デーヴ・グロスマン,ローレン・W・クリステンセン「[戦争]の心理学 人間における戦闘のメカニズム」二見書房 安原和見訳 1
あらかじめそういうものだと知っていれば、(略)そのせいであとになって傷つかずにすむ。
――第十七章 安堵と自責とその他の感情本書の目標は、そういう「深く秘した個人的なことがら」を掘り起こし、戦場に送り出される兵士に前もって警告を与え、心構えをさせておくことだ。
――謝辞
【どんな本?】
前著「戦争における[人殺し]の心理学」で、デーヴ・グロスマンは衝撃的な事実を明らかにした。第二次世界大戦中、前線にいる米陸軍の兵のうち、発砲したのはわずか15~20%だった、と。残りの80~85%の兵は、発砲できなかった。人を殺すのが嫌だったからだ。
殺せる兵と殺せない兵と、何が違うのか。どうすれば人を殺せる兵を育てられるのか。何度も苦しい戦いを生き延びて古参兵となるには、どうすればいいのか。せっかく生還し退役の機会も与えられたのに、たのに、再び危険な戦場に戻ろうとする者がいるのはなぜか。
そして、運悪く心的外傷を負ってしまった者は、どうすれば回復できるのか。そのために社会や所属組織や身近な者には、何ができるのか。
殺すか殺されるかの瀬戸際のとき、ヒトの体と心には何が起きているのだろうか。そして、修羅場をくぐり抜けた後、人の心と体にはどんな影響を残すのだろうか。
著者の一人デーヴ・グロスマンは合衆国陸軍レンジャーとして、もう一人のローレン・W・クリステンセンは法執行官・警官そしてベトナムで陸軍憲兵としての経験がある。加えて、両名ともに致命的武力対決の心理的影響の専門家として活躍している。
その両者が、戦場から帰り苦しんだ帰還兵や、凶悪犯と銃撃戦を繰広げる警官・麻薬取締官など、暴力的な命のやりとりを経験した人々と多くの面談を通し、また大量の資料を漁って学術的・統計的なデータを集め、戦闘中およびその後のヒトの心身の状況を明らかにした、衝撃の書。
と書くと、まるで軍事の専門書のようだが、実の所、応用範囲はもっと広い。
突然の不幸などで、いきなり大きなストレスに押しつぶされそうな時。自分や家族が事故や急病などで命の危機に陥った前後。過去の経験で心の傷に苦しんでいる人。両親の離婚に心を痛める子供。そして、パニックに陥った際の対処法。
そんな風に、危機の最中やその後の苦しみに対処する方法を教えてくれる、「心の救急箱」とでも言うべき本である。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は On Combat : The Psychology and Physiology of Deadly Conflict in War and in Peace, by Dave Grossman & Loren W. Christensen, 2004。日本語版は2008年3月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約594頁に加え、訳者あとがき2頁。9ポイント49字×19行×594頁=約553,014字、400字詰め原稿用紙で約1,383枚。文庫本なら上中下の三巻でもいいい大容量。
文章は読みやすい。銃の口径など多少の専門用語は出てくるが、わからなければ無視していい。いわゆる「戦士」を賞賛する文章が多いので、それがお気に召さない人も多いだろう。そんな人でも、第四部は読む価値がある。
また、アメリカ人向けに書かれているので、その辺は読み替えが必要だ。例えば電話番号「911」は、日本だと「110」にあたる。
【構成は?】
できれば頭から順に読んだ方がいい。特に第四章は、その後の論の基礎となる現象を語っているので、是非読んでおこう。
- 献辞/謝辞
- まえがき ギャヴィン・デイ=ベッカー
- はじめに
- 第一部 戦闘の生理 戦闘中の人体の解剖学
- 第一章 戦闘 普遍的な人間恐怖症
- 第二章 戦闘の過酷な現実 海外戦争復員兵協会では聞けないこと
- 第三章 交感神経系と副交感神経系 身体の戦闘部隊と整備部隊
- 第四章 恐怖と生理的覚醒と能力 白、黄、赤、灰、黒の状態
- 第二部 戦闘中の知覚の歪み 意識変容状態
- 第五章 目と耳 選択的聴覚抑制、音の強化、トンネル視野
- 第六章 自動操縦 「正直な話、自分がなにをしてるか気づいてなかった」
- 第七章 さまざまな影響 鮮明な視覚、時間延長、一時的麻痺、解離、思考の割込み
- 第八章 記憶の欠落、記憶の歪み、ビデオ録画の影響 実際にあったと思い込む
- 第九章 クリンガーの研究 知覚の歪みに関する類似の研究
- 第三部 戦闘の呼び声 こんな男たちがどこから生まれてくるのか
- 第十章 殺人機械 数少ない真の戦士がもたらす影響
- 第十一章 ストレスの予防接種と恐怖 みじめになる練習をする
- 第十二章 銃弾を食らっても戦いつづける 死に直面してほんとうに生きられる
- 第十三章 殺す決断 「人を殺しはしたが、おかげで助かった人もいる」
- 第十四章 盾を帯びた現代の勇士 「行きてスパルタ人に伝えよ……」
- 第十五章 戦闘の進化 戦時・平時に物心両面で殺人を可能にする道具
- 第十六章 戦闘の進化と国内の暴力犯罪
- 第四部 戦闘の代償 霧が晴れたあと
- 第十七章 安堵と自責とその他の感情 「世界が裏返った」
- 第十八章 ストレス、不確実、“四つのF” 警告は警備
- 第十九章 PTSD 事件の追体験、そして子犬からの逃避
- 第二十章 治癒のとき 危機的事件後報告会がPTSD防止に果たす役割
- 第二十一章 戦術的呼吸法、事後報告会のメカニズム 記憶と感情を切り離す
- 第二十二章 帰還兵にかける言葉、生き残った者にかける言葉
- 第二十三章 なんじ殺すなかれ? ユダヤ/キリスト教的殺人観
- 第二十四章 生存者罪責感 死ではなく生を、復讐でなく正義を
- 終わりに
- 付録「エラスムスの22の原則」
- 訳者あとがき
- 参考文献一覧
【感想は?】
文句なしに名著。もっと早く読みたかった。
軍事系の本だからと言って、敬遠してはもったいない。スポーツの訓練法からクレームの対処、そして効率よく仕事を進める方法まで、読み方によって、そして読む人の立場によって、いくらでも役に立つコツがてんこ盛りの本だ。
例えば、こんなエピソード。合衆国陸軍がやった実験の話だ。
大隊は四個中隊に分かれて、20日間ぶっ通しで、起きている時間はずっと砲撃訓練を実施した。(略)
第一群は一日に七時間睡眠をとり、第二群は六時間、第三群は五時間、そして第四群は四時間しか寝ないという苦行をしいられた。
最終日の20日目には、七時間眠っていた第一群は最高で98%の命中率をあげたが、第二群は50%、第三群は28%、(略)第四群は、最高15%の命中率しかあげられなかった。
――第三章 交感神経系と副交感神経系
これをグラフにしたのが、右の図だ。縦軸が命中率、横軸が睡眠時間。このグラフから、あなたは何を読み取るだろうか。
忙しく働いている人なら、こう考えるだろう。「睡眠不足は仕事の効率を落とし、ミスを増やすんだなあ、最低でも1日7時間は眠らないと」。
プログラマなら、こう考える。「睡眠不足で書いたコードはバグだらけでデバッグの手間を増やすだけだ」。
まっとうな軍ヲタなら、ガダルカナルや硫黄島で戦った帝国陸海軍将兵の苦境に想いをはせるだろう。ニワカ軍ヲタは救いようがない。「難攻不落に見える砦も、夜襲や威嚇射撃の嫌がらせを20日ほど続け、守備隊を眠らせなければ、墜とせるかもしれない」。
そして受験生なら、「無駄な勉強はもうやめて今夜は寝よう」。
と、このように、読む人によって色々な教訓を得られる本なのだ。もちろん、最も収穫が多いのは軍ヲタだが、スポーツの指導者や過去の心の傷に苦しむ人にも、役に立つ事柄がたくさん書いてある。日頃からの地道な訓練が必要なモノもあるが、突発的なピンチに対処するコツもある。
という事で、詳しくは次の記事から。
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