松崎有理「あがり」東京創元社
酷い悲しみに直面したとき、ひとはしばしば転位行動をとる。数研の連中ならば多額の懸賞金がかかった未解決問題にとりくみ、地史研はつるはしと岩石は採用鉄槌をかかえて野外に化石を探しにゆく。そして生命研の人間は、実験する。
――あがり予想の証明は、ぼくにとっての不死への手段だ。
――ぼくの手のなかでしずかに研究者というのは自分の仕事について話すのがなによりすきだ。相手がきいていようがいまいが。
――代書屋ミクラの幸運自然とは本質的に、無目的で無作為だ。
――不可能もなく裏切りもなく
【どんな本?】
短編「あがり」が2010年の第一回創元SF短編賞に輝いた、新鋭作家・松崎有理のデビュー短編集。
仙台の東北大学をモデルとした大学を舞台に、若い研究者たちの仕事ぶりや日々の暮らしや悩みを緻密に描きつつ、そこで起きる事件や出来事を静かに綴ってゆく。
SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2012年版」のベストSF2011国内篇で14位に食い込んだ。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2011年9月30日初版。単行本ソフトカバー縦一段組みで約268頁。9ポイント43字×20行×268頁=約230,480字、400字詰め原稿用紙で約577枚。文庫本なら標準的な厚さの一冊分。今は創元SF文庫から文庫版が出ている。
文章は比較的にこなれている。ただ、登場人物の多くが大学の研修者なので、その会話は相当にクセが強く、専門用語が頻繁に出てくる。あまりテーマと関係ない場合もあるが、密接にかかわっている話もあるので、要注意。
【収録作は?】
それぞれ 題名 / 初出 の順。
- あがり / 創元SF文庫「量子回廊」2010年7月
- イカルは研究室の設定式温度反復機を占領している。ここしばらくは下宿にも帰らっていいないらしい。原因はジェイ先生が亡くなったショックだ。先生と直接の面識はない。だがイカルは先生を崇拝していた。なんとかせい、とアトリにお鉢が回ってきた。なにせ、おさななじみで同じ四年だし。
- 2010年の第一回創元SF短編賞受賞作。生命進化の原動力は個体か遺伝子か。著者インタビュウ(→アニマ・ソラリス)によると、ジェイ先生はスティーブン・ジェイ・グールドだとか。なら「一部の急進的な研究者」はリチャード・ドーキンスかな?
- 大学、それも理工系の研究室に馴染みのある人には、生々しくも懐かしい描写がいっぱい。室内に漂う個性豊かな匂い,研究対象への思い入れ,科学の先端なんて言葉からは程遠いラフな雰囲気,普通の人とは明らかに異質な、でも当人たちには思い入れたっぷりの会話。
- と、やたらリアルな描写が続くと思ったら、そうきたか。この作家、なかなかの曲者です。
- ぼくの手のなかでしずかに / 創元SF文庫「原色の想像力」2010年12月号
- 科学の発見は時として覆される。だが数学の業績は永遠だ。素数の分布に規則性はあるのか。この問題をエレガントに解ければぼくの名は数学史に永遠に刻まれる。問題にとりかかりつつ、行きつけの書店を覗いたところ…
- 主人公の問題へのアプローチは、ソフト屋がデータ構造を考える際の方法に近いかも。最初は最低限の要求を充分に満たす形を考える。その際は、何度も頭の中で、組み立てては潰し、を繰り返す。多少は形になった所で、やっと絵を描き始める。
- ってな事をやっている最中に話しかけられると、脳内の構造物がガラガラと崩れていくんで、ちと悲しい想いをしたり。
- オチの切なさも、ソフト屋にはよくあるパターンで、なかなか身につまされる話だった。
- 代書屋ミクラの幸運 / 東京創元社<ミステリーズ!>vol.45 2011年2月
- ミクラはかけだしの代書屋だ。対象は論文。俗称「出すか出されるか法」により、研究者は三年に一本は論文を書け、書かなければクビ。そんな厳しい法律だ。だが論文執筆を嫌う研究者は多い。そこで代書屋の出番だ。
- 今は子供の夏休みの宿題も商売になるとか。まさか研究者の論文まで…と思ったけど、実はあるらしい。大抵の文書と同様、論文も適切な形式があって、それに沿ってなきゃいけない。査読者も人間だから、分かりやすく印象深ければ評価も高くなる。
- ってんで、書き方にもコツがあり、そこに代書屋の商売が成り立つ余地が出てくる。そんなテーマなので、「上手な論文の書き方」もチラホラと出てきたり。文系と理系の文書の違いも面白い。ブロガーとしちゃ、美味しいネタを教えてもらったような気がする。
- なんて真面目なネタも面白いが、それ以上にキャラクターが楽しい。意味不明な研究に打ち込み、いささか浮世の世渡りには疎い老教授。要領のいいお調子者で小手先は器用なようで、どうにもツメが甘くお人良しで商売が下手なミクラ。いずれも憎めない人だ。
- と思ったら、ミクラ君はシリーズになってる。しばらく著者にいぢられ続けるんだろうか。
- 不可能もなく裏切りもなく / 東京創元社<Webミステリーズ!>2011年5月
- 理論進化学のおれ、微生物系の友人。暑がりなおれ、寒がりな友人。口はよく回るおれ、口下手な友人。二人とも、「出すか出されるか法」の期限まであと半年。そこで二人での共著を考えた。テーマは「遺伝子間領域の存在理由について」。
- これも登場人物が魅力的な作品。性格は対照的ながら、気の合う二人のデコボコ・コンビの、楽し気な大学生活を描いてゆくが…。疑問に思ったら、役に立とうが立つまいが、とりあえず実験しないと気が済まない理系気質は、わかるような気もするw
- また、今までの作品に登場した面々が、再登場するのも嬉しい。加えて、今までの作品でも通奏低音として響いていた、政府の政策が研究の現場に与える影響が、ここではテーマの前面に出てきて、メッセージ色の強い作品となっている。この辺はSFであって欲しいが…
- へむ / 書き下ろし
- 11歳の夏。少年は、絵を描くことに熱中していた。図画の成績はいいが、他は全滅。クラスでも友だちと遊ばず、絵ばかり描いている。そこに転校生の少女がやってきた。夏休み、二人は秘密の場所に通い始める。
- やや暗いトーンの今までの作品とは打って変わって、ボーイ・ミーツ・ガールの切ない物語。とはいえ、なんともドライな感じに仕上がっているのは、この著者の特徴だろうか。
- 大抵の11歳の少年なら、あんなモン見たら大騒ぎしそうなモンだが、静かに観察しちゃうあたりは、将来の大物の片鱗なんだろう。つか、そんなモンを子供に見せちゃう大人も、やっぱり大学の人だよなあw
いずれも同じ街・同じ大学を舞台としているので、連作短編集と言ってもいいだろう。甘党の私としては、「ゆきわたり」に是非行ってみたい。親切に地図まで載っているあたりは、観光客を増やしたい仙台市のステマなんだろうか。きっと甘味処には不似合いなムサ苦しい野郎どもがタムロして…
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