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2017年8月14日 (月)

ジョーン・スロンチェフスキ「軌道学園都市フロンテラ 上・下」創元SF文庫 金子浩訳

太平洋上を宇宙エレベーターが炭疽菌ケーブルを伝って上昇していた。
  ――上巻p11

「毎日、朝ごはんをプリントアウトするのを忘れないでね」
  ――上巻p56

「動物っていうのは放浪癖のある植物にすぎない」
  ――上巻p120

「家賃を払うのだってやっとなんです。 このままだと、あと三日で家が溶けちゃうんですよ」
  ――上巻p352

「人に、ほんとうに起きているんじゃない別のことが起きてるんだって思わせるのはおもしろいのよ」
  ――下巻p37

「愚かさって病気じゃないの?」
  ――下巻p264

【どんな本?】

 アメリカのSF作家ジョーン・スロンチェフスキによる、学園コメディ長編SF小説。2012年ジョン・W・キャンベル記念賞受賞。

 22世紀初頭。地球は温暖化し、危険な地球外生物ウルトラファイトが蔓延していた。合衆国大統領を輩出する家柄のジェニー・ラモス・ケネディは、事故で愛する兄を喪ったばかり。両親のもとを離れ、軌道上のフロンテラ大学に進学し、生命科学を学ぶつもりだ。

 人為的に小型化された像やテディベアが遊ぶフロンテラは、生物相まで徹底して管理しており、ウルトラファイトなどヒトに害をもたらす生物の侵入を許さない安全な環境だ。

 早速、同じ新入生の聡明なアヌークと意気投合したジェニー。スランボールのチームはキャプテンのケン&ヨーラをはじめとして、みな気があいそう。ただ同居人のメアリはなかなか姿を見せないし、生命科学の教授シャロン・アベネイシュの指導は厳しい。

 勉学に、スポーツに、ボランティアに、そして新しい出会いに、忙しく日々を過ごすジェニーの周囲に、トラブルは絶えず…

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Highest Frontier, by Joan Slonczewski, 2011。日本語版は2015年6月30日初版。今は文庫本で合本が出てる。上下巻で本文約420頁+406頁=826頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント42字×18行×(420頁+406頁)=約624,456字、400字詰め原稿用紙で約1,562枚。上中下の三巻にしてもいい分量。

 ズバリ、かなりとっつきにくい。いや文章はかなり工夫しているのだ。ただ、内容的にかなりクセが強い。見慣れぬガジェットが出てくるとワクワクする濃いSFファン向け。

【感想は?】

 そう、この作品はかなりとっつきにくい。理由は4つ。

 なんといっても、小説として不親切。冒頭からたくさんの人物が登場し、それぞれが複雑な関係を持っている。これを一気に覚えなきゃならない。創元SF文庫の伝統で、巻頭に登場人物一覧があるのが、とても有り難い。

 次に、アメリカ文化、特に名門大学の文化にベッタリな点。友愛会や上級生との関係など、アメリカの大学の風習をデフォルメして描いてるんだろう。アメリカ人には以心伝心で通じる文化なんだろうけど、日本人にはピンとこない場面が多い。

 第三として、これが「オフビートなコメディ」な点。そう、変な奴ばかりが出てくるのだ。が、この「変」ってのが、アメリカ(の知識階級の)文化を基準としたものなので、何がギャグで何が文化的な違いなのか、外国人にはイマイチよくわからない。改めて考えると、モンローやニューマンは相当にキツいギャグなんだとわかるんだが。

 そして最後に、SFとしてかなり濃いこと。最初の行から「宇宙エレベーターが炭疽菌ケーブルを伝って上昇していた」とくる。他にもウルトラファイトやらトイネットやらHIVやら、ブッ飛んだアイデアが冒頭から矢継ぎ早に出てくる。

 そんなこんなで、特にSFに慣れていない人にとっては、凄まじくとっつきにくい。逆に濃いSF者は、「なんかシンドイけどイカれたアイデアがギュウギュウに詰まってて美味しそう」と食欲をそそられたり。

 最初の頁で、ジェニーはニューヨーク州の自宅でクズ(葛)を剪定する最中に、地球外生命体のウルトラファイトを見つける。ここ、実に見事にアメリカ人向けである由を表す場面なのだ。

 現在、合衆国南部は日本から侵入したクズが大繁殖し、侵略的外来種に指定されている(→Wikipedia)。日本から侵入し定着してしまったクズと、地球外からの侵入種ウルトラファイトを対比させているんだが、これがピンとくるのはアメリカ人ぐらいだろう。

 そのクズが主に繁殖しているのは南東部が中心で、北東部のニューヨーク州は比較的に被害が少ない。ここにクズが繁殖している事で、地球の温暖化をほのめかせているんだが、これもアメリカの地理とクズの繁殖地を知っている人でないと、伝わりにくい。

 などと文句ばかりを垂れているが、SFとしてはイカれたアイデア満載で、なかなか楽しい。

 最初の炭疽菌ケーブルもそうだし、HIVの使い方も驚きだ。たぶんRNAウィルスなのがキモなんだろう。これが実は重要な伏線だったりするので、よく調べておこう。

 この時代、引っ越しも大きく変わり、たいていの実用品は3Dプリンタで転送すればいい。物語中で3Dプリンタは大活躍で、メシも服も家具も「プリントアウト」。便利なような、味気ないような。ところが大学生って、知恵はあっても分別は足りず、しかも無駄にエネルギーを持て余してるんで…。

 そういう意味じゃ映画「アニマル・ハウス」みたいな味もある。ただ騒ぎをおこすのが、落ちこぼれじゃなくて、優秀なクセに困った性癖と強力なコネを持った連中なのが、更にタチが悪いw

 肝心のジェニーにしても、自傷癖のあるメンヘラ。彼女とツルむアヌークは、ゴージャスな美女にして数学に秀でる才媛…かと思ったら、なんてこったいw 同居人のメアリはなかなか姿を見せず、やっと姿を拝めたと思ったら相当なプッツンさんで。

 恋愛要素もあるんだが、なにせ22世紀。同性愛も珍しくないんで、あたしゃちょっと期待しました、はい。その辺は…まあ、読んでのお楽しみ。

 オジサン・オバサンの読者は、ディラン学長の苦労に同情しよう。悪知恵に長け無限の行動力を持つ学生たちに加え、一癖も二癖もある教授陣ばかりでなく、学外からの問題にも対処せにゃならず、気の休まる暇がない。ほんと、少しは報われてもいいよなあ。

 などの人間模様を楽しむには、「大半の登場人物が変な奴」だって点を強く意識して読もう。これ大事。

 などのコメディ要素の他に、SF者にはスランボールをはじめ、中つ国やファウンデーションなど細かいネタが満載なのも嬉しい所。やはりスランボールのヘルメットにはアホ毛がついてるんだろうか。

 などと、序盤こそやたらモタつくものの、終盤に入ると、頻発するトラブルが拡大と増殖を繰り返し怒涛の展開となって、懐かしい王道のサイエンス・フィクションの味わいを蘇らせるエンディングへとなだれ込んでゆく。

 様々な理由で序盤はかなりとっつきにくいものの、SF者には美味しいネタを大量に散りばめて引き留め、最後にはキチンと本格SFの読了感を味合わせてくれる作品。

 テディ・ルーズベルトをはじめやたらとアメリカを強調するあたりはかなりアクが強いが、それもまたジョン・W・キャンベル記念賞らしい風味でもある。クセは強いが、濃いSFが欲しい人にお薦め。

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