« SFマガジン2017年10月号 | トップページ | 高山羽根子「うどん キツネつきの」東京創元社 »

2017年9月 1日 (金)

エイドリアン・レイン「暴力の解剖学 神経犯罪学への招待」紀伊国屋書店 高橋洋訳

女の殺人犯一人につき、男の殺人犯がおよそ九人いる。
  ――第1章 本能 いかに暴力は進化したか

「遺伝子は、世の中には犯罪者もいればそうでない者もいる理由の半分を説明する」
  ――第2章 悪の種子 犯罪の遺伝的基盤

暴力犯罪者の多くは、いかに重い罪であれ、法を犯す際に発汗したりはしない。
  ――第4章 冷血 自律神経系

警官、税関吏、FBI捜査官、保護観察官でも、欺瞞行為を検知する能力にかけては一般の大学生とたいして変わらない。
  ――第5章 壊れた農 暴力の神経解剖学

テスト前の四日以内に近所で殺人事件が発生すると、読解力のテストのスコアがほぼ10点(標準偏差の2/3)落ちる。同様に、語彙テストのスコアが、標準偏差の半分ほど低下する。
  ――第8章 バイオソーシャルなジグソーパズル 各ピースをつなぎ合わせる

私はいつも助けを求めていた。だが、誰かを傷つけるまで、手を差し伸べようとする者は一人もいなかった。誰かを傷つけると、人々は私を治療しようとした。だが家に帰るとすべてが同じだった。
  ――第10章 裁かれる脳 法的な意味

常習的な暴力犯罪は、臨床障害なのだ。
  ――第11章 未来 神経犯罪学は私たちをどこに導くのか?

新たな知識が抑圧されたり無視されたりする場合、そこには現状を維持したい特定のグループの願望がつねに存在する。
  ――第11章 未来 神経犯罪学は私たちをどこに導くのか?

【どんな本?】

 カエルの子はカエルと人は言う。競走馬は血統が大事だ。馬に限らず、作物や家畜の品種改良は交配がキモとなる。では、ヒトはどうなのか。背の高さや肌の色が親に似るように、生まれつきの犯罪者がいるのではないか。それとも、環境次第でどうにでもなるのだろうか。

 この問いに対し、著者は大胆にも宣言する。犯罪を犯しやすい体質はある、と。

 だが、血統ですべてが決まるわけではない。それほど単純ではないのだ。血統が良くても問題が起きる場合もあれば、環境で変わる場合もある。事故や病気で運命の歯車が狂うこともあれば、医療措置やサプリメントによる予防や回復も可能だ。

 これが事実なら、現在の司法制度も根本から見直す必要が出てくる。

 主に暴力犯罪を中心に、多くの犯罪者を調べ、または対象群を設定して統計を取り、最新の生物学・医療技術である遺伝子解析やPETなどを駆使して、神経学的に犯罪者を分析し、衝撃の事実を明らかにするとともに、大胆な未来予測を展開する、エキサイティングな科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Anatomy of Violence : The Biological Roots of Crime, by Adrian Raine, 2013。日本語版は2015年3月19日第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約542頁に加え、訳者あとがき6頁。9ポイント45字×18行×542頁=約439,020字、400字詰め原稿用紙で約1,098枚。文庫本なら上下巻ぐらいの分量。

 文章は比較的にこなれている。内容はかなり難しい所もあるので、読み方にはコツが必要。例えば脳を解析するあたりは、脳の部署や化学物質などの専門用語がズラズラと並ぶ。

 が、ハッキリ言って、こういう所はテキトーに読み飛ばしていい。いずれは神経学者になるつもりか、ネタを探すSF作家なら話は別だが。

【構成は?】

 全体は大きく3つの部分に分かれる。第2章までは導入編、第3章~第8章は実証編、第9章以降は対策編とでも言うか。

  • はじめに/序章
  • 第1章 本能 いかに暴力は進化したか
    ナンバーワンを求めて 騙し合い/さまざまな文化のもとでのサイコパス/自分の子どもを殺す/自分の妻をレイプする/男は戦士、女は心配性
  • 第2章 悪の種子 犯罪の遺伝的基盤
    二重のトラブル/同じ豆を別のサヤに/だが環境の影響は?/養子の研究 ランドリガンの事例に戻る/ニキビとXYY/卑劣なモノアミン/戦士の遺伝子、再び/「瞬間湯沸かし器」ジミー キレやすい脳の化学/始まりの終わり
  • 第3章 殺人にはやる心 暴力犯罪者の脳はいかに機能不全を起こすか
    殺人者の脳/バスタマンテの壊れた頭 モンテの証言/連続殺人犯の脳/反応的攻撃性と先攻的攻撃性/辺縁系の活性化に対する前頭前皮質のコントロール/「殺人にはやる心」の機能的神経解剖学/配偶者虐待の新たな言い訳?/嘘をつく脳/道徳的な脳と反社会的な脳/ジョリー・ジェーンのなまめかしい脳/ジョリー・ジェーンの脳の何が問題だったのか?/脳の総合的な理解に向けて
  • 第4章 冷血 自律神経系
    有害な心臓/刺激を求めて暴力を振るう/幼少期の共通の性質、成人後の多様性/良心が犯罪を抑制する/今日は恐れを知らぬ乳児、明日は残忍な暴漢/上首尾なサイコパス/血がたぎる連続殺人犯/恐怖心のなさ、それとも勇気?
  • 第5章 壊れた農 暴力の神経解剖学
    脳をベーコンのようにスライスする/フィニアス・ゲージの奇怪な症例/前頭前皮質のさらなる探求/男性の脳 犯罪者の心/留意すべき三つの臨床例/スペインのフィニアス・ゲージ/ユタ州のロシアンルーレット少年/フィラデルフィアのクロスボウ男/生まれつきのボクサー?/恐れを知らないアーモンド?/パトロールする海馬/報酬を手にする/ピノキオの鼻と嘘をつく脳/優秀な脳を持つホワイトカラー犯罪者
  • 第6章 ナチュラル・ボーン・キラーズ 胎児期、周産期の影響
    公衆衛生の問題としての暴力/生まれつきのワル/カインのしるし/掌紋から指へ/妊娠中の喫煙/妊娠中のアルコール摂取
  • 第7章 暴力のレシピ 栄養不良、金属、メンタルヘルス
    オメガア3と暴力 魚の話/強力なミクロ栄養素/トゥインキー、ミルク、スイーツ/重金属は重犯罪を生む/精神疾患は卑劣さを生む/レナード・レイクの狂気
  • 第8章 バイオソーシャルなジグソーパズル 各ピースをつなぎ合わせる
    バイオソーシャルな共謀 相互作用の影響/社会的プッシュ/遺伝子から脳、そして暴力へ/社会から脳、そして暴力へ/あらゆる悪の母 母性剥奪とエピジェネティクス/脳の各部位を結びつける
  • 第9章 犯罪を治療する 生物学的介入
    復習/決して早すぎることはない/決して遅すぎることはない/やつらの首をちょん切れ!/714便 タンタンの冒険/ケーキを食べれば?/脳を変える心
  • 第10章 裁かれる脳 法的な意味
    自由意志はどの程度自由なのか?/慈悲か正義か ページは死刑に処せられるべきか?/報復による正義/ページからオフト氏に戻る
  • 第11章 未来 神経犯罪学は私たちをどこに導くのか?
    日陰から日なたへ 臨床障害としての暴力犯罪/ロンブローゾ・プログラム/全国子ども選別プログラム/マイノリティ・レポート/実践的な問い それは起こり得るのか?/神経犯罪学をめぐる倫理 それは起こるべきなのか?/まとめ 砂に頭をうずめるダチョウになるのか
  •  訳者あとがき/原注/索引

【感想は?】

 考え方によっては、忌まわしい本と言える。なんたって、いきなりロンブローゾなんて名前が出てくるし。

 チューザレ・ロンブローゾ(→Wikipedia)、1835年生まれのイタリア人で犯罪学の始祖。犯罪者には生物学的な要因があると主張した。彼の説は後に優生学を生み出す。

 ところでロンブローゾはユダヤ人と北部イタリア人を頂点としたが、後世の者は意見が違ったようだ。

 ある意味、本書はロンブローゾを再評価する本だ。ただし、人種で優劣を決めるなんて単純でわかりやすい主張ではない。

 ヒトも生物である以上、遺伝の影響はある。肌の色や髪の形質ばかりでなく、酒の強弱も遺伝する。これは肝臓が分解酵素を作る能力による。肝臓が臓器であるように、脳も臓器だ。なら、脳の働きだって遺伝するだろう。

 とは言うものの、脳は肝臓ほどわかりやすくない。多くの部位に分かれていて、それぞれの働きもハッキリとは判っていない。そもそも、生きてる脳の働きをジックリ観察する方法なんてなかったし。

 これをfMRI(→Wikipedia)やPET(→Wikipedia)が変えた。どんな時にどの部位が活発に働くか、どんな部位がどんな働きをするのか、少しづつわかってきた。そして、犯罪者の脳にどんな特徴があるのか、も。この特徴は、遺伝も影響するのだ。酒の強弱のように。

 が、遺伝で全てが決まるわけじゃない。戦後、日本人の身長は急激に伸びた。食料事情が変わったからだ。同様に、脳も環境に大きな影響を受ける。ところであなた、刺身は好きですか?サバの味噌煮は?サンマの塩焼きは? この本、こんな事も書いてあったり。

魚の消費量が上がるにつれ、殺人発生率は下がる。
  ――第7章 暴力のレシピ 栄養不良、金属、メンタルヘルス

 これは噂のDHAが関係していて、「暴力の発現を防ぐ遺伝子をオンにする(略)と、理論上は考えられる」。

 実際、DHAの元になるオメガ3(→Wikipedia)を含むサプリメントをモーリシャスの子どもに半年間与えた調査では、投与を終えた半年後にも「攻撃性、非行の度合い、注意力の不足を示す数値がさらに減退し続けた」。似たような試験は刑務所でもやってて、効果はあるらしい。

 こういう栄養素の不足は、他に鉄と亜鉛が挙がってる。という事で、レバニラ定食を食べましょう。

 悩ましい事に、ゲーム脳はあるのかも知れない。たった一例だが、ゲームが犯罪傾向に影響を与えた例が載っているのだ。ただし、更生に役立った例だが。

 豊かで愛情に満ちた家庭に育ったが、手の付けられない不良になtった少年の例だ。彼は集中力に難があった。そこで脳波を測りながらパックマンをプレイさせる。このパックマンは特別製らしく、集中が止まるとパックマンが動かなくなる。これを一年続け結果、見事に彼は更生した。

 脳の性質で、覚醒度が低く集中力に欠ける人がいる。一般にこういう人は、平常時の心拍数が少ない。目を覚まし、生きている実感を与えてくれるのは、犯罪だけだ。そこでパックマン特別製バージョン。集中力を養うことで脳を改造し、普通の暮らしにも刺激を感じるようにするのだ。

 などの理論と実証を経た後、第3部で展開する対策編は、まるきしSFで、かなり挑発的な意見を出している。ここについては私も違う案を考えたが、他の人も様々な案を言いたくなるだろう。

 などの本筋はもちろん、その資金を調達する方法も、いかにもアングロサクソン的。なんと債権を発行しよう、なんて言ってる。効果が出て政府の出費が減ったら、それを配当として債券保有者に還元しましょう、って理屈。リバタリアンが好みそうな方法だなあ。

 犯罪者は生まれで決まる、なんて単純な内容じゃない。むしろ、犯罪を防ぎ犯罪者を更生させるために、最近の医学や犯罪学の知見を使ってくれ、そんなメッセージが込められた本だ。

 読むならちゃんと全部を読もう。聞きかじりで都合のいい所だけを引用すると、どんな理屈にも応用できてしまう。そういう意味では危険な本でもあるが、それだけにエキサイティングな本でもある。とりあえず私は文化サバ定食を食べることにします。いや魚は煮物より焼いた方が好きだし。

【関連記事】

|

« SFマガジン2017年10月号 | トップページ | 高山羽根子「うどん キツネつきの」東京創元社 »

書評:科学/技術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: エイドリアン・レイン「暴力の解剖学 神経犯罪学への招待」紀伊国屋書店 高橋洋訳:

« SFマガジン2017年10月号 | トップページ | 高山羽根子「うどん キツネつきの」東京創元社 »