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2017年11月 7日 (火)

ダリル・グレゴリイ「迷宮の天使 上・下」創元SF文庫 小野田和子訳

「GFD」ドクター・グロリアもやっとわかったようだ。「一日ゲイ(ゲイ・フォー・ア・デイ)」
  ――上巻p37

統合失調病はあらゆるタイプの科学者を呑みこんでしまう泥沼だ。
  ――上巻p57

「モラルなんてものは理屈じゃない。神さまんとこのお巡りさんが石板に書いて渡してくれるようなもんじゃない。神経組織に接続されてるものなんだよ」
  ――上巻p142

「それはね、個人的体験はありとあらゆる証拠のなかで最悪のものだからよ、ぼうや。あたしがひとつ学んだことがあるとすれば、それは脳は嘘つきのろくでなし野郎だってことだわね」
  ――下巻p64

「もっとも宗教を必要とするのは、もっとも絶望した人間であり、そういう人間は社会のどん底にいる」
  ――下巻p154

彼女が空想のものだからって、彼女が現実のものじゃないってことにはならない
  ――下巻p277

【どんな本?】

 近未来。化学ジェットプリンターが普及し始めた。あらゆるドラッグのレシピは、インターネットから手に入る。気の利いた高校生なら、既存のレシピをいじり、新しいドラッグだって創れる。

 家出少女フランシーヌは、ボロい教会でソレに出会う。ヌミナス。何かに見守られている、そんな温かい気持ちになる。みじめな暮らしに変わりはないが、気持ちは前向きになった。

 しかしガサ入れで捕まり収容所に入れられたフランシーヌは、教会に通えなくなる。当然、ヌミナスも手に入らない。やがて薬の効果が切れ神を見失った彼女は、自らの命を絶つ。

 フランシーヌと同室になったライダは、フランシーヌの症状に憶えがあった。かつて彼女が仲間とともに立ち上げた新薬開発会社リトル・スプラウト。そこで開発した薬と効果がそっくりなのだ。NME110、またの名をヌミナス。統合失調症の治療に役立ちそうだが、副作用が困る。神の幻覚を見るのだ。

 仲間と話し合い、ヌミナスは葬ったはずだった。だが、それが出回っている。誰が裏切ったのか。何が起きているのか。目的は何か。真相を突き止めようとライダは動き出すが…

 1990年にデビューしたアメリカのSF作家による、近未来ドラッグSF作品。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は AFTERPARTY, by Daryl Gregory, 2014。日本語版は2017年3月10日初版。文庫本で縦一段組み、本文は上巻約271頁+下巻約281頁=約552頁に加え、橋本輝幸による解説7頁。8.5ポイント41字×17行×(271頁+281頁)=約384,744字、400字詰め原稿用紙で約962枚。標準的な上下巻分の文字数。

 文章は比較的にこなれている。ただ、登場人物は犯罪者が中心のためか、俗語や略語が多く、それにひっかかる人もいるかも。用語集が欲しかった。SF的なガジェットは、主にドラッグ。神を感じるとか、ゲイになるとか。その辺に抵抗がなければ、楽しめるだろう。

【感想は?】

 オツムのイカれた奴ばかりが出てくる、ヘンテコなアクション・ミステリ。百合のトッピングつき…のフリをした、ドラッグ小説。

 主人公のライダ・ローズ42歳からして、一種のジャンキー。ヌミナスの副作用でヤられ、冒頭じゃ収容所暮らしだ。彼女には天使ドクター・グロリアが見える。しかも、グロリアが幻覚だと、ライダ本人は分かってるあたりが、なんともややこしい。

 次に登場するボビー23歳も、思い込みに捕われている。彼はいつもプラスチックの宝箱を、首にぶら下げている。彼の意識は、その宝箱のなかに入っている、そうボビーは信じている。と書くと危ない奴のようだが、それを除けば、気は弱いが優しい人物だ。つまりはタダのヘタレな若造です。

 もう一人のライダの仲間、オリー・スカーステン、こいつはマジでヤバい。

 元は陸軍にいて、次に民間の調査会社に入った。調査会社ったって、タダの浮気調査じゃない。主な客は軍と政府。そこでは彼女の特技が活きた。一見、関係なさそうな複数の情報を突き合わせ、一つの仮説を組み立てる。ただし、これは一歩間違えると、ただの偏執狂だ。

 というか、既に間違えてしまった。そんなわけで、収容所にいるオリーは、薬で特技を抑えている。初登場時のオリーは、薬の支配下にある。そんなオリーが示す症状は、なかなか悲惨。この辺、オリヴァー・サックスの著作が好きな人には、「おお、あのネタか」とピンとくるかも。

 そして彼女たちの前に立ちふさがるヴィニー。日頃はミニチュアのバイソンを可愛がる普通の男。しかし、ヤクをキメると、ザ・ヴィンセントに人格が変わる。タフで冷酷で荒事に慣れたカウボーイ。ハードボイルド小説に出てくる探偵そのものだ。ただし、悪役だけど。

 いずれも、オツムはイカれちゃいるが、なんとかソレと折り合いをつけて生きているのが、この作品の特徴だろう。ただ、その方法はそれぞれ。

 ライダはグロリアを幻覚だと自分に言い聞かせる。ボビーは宝箱さえあれば、ただのヘタレ青年だ。対して、オリーは、薬の影響を嫌っている。これがヴィニーになると、もっと積極的だ。必要に応じて、薬により人格を変える。

 一般にドラッグには悪い印象が付きまとう。が、冒頭のフランシーヌのエピソードは、その思い込みに疑問を投げかける。彼女からヌミナスを奪ったのは、果たしてよかったのか。

 なんて真面目に考え込んでいる読者を、続く大学のドラッグ・パーティーの場面では、とことん茶化してくれる。GFD、ゲイ・フォー・ア・デイ。野郎だらけのおちんちんランドが、このドラッグによりパラダイスに変わる。勘弁してくれw

 このあたりで語られるドラッグの性質も、薬学が好きな人には、なかなか楽しめるところだろう。バイアグラの開発経緯で分かるように、薬ってのは単純じゃないのだ。

 といったSFな道具立てはあるものの、物語はライダを中心として、ヌミナス流出の謎を追うハードボイルド風に進んでゆく。にしても、ライダやオリーなど女性陣がタフでアグレッシヴなのに対し、ボビーといいロヴィルといい、野郎どもが軒並み情けないのはどういう事だw

 謝辞にあるように、オリヴァー・サックスやV.S.ラマチャンドランやダニエル・デネットの著作が好きな人には、「おお、そうきたか!」な場面の多い、ちょっと変わったドラッグ小説。

【関連記事】

【余計なおせっかい】

 謎の焦点となるヌミナス。これ、あながち架空ってわけでもない。

 例えばアリス・W・フラハティの「書きたがる脳」には、「詩神を呼ぶ装置」が出てくる。脳の特定部分を刺激すると、インスピレーションが沸きだすのだ。ロバート・A・バートンの「確信する脳」には、宗教的法悦を与える装置が出てくる。

ちなみにこの法悦装置、二重盲検が不充分って批判もある。が、別の見方をすれば、プラシボ効果を高める演出をすれば、かなり使えるとも言える。もっとも、何に使うのかが問題だけど。

 ジョナサン・ハイトの「社会はなぜ左と右に分かれるのか」によると、人の倫理観には六つのアンテナがある。それぞれのアンテナの感度は人により違い、これが政治的・倫理的な対立を生む。アンテナのうち一つが神聖/堕落で、これが発達した人は宗教に入れ込みやすいんだろう。

 つまり、ヒトの脳には、神を感じる機能があるらしい。それが特定の部位なのか、ニューロンの繋がり具合で全体に分散してるのかはわからないが。今のところ、TMS(→Wikipedia)などの大げさな装置が必要だが、これを薬に置き換えたのが、この作品のヌミナスだ。

 と、そんなあたりを踏まえて、関連記事の第二弾・ノンフィクション編をどうぞ。

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