はるかな昔から、宇宙中の生き物に、容赦なく苦しみを与える。それが苦痛神の仕事だ。勤勉に仕事に励むトレンテだったが…
- 宇宙の生きとし生けるもの全てに、命じられるまま機械的に苦しみを振りまく神。私は「服従の心理」で描かれたアイヒマン実験(→Wikipedia)を思い浮かべた。
- 死人の眼から消えた銀貨 / Pennies, Off A Dead Man's Eyes / ギャラクシー1969年11月号 / 伊藤典夫訳
- ジェッド・バークマンが82歳で天に召された。貧しいながらも、最後まで誇り高く歩み続けた男。おれ同様、ジェッドに拾われた仲間も2~3人いる。12年前ぶりだ。葬儀が行われるペンテコスト教会には、黒人が集まっている。
- 「恐怖の夜」同様に、人種差別を題材にした作品。1963年のバーミングハム黒人教会爆破事件(→Stdio Be)に触発されたのかな? が、この作品は、更にヒネリを利かせている。一見、わかりにくいって点じゃ、在日朝鮮人問題と共通点があるかも。
- バシリスク / Basilisk / F&SF 1972年8月号 / 深町眞理子訳
- 野戦パトロールから帰る途中、ヴァーノン・レスティング兵長は罠を踏み抜いてしまう。尖らせた先端に毒を塗った竹。気が付いた時、レスティングは敵のアジトにいて、片足を失っていた。敵はレスティングを拷問にかけ…
- 時代的に、ヴァーノンがいた戦場は、ベトナムだろう。米軍は将兵を大切にするって話だが、民間人の感情はそうでもないらしい。最近も、トランプ大統領が「私は捕虜にならなかった人が好きだ」なんて暴言を吐いたり(→産経ニュース)。もっとも、この辺は日本の方が酷いんだよなあ。
- 血を流す石像 / Bleeding Stones / Vertex: The Magazine of Science Fiction 1973年4月号 / 伊藤典夫訳
- ニューヨーク。聖パトリック大聖堂(→Wikipedia)を、四万人の群衆が取りまいている。ジーザス・ピープル(→Wikipedia)だ。正面の扉から、枢機卿が現れた。群衆は喜びに満ちる。その時、天を指し示す枢機卿の指先に…
- ジーザス・ムーブメントなんてあったのか。知らなかった。暴れん坊エリスンに相応しく、筆で鬱憤を晴らしまくる作品。今ならCGでド迫力の映像を創れるだろうなあ。
- 冷たい友達 / Cold Friend / ギャラクシー1973年10月号 / 小尾芙佐訳
- ここはニュー・ハンプシャーのハノーヴァ。ぼくは悪性リンパ種で死んだ…はずだ。が、病院のベッドで目が覚めた。病院には誰もいない。病院だけじゃない。街全体が空っぽだ。ぼくはユージン・ハリスン、郵便局員、独身。
- 誰もいない街に、たった一人で生き残った男。だと思っていたが…。まあ、アレだ、モテない男には、グサグサと突き刺さる作品。どうせ、どうせ…
- クロウトウン / Croatoan / F&SF 1975年5月号 / 伊藤典夫訳
- 掻爬のあと、キャロルは大変な勢いで怒り出す。「あの子を見つけてきて」。いや見つけてこいったって、もうトイレに流しちまったし。仕方なく、マンホールの蓋をあけて下へと降りてゆく。意外と下水道は不快じゃなかった。
- 前の「冷たい友達」とは対照的に、リア充だがしょうもない男を主人公とした作品。下水道に潜る場面では、つい「ざまあ」とか思ったり。はい、ひがんでます。ニューヨークの地下世界を舞台とした、幻想的な作品。
- 解消日 / Shatterday / ギャラクシー1975年9月号 / 伊藤典夫訳
- バーで待ちぼうけを食らったピーター・ノヴィンズは、電話をかける。が、まちがって、自宅の番号にかけてしまった。誰も出ない…はずなのに、回線の向こうで受話器があがる。しかも、電話に出たのは…
- 章題がみんな地口になっている、翻訳家泣かせの作品。いきなり自分が二人になったら、どうするだろう? お互い協力して…とはならないのが、エリスンらしい。
- ヒトラーの描いた薔薇 / Hitler Painted Roses / ペントハウス1977年4月号 / 伊藤典夫訳
- 1935年、ダウニーヴィルで惨殺事件が起きた。被害者はラムズデル一家六人、うち三人は子供。彼らは裕福で人柄もよく、町の者に愛されていた。ただひとり生き残ったのは、マーガレット・スラシュウッド。町の者は彼女を犯人と決めつけ、井戸に放り込んで殺した。
- アメリカは歴史が浅い。開拓時代は連邦政府どころか州政府すら地方まで力が及ばず、住民たちが集まって社会を創り上げてきた。だもんで、今でも保安官なんて制度が生き残っている。それだけに自治には熱心だが、必ずしも冷静とは限らず…
- 大理石の上に / On the Slab / オムニ1981年10月号 / 伊藤典夫訳
- ロードアイランド州のリンゴ農園から、巨人の死体が見つかる。身長30フィート(約9メートル)、ピンクの肌、隻眼。残った一つの眼には、ふたつの瞳孔。そして、心臓の真上に無残な傷。興行主のフランク・ネラーは巨人を買い取り、見世物にする。
- 有名な神話に題をとった作品。冒頭のリンゴ園の描写から、エリスンらしい絶望と破滅の予兆に満ち溢れている。
- ヴァージル・オッダムとともに東極に立つ / With Virgil Oddum at the East Pole / オムニ1985年1月号 / 伊藤典夫訳
- 惑星メディア。原住民の人馬族とのコミュニケーションは、なかなか巧くいかない。おれはウィリアム・ロナルド・ボーグ。明暗境界線上の最大の島メディテーション島に一人で住んでる。ヴァージル・オッダムは、厳寒のアイスランドからボロボロの姿で這ってきた。
- エリスンには珍しく、遠い惑星を舞台とし、異星人とのファースト・コンタクトを扱った作品。テレパシーらしき能力を持っちゃいるけど、なかなか意思疎通はできないって意地の悪い設定に、エリスンの性格が出てるw
- 睡眠時の夢の効用 / The Function of Dream Sleep / Asimov's 1988年12月中旬号 / 小尾芙佐訳
- マグラスが目を覚ました時、自分の脇腹に空いた口を見た。小さな鋭い歯が並んだ、大きな口。それは一瞬でかき消えた。夢じゃない。確かに見た。医師に診てもらったが、異常は見つからない。そこで元妻のトリシアに勧められたのが…
- エリスンの「怒り」を感じさせる作品が多いなか、最後のこれは「哀しみ」が伝わってくる。眠うるしかない時だって、あるんだよね。
激動の60年代に活躍した人だけあって、饒舌で過激な暴力を描きながら、世の中の理不尽への絶望と憤怒をぶちまけたような作品が多い。
加えて、この短編集の魅力は、定評ある訳者陣。安定の伊藤典夫の職人芸や、小尾芙佐の名人芸が堪能できるのが、オールドSFファンには嬉しいところ。
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