ルース・ドフリース「食料と人類 飢餓を克服した大増産の文明史」日本経済新聞出版社 小川敏子訳
わたしたちはどのようにして非凡な存在となったのか。多くの人が都市で暮らすようになるまでに文明は自然に大幅に手を加える技術をどのように進化させてきたのか。本書ではその道のりを再現していこう。
――プロローグ 人類が歩んできた道人類史が始まって以来ほぼすべての時点で、食料供給量は窒素とリンが循環する速度に縛られてきた。
――2 地球の始まり農耕と牧畜の生活がすっかり定着すると人口増加率は五倍に跳ね上がった。
――3 創意工夫の能力を発揮する微生物が窒素ガスの結合をどのように切り離すのかも、やはり謎に包まれている。
――4 定住生活につきものの難題人びとが井戸を掘るようになったのは、少なくとも農耕が始まるよりも前のことだ。
――5 海を越えてきた貴重な資源リン鉱石を蓄えた奇異な地質は世界各地に散らばっており、ひと握りの国がその上に陣取っている。(略)世界最大の埋蔵量を誇るのは北アフリカの小さな王国モロッコ、そして政治抗争に揺れる西サハラだ。
――6 何千年来の難題の解消料理、宗教上の禁忌、嗜好の違いはあっても、人は豊かになるにつれてデンプン質の摂取量が減る――つまり食生活のなかで小麦、米、トウモロコシ、ジャガイモが減り、肉、鶏、卵、乳、チーズが多くなる
――7 モノカルチャーが農業を変えるいま現在も、どれだけ農薬や農薬以外の手段を講じても、世界各地で栽培される作物の約三割は収穫前に病害虫にやられ、収穫したうちの一割もやはり病害虫の被害にあう。
――8 実りの争奪戦ノーマン・ボーローグ「アフリカ、アフリカだ。わたしはまだアフリカで使命を果たしていない」
――9 飢餓の撲滅をめざして グローバル規模の革命バイオ燃料のために栽培しようとすれば、農地の奪い合いとなって食料価格を押し上げてしまう。
2000年代に入って10年足らずで、ついに亀裂が生じた。カイロ、ポルトーフランス(ハイチの首都)、ダッカ、モガディシュ(ソマリアの首都)と西アフリカ全域で、米から調理油までの食料品の値上げに抗議する人びとが暴徒化した。
――10 農耕生活から都市生活へ
【どんな本?】
私たちの身の回りには食べ物が溢れている。今の日本で飢えて死ぬ者は滅多にいない。農業従事者はほとんどいないにも関わらず。むしろ今は肥満が問題になっている。
このような恵まれた状態になるまでに、人類はどのような道のりを経てきたのか。何が食料の生産量を決め、何が増産を阻み、それを人類はどのように克服してきたのか。そして、その過程で、人類はどう変わり、どんな副作用があったのか。
主に農業と畜産業を中心に、人類と食料の関わりを辿り、また現在の農業・畜産業が抱える問題を浮き彫りにする、一般向けの解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Big Ratchet : How Humanity Thrives in the Face of Natural Crisis, by Ruthe DeFries, 2014。日本語版は2016年1月8日1版1刷。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約260頁に加え、訳者あとがき3頁。9.5ポイント43字×17行×260頁=約190,060字、400字詰め原稿用紙で約476枚。文庫本なら標準的な厚さの一冊分。
【構成は?】
原則として時系列順に話は進む。が、各章は比較的に独立しているので、気になる所だけを拾い読みしてもいい。
- プロローグ 人類が歩んできた道
- 1 鳥観図 人類の旅路のとらえかた
- 文明を動かす究極のエネルギーとはなにか?
- アイルランドの飢饉に学ぶ
- 歴史を多眼的にとらえて見えてくるもの
- 2 地球の始まり
- 地球が生まれた幸運 宇宙のなかの一等地
- 地球をめぐりめぐるもの 炭素と窒素とリン
- 多様な生物が必要なわけ
- 3 創意工夫の能力を発揮する
- 非凡な能力 遺伝子から創意工夫へ
- 繁栄への道ならし 道具、火、言葉
- 重大な一歩 狩猟採集から農耕へ
- 4 定住生活につきものの難題
- 大いなる皮肉
- もうひとつの栄養素 リンをどう補うか
- 古代文明 川がもたらす豊かな生活
- 難題に次ぐ難題 労働力をどうするか
- 古代中国人の一流の知恵
- ヨーロッパの試行錯誤
- 5 海を越えてきた貴重な資源
- 海鳥からの贈りもの
- 交易によって変わる世界
- 火をどうやって確保するか
- 6 何千年来の難題の解消
- 画期的な技術の開発 突破口をひらく
- バッファローの骨と埋もれたサンゴを活用する
- “過剰”という新たな危機
- 化石燃料の登場 エネルギー不足の解決
- 7 モノカルチャーが農業を変える
- 大量生産の実現 ハイブリッド・コーン
- 背の低さで勝つ 小麦の品種改良
- 大豆の旅
- 化石燃料に頼るモノカルチャー
- 多くなる肉、少なくなるデンプン
- 8 実りの争奪戦
- 自然のめぐみを守る カカシから殺虫剤へ
- 強力な合成殺虫剤DDTのブーム
- ブームの果てに
- 病害虫との終わりなき闘い
- 9 飢餓の撲滅をめざして グローバル規模の革命
- 緑の革命の波 メキシコからインドへ
- 「奇跡の米」の誕生
- 緑の革命の負の側面
- 野生にかえる
- 未踏の領域 バイオテクノロジーによる遺伝的操作
- 10 農耕生活から都市生活へ
- より脂っこく、より甘く 肥満の脅威
- 地球からのしっぺ返し
- 次なる転機のきざし
- 喧騒のなかへ
- 謝辞/訳者あとがき/参考文献/原註
【感想は?】
現在の食料生産、実はかなり危ういバランスの上に成り立っているらしい。
本書の視点は広く遠い。なんたって、太陽系での地球の位置から始まる。そういうスケールから、時間的にも空間的にも現代社会に近づき、パターンと問題を見ていく、そういう本だ。
テーマは食料。その中でも、農業を中心としている。大きな柱は、肥料と品種改良だ。序盤から中盤では肥料にスポットをあて、中盤から終盤では品種改良や機械化や農薬を駆使する「緑の革命」に注目し、地球全体を舞台としたドラマを描き出す。
前半~中盤の肥料では、窒素とリンを詳しく述べてゆく。これが実に危うい。
リン鉱石を蓄えた奇異な地質は世界各地に散らばっており、ひと握りの国がその上に陣取っている。(略)世界最大の埋蔵量を誇るのは北アフリカの小さな王国モロッコ、そして政治抗争に揺れる西サハラだ。
――6 何千年来の難題の解消
日本の事情を調べると、やはりヤバそうだ(→PDF、農林水産省の肥料及び肥料原料をめぐる事情)。特にリン。リンは輸入に頼ってる。輸入元はアメリカ・中国・西サハラ・モロッコ。アメリカと中国は輸出を渋りはじめてる。この先、需要は増えても埋蔵量が増える見込みはない。
昔は、もちっと長続きする方法を使ってた。川底のヘドロを畑に撒いたり、人糞を肥やしにしたり。もっとも、そのオツリとして住血吸虫病などの病気も蔓延したんだけど。
これを変えたのが、グアノ(→Wikipedia)。数千年分の海鳥の糞などが島に積もり固まったもの。窒素とリンをタップリ含むんで、優れた肥料になる。西欧は大西洋を越えてグアノを持ち帰った。はいいが、所詮は限りある資源。今では掘りつくし、枯れちゃってる。
次に目を付けたのが、骨。パール・バックの「大地」に、「この国の土は新しい。人間の骨が十分に埋まっていない」なんてくだりがあるように、昔から東アジアじゃ有機肥料をうまく使ってた。が、グアノを使いつぶす西欧人の発想は違う。
北米大陸には、開拓者が殺したバッファローの骨がたくさん転がってた。これを使えばいいって発想だ。当然、これもやがて枯れる。そして現在はリン鉱石だ。これも使いつぶしてる。人類ってのは、なかなか懲りない生き物らしい。
どころか、農地から流れ出し、川を伝って湖や海に流れ込んだリンと窒素は水の富栄養化をもたらし、水産資源すら潰す始末。増えた窒素は藻を大繁殖させる。その後、死んだ藻は腐り、水中の酸素を減らす。そして魚やカニが酸欠で死ぬ。いわゆる赤潮や青潮って現象だ。
なんとかリンだけでもリサイクルできないか、と思って軽く調べたが、今のところは下水処理技術としての開発が主で、肥料として利益を出すには費用も生産量も桁が違う模様。
こういういたちごっこ、肥料は比較的にサイクルが長いが、病害虫はもっとサイクルが短い。奇跡の農薬と思われたDDTをはじめ、病害虫は次々と耐性を持ち始めている。しかも一つの作物を大量生産するモノカルチャーは、病害虫に極めて弱い。
とはいえ、とりあえず今までのところ、人類は危機を何度も乗り越えてきた。今までは従来の農法を馬鹿にしてきたが、最近ではマメ類とトウモロコシを同時に栽培する中米の伝統農法についても、その合理性が分かる程度に、科学は進歩している。
再び危機が来るのか、かろうじて切り抜けられるのか。現代ってのは、思ったよりスリリングな時代らしい。
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コメント
おはようございます
この本は私も読ませていただきましたが面白い本でした。
では、
shinzei拝
投稿: shinzei | 2017年9月 6日 (水) 06時23分