仁木稔「ミカイールの階梯 上・下」ハヤカワSFシリーズJコレクション
「ご存知ですか。男女がそれぞれ同じ程度の暴力を振るった時、人はなぜか女の行為をより残忍だと感じ、恐怖します」
――上巻p156「民族主義とは究極の純粋であり、決して到達し得ない純粋です。その追及は際限ないテロルの応酬か殲滅戦への道であり、すなわち破滅への道です」
――上巻p275「おまえのために命を懸けた時から、あいつはおまえのものになった」冷然と述べた。「そして、おまえはあいつのものだ」
――下巻p259「言葉の最大の強みは、保存も再生も容易なことだ」
――下巻p308
【どんな本?】
「グアルディア」「ラ・イストリア」「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」と共に、未来史≪HISTORIA≫シリーズを成す作品。
急激な遺伝子の変異を引きおこすウイルスの蔓延により、人類は多数の疫病に襲われる。人々はそれぞれの土地に引きこもり、少しづつ耐性を獲得して生き延びた。だが、遠方から訪れるよそ者は未知の疾病を持ち込むため、人の移動や交易は衰え、文明もまた滅びてゆく。
舞台は25世紀の中央アジア、現キルギス・カザフスタン・中国の国境付近。旧文明の遺産を継ぐミカイリー一族は、マフディ教団と組んでいる。だが一族の後継争いが起こり、当主候補のミルザは、マルヤム&フェレシュテの母娘と共に亡命を試みる。目的地は中央アジア共和国のイリ州。
彼らは赤髪の精鋭部隊(グワルディア)に捕えられた。イリ州の軍管区司令官のユスフ・マナシーの指令によるものだ。指揮をとったのは、中央政府より派遣さればかりの、政治将校のセルゲイ・ラヴロフ。
これが、ミカイリー一族の秘密を握る少女フェレシュテと、赤髪の精鋭部隊の少女リューダの出会いだった。
SFマガジン編集部編「SFが読みたい! 2010年版」のベストSF2009国内篇で20位に食い込んだ。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
本文2009年5月25日初版発行。単行本ソフトカバー縦2段組みで上下巻、本文約277頁+302頁=579頁に加え、あとがき4頁。8.5ポイント25字×19行×2段×(277頁+302頁)=約550,050字、400字詰め原稿用紙で約1,376枚。文庫本なら厚めの上下巻か薄めの上中下巻の分量。
文章は比較的にこなれている。ただし、内容は、ちととっつきにくい。なんといっても、このシリーズ特有の設定がかなり凝っているためだ。また、遺伝学の知識が多少あったほうがいい。加えて、中央アジアやロシアの歴史に詳しいと、細かいネタが楽しめる。
それと、残酷な場面が多いので、そっちの耐性が必要。
【感想は?】
色々な読み方がある。大きな流れとしては、滅亡の縁にたつ人類のあがきだ。が、私はそれより、リューダとフェレシュテの百合物語として楽しんだ。
リューダは精鋭部隊グワルディアの卵。グワルディアって名前が、デビュー作「グアルディア」を思わせる。また、この精鋭部隊の一族が、赤毛ってのも、ニヤリとしたり。確か赤毛は劣勢遺伝で、将来は滅びるんじゃないか、なんて話もあったり。
にもかかわらず、過酷な歴史の中で生き延びてる、どころか一族揃って赤毛ってあたりに、「何か仕掛けがあるな」と匂わせてたり。また、精鋭部隊を名乗るだけあって、グワルディアは優れた身体能力・戦闘能力を持つ。いわば傭兵集団だ。究極の体育会系とでも言うか。
対してミカイール一族は、旧文明の知識を受け継ぐ、知恵の一族。特にフェレシュテは、何かとんでもない秘密を持っているらしく…
と、人間模様としてはこの二人を中心に、有象無象が絡みダイナミックに物語が展開してゆく。
中でも存在感が大きいのが、ユスフ・マナシー。中央アジア共和国イリ州の軍管区司令官。この国、現ロシアの成れの果てらしく、ルースとかルイセンコ主義とか、ソレっぽい単語がチラホラ出てくる。はいいんだが、微妙に現代の言葉と意味が違ってるっぽいのが時代を感じさせて、雰囲気を出してる。
地域で軍閥化が進んでいるのは、人の移動が制限されているためだろう。そんなわけで、地域に溶け込み土着化しているユスフ、ただでさえ腹の中が読みにくいロシア系が、更に複雑怪奇に屈折しまくってる。なかなか底を見せず、次々と隠し玉を繰り出す彼の本心がどこにあるのか、それも読んでのお楽しみ。
そんなユスフのお目付け役として、中央から派遣される政治将校セルゲイは、ちと頼りない。地元で権勢をふるうユスフにとっちゃ煙たい存在なわけで、大丈夫かいなと心配になったり。おまけに性格が暗いしw
他にもクセの強い人物が沢山出てきて、それぞれの勢力を率い争うお話なんだが、単純な勢力争いじゃないのが、この作品の大きな特徴。
先のユスフにしても、地域のボスとして君臨しちゃいる。中央政府の干渉を煙たがってはいるようだが、「支配地域を広げたい」とか「中央に戻り出世しいたい」とかの、わかりやすい目的は持っていない様子。
そのユスフに対抗するのが、マフディ教団と組むミカイリー一族。その当主候補ミルザは自ら逃げ出すし、もう一方の候補レズヴァーンときたら…。
とかの何考えてんだかわからない連中が、陰険な策謀を巡らし、アチコチで凄惨な暴力場面が展開するなかで、単純に互いに求め合うリューダとフェレシュテの純愛?が光るわけです。
SFとしては、やはり遺伝子操作技術が仕掛けの中心となる。が、それ以上に、文明が滅びロシアや中国など大国の影響が薄れた後の、中央アジア情勢って発想が楽しい。
今でもアフガニスタンで紛争が絶えないように、中央アジアはユーラシアの要所だ。それだけに多くの民族や宗教がぶつかりあい、混じりあっている。今は中国やロシアなどの強国が力で抑えているけど、国家のタガが外れたらどうなるか。
今でこそ辺境の印象があるけど、かつては交通の要所として栄えた時代もあるだけに、「歴史のif」の一つとしても、興味深い仕掛けを秘めている。
設定は凝っているし、細かいネタも多い。ユーラシア史に詳しい人なら、更に楽しめるだろう。が、そんな難しい事を考えなくても、百合物語として充分にイケます、はい。
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