リヴィウス「抄訳 ローマ建国史 上・下」PHP研究所 北村良和訳 3
「もし運命が暗転した場合、和平を望んでも、もう遅い。勝っている間に和平を結べという所以である。負けてから押し付けられる和平ほど惨めなものはない」
――下巻 第Ⅶ部 ハンニバル戦争Ⅲ(原典:第ⅩⅩⅢ巻)「カプアはハンニバルのカンナエだった。既にカプアで敗れたのだ。有機も軍律も失い、過去の名声も未来の希望も、あのカプアで失っている」
――下巻 第Ⅶ部 ハンニバル戦争Ⅲ(原典:第ⅩⅩⅢ巻)民衆は王者の奴隷であるか、あるいは高慢な支配者であるか、どちらかである。
――下巻 第Ⅷ部 ハンニバル戦争Ⅳ(原典:第ⅩⅩⅣ巻)「都市ローマを奪う機会は二度あったが、二度とも逸した。最初(カンナエの勝利の後)は、その勇気がなく、二度目は点がそのチャンスを奪った」
――下巻 第Ⅹ部 ハンニバル戦争後半「このハンニバルの敵は、カルタゴ議会であってローマ軍ではなかったのだ」
――下巻 第Ⅹ部 ハンニバル戦争後半
リヴィウス「抄訳 ローマ建国史 上・下」PHP研究所 北村良和訳 2 から続く。
【はじめに】
- (下)巻をはじめるにあたって
- 第Ⅴ部 ハンニバル戦争Ⅰ(原典:第ⅩⅩⅠ巻)
- 第Ⅵ部 ハンニバル戦争Ⅱ(原典:第ⅩⅩⅡ巻)
- 第Ⅶ部 ハンニバル戦争Ⅲ(原典:第ⅩⅩⅢ巻)
- 第Ⅷ部 ハンニバル戦争Ⅳ(原典:第ⅩⅩⅣ巻)
- 第Ⅸ部 ハンニバル戦争Ⅴ(原典:第ⅩⅩⅤ巻)
- 第Ⅹ部 ハンニバル戦争後半
(原典:第ⅩⅩⅥ巻~第ⅩⅩⅩ巻) - 編訳者あとがき
下巻は第二次ポエニ戦争(→Wikipedia)を扱う。
当然、ハンニバル(→Wikipedia)大暴れ。なんたって「ローマ建国史」なのに、見出しはみんな「ハンニバル戦争」だ(右図)。対するローマは任期一年限りの執政官制度もあり、次々と登場人物が変わってゆく。
見どころはたっぷり。私も名前ぐらいは知っている、象を連れてのアルプス越えや、包囲殲滅戦のお手本カンナエの戦い(→Wikipedia)などに加え、終盤じゃアルキメデスも出てきて、シラクサ防衛戦で大活躍(→Wikipedia)したり。
ハンニバルのライバル、スキピオ(→Wikipedia)が出てくるのは終盤近く。意外な事に、両者が直接ぶつかったのは、たったの一度、ザマの戦いだけ(→Wikipedia)。若いながらも雄大かつ大胆ながら自軍の長所である海軍力を活かした、彼の構想と戦略は実に見事。
ただ、カルタゴ側にやたら「ハンノ」って名前の人が出てくるのは、ややこしかった。日本の田中や佐藤みたく、よくある名前なんだろう。
【ハンニバル】
Wikipedia では「戦術家としての評価は高い」とあるが、そんな甘いモンじゃない。
なんたって、敵地に乗り込んだまま17年間、増援なし・補給なしで戦いつづけてる。その間、兵も物資も現地調達だ。土地の情報を集めて不和の種を見つけ出し、手先を忍び込ませて民衆を扇動し、巧みに各都市や部族を自軍に引き込む。
当時のイタリア諸都市はどこでも、貴族階級と平民階級の厳しい対立があったが、総じて貴族はローマ支配を望み、平民はハンニバルを貴族階級からの解放者だとして歓迎していた。
――下巻 第Ⅷ部 ハンニバル戦争Ⅳ(原典:第ⅩⅩⅣ巻)
そんな風に、情勢を読んで、戦う前に勝つ算段を整えるのが巧いんだな。で、勝てる情勢に持ち込んだ上で戦う。猛将というより、智将って印象が強い。
兵の補充もないわけで、その陣営はどうしても現地兵の寄せ集めになる。にも拘わらず軍をまとめてローマと戦いつづけたあたり、政治家としての高い資質もうかがわせる。
戦い方も、意外と基本に忠実だったり。よく使うのが伏兵。まず、予め有利な地形の所に伏兵を潜ませる。次に騎兵で敵を挑発し、追っかけてきたら伏兵の所へ誘い込み、袋叩きにする。
チンギスハンの騎馬軍団も、十字軍と戦うトルコの騎馬軍団も、イスラエル戦車団の機動防御も、似たような手を使ってた。昔からの戦い方の王道なんだろう。
【カンナエの戦い】
と、王道ながら効果的な戦術を駆使するハンニバルだが、この手が効かない老獪で慎重居士のファビウス(→Wikipedia)には苦戦したり。
ハンニバル「我々は侵略軍であり、侵略軍は勝つことによってのみ益々強くなる軍隊である」
――下巻 第Ⅴ部 ハンニバル戦争Ⅰ(原典:第ⅩⅩⅠ巻)
ファビウスの発想は、この侵略軍の性質を突いたもの。勝ってるうちは強いけど、戦いが起きなきゃ勝てない。なら戦わなきゃいいじゃん。勝てない敵は勝手に干上がるぞ、と。賢い。とはいえ、慎重な軍人は弱腰となじられる。ファビウス、これに答えて曰く…
「立派な将軍の下では、運を天に任せる類の戦法は全く重要視されぬ事。また人間の精神と理性をばコントロールし、また危機に瀕した自国の軍隊に屈辱を与えずこれを救うことは、幾千人の敵を殺すよりも数倍の名誉ある仕事である事」
――下巻 第Ⅵ部 ハンニバル戦争Ⅱ(原典:第ⅩⅩⅡ巻)
そうなんだよなあ。職場でも、売り上げを増やすだけじゃなく、事故を防いだり、費用を抑えたりするのも、立派な仕事なんだぞ。目立たないから、滅多に評価されないけどブツブツ…。まあいい。賢明に戦闘を避けたファビウスだが、ここでローマの政治形態の問題が出る。
ローマの各官の任期は一年。任期中に手柄を立てたい者は、時間がかかる待機策より短時間で終わる決戦を望む。おまけに軍を率いる執政官は二人パウルス(→Wikipedia)&ヴァロ(→Wikipedia)で一本化されていない上に、仲が悪い。これを嘆くパウルス曰く…
「敵とは、単に戦場で相間見えるだけだが、私も経験したのだが、同僚とはあらゆる場所で四六時中戦わねばならぬ」
――第Ⅵ部 ハンニバル戦争Ⅱ(原典:第ⅩⅩⅡ巻)
おおパウルス、その気持ちわかるぞ!無能な癖に熱意と口数が多い同僚ほど邪魔なモンはない。あなたにも心当たりあるでしょ。あるよね、ね!
【戦いの様相】
当時の戦い方がウッスラ分かるのも、この本の嬉しい所。
カンナエのような決戦は稀にしか起こらず、基本は都市や堡塁の奪い合い。互いにトンネルを掘って敵地に忍び込んだり、城壁を崩そうとしたり。そういう手口は、紀元前からあったんだなあ。都市カプアの攻囲戦(→Wikipedia)では、まわりをぐるりと堀で囲み、土木ローマの片鱗が見えて嬉しかった。
【都市国家】
同様に、当時の政治状況も、興味深い所。
先に触れたように、戦いの多くは都市の奪い合い。それぞれの都市は独立国家みたいな感じで、それぞれが議会を持っていて、独自の外交権や軍を持っている。議会制が多く、王制が少ないのも面白い。また、各都市国家は、現在の国家のようにハッキリした国境があるわけじゃないらしい。
そんなわけで、戦線もややこしい。ローマにつくかカルタゴか、それぞれの都市が独自の判断で決める。だもんで、勢力図が二分されるわけじゃなく、両軍はモザイク状に入り組んでいる。
お陰で悲惨なのが、都市周辺に住む農民。当時の軍は本国から糧食の補給を受けるわけじゃなく、たいていは現地調達が中心。それも敵地とあらば軍はやりたい放題で、略奪はもちろん、収穫前の畑を荒らすなど、焦土作戦もやってる。
クレヴェルトの「補給戦」にも、昔の軍は一か所に留まると周囲の食糧を食いつくすので、常に動く必要があった、みたいな事が書いてあった。
それでもなんとか補給を受けられるローマ軍はともかく、補給なしのハンニバルは、よく17年間も戦ったなあ、などと感心したり。地元の有力者を味方につける政治手腕も卓越してたんだろう。
【地名】
舞台がローマ周辺に留まっていた上巻とは違い、下巻だとイタリアはもちろん、ヒスパニアやアフリカにも及ぶ。そのため、ネアポリス=ナポリ,タレントゥム=タラント,新カルタゴ=カルタヘナ,ガデス=カディス,マッシリア=マルセイユなど、現代に伝わる地名が出てくるのも、なんかワクワクする。
特にスキピオが暴れはじめる終盤は、それまでイタリア半島内での陣の取り合いから、イベリア半島やアフリカへと舞台が広がり、一気にスケールが大きくなってゆき、気分も盛り上がってくるところ。上巻でローマ周辺の小競り合いに終始してただけあって、かなりのカタルシスが味わえる。
【終わりに】
スキピオの雄大で鮮やかな戦略も書きたいんだが、気力が尽きた。古典ではあるが、文章は親しみやすくて読みやすく、たいして前提知識は要らない上に、お話は起伏に富んでいて飽きない。「あまり格調高い古典はちょっと」と思う人にこそ薦めたい、読みやすくて面白い本だ。
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