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2017年11月 5日 (日)

トレイシー・ウイルキンソン「バチカン・エクソシスト」文藝春秋 矢口誠訳

イタリアでは、非常に多くのカトリック教会で悪魔祓いが行われている。これは信仰心の篤い人々によって行われているバチカン公認の儀式だ。
  ――プロローグ

悪魔はラテン語を嫌っている。
  ――第二章 儀式は聖水とともに始まる

被術者がたった一回の悪魔祓いで治癒することはめったにない。アモルス神父から悪魔祓いをうけている人たちのなかには、何年も神父のもとへ通っている者もいる。記録保持者は、なんと16年間だ。
  ――第二章 儀式は聖水とともに始まる

アモルス神父がエクソシストになった1986年、イタリアには20人のエクソシストしかいなかった。しかし、現在(本書の出版は2007年)ではほぼ350人になっているという。
  ――第三章 歴史

人々が求めているのは即効性のある解決法だ。大きな宗教はどれも、そんなものは提示していない。しかし、いわゆる新興宗教はしている。それに、魔術師もだ。
  ――第四章 横顔

「臨床病理学に35年間たずさわってきたわたしの経験から言えば、悪魔祓いは明らかに催眠術の一種だ」
  ――第八章 懐疑主義者と精神科医

【どんな本?】

 1973年に大ヒットした映画「エクソシスト」。てっきり全部作り話かと思ったら、そうでもなかった。

 悪魔はともかく、エクソシストは実在する。それもモグリでもなんでもなく、バチカン公認で。しかも、21世紀の今日、イタリアではエクソシストを求める人が急激に増えている。そして助けを求める声に応えるため、バチカンもエクソシスト育成に取り組んでいる。

 悪魔祓いとは、いかなる儀式なのか。エクソシストとはどのような者で、どんな考えを持っているのか。バチカンは、悪魔祓いをどう考えているのか。エクソシストを求めているのは、どのような者なのか。そして、科学の立場に立つ医師たちは、悪魔祓いをどう見ているのか。

 LAタイムズのローマ支局長を務めるジャーナリストの著者が、当のエクソシストを始め、その被術者・医師・警察そしてバチカンの関係者に取材し、その実態と意向に迫ったノンフィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Vativan's Exorcists : Driving Out The Devil In The 21st Century, by Tracy Wilkinson, 2007。日本語版は2007年5月20日第一刷。単行本ハードカバー縦一段組みで本部約205頁。9ポイント42字×18行×205頁=約154,980字、400字詰め原稿用紙で約388枚。文庫本ならやや薄め。今は文春文庫から文庫版が出ている。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。敢えて言えば、舞台の多くがイタリアなので、イタリアの地図があるとより迫力が増すかも。また、イタリアの南北問題を知っていると、より切実さが増す。バッサリ言うと、豊かで都会的な北部と貧しく伝統的な南部、みたいな構図(→Wikipedia)。

【構成は?】

 一応、頭から順番に読む構成になっている、が、美味しそうな所をつまみ食いしてもいいだろう。

  • プロローグ
  • 第一章 現代の悪魔祓い師たち
  • 第二章 儀式は聖水とともに始まる
  • 第三章 歴史
  • 第四章 横顔
  • 第五章 悪魔に憑かれた三人の女性
  • 第六章 悪魔崇拝者たち
  • 第七章 教会内部の対立
  • 第八章 懐疑主義者と精神科医
  • エピローグ
  • 訳者解題 日本のカトリック教会の場合

【感想は?】

 あくまでも冷静に客観的かつ公平な立場を貫いた、真面目なルポルタージュ。

 まず、エクソシストが本当に居ることに驚いた。それも、バチカン公認で。と書くと熱心に取り組んでいるようだが、事態はそれほど単純じゃない。

 そもそも悪魔祓いに対し、バチカンの中でも意見が分かれている。積極的に後進の育成に取り組んでいる人もいれば、あまり大っぴらに騒いでほしくないと考えている人もいる。その根底には、キリスト教の教義の根本に迫る重大な問いがある。

 「悪とは何か? 悪魔とは何か?」

 それは実体を伴うものなのか。もっと抽象的なものなのか。バチカンにとっては重大な問いなのだが、今のところ意見は統一されていない様子。そのためか、悪魔祓いについても、バチカン全体としては慎重な姿勢。つまり、「まず医師の診断を受けてね」って態度だ。

 が、もっと積極的な人もいる。「別に悪魔祓いを受けたからって、医学的な害があるワケじゃない。悪魔祓いが効けばよし、効かなきゃ医師に任せりゃいい」なんて神父もいる。

 かと思えば、そういう姿勢を強く批判する人もいる。

医学的な治療をすべて試すまえに悪魔祓いをはじめれば、被術者は悪魔祓いだけを信じてしまい、ほかの方法で問題に立ち向かう意志を失ってしまう。

 と、極めて慎重だ。これを、当のエクソシストであるダーミン神父が言っているんだから面白い。実際、イタリアじゃエクソシストは引く手あまただ。ダーミン神父も、エクソシストの仕事が大忙しで、多くの苦しむ人々を救おうと、長年役割を果たしてきている。加えて…

ここへくる90%の人たちは、ほんとうに憑依されているわけではない。たんに心霊現象に逢っているだけなんだ。

 なんて言ってて、彼らが「悪魔憑き」と「心霊現象」をキッチリ区別している由もうかがえる。

 こういう考え方の違いは、医師にもあって。「別に害もないようだし、それで気持ちが楽になるなら」と、患者が悪魔祓いを受けるのを認める医師もいれば、「それは患者を惑わすだけだ」と批判的な医師もいる。

 けっこう本質を突いてるんじゃないかと思うのは、やはりエクソシストのジェンマ司教。

「ときには、話を聞いてもらったり、祈祷に招かれたり、信頼してもらうだけで、苦しんでいる人たちにとっては大いなる救済になるんだ」

 確かに、愚痴や悩みを聞いてもらうだけで、気持ちが楽になるって事はあるんだよなあ。かと思えば、辛辣に批判する人もいて…

「司祭のなかにもヒステリー症の人間がいるんだ。なかにはいつまでも(儀式を)やっているような者もいる。そうした司祭は、自分自身がコントロールできていないのではないか」

 と、エクソシスト自身に疑惑の目を向ける人も、教会の中にいる。

 私のような素人だと、バチカンは一枚岩に見える。でも、実際には、様々な考え方の人がいるってのが分かっただけでも、ちょっとした収穫だった。また、「精神病は恥だが、悪魔憑きはそうじゃない」なんてイタリア南部の感覚も、ちょっとした驚き。

 また、巻末の「日本のカトリック教会の場合」も、狐憑きなどを引き合いに出し、更なる思索(というより妄想)のネタを提供してくれる。

 文章は読みやすいし、文字数も多くない。が、こういう「真面目と怪しげの境界」の話が好きな人には、興味深いエピソードが次から次へと出てくる、興味の尽きない本だ。

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