ガブリエル・コルコ「ベトナム戦争全史 歴史的戦争の解剖」社会思想社 陸井三郎監訳 2
「政治が革命勢力の実際の力をつくりだす。つまり、政治が根源であり、戦争は政治の継続である」
――第11章 軍事戦略の決定をめぐる挑戦
ガブリエル・コルコ「ベトナム戦争全史 歴史的戦争の解剖」社会思想社 陸井三郎監訳 1 から続く。
【だいたいの流れ】
お話は1858年のフランスによるベトナム進出に始まり、1975年4月30日のサイゴン陥落で終わる。以降の話は出てこない。そっちが知りたい人には、ナヤン・チャンダの「ブラザー・エネミー」がお薦め。とは言っても、ブラザー・エネミーも700頁越えの大著なんだよなあ。
【結論】
なぜアメリカが負けたのか。本書によれば、民衆がそれを望んだから、みたいな結論になる。
南ベトナム政府はゴ・ディン・ジエムやグエン・ヴァン・チューの独裁政権で、自らの権力維持しか考えなかった。しかも、その方法は、アメリカからの援助を手下にバラまく事だった。アメリカの支援が途絶えたので、彼らの権力基盤も消え、軍も四散した。
対して北ベトナムと解放戦線(南ベトナムにいた抵抗勢力)は、農民を大事にした。だから農民も彼らに協力した。都市住民は当初あまり協力的じゃなかったが、土壇場になって北の優位がハッキリすると、アッサリ鞍替えした。
つまりは軍事より政治で決まったんだよ、そういう事です。
実はコレが共産主義(というか当時の東側)の強みだよなあ、と思ったり。彼らは同盟国に、軍や兵器だけでなく、政治顧問も送り込む。その政治手法は、マルクス理論を基礎に一貫した方法論がある。このあたりはロドリク・プレースウェートの「アフガン侵攻1979-89」が生々しく描いてたり。レドモンド・オハンロンの「コンゴ・ジャーニー」も、既存の権力構造を崩す巧みな手法を暴いてる。
これを反省したのか、アメリカはイラクじゃポール・ブレマー三世を派遣したけど、結果はご存知の通り(パトリック・コバーン「イラク占領」、ジェレミー・スケイヒル「ブラックウォオーター」)。
この差は下準備の違いじゃないかな。この本だとホー・チ・ミンがいい例。東側は、予め現地出身の支配層を、モスクワで育てておき、機を見て現地に送り込む。現地の事情に通じてる上にモスクワのコネもあるんで、統治はスムーズだし外交的にも東側に留まる。イギリスも似たような真似したけど、インドじゃ巧くいかなかったね。
【舞台】
一応19世紀から話は始まるが、それは2頁程度で終わる。本格的に話が始まるのは1930年代から。ここで、当時のベトナム社会の様子を説明しているのが嬉しい。
当時の社会は大雑把に分けて三つの層からなる。
まずエリート地主。フランスへの協力の見返りに土地を得た者たち。30年代のトンキンでは2%の地主が40%の土地を持っていた。
次に小作農・貧農。地代は平作年の4割~6割で固定。豊作ならラッキーだが、不作だと「生産高の80%に達することもあった」。大半は借金を背負ってて、その利率は年50%~70%。無茶苦茶だ。
加えて、東南アジアに独特な華僑。「54年には彼らは商業の四分の三を掌握」してたというから凄い。
こういう状況で、共産党は、まず貧しい農民を引きこみつつも、地主層を敵に回さぬよう、土地改革では機会をうかがい慎重に事を進める。土地の配分に加え、協同組合を作り、農具を買い入れたり。コレが巧くいった所では、農民の大きな支持を得た。まあ当然だよね。
逆に土地改革に失敗したのがイランのパーレビ。土地は分配したけど水の分配に失敗して、格差が更に酷くなっちゃった(岡崎正孝「カナート イランの地下水路」)。
華僑についてほとんど出てこないんだが、対応には苦慮してたんだろう。
アメリカも、低利で農民に融資する信用組合を作るとか、現地の農民を味方にする方法もあったんだよなあ。土地についても、戦後の日本じゃ巧くやったんだよね。地主から土地を買い上げ農民に配り、地主はその金を元手に商売を始める。お陰で工業化もスムーズに進んだ。ベトナムでそうならなかったのは…
【ゴ・ディン・ジエム】
アメリカが南の支配者として選んだゴ・ディン・ジエム。「奴ぐらいしかいない」と消去法で選ばれたんだが、つまりは元々権力基盤が弱い。
味方は軍しかいないってのに、いきなり「1955年にジエムが行った第一の政策は、何の見かえりもなしに6000人以上の戦闘経験ある下士官の解雇」。要は自分の取り巻きで固めようって腹なんだが、軍を弱らせた上に敵を作ってどうする。
加えて、農村がゲリラの拠点になってるってんで、農村の住民を強制移住させる。お陰で農民も敵にまわしてしまう。
軍も、部下の報告はジエム直接聞き、部下同志の連携を阻む。クーデターを防ぐのが、その目的。その結果、例えば空軍が陸軍を支援するなんて芸当は出来なくなる。どころか、終盤じゃ友軍への誤爆が続く体たらく。この辺は鳥井順「イラン・イラク戦争」で学んだ。
そんなわけで、南の政府は八方的ばかり。お陰で解放戦線もアチコチに協力者を紛れ込ませる。例えばジエム殺害のドサクサに紛れ、新任の南ベトナム国家警察長官代理は…
解放民族戦線を支持していた政治犯のすべてを釈放したばかりでなく、諸文書を破棄し、解放民族戦線の支持者をできるかぎり多く高い官職に配置した。
民衆に加え政府内も、南は敵だらけだったわけ。
【アメリカの対応】
第二次世界大戦じゃ、アメリカは指揮権を巧く配分した。欧州戦線はアイゼンハワーに任せ、太平洋はニミッツに担当させる。戦域ごとにボスをハッキリ決め、一貫した戦略で押し通した。
朝鮮戦争でも同様にマッカーサーに任せたんだが、彼は暴走して歯止めが効かなくなる。これに懲りて、ベトナムはホワイトハウスが仕切ろうとしたんだが、陸海空三軍の調整が巧くいかず…。
このツケを回されたのが海兵隊。彼らが得意な仕事は、敵の前線を突っ切り穴をあける事。攻撃であって、防御じゃない。が、この戦争は、そもそもハッキリした前線がない。おまけに、ベトナムでの彼らの仕事の多くは(空軍)拠点の防御。向かない仕事を割り振られ、不満はたまる一方。
意外なのが、合衆国市民の反応。1967年末には軍派遣反対が支持を上回り、73年1月では戦争反対と賛成は2:1となる。ここまでは予想通りだが…
高年齢層は戦争に強く反対し、もっとも戦争を支持したのは20~29歳の年齢層であった。(略)教育程度の一番低い層が戦争にもっとも批判的であった。
当時は大学生が騒いでいた感があったけど、実は普通の人こそ反対してたわけ。これにはオチもあって、「ただ彼らは、組織化された反戦運動のなかでは無視された」。そうすりゃ、こういう人たちの声を拾い上げることが出来るんだろう。いや私も貧乏人の一人なんだが。
これには米軍の兵の使い方も絡んでて…
教育歴10年以下の兵士の損耗率は13年以上の3倍、所得4000~7000ドル世帯出身者の損耗率は17000ドル世帯出身者の約3倍にのぼった。
というのも、「将校は前線送りには教育水準の低い兵士を選んだ」から。そりゃ反感を買うよ。
【続く】
ということで、続きは次の記事で。
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