シンシア・バーネット「雨の自然誌」河出書房新社 東郷えりか訳
ブラッドベリはただ雨が好きだったのだ。
――プロローグ 始まり気候はクローゼットのなかのすべての衣装で、気象は特定の日に私たちが着ている服である
――4章 気象観測者(イギリスの)18世紀初頭には、(略)男性が傘を手にするのは、めめしさの究極のしるしだった。
――5章 雨具洪水とは、ミシシッピ川をその本来の姿にすることだ
――7章 耕せば雨が降る中国は過去10年間に56万回の雲の種まきを実施し、それによって5000億トンに近い、もしくは長江にまたがる三峡ダムの貯水量の11倍相当の雨を降らせたと主張する。
――8章 雨降らし人雨が降ったあとは、南カリフォルニアのサーファーは、たとえどれだけ波がよくても、海に入らないほうがよいことを知っている。
――11章 都市の雨私たちの頭上に降る雨は往々にして、人間が地上に放出したものを、ただ上から降らせているだけだ。
――12章 奇妙な雨
【どんな本?】
地上にはサハラのように滅多に雨が降らない土地もあれば、インド東北部のように四六時中降っている土地もある。降りすぎれば洪水となり、降らなければ旱魃に人があえぐ。人は天気を占い、操ろうとし、川の流れを変えようとした。
夕立、霧雨、五月雨、土砂降り。昔から人は雨に幾つもの名をつけた。他にも変わった雨がある。「黒い雨」は禍々しいが、カエルや魚が降る事件は、幾つも記録が残っている。
地形や気候による雨のメカニズム、雨の多寡で左右される人間の悲喜劇、雨が生み出す芸術、土地計画と雨の関わり。科学・歴史・産業・芸術そして文明のあり方に至るまで、雨に関する色とりどりのテーマとエピソードを綴る、雨の事典。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は RAIN : A Natural and Cultural History, by Cynthia Barnett, 2015。日本語版は2016年9月30日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約337頁。9ポイント46字×19行×337頁=約294,538字、400字詰め原稿用紙で約737枚。文庫本なら厚めの一冊分。
文章はこなれている。内容も特に難しくない。日本列島の日本海側が豪雪地帯となる理由がわかる人なら、充分に理解できるだろう。ただ、世界中の地名が多く出てくる上に、地形が重要な意味を持つので、世界地図か Google Map の地形図機能を使おう。
ちなみにカート・コバーン、発音はコベインが近いそうです。
【構成は?】
各章はほぼ独立しているので、美味しそうな所をつまみ食いしてもいい。
- プロローグ 始まり
- 第1部 自然の雨
- 1章 曇り、ところにより文明
- 2章 旱魃、洪水、悪魔の仕業
- 3章 雨乞い
- 第2部 雨の見込み
- 4章 気象観測者
- 5章 雨具
- 第3部 アメリカの雨
- 6章 天気予報士の父
- 7章 耕せば雨が降る
- 8章 雨降らし人
- 第4部 雨を捉えて
- 9章 嵐を描く人たち
- 10章 雨のにおい
- 11章 都市の雨
- 第5部 気まぐれな雨
- 12章 奇妙な雨
- 13章 そして予測は変革を求める
- エピローグ 雨を待って
- 謝辞/訳者あとがき/原註
【感想は?】
プロローグでいきなりビックリ。雨粒の形を、私は完全に勘違いしていた。
いや形は正しいのだ、水滴の形で。ただし上下が逆。丸い方が上で、とんがってる方が下。つまり雨は空気を切り裂いて落ちてくる。どうりで強い雨に打たれると痛いわけだ←たぶん違う
気候は生態系を変える。湿地と砂漠で違うのは当たり前だが、生物の色も変わってくる。ジャングルの鳥と聞けば原色のカラフルな羽根を思い浮かべるが、これは雨のせいらしい。雨が降ると風景がけぶる。そこで同種の仲間を見つけるには、目立つケバい格好をした方がいい。そういう事かあ。
雨はヒトの生理も変えた。風呂に入ると、手足の指先の皮膚にしわがよる。これ、皮膚が水を吸ってふやけるから…では、ないのだ。1930年代から、一部の医師は知っていた。腕の神経を損傷すると、しわが寄らない。ヒトの神経系が、ワザとシワを作っているのだ。なぜか。
「雨だとしわが寄るいい理由が思いつくかい?」
「雨用の溝(トレッド)とか?」
――1章 曇り、ところにより文明
レーシングカーは、晴れた時は溝のないスリックタイヤを、雨だと溝のあるトレッドタイヤを使う。いずれも地面を掴みクルマが滑らないようにするためだ。指先のしわも同じ理屈らしい。だって他の部分はふやけないでしょ?
なんて自然科学の話もあるが、もっと繊細な話もある。例えば「9章 嵐を描く人たち」。
19世紀の詩人エミリー・ディキンソン(→Wikipedia)、秋と冬は鬱に見舞われたとか。日が差さないと気分も落ち込む病気(→Wikipedia)。これは作品にも影響してて、作品数は春と夏に多い。が、質は? どうも、傑作は秋と冬が多いとか。
このエピソードは、質をどうやって図ったかが面白い。後年に編纂されたダイジェストやアンソロジーを漁り、選ばれた作品を、季節ごとに数えたのだ。なんでも測り方ってのはあるもんなんだなあ。
この章では、ザ・スミスのモリッシーと、ニルヴァーナのカート・コベイン、両者の共通点へと話を繋げてゆく。マンチェスター出身のモリッシー、アバディーン出身のカート。両都市の共通点は、雨が多いこと。彼らの才能は、雨がもたらす憂鬱が育んだのだ。曰く…
創造力には絶望の季節が必要だ
――9章 嵐を描く人たち
やはり雨の多い「アイスランドでは10人に一人が本を出版すると言われている」とか。締め切りを破る作家を、暗い部屋に缶詰めにするのは、理に叶っているのかも。
なんて編集者は酷いようだが、もっと酷いのが建築家。一言で言えば…
一般的には、家とその上の屋根の外観が派手であればあるほど、雨漏りする可能性が高い。
――6章 天気予報士の父
ときた。特に無茶苦茶なのが、かの有名なフランク・ロイド・ライト。彼の「作品」は雨漏りで有名で、落水荘(→Wikipedia)も「水漏れやくすみ、コンクリートの破損に年中苛まされている」。
ライトの従弟のリチャード・ロイド・ジョーンズ・シニアが頼んだウエストホープ邸も雨漏りが酷く、フランクに電話したところ…
ジョーンズ「俺の机に雨漏りしてるぞ!」
ライト「なぜ机を移動させないんだ?」
――6章 天気予報士の父
なんちゅうやっちゃw
なんて無茶な話もあれば、気候変動が文明の興亡を左右した話、天気予報黎明期の開拓者たちの努力、ムスリムがインドの香水を好む理由、和傘の意外な最盛期、都市と雨の関係など、話題は大小色とりどり。科学・歴史・地理・社会問題と、多くの分野にまたがる、バラエティに富むネタを集めた本だ。
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